ラルス・クリステンセン 「現在のドイツとギリシャの関係は1930年代のフランスとドイツの関係を彷彿とさせる」(2015年2月13日)

●Lars Christensen, ““Now the enriched country merely declares it is insolvent and spits on Its victims.””(The Market Monetarist, February 13, 2015)


経済・金融問題を報じるメディアの見出しを目にするたびに1930年代の出来事を思い出さずにはいられない日々が続いている。国家間の地政学的な関係にしてもギリシャ新政府とEUとの間の債務交渉にしても1930年代の出来事とオーバーラップするのだ。

現在のギリシャが置かれている経済的・政治的な状況を眺めていると1930年代初頭にドイツが置かれていた状況とあまりにそっくりでびっくりするばかりだ。その一方で、現在のドイツで見られる光景――ドイツ国内のメディアの論調やドイツ政府の姿勢――は1930年代初頭にフランスで見られた光景と瓜二つときているのだ。

1931年当時のドイツはデフレを伴う深刻な危機の最中にあり、民間部門においても政府部門においても債務は日増しに増えるばかりだった。縛りのきつい通貨レジーム――金本位制――のおかげでドイツ経済は息も絶え絶えとなっており、ドイツ国内では左右両翼の過激派政党が国民の支持を徐々に集めてその勢力を伸ばしていた。そのような中でフランス政府は強硬な姿勢を貫き、妥協の余地を一切見せないでいた。ドイツが抱える問題は自ら招いたものだ〔それゆえ、自分の力で解決せよ〕というのがフランス政府の立場だった。フランス政府がドイツ政府に突き付けた答えはさらなる財政緊縮 [1]訳注;財政赤字の削減に向けた歳出カットないしは増税であり、債務条件の見直しをめぐって交渉が持たれる余地はなかった。金融政策の変更という解決策の存在は誰の頭にもよぎらなかったようである。

ユーロ危機の解決策を見出したければ1930年代の出来事をつぶさに調べることだ。そうすれば多くのことを学べるに違いない。ドイツの新聞記者は1930年代初頭にドイツ国内の新聞でフランス政府の姿勢についてどう報じられていたかを見返してみるといいかもしれない。そしてその次にここ最近のギリシャ国内の新聞を手にとってドイツ政府の姿勢についてどう報じられているかを確認してみるといい。その上で両者の論調を比べてみるといいだろう。

あるいは1931年当時のフランスのメディアがドイツについてどう報じていたかを調べてみるという手もある。ほんの一例を以下に引用しておこう。

ドイツ政府は不誠実極まりない破産を企てている。(フランス国内で発行されている)ラントランシジャン(L’Intransigeant)紙はドイツ政府の姿勢をそう報じている。「ドイツ政府は1923年に債務を一旦完済した後に海外からの短期借り入れを増やし、その借金を元手に長期投資に乗り出した。そして借りたお金は返せなくなったという。借りたお金で富を築いた矢先に『支払い不能に陥りました』と声高に宣言して犠牲者たち(債権者)につばを吐きかける始末ときているのだ。」

最近のビルト(Bild Zeitung)紙を開けばギリシャに関する似たような記事がきっと見つかるはずだ。

1931年当時の状況と今現在の状況がいかに似通っているかを知りたければ新聞のアーカイブを漁って1931年当時の記事を眺めてみることをお薦めする。1931年当時のフランスとドイツとの関係が今現在のドイツとギリシャとの関係と重なって見えてくることだろう。そういう記事を見つけたら是非とも教えて欲しい(メールはlacsen@gmail.com宛てに送って欲しい)。喜んで紹介させてもらうことにしよう。

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1 訳注;財政赤字の削減に向けた歳出カットないしは増税
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