タイラー・コーエン 「十年一日の如し ~累積する国債残高の問題を巡る19世紀イギリスの言論状況~」(2013年3月5日)

●Tyler Cowen, “The more things change…”(Marginal Revolution, March 5, 2013)


マルサス(Thomas Robert Malthus)は次のように主張した。イギリス経済が置かれている状況――総需要に比較して資本ストックが過剰に存在しており、そのために低い利潤しか得られないような状況――を踏まえると、国債(公債)の償還(返済)を急ぐことは賢明ではない、と。

ナンシー・チャーチマン(Nancy Churchman)の論文(“Public Debt Policy and Public Extravagance: The Ricardo-Malthus Debate”)からの引用だ。19世紀前半におけるイギリス経済の状況はどうだったかというと、

国債の残高はかなり危険な水準にまで膨れ上がっており、この問題に対処するために何らかの手が打たれねばならないと多くの論者の間で幅広い合意が得られていた。

1803年頃に、ローダーデイル伯(Earl of Lauderdale)は次のように主張していた。

国債を保有する投資家に対して高い金利を支払い続けることがイギリス経済全体の利益にかなう〔というのが、ローダーデイル伯の終始変わらぬ立場であった〕。

ジャン=バティスト・セイ(J.B. Say)はどのような意見だったのだろうか? ウィキペディアでは次のように説明されている。

セイは、失業を解消するために公共事業の実施を勧めており、リカードに対して次のような批判の声を投げ掛けていた。投資機会が欠如しているような状況では貨幣の退蔵が生じる可能性があるにもかかわらず、リカードはその可能性を無視している、と。

それでは、リカード(David Ricardo)の見解に目を向けてみよう。

政府の借り入れに関するリカードの理論では、次のような事実認識に強調が置かれていた。すなわち、政府による借り入れが経済全体にもたらす負担(コスト)は、政府支出を賄うための手段の如何 [1] 訳注;課税を通じて賄うか、それとも、国債を発行して賄うかが原因で生じるのではなく、政府支出が無駄な対象に出費されがちであるために生じるというのがリカードの立場だったのである。

リカードは、『公債制度論』(Essay on the Funding System)の中で、国債の発行を通じてではなく課税を通じて政府支出を賄うべきだとの意見を開陳しているが、その流れで続く次の文章は個人的にお気に入りだ。

〔政府が国債の発行を通じてではなく課税を通じて戦費を調達し、そのために〕 戦争を行うための費用の圧力が(増税というかたちで)即座に一挙に集中して生じるようであれば、国民も高い出費にはそれほど乗り気ではなくなることだろう。

う~む・・・。古典を読み返して頭を抱えるというのも悪くはないかもしれないね。

前にも指摘したことだが、我々が今現在置かれている状況は19世紀前半の状況と似ているように感じられて仕方ないね。

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1 訳注;課税を通じて賄うか、それとも、国債を発行して賄うか
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