ポール・クルーグマン「アメリカのガラスハートな億万長者たち:繊細さんが権力持つと手に負えない」

Paul Krugman, “America’s Thin-Skinned Billionaires,” Krugman & Co., April 11, 2014. [“The Fifth Freedom,” April 3, 2014; “Equivalences,” April 4, 2014]


アメリカのガラスハートな億万長者たち:繊細さんが権力持つと手に負えない

by ポール・クルーグマン

PETT/The New York Times Syndicate
PETT/The New York Times Syndicate

表現の自由なんて気にすんな.宗教の自由も,貧困からの自由も,恐怖からの自由もだ.アメリカで四面楚歌になってる億万長者たちは,(おおむね文字通りの意味で)生まれつきの権利として,そんなのよりずっと重要なことを要求してる:批判からの自由だ.

『ウォールストリートジャーナル』に掲載された必至の主張で,トム・パーキンスとチャールズ・コークみたいな,英雄的な抑圧された男たちは,だいたいこんなことを言ってる:自分たちについてなにか否定的なことを言う連中は,ナチスみたいなもの,あるいはスターリンみたいなものだ.

はいはい,公正に行きましょう.コーク氏は,自分を批判してる人間がヒトラーやスターリンみたいなものだとはっきり言葉で言ったわけじゃあない.彼が『ウォールストリートジャーナル』の論説で書いたのは,こんな文章だ:《自由で開かれた論議をせず,集産主義者たちは論敵の信用を落とし相手をおびえさせようとやっきになっている.彼らは誹謗中傷での人格否定に手を染めている.(私にはわかって当然だろう.毎日のように彼らの攻撃対象になっているのだから.) こうしたやり口は,19世紀にアルトゥル・ショーペンハウエルが記しているし,20世紀にソウル・アリンスキーが提唱したのはよく知られたところだ.それに,多くの独裁者たちは自ら実践して悪名を高めている.こうした戦術は,自由社会が必要とするもののアンチテーゼだ――また,集産主義者たちにすぐれた答えがないことを示す証でもある.》

というわけで,『ニューヨーク・マガジン』のジョナサン・チェイトが指摘してるように,コーク氏はもしかすると誰か他の独裁者たちを参照してるのかもしれない.もしかしてフランシスコ・フランコかな?

そうだね,誹謗中傷の人格否定は集産主義の特徴だ.『ウォールストリートジャーナル』では決してお目にかかることがないだろう.それに,リベラルは保守派からの人格攻撃なんか,ぜったい断じてまったくこれっぽっちも受けてない.受けてる.

でも,連中が言う批判からの自由は,普遍的な権利であることを意図されてない.雇用創出者のための権利だ.「貴族の権利」と言ってもいい.

ともあれ,面白いのは,あの手の連中がいかに批判に過敏症かってことだね.

© The New York Times News Service


泣き虫全取り社会

ぼくらの「勝ち組[ウィナー]全取り」社会が,「泣き虫[ワイナー]全取り」社会に見えることがある.なんともびっくりなことに,億万長者たちはなにかあるとすぐに自分たちのことを犠牲者として描き出す.理由は,世間にえげつないことを言われているからだ.

連中の泣き言に関して大事なのは,その「えげつないこと」とやらが,実はちっともえげつなくなんかないってところだ.コーク兄弟が財産を使ってよりいっそう金持ちになるための政治的な目標を推進してると誰かが言うとき,その人はちゃんと中身のある主張をしてるんであって,人格否定をやってるわけじゃない.たとえば,ヒラリー・クリントンのことを人殺しじゃないかとほのめかすのとはまるっきりちがう.それなのに,コークやパーキンスみたいな連中は,まるでそういう主張が悪辣下劣な言いようで,自分たちの自由に対する攻撃であるかのような言動をする.

もうひとつ目を見張るのが,そういう被害者気分があっというまに高まって,「ゴドウィンの法則」がすぐに登場するところだ.ほら,リベラルがコーク兄弟を批判するでしょ,すると,連中にはリベラルがヒトラーやスターリンの同類に思えてしまう.「敵対勢力を殺したああいうやつらと同じじゃないか」って.

おっと,それだけじゃないのよ.このところ,コーク兄弟を擁護してる人たちからこんな話を耳にする.ぼくみたいな連中には,億万長者をあげつらう資格なんかないんだって.ほら,ぼくはときどき自分と見解がちがう人たちの主張を罵倒するようなことを言うでしょ.それどころか,見るからに間違ってるとぼくが思ってることを言う連中の動機を疑いすらする.その点では,〔保守派が〕リベラルをヒトラーになぞらえるのとそっくりじゃないか,というわけだ.

要点はこうだ――ぼくは,ああいう泣き言みたいな反応がでてくるのはただの演技じゃないと思ってる.なにか戦略的な目標のためにわざとやってることじゃなくて,本物の泣き言なんだと思う.億万長者たちは,富と権力をもっていながら,あるいはもしかするとそれゆえに,ほんとに傷つけられてるように感じてるんだ.で,0.1パーセントに仕えてる「政治局員」どもは,心深くで文化的にも知的にも不安があって,そのせいで悪口が深く刺さってしまうんだ.

悲しいと言えば悲しい話だ.ホントにね.でも,ちょっとどころでなく怖い話でもある:傷つきやすい自己をもった人間が大きな権力を握ってるときには,実にひどいことが起こりかねないもの.

© The New York Times News Service

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