タイラー・コーエン 「『切れ切れ』vs.『一気』 ~小説は『切れ切れ』、映画は『一気』?~」(2006年9月15日)

●Tyler Cowen, “When should we consume culture in small, sequential bits?”(Marginal Revolution, September 15, 2006)


小説を「切れ切れ」に読むというのが私なりの読書習慣だ。本を開いたら一気に最後まで読み切るのではなく、何度か小休止を挟む(何回かに分けて読む)ようにしているのだ。

ところで、映画に関しては「切れ切れ」に観るということは滅多にない。映画を「切れ切れ」に観るなんてのは端的に言って間違いであるように思われるのだ。しかし、映画館で観るというのならともかく、DVDなんかで観る場合でもやはり「切れ切れ」に観ることは滅多にない。なぜだろうか? 小休止を挟むと映画は台無しになってしまうのに本だとそうはならないのはどうしてだろうか? 私なりに思い付く仮説をいくつか述べさせてもらうとしよう。

1. 映画には人間の脳を「2時間」モードに仕向ける特性が備わっている。そのため、2日ほど間を空けて中盤あたりから再び観始めても気持ちがなかなか乗ってこない。

2. 本一冊を読み終えるには映画一本を見終わるのに比べて時間がかかるというだけの話。

3. 読者は「私は今カミュを読んでいるのだ」というステータス感を味わうために(カミュなりその他の著名な作家なりの)本を読んでいるところがあり、その感覚をできるだけ長く味わっていたいと思って「切れ切れ」に読もうとする。その一方で、映画を観ていてもそのようなステータス感は得られず、そのため映画を鑑賞する時間をできるだけ伸ばそうとする必要性も感じられない。

4. 多くの人は何時間もぶっ続けで本に向き合うのをよしとするほどには読書が好きなわけじゃない。

ダ・ヴィンチ・コード』のような「アクション小説」なんかは休まずに一気に読み切る場合が多いんじゃないかしらとは賢妻のナターシャの言だ。しかし、それなら「アクション映画」はどうだろうか? 映画の中でも「アクション映画」ほど「切れ切れ」に観るのにもってこいのジャンルもないだろう。ジャッキー・チェンの映画を30分だけ観てみたことがあるだろうか? きっと素晴らしいと感じるはずだ。その一方で、良質のドラマを切り裂く(「切れ切れ」に観る)というのは犯罪級の愚行もいいところだ。

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