ラルス・クリステンセン 「カルヴァン主義経済学 ~経済問題を道徳劇に見立てる愚~」(2011年10月20日)

●Lars Christensen, “Calvinist economics – the sin of our times”(The Market Monetarist, October 20, 2011)


数日前に、同僚の一人とギリシャの経済情勢について意見を交わしていた時のことだ。私は、概ね次のように語った。ギリシャ政府は、支払い不能(insolvent)に陥っていて、遅かれ早かれ何らかのかたちでデフォルト(債務の不履行)を宣言せざるを得ないのは誰の目にも明らかだ。それなのに、債務の返済を求めて、ギリシャ政府に財政緊縮をもっと徹底するよう圧力をかけるのは馬鹿げている。支払い不能であることが明らかなギリシャ政府にさらにこれ以上国債を発行する(借金を重ねる)よう求めるのと同じくらい馬鹿げている。

私の意見を聞いていた同僚は、次のように語った。ギリシャ政府は、「借りたものをちゃんと返すべき」であり、「債務の不履行なんて決して許してはならない。ギリシャ政府にデフォルトを許してしまえば、周りもそれを真似してしまう」。これは経済学的な議論ではなく、道徳的な議論だ。私は、咄嗟にそう感じたのだった。

私は決してケインジアンじゃないし、財政緊縮はギリシャにとって必ずしも悪いことだとは思わない。しかしながら、「カルヴァン主義経済学」(Calvinist economics)とでも呼べる発想には強く異を唱えるつもりだ。カルヴァン主義経済学は、ここにきてその影響をますます強めてきているのだ。

ギリシャをはじめとした各国は、「罪」を犯したのであって、今後はそのことを懺悔して罪を償う必要がある。カルヴァン主義経済学の中心には、そのような発想が控えている。ギリシャ政府が財政緊縮に乗り出すのに遅れたのは確かだし、数字を誤魔化して、財政赤字の規模を小さく見せていたのも事実だ。しかしながら、宗教じみた道徳を振りかざして経済問題を論じるというのも、それはそれで考えものだ。一国の政府が支払い不能に陥るということは、債務を返済する余裕がないということだ。そうなってしまった以上は、債務の再編に向けて合意を探った方が、借り手である政府のためにもなるし、貸し手(国債の買い手)のためにもなる。これは、経済学の初歩的な教えである。「正しい」とか「間違い」とかいう問題ではなく、単純な算術の問題なのだ。借金を返済する余裕がなければ、どうやったって返しようがないのだ。極めて単純な話だ。

カルヴァン主義経済学は、金融政策の分野でも幅を利かせている。ディスインフレ傾向ないしはデフレ傾向が鮮明なのにもかかわらず、世界各国の中央銀行は金融緩和に踏み切るのをためらっているが、それはなぜなのだろうか? 経済情勢に関する経済学的な分析から導かれた結論・・・なのではなく、金融緩和は道徳にもとる(不道徳な)行為だという発想がその主たる理由なのだ。カルヴァン主義経済学の信奉者たち(「カルヴァン主義者」)が金切り声をあげて叫ぶ。「金融緩和に乗り出せば、必ずやまたバブルがやって来る。バブルを引き起こして、投機家たちを儲けさせるような真似はしてはならない!」

「カルヴァン主義者」が犯している過ち、それは、支払い不能に陥った政府によるデフォルトや中央銀行による金融緩和をモラルハザードと同一視していることだ。

例えば、中央銀行に2%のインフレ目標が課せられていて、足もとのインフレ率が1%を下回っているとしよう。そんな中で中央銀行が金融緩和に乗り出すと、それに伴って資産価格が上昇し、「投機家たち」――不動産のオーナー、銀行、株式投資家など――を利する結果になるかもしれない。「カルヴァン主義者」は、そうなることを道徳的に許すまじ悪だと見なすわけだが、金融緩和に乗り出した中央銀行は、インフレ目標を達成するためにやるべきことをやったに過ぎない。金融政策の役割は、何が「公平」で何が「公平でない」かを判断することにはない。物価なり名目GDPなりを安定させて、投資家や労働者や企業や消費者が市場で意思決定を行いやすくする環境を整えるのが金融政策の役割なのだ。

「カルヴァン主義者」は、「このままだと、日本みたいになってしまうぞ」だの、「世界経済は、今後10年は停滞を続ける」だのとしきりに警告を発する傾向にあるが、警告通りにならないことを望んでいるわけではなく、むしろ警告通りになるのを望んでいるかのように見える。罪を犯してしまった以上は、その償いをせねばならぬというわけだ。興味深いことに、「カルヴァン主義者」として振る舞っている連中は、昔からずっとそうだったわけじゃなく、2005年~2006年当時は「カルヴァン主義者」なんかじゃなかった。世界経済が過熱気味であることを警告する声なんてどこ吹く風で、ブームの旗振り役をせっせと務めていたのが彼らなのだ。アル中(アルコール依存症)だったけど、改心したクリスチャンみたいなものなのだ。

最後に、私の立場をはっきりさせておこう。私は、政府が特定の企業を(公的資金を投入して)救済するのには賛成できないし、財政緊縮には何が何でも反対というわけじゃない。インフレは避けるべきだとも思っている。しかしながら、私のそのような判断は、経済学的な分析に支えられているのであって、宗教じみたドグマに支えられているわけではないのだ。

(追記)経済史を学んだことがあるようなら、1930年代に金本位制にしつこくしがみ続けていた国でカルヴァン主義経済学が隆盛を極めていた事実にふと思い当たることだろう。ピーター・テミン(Peter Temin)が「金本位心性」(“Gold Standard mentality”)と呼んだのがそれにあたる。1930年代のフランスやオーストリアでは、金本位心性が国中に蔓延っていたが、その結果としてどのような事態が待ち受けていたか? オーストリアでは、1931年に銀行危機が発生し、1938年には政府債務のデフォルトが宣言された。そして、同じ1938年に、ナチス・ドイツによって併合された。すなわち、オーストリアは、独立国家としての地位を失うことになったのだ。カルヴァン主義経済学の虜(とりこ)になった国の無事をただただ祈るばかりだ。カルヴァン主義経済学は、国家を破滅へと誘う可能性を秘めているのだ。

(追々記)「君が言っているのと似たような話を、グスタフ・カッセル(Gustav Cassel)も語ってるよ」とダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)が親切にも教えてくれた。カッセルは、「カルヴァン主義」ではなく、「ピューリタン」という表現を使っているそうだ。マーケット・マネタリストは、ニュー・カッセリアン(New Casselian)でもあると言えるのかもしれない。

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  1. オーストリアは芸術にうつつを抜かしていたのだからしょうがない。
    芸術家が国の危機に守ってくれるか?
    ギリシャもおなじようなもの。

    最近、流行している”Capital in the 21 century”という本を読んでいるが、
    資本層は労働費を安くする傾向にあるとのこと。

    日本においても自衛隊が、医者が、技術者が、運転手が安く利用されるだけなら
    滅んでもしょうがないと思う。
    世界共通の例として、カルバンよりも、古い時代である聖書にはそういったことが書いてあるのでは?

    朝日新聞をはじめとしたジャーナリスト、芸術家、公務員、経済評論家、投資家、アクチャリー、ブロガー、証券会社員・・・
    そういった人が国を守ってくれるか?

    ギリシャの危機は国にとってためになる人、ならない人を炙り出す一種の指針になると思う。

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