振り返り見た90年代貿易と賃金論争

VoxEu, 2018年4月15日

Adrian Wood、オックスフォード大学国際開発教授

概要: 20年前、経済学徒は、途上国との貿易は先進国の非技能労働者への深刻な害とはなっていないと結論づけた。このコラムは、このコンセンサスを生み出した論争が早すぎる終わりを迎えたのだと主張する。現在ですら、先進国の低教育層の経済的不運へのグローバリゼーションの影響の度合いについては、どんなはっきりした結論であれ出せる証拠はない。そして、もし経済学者の中でのコンセンサスがより弱かったならば、グローバリゼーションの社会的コストを下げる為により多くのことがより早く行われていたかもしれないのだ。

経済学者を含む(例えばColantone and Stanig 2017)一部の人々が最近のポピュリズムの激震-ブレキジット、トランプ、ルペン、AfD-をグローバリゼーションが先進国の労働者へ及ぼした被害の故であるとしている。また別の経済学者(Helpman 2017はその一つ)はこの主張を否定している。これらの事が経済学者の中で20年も前に起こり、そして解決したかに見えた論争を復活させている。1990年代に経済学徒は間違ったのだろうか?私はこの問題を新しい論文で考察してみた (Wood 2018)。

1990年代の論争

一部の経済学者は1980年代の大半の先進国における低技能労働者への相対需要の低下をヘクシャー・オーリン(HO)貿易理論を使って説明した。彼らはこの低下を、工業製品についての先進国-途上国(北―南)貿易での障壁の低下に帰していた(Leamer 1993 and Wood 1994)。別の貿易経済学者や労働経済学者はこの結論に異を唱えて、代わりにコンピュータの普及も含めた技術の役割を強調した(Krueger 1993)。この意見の対立が更なる経済分析の洪水を引き起こした (Cline 1997とFeenstra and Hanson 2001がサーベイを行っている)。

2000年までにこの論争は終結していた。主な要因はスキル偏向的技術変化であるというコンセンサスに大半の経済学者が賛同していた。このコンセンサスは新しい技術の効果についての直接的な証拠によって形成されたというわけではない。そうではなくて、経済学者が貿易による説明を疑ったのだった: はたして南との貿易は労働市場の結果を左右するほど大きいのかどうか、そして財価格、セクター内でのスキルの集約度、そして南の国々での相対賃金の動きがHOの物語に沿うのかどうかについて(Krugman and Obstfeld 2006, Autor et al. 2016, Pavcnik 2017)。

1990年代の論争は経済研究の新しい分野を生み出したことで長期的な成功も収めた [1]EconLitは、この議論の間に生み出されたF16 JEL trade and wageに書籍約1000冊と2400の論文を数えている。 。しかしながら、この論争のどちらの側の経済学者もグローバリゼーションのインパクトについて不完全な理解しかもっていなかった。学ばねばならない事があまりにもあったのであり、アカデミックな観点からはこの論争は早すぎる終わりを迎えたわけである。

振り返ってみると、経済学者はHO理論に目を眩まされていたのだった。貿易が賃金に影響を及ぼす他のメカニズムへ充分な注意が払われていなかったし、それにHOは労働移動が国内ではコストのかからないものであると仮定しているが、これが不運にも経済学者に特定の地域がしばしば貿易拡大の社会的コストの大半を背負うことを忘れさせてしまった(Autor et al. 2016)。

その後の証拠

1990年代以降、先進国の低教育層の経済状況は悪化を続けた。これは相対賃金に注目していた当時の論争の中で考察されていたよりも多くの領域で起きていた。トップ1%の総所得におけるシェアは劇的に上昇し、GDPの労働のシェアは低下し、製造業での雇用機会はさらに低下し、非正規の雇用契約が正規の雇用にとって代わり、「悲嘆からの死」(訳注:この記事を参照) が急増した。

今、我々はまた、グローバリゼーションがこの悪化にどの程度の役割を果たしたのか議論している。国際機関の公的な見解は、そして多くのアカデミックな経済学者にも受け入れられているものは、グローバリゼーションは脇役でしかないというものだ。かれらは低技能の労働者は主に技術の進歩と上昇する生産性から被害を受けたとしている(IMF-WB-WTO 2016, OECD 2017, Helpman 2017)。しかし、1990年代同様、この立場を支持する証拠は欠けているのである。

____表1 北の労働需要への南北貿易のインパクト、2011年

出典:Wood (2018)

論文において、私は南(すべての非OECD加盟国)の工業製品とサービスの輸出の北(全てのOECD加盟国)における労働需要へのインパクトの生産要素量の推定(2011年)を計算した。表1はそのベースケースを表している。南からの輸入は製造業における労働需要を1800万職分減らしており、これはAcemoglu et al. (2016)によるアメリカと中国だけについての広く引用されている推定とだいたいマッチしている。その反対の北から南への工業製品輸出が埋め合わせてくれるのはたった600万職だけで、これは輸出される製品が輸入品よりも労働集約度が低いためだ [2]Feenstra et al. … Continue reading

南の非一次産品輸出は製造業とサービスでの総労働需要について経済全体での雇用をたった2%減らすだけだが、そのスキルの構成についてはより大きな効果を持っている。技能労働(大学教育を意味する)への需要は、低技能労働と比べて、製造業とサービス双方で増加し、経済全体での技能労働への相対需要を9%高めている。この上昇は、「技能」の定義を高卒まで拡げるか、「北」の定義を1990年時点でのOECD諸国にまで狭めると、更に大きくなる。

製造業での約1200万職と推定される低下は1985年から2014年の間のOECD諸国での1800万の実際の低下と比べられるものだ。この低下の3分の2は2000年以後、中国の輸出が大きく増加してから起こったものであり、南北貿易の影響と整合的である。しかし、貿易によって引き起こされた大卒者への相対需要の増加の推定は実際の増加の半分以下である。その大半は2000年以前に起こっており、南北貿易の時系列とは異なっている。

この生産要素量の計算は、南との貿易の増加は北の労働市場にかなりの影響を及ぼしたという事を示している。それでもこれは北の低技能労働者の状況の悪化の大半を説明できないのだが、しかしこの計算はグローバライゼーションがインパクトを持ちうる多くのチャンネルを考慮していないのだ。

重要なチャンネルの一つが、労働を置き換えるタイプの技術の改善を貿易が促進する事であって、これはBloom et al. (2016)やPierce and Schott (2016)の実証研究の結果によって示唆されている。また別のものは、製造業とサービスにおける北の技術のオフショアリングである。これは南から北への輸出の成長に大きく貢献した(Baldwin 2016)だけでなく、北にいるその技術の所有者達を豊かにした。このようなルートが、北におけるトップ1%のシェアの上昇と、労働のシェアの低下につながった [3] … Continue reading

北の一般の人々の経済状況の長期的な悪化には確実に他の要因もあっただろうが、グローバライゼーションがマイナーな役割を果たしただけだと確信を持つ事は出来ない。現状の証拠からすると、より確信の持てるポジションは、その役割がどれほど大きかったかまだ分からないというものだ。

政策決定者はミスリードされたのか?

1990年代の貿易と賃金についての論争は、より大きなアカデミックの研究プログラムの為の第一段階だった。しかしより重要な事は、その論争から生み出されたコンセンサスが社会において助けとなったのか、害を及ぼしたのか、だ。

論争のこの結末はなんの変化も及ぼさなかったとも言い得る。登場人物たちは、原因については一致していなかったものの、対応する為の政策については大枠で一致していたからだ。それは、技能労働者の供給を増やし、低技能労働者への需要を増やし、そして利益を得ている者から不利益を被っている者への再分配を行うというものだった。更に、これらの政策対応は全て利益を得ている者へのより高い税を必要ともしていたが、その為に必要な政治的サポートはなかったわけでもあるので。

政策決定者達は正しい方向へのステップをいくらかは踏んだ。例えば合衆国におけるthe Earned Income Tax Creditのように。しかし、最近の政治的イベントが示したように、多くの一般の人々の、経済的・社会的に取り残されていっているのではというちゃんと根拠のある心配に対処するのに充分な程ではなかった。

1990年代の論争が別の結末になっていたなら、より多くの事が行われていただろうか?この場合、答えはおそらく「イエス」だ。実際の結末はグローバライゼーションの社会的コストについて正当化出来ない自己満足を生んでしまった。これは1990年代なりその後の低技能労働者の問題の主因がグローバリゼーションであったと信じるかどうかには依存しない。これはグローバリゼーションが大きな負の社会的効果を持つと信じるかどうかだけに依存するし、それはもうほぼ全般的に認められている(IMF-WB-WTO 2016)。

グローバリゼーションは北における不平等の上昇の主因ではないという経済学のコンセンサスは経済決定者が注意をそらす事を促進してしまったし、行動に向けての重要な政治的レバーを使う為の理由、つまり保護主義の恐怖を弱めてしまった。低技能労働者の問題が新しい技術によるものだと信じるのは安心をもたらした。コンピュータを破壊するネオ・ラッダイトのリスクはなかったからだ。もし政策決定者達や自己利益にさとい受益者たちがグローバリゼーションに対しての強力な政治的バックラッシュのリスクを認識出来ていたならば、彼らもより注意を払っていただろう。最終的にはそうなったわけだが、2016年と2017年では遅すぎた。

1990年代の論争の決着が違っていたならよりましな政策が取られていたとしても、しかしそういった政策でも先進国の現在の経済的そして政治的問題を避けるのに充分ではなかったかも知れない。そういった国々での将来の政策的挑戦は1990年代においてと基本的に同じである。経済全体での進歩の原因が何なのであれ、政策決定者たちはその進歩からの利益を広く分配する、経済的そして政治的の両方で上手く働く方法を見つけなければならないのだ。

参照文献

Acemoglu, D, D Autor, D Dorn, G Hanson and B Price (2016), “Import Competition and the Great U.S. Employment Sag of the 2000s”, Journal of Labor Economics 34(S1): S141-S198.

Autor, D, D Dorn and G Hanson (2016), “The China Shock: Learning from Labor Market Adjustment to Large Changes in Trade”, Annual Review of Economics 8(1): 205-40.

Baldwin, R (2016), The Great Convergence: Information Technology and the New Globalisation, Harvard University Press.

Bloom, N, M Draca, and J Van Reenen (2016), “Trade Induced Technical Change? The Impact of Chinese Imports on Innovation, IT, and Productivity”, Review of Economic Studies 83(1): 87-117.

Cline, W (1997), Trade and Income Distribution, Institute for International Economics.

Colantone, I, and P Stanig (2017), “The Trade Origins of Economic Nationalism: Import Competition and Voting Behavior in Western Europe”, BAFFI CAREFIN Centre research paper 2017-49.

Feenstra, R and G Hanson (2001), “Global Production and Inequality: A Survey of Trade and Wages”, NBER working paper 8372. Published in 2003 in J Harrigan (ed.), Handbook of International Trade, Blackwell.

Feenstra, R, H Ma, A Sasahara and Y Xu (2018), “Reconsidering the ‘China shock’ in trade”, VoxEu.org, 18 January.

Helpman, E (2017), “Globalisation and Wage Inequality”, Journal of the British Academy 5: 125-62.

IMF-WB-WTO (2016), Making Trade an Engine of Growth for All: The Case for Trade and for Policies to Facilitate Adjustment, International Monetary Fund, World Bank and World Trade Organisation.

Krueger, A (1993), “How Computers Have Changed the Wage Structure: Evidence from Microdata 1984–89”, Quarterly Journal of Economics 108(1): 33–60.

Krugman, P and M Obstfeld (2006), International Economics: Theory and Policy, 7th edn. (Boston: Addison Wesley).

Leamer, E (1993), “Wage Effects of a U.S.-Mexican Free Trade Agreement”, in P Garber (ed.), The Mexico-U.S. Free Trade Agreement, MIT Press.

OECD (2017), Employment Outlook 2017.

Pavcnik, N (2017), “The Impact of Trade on Inequality in Developing Countries”, CEPR Discussion Paper 12331.

Pierce, J, and P Schott (2016), “The Surprisingly Swift Decline of US Manufacturing Employment”, American Economic Review 106(7): 1632-62.

Wood, A (1994), North-South Trade, Employment and Inequality: Changing Fortunes in a Skill-Driven World, Oxford University Press.

Wood, A (2018), “The 1990s Trade and Wages Debate in Retrospect”, The World Economy 41(4): 975-99.

References

References
1 EconLitは、この議論の間に生み出されたF16 JEL trade and wageに書籍約1000冊と2400の論文を数えている。
2 Feenstra et al. (2018)は中国からの輸入の効果と全ての国々への輸出の効果を比べて、合衆国製造業雇用についてすこしマイナスが小さい結果を出している
3 別の大きなチャンネルとして人気のある移民の増加は、おそらく比較的小さな役割しか果たしていない。国際的な人間の移動への制約は、財、サービス、資本そして技術の国際的な移動に対してよりもはるかに厳しい。
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