タイラー・コーエン「続・統計的差別」

[Tyler Cowen, “More on statistical discrimination” Marginal Revolution, August 18, 2018]

先日の筆者の統計的差別仮説に関する投稿に、もしそれが正しいとすれば、「トップに立った」少数派の人は、それほど多数の選別や暗黙の「税」を潜り抜けてきたのだから、相当なやり手のはずだ、という趣旨の反論をいくつかいただいた。筆者は電子メールで次のような返事を書いた(修正込み)。

そうかもしれませんね。でもあたなは、どの部門でも才能の質は変わらないと決めつけているように思います。

世の中に2種類の部門があるとしましょう。1つ目はCEO部門で、女性が統計的差別に直面し、複数の階段があるような部門です。2つ目は統計的差別のない部門で、他にも例はありますが、仮に女子テニス部門と呼ぶことにしましょう。

才能のある女性のほとんどは、自分が実際にもっとも簡単に成功しそうな場所がどこかを判断できるので、後者の部門にばかり押し寄せる可能性があります。そのような場合、CEO部門の勝者は、差別の存在を考慮に入れても、必ずしもそれほど特別ではないことになります。

これはまた、雇用主や仲介者には、特にそのような才能を発掘するインセンティブがないということでもあります。そのような才能は、他のより差別の少ない部門に逃げ出しているからです(付け加えれば、そのせいでCEO部門の賃金も下がります)。

余談だが、この投稿に対して、Willittsから次のような鋭いコメントがあった:

…スキルのシグナルが「経験年数」だとすると、低い地位でふるい落とされる人は、高い地位でも常に客観的に低評価になるでしょう。

あなたは高い地位の意思決定者に、どこの馬の骨ともわからない候補を考慮する機会(と意欲)があると見なしているし、さらに、そのようなどこの馬の骨ともわからない候補に、選別を経た候補に対する優位性をシグナリングする適切な手段があるとも見なしています。

私は史上最高のCEOになれるかもしれませんが、経営経験がないので、面接を受けることすらできないでしょう。梯子の複数の段での(軽度の)差別が、トップの直前の段に登ることすら妨げているとすれば、トップの段に登れる可能性は、ほんのわずかな可能性はおろか、完全にゼロでしょう。

そしてこれはディヴィッドのコメント:

エリートは一生涯通じて優れた業績を挙げています。でも、彼らが高いモチベーションを維持できるのは、すぐ出世できるからです。統計的に差別されている人は、そのような恩恵からも無縁です。

そしてこれはJwilli7122のコメント:

そう、最初の関門には被差別集団を採るような博打をする動機がありません。その理由は、a)その段階ではまだ大きなギャップがないから、b)そんなことをするとステレオタイプ化の恩恵(Danの3番目の投稿で参照しているベイズ分析を参照)を放棄することになるからです。

そして被差別集団がその後の関門に来る段階になると、その前の関門での差別によって貴重な経験を積む機会を妨げられているので、実際に大きな能力ギャップが形成されることになります。

筆者はこの問題について考え続けていくつもりだ。

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