タイラー・コーエン「白人アメリカ人は奴隷制とその遺産からどれだけ利益を得たのか」

Tyler Cowen”How much have white Americans benefited from slavery and its legacy?” (Marginal Revolution, May 25, 2014)


補償に関するタナシー・コーツのエッセイについて、多くの人が議論している。エズラ・クラインがこの論議を次のように要約している。

コーツが示しているのは、自らのために複利の力を手にしようと、白人によるアメリカは数百年にも渡って殺傷兵器や人種差別的法律、偏った裁判所や居住地隔離を用いてきたということだ。彼が何度も繰り返し使っている単語は「略奪」である。白人によるアメリカは、アフリカ系アメリカ人の働きを盗むことによってその富を築き、そしてそれが違法となってからはアフリカ系アメリカ人の働きと芽生え始めた彼らの富を略奪することでさらに富を増した。そして次には、決定的なことに、複利の魔法を働かせたのだ。

私としては、今生きている白人アメリカ人のほとんどは、この国がアフリカ系アメリカ人を奴隷化していなかったとしたらもっと裕福になっていたし、したがってほとんどの白人もまた奴隷制で損失を受けたんだと思っている。黒人が失ったものよりはずっとずっと小さいものだけれどね。例えば、より自由でより公正な政策はその市民のほとんどを裕福にする傾向にあると一般的には認識されている。(多くの問題について私たちは「公正」が何を意味するか意見が一致しないけれど、奴隷制とその遺産は明らかに不公正だ。)

より具体的な話をすれば、差別によって割り引かれた市場価格でアフリカ系アメリカ人労働者を雇うことでアメリカの白人の多くが利益を受けたけれど、それ以外の多くの人はアフリカ系アメリカ人との取引がより高くついたために損失を受けた。つまり優良顧客が少なく、適格な被用者が少なく、有力なビジネスパートナーが少なく、イノベーターが少なく等々といったこと全てが奴隷制とその後の差別のせいで起きた。ここでは白人についてだけ考えた場合でさえ、富を破壊するような効果のほうが間違いなく利益よりもずっと大きい。そして時間軸を長くとるほど、取引による動的な利益が他者の階層の一部を差別することによる短期の利益を上回る可能性は高まる。

経験的に見て、奴隷制が酷かった地域がとりわけてもすごい一人当たり所得を持っていたとは思わない。それにアメリカ南部の経済面での追いつきが起きたのは、この地域がジム・クロウ法 [1]訳注;アメリカ南部にあった人種差別法 を廃止してからのことだ。

どれだけ多くの白人アメリカ人が、その祖先に少なくとも一時期においてゼロないしほとんどゼロの純資産しかもっていなかった人を持っているかを考えることもできる。ミシシッピのプランテーション所有者の子孫の一部にとって奴隷制による収益は複利的だったかもしれないけれど、私たちのほとんどにとってはそうじゃない。私の父は、30歳の頃にニュージャージーのペットショップ経営に失敗してちょうど破産したところだった。どういうわけで父あるいはその後には私が、奴隷制の遺産から複利的な収益を得ていたというのだろうか。ここで私たちは、より豊かでより公正で差別のない社会であったならば、私の父は全体的に見ておそらくよりチャンスに恵まれていただろうという点に立ち戻る。たとえ潜在的なアフリカ系アメリカ人のペットショップ企業家との競争に直面することが少なかったといった等、いくつかのメカニズムによって父が恩恵を被っていたかもしれないということを指摘できるにしてもね。

奴隷制の経済的帰着はやっかいな問題だ(Squarely Rootedがここで主張していることのほとんどは間違ってる)。多くの白人は奴隷取引においてその時の市場相場で奴隷を買い、その時の収益率で儲けた。もちろんこれら白人は自分が買った奴隷を解放するのを渋ったし、それはつまりその犠牲者の生活が酷いものだったということだ。でもそうした白人の利益は奴隷たちの損失の鏡像じゃない。つまりある面においては奴隷制は、比較的少数の受益者しかいないという大規模な集団行動問題だったんだ。利益を受けていた者には、アフリカから奴隷を獲得することによる利益を最初に味わった者や、過小評価された奴隷に目星をつけ、彼らを買い上げ搾取することに優れた者がいる。これはかなりの人数に上るけれども、1840年における社会の大多数とするには程遠いし、彼らの子孫への想定可能な財産移転を考慮した場合、1940年あるいは2014年の社会においてはさらにずっと少ない。

アメリカの白人が奴隷制から利益を受けたのではなく失ったのだとしても、補償の倫理的な擁護論は残る。(けれどアメリカ国民がこの問題をそうした風に見るかは疑わしいし、おそらくそれが補償運動がにっちもさっちもいかない理由の一つだ。)しかしこの問題に関する経済学的な見方については、多くのコメンテーターが言ってるようなのとは全く異なった分析をお勧めしたいところだ。そしてこの分析によれば、奴隷制は一層破壊的だったことになるし、補償の可能性は一層低くなる。

追記:「アメリカの白人が奴隷制から利益を受けたのではなく失ったのだとしても、補償の倫理的な擁護論は残る。」という単純な文を、こんなにも多くの人がちゃんと読んで理解できないことに驚いた。これはアメリカの政治で現在の議論が占めている立ち位置における「左」とは遠いし、世界のほとんどにおいてもそうだ。

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1 訳注;アメリカ南部にあった人種差別法
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