マーク・ソーマ 「リバタリアンの面々がマルクスを読むべき理由」(2017年6月28日)

●Mark Thoma, “Why Libertarians Should Read Marx”(Economist’s View, June 28, 2017)


クリス・ディロー(Chris Dillow)のブログ記事より。

Why libertarians should read Marx” by Stumbling and Mumbling

「わざわざマルクスを読む気にはなれない」と語るのはクリスティアン・ニーミエッツ(Kristian Niemietz)。そんな彼を説き伏せてみようと思うが果たしてうまくいくかどうか。

本題に入る前に指摘しておくべきことがある。それは何かというと、ニーミエッツも含めたリバタリアンの面々はマルクスの意外な面を知って驚かされることが多いに違いないということだ。例えば、マルクスは計画経済について驚くほどわずかしか語っていない。計画経済を是とする議論を聞きたければむしろ右派のヒーローたるロナルド・コースにお伺いを立てるべき(pdf)なのだ。また、マルクスはある面で資本主義を讃えてさえいる。『共産党宣言』の中から引用すると、資本主義は「商業の計り知れない発展」を支え、「エジプトのピラミッド、ローマの水道、ゴチック式の大聖堂をはるかにしのぐ驚異を成し遂げた」というのだ。まだある。マルクスが「事実」に対して大いに注意を払っていることを知ればきっと驚くに違いない。『資本論』第一巻の最初の何章かを読み終えればその後には膨大な量の実証研究の山に出くわすことだろう。さらには、マルクスと社会民主主義者との間には多くの違いがある――その中でも特に重要な違いはマルクスは(社会民主主義者とは違って)国家統制主義者ではないという点だ――ことにも触れておくべきだろう。

次に指摘しておくべきはマルクスと結び付けられるアイデアの多くは先人の思想を精緻化したものという面が強いということだ。例えば、ポール・サミュエルソンはマルクスを指して「地味なポスト・リカーディアンの一人」と呼んでいる。労働価値説にしても、階級間の所得分配だとか利潤率の長期的な低下傾向だとかに対する関心にしても、マルクス主義的であると同時にリカード主義的とも形容できるのだ(利潤率の低下傾向(pdf)は近年の低成長や設備投資の低迷を説明する格好の要因の一つだと思われるが、今回はこの点については深入りせずに済ませるとしよう)。

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき理由をまとめると以下の三点に集約されるのではないかというのが私の考えだ。

まず一つ目の理由。マルクスは経済の歩みを歴史的なプロセスとして捉えようとした。マルクスにとっての重大問題の一つは「世に蔓延るあれやこれやは一体どこからやってきたのか?」というものだった。

・・・(中略)・・・

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき二つ目の理由は所有権の形態と技術進歩との関係に関するマルクス流の考えにある。

・・・(中略)・・・

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき三つ目の理由は「自由」に対するマルクスの姿勢にある。

・・・(中略)・・・

まとめるとこう言えるだろう。リバタリアンの面々がどうしてマルクスを読むべきなのかというと、己の考え(リバタリアニズム)を磨き上げる助けになるに違いない疑問をマルクスから引き出すことができるからである。一部の層の所有権を侵害する(否定する)結果として成り立つに至った資本主義というシステム。そのシステムを擁護すると同時に(資本主義というシステムの内側で暮らす)一人ひとりの所有権を守れと訴える。そんなことって可能だろうか?(辻褄が合っていると言えるだろうか?) 「自由」に対する世人(一般大衆)の支持を取り付けるにはどのような物質的な生活環境(下部構造)が必要となるだろうか? 新しいテクノロジーは世人の思想(信念)の形成にいかなる影響を持つだろうか? 現状の市場構造(その具体的な有り様は政府によって規定されることは言うまでもない)は経済成長の促進につながるだろうか? その答えが仮に「ノー」だとすれば、現状の市場構造を変えるにはどうすればいいのだろうか? 現状の市場はあくまで「形式的な自由」を保障するに過ぎないのだろうか? それとも市場は「実体的な自由」――マルクスが追い求めた自由―― [1] … Continue readingの拡張にも貢献しているのだろうか? 市場を「実体的な自由」により一層親和的な方向に持っていくことは可能だろうか? 市場は「自由」の享受を約束する舞台なのだろうか? それとも一方の階級が他方の階級を搾取して抑圧する道具に過ぎないのだろうか? 等々。

論敵の立場を劇画化して嘲るような党派心から距離を置きさえすれば、マルクスの残した仕事にじっくりと向き合うことでリバタリニアニズムの彫琢という対価が得られるに違いないと思われるのだ。

*『資本論』第一巻の読み方としてはまずは10章からスタートしてそこから順番に読み進め、最後まで目を通したら1章に戻る(1章から順に9章まで読む)というのがお薦めだ。

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1 訳注;「実体的な自由」が保たれている状態=一人ひとりの人間が己の潜在的な能力を高められる機会(あるいは自己実現や自己表現の機会)が保たれている状態、という意味で使われている。
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