ノア・スミス「メタバースと(ほぼ)無限の経済成長」(2021年11月9日)

[Noah Smith, “The Metaverse and (near-)infinite economic growth,” Noahpinion, November 9, 2021]

ビットの世界で鍛冶仕事に精を出す必要なんてある?

「有限の資源しかない地球で,いったいどうすれば無限の経済成長が可能なのか,ひとつ記事を書きなよ」って,このところずっとみんなにせっつかれてる.さて,Facebook が社名を Meta に変更して,今年は100億ドルを拡張現実 (AR) と仮想現実 (VR) に投資すると公表した.これを同社は「メタバース」と称している.この件をきっかけに,無限の経済成長について記事を書いてみようと思う.

実は,「メタバース」という名称の由来は,ニール・スティーブンソンが1992年に出した小説『スノウ・クラッシュ』にある.この小説は,サイバーパンク SF の中核的な作品だと広く考えられている.サイバーパンク作家たちがその後数十年先をどれほど予見してのけていたか,目を見張るものがある――インターネット,格差,社会の断片化,AI の奇妙さ.でも,もちろん,SF が未来を予見していた理由のひとつには,みんながつくりだそうと試みる未来像を SF が触発していた点がある.で,テック産業の人たちは若い頃に夢見ていたサイバーパンクと現実との落差を埋めようといまがんばってるわけだ.そういう落差のなかでも指折りに大きいのが,AR/VR だ.多くの SF 小説では,人は仮想環境で時を過ごしてる.小説ではなく実生活でもそうしてるけれど,過ごし方はちがう――2次元のスクリーン上に映る文章・画像・動画ごしにインターネットでのやりとりが大半だ.いまでも電脳空間(サイバースペース)は肉脳空間(ミートスペース)と質的に異なった領域のままだ.メタバースは,この2つの空間をもっと似通ったものに近づけようという試みだ.Facebook が――じゃなかった,Meta が――実現できるかどうか,ぼくにはわからない.ただ,Meta の構想には興奮してる.

「で,その話が経済成長と資源利用とどう関わってるの?」――まずは,そもそもこれが興味をそそる話題だってことを思い出そう.世間で,「脱成長論」ってアイディアが出回ってる.脱成長論に言わせると,地球の資源を枯渇してしまうから経済成長は維持できないんだそうだ.生活水準を引き上げる各国の政府のいろんな計画を制限させたり,ひいては,生活水準そのものを引き下げたりすることすら,脱成長論者たちはのぞんでいる.これは政治の面でも途方もなくダメな考えだけど,同時に,経済面でもダメだ.そして,その理由の説明には,メタバースのアイディアが助けになってくれる.

まず,経済成長が意味することと意味しないことの話をしておこう.経済成長は「資源利用の伸び」を意味しない.経済成長が意味するのは,経済が産出するいろんなモノの市場価値の伸びだ――言い換えると,GDP の伸びだ.

GDP は,人間のしあわせを測る上で完璧な数値ではない.市場で売り買いされないあらゆるものが GDP から漏れてしまう――余暇や,日光や,低い犯罪率や,おうちの掃除をしたときに生み出される価値は,GDP に入らない.間違いなく,人間のしあわせを GDP は測っていない.それどころか,効用を測った数字ですらない――もしも価値のあるモノを無料でみんなが手に入れたとして(Facebook みたいに),それも GDP には数え入れられない.

でも,みんながほしがるモノをみんながつくりだしつづけ,そういうモノにお金を払ってもらう方法を見つけ出しつづけているかぎり,GDP は伸びつづける.問題は,そのときに天然資源の利用を増やす必要があるのかどうかって点だ.脱成長論者たちは,「ある」と言う.「有限の地球では無限の成長を維持できない」という断定の言葉は,まるで自明であるかのように,ネット上で誰も彼もがもっともらしく語るようになっている.でも,このお題目には真実味があるんだろうか?

典型的な脱成長論の主張では,かつて GDP と資源利用がいつでも緊密に相関していたことを持ち出す.でも,これはちょっとしたデータに読み取れることをそのまま語っているだけだ――なにも深い理論にもとづいていない.実のところ,こうした相関はごくあっさりと変わってしまうことがある.ほんの一例だけを挙げると,下に載せたグラフでは 1949年以降の GDP とエネルギー利用を示してある:

もしも 1970年にいたなら,この曲線を見て,自信たっぷりにこう言ってのけられただろう――「経済成長には,それにともなうエネルギー利用の増加が必要なんだよ.」 で,そう言い切ったあとに間違いが明らかになる.なぜって,トレンドがお友達でいてくれるのは,次の曲がり角がやってくるまでだからだ.

経済成長にはなんらかの物理的資源の利用増加が必要だという深い理由なんて,まったくない.経済的な価値は,ひとえに,モノが組み合わさった形態にある.モノの量の問題じゃない.ハンマーをもってきてスマホを粉々に砕いたとしよう.そこに散らばってる残骸の山にも,相変わらず同じ量のシリコンやコバルトやヒ化ガリウムなどなどが含まれている.でも,もはやそういう資源は価値あるモノじゃなくなってしまってる.あまり有用じゃない形態からもっと有用な形態へといろんな資源を組み替えてやることが,価値を生み出すってことなんだ.

ソフトウェアほど,この点が明快なものはない.ソフトウェアは純粋な情報,ゼロとイチだ――でも,その情報を生み出すと,ものすごい価値が生まれる.ソフトウェア製品だけでも世界 GDP の約 1.3% を占めているし,デジタル経済全体は GDP の 15% 以上を占めている.

さて,デジタル経済が資源をまったく使わないかというと,そんなことはない.ケーブルを敷設したり,人工衛星を飛ばしたり,チップを製造したり,サーバーを維持したりなどなど,必要なことはいろいろある.でも,デジタル経済によって,現実世界の物理的なモノからではなくサイバースペースの情報からみんなが価値を引き出せるようになれば,資源利用を削減しつつ GDP を伸ばせる.

古典的な映画『アメリカン・グラフィティ』を考えてみよう.ジョージ・ルーカスが思い出を描き出した 1950年代世界では,若者が楽しんだり女の子をひっかけたり社会的地位をえたりするのには,朝から晩まで車を乗りまわすのがつきものだった.これはものすごく資源利用が激しい.いまどきの子供たちなら,オンラインでおしゃべりしたりいろんなネタを共有したりゲームで遊んだりできる.あちこち車を乗り回さなくても Tinger で交際相手を見つけられる.社会的な地位を得るには,Facebook で「いいね」を貯めていったり,TikTok で視聴数を稼いだり,Twitter でフォロワーを増やしたりすればいい.だから,若者たちは車に見向きせずにスマホを使ってる.それはつまり,燃焼させるガソリンも鉄鋼やアルミニウムの使用量も前より減るってことだ.でも,それでどうなるかといえば,楽しみは増える.

そして,そういう楽しみのためにみんなにお金を払ってもらう方法をあれやこれやと資本家たちが見つけ出していくかぎり,GDP も増えていく.エネルギーや淡水や銅やアルミニウムその他の金属の利用や炭素排出量を減らしながらも,アメリカがだいたい安定して GDP を伸ばし続けられているのは,オフショアリングではなく脱物質化のたまものだ.

メタバースは,このプロセスをさらに進める一歩にすぎない.VR でできることが――ゲームや会議や休暇の旅行やお付き合いが――もっと楽しく有用になればなるほど,肉脳空間で物理的資源を使う必要は減っていく.自分の主観的な世界に AR を重ねて変化させられる度合いが大きくなればなるほど,自分の好みに合わせて物理的な環境を変化させるのに資源を使う必要は減っていく.こんな具合に,メタバースは物理的資源利用と経済成長を分離させていく助けになりうる.もちろん,こういうことの論理的な終着点は,人格アップロードだ――シミュレーションの維持に必要な分以外にはいかなる物理的資源を利用する必要もない完全デジタル環境が,こういうことを突き詰めていった先にある.

とはいえ,もちろん,脱物質化にも限界はある.やがて,どこかの時点でなにもかもをオンラインに移行させたとしよう.そのとき,ふたたび経済成長にともなって資源利用が増えはじめるんじゃないだろうか?――自分をアップロードする人たちが増えるのにともなって,もっと多くのサーバーを走らせてより多くの仮想環境をつくりだすようになるんじゃないだろうか?

うーん,もしかしたらね.でも,そうならないかもしれない.どちらなのかは,わからない.現実の資源利用を増やすことなく仮想環境で経済成長がおこるのが可能なのは間違いない.この点を理解するには,ちょっっとした思考実験をしてみればいい:すでに地球上でおきた経済成長を単純にシミュレートするのを想像してみよう.

想像してみよう,はるか未来のどこかの時点で,高度の発達したテクノロジーによって 紀元後1600年の地球を物理的に正確かつ完全なシミュレーションをつくりだせるようになったらどうだろう.シミュレーション内には,5億5400万人のデジタル化された人間たちの精神がひしめいている.シミュレーションを実行すれば,そのデジタル人間たちが蒸気機関を開発し,鉄道を敷設し,トラクターや車や飛行機などなどを発展させていく.

これはまぎれもなく本物の GDP 成長だよ.デジタル人間たちは,自分たちの生活がみるみる改善していくのを体験する.そして,彼らはデジタル市場の改善にお金を支払ってる.その GDP にインチキ・虚偽は一切ない.デジタル市場でデジタル人間たちが購入して乗り回すデジタル自動車は,現実世界の自動車と1ビットの遜色もなく,経済的な価値を体現している.

ただ,ひとつ注意しておこう.いまのシナリオだと,このデジタルシミュレーション世界で仮想資源の利用が増えていくことになってるけれど,現実世界の物理的資源の使用はおそらく増えていかない.忠実に1600年の世界をシミュレートしたときに比べて忠実に 1900年の世界をシミュレートするときの方がエネルギーやシリコンやヒ化ガリウムを多く使うわけではないはずだ(分子にいたるまで地球全体をシミュレートできているかぎり).

もちろん,この例は不可能だ.そんなに巨大なシミュレーションなんて,とてもじゃないけれど実現できない.でも,この思考実験で,大事な原則は具体的にわかるね:つまり,仮想環境の人々は地球の現実の資源を枯渇させることなしに経済的な価値をつくりだせる.お好みなら,仮想環境における経済成長のもっと現実味のある例だって,たくさんひねりだせる.

メタバースみたいなものは,そのプロセスの鍵を握っている.というのも,財・サービスのほんとの生産・販売には,おそらく,これまでにないもっと没入できるデジタル環境が必要になるだろうからだ.現状でも,たしかに Twitter や Facebook での人付き合いにみんなは時間をつかってるけれど,ごく一握りの例外をのぞいて,そうした人たちがモノをつくったり売ったりしてるのは,現実世界だ.もっと複雑精妙な仮想現実をメタバースがつくりだせば,その仮想現実内でほんとに新しい財・サービスを創出できる人は増えていくだろう.そうした営みに必要となる物理的資源は,通勤電車に揺られてレンガとモルタルのオフィスに通って物理キーボードを叩いてコードを書くのに必要な資源よりも少ないはずだ.

じゃあ,仮想世界によって,この有限の地球で経済成長とイノベーションを永遠に――文字どおり無限に――続けていけるようになるんだろうか? まあ,その,つまんなくてしょうもなくて「針の上で天使は何人踊れるか」式の答えを言えば,「できない.なぜなら,いつか宇宙が熱的な死を迎えるから.」 他にもた退屈で役立たずの答えを言えば,「できない,なぜならやがて太陽が爆発してサーバーをぜんぶ溶かしつくしてしまうから.」 そしてそして,3つ目の役立たず回答はこちら.「できない,なぜなら有限の資源をもつ惑星がとりうる量子状態はコンパクト集合で,その集合で定義されるどんな連続関数も最大値に達してしまうから.」

でも,こういう木で鼻を括ったような答えが現実世界での政策立案に関連してると思った人は,とんだお馬鹿さんだよ.ほんとに大事な政策面での問いは,「経済成長は文字どおり無限に続けられるのか?」とはちがう.ほんとに大事なのは,「すごくすごくすごくすごくすごくすっっっごく長いあいだ,経済成長を続けられるのか」ってことだ.

で,その問いへの答えは,「誰にわかるっていうの?」 答えは,人間の欲求,人間の創意,つくりだしうるテクノロジーの集合しだいだ.こういうことは,前もって予測できない.もしも「予測できる」と思ってるなら,次の点を考えてほしい――1992年に誰よりも未来を先取りしたサイバーパンクを書いていた作家に,「誰でも右クリックで保存できるデジタルアートの所有権を移すと称するトークンに,数百万ドルもの大枚を払ってもいいと思う人たちがでてくる」なんてことを予測できただろうか? (いや,まあ,ルーディ・ルッカーなら予測できたかもね.) いまのところ,豊かな国々では資源消費を減らしつつ GDP を伸ばしている.これは,心強い兆しだ.途上国もいまの先進国よりももっとすばやく同じ経路をたどっていけるんじゃないだろうか.いまの途上国は,発展のもっと早い段階でインターネットを手にするだろうからね.

まとめよう.所与の資源量でどれくらいの経済成長ができるものなのか,ほんとのところはみんな知らない.環境面での理由から,資源採掘を制限する必要はあるけれど,それで経済成長が止まると決めてかかるべきじゃない.そうじゃなく,金属の板からもっと精妙なたのしみの手段へと生産が移行していくのを期待すべきだ.仮想環境にいっそう没入すればするほど,現実環境を破壊する必要を覚えなくてすむようになる.だからこそ,メタバースをつくりだす尽力を応援すべきなんだ.それが最終的に成功しようとしまいとね.

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