ダロン・アセモグル「インタビュー:近現代の経済成長」

[Daron Acemoglu, “Modern economic growth.” Interviewed by Romesh Vaitilingam, VoxEu, February 27, 2009.]

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ようこそ,Vox Talks へ.このシリーズでは世界の先進的な経済学者のインタビューをお送りしています.私は Romesh Vailtilingam.本日は MIT のダロン・アセモグル教授のインタビューです.インタビューが行われたのは2009年1月,サンフランシスコで開かれたアメリカ経済学会の年次大会においてで,彼の新著『近現代の経済成長入門』について語り合いました.最初に,19世紀まで何百年にもわたってまったく成長がなかったのはなぜなのか,彼に質問しました.

▼ ダロン・アセモグル:

そいつは社会科学者たちがずっと格闘している中心的な問題ですね.その議論のテーブルに経済学者はほとんど同席せずにいたんですよ.ぼくらは現代の成長について考えるツールを開発するのは得意ですけど,なんで成長が19世紀にはじまって20世紀になって加速したのかを考えるのはそれほど得意じゃなくってね.この本でやろうとしたのは,経済学者たちが使ってる概念枠組みを導入してやることがひとつ.さらに,それを敷衍して,こういう問題について考えられるようにすること.とくに,経済成長のいろんな近似的な原因,たとえば人的資本とか物理的資本とか,技術とか,生産の効率性とか,そういう原因を,基盤となる根本的な原因――インセンティブを形成する制度とか,あるいは地理的・文化的な特徴とかに結びつけてやろうとしてる.

で,経済成長がなんで19世紀になってはじまり,しかもそれが西欧ではじまり,そのあと合衆国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドという西洋の分家にあたる国々でおきたのか,その理由を考えるには,物理的資本や技術みたいな要因を根源的な特性に結びつけてやる必要があると思うんですよ.

そこで決定的に大事な要素は,19世紀に先だって,王や君主の権力をいっそう制限する大きな制度改革が起きていたということ.これによって,経済行動をうながす機運がさらにひろまり,さらにここに重要な技術革新がいくつもおこり,これが起業精神や創造的破壊,新事業の参入を引き起こした.これがやがて産業革命と呼ばれる躍進につながったわけです.

▼ Romesh:

なるほど.それがご著書で論じているカギとなる問題なんですね.つまり,かんたんにいって,どうして持続的な経済成長が1800年代にはじまったのか,と.

▼ ダロン:

そう.

▼ Romesh:

そして,もうひとつ問題なのは,それがいたるところで起きずにほかでもなくそのときに起きたこと,経済成長の進み方はばらばらで,ときにまったく成長しないケースもあるということですね?

▼ ダロン:

で,この点はいま進行中の政策論議にもっと関連が強いと思う.つまり,解くべきパズルのひとつはいま言ってくれたとおりで,「どうして経済成長はそれ以前に起きなかったのか?」であり,もっと適切な言い方をするなら,「どうして持続的な成長はそれ以前に起こらなかったのか?」ですね.というのも,古代ギリシャ・ローマみたいに多年にわたる資本蓄積をもとに成長がおきたものの持続的な成長にはならなかったケースがありますからね.でも,西欧で持続的な成長がはじまったあと,ぼくらが予想するかたちでは世界中に持続的成長がひろまらなかった.経済的な機会はかつてないほどのものだったというのに.

で,その点についてのぼくの説明は,経済成長の起源におおいに結びついてます.西欧で経済成長がはじまるのに特定の制度の前提条件が必要だったのと同じく,西欧世界の先進的な生産技術が世界中に広まり,そういった技術が他の国々でも採用され,実地に使われるようになるためには(西欧で経済成長がはじまるのに必要であったのと)同じような種類の前提条件が他の国々にも備わっている必要があったんです.

で,合衆国では,こうした条件はひろく整っていた.つまり,かなり開かれた政治体制があり,大地主や既存の経済的利害のせいで既存技術の採用が邪魔されることもなかった.で,19世紀の合衆国である意味で目を見張るのは,そこが非常に活発に沸き立つ経済環境だったという点です.

あらゆる階層からいろんなひとたちが新しいアイディア,新しい方法をもたらした.さらに,統計のパターンに目を向けると,新しい機械を使ってじぶんの事業を開こうとする個人たちがひろく存在していたのがわかりますね.

で,連合王国でこの時期に経済活動をひきよせる中心地にちかい場所と,たとえばオーストリア・ハンガリーなんかを比べてみると,まるで状況がちがうのがわかりますね.いうまでもなくオーストリア・ハンガリーは非常に異質な政治体制,強力な君主制でした.そして,この君主制は,新技術を歓迎するどころか,これに強く反対した.鉄道を許可しなかったし,手工業がオーストリア国内にあまりひろまるのを望まなかった.

こうした意志決定に関わったひとたちがどんな理由を表明していたかというと,ひとつには,新技術はじぶんたちの存立にとって脅威となるというものです.ここでも,制度の政治経済的要因が重要なのがわかりますね.彼らがこんなふうに懸念していたのは,まさに,新技術が動揺をもたらし自分たちの政治的権力の基礎をそこなうからに他なりません.したがって,こうした対比は――たしかに論点を例示するために選び出した対比にすぎないとはいえ――制度的な要因がいかに重要かを示してくれるわけです.絶対君主制のもとで,権力が君主の手に集中し,その権力は封建的な労働関係を結んでいる大地主・領主たちから集められている――こんな制度では,新技術の採用はなかなか進まない.なぜなら,新技術はエリートたちの経済・政治的な利益(レント)を損なうものだからです.他方で,合衆国では,このように開かれた体制があり,新技術ははるかに急速にひろまる.

▼ Romesh:

現代の経済成長をみると,第二次世界大戦いらい長きにわたって途上国を成長させようと努力を重ねながら,大方は不首尾に終わっていますよね.つまり,せいぜい日本と,少しあとになって韓国や香港あたりがつづいたくらいで,ほんのわずかなものです.近年になって,中国やインドといった一部の大国で大幅な成長がみられました.これを心強く思っていいものでしょうか? 世界のいまなお貧しい地域があれほどの速度の成長を達成して私たちのような発展水準に到達できるという見通しをもてるでしょうか?

▼ ダロン:

「イエス」でも「ノー」でもあるね.次の意味で,1950年代と60年代の記録はそれほど悪いものじゃなかったとぼくは思う.つまり,ブラジルみたいに急速に成長した大きな国がいくつかあったし,それにいま言ってくれた韓国もあるし,日本はすごく急速に成長してたよね.そこで問題なのは,こうした成長のプロセスがどうしてはじまりどうして終わったのか,その動力がなんだったのか,いまだによくわからずにいるってことですよ.ある意味では,戦後に犯されたおおきな失態は,こうした成長のエピソードはその多くが継続しなかったということ.つまり,韓国は成長を持続したけど,ブラジルやアルゼンチンは持続しなかった.こうした国の成長はいきづまった.トルコもそうだね.

で,ある意味で,突き詰めていくといったいどういう要因があってこうした成長の限界ができたのか,そこを理解しなくては,未来のなりゆきについてよりよい予測もよりよい政策提言もできませんね.だから,そういう点でみて,インドの経験はぼくらには理解しやすい.なぜなら,インドは徐々に経済を開放するというプロセスを経てきましたからね.かつてのインドでは,市場システムは資源配分の主要な経路ではありませんでした.民主主義のもとの市場経済ではありましたけどね.でも,1980年代後半や1990 年代前半になって,市場システムはかなり重みをましていきました.そして今日では,インドはじつに活発な経済となっていて,その民主主義はかなり強力なものになっている.

すると,ぼくらが知っていることをふまえるなら,インドのこれからの軌跡は韓国のそれとそれほどかわらないだろうと想像されますね.つまり,インドはこれからも成長をつづけるだろう,ということ.しかし問題もおこるでしょう.あまり効率的に組織されていない巨大企業がいまもあって,再配分の痛みを味わうことになるでしょう.

しかし,中国について言えば,どんなプロセスがおきたのか,いまだに正確なところはわかっていませんね.まあ,基本的な概要ならいくらかわかってはいるんです.完全な計画経済がしだいに弱められ,商業特区だとか郷鎮企業といった市場のシグナルが導入されていき,さらには国有企業も民営化されていきましたね.外国企業との良好なパートナーシップがむすばれ,輸出主導の成長がなされた.

しかし,こうしたことはすべて,共産党の手にいまなお権力が集中されている政治体制の文脈でおきたんですよ.もちろん共産党はもはや共産主義者なんかじゃない,ただの名前にすぎません.しかし,権力は彼らの支配下にあり,彼らはその権力をもちいて中国の大半の地域に安定をもたらすと同時に,みずからの便益のために成長のプロセスを指導したわけです.

さて,ここで問題なのが,「こういう成長プロセスはこれからどうなるか?」です.ブラジルやトルコと経験したのと同じ問題にはまりこんで,インサイダーが駆動する成長がしばらくつづいたあと政治的な開放のないまま結局はいきづまるのか,それとも,中国でおきているように政治体制にもかかわらず再配分のプロセスがおきておそらく最終的には政治体制が革新されるのか?
どうも,中国について考えているひとたちで,中国の政治経済システム内部でおきていることを本当にくわしく知っているひとはほとんどいないように思いますね.そうした知識なくして,中国の未来がどうなるか知るのはすごく難しいでしょう.

さっきの質問には,また別の側面ももちろんあって,それは,サハラ以南の多くのアフリカ諸国,中米の多くの国々と南アジアの少数の国々は,世界でもっとも貧しい国で,底辺にあるわけですが,中国が離陸を果たしたいま,こうした国々はどうなるのかという問題がある.

で,ぼくは非常に楽観的でこうした国々には成長をうみだす潜在力はあると思いますね.ただ,そうは言いつつも,〔そうした国の成長は〕この5年や10年ですぐさま起こるようなことでもないだろうと思うんですよ.というのも,政治的な問題はなおも深刻ですからね.つまり,ミャンマーあるいはビルマでは,安定した政府,それもせめて準-民主的な政府への平和的な移行がおきないかぎり,成長が起こることはないでしょう.

中米では,いまも紛争がつづいていますね.20年前よりずっとましな状況になったとはいえ,しかし,教育,公共財,人口を体制に取り込むためのもっと体系的な投資プログラムが必要ですね.ラテンアメリカでは,状況はまったく新たな様相を呈していて,モラレスのような民衆的な指導者が権力の座についています.

つづいて問題となるのは,「ここからどういう事態につながるのか?」ということ.現状から,ポピュリストの台頭する時代に逆戻りするのか,それとも,ブラジルのルラ政権下でおきたような一種の総合に向かい,人口の圧倒的多数を成長のアジェンダにとりこむ役割がはたされ,彼らの生活水準にとっても彼らが市場経済にじっさいに参加するのにとっても必要不可欠な公共財が彼らに提供されるのか,そこが問題です.

もちろん,サハラ以南のアフリカでは,状況はまったく異なります.つまり,軍閥政治をあるレベルでとりのぞく必要がある.アル=バシールやムガベみたいな連中を排除する必要があります.おそらく,さらにコンゴのような場所では新たな体制が必要になるでしょう.コンゴは完全な無法状態で,これでは新技術や物理資本をやしなうような環境などうまれません.

▼ Romesh:

ダロン,この25年間で経済成長の理解がどれほど進んだのか,おおまかに言ってくれますか.つまり,70年代には,経済成長についてはあまり研究がなされてませんでしたよね.当時は,技術変化は外生的だからぼくらにはこれを説明する手立てはないとされてました.あれから,ものすごい進歩があったわけですよね? そこで,そのへんがどうなっているのか,説明願えますか.

▼ ダロン:

うん,たしかにものすごい進歩があったと思う.いま言ってくれたとおりね.ソローの成長モデルは一時代の知的記念碑ではある.でも,あれは先に進むための理論的な道具立てだったんですよ.ただ,周知のとおり,おおくの政策論議・知的論議はソロー的な成長モデルを土台にしていて,そのソロー的な成長モデルは物的資本を強調するわけね.物的資本はもちろん不可欠ではある.つまり,なにかしら機械がなければ,生産的になるはずもないからね.でも,最終的には,機械だけじゃダメで,適切な技術も必要だし,人的資本と新技術が互いに補い合う必要もあるし,新しいアイディア,生産の効率性,こうしたこと一切合切が必要なんだけど,それがソロー的な成長モデルではすっぱりおきざりにされてた.

で,この25年間にどうなったかと言うと,理論的な面でも実証的な面でも,この研究課題がどんどん深く掘り下げられていったわけです.こうした要因をうまく動かして物的資本,機械からより多くを得る国がある,その原因はなにか? そうした国ではどういう種類の機械を導入しているのか?いろんな生産単位のあいだで資源をどう再配分しているのか?

これはある意味でなかなかに急進的なものではありましたが,しかしまた,漸進的でもありましたね.つまり,ポール・ローマーの研究のモデルや内生的な成長のいろんな基盤をいれたアギオンとホーウィットのモデルがでてきたわけですが,彼らがやったのは,ごくマクロの水準で内生的に技術が発展するのを考えることばをもたらすことだったんですよ.

そこで次のステップは,理論と実証の両方でここにさらなる内容を加えて,そのミクロの決定要因はなんなのかを突き止めることです.どこに技術が向かうのかがどう決まるのか,技術が効率的に使われる場所はどう形成されるのか,資本と資源は国の間でどう再配分されるのか,そうしたことを突き止めるのが次のステップです.

で,最終段階はそもそもの出発点にもどって,いわば技術的なちからが開放され,再配分がおこるのを可能にしている国々にはどんな制度的な特徴――より一般的に社会政治的な特徴があるのかという問いに向かいます.で,いまぼくらが認識していることはすごく重要だと思う.

で,ある意味で,ぼくらは経済成長の数理的構造と動学的モデルを手にしてる.そうしたモデルでは,技術や物的資本,人的資本を強調します.こうしたモデルでぼくらは厳密に考えられるようになる.それに,イノベーションのプロセスは本当に重要だし,資源を生産単位の間で再配分するのは本当に重要だし,基底をなす政治経済の制度的基盤――こうした再配分とイノベーションを支える制度的基盤はすごく重要で,ぼくらが前に進むためのおおきなプラットフォームになっている,そういうことがわかるようになるんです.

▼ Romesh:

ダロン・アセモグル,ありがとうございました.

▼ ダロン:

どうも.

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