タイラー・コーエン「チェスでは人間-機械の協力の時代が終わってしまった?」(2018年12月7日)

[Tyler Cowen, “Is the age of man-machine cooperation over in chess?,” Marginal Revolution, December 7, 2018]

AlphaZero がめざましい戦績を見せているさらなるデータを考えると,そう考えるべきなんじゃないかと Charles Murray が Twitter でぼくにそう訊ねてくれた.いまのところ,答えはもちろん「イエス」のようだ:AlphaZero に好きにやらせて人間から手出しをさせないでおけばいい.工場ネタのジョークみたいなところが少しある:「あそこに犬がいるのは人間を機械から遠ざけておくためだよ.そんで,人間は犬を守ってるわけ.」(というか逆かな?)

でも,大事なのはこれだ:いまのところ,AlphaZero のみの一強で,しかも AlphaZero は神のごときチェスをやるわけじゃない(と思う).どこかの時点で,AlphaZero と同種のプロジェクトがもっと登場するだろうし,そうしたプロジェクトがいつでもそろって「これが最良の手だ」と意見を一致させるとはかぎらない.そこで人間の出番が再びやってくる.想像してみよう.人間が AlphaZero とその他のプログラム5つに対面して,それぞれの提案する手がどこで異なっているかを見やり,さらにプログラムたちに質問してもっといい手を見つけ出す――機械よりも人間の方がこれに長けているというのは,少なくともありうる話だ(必然的にそうなるのではないにしても).

ひとつ留意しておこう.もともと,アドバンスト・チェス[機械-人間がコンビを組む変則チェス]では,人間の役割はべつに 機械によるチェスの判断にかわって,自らに判断を一任されたかたちで人間がチェスの判断を下すというものではなかった.人間の役割は,プログラムどうしの意見の不一致を裁定することだった:「Rybka は序盤戦術に少しばかり長けている.Fritz は終盤がうまい.Houdini は守りが抜群だ」などなど.そこで人間がいくつものエンジンのなかから1つを選んでこれを優先させたり,他のエンジンよりも「これ」と選んだエンジンになんらかの選択肢を検討させる時間をもっと割り当てたりした.

ひとたびいろんなプロジェクトそれぞれの長所と短所が全体的につかめたら,もしかすると,ニューラルネット手法と同じ道をたどるのかもしれない.というわけで,たしかにいまのところチェスにおける人間-機械の協力は落ち目ではあるけれど,いつか復活を果たすだろう.さらに,もっと広く経済学的な教訓もある.それは,オートメーションによってあれこれの仕事は消えるかもしれないけれど,必ずしもそうした仕事を永久に消し去るとはかぎらないということだ.

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