バインダー&ハジャルマーソン「さっきも有罪にしたから次も有罪でいいや:陪審員の意思決定の経路依存性」

Anna Bindler, Randi Hjalmarsson “Path dependency in jury decision makingVOX.EU, September 2, 2018

裁判官や陪審員団の意思決定が,メディアへの露出や陪審員団の人口的要素といった数多くの外部要因によって影響を受けていることが研究によって次々と示されている。本稿では,18世紀におけるロンドンのオールドベイリー中央刑事裁判所の陪審評決を用い,直前の裁判の評決と特徴という新たな要因について検討する。直前が有罪評決だった場合,その次が有罪評決となる確率を6.7%から14.7%引き上げることが見出された。これは歴史的な文脈ではあるものの,この発見は連続的な決定に関わる様々な状況に重要な意味を持つ。


刑事裁判所の裁判官と陪審員団は,被告が有罪か無罪であるかの決定に直面する。その決定はその被告の裁判における証拠の特徴と質に基づくべきものであり,その裁判自体に無関係な要因に依るべきではない。しかし,裁判官と陪審員団の決定が多くのそうした無関係な要因によって影響を受けていることが研究によって次々と明らかになっており,その中にはメディアへの露出 (Ouss and Philippe forthcoming, Lim et al. 2015),人種・性別・支持政党といった陪審員団の人口的要素(Anwar et al. 2012, forthcoming (a) and forthcoming (b)),大学アメリカンフットボールの試合(Eren and Mocan 2018) やNFLチームの勝利後(Chen 2016)の感情的なショックといったものがある。しかし,刑事裁判所の決定に関するものの中で,直前の裁判の評決とその性質という要因については未だ研究が行われていない。すなわち,司法制度,とりわけ陪審評決において連続的意思決定バイアスはあるか,というものである。今日では実際のところ全ての陪審員団が連続的決定を行なっているわけではないが,アメリカの大陪審,フランスの陪審員,スウェーデンの非法律家裁判官など,多くの裁判所がそれを行なっている。

刑事司法制度の外にいる個人は毎日多数の意思決定を行なっており,その多くは本質的に連続的だ。そのような連続的意思決定に関する潜在的な関連バイアスについては,これまでも様々な文脈についての研究が行われてきた。その中にはローン担当者,庇護申請者審判所の判事,野球のアンパイア(Chen et al. 2016),投資家(Hartzmark and Shue forthcoming),婚活パーティー参加者(Bhargava and Fisman 2014),通勤・通学者(Simonsohn 2006),住宅購入者(Simonsohn and Loewenstein 2006)といったものがある。しかしながら,陪審員の決定における連続的意思決定バイアスについてはそうした研究は行われていない。

私たちの最近の研究 (Bindler and Hjalmarsson forthcoming)は,18世紀のロンドンのオールドベイリー中央刑事裁判所における陪審員団の連続的意思決定バイアスを調査することにより,これらふたつの研究群の間のギャップを埋めるものだ。 私たちの研究は,3つの要因から既存の研究と一線を画する。ひとつは刑事裁判における経路依存性はこれまで研究されていないということ,ふたつめはこの期間(「血の法典」として知られている)において有罪を宣告された人間は処刑されるか流刑地に送られたため,重大な利害が絡む文脈であったこと,みっつめはこれがはじめて集団(すなわち陪審員団)意思決定の経路依存性を検証するものであることだ。

陪審員団の連続的意思決定におけるバイアスというものはあるのだろうか。多くの行動経済学や心理学理論がそれについて述べている。たとえばツベルスキーとカーネマン (1971, 1974) によるギャンブラーの誤謬では,ランダムに発生する勝ち負けのチャンスを意思決定者が過小評価することで,負の自己相関のある連続的意思決定がもたらされうる [1]訳注:例えばコインの裏表を当てるゲームで,4回連続して表が出たから次は裏が出る可能性が高いと考えてしまうこと。 。この枠組みにおいては,5人の被告を続けて有罪にした陪審員団は次の被告は無罪であるとあらかじめ予想するかもしれない。あるいは,陪審員たちは裁判の特徴を自分たちの決定の「ベンチマーク」として用いることで,それぞれの裁判の違いに注目したばあいには負の自己相関(もしくは連続的対比効果) [2]訳注:さっきの事案とは異なるから評決もさっきの事案と違うものであるべきと考えてしまうこと を,類似性に注目した場合は正の自己相関(もしくは連続的同化効果) [3]訳注:さっきの事案と似てるから評決も同じものにすべきと考えてしまうこと をもたらすかもしれない。さらに,陪審員団の決定(とくに今回私たちが扱うような重大な結果ともなうものでは)は,ほかの多くの状況とは異なり,事案の凄惨な詳細や陪審員の行動の結果(たとえば公開処刑)が陪審員に感情的な影響を与えうる。これらの感情効果は連続的な評決における自己相関を負にも(たとえばモラル洗浄によって。West and Zhong 2015を参照)正にも(たとえば犯罪に対する信念を更新することや陪審員団の雰囲気を変えることで。DellaVigna 2009を参照)にもしうる。

その経路がどういったものであれ,陪審員団の決定に連続的バイアスが存在することは司法制度にとって大きな意味をもつ。すなわち,比較可能な事案のある被告は裁判の順番次第で恣意的に異なる結果を受ける可能性があるのだ。

18世紀ロンドンにおける連続的陪審審理
この問題を検討するにあたり,私たちは1751年から1808年にかけての900名以上の陪審員による27,000以上の陪審評決のデータセットを用い,当時のイングランドの司法制度の特異な性質を利用した。すなわち,各陪審員は(全会一致で)複数の審理に対する評決を決定し,これら審理は陪審員に対して連続的に提示されていたのだ。このデータはオールドベイリーの記録のデジタル版から抽出した。1674年に遡るこの文書は,オールドベイリーの毎月のセッション後に公開され,オールドベイリーで審理が行われたロンドン及びその近郊であるミドルセックスの刑事事件すべての報告を含んでいる。陪審員団及び各陪審員に関する情報はこの記録の中に含まれているが,デジタルファイルではタグ付けされていないため,私たち自身が手入力を行った。平均すると分析サンプル中の各陪審員団は42の審理を行っている。この時期においては陪審員たちが複数回陪審のために召集されることは珍しくなく,そのため陪審員団にはたいてい少なくとも一人は「経験ある」陪審員が含まれている。

最終的な分析サンプルにおいて,29%の被告が女性であり,約43%の審理が死刑裁判だった。重罪審理うち84%は財産罪,8%は暴力犯罪に関するものであり,今日においては軽犯罪とみなされるような犯罪に対してさえ死刑が広範に行われていたことは明らかだ。63%の審理では有罪評決が下された。

主要な分析と発見
単純に表にしてみたところ,有罪評決を受けた被告の後に裁判を受けた被告は,無罪評決を受けた被告の後に受けた被告よりも有罪評決を受ける確率が10%ポイント高いことが示された(それぞれの有罪率は69%と59%)。事案が死罪裁判かどうか,陪審員団がロンドンかミドルセックスのものであるか,被告が男性であるか女性であるかに関わらず,おおよそ同程度の差が見られた。

これらの数字は因果関係として解釈できるものだろうか。直前の事案が本当に後の事案の結果に影響を与えたのだろうか。もしくはこうした正の自己相関は,各事案に有罪を推定させる共通の特徴があったことによって生じたのだろうか。より厳密にいえば,陪審員団の連続的な決定におけるバイアスを,事案が体系的な並べ方をされたことによって生じた自己相関と区別するためには,各事案が陪審員団に提示される順番は有罪可能性に基づいて体系的な並べ方がなされたものではないと仮定する必要がある。さらにはっきり言えば,観察することのできないいかなる特徴によっても並べられたものであってはならない。私たちは犯罪種別,被告の性別,死刑裁判か否かといった観察可能な事案の特徴に関してランダムな並べ方がなされているかどうかを検証するため,事案をランダムに並べた場合と比較した場合にデータの中に何らかの兆候がないかのノン・パラメトリック検定を用いた。その結果は,大多数の陪審員団はこうした特徴についてランダムに並べられた事案を提示されていたことを示している。

以上に基づいてより確かな回帰分析を行ったところ,データにおける正の自己相関は実際のところ本質的に因果関係であることが示された。この分析は各陪審員団の判断に関し,観察可能なすべての特徴(30以上の犯罪種別を含む)をコントロールして行った。直前が有罪評決であることは次も有罪評決となる確率を6.7%から14.1%有意に引き上げる。この正の自己相関は,様々な推定方式に対して頑健,陪審員の経験の範囲に対して独立であり,その直前の事案の評決や類似事案の評決によって引き起こされる。

この正の自己相関は何を意味しているのだろうか。これらの結果は連続的同化バイアスと整合的だ。つまり,陪審員団はその意思決定,特に同じような事案が2つ続いた場合において内部的に整合的であろうとしたのかもしれない。それ以外の説明としては,「共通ショック」(たとえば裁判所内が暑かったなど)といったものが陪審員団の評決を行うにあたっての雰囲気に影響を与えた可能性はある。しかし,これらの結果は事案の順序の十分位をコントロールしても頑健であり,かつ直前の事案からしか影響がみられないため,そうした効果がこの正の自己相関を説明する可能性は(潜在的には)低い。しかしながら,このことは個別の事案の特徴が短期的に陪審員団の雰囲気に影響を与え,それによってその後の事案の結果に影響を与えた可能性を排除するものではない。この潜在的な「感情」バイアスは,直前の死刑裁判はその評決を越えて影響を与え,死刑裁判に続いて非死刑裁判が行われる場合(たとえ両者が似通ってなかったとしても),正の自己相関が見られるという私たちの発見と整合的である。

現代への示唆
歴史的な文脈ではあるが,私たちの発見は連続的決定にまつわる今日の多くの状況に重要な意味を持つ。個人のレベルにおいては,試験の採点をする教師や手当の申請を判断するケースワーカーを思い浮かべることができる。それと同様に集団レベルにおいては,採用・人事評価委員会や審判団,そして(私たちの研究の文脈に最も密接に関連している)大陪審といった例が挙げられる。こうした例はそれぞれその本質や争点としている結果を異にしている。現代の集団は社会的,人工的,経済的多様性や集団の構成といった点で異なり,私たちの結果からそのまま類推することが困難であることは明らかだ。しかし,想像できる中でおそらくは最大限重大な利害の絡む状況下において意思決定バイアスが見られるという事実は,それよりも重大さの薄い状況においてもそうしたバイアスが見つかるかもしれないという可能性を提起している。さらに,Sunstein et al. (2002)が提起したとおり,陪審員団が単一の事案について決定を行うという刑事司法制度は首尾一貫しない決定をもたらすだけとなる可能性がある。それとは対照的な方式である陪審員団による連続的な意思決定はそうした問題を解決することが可能であるものの,私たちの研究による発見はそれが有罪判決に関する(潜在的に望ましくない)経路依存性をもたらすことを示唆している。

参考文献
●Anwar, S, P Bayer, and R Hjalmarsson (2012) “Jury Discrimination in Criminal Trials,” Quarterly Journal of Economics 127(2):1017-1055.
●Anwar, S, P Bayer, and R Hjalmarsson (forthcoming a) “Politics in the Courtroom: Political Ideology and Jury Decision Making,” Journal of the European Economic Association.
●Anwar, S, P Bayer, and R Hjalmarsson (forthcoming b) “A Jury of Her Peers: The Impact of the First Female Jurors on Criminal Verdicts,” Economic Journal.
●Bhargava, S and R Fisman (2014) “Contrast Effects in Sequential Decisions: Evidence from Speed Dating,” Review of Economics and Statistics 96(3): 444-457.
●Bindler, A and R Hjalmarsson (forthcoming) “Path Dependency in Jury Decision-Making,” Journal of the European Economic Association.
●Chen, D L, T JMoskowitz, and KShue(2016) “Decision-Making under the Gambler’s Fallacy: Evidence from Asylum Judges, Loan Officers, and Baseball Umpires,” The Quarterly Journal of Economics 131(3): 1181–1241.
●Chen, D (2016) “This Morning’s Breakfast, Last Night’s Game: Detecting Extraneous Influences on Judging,” IAST Working Papers16-49.
●DellaVigna, S (2009) “Psychology and Economics: Evidence from the Field,” Journal of Economic Literature 47(2): 315-372.
●Eren, O and N Mocan (2018) “Emotional Judges and Unlucky Juveniles,” American Economic Journal: Applied Economics 10(3): 171-205.
●Hartzmark, S M, and K Shue (forthcoming) “A Tough Act to Follow: Contrast Effects in Financial Markets,” The Journal of Finance.
●Lim, C S, J M Snyder Jr, and D Strömberg (2015) “The Judge, the politician, and the press: Newspaper coverage and criminal sentencing across electoral systems,” American Economic Journal: Applied Economics 7(4):103-135.
●Ouss, A and A Philippe (forthcoming) “No Hatred or Malice, fear or affection: Media and Sentencing,” Journal of Political Economy.
●Simonsohn, U and G Loewenstein (2006) “Mistake #37: The Effect of Previously Encountered Prices on Current Housing Demand,” Economic Journal, 116: 175-199.
●Simonsohn, U (2006) “New Yorkers Commute More Everywhere: Contrast Effects in the Field,” Review of Economics and Statistics, 88: 1-9.
●Sunstein, C R, D Kahnemann, I Ritov, and D Schkade (2002) “Predictably Incoherent Judgments,” Stanford Law Review, 54: 1153-1216.
●Tversky, A and D Kahneman (1971) “Belief in the Law of Small Numbers,” Psychological Bulletin, 76: 105-110.
●Tversky, A and D Kahneman (1974) “Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases,” Science, 185: 1124-1131.
●West, C and C-B Zhong (2015) “Moral Cleansing,” Current Opinion in Psychology 6: 221-225.

References

References
1 訳注:例えばコインの裏表を当てるゲームで,4回連続して表が出たから次は裏が出る可能性が高いと考えてしまうこと。
2 訳注:さっきの事案とは異なるから評決もさっきの事案と違うものであるべきと考えてしまうこと
3 訳注:さっきの事案と似てるから評決も同じものにすべきと考えてしまうこと
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