メンジー・チン「財政政策の再検証」

Menzie Chinn “Fiscal Policy Re-Assessed”(Econbrowser, March 12, 2014)


下はラフォレット・ポリシー・レビューに掲載した文章からの引用

2010年に大不況の魔の手が世界経済から離れつつあったとき、新たに政権の座に就いたイギリスの保守・リベラル政府は、国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率を安定化させること目的として財政再建策、すなわち増税及び政府支出の大幅な削減に乗り出したが、その一方で経済成長を急かしていた(中略)

(前略)政府のサイズを小さくし、政府借入を減らすことは、民間部門による力強い回復を引き起こすためのリソースを解き放つことだと思われていた。アメリカでは、総需要を刺激するため、オバマ政権は増大していた支出を2011年を通じてそのままに保った。キャメロン政権の予測とは対照的に、またオバマ大統領の経済政策の反対者の見方とも対照的に、アメリカの一人当たり所得はゆっくりとではあるが堅調に回復を続けたのに対し、イギリスの一人当たり所得はしぼんでしまった。まさにイギリスは新たな不況へと突入してしまったのだ。

この二つの経済、そして二つの財政政策の二都物語は、引用した文章の図1を見るとその違いがよく分かる。

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図1:アメリカ(青)とイギリス(赤)の一人当たり実質GDPの対数,2007年第3四半期=0。出典:米商務省経済分析局、英国家統計局及び著者の計算による。

成長率と財政刺激策の指標、すなわち景気循環調整済みの財政収支についてのより幅広い国家間比較をすると何が分かるだろうかと思う場合、図2を見るだけで足りる。

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図2:2010年から2012年にかけての先進国の累積GDP成長と、潜在GDPに対する景気循環調整済みの基礎的財政収支の割合の変化。出典:国際通貨基金「World Economic Outlook October 2013 database」と著者の計算による。

両者の関係は統計的に有意で、かつマイナスの相関だ。つまり、2010年から2012年にかけての期間に財政再建へと乗り出した国は、成長の鈍化を経験した。回帰係数は-1.10(ホワイトの頑健標準誤差を使ったt値は5.7)だ。つまり、構造的財政収支(の潜在GDPに対する割合)が1パーセンテージ・ポイント上昇するごとに、実質GDP成長は1.1パーセンテージ・ポイント低下するということだ。この結果の例外はギリシャだけだ。

前述したマイナスの相関は財政再建の期間に当てはまる。不況と回復を迎えた2009年から2013年というより長い期間について調べると、傾きの係数は-1.43まで(絶対値で)上昇する。基礎的構造的財政収支(構造的財政収支から利払いを除いたもの)の変化を使用する場合、傾きの係数は-1.52まで(絶対値で)上昇し、依然として有意だ。一部からは、ユーロ圏の国はそれぞれ独立したサンプルではないのだから除外すべきだと主張がなされた。ユーロ圏の国全てを取り除くというのは私にはやや極端に思えるが、それをやったとしても(そして都市国家であるシンガポールと香港も除外しても)依然として -0.85というマイナスの係数となり、p値も0.002で統計的に有意だ。修正R2は0.33だ。(サンプル全体の修正R2である0.22よりも高い!)

こうした結果の全ては、財政政策の有効性は限定的であるという大不況以前に支配的だった一応の合意をかき乱すものだ。以下は再び先の文章からの引用だ。

1990年代とその次の世紀の最初の10年間には、ニューケインジアン・アプローチと呼ばれる、ケインジアンとリアル・ビジネス・サイクルの合成が脚光を浴びていた。ニューケインジアンモデルといっても様々だが、粘着的(あるいは短期においては無反応の)賃金と価格という共通した特徴を持っていた。2008年から2009年の大不況の前夜においては、ニューケインジアン的な考え方がマクロ経済政策分析を支配していた。これらのモデルでは、金融政策は産出に対する影響を緩和するのにほとんど効果がないと示されており、うまく定義されたルールの組み合わせ、つまりは裁量をなくした制約的な金融政策が最良の結果をもたらすと事実上述べていたのであった。財政政策に対するニューケインジアンモデルの含意は大部分が未検証だった。それは主に、(議会による行動が必要となる)政府支出と税の変化では、経済の安定化を必要な時期に間に合う形で達成するのは非常に困難だという通念があったからだ。

したがって、大不況の前夜においては、マクロ経済学の主流は心地よい場所に落ち着いてしまっていたように思える。つまり、基本的なモデルについてはまたしても見解は一致していて、意見対立はパラメーターの値巡るものだったのだ。しかしながら、その効果を一番高く見積もったモデルにおいてさえ、金融政策と財政政策の効果は控えめなものであると示していた。

そして、2009年の一連の財政刺激策に関する激しい議論によって、コンセンサスという幻想は霧散させられたのだった。

なぜコンセンサスは間違っていたのだろうか。

政府支出の効果は比較的小さいという見方は、ケインジアン的な考え方の分析家とニューケインジアン的な考え方の分析家双方が共有していた。この見方が間違いとなった一つの理由は、専門家たちがそれを「平時」に基づいて考えていたからだ。しかし少なくとも次の3つの理由から、その時は平時ではなかった。

  1. 短期金利は5年以上に渡ってゼロ近傍に張り付いていて、つまりはゼロ下限と呼ばれる状態にあった。
  2. 不景気の規模は、第二次大戦以降に起きた他の不況よりも遥かに深刻なものだった。
  3. 金融システムは深刻な機能不全にあった。

この3点については、ニュー・パルグレイブ経済学辞典財政乗数の記事 (本ブログでのエントリはここ)でそれぞれ詳細に議論している。

引用先の記事は次のように締めくくっている。

大不況から5年、経済学の世界の様相は10年前と大きく異なっている。主流派マクロ経済学の思想では、過去20年間における堅実な成長と低インフレという環境は、普通のこととして見なされていた。そして、金融システムは資産ブームとその破裂に対して着々と頑健になっていると思い込んでいた。そしてそうした思い込みが大きな間違いであったことが証明され、したがってそうした経済理論から導かれていた結論の多くを再検証しなけれなならなくなったことは何ら驚きではない。

そうした再検証に対する経済学者の抵抗の仕方を考えてみるのも面白い。彼らの反応は、大抵の場合図2で示されている相関に対しては向かわない。また、負の供給ショックに基づくリアル・ビジネス・サイクルの解釈からすると上がるはずの価格と賃金の水準(このエントリを参照)が、なぜ大不況の際に大概において下がったのかを対する反論もあまりない。それよりもむしろ、財務省的な見方、すなわちある一つの部門における活動の増大という形をとる財政刺激は、同じだけの民間部門の活動をクラウドアウトしてしまうという考えへの訴えかけがあるように思う。そうした主張は大抵格言めいた言い方でなされる。そうしたものよりも数学的に洗練されたアプローチでは、異時点間の限界代替率と労働の限界生産性の間の楔、つまり「労働の楔(labor wedge)」は、施行済みないし予定されている課税によるものだと主張される(だから2007年の不況の始まりは、2009年に始まった次期オバマ政権の初期政策のせいだと非難できる)。ビジネス・サイクル・アカウンティングのアプローチに対する更なる洞察については、将来のエントリにて。

引用した文章の全文はここから読める。

3月13日追記:読者の一人である英国ネズミから、イギリスにおけるインフレの上昇は総需要的な議論に対する反論となるのではないかというコメントがあった。データをざっと見てみると、図3にあるようにGDP成長の下降期にインフレも下落している。

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図3:対前年比実質GDP成長(青)、GDPデフレーターによるインフレ率(赤)、CPIによるインフレ率(緑)、PPIによるインフレ率(紫)。不況期は灰色の影で示してある。出典:2014年3月13日付IMF「International Financial Statistics」

インフレと経済活動の連動した動きは、供給側のよりも標準的な需要側の解釈と整合的なように思う。

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