タイラー・コーエン 「2014年度のノーベル経済学賞受賞者は・・・ジャン・ティロール!」

●Tyler Cowen, “The 2014 Nobel Laureate in economics is Jean Tirole”(Marginal Revolution, October 13, 2014)


今回のノーベル経済学賞は「経済理論」の分野に授与されたものだと言えるだろう。それも「厳密な」経済理論の分野に対するものだ。ティロールの功績は「プリンシパル=エージェント理論」の発展に貢献し、経済学の分野で数理的な精緻化を推し進めた点にあると言えるだろう。ミクロ経済学の幅広い分野――その大半は産業組織論の分野に含まれるものだが、ファイナンスや金融規制、行動経済学、そして公共選択論の分野にまで及んでいる――における数々の命題を数理的に精緻化する動きを先導した人物の一人がティロールなのだ。彼の経済学者としての守備範囲は彼を高く称える多くの人々が考えているよりもずっと広い。

ティロールはフランス人であり、現在はトゥールーズ第1大学で教鞭をとっている。彼の重要な貢献は1980年代に始まる。産業組織論の分野における彼の功績は機会主義や契約の再交渉の問題に関してロナルド・コース(Ronald Coase)やオリバー・ウィリアムソン(Oliver Williamson)が成し遂げた貢献を精緻で数理的なゲーム理論の応用を通じてさらに拡張した点にあると言えるだろう。それに加えて、企業の生産コストに関して(政府と企業との間に)情報の非対称性が存在する状況下での公的規制ないしは政府調達の理論の発展を支えた中心人物でもある。彼の論文にはメカニズムデザインのアイデアが手を変え品を変えて貫かれている。彼の論文の多くは「複雑だ」と言わざるを得ない面を備えており、簡単に要約できるようなものでも直感的に説明できるようなものでもなく、ブログのエントリーにうまく収めることは困難である。彼のアイデアがブログや一般のメディアで語られることが少ない理由もそこのところにあるが、とは言え彼がこれまでに経済学界に及ぼしてきた影響の大きさはかなりのものだ。彼が過去30年間を通じて見せつけてきたその関心の広さと深さには驚かされるばかりである。

そろそろ彼がノーベル賞を受賞するのではないかとこれまで折に触れて取り沙汰されてきたことを考えると、今回のニュースはサプライズでも何でもないと言えるだろう。また、ノーベル委員会がジャン=ジャック・ラフォン(Jean-Jacques Laffont)の名前に言及している点も見逃すべきではないだろう。残念ながらラフォンは10年前に亡くなったが、彼は今回受賞対象となった分野でティロールと共著で数多くの重要な論文を発表している人物だ。わざわざラフォンの名前に触れられているという事実はもし仮に彼が存命であったとしたらティロールとの共同受賞も十分あり得た可能性を物語っていると言えよう。

ティロールのホームページはこちらである。ウィキペディアのページはこちら、略歴はこちら、Google Scholarでの検索結果はこちらである。ノーベル賞のプレスリリースはこちらだ。ノーベル委員会が一般向けに用意した解説はこちら(pdf)であり、全部で54ページに及ぶ専門的な解説はこちら(pdf)――ティロールがノーベル賞を受賞した理由を知る上でまず始めに手を付けるべき資料の一つ――である。ツイッターでの反応はこちらをご覧になられたい。

ティロールの主要な貢献の中でも個人的に講義でよく使わせてもらっている話は契約の再交渉(契約内容の事後的な見直し)が可能である場合の最適契約の話題である。例えば、政府に軍需品を納入している独占企業のケース(政府調達のケース)を考えてもらいたいが、政府(プリンシパル)と独占企業(エージェント)が契約の交渉に入り、お互いが幾ばくかの余剰(利潤)を手にすることを確認した上で無事合意に至ったとしよう。さて、どちらもともに当初の合意を遵守する気はあるだろうか? 一つの可能性としては軍需品を納入する独占企業が機会主義的に振る舞い、当初の想定よりも費用がかさんだと主張して、納期に間に合うようにして欲しければ当初の契約で合意した金額にいくらか上積みした上で代金を支払ってくれないかと催促するかもしれない。確かにこれは契約違反ではあるが、その企業の代わりがいなければ政府としてはその要求をある程度飲むしかないだろう。こういった問題が後々になって起きないようにするためには契約をどのように設計するのがベストなのだろうか? 契約の再交渉の余地は残しておくべきなのだろうか? こういった問題に興味がある場合はティロールに教えを請うに越したことはないだろう(例えば、ドリュー・フューデンバーグ(Drew Fudenberg)と共著のこちらの論文(pdf)を参照されたい)。ティロールが明らかにした洞察を一つだけ指摘しておくと、契約の再交渉が可能である場合にはエージェント(この場合は軍需品を納入する独占企業)に一定の「レント」の獲得を容認する――外部者の目には、エージェントに「甘い汁を吸わせている」ように見えることだろう――ことが望ましいとの結論が得られる可能性があるのだ。

コストに関する情報の非対称性の問題に焦点を当てたのもティロールの主要な貢献の一つである。例えば、規制を受ける側の企業(エージェント)は自らの製品(あるいはサービス)の生産に要するコストを熟知しているが、規制当局の側(プリンシパル)はあくまでそのコストを大まかに推測できるだけだとしよう。規制当局が価格規制を実施する場合、規制価格を限界費用と等しい水準に設定するのが社会的に見て望ましいわけだが、規制に服する企業は限界費用を正直に報告するわけではなく実際よりも高めに偽って報告する可能性がある。つまりここでは規制当局と企業との間でゲームがプレイされているわけだ。このようなゲームを支配している原則とはどのようなものであり、情報の非対称性が存在する場合に公的規制をどのように設計するのが望ましいと言えるのかという問題を厳密なかたちで分析したのがティロールである。ラフォンと共著のこちらの論文がとりわけ重要な貢献だと言えるだろう。この問題の解明に大きく貢献した人物としてデヴィッド・バロン(David Baron)の名前も挙げておくべきだろう。先の場合と同様に、ここでもエージェントに一定の「レント」の獲得を容認すべきとの結論が得られる可能性がある。嘘をつく(生産コストを偽って過大に報告する)ことでプリンシパルとの関係にひびが入ったら折角の「レント」を手放さないといけなくなるかもしれないと恐れる結果としてエージェントが嘘をつくインセンティブが抑えられる可能性があるのだ。

ティロールはパトリック・レイ(Patrick Rey)と共同で(上流企業と下流企業との間の)垂直統合の問題――垂直統合は市場支配力を高める手段となり得るかどうか?――についてもいくつか重要な論文(pdf)を書いている。例えば、サプライチェーンの一部を統合することで市場に対する独占力を高めることができるかどうか?といった問題がテーマとなるわけだが、オリバー・ハート(Oliver Hart)と共著のこちらの論文(pdf)では垂直統合の結果として他の企業が市場から締め出されることになるのはどのような条件が成り立つ場合かが明らかにされている。垂直統合がいかにして他企業の市場からの締め出し(market foreclosure)につながるかという話題についてはレイと共著のこちらのサーベイ論文(pdf)で手際よくまとめられている。

フューデンバーグと共著のこちらの1984年の論文(pdf)では他の企業が市場に新たに参入してくることを阻止するための戦略が話題となっており、参入を阻止するために設備(生産能力)に過剰投資すべき場合はどんな条件が成り立つ場合であり、その反対に設備に過少投資して「無駄を削って経費を抑える」(“lean and mean”)方向を目指すべき場合はどんな条件が成り立つ場合かが探られている。この論文で展開されている分析はビジネススクールで教えられている多くの教材の基礎となっている。

こちらの1996年の論文(pdf)はティロールの論文の中でも個人的にお気に入りの一つなのだが、この論文では企業を集団(個々人の集合体)としての評判(reputation)を備えた存在として捉えた上でその評判を外部に伝達する仕組みとして描き出している。例えば、「Google」という名前の企業で働く社員とこれから取引しようとする外部の人間は、「Google」に備わる評判をもとにしてその社員(個別の社員)の質を判断するというわけだ。ティロールのこの論文は取引費用を節約する仕組みとして企業を捉えるコース(ロナルド・コース)流の見方を補完する重要な貢献だと言えるだろう。

ティロールは金融仲介活動や担保の役割、銀行貸付に伴うエージェンシー問題をテーマとした重要な論文もいくつか執筆しており、とりわけベント・ホルムストローム(Bengt Holmstrom)と共著のこちらの論文(pdf版はこちら(pdf))は引用されることが多い。この論文では銀行貸付において担保となっている資産の価値が低下すると資源配分に非効率性が生じるとともに生産が落ち込む可能性が論じられているが、景気循環を特徴付けるいくつかの側面を説明する上で手掛かりを与えていると言えるだろう。この論文が執筆されたのは1997年のことだが、時代をかなり先取っていたと言えよう。この論文はティロールの論文の中でも最も多く引用されているものの一つだが、つい最近の金融危機を理解する上でも多くの示唆を与えるものだと言えるだろう。

ティロールは1994年にマティアス・ドゥワトリポン(Mathias Dewatripont)と共著で銀行部門のプルーデンス規制をテーマとした本(邦訳はこちら)を出版しているが、この本では銀行部門が過度にリスクをとる結果として経済全体に被害が及ぶような事態を避けるために銀行部門が直面するインセンティブにどのような手を加えたらよいかがテーマとなっている。言うまでもないが、このトピックはこの本が出版されて以降ますますその重要性を増してきている。ところで、彼がジャン=シャルル·ロシェ(Jean Charles Rochet)と共著で執筆している1996年の論文(“Interbank Lending and Systemic Risk(pdf)”)はご存知だろうか? 「大きすぎて潰せない」(“too big to fail”)との理由から経営危機にある大規模金融機関を公的資金を投入して救済する方針を維持する一方で、中央銀行が具体的にどのような救済措置をとるかを巡って「建設的な曖昧さ」(“constructive ambiguity”)を残そうと試みた場合、両者の間には矛盾が生じる可能性があるわけだが、この論文ではその矛盾が厳密なゲーム理論を用いて分析されている。

ロシェとの共同研究と言えばプラットフォーム間競争をテーマとしたこちらの論文(pdf)も有名だが、この論文ではいわゆる「双方向」(“two-sided”)市場の経済分析が展開されている。双方向市場の例としてはインターネットや(クレジットカード等の)決済システムを思い浮かべればいいが、双方向市場では両サイド(あるいは複数のサイド)の顧客を同時に引きつける必要がある。双方向市場は効率性という観点に照らしてどのような特徴を備えており、またそこではどのような戦略的な関係が成り立っているのだろうか? 営利企業と非営利企業がプラットフォームの運営を巡って競争した場合、一体どのような結果に落ち着くのだろうか? 競争の果てに最終的には1社が独占する状態に行き着くのだろうか? 詳しくはティロールとロシェによるこちらのサーベイ論文(pdf)をご覧いただきたいが、双方向市場の話題についてはタバロック〔拙訳はこちら〕やジョシュア・ガンズ(Joshua Gans)、そしてマシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)が詳しく取り上げているのでそちらもあわせて参照されたい。

公共選択論の分野におけるティロールの貢献にも触れておこう。ラフォンと共著のこちらの重要な論文ではいわゆる「規制の虜」(regulatory capture)と呼ばれる現象が生じやすいのはどのような状況においてかという問題が検討されている。この論文で明らかにされている洞察は公共選択論の分野にまだ十分には取り込まれていないようだ。こちらの論文(pdf)では政府機関(公的組織)の内部構造がテーマとなっており、役人(公務員)の努力を引き出すためにはどのようなインセンティブを提供するのが適当か(報酬を成果と直結させるべきかどうか)という問題をはじめとして数々の疑問が分析の対象となっている。ドゥワトリポンと共同で執筆している「陳情」(“Advocates”)と題された1999年の論文ではアングロ・アメリカン流の政治制度がそれなりに理にかなった仕組みである可能性がゲーム理論を用いて明らかにされている。弁護士が国民の声を代弁し、互いに競い合うようにして公共機関に訴えかけるアングロ・アメリカン流の政治制度は必要な情報を発見し、真実を見出す上で秀でた仕組みである可能性があるのだ。そしてこちらの論文(pdf)では「出世欲」(career concern)が官僚のインセンティブに及ぼす影響や官僚の努力を引き出す上で組織内部での分業をどこまで進める(任務(タスク)をどこまで細かく分割する)のが最適かといった問題が論じられている。

ティロールは「流動性」の性質についても非常に深く考え抜いており、金融市場における流動性がどの程度であれば最適と言えるのかいう問題に長らく取り組み続けている。流動性が不足することにも利点があるかもしれないが――例えば、流動性が不足することで既存の関係に深くコミットせざるを得なくなり、その結果として(「こいつは私との関係を裏切ることはないだろう」と)相手の信頼を勝ち取ることが可能となったりするかもしれない――、それと同時にそれに伴うコスト(逆から見ると、流動性が保たれることに伴う利点)も考慮せねばならないことは言うまでもない。ホルムストロームと共著のこの論文ではマーケットの流動性が保たれることに伴う利点の一つが論じられているが、マーケットの流動性が高いほど株価に経営者のパフォーマンスがより正確に反映される可能性があるのだ。株式を上場すべきか(証券取引所で自由に売買できるようにすべきか)、それとも未公開株のままにしておくべきかといった問題を考える際にこの方面のティロールの分析を応用することができるかもしれない。世界経済全体で安全資産の供給が不足している(安全資産に対する需要がその供給を上回っている)との見解を耳にすることがここ最近多くなっているが、ホルムストロームと共著のこの1998年の論文(pdf)はそのような見解の先駆けと位置付けることができるだろう。

こちらの論文(pdf)では官僚組織のヒエラルキー構造とその内部における結託(共謀)の生成がテーマとなっている。ホルムストロームと共著のこちらの論文(pdf)は企業理論の分野に関する大変有用なサーベイである。

彼が執筆している産業組織論のテキストは明快そのものであり、テキストのお手本のようなものだ。出版されてからほぼ30年が経過しているが、今でも依然としてこの分野での記念碑的な作品のままであり続けている。

私自身はまだ目を通してはいないが、ラフォンと共著で電気通信(テレコム)産業の規制をテーマとした本(邦訳はこちら)も執筆している。

ファイナンスの分野における彼の貢献と言えば何と言っても1985年のこの論文である。この論文では合理的期待の想定を置いた上で資産市場でバブルが発生するのはどのような条件が成り立つ場合かが問題とされている。経済全体の規模を上回るような勢いで資産価格の上昇が続いた場合、最終的にはその(価格の上昇が続く)資産を購入し続ける余地はなくなることになる。つまりは、経済成長率が資産の収益率を下回る限りはバブルはいつかは崩壊せざるを得ないということだ。この論文はトマ・ピケティ(Thomas Piketty)による問題提起を通じて最近になって表面化してきたいくつかの争点を考える上でも助けとなるものだ。1985年の論文だけではなく投機の問題を扱った1982年の論文(pdf)もピケティが投げ掛けた問題提起と大きな関連を持つものだと言えるだろう。多くの経済学者はティロールをゲーム理論や産業組織論の専門家だと見なしているようだが、ファイナンスの分野でも彼は重大な功績を残しているのだ。

ティロールの関心の広さを証拠立てる例の一つとしてローランド・ベナボウ(Roland Benabou)との共同研究にも触れておこう。こちらの論文(pdf)では「外的なインセンティブ」が「内発的な動機付け」を損なうのはどのような場合かが問題とされている。例えば、自分の子供に対して「学校でいい成績をとってきたらお小遣いをあげる」と提案したら、子供が元々持っていた勉強に対するやる気を損なってむしろ逆効果になってしまうという可能性はあるだろうか? この論文についてはタバロックが詳しく取り上げている〔拙訳はこちら〕のでそちらを参照してもらいたい。「自信とやる気」(“Self-Confidence and Personal Motivation”)と題されたこちらの論文も大変興味深いものだ。この論文では自信過剰(overconfidence)に伴う利点――やる気の向上――とそれに伴うコスト――間違いを犯しやすくなる――のバランスを取るにはどうしたらよいかという問題が詳細に分析されている。ティロールは行動経済学の分野にも足を踏み入れているわけであり、この分野でも彼の多才な面がよく表れていると言えるだろう。ところで、アブストラクトの次の一文は個人的にお気に入りだ。「動機付けられた推論(motivated reasoning)と合理的な推論との不協和を回避するためにヒトが採用している戦略――記憶のコントロールを通じた自己欺瞞――についてもモデル化した上で分析を行う」。なお、意志の弱さとそれに対抗するための戦略をテーマとしたこちらの論文はトマス・シェリング(Thomas Schelling)を彷彿とさせるものがある。

こちらの論文(pdf)では発展途上国における医療分野での知的財産権の問題が取り上げられており、政策的な対応についても幅広く論じられている。

今回のノーベル委員会の選択は大変優れたものであり文句のつけようがないものだ。オリバー・ハートやベント・ホルムストロームはティロールと一緒に受賞できずにがっかりしているかもしれない。彼らが受賞するとすれば今回だったと思われるのだが、そうだとすると彼らがノーベル賞を受賞するチャンスは幾分か低下したと言わざるを得ないようである。

フランスにはクールノー(Antoine Augustin Cournot)による1838年(!)の『富の理論の数学的原理に関する研究』あるいは1840年代のデュピュイ(Jules Dupuit)の業績に始まる理論家の伝統――あるいは数学的ないしはエンジニア的な観点の影響を色濃く受けた経済学の伝統――とでも呼べるものがあるが、ティロールはその流れを汲む存在と見なすことができるだろう。ティロールの政治的な立ち位置についてはよく知らないが、彼のアプローチや研究姿勢を眺めている限りではフランスのテクノクラートを思わせるものがあるように感じられる。

ジャン・ティロールは優秀な教師としても名高く、大変優れた人柄の持ち主でもある。

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  1. ありがたい訳です。あちこちでティロールは見かけているけど、全貌がわかったのはこれが初めて!

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