マーク・ソーマ 「『農民層の政治意識に関するマルクスの見解』」 (2015年10月1日)

Mark Thoma, ‘Marx on Peasant Consciousness‘ (Economist’s View, Thursday, October 01, 2015)


以下は全てDaniel Littleの記事:

農民層の政治意識に関するマルクスの見解: マルクスの政治的著作の中でも重要な部類に属するものに 『ルイ・ボナパルドのブリュメール18日』 (1851) (pdf) が在る。次に挙げるのは、ナポレオン三世の選出に繋がった農民層の政治意識にみられる特質について、それを生み出した諸要因をマルクスが分析したものだ:

小土地所有農民は一個の巨大な集団を形成しており、その成員は類似の状況下に生きているのだが、各々と複層的諸関係を結んではいない。こういった小土地所有農民の生産様式は彼らをお互いから孤立 [isolate] させるものではあっても、彼らをして相互の交流に向かわせるものではないのだ。こうした孤立は、フランスの有するコミュニケーション手段の乏しさ、及び農民の貧困によってさらに押進められている。農民の有する生産の場、すなわち小所有地のことであるが、これは耕作の分業、すなわち科学の応用の余地を残すものでは無く、したがって発展の多岐性、才能の多様性、社会関係の富も残されていない。各々の農家世帯はほぼ自給しており、自らが必要とする消費財を直接に生産し、したがって生活手段の獲得は自然を相手方とした交換で賄う方が、社会との交流を通じて賄う分より多い。一筆の小所有地、それを耕作する農民、そして彼の家族。その隣にはまた別の一筆の小所有地と、別の農民と、その家族。これが数十個集まったものが1個の村を構成し、村が数十個集まると1個の行政区画 [Departement] を構成する。フランス国民という一大集団はかくして相同な多衆の単純な加法によって形成されているのであり、それは恰も1つの袋の中に納まったジャガイモどもが、ジャガイモ1袋を形成するが如くである。何百万という世帯の生活が幾つかの存続条件に晒されており、まさにその存在条件が彼らの生活様式・利害関心・文化を他の諸階級におけるそれから分離し以て彼らをこれら諸階級との敵対的対立状況に置くものである限り、彼らは1階級を形成することになる。しかしこういった小土地所有農民の間に在るものが局地的内部連結に過ぎず、彼らの利害関心の同一性が彼らの間に何らの共同体、何らの国家的紐帯、何らの政治的組織も形成しないのならば、彼らは1階級を構成するものとはならない。したがってその場合彼ら農民は、おのれ自身の名のもとに自らが属する階級の利害関心を主張することが出来ない。国会を介してであれ、大会を介してであれ、同様である。彼らは自らを代表することが出来ないのであるから、彼らは誰かに代表して貰わざるを得ないのである。同時に、その代表者は彼らの主として現れざるを得ない。それは彼らの上に立つ1つの権威、すなわち1個の羈束無き政府権力として現れ、彼らを他の諸階級から保護し、天より雨を下し日を射し給う存在である。したがって小土地所有農民が有する政治的影響力の究極の表現は、社会を自らに従属させる行政権力の姿に見出されることになる。

極めて興味深い、団体の連帯の社会心理分析であり、現代的重要性をも備えている。この論文のおかげで我々は階級意識の形成に関するマルクスの考え方についてかなり知ることができるのだ – それと同じくらい、在郷の人びとの行為主体性に関して、看過し難い誤解が在るにしても。

本論文のいう、フランス小農民階級の限界とは如何なるものだったか? 彼らは孤立し、重労働に苦しみ、世間知らず、粗野であり、政治意識に乏しく、その上周囲を取り巻く彼らより強力な勢力について無知であった。それ故、マルクス曰く、彼らには1つに団結し、かつ目的をもった1個の政治勢力を打ち立てることが出来ないのである。(それからほんの1世紀後に現れたインドシナにおけるベトミン大軍勢の姿によって、こういった考えは葬られることになる。)

我々はこの様に描き出された農民の姿から、集合的連帯の基礎づけに、何が必要になるのかに関してのアイデアを幾つか引き出すことが出来る:

  1. 団体は相互に 『重層的諸関係』 をもっている必要がある。
  2. 単なる地域的交流ではない、隔たった空間 (地域) をつなぐ効果的なコミュニケーション手段・交通手段が必要である。
  3. 一定程度の経済的相互依存性が必要である。
  4. 生産体制における物質的諸条件が共有されていることが必要である。
  5. 社会・経済環境を如才無く把握する能力が必要である。
  6. 共有された政治意識および行動目的を具体化する助けとなる、組織とリーダーシップが必要である。

またマルクスはどうやら、こういった条件と集合意識の間に一種の必要十分関係を想定していたようだ。つまりこれら条件は、1個の拡張された団体における集合意識が存在する為に、複合的に十分 [jointly sufficient] かつ個別的に必要 [individually necessary] であるというのだ。

ここには現在における連帯や社会運動に対する考え方にも生きている幾つかの重要なアイデアがみられる。だから集合意識に関するマルクスの考え方には先見性があったのだ。集合的連帯に関する彼の思想がどこから来たのかを考えてみるのは興味深いことだ。そもそもどんな道筋を辿って、彼は社会運動や連帯の社会心理についてのかくも示唆に富むアイデアの着想に至ったのだろうか? というのも1851年の時点ではこの論題に関する理論や思想の発展史は、未だ蓄積されていなかったのだ。

有りそうな出所は2つ。1つ目は、フランスの社会主義者の思想で、1840年代のマルクスが没頭していたのもこれだ。事実フランス社会主義者の思想家は、如何にして革命精神は人びとの集団に到来するのかという問いに関心を寄せていたのである。そして2つ目は、マルクスが自らの経験を通して見聞を深めた1843年から45年に掛けてのパリにおける労働者だ。彼は労働者らについて自身の目で観察したところを1844年の 『経済学・哲学草稿』 に記している:

共産主義者の職工らがお互いと繋がる [associate] 時、理論構築やプロパガンダ等々が彼らにとっての第一の目標となる。しかし同時にこの繋がりの結果として、彼らは新たな必要を抱えることになる – すなわち社会の必要である。すると、1つの手段に過ぎぬように見えたものが、1つの目標に成り変わる。その実践の過程における最も目を見張る成果は、フランスの社会主義労働者が揃う所に目を向ければ何時でも観察できる。煙草や飲み食い等等といったものは、もはや相互接触の手段ではない、彼らを1つに繋ぐ手段ではない。繋がりと社会と会話、これらもまた繋がりそれ自体を目的とするものであるが、こういったものだけで彼らは十分に満ち足りている。すなわち兄弟愛とは彼らにあっては単なる言葉では無いのだ。それは生の真実である。そして人の高貴の輝きは、労働に鍛えられた彼らの肉体から我々の上に降り注ぐのである。

ここでマルクスは、フランス労働者の階級意識形成の場面では友情や日常的繋がりという実体的諸関係が、共通の物質的利害関心に匹敵する重要性もったと述べているのだ。

農民コミュニティがもつ政治的な能力・意識に関するマルクスの誤解は、農村部における革命の研究に携わる多くの学者から指摘されてきた。かつてジェームズ・スコット (James Scott) がかつて20世紀の革命を論題とする公開講義を行った際には、講義が扱うのは飽くまで当該世紀に起きた農民革命に過ぎない旨を開講の辞として述べたのだった。しかし暫しの沈黙の後に笑い出し、云うのである。実はこれは大した限定にならないのです、何故なら20世紀の革命は全て農民革命だったのだから!、と。 都市労働者のみが革命意識を持ちうるというマルクスの想定は、到来しつつあった反資本主義・反植民地主義の闘争の世紀を深刻に読み違えたものだった。(スコットの農民政治研究に触れた以前の記事はこちら。スコットの見解は 『Weapons of the Weak: Everyday Forms of Peasant Resistance』 や 『The Moral Economy of the Peasant: Rebellion and Subsistence in Southeast Asia』 で見られる。 エリック・ウルフ (Eric Wolf) の 『Peasant Wars of the Twentieth Century』 も類似の論題を取り上げている。)

『ブリュメール18日』 で興味深い他の点に、階級闘争としての歴史における法則に関してエンゲルスが本著作第三版への序文に残した記述がある:

だが、さらにもう1つ別の事情が在った。蓋し、マルクスに於いて初めて歴史運動の偉大な法則の発見と、- この法則に依れば、一切の歴史闘争は、それが政治、宗教、哲学、或いはその他のイデオロギー領域に於いて進行するものであれ変わりなく、また明白さに程度に差はあれども、実際のところ、社会に於ける諸階級の闘争の現れに過ぎないのである -、また他方ではこれら諸階級の存在、並びにそれが為に生ずる衝突でさえも、その経済的地位の進展の程度に因って、すなわちその生産様式ならびにその生産様式が決定する交換様式に因って条件付けられているという事実の発見が為されたのである。この法則、その歴史に於ける重要性は、まさにエネルギー転換の法則が自然科学に於いて有するそれに匹敵するものであるが、本書の著者によるフランス第二共和政史の1つの理解の鍵となったのも、この法則に他ならない。マルクスはこういった歴史的事件を試金石に自らの法則を試験に掛けたのであり、その後33年が経過した現在にあっても我々は尚、同法則が見事に試験に耐えてきたと云わねばならないのである。

エンゲルスがここで、社会の運動法則のアイデア並びに階級闘争のアイデアを歴史変動の主要な原動力として打ち出していることは疑いようがない。「歴史とは畢竟、階級闘争の歴史の謂いである」。となると、偶然や仮定的原因が入り込む余地はあまりなさそうだ! しかしこの点こそマルクス主義者の理論が明らかに誤っているところなのである。歴史理解は、もっと多岐に亘る要素が絡み合いとして、つまり偶然や共起現象そして行為主体性の全てが関係しているという構図で考えた方が、数段優れたものとなる。

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  1. 翻訳お疲れ様です。

    集合的連帯(あるいは連帯意識)が形成される上で重要な6つの条件が抽出されていますが、その3番目は「経済的にある程度依存し合っている必要がある」だと思います(economic interdependenceですので)。2番目の「空間を横断する効果的なコミュニケーション・トランスポーテーション」は「隔たった空間(地域)をつなぐ効果的なコミュニケーション手段や交通手段」でいいかもしれません。

    あと『経済学・哲学草稿』の引用後のコメントですが、”Marx gives as much importance to the substantive relations of friendship and everyday association [in the formation of the class consciousness of French workers] as he does to shared material interests in the formation of the class consciousness of French workers.”ということだと思います。フランス労働者たちの間で階級意識が形作られる上では「(フランス労働者たちの間で)物質的な利害関心が共有されていた」という事実に負けないくらい「(フランス労働者たちの間で)友情関係が形作られ日常的な接触が保たれていた」ことも重要だ(とマルクスは見なしていた)、ということだと思います。

    1. コメントありがとうございます。
      3点とも尤もなご指摘なので、さっそく反映させて頂きました。

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