タイラー・コーエン 「マッドマンへの内からの抵抗」(2016年8月6日)

●Tyler Cowen, “Nuclear sentences to ponder”(Marginal Revolution, August 6, 2016)


・・・(略)・・・ニクソン政権期に、政府高官が核兵器の使用にまつわる大統領の権限に抵抗しよう(あるいは、大統領の権限をひそかに掘り崩そう)と試みた例は、少なくとも2回はある。

一つ目の例は、1969年10月に遡る。「もしかしたらアメリカは、北ベトナムで核兵器を使用するのではないか」とソ連に思わせたいと考えたニクソン大統領。そこで、国防長官のメルビン・レアード(Melvin R. Laird)に対して、核兵器をすぐにでも使用できるよう高い警戒態勢を敷くように命じたのである(その中には、ソ連の領空に向けて、核兵器を搭載した爆撃機を送り込むことを求める命令も含まれていた)。

スタンフォード大学で教鞭をとる核兵器の専門家であり、『The Limits of Safety』(核兵器絡みのアクシデントをテーマとする一冊)の著者でもある、スコット・サガン(Scott D. Sagan)が語るところによると(pdf)、レアードは、あれやこれやの言い訳――作戦や準備にまつわる細々としたこと――を持ち出して、大統領の命令をどうにかして無視しようと試みたという。時間稼ぎをしているうちに、(マッドマン(狂人)のフリをして、「俺は、いつだって核兵器を使う気でいるぞ」と世界中に信じ込ませよと説く)「マッドマン理論」を信奉する大統領も自分が下した命令を忘れてくれるだろうというのがレアードの考えだった。

しかし、ニクソン大統領は、我を通して命令を実行させた。サガンが語るところによると、軍事作戦(作戦のコードネームは、「ジャイアント・ランス」) の最中に、核兵器を搭載した爆撃機(B-52)のうちの一機がアクシデント発生の間際ぎりぎりの危険なところまでいったことがあったという。

二つ目の例は、1974年に起きた。ウォーターゲート事件で国内が揺れる中、その末期ともなると、ニクソン大統領は、深酒に溺れがちになっていった。そして、大統領の側近の怖れが的中して、ニクソンは、日ごとにますます情緒不安定になっていったのである。そこで、前年(1973年)に国防長官に就任したばかりのジェームズ・シュレシンジャー(James R. Schlesinger)――彼は、タカ派の冷戦戦士だった――は、軍部に対して指示を出した。有事にまつわる大統領令(特に、核兵器絡みの大統領令)は、漏れなく自分か国務長官のヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)のチェックを一旦受けるようにして、二人のうちどちらかの同意が得られない限りは実行に移さないようにと軍部に指示したのである。

シュレシンジャーの指示は、超法規的な措置であり、謀反と言えなくもない。しかしながら、シュレシンジャーの指示に異を唱えた者は、大統領の側近の中で一人としていなかったのである。

以上は、ニューヨーク・タイムズ紙の記事(ウィリアム・ブロード&デビッド・サンガーの二人が執筆者)からの引用だ。

(追記)タバロックが2008年にこちらのエントリー〔拙訳はこちら〕で同様の話題を取り上げている。

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