タイラー・コーエン 「危機の最中に読むべき本は?」(2020年4月1日)

●Tyler Cowen, “What should you read during the crisis?”(Marginal Revolution, April 1, 2020)


アグネス・カラード(Agnes Callard)がニューヨーク・タイムズ紙で次のように述べている

他の多くの人たちと同じように、私もここのところ「終末もの」の本だとか映画だとかに引き寄せられつつあることに気付く。それに加えて、「終末もの」のフィクションから距離をとって接するのがコロナ禍前よりもずっと難しくなっていることにも気付く。

何かやましいことがあれば、そのことについて後ろめたく思いたい。何かおっかない出来事に遭遇したら、恐がりたいって思う。つまり何が言いたいかというと、何か悪い事が起きたら、苦しみたいと思うのだ。思うだけじゃなく、実際にも苦しみを味わおうとするし、苦しみの種をあえて探し出そうとさえしてしまうのだ。

『第七の祈り』『処女の泉』(いずれもイングマール・ベルイマンが監督した映画)を見返したばかりということもあって、カラードの主張にもある程度は同意するが、完全同意ってわけじゃない。以下に、私なりの考えをいくつか述べさせてもらうとしよう。

1. 世が混沌としていると、「リアルに感じる」アートを強く欲するようになるというのはそうかもしれない。しかしながら、「リアルに感じる」アートっていうのは、大抵はどこかに嘘があるものだ。「特殊効果」が使われていたりすると、なおさらリアルに感じちゃったりするのだ。アートを鑑賞している最中に味わっているのはそもそも現実そのものじゃないわけで、「リアルに感じる」アートを欲するっていうのは、「ごまかすのがうまい」アートを欲しているってことなのかもしれない。世が混沌としていると、「ごまかすのがうまい」アートを目にして、「何てリアルなんだ!」って自分自身を騙(だま)そうとする傾向が強まるってことなのかもしれない。

2. 病院では「悪い出来事」を追ったビデオを見るべきってことになるんだろうか? そうしている人も中にはいるようだが、 例えばジェーン・オースティンを読む代わりに、「悪い出来事」を追ったビデオを見るべきってことになるんだろうか? コロナに感染して生死の境をさまよっている人たちのビデオとか、呼吸器疾患で苦しんでいる人たちのビデオとかを見るべきってことになるんだろうか?

3. アート内での選択(どんなアートを鑑賞するか)ではなく、アートの鑑賞とそれ以外の活動との間の選択(アートを鑑賞するか、それともそれ以外の活動に時間を割くか)についてはどうなるだろう? 致死率の高い病気を抱えた人たち――コロナ禍の中では、そういう人が増えているわけだが――は、自然の中をゆっくりと散歩したいって思うんじゃなかろうか? 高齢者は、フィクションにはあまり惹かれないんじゃなかろうか?(フィクションに一番心を惹かれる層というのは、おそらくは、10代~20代前半の若者、あるいは40代~50代の女性だろう) つまりは何が言いたいかというと、コロナ禍の中では、アート離れ/小説離れが進む可能性があるのだ。

4. ガーディアン紙の報道によると、分厚い古典小説の売り上げが伸びているらしい。売り上げが伸びてる古典には、どんな共通点があるんだろう? 「コンフォート・フード」みたいに、心に安らぎを与えてくれるってことなんだろうか? 「長さ」が評価されてるんだろうか? 格式が高いから読まれてるんだろうか? 若くて今よりも幸せだった時代に読んだ本を懐かしんでるってことなんだろうか? 他のことを忘れて長い時間没頭できる対象として手に取られてるんだろうか? いずれにしても、分厚い古典の売り上げが伸びている背後には、幻想にまみれた動機が控えているように思える。いや、だからって「別に悪くない(責め立てるつもりはない)」(“not that there’s anything wrong with that”)けどね。

5. やたらと悲観的なディストピア小説が好んで読まれるのはどうしてかというと、「護符」としてすがるためってことなのかもしれない。「最悪のシナリオを聞かせてくれ。恐怖心に慣れる練習をさせてくれ。そうしておけば、現実が期待通りにいかなくて落胆するってこともなくなる。あの最悪のシナリオに比べたら、まだマシじゃないかって思えるからね。だから、どうか安心させてくれ」ってなわけだ。これもまた幻想ではある。そう言えば、ついさっき紹介したガーディアン紙の記事によると、ディストピア小説(疫病とかパンデミックとかがテーマじゃないやつも含めて)の売り上げも伸びているらしいね。

6. イーユン・リー(Yiyun Li)が次のように語っている。「先が見通せなくなるほど、トルストイの作品に備わる堅牢さや秩序が際立ってきます。今のような時代には、身の回りの世界にひどく心を動かされる一方で冷静そのものに見える文章を綴れる作家の作品が読みたくなるものなのです」。

7. (自宅待機を強いられて)退屈な時は、退屈さに輪をかけてくれるような作品を選べってことになるんだろうか? 退屈さから逃れようとするってのはダメなんだろうか? むしろそうする方が好ましいんじゃなかろうか?

美学(アートの鑑賞)の問題に関しては、ポートフォリオ・アプローチ(分散投資の発想)を応用してどうしたらいいかを考えるのが私流のやり方だ。何かと困難が続くような時には、気分を上げてくれる銘柄(アート)だったり、気晴らしになるような銘柄(アート)だったり、暗い気持ちを中和してくれるような銘柄(アート)だったりを従来よりも多く持つ(鑑賞する)ようにするといい。ただし、似たような銘柄(アート)だけを揃える(卵を一つのカゴに盛るような真似をする)のはよくない。そうしちゃうと、ワンパターン化して、心が動かされなくなっちゃうだろうからね。

コロナ禍の中でどんなフィクションを読んだらいいかっていう話に当てはめると、これまであまり手を出さずにきたジャンルに挑戦したりして、いくらか冒険してみるといい。昔の古典とか、ホラー小説とか、ディストピア小説とかを読む量は減らして、愉快で温かみのある小説を読む量をグッと増やすといい。あと、自然の中を散歩する時間を増やすといい。

「終末もの」に傾倒するのも悪くはない。若干だったらね。湿り気もいくらかは必要だからね。

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