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マーク・コヤマ「伝染病と国家:『健康』と『自由』のトレードオフは回避できるのだろうか?」(2020年8月28日)

Epidemic disease and the state
Words by Mark Koyama, Works in prgress, 28th August 2020

西洋民主主義国家は、COVID-19への対応で躓いているようだ。「健康」と「自由」の間には関係性が存在するが、これを解きほぐすことは可能なのだろうか?

アメリカ合衆国は2つのショックで動揺している。新規の伝染病が野放しで拡散していること。ジョージ・フロイドの殺害を受けて始まった抗議活動が制御不能になっていることだ。似たような抗議活動は、人種差別的な警察活動や警官の暴力といった問題ではアメリカと全く異なっているイギリスのような他の西洋国家にも波及している。国家と社会の関係性における危機を、パンデミックは増強することなっている。

これは、部分的であれ国家の有効性の危機だ。ある社会はCOVID-19への対応に苦戦し、また別のある社会は秀でているように見える。なぜだろう? [Read more…]

ジョセフ・ヒース「ポリティカル・コレクトネスについて付記」(2015年6月8日)

More on political correctness
Posted by Joseph Heath on June 8, 2015 | education

オタワ・シチズン紙に論説(『カナダの大学教授はなぜ学生を恐れないか』〔日本語訳はここで読める〕)を寄稿し今日掲載されたことで、どうやら私は今現在、ポリティカル・コレクトネスに関して無敵の人になっているようだ。そもそものきかっけは、アメリカの単科大学――特にリベラル・アーツ系の小さな単科大学(カナダだとノバスコシア州を除けばほとんど存在しないタイプの大学)――で何か馬鹿騒ぎが起こるたびに、概して「総合大学」が悪評を浴びる事態に、私が苛ついたことにある。カナダの総合大学に問題があるのを否定はしないが、アメリカで起こっている出来事は全て、カナダでも同じように起こっているに違いないと単純仮定するのは止めて、カナダの問題についてはカナダの総合大学に依拠して議論するのが良いんじゃないか、と。 [Read more…]

ジョセフ・ヒース「左派の中心的課題は事前分配である」(2014年4月3日)

The central challenge for the left in Canada
Posted by Joseph Heath on April 3, 2014
「カナダにおける左派の中心的課題」

前回のエントリを読んだ人は皆、オンタリオ州におけるNDPの最近の政策(特にNDPが、切迫している集合行為問題の解決よりも、富の再分配を優先していること)に強い賛意を呼び覚ますのに、私が非常に苦労しているのに感づいたに違いない。前回の論題について考えたことで、私は最近読んだサミュエル・ボウルズの『不平等と再分配の新しい経済学』の冒頭の一節を思い出した。

社会主義、急進的民主主義、社会民主主義、その他平等主義運動が勃興を極めてきたが、こういった運動が成功したのは、希少性の問題へと取り組むのを可能としている経済戦略に、分配の公平性要求を組み込むのに成功した場合であった。土地の耕作者への再分配、社会保険、平等主義的賃金政策、中央司令型経済、適切な医療や学校教育を万人に提供すること、これらが魅力的になっていたとしたら、分配の強化による経済的見返りが、経済システム全体のパフォーマンス向上に結びつけられると約束されていた場合であった。

このボウルズの文章は、完全に明晰とではないにしても、中心的主張は非常に重要だ。平等を高めようと試みとした時、既存の社会的生産物を単純に取り上げてから、再分配が可能である、と考えるのは間違えている。なぜなのか? それは大きな社会的軋轢を産み、結局は水泡に帰してしまうからだ。左派が、平等をより大きく促進するのに成功している状況があるとすれば、社会生産物の促進を行いつつ、そこでの利益を(裏側で進行している市場での様式とは相対的な形で)より平等主義的な方法で分配するスキームを提示している場合である。私の考えでは、この最適事例は、社会保障だ。社会保障は、重要な効率性の向上を達成しつつ、より大きな平等を促進することになる。

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ジョセフ・ヒース「『どこに投票しても同じじゃないか!』と嘆く若者のために:オンタリオ州に見る政治選択の黄金時代」(2014年4月1日)

The golden age of ideological politics in Ontario
Posted by Joseph Heath on April 1, 2014

不満を抱いた有権者――特に若者――による、主要な政党間に「違いがない」ので投票にする気にならない、との不満たまに聞くことがある。私は、こういった不満にあまり共感を持てないできた。特にカナダでは。ここでは主要政党間に非常に大きなイデオロギー的な隔たりが存在するからだ。もちろん、どの政党も、特定個人の固有の好みに応じようとはしていないだろう――結局、政党は大衆政党であり、数百万の人々の要求と要望に応じようとしている。ただそうはいっても、政党の意見表面が、非常に異なっているのを観察できていない人は、おそらく少し注意散漫だ。

これが顕著に具現化しているのが、今のオンタリオ州である。私が、このオンタリオ州の現状について想起したのは、ダニエルがケベックの実情について不満を鳴らしているのを読んだからだ。「ケベックでは、分配の公平性を中心軸とした伝統的な右・左の線引ではなく、(分離主義vs.連邦主義の)建国来の線引に頑固なまでに偏向してしまっている」とダニエルは毒づいている。実際、ケベックの政治制度は(ADQやCAQやQSの台頭によって1 )「標準化」しそうになる度に、「標準化」は一度限りの選挙で終わってしまい、古い建国来の中心軸に引き戻されてしまっているようだ。

対照的に、オンタリオ州の有権者は、3つの政党に極めて分かりやすい選択肢を保持している。3政党は、次期政権を樹立する可能性を有しており、3政党は、左右のイデオロギーを中心軸にした、明確に定義可能なポジションに立っている。これは、社会正義の基本的な問題に「関心を持つ」人(ないし、市場経済における国家の役割に関して確固たる見解を持つ人)からしてみれば、ある意味黄金時代となっているのだ。オンタリオ州においてNDP(新民主党)は正真正銘の左派政党であり、自由党は正真正銘の中道政党であり、保守党は正真正銘の右派政党である。ここで「正真正銘」とは何を意味するのかを、オンタリオ州において政治的議論を支配してきた問題、すなわち「公共交通機関」を俎上に載せて解説してみよう。 [Read more…]

  1. 訳注:ADQ、CAQ、QSは全てケベックの地域政党 []

ピーター・ターチン「人類の社会進化についてのアナーキスト的見解:デヴィッド・グレーバーさん、かなりヘンですよ」(2019年2月10日)

An Anarchist View of Human Social Evolution
February 10, 2019
by Peter Turchin

デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローは、最近New Humanist誌に「我々は都市居住者なのか? それとも狩猟採集民なのか? 最新の研究は、原始人間社会に関するお馴染みのお話は間違えていることを明らかにした――研究の帰結は深遠である」との長い論説を発表した。以下は、私の彼らの論文への批判的レビューだ。彼らのエッセイから、「大きな塊の文章」を引用してから、それに私がツッコミを加えるスタイルを採用している(通常私は、長々と引用しない。しかし私の見解がかなり批判的なので、パラフレーズではなくて、著者達自身の声をもって語らせることを選択した。)

グレーバーはアメリカ人の人類学者であり、アナーキストの活動家だ。私は『負債論』を含め、彼の著作を3冊読んでいる。ウェングローは、草創記エジプト史を専門にしている考古学者だ。ウェングローの著作では、“What Makes Civilization?(何が文明を作るのか?)”を含め、2冊を読んでいる。2人は、デヴィッド&デヴィッドとして「大衆インテリ」の地位を狙っている。もっとも、有名になるまでの道のりは遥か遠いのは疑いようもない。彼らの最新の論考がどんなものか見てみよう。 [Read more…]

ジョセフ・ヒース「人種差別を再定義する:伝統的人種差別と制度的人種差別」(2018年3月6日)

Redefining racism
Posted by Joseph Heath on March 6, 2018 | Ontario, race

最近世間でちょっとした意味論的〔言葉の定義使った〕お遊戯がよく行われているが、そういったお遊戯は分析する価値があるように思われる。(哲学者は「意味論的な問題」に拘ってよく批判を行うのだが、哲学者の誰かがそういった批判をこのお遊戯に対して行ったら良いんじゃないか? と) カナダ社会をあらゆる社会制度と十把一絡げにして、全面的かつ体系的に人種差別主義的である、と糾弾するのが、いたる所で非常にスタンダードになってきている。しかしながら、「人種差別」という言葉の使われ方には、重要な曖昧さがあるのだ。人種差別を批判する人達はしばしば、「人種差別」という言葉の2つの全く異なる意味をふらふらと言ったり来たりして使うことで、ある意味で批判の効力を弱めてしまっている。

ほとんどの人は「人種差別」という単語を耳にしたら、1960年代の公民権運動からお馴染みの意味で理解している。このタイプの「人種差別」は、何よりもまず、特定個人への侮蔑的な態度であり、その態度が他者への差別的な言動の実行に至っているもの――人種的特徴に基づいて一部の人を他者より優遇する行為――として解釈されている。こういった態度は、意識的かもしれないし、無意識的かもしれないし、あるいは人種差別的にあからさまかもしれないし、微妙かもしれないし、隠蔽されているかもしれない。重要なのは、(伝統的な理解における)人種差別とは、侮蔑的な態度として表明されたものであり、そうして表明されたことで人間関係の相互作用に体系的影響を及ぼすものである。 [Read more…]

ピーター・ターチン「左派が国境の開放に反対しなければならない幾つかの理由」(2020年7月9日)

The Left Case against Open Borders
July 09, 2020
by Peter Turchin

このブログの読者ならご存知のように、私がここで表明している意見は、完全に無党派的で、イデオロギーも皆無だ。私の主たる関心は、科学が導くところにある。イデオロギーに基づいた考えは、データより学説が優先されており、それは科学ではない。また一方で、イデオロギーの信奉者は、信奉する学説の性質に従って、事実を無視したり捻じ曲げたりしている(例えば、『人間の社会進化に関するアナーキスト的見解』〔本サイトでの翻訳はここ〕を参照)。

しかしながら、これは、イデオロギー的な立場から出てくるものが、全て間違っていることを意味しているわけではない。マルクス主義を例にとってみよう。マルクス主義者は、今や特定方面では「害虫人間」レッテルとして使われていることを私は知っている。なので、本エントリでは、カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、そしてその他信奉者達の哲学的アイデアだけを取り扱ってみたい。 [Read more…]

ジョセフ・ヒース「インテリは保守の首相になぜヒステリーを起こすのか? その2:児童ポルノ規制を巡って」(2015年8月25日)

Stephen Harper versus the intellectuals, part 2
Posted by Joseph Heath on August 25, 2015 | political philosophy, politics

トム・フラナガン事件

〔訳注:トム・フラナガン事件とは、カナダで非常に著名な保守系法学者であるトム・フラナガンの「児童ポルノ」に関する発言を巡って起こった炎上騒ぎである。フラナガンは、2006年まではハーパーの法律顧問を努め、超保守の地域政党ワイルドローズ党の立ち上げに参加する等、非常に保守色が強い法学者である。フラナガンはカナダ先住民の法的権利の撤廃を主張していることもあり、左派の活動家からは非常に憎まれてる人物でもある。
2013年、フラナガンは大学で講演を行い、講演後の質疑応答で児童ポルノに関する法的規制について問われた際に、カナダの児童ポルノ法が非実在の児童ポルノを規制していることへの反対を述べた。フラナガンに敵意を抱く活動家達は、このフラナガンの質疑から動画トリミングし、「フラナガンは児童ポルノ肯定論者である」とYoutubeやtwitter等SNSで大規模に拡散したことで、炎上事件となった。
炎上事件が起こったことで、フラナガンと関係があったハーパー政権と地域保守政党ワイルドローズ党の党首ダニエル・スミスはフラナガンを「児童ポルノ肯定論者」として強く批判する声明を出し、フラナガンは所属大学から辞職を強要され、マスメディアからも強く批判されるに至った。
フラナガンは、一連のバッシングに根気よく反論し、大学の辞職要求を拒否し、炎上を鎮圧化させている。〕

前回のエントリで〕トム・フラナガンに言及した人がいたので、フラナガンの「児童ポルノ」物語(フラナガンの自著”ペルソナ・ノン・グラータ〔村八分〕“に記録されている。短い要約はここで読める)の全体に、アカデミアの外ではあまり自明になっていないであろういくつかの事象を説明することで、私も少しだけ補足してみようと思う。フラナガンの政策や、彼が行ってきたカナダの公共空間への貢献に関しては、私を含め多くの人がほとんど共感を持っていない。ただそれでも、2013年の保守運動(当時ワイルドローズ党党首ダニエル・スミスと、スティーブン・ハーバーの官邸スタッフによって陣頭指揮が執られた)からフラナガンが耐えぬいた後には、ほとんど皆してフラナガンになんらかの同情を覚えたものだった。 [Read more…]

ラジブ・カーン「今、私たちがいる世界」(2020年7月2日)

Where We Are Right Now
POSTED ON JULY 2, 2020 BY RAZIB KHAN

文章の代わりに。この画像、私の実感の一部だ。

ピーター・ターチン「集団淘汰を巡る血で血を洗う論争」(2012年3月13日)

Science Red in Tooth and Claw

March 13, 2012
by peter turchin

1980年代初頭、私がデューク大の大学院に在学していた時、ミシガン州からやってきた若い教授が集団選択について話してくれたことを覚えている。むろんその教授は、デイヴィッド・スローン・ウィルソンに他ならない。当時、集団選択という火中の栗を拾おうとしていた唯一の人物だったからだ。彼の考えは非常に理に適っていると私は思ったのだが、私以外の院生は誰も賛成していないのには驚いた。集団選択は、当時の私の研究テーマと特に近いものではなかった(昆虫の個体群行動について研究していた)が、私は集団選択をフォローし続けることになった。1980年代から90年代に私が聞いていたのが、集団選択を批判する執拗なまでのタコ殴り音だった。ジョージ・クリストファー・ウィリアムズやリチャード・ドーキンスといった著名人による著作を受けて、当時の進化生物学は、集団選択のアイデアを徹底的に否定していたのだ。 [Read more…]