Cagé et al.「英雄と悪漢:影響力ある有名人ネットワークがいかにして世界屈指の民主主義体制の崩壊と人種差別的かつ権威主義的国家の正当化に寄与したか」(2021年1月17日)

[Julia Cagé, Anna Dagorret, Pauline Grosjean, Saumitra Jha, “Heroes and villains: How networks of influential individuals helped destroy one of the world’s most durable democracies and legitimise a racist, authoritarian state,” VoxEU, January 17, 2021]

要旨

合衆国のキャピトルヒルで今月おきた出来事を彷彿とさせる重大局面が歴史上にはいくたびか起きている.そうした局面では,退役軍人や政治的英雄までもが国家に反抗する暴徒たちに加わっていた.このコラムでは,フランスにおける極右支持者やナチ協力者たちに関する新しい証拠を利用して,軍事的英雄などの影響力ある人々の外生的ネットワークによって民主的価値観がいかに損なわれうるかを示す.「オーバートンの窓」を広げてそれまで極めて不快だと思われていた考え方をまともなものに思わせるうえで,英雄たちは特別な立場にある.そうしたアイデンティティを共有する人々の社交ネットワークは,この影響を伝播し強化して,思想信条への傾倒を深め政治的立場を固くしバイアスの修正をいっそう難しくすることにつながりうる.


数千人もの規模で大挙して右翼集団が上院議事堂に乱入した.彼らは実に多種多様な記章を身につけ,さまざまな旗印のもとに集っていた.そのなかには,極右もいたし,人種主義団体を自認する者たちもいた.なかには,極右メディアで広められた国家陰謀論を信じる者たちもいたし,僅差で与党に選ばれた左翼政権の弱体化・瓦解をもたらせる力を誇示しようとする者たちもいた.彼らのなかには,左翼政権すなわち共産主義とイコールで結んでいる者たちもいた.さらには,反ユダヤ人を掲げて行進する人々もいた.

こうして記述してみると,2021年1月6日にワシントンDCで起きた出来事と対応している点が一目瞭然だ.だが,1934年2月6日にパリの上院議事堂前でフランスの警察が暴徒たちにとった対応は,合衆国の国会警察のそれよりもずっと攻撃的だった.一部の論者に言わせると,これは警察側のパニックぶりを反映していたのだという.警察は発砲しデモ参加者のうち14名が射殺され,236名が負傷した.この出来事を左翼はクーデター未遂だと考え,右翼は自由のための殉教者をともなう政府による抑圧の象徴だと考えた.こうしてフランスの「内戦」が始まった.来るべき危機の予感が高まるなかで,国は深刻なほど弱体化した (Jackson 2001).それから6年後,世界屈指の歴史を誇った民主主義体制のひとつが自殺する.議員たちはフィリップ・ペタン元帥を首班とする独裁制に自分たちの権力を譲り渡す決議を行った.第一次世界大戦でヴェルダンの戦いの勝利で趨勢を変えてフランスを救った功績を称えられていた英雄ペタンが,権威主義的かつ人種差別的ヴィシー政権の首班となり,1944年のフランス開放までナチ・ドイツと協力してゆくこととなる.

1940年にフランスが壊滅的な軍事的敗北を喫したのは,物語のはじまりにすぎなかった.むしろこれは,民主主義の価値観をそこなうにいたる底流を示す症状の一端だったと言えよう.同年にナチの手に落ちた他の民主主義国家と異なり,フランスでは,国民に選出された議員たちが亡命して正統政権を樹立するのを選ばなかった.そのかわりに,フランスの「国の一新」をはかるために必要な対価として民主制を手放すべきだと,多くの議員たちは信じていた.

これまで蓄積されてきた研究文献では,1930年代ドイツをはじめとして,短期的な機会主義を名目にして権威主義体制を目指す者たちが合法的に権力を掌握するのを制度の門番たちが許したとき,おうおうにして若い民主主義国家の崩壊が起きていたことを指摘している (e.g. Levitsky & Ziblatt 2018).だが,苦難を生き延びるほどに民主制国家はいっそう立ち直る力を強めていく傾向がある.研究者たちのなかには,この復元力を強めるのに市民たちのあいだに民主主義の価値観が浸透することが大きな役割を果たしていると強調する人々もいる (Besley & Persson 2019).だが,それまで頑健だった民主主義国家であっても民主主義の価値観への支持がいかにして浸食されるのかは,それほどよく知られていない.本稿では,民主主義の価値観が浸食されるのを防ぎ政治的二極化の度合いを低くするうえで,政治的影響力を発揮しうる人々の社会経済的ネットワークが根を張ることの理解が重要だと論じる.そして,歴史上,そうしたネットワークが台頭しうる共通の環境となっているのは,ヒロイズムの共有だ.

新たな論文で  (Cagé et al. 2020b),フランスで政治的影響力のある人々の外生的ネットワークをうみだした自然実験を我々は利用した――第一次世界大戦の趨勢を変えた1916年のヴェルダンの戦いで,ペタンの直接指揮下によるフランス軍連隊の系統的な「水車式」ローテーションにより,戦時の英雄たちどうしに階層的なネットワークがうまれた.ペタン率いるヴィシー政権期(1949~44年)の自由フランス軍諜報が収集した極右支持者・協力者たち 95,314名以上に関するデータが近年になって機密解除されたのを利用して,我々はこの英雄たちのネットワークをデータセットに関連づけた.[n.1]

英雄たちの外生的ネットワーク:ヴェルダンの戦いにおける連隊のローテーション

第一次世界大戦において「スターリングラード」に相当するヴェルダンは,フランスの堅固さと抵抗の意志を象徴する存在となった (Jackson 2001).この戦いで,両陣営で30万5,440名を超える兵士たちが戦死した.10ヶ月におよぶ史上最長の戦いで,1分に1名が戦死していた計算となる.[n.2] 古参兵たちのあいだでは,「俺はヴェルダンをやったんだ」(“J’ai fait Verdun”) というフレーズが広く口にされ,それが深く意味するところは,フランス中で理解された (Ousby 2007).

ドイツ軍のヴェルダン急襲は,フランス軍にとって完全な奇襲となり,5日で4名の将軍が解任された.「即断」により,フィリップ・ペタンが指揮官に任じられた (Horne 1962, p.1299.開戦時に,ペタンは58歳の大佐で,これといった業績もなく引退を迎えようとしていた.ペタンがヴェルダンで指揮官に任じられたのは,ひとえに,たまたまそのとき身が空いていた人物だったからにすぎない.フランス全土からかき集められた連隊の指揮を,これといった順番もなく,あちらの連隊からこちらの連隊へとローテーションで任されるなかで(図1参照),ペタンは補給強化と前線の安定化をはかり,そののち,1916年5月に直接指揮する立場に昇進する.12月に戦闘終結が宣言されるまでに,フランスの地方自治体 34,947 のうち,88.7% がヴェルダンに連隊を送り出していた.そのうち,50.1% はペタンの直接指揮下で従軍している.ペタン本人はすでにヴェルダンの英雄という名声を得ており,のちにフランス陸軍元帥となった.

【図 1】 1ヶ月区切りでみたヴェルダンでの各連隊のローテーション,1916年2月~12月.

註記: 左上(2月)からはじまり,右下(12月)まで並べてある.さまざまな連隊がヴェルダンの戦いに送り込まれている.ペタンは2月から5月1日まで指揮した.月ごとに,それぞれの自治体から送り込まれた連隊のうち,全ての連隊(濃い青),一部の連隊(薄い青)がどこにローテーションで回されたのかを示してある.

各種極右政党の支持とナチ協力

第二次世界大戦で大敗を喫すると,フランスを再びドイツから救うべく,ペタンが呼び出されフランスの指導者となった.1940年7月10日,議会は内閣に新憲法制定の権限を与える (Lacroix et al. 2019).まもなく,ペタンは国家元首として全権を掌握する.権力をにぎるや,ペタン体制はすぐに自由主義的制度を解体し,権威主義路線を採用した.1940年10月,ペタンの対独協力姿勢があらわとなり,彼がヒトラーと握手する写真が広く公表された.ペタン体制は急速に極右・人種差別路線をとるようになり,1942年11月にドイツがフランスを完全に軍事占領すると,弾圧姿勢を強めた.ヴィシー政権は民兵団 (Milice) に資金提供し,自由フランスレジスタンスを捕殺させた.

図2 には,機密解除されたファイルに記録されていたナチ協力者たちを1945年時点での所属自治体べつに示し,さらに彼らが大戦中にどの連隊に属していたかを重ねてある.協力者の割合には顕著な地域差がある一方で,そうした割合はペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊を送り出した自治体に偏って高くなっている.こうした無加工データに見られる相違は,回帰分析にかけても頑健だった――ペタン指揮下でヴェルダンを戦った人々の場合には,それ以外の点で類似した同じ軍管区の自治体の人々に比べて協力率が 6.9% 高くなっている.協力といってもその度合いはさまざまだ.極右団体への参加から,深い経済的協力,ヴィシー政権に協力を志願してのユダヤ人狩り・レジスタンス狩り,さらにはナチの敗北が明白だった1944年に第33SS武装擲弾兵師団〔フランス人義勇兵からなるドイツ軍師団〕の一員としての東部戦線に従軍するまでいたる対独協力の度合いをとったとき,そのスペクトラムの全域にこうした影響が見られる.また,ペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊を送り出した自治体では,フランス人レジスタンスの市民参加者を加える確率が 8% 低くなっている.[n.4]

【図2】 人口当たりのナチ協力者の五分位階級に,ヴェルダンの戦いでのローテーションを重ねた図.

フランス最高の英雄たちのなかから実に嘆かわしい悪漢たちが現れたのは,なぜだろうか? 我々は,新規に手作業で収集された投票データを用いて,次の点を示す――第一次世界大戦後の時期に現れて次第に顕著になっていった政治的選択にこうした極端な行動の淵源があり,しかもペタン本人の行動を模倣したものだった.反共産主義であることが広く知られ,ますます権威主義体制への共感を強めていたペタンの言論は,当初こそ退役軍人のグループを主な対象としたものだったが,1936年選挙の直前にはいっそうあからさまな政治色をおびた.ヴェルダンの戦いでペタン指揮下で戦った連隊を送り出した自治体は,1914年時点では他の自治体と政治的に類似していたにもかかわらず,1924年には共産主義者に反対の投票行動を見せはじめ,その後ますます右派に投票するようになっていった(さらにのちには極右に向かうにいたる).とくに,1936年選挙にこれがよく現れている(図3).次の戦争を迎えようとするなかでフランスが深刻な二極化で弱体化していることが,ここにあざやかに浮かび上がっている.

【図3】 フランス議会選挙における右派への投票の割合を,ペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊の出身自治体べつに見た図(1914年,1924年,1936年).

ここで重要な点はこれだ――ヴェルダンの戦いでペタン指揮下で従軍した部隊を出した自治体では右派への投票が(そして後年にはナチ協力が)しだいに増えているのと対照的に,ヴェルダン以前にペタン指揮下で従軍した場合(図4)やペタンの昇進後にヴェルダンで従軍した場合にはそうなっていない.こうしたパターンは,ネットワーク内での政治的影響における相補性 (Milgrom & Roberts 1990) と整合している――ペタンの英雄的業績が及ぼした政治的影響は,ヴェルダンでペタンとともに戦った人々のネットワークをとおして正統化され普及した場合にはいっそう強くなり,さらにペタンが彼らの指導者として英雄視されるのにともなってペタン指揮下で戦った人々の影響力も強まっていったのだ.

【図4】 戦間期の選挙において,ペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊を出した自治体では右派への投票に生じた影響はしだいに強まっていった.他方,ヴェルダン以前にペタン指揮下で戦った連隊ではそうした影響は見られない.

自分たちが献身して戦った共和国の崩壊をヴェルダンの英雄たちが受け入れた理由はおろか,やがてナチの忠実きわまる支持者にすらなった理由も,相補性の存在によって説明しやすくなる.〔ヴェルダンに従軍した人間の視点で考えると〕英雄と称される経歴をもつ他の人々がいまや裏切り者と考えられてしまったなら,自分もまた英雄的経歴の値打ちが下がってしまう.これは,〔ヴェルダンの英雄たちどうしの〕ネットワークでもっとも公的な顔をもつペタンにとりわけよく当てはまる.その結果として,ヴェルダンの英雄たちは自分たちの指導者を支持するインセンティブがいっそう強かった――集団アイデンティティが共通していない人々に比べて,ヴェルダンの英雄たちはペタンに背を向けるコストがより高くついたのだ.さらに,自分たちの英雄としての経歴の値打ちとネットワーク全体を強化する団体やその他の補強装置に参加するインセンティブがヴェルダンの英雄たちではいっそう大きかった.そして,そこに投資すればするほど,ネットワークを放棄するのはいっそう高くつくようになった.

こうしてインセンティブがしだいに強まっていったことで,ナチ敗北が明白になった段階ですらヴェルダンの英雄たちの出身地域がペタンを支持していた理由が説明されるかもしれない.また,対独協力体制が崩壊し,極右政党が禁止され,ペタン本人が国家大逆で判決を下されたあとになってもなお,こうした優先順位やアイデンティティがフランスで存続した理由も,こうしたインセンティブで説明されうる[n.5] .我々の研究が示すように,ペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊を出した自治体では,第二次世界大戦後になっても,冷戦終結にいたるまで長らく右派への投票が平均で 6.8% 高くなっていた(図5)[n.6].戦後フランスの政治的危機の重要局面で,こうした影響はとりわけきわだっている――1958年のアルジェリア戦争,1967~68年の市民暴動,1988年の戦後初めての社会党大統領選出といった局面がそうだった.

【図5】 ペタン指揮下でヴェルダンを戦った連隊を出した自治体において,第二次世界大戦後に行われた選挙で,左派・右派がそれぞれに得た投票に見られる影響(95%信頼区間)

結び

別の国,別の時代に,選挙に不正があったと主張して動員された群衆が武装して国会議事堂の門前に集まった.みずからが指揮した軍警察も政治勢力になっているのではないかと懸念しつつ,指揮官は壇上に登っていき,群衆に語りかけた.武装もなく,ただ一身での行動だった.男が口を開いた――「私を殺したいそうだな.」

「殺すの殺さないのは,私にとっては初めてのことでもない.これまで幾度となく,殺したければ殺せばいいと言ってきた.いまに劣らず殺される理由を欠かなかったときにもそうしてきた.あの頃,私と行動をともにしていた者も,そこにいるだろう.(…)私がいまここにいるのは,政党政府が樹立するまで国家の平穏と名誉を保つためだ――それがどんな政権だろうと,それは私の関知するところではない.だが,虚偽なく,武力によらず,ただ平静な思慮と誠実な決意によってこの国家の法が施行されるのを見届けるのは,私の役目だ.そのために私はここにいる.私はそれをやりとげる.それを理由に私を殺したいという者がいるなら,私はここにいる.私を殺そうという者を,止めるには及ばない.」(Pullum 1999)

指揮官は外套を脱いで,群衆の方に投げた.1880年,メイン州会議事堂前での出来事だ.この人物,すなわちジョシュア・チェンバレンは,かつて第20メイン州連隊を率いてゲティスバーグの戦いでリトルラウンドトップの側面を衝かれつつももちこたえて北軍の戦線を救った戦歴の持ち主だった.いかにもハリウッド映画向きの場面で,群衆のなかからひとりの退役軍人が人々をかきわけて前列に進み出て,言った.「将軍どの,あんたに手をかけようなんて野郎は,その場で俺が殺してやります.」  すると,群衆は氷が溶けるように解散した (Pullum 1999) [n.7].戦争での犠牲をとおしてであれ,非暴力の市民的不服従をとおしてであれ,みずから(おうおうにしてとてつもなく)巨大な犠牲を払うことによって国の善のために自分の幸福をなげうつ意志を証明してみせた英雄たちは,政界において人々を代表する人物として求められ,なんらかの政治的立場を支持した場合にはその言動が信頼された.[n.8]

こうした正当性の源泉は,世論を動かしたり民主制を強化したりするのに用いられうるし,現にこれまでも用いられてきた.勇気を示した英雄たちの経歴は,広く人々に訴えかけ,平和をもたらす助けにもなりうる [n.9].そうした英雄としてのアイデンティティで共通した人々のネットワークに埋め込まれたとき,この正当性の源泉から,政治に身を投じ組織された人々の強力な集団がうまれ,互いに支え合って民主的価値観と向社会的行動を広めることにつながりうる.[n.10]

だが,愛国心をもっている点こそ疑いがたい人々であっても,英雄としてのみずからの経歴を利用して,「オーバートンの窓」〔主流の人々にとって受け入れうる政策の範囲〕を広げて,かつてなら公の論議でとうてい許容されず除外されていただろう見解を正当化することもありうる.フランスの経験が示すように,こうしたネットワークを操作することにより,徐々に極端な立場を定着させ,〔たとえば右派色が強いなかで右寄りに〕考えを変えた人々ですらもネットワーク内で他人から制裁・圧力を加えられやすくなるインセンティブを強化することにつながりうる.

そうなれば,人々が〔国の〕進路を反転させるのがいっそう困難になる.アメリカでキャピトルヒルに人々が押し寄せた数日後にそうしようとする試みが一部であったとおりだ (NYT 2021)〔共和党のグラハム上院議員が空港でトランプ支持者に罵声を浴びせかけられるなどの嫌がらせを受けた〕.英雄たちのネットワークがもつ正当性をテコに利用する力を,歴史は私たちに教えてくれる.そうしたネットワークは,多大な破壊力を発揮しうる.だが,同時に,民主的価値観と平和を支えうるものでもあるのだ.


参照文献

  • Besley, T, and T Persson (2019), “Democratic Values and Institutions”, American Economic Review: Insights 1 (1), 59-76.
  • Bekkouche, Y, and J Cagé (2018), “The Price of a Vote: Evidence from France, 1993-2014”, CEPR Discussion Paper no. 12614.
  • Bhavnani, R, and S Jha (2012), “Gandhi’s Gift: On the Promise and Limitations of Non-Violent Civil Disobedience”, Economics of Peace and Security Journal.
  • Cagé, J (2020), “Media Competition, Information Provision and Political Participation: Evidence from French Local Newspapers and Elections, 1944-2014”, Journal of Public Economics.
  • Cagé, J, P Grosjean, and S Jha (2020a), “Army of Shadows: Organizing Resistance in World War 2 France” working paper.
  • Cagé, J, A Dagorret, P Grosjean, and S Jha (2020b), “Heroes and Villains: The Effects of Combat Heroism on Autocratic Values and Nazi Collaboration in France,” CEPR Discussion Paper no. 15613.
  • Dippel, C, and A Ferrara (2020), “Oh Captain, My Captain: Leadership and Team Cohesion in the Union Army”, UCLA working paper.
  • Gay, V (2017), “The Legacy of the Missing Men: The Long-Run Impact of World War I on Female Labor Force Participation”, mimeo.
  • Horne, A (1962), The Price of Glory: Verdun 1916, London: MacMillan.
  • Jackson, J (2001), France: The Dark Years, 1940-1944, Oxford University Press.
  • Jha, S (2018), “Trading for Peace”, Economic Policy, 485-526.
  • Jha, S, and S Wilkinson (2012), “Does Combat Experience Foster Organizational Skill? Evidence from Ethnic Cleansing during the Partition of South Asia”, American Political Science Review, 106 (4), 883-907.
  • Jha, S, and S Wilkinson (2019), “Marching towards the Bastille: Veterans as Vanguards in the French Revolution”, mimeo, Stanford.
  • Jha, S, and S Wilkinson (in progress), Wars and Freedoms.
  • Lacroix, J, P-G Meon, and K Oosterlinck (2019), “A Positive Effect of Political Dynasties: the Case of France’s 1940 Enabling Act,” CEPR Discussion Paper no. 13871.
  • Levitsky, S, and D Ziblatt (2018), How Democracies Die, New York: Broadway Books.
  • Lormier, D (2017), Les 100 000 collabos: Le fichier interdit de la collaboration française Documents, Cherche Midi.
  • Milgrom, P, and J Roberts (1990), “The Economics of Modern Manufacturing: Technology, Strategy and Organization”, American Economic Review 80 (3), 511-28.
  • Milgrom, P, Y Qian, and J Roberts (1991), “Complementarities, momentum and the evolution of modern manufacturing”, American Economic Review: Papers and Proceedings 81 (2), 84-88.
  • Millington, C (2012), From Victory to Vichy: Veterans in Inter-War France, Manchester University Press.
  • New York Times (2021), “Graham Swarmed by Trump Supporters at National Airport”, 9 January.
  • Pullen, J J (1999), Joshua Chamberlain: A Hero’s Life and Legacy, Stackpole Books.
  • Williams, C (2005), Pétain: How the Hero of France became a convicted traitor and changed the course of history, Palgrave Macmillan.

原註

[n.1] 同ファイルの重要な特徴は,Lormier 2017 に要約されている.機密解除されたものの,同ファイルは公開されていなかった.文書の原文にアクセスできるようにはからってくれた Dominique Lormier に感謝する.

[n.2] こうした数字の比較対象として,たとえば第二次世界大戦の全体をとおして,合衆国での軍事的死者は 40万5,399名にのぼり,合衆国史上もっとも凄惨なものとなった〔南北戦争の〕アンティータムの戦いでは両軍あわせて 22,654名の兵士が戦死している.

[n.3] 前線を担当する連隊をあの連隊からこの連隊へと入れ換え可能だったのは,イギリス軍など他の軍隊でも共通の特徴だった(Jha and Wilkinson 2012 参照).

[n.4] 我々の姉妹論文,Cagé et al. 2020a を参照.

[n.5] ペタンの副首相ピエール・ラヴァルをはじめ,ヴィシー政権の高官の多くは処刑された.第一次世界大戦でペタンのもとで働いたドゴールは,第一次世界大戦でのペタンの軍功を認めてペタンの死刑判決を無期懲役に減刑した.ペタンが1951年に獄中で死去すると,フランス国内の都市の大半で,ヴェルダンを戦った退役兵が結集したデモが広がった (Williams 2005, p.271).ネットワークの相補性によってテクノロジーの採用や組織化の機運がいかに惹起され永続するかについては,Milgrom et al. 1991 を参照.政治・社会制度での同様の作用については,Jha 2018 を参照.

[n.6] 戦後に実施された選挙データの詳細については,Cagé 2020 と Bekkouche and Cagé 2018 を参照.

[n.7] チェンバレンの指揮下で起きたことも含め,内戦における部隊の結束にリーダーシップが及ぼす影響については,Dippel and Ferrara 2020 を参照.

[n.8] 非暴力行動に対する処罰が政治的リーダーシップのスクリーニング装置として機能することについては,vnani and Jha 2012 を参照.

[n.9] 皮肉にも,比較的にタカ派寄りの政党出身の政治家たちは,似た立場のハト派政治家たちに比べて,おうおうにして長期的な敵国に和平を申し出る政治的リスクの高い行動をとりやすい立場にあるというのは,国際関係でよく見られる事態だ.その一例が,ニクソンによる米中関係改善だ.だが,戦時の英雄たちは支持政党のいかんによらず政治状況を形成するための選択肢をより多く有しているという説と,我々の解釈は共鳴している.たとえば,イスラエルの独立戦争で特殊部隊員をつとめ,6日間戦争でのイスラエル勝利で参謀総長に昇進したイツラフ・ラビンは,中道左派のイスラエル労働党の指導者としてオスロ合意を目指して活動しえた.

[n.10] たとえば,アメリカ独立戦争に参加したフランス人退役軍人たちは,フランス革命の憲法制定局面で民主主義的価値観を擁護し広めるのに重要な役割を果たした (Jha & Wilkinson 2019, and in progress).

Total
3
Shares
0 comments

コメントを残す

Related Posts