ブラッドフォード・デロング「大衆政治と『ポピュリズム』:『長い20世紀の経済史』抜粋」(2/6)

[Bradford DeLong, “Mass politics and “populism”: An Outtake from “Slouching Towards Utopia: An Econonmic History of the Long Twentieth Century,” Grasping Reality with at Least Three Hands, August 09, 2018]

5.2.2: 製造業者たちの貴族政治: 移民と金満家の国は、自作農の国とは大きく異なる(これもやはり、自国生まれの白人成人男性の話だ:「移住してきたアメリカ人はお互いに力を合わせて小屋を建て、お互いの権利主張を尊重していたのです」といったたぐいの〔開拓時代のステレオタイプ的な〕物語では、大事なことを無視している。財産法では、メキシコ人やアメリカ先住民の権利主張は尊重する必要なしとしている点を無視しているのだ。もしも当時彼らがマリアーノ・グアタルーペ・ヴァレーオ〔スペイン領カリフォルニア生まれの軍人、アメリカ上院議員〕の相続人だったなら、ちょうど今日のイギリスでジェラルド・グローヴナー第6代ウェストミンスター公爵が占めている地位に相当するものをいまのカリフォルニアで占めていたことだろう。) 建国の父祖たちが思い描いた空想の世界では、草創期のアメリカ合衆国は自作農の国だった。そして、現実でも大部分はそうだった。

繁栄する広範な勤労中流階級と勤勉な弁護士と商工業者たちのエリート層からなる社会から、一握りの金権主義的な奴隷所有者たちの社会へと変貌したとき、ものごとはどう変わるだろうか? 土地・資源・資本の相続者たちが威張っているとき――そしてちょっとした変化のために政治家を買収しているとき――ものごとはどう動くのだろう? 19世紀前半にアメリカ社会を鋭敏な目で論評し『アメリカの民主政治』を著したアレクシ・ド・トクヴィルは、そうした金権主義者階級、「製造業者たちの貴族制」の台頭を恐れていた:

いにしえの領土による貴族制は下人たちを助けてその苦しみを和らげるべしと法によって義務を負っていたか、あるいは自分たちには慣習としてそうした義務があると考えていた。ところが、我々の時代の産業貴族制は、みずからが使役している男たちを貧窮させ惨たらしくいためつけたとしても、公の慈善活動で彼らに食事を与えるべき危機のときに彼らを打ち捨てる(…)。労働者と主人のあいだに頻繁な人間関係はあっても、真の結びつきはない。一般論として、いま目の前で台頭しつつある製造業者の貴族制は、これまで地上に現れた貴族制のなかでももっとも過酷なものだ(…)

合衆国では、第一次世界大戦前の時代にますます富が集中して、「この国の発展はどこかで間違ってしまった」という感覚が広まった。自分が生涯を過ごしたアメリカとはこんな国だったとエイブラハム・リンカーンは考えていた:

賢明だが無一文の新米は世間に出てしばらく賃金仕事をして余った金を貯めていき、その金で道具や土地を買い、今度は自分の資金でしばらく働き、やがては新しく世間に出てきた新米を雇って仕事の手伝いをさせる(…)

そして、現にアメリカはおおむねそうした国だった。リンカーンが生きた頃に出現したのはおおよそ中流階級の社会だったため、リンカーンと同時代人たちは:

誰でもかなうかぎりすばやく財産を獲得する自由がひとりひとりにあればそれがなによりだ[と見ていた]。なかには金持ちになる者もでてくるだろう。誰かが金持ちになるのを妨げる法律がよいものだとは私は思わない。益よりも害の方が多いだろう。だから、我々は資本に対する戦争を提案しない。もっとも身分卑しい者であってもほかの誰にも劣らず豊かになる平等な機会を許したいものだ。

歴史家のレイ・ジンジャーはこう記している:

誰もが等しい機会を手にしている開かれた社会をリンカーンは(…)支持していた(…)。「私は生き証人だ」と連隊にリンカーンは語った。「諸君らの子供の誰であっても、ここに〔大統領の地位に〕収まっておかしくない。ちょうど、私の父の息子がそうであったように。」 南北戦争から1900年まで、エイブラハム・リンカーンの言論がよい社会の理念の基調をなしていた。こうした理念が投影されて、成功者は後ろ暗いところはないとみなされ、若者は鼓舞されていた(…)。だが、まさにその時期に、(…)このリンカーンの理想をかたちづくった社会の現実は少しずつ崩れ落ちつつあった。

シカゴのとある労働者の言葉をジンジャーは引用している:

「機会の国」って言うけどね。うちの子供も俺と同じ境遇のままだろうよ――底辺に落ちぶれずにいさせてやれればの話だけどさ。

富裕層の多くは(そしてアメリカ生まれのあまり豊かでない人々の多くも)19世紀終盤のアメリカがおかしくなっているのは外国人のせいだと非難した:中国・日本・イタリア・スペイン・ポーランド・ロシア生まれの異邦人たちが悪いのだと彼らは思っていた:

英語も話せず
アメリカの価値観もわからず
アメリカ社会に貢献もしない
きっと遺伝的にも薄弱なんだろう
子供はかしこくもなく教育を受けても才能もなくて
アメリカ文明の立派な仲間になれやしない
――とくに中国人とユダヤ人

笑ってはいけない――これが彼らの言い分だった。1930年代後半から第二次世界大戦前夜まで、フランス系かイギリス系ならヨーロッパを逃れてアメリカにやってくるのが容易だったがロシア系やポーランド系だったら、ましてドイツ系ユダヤ人だったなら、まず間違いなく門戸は閉ざされてしまっていた理由の一端はここにあった。

3/6につづく

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