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Archives for 1月 2012

Noah Smith: 日本のは失われた十年だ、二十年じゃないよ。

Japan had one lost decade, but not two” by Noah Smith from Noaphinion


Matt Yglesiasは日本には「失われた十年」が二回あったと思ってる(1990年から2007年まで)。私はそうは思わない。2002年から2007年は、日本にとっていい年だったと思っている。

第一に、Mattは日本の労働者対労働可能人口比が1990年から徐々に下がっている、という事実を指摘している。だが、これは日本の急速な高齢化が不利に働いてのことだろう。とくに、2005年から日本のベビーブーム世代が退職し始めている、日本人の退職年齢は米国の65歳とは違って、60歳だからだ。

次にMattは、日本人労働者の一人あたり労働時間が、80年代後期の2100時間から2000年代の1750時間に減っている、と指摘している。しかし、この労働時間の現象は、余暇をより多くとる長期的なトレンドの一部だろう。Matt自身が大恐慌についての記事で指摘したように、1920年から1980年にかけて、アメリカでは長期的な労働時間の減少があった。この期間、アメリカの景気は良かった。

図1 : 年間労働時間÷16歳以上の労働可能人口 

(注: このグラフはMattが日本の記事で使ったものと少し違う。高さなどは直接比較できない。)

悪名高い日本の過剰労働文化を考えてもーーこれが、サービス残業の増加トレンドを反映ではなく、本当の労働時間であるならーー労働時間の減少はいいことなんだろう。

(上図:日本の一人あたり実質GDPとアメリカの一人あたり実質GDP。 黒い部分はアメリカのリセッション期間。)
実際、Mattが指摘したトレンドにもかかわらず、日本の一人あたり実質GDP成長は2000年から2007年を見るとアメリカのそれよりちょっといいぐらいだ(ヨーロッパとは同じぐらい)。

Krugmanもここで指摘している。実際、私は2004年から2005年の間、日本に住んでいた。みんながどれだけ経済に楽観的だったか覚えている(日本で師事した経済学教授も含めてだ)。

2000 年代に日本が「失われた十年」を経験したとするなら、他の先進国も同じようなことを経験したはずだ。そして、世界中で実行された様々な政策(例えば歴史的 な低金利とアメリカの赤字。)を見るにつけ、全世界が世界規模の総需要不足につながるような失策をして、そのせいで世界が失われた十年を経験した、とまと めるのはちょっとやり過ぎかもしれない。(総需要は日本の問題ではなかった、というわけではない。実際、日本の2000年代中頃の強い成長は、量的緩和と インフレーションについてきたものだ。)

ということで、Krugmanに賛成だ。日本のは、失われた十年だ。二十年じゃない。

追加ー Krugmanは 日本はもうちょっとうまくやれたはずで、もっと早く経済を回復できたはずだ、と言ってる。賛成だ。でも私は、小泉政権(2000年代のはじめから中頃)の 成功は見過ごせないと思う。小泉政権は、量的緩和の有効性に関して、代表的な一番良い政策的実験だったと思っているからだ。

Noah Smith: Q:国の借金って次世代の負担なの? A:場合による。

Is debt a burden on future generation? It depends” by Noah Smith from Noaphinion


政府債務って次世代への負担になるんだろうか?PaulKrugmanは違うと言ってるし、NickRoweによると正しいんだそうな。私は二人が別の話題について話してるんだと思う。

Krugmanはこうだ。「2012年に目が覚めたら、9兆ドルの政府債務があったとしよう。これって債務が全くないことよりマズいのだろうか?さて、すべての債務は国内債務だとしよう(返済するのに外国人のために働かなくてもいいからね)、次にデフォルトはしないとする(経済が崩壊するから)。そうすると『ノー、問題はない』という答えになる。債権者の中には儲ける人もいるだろうし、そうじゃない人もいるだろう。でも全体を見るとプラマイゼロになるはずだ。」

Nick Roweはこうだー「2012年から考え初めて、次の十年間債務を積み重ねていったとする。2042年に生きる僕らの子孫は、政府債務がゼロな場合と比べて不幸になるんだろうか?『イエス』が答えだ。」 Roweはどうしてそうなるかを「世代重複」モデルを使って説明している。このモデルでは全ての財が劣化しやすく、債務はGDPより早く成長するとする。だとすると、政府は高齢世代が追加消費できるように借金をする。で、若年世代に増税をして借金を返すらしい。そうすると・・・あら不思議!若者に負担を丸投げしちゃったぞ!

でも、Roweのモデルにはちょっと面白い所がある。政府は借金してそれを若者に肩代わりさせなくてもいい。借金をせずに若年層に増税して、課税収入を高齢者にあげても結果は同じだ(若者から多額の出資金を集める社会保障システム、と言える)。Roweのモデルだと、政府債務は若者から高齢者にいくら消費が移転できたかトラックするための会計システムに過ぎない。だけど債務そのものは大した問題じゃない、消費の移転が問題なんだ。

私はRoweの意見は政府債務の現実について大事なことを言ってると思う。借金の問題じゃなくて、異時点間選択(訳注:Wiki参照)の問題なんだ。いくら借金を重ねるかじゃなくて、未来にする消費を現在に動かすか、今する消費を将来にするかが問題なんだ。

現実には、時間を超えて消費をするには投資をすればいい。Nick Roweのおもちゃみたいなモデルには投資が考慮されてない(すべての消費財は腐りやすい財だからだ)、でも現実では、消費を未来に送る方法は生産的資産、たとえば建物、機会、教育、アイデアへの投資だ。未来にする消費を現在にするには、投資を減らして今たくさん消費をすればいい。

では、政府が債務を削減したとすると、将来の消費を今に回したことになるのだろうか、それとも今の消費を将来にしたことになるんだろうか? 答えは―何にカネを使うかによる  だ!! (“アハ!” “でもさ、投資は貯金と同じじゃないか。借金はマイナスの貯金だろう?借金が多くなれば投資が減るじゃないか!” あなたがこう言ってるのが聞こえる。じゃあ私はクルーグマンに頼るとしよう。”政府にとってはカネを借りることでも、それは結局誰かが貯金をして、そのお金で国債を買って借金を支えることになるんだ。 異議を却下する!”)

さて、議論に戻ろう。何に投資をするかによるんだった。もし政府が借金をして生産的資産に投資をしたとする―建物、インフラの修理、新しいアイディアの研究、学校の発展なんかだ。そしてこれらの投資プロジェクトが政府債務の利子を上回るリターンをあげられるなら、債務(より正確には借金でファイナンスされた支出)は我々の消費を子孫へと移行する,その反対はない。ポイントは国内から借りようと国外から借りようとこうなることだ。しかし、もし政府が調達した資金を消費に回したとしたら―例えば全国民にバースデイケーキをあげるとか―そうしたら債務でファイナンスされた支出は将来の子孫から我々に消費を移行することになる。。。将来の世代に負担を先送りしたのだ。

さて、民間企業もこういった世代間の消費のやり取りをプラマイゼロにすることができる。公的債務が増えてバースデイケーキのような消費財に使われたとしたら、民間企業は自身の資金をトラックとか建物のような、生産的資産にそれ以上に投資すればいい。そうすれば子孫の負担を減らすことができる。そのためにどれだけやればいいか、に答えるにはもっと議論がいるだろう。

要するにポイントはこうだ。―政府債務を増やすのは次世代の負担になるか?と聞かれたら、問題は政府が借りたカネを何に使おうとしているか問題なんだ。アメリカは政府だけが安く投資できるような生産的資産へあまり投資していない、と私は思ってる。例えば道路、橋、電気グリッド、高速ネットインフラ、そして基礎研究なんかだ。政府がこれらに投資するために借金したとしたら、子孫のためになる。将来の重荷になんかならないはずだ。