デイヴィッド・ヴァインズ 『英国の未来への希望: Brexit後のEU残留』 (2016年7月16日)

David Vine, “Hope for the UK’s future: Remaining within the EU after Brexit“, (VOX, 15 July 2016)


EUメンバーシップをめぐる英国レファランダムの結果として何が起こるのであれ、英国政治の内部者、英国官庁の内部者が、いま巨大な課題に直面していることに変わりはない。本稿では、彼らの熱心な取組みが、事に依れば本当に英国がEUの1加盟国に留まるという結果に繋がるかもしれない理由を示唆する。またこの可能性を閉ざさずに置きたいと思う人に向けて、4つの部分から成る行動計画を詳述する。

本稿は、英国が最終的に欧州連合の1加盟国に残留する可能性を真剣に受け止めるものである。

これから起こるのが何であれ、英国政治の内部者、また英国市官庁の内部者が、いま巨大な課題に直面していることに変わりはない。本稿では、彼らの熱心な取組みが、事に依れば本当に英国がEU1加盟国に留まるという結果に繋がるかもしれない理由を示唆する。続いて私は1つの行動計画を詳述するが、これはこの可能性を閉ざさずに置きたいと思う人に向けたもので、4つの部分から成る。

先ず我々がどのような過程を辿り現状に至ったのかを理解しておくことが重要だ。あのレファランダム投票はEU反対の投票ではなかった。それはロンドンに対する公然たる侮蔑の表現だった; それは本国でポスト-サッチャー期、ポスト-ブレア期にみられた経済体制に対する反意、結果の不平等と機会の不平等とが急激に拡大した同経済体制に対する反意を示す投票だったのだ。2008年のグローバル危機以降、英国におけるマクロ経済的対応政策 – 緊縮政策 – は、富裕でもなければ、危機を招いたのでもない人達に、大きな犠牲を強いてきたが、その一方で危機を招いた張本人である富裕層は痛い目をみることなく無事やり過ごした。またそれ以前の段階で既に、労働市場の規制緩和があって前者の脆弱性は高まっていた; そしてそれはロンドン成長三角地帯への機会偏在化の進行と歩を同じくしていた。あまり豊かでないこれらの人達は何時の間にか自分が緊縮的世界に放り込まれていることに気付くが、そこで待ち受けていたのは技能・冒険心・企業家精神を兼ね備えた東欧からの移民に由来する厳しい労働競争だった。こうした移民は長らく一種の脅威であるかと思われてきた – そして現実の脅威と成って既に久しい。離脱票はこの事実の1つの帰結だった、私はそう考えている。

『EUに残留せよ』 行動計画は次の4つの部分からなる: マクロ経済政策画定にあたって一種のニューディール政策を採用する; 英国内部の労働市場規制を練り上げ、労働力の自由な移動に関する欧州原則と整合的な形で移民に対処する; どうすれば他のEU加盟国と交渉し、我々とこれら加盟国の双方が必要としている諸々の事柄の達成を目指してゆくにはどうすれば良いか、その方法を模索する; 英国民の前に、離脱の投票をした人達の要求も満足させるような諸改革のパッケージを提示する。

マクロ経済政策画定におけるニューディール: 緊縮の終わり

先ず第一に、国内マクロ経済政策の画定において一種の 『ニューディール政策』 に着手するのは可能であるし、当然そうすべきであることを述べる。

1933年に公務就任となるや、ルーズベルト大統領は世界恐慌と闘うべく自らのニューディール政策に着手した。例えば、テネシー川流域開発公社が設立されたのも、同恐慌の影響を特に被った地域における経済発展を可能とするという目的の為だった。このニューディール政策はケインズ主義的プロジェクト – 公的資金の支出を増やせ – だったが、その眼目は一種の集団的目標の感覚を与えるような諸般のプロジェクトにあった; ニューディール政策にはこの目的を後押しする多くの改革が相伴っていたのである。ルーズベルトが取った政策行動は全ての市民に対し、自らが抱える問題を、皆と一丸となっての行動を通して解決するチャンスを与えたのだ。1945年には英国でも労働党が同様のビジョンを提示し、これはベヴァレッジ型福祉国家と国民保健サービスにまとまった。これと同じ頃、(私の出身国でもある) オーストラリアでは、一大戦後復興プロジェクトによって軍役から戻った50万人超の人々がその後二年以内に再び仕事に就いた。小さなこの国にしてみれば膨大な数字だが、しかもこれは多くの移民、大人数の避難民と両立していたのである。こうして彼らは自分達全ての為の新たな国の立ち上げに着手したのだった。

これに似た何か、同じく大々的に取り行われる何かが、いま本国にも必要なのだ。

この種の行動は – 現在に至るまで – 財政緊縮というマクロ経済政策によって阻まれてきた。しかし新たな政府の発足とともに、この政策もついに死に絶えたのである。

いまや免職の憂き目をみた財務大臣ジョージ・オズボーンだが、彼はその職を解かれるに先立つ時点で既に、2020年までに政府財政を黒字に復帰させるという自らの目標を打ち捨て、自身の目玉戦略を無軌道にも放棄している。スピーチの中で彼は述べているが、レファランダム投票の影響に鑑みれば、政府は 「今十年期末までの黒字達成に関しては現実的になる」 べきだという。彼の行動は全く 『無軌道』 と形容できる、自らの行動を弁じて辛うじて提示できた唯一の理由が、『現実的になる』 だというのだから。しかし 『現実的になる』 というのは理由になっていない。そして、何れにせよ、彼はいまや職を去ってしまったのである。

この新たな世界で我々が問わねばならないのは、どれほどの早さでならば財政状況を黒字に戻すのが 『現実的』 となるのか、である。 この問いに対する答えを得るには、先ず次のもっと焦点を定めた問いに対する答えを得ておくことが求められる: 即ち、どの程度までなら公債を容認できるのか? 勿論、マーティン・ウルフをはじめ多くの者が述べてきた様に、実質金利がマイナスの時には、インフラ投資実行の際にも費用はかなり少なく済むし、公共支出の増加は、種々の資産 – 道路、空港、学校、病院、等々 – を創出するので、その資産をつかって生み出された公債を差し引くことも出来る。それでもなお、限界は在る。何処まで行ったら行き過ぎになるのか? 英国経済がさらなる負債の余地を残しているのは明らかだと私は思う。ラインハートとロゴフがその著作This Time is Different [邦訳: 『国家は破綻する――金融危機の800年』] に記した恐怖譚を受けてもまだ考えは変わっていない。しかしこの論点は研究されて然るべきものでありながら、本国に関してはこれまで適切な研究がされていない。こういった研究の欠缺は一種のスキャンダルである。本国オックスフォード大学のサイモン・レン・ルイス [Simon Wren Lewis] などなら、この論点に関して見事な研究をしてくれそうなものなのに。

しかし我々はどの様なニューディールを必要としているのか?

北部パワーハウス案は取り得る手段の1例だ。このプロジェクトならば北部イングランド、とりわけマンチェスター・リバプール・リーズ・シェフィールド・ニューカッスルといった核都市 [core cities] における経済成長の加速も実際に可能だろう。それを通して、ロンドンや南東部から離れた地域の成長に拠点を設けてくれるはずだ。こういったプロジェクトは北部中小企業の在り方にあらゆる点で変化をもたらすだろう; そうなればこれら企業が南に200マイルも隔てた地域にインフラ支援を求める必要もなくなるはずだ。

こうした可能性は本国の至る所に見出せるが、それはとりわけ経済的展望の極めて暗い地域に当てはまる: デヴォンやコーンウォールをはじめ、ウェールズバレー、またスコットランドとの国境直下に位置する北東部の離れた地域がこれだ。考え得る取組みの例を無作為に挙げれば、ニューカッスルからエディンバラに至るA1の整備がある; もし実現すればスコットランドとイングランドを繋ぐ第二の中央分離帯付高速道路が、常時渋滞状態のM6の他に誕生することになるだろう。例は他にも沢山在る; まだまだ多くの家屋 – および学校 – が必要なのだが、これをロンドンから離れた地域に建設することは可能であるし、当然そうすべきだ。

これら地域における公共サービスの削減は情け容赦の無いものであり、その為にロンドンに対する疎外感が極めて大きく高まっている。こういった流れを逆転させることは可能だ – そして当然そうすべきである。また教育システムはこれら地域の恵まれない若者に対しより良い機会を提供し、福祉給付への依存から抜け出す道を与えなくてはならない; 詰まるところ給付削減という鞭の一辺倒だったこれまでのやり方ではなく、謂わばニンジンを眼前にかざす形になる。これら地域に住む若者は – 十全の訓練を受けられた場合であっても – 価値ある仕事を求めて南に行くだけの余裕が文字通り無いのだ。そして彼らが其処まで何とか辿りついても、こんどは技能をもった移民によって求職者の列から追い落とされてしまう。

何が為し得るのか。その考え方の1つにバーネットフォーミュラの拡張が在るだろう。これは北部アイルランド・スコットランド・ウェールズ、またイングランド内部における幾つかの不遇地域に対し、公共支出を割当てる際に利用されるものである。

しかし最善の公的インフラプロジェクト群に移行する為に我々は何をすべきなのか? どんなプロジェクトを選択すべきか? 如何にしてニューディールの感覚を創り出すのか?

この問いに対し、オーストラリアは1つの答えを提供してくれるかもしれない。1980年代から1990年代早期に掛けて存立していたオーストラリアのホーク=キーティング労働党政権は – いまではそのラディカリズムが高く評価されている政権だが – その発足時にキャンベラで国家経済サミットを招集している。同大会でお偉方歴々と、有力者からそうでない者まで様々な市井の人々とが一堂に会すと、群衆は一致団結し、国民経済政策画定について一種のコンセンサス形成を成し遂げたのだった。同大会を通じて、公の目標を共有しているという感覚が生まれたのは確実だ。このオーストラリアの事例は倣うに足るものかもしれない。

労働力の自由な移動に制限を課すという可能性

第二に、我々は本国における移民の取り扱いを変更することが、それにもかかわらず、EUの掲げる労働力の自由な移動という原則との軋轢回避を可能にするかもしれないという理路をもっと良く理解しておく必要が有る。単一欧州市場への継続的アクセスは同原則の尊重をその条件としているのだから、この点の理解は重要だ。

労働者の自由な移動はEUの基本原則である; 欧州連合の機能に関する条約第45条に規定され、EU関連の派生法と欧州司法裁判所判例がこれを発展させてきた。EU各国の市民には次の権限が付与されている: 別のEU加盟国に職を求めること、就労許可の必要なくその地で労働すること、同目的の為にその地に在住すること、雇用が終了した後にも引き続きその地に滞留すること、雇用へのアクセスや労働条件およびその他全ての社会的ならびに税制上の優遇措置に関して当該国の国民と同等の待遇を享受すること。

それにもかかわらず、過去に目を向ければ、現状とは異なる事態が生じていた可能性も考えられる。先ず1つ目。もし英国政府が2010年の時点で緊縮政策を中断し、極めて低い金利で借入を行い、主にロンドン三角地帯から離れた地域における家屋・学校・病院・道路の建築に画策していたのならば、本国に到来しつつあった多くの移民の受入れもずっと容易に為し得ただろう。2つ目。他の欧州諸国が新たなEU加盟国との関係で維持してきた種類の労働移動制限ならば我々も維持し得たはずである。EU拡大の殆どのケースで種々の移行措置が採られてきたし、ごく最近、2003年・2005年時における直近の加盟条約の際にもこれが採られた。こういった手段のおかげで加盟国はまだEUに加盟したばかりの国から来た労働者のもつ、別の国に自由に移動しそこで労働する権利に対し、一時的に制限を課すことができたのだが、英国もこの手段を2011年まで継続できたはずだ。これら2政策を採っていた場合、両者合わせて考えれば、より迅速な復興という結果が生まれていたかもしれない – 需要は底上げされていたのだから。さらには、移民の数も幾らか少なく済み、したがって国内の恵まれない住人にとって機会の感覚はずっと大きかったかもしれない。そしてこうした連携政策が施行されていれば、依然として本国に向かって来ていた移民もずっと温かく迎えられていただろう。政策へのこうしたアプローチにはもっと早い段階で全国生活賃金 [national living wage] の賦課が相伴っていた可能性があるし、また当然そうなっているべきだったが、それが大規模労働下請け業者の行っている、非常な低賃金での、大規模輸入労働者雇用を締め出す形になったかもしれない。この慣行こそ新たな加盟国の登場以来我々が絶え間なく目の当たりにしてきたものであり、労働市場の下端における労働条件を事実上切り崩してきた当の動向だった。いま述べたことが為されていたのなら、本稿冒頭で詳述したような忌むべき顛末も、その多くが回避できたはずだ。

英国とEUとの関係交渉を外部から、或いはEU内部に残留しつつ進めてゆくのか、いずれの形になるにせよ、いま述べた様な事をこの先我々は為し得るだろうか? それは不可能ではないように思える。同条約には既に、『深刻な労働市場の混乱』 の文脈で、一種の防衛手段として、加盟国が労働力の自由な移動に対し制限を課すことを許すセーフガード条項が存在する。 ルーマニアからの労働者との関連で、2011年にスペインが導入を許可された制限はその一例である。同条約におけるこの様なセーフガード条項の存在は、労働力の自由な移動という原則を絶対的権利から条件付権利へと、具体的事情に従って移行させるのに都合が良い。なお、その実施は裁量に依ることとなる。そうすると問題は、英国の状況に鑑みて、今後こうした裁量が可能となり得るか、という問いに変わる。この問いに対する明確な答えはまだ無い。

こうした方面での変化はそれが如何なるものであれ、おいそれと実現できるものではないだろう。確かにヨーロッパの経済学者のなかには既に管理移民 [managed migration] という案を議論し始めた者もいる。例えば2週間と数日ほど前には、リスボン近郊に位置するシントラでECBが開催したジャクソンホールでのそれを思わせる年次会談でも、一部の経済学者がこうした提案を出していた。しかし、反対の声もまた強そうなのだ。現行の非管理的なEU移民政策はいまとなっては変え難い一種の政治的均衡となっているとも考えられる。こうした変化をもたらそうとするあらゆる試みは2つの種類の反対と衝突することになろう。中央および東部EU諸国にしてみれば騙されたような気持がするはずだ、外国で働く機会というのはこれらの国の市民が熱望する数多の事柄のなかでも中心的なものなのだから。そしてEU15諸国の方も労働力の自由な移動への変更に対してはそれが如何なるものであれ原則問題として反対する公算が高い、何故かと言えばこの自由はオリジナルのローマ条約において規定され、その後も – 現在までは – 議論の俎上に乗ることが全くなかったからだ。いま述べた全ての事情を斟酌してなお、ヨーロッパ内部にこの方面へ動きが現れてくるのは不可避だと私は考えている。この点については本稿の後の方で議論したい。

ヨーロッパのパートナー達が何を求めているのかを理解する

第三に、我々はこの一大ヨーロッパプロジェクトがいま深刻な危機に陥っており、ヨーロッパのパートナー達は我々に助けを求めているのだということを認識する必要が有る。

規則執行に対するドイツの執心、これにブリュッセルへの権力集中をめざすフランスの断固たる意志が合わさって、ヨーロッパ内部における政治過程はますます同意を得難いものになり、ヨーロッパプロジェクトに対する支持も減退を進めている。これによって危機に晒されるのがヨーロッパ内部の継続的協働であるが、それは本稿の扱う経済問題に限らず、外交政策や司法問題また保安ならびに国防の領域にも及ぶ。この協働はじつに多くの困難辛苦の末、75年もの極めて重要な取組みを経てはじめて打ち立てられたのち、現在になって危機に瀕しているのだ。

私自身、最近シントラでのECB大会で3日間を過ごした際、この危機を直接目にする機会をもった。同会議では、ドイツの 『リーダーシップ』 が、フランスからの常軌を逸した後押しが随伴する時には殊に、ポルトガルの様な国に対して如何に抑圧的になってきたか、また彼らの様な国民に対しても如何に抑圧的になってきたか、ポルトガルの年配欧州議会議員らが私に詳説してくれたのだった。同議員らが私に言うには、英国の公務員、また政治家は、ポルトガルの様な国の議員にとっても、またこれら南ヨーロッパ諸国のめざす目標にとっても、この難しい状況にあってこれまで大きな支えとなっていたのだという。我々はいま、こうした人々を裏切るという危険を冒しつつあるのだ。

議論を経済問題における協働に限定しても、現在危機に晒されている事案が3つ在る。

1つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト、欧州経済通貨同盟 [European Monetary Union] はいま深刻な危機に瀕している – それは周知の通り。今後10年を通した多大な努力が無くては、順調に機能するEMUの創出など – それどころかEMUを崩壊から防ぐことさえ叶わないだろう。そこでヨーロッパには何らかの形の銀行同盟、何らかの形の財政損失保険 [fiscal insurance]、そしてマクロ経済政策画定にあたっての新たなルール群を見つけ出す必要が出てくるはずだ。これら全てが合わされば、現在EMU加盟国がヨーロッパの南端周辺に位置する諸国に課している負担は、ユーロゾーン全体に適切なやり方で分散される。私自身、ヨーロッパの通貨同盟の不適切運営の中でしでかされた深刻な失策や、こういった不適切運営がグローバルな経済システムに押し付けている負担 (英国でも、同国から遠く離れた国々でも) について、また同不適切運用が改善可能であることについては、詳細に論じてきた。私の他にも多くの経済学者がこれについて論じている。この論点に関して整理すべき点は沢山あるが、どれも英国に直結した問題である。

2つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト – 労働力の自由な移動 – もまた厳しい重圧に喘いでいる。それも英国だけでなく、EU全体で。私の考えでは、同プロジェクトもまた、続く10年の間に、その他27のEU加盟国との関連で、つまり単に英国との関連でではなく、修正される必要がでてくる。英国に限らず、ヨーロッパでは多くの分析者がどうすればこれが可能となるのかの検討をすでに慎重に進めている。そこには先に述べた様な例外規定の変更や、労働市場規制などの利用も含まれている。ビサ無し渡航や迅速なパスポート手続きが人の移動に関して今後も存続するだろうことは確かだ。しかし私は、自動的に認められる労働と定住の権利に制限が課されてくるのは不可避だと考えている。同様にして、福祉と給付・健康サービスの提供・避難民保護の問題などの統制という繊細な取り扱いを要する論点はみな、結局部分的にはもとの国家的統制に帰着することになるだろう。上手く改革を遂げれば、新たに生まれたEUにも旅行や労働また勉学で行き交う人々が依然として相当数みられるだろう。しかしそうであっても、こういった流動に対し一定の国家的政治的統制を保持したいという欲求を満たしてやらねばなるまい – また満たしてやることになるだろう。私は上で既に、この種の変更に対する反対がどれほど強いものとなり得るかについて述べた。そのうえでなお、変更は為されるだろうと考える。この点についても、英国に直接の関係性をもった数多くの整理すべき論点が在る。

3つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト – 単一市場 – は喫緊の危難に瀕している訳ではない。しかし同プロジェクトは不完全なものである。財からサービスまでの単一市場の拡張というのは、困難ではあるがそれが為されれば英国のサービス提供業者に多大な見返りがあるだろう課題だ。但し、それは拡張が適切に為された場合の話だろう。ここでも乗り越えるべき壁は相当高いのである。

ヨーロッパで多くの思慮深い人々がいま次に何を為すべきか思案している。去年発行された所謂 『Five Presidents Report』 ではこの先取り得る1つの道筋に関しての見解が展開されている。しかし私の見解では、ヨーロッパ権力の中央集権化をこの先取り得る唯一の道筋としている為に、この見解は深刻な誤りを抱えたものだと言わざるを得ない。同レポートをめぐる議論は – 特に先ほど取り上げた3つの論点が関わる場面で – ヨーロッパの未来、そして英国の未来に、極めて大きな重要性をもってくると見込まれる。

こうした議論では英国の関与が肝となるが、それはただ英国にとってだけではなく、ヨーロッパ連合の一員であるその他27加盟国全てにとって当てはまる。過去には英国のヨーロッパへの関与が不十分であった時期が幾つかあった: ナポレオン戦争に至る流れのなか、英国は自らの帝国に没頭していた; 第一次世界大戦勃発直前にも、英国は北アイルランドに没頭していた。その顛末は、これら何れのケースでも、喜ばしいものではなかった。英国がEUの将来設計、そしてその改革の場面との関与を保つことは、ヨーロッパにとって必須事項なのだ。

EUに残留しつつより満足できる成果を達成する

最後に、これまでに挙げた3点は、全て合わせると、英国がEU加盟国として残留する道筋を実際に指し示しているのかもしれないことを我々は理解しておく必要が有る。

この主張を支持する私の議論は、これから順を追って説明するように、4段階からなる。

一。明確な計画も、そういった計画に対する残余のヨーロッパ諸国の暗黙の同意も無いまま第50条の援用に飛びつけば破滅的事態が生ずるだろうと私は考えている。Gus O’Donnellが10日前に我々を確信させてくれたのは、そういった早計を一つとして見逃さず確実に回避し、必要な計画作成を慎重かつ専門的知見から、節度をもってやり遂げるだけの力が、高度な訓練を受けた専門家集団である英国官庁には有るということだ。

二。こういった慎重な計画作成を続けるうちに、もしEUから離脱するならば、一方で単一市場へのメンバーシップを危殆化しながら、他方で労働力の移動に関しても満足のゆく結果を得られそうにないことの認識に至るだろう。これが熟慮の末到達した私の見解である。つまり私の考えでは、Brexitの交渉はそれがどの様なものであれ、慎重に推し進めた場合であってもなお、本国の情勢を現状よりかなり悪化させる結果に向かうことになる。EU離脱の意思決定をした後で、英国がEEA協定への加入に前向きになるとは考え難い、英国にしてみれば同協定はEUメンバーシップと比べて遥かに見劣りするものだ。そしてスイス型の取決めも致命的だ。従って残る選択肢はカナダ型FTA、或いはその他のFTAとなるが、こちらには労働力の自由な移動も金融サービスへのパスポーティング制度も無い。こうした場合、基本的に、(農業生産物を抜いた) 財の自由貿易領域と、(金融サービスのアクセスやヨーロッパにおけるルール策定へのアクセスを抜いた) サービスの部分的自由貿易領域という結果になるだろう。私の目にはこれはあまり魅力的に見えない、また英国民にとって魅力的なものになるかと言えば、それも疑わしい。こうした交渉はそれが如何なるものであれ、離脱に票を投じた人達が、実際にEUを離脱してみたらそれが自分自身の経済的政治的先行きに深刻なダメージを与えるものであったと気付きはじめた時、後悔と痛苦に終わる非常に現実的な恐れが在る。たとえ真摯かつ慎重に事を進めても同じことだ。

三。これまでの2段階の結果として、英国政治の中核に位置する者、また同じく英国官庁に所属する者には、彼らも望んでいるだろう、この国をEU内部に留め置き、しかも、離脱よりも優れた結果をこの国にもたらしてくれるような、そんな交渉結果を実現する為の一連の計画を練り上げる必要がついに出てくると私は考えている。しかし私はまた、こうした計画はそれが如何なるものであれ、我々は離脱すべきだとの票を投じた人達の目標を尊重する必要があるとも考えている。こうした目標が生じた事情については本稿の冒頭で詳述した。

四。こうした残留という結果の可能性を生き延びさせる為には、交渉結果をレファランダムに掛ける約束を取り付けたうえで、本国がEUの1加盟国に残留した場合に生じ得る事態に関し思慮に思慮を重ねた代替的案も併せて提示された状態がハッキリと確保されるまでは、第50条の援用を避けるべきだと私は考えている。

英国一般国民に向けたEU残留の可能性についての提案はそれが如何なるものであれ – 離脱の票を投じた人達にアピールする所ももつ様に設計したうえで -、次の4つの事項を兼ね備える必要が出てくる。

  1.  マクロ経済政策画定における一種のニューディール政策の形で未来への希望を提示すること。そこで中心となるのは上で詳述したような、公共事業計画と、緊縮政策撤廃に向けてのコミットメントである。
  2.  国内労働市場について、また移民に関するルールについて、一通りの改革案が含まれていること。後者は、何物にも掣肘されない労働力の自由な移動が本国のそれほど豊かでない人達に対し間違い無くもたらすダメージに制限を課すもの。
  3.  英国民に対し – 今までに無いやり方で – ヨーロッパ内単一市場の保持と強化に英国民の未来のどれほど多くが掛かっているのか、そして英国はこの強化において主要な役割を担う加盟国なのだということ、この点をもっとハッキリと明確にすること。
  4.  最後に、英国がEMUに加入しないこともハッキリさせる必要が有るだろう。本稿ではこの論点についてこれまで触れてこなかったが、どうも離脱に票を投じた人達がそうした選択をした背景には次の様な危惧事項が在ったのは確からしく、じっさい残留陣営もそれを十分に否定し去らなかった。つまり、英国が何らかの形でこの通貨同盟に吸収されるのではないかという危惧が在ったのだ。ヨーロッパがユーロゾーン内部のマクロ経済政策を漸く運営しはじめる – それもユーロゾーンにとっても、英国にとっても、また世界のその他の国々にとってもより良い形で -、これを確実にする為に、英国が一役果たすつもりでいること、これも併せて明確にする必要があるだろう。

この先のこうした道筋も、技術と慎重さえ在れば、自らの懸念に対処しようとして離脱の票を投じた英国国内の人達に対し、適切に提示できるはずだ。

この先のこうした道筋は他のヨーロッパの国々に対しても提示し得るだろう。それはこうした道筋が、これらの国々にとっても自らの懸念を解消するのに役に立つものであり、ただ英国が自国の懸念を解消するのに都合が良いというばかりではないからである。なお、こうした国々が何を懸念しているのかについては既に上で言及した。労働力の自由な移動をめぐるEUの原則についての再交渉がヨーロッパ内で始まるのならば、といってもまず間違いなく始まるのだが、英国の労働市場規制に関する改革、また移民の管理に関する改革が、同原則と両立する形で為し得るような結果を確保することがとりわけ不可欠となる。

こうした代替案の策定には知慮賢謀に長けたリーダーシップが求められるだろう。しかし必要なのはそうした計画なのであり、我々にはその策定にあたって十分過ぎる能力が有る、私はそう考えている。

 

 

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