フランシス・ウーリー 「石油、アート、シルバープレート」(2012年7月20日)

●Frances Woolley, “Oil, art, and silver plate”(Worthwhile Canadian Initiative, July 20, 2012)


回転台の上に積み重ねられた3本のドラム缶。その名も『False Movement (Stability and Economic Growth)』(『偽りのムーブメント(安定性と経済成長)』)。ダミアン・オルテガ(Damian Ortega)の手になる彫刻作品だ。

本作品には、政治的なメッセージが込められている。作品名の一部ともなっている “Stability and Economic Growth”(「安定性と経済成長」)というのは、メキシコの大統領選挙で掲げられたスローガンの一つからきている。石油頼りの経済(石油の生産・輸出に依存した経済成長)は、不安定で脆い。石油のおかげで経済成長が果たせたとしても、それは偽りの経済成長であり、幻想に過ぎない。本作品には、そのようなド直球のメッセージが込められている。

天然資源に頼っていつまでも経済成長を続けることができるだろうかという疑念それ自体については、異を唱えるつもりはないが、一つの疑問が頭をよぎる。天然資源の代わりに、何を頼りにすればいい? アート? 石油頼りの経済から、アート頼りの経済へ? 個人的な見解を述べさせてもらうと、アート頼りの経済は、石油頼りの経済に負けず劣らず、不安定であるように思えるのだ。

希少性こそが、モノの価値を左右する。石油の希少性というのは、客観的でリアルだ。地球に眠っている石油の量には限りがある。その一方で、アートの希少性というのは、ある意味で、社会的に構築されたものという面がある。『False Movement』の精巧な複製(偽物)を作ることはできなくはないだろうが、偽物の『False Movement』には、一文の値打ちもないことだろう。あくまでも、本物の模倣、パクリでしかないからだ。しかしながら、オリジナルとコピーの違いはどこにあるのかと突き詰めると、物理的な面で差があるわけではなく、鑑賞する人間の心の中で区別がつけられているに過ぎない。アートと石油の違いは、ここにある。石油に関しては、物理的な属性(例えば、どのくらいのオクタン価のガソリンを精製できるか?)こそが重要となってくる。石油に関しては、「オリジナル」なのか、それとも「コピー」なのか、という問いを気にかける人は一人もいない。

社会的に構築された価値というのは、儚い。例えば、『False Movement』への評価が一変して、古びたドラム缶を寄せ集めたガラクタと見なされるようになってしまうかもしれない。あるいは、一国の貨幣(ドル紙幣)というのはシンボリックな存在であって、その価値は共同幻想に支えられているということに国中が突然気付き [1]訳注;リンク先の記事の概要については、本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●アレックス・タバロック … Continue reading、その影響でアメリカ経済が機能停止に陥ってしまうかもしれない。想像しがたくはあるが、そのような(社会的に構築された価値が一挙に瓦解する)事態は起き得るのだ。シルバープレート(銀メッキ)が辿った運命なんかが、いい例だ。

ヨーロッパの富裕層の間では、銀製の食器を使って食事をするのが長年の習慣となっていた。”born with a silver spoon in his mouth”(「銀のさじを口にくわえて生まれる」=裕福な家の子として生まれる)という慣用句もそこからきているが、成り上がりを夢見る者たちは、お金持ちを真似て、シルバープレート製の食器を買い揃えた。しかしながら、しばらくすると、富裕層は、銀に見切りをつけるに至る。その理由はなぜかというと、(銀製の食器は)値が張るというのもあるが、何よりも(定期的に磨いて手入れしなければならなかったりして)管理するのが大変だったからだ。成り上がりを夢見る者たちも、お金持ちの後に続いた。シルバープレートに見切りをつけたのである。その結果として、今ではどうなっているか? 近所のリサイクルショップに行くと、売れ残りのシルバープレート製の食器が棚にずらりと並んでいるものだ。ガレージセールで数ドルで(あるいは、もっと安くで)売られているのも、よく目にする。「親戚のおばさんが何年も前に手に入れた品です。持って行ってください」てなわけだ。シルバープレートというのは、無価値の銀メッキに覆われた安物の金属に過ぎない、というのが衆目の見るところというわけだ(シルバープレートに含まれている銀はあまりに少量なため、取り出そうにも割に合わない)。

シルバープレートであれ、アートであれ、社会的に構築された価値をその特徴する品に経済の行方を委ねるのは、リスクが高いように思える。かといって、石油頼りの経済はというと、どうだろうか? 石油が一旦採掘されて売られてしまえば、その分の石油はもう二度と戻ってこない。石油を売って得られた儲けがシルバープレートもどきの品を手に入れるために費やされるとしたら、石油を失うのと引き換えに、今から50年後、あるいは、100年後の未来には、一体何が手元に残されることになるだろうか?

References

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1 訳注;リンク先の記事の概要については、本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「バーナンキ議長が大暴露 ~紙幣なんてただの紙切れに過ぎないんです~」(2017年3月25日)
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