ブラッドフォード・デロング「「マルサスの束縛」と「消極的自由」:『長い20世紀の経済史』抜粋」

[Bradford DeLong, “Imprisonment by Malthus and ‘Negative Liberty,'” Grasping Reality with at Least Three Hands, June 18, 2018]

長い20世紀がはじまった頃,イギリス随一の経済学者にして随一の道徳哲学者,そしてインド政庁の官僚としてかつて大英帝国随一の帝国主義者・支配者でもあったジョン・ステュワート・ミルは,とある本の最終稿の仕上げにとりかかっていた.経済学を学ぼうと思った人が頼りにすることになる同書『政治経済学原理,および道徳哲学へのその応用』(1848年)では,1730年~1870年のイギリス産業革命時代に十分な紙幅を割いている.同書にかぎらず,ミルは産業革命に相応の関心を向けていた.だが,1870年,貧しく惨めだと彼には思えた世界の一隅にミルは目を向ける.その貧しく惨めな地域と当時の大ブリテン島とアイルランドに目を向けつつ,ミルはこう記している:

あまた発明されてきた機械によってはたして人間の苦役はやわらいだのかといえば、疑わしい.機械によって,苦役と束縛の生活を送る人々は増大しつつ,富をなす製造業者その他も増えた.機械によって,中産階級の安楽は増大した(…)

人口密度の上昇,増加しさらに豊かになる富豪,広がる中産階級――これらはすべて1730年~1870年の産業革命にミルが見た果実だった.自分が生きる世界と自国に目を向けたとき,1870年の人間はマルサスの罠にとらわれていた:資源は乏しく,人口は繁殖力がありすぎ,技術進歩は遅すぎて,世界はつねに飢餓寸前の状態にあった.

さらなる技術進歩の胎内によりよい世界につながるどんな可能性が宿っていたとしても,その可能性は死産を免れはしなかった.人口が増加すれば資源は希少になってしまったからだ.先ほど引用したミルの一節で,目を引く一語がある:「束縛」(imprisonment) の一語だ.ミルが目にしていた世界は,たんに苦役ばかりの世界だったのではない――くたびれ果てるほど長時間従事せざるをえない手作業や労役は,およそ東アフリカ平原からやってきた霊長類にとって身を入れてはげめるような面白いものではなかった.ミルが目にしていた世界では,たんに大半の人々がひどい空腹の崖っぷちにいただけではない.来年はいったいどうやって一日2000キロカロリーを確保できるものかと至極当然の不安を抱えていた――いや,ことによれば来週ですらどうなるか安心できたものではなかった.ミルが目にしていた世界は,たんに識字率が低い世界ではなかった――人類が集団として蓄えてきた知識・アイディア・娯楽も,大半の人の手に届くのはせいぜい一握りで,しかも時間がかかった.この世界では,人類は束縛されていた:自由でなく,地下迷宮のなかで鎖につながれがんじがらめになっていた.

長い20世紀のはじまりに,世界はこういう有様だった.

余談ながら,リバタリアンにとっての礎をつくったミルが述べたこうした所見を読んでいると,アイザイア・バーリンのオックスフォード大学就任講演をしょっちゅう引用する今日の大抵のリバタリアンたちのことを思う.その講演『自由の2つの概念』(1958年)を引きながらリバタリアンたちはこう主張する――「消極的」自由と「積極的」自由が「真っ向から対立」している.だが,これはリバタリアンの企図を根本から誤解してしまっている――そうでないとしても,少なくともジョン・ステュワート・ミルの知的継承者や同志を自称する資格を欠く.彼らはどこか根本的なところでミルが考えたリバタリアンの企図を理解しそこねている.「誰か個人や人の集団が私の活動に干渉することがないかぎり,通常,私は自由だと言われる(…)他人に妨害されることなく行動できる領域」というバーリンの定義では,ミルのいう束縛はまったく意味をなさない〔他人に妨害されるのどうの以前の条件が整っていないのが「束縛」の状態なので〕.

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