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アセモグル & レストレポ「ロボットと雇用:アメリカからの証拠」

[Daron Acemoglu & Pascual Restrepo, “Robots and jobs: Evidence from the US,” VoxEU, April 10, 2017]

ロボットをはじめとするコンピュータに支援された技術によって、これまで人間の労働によって行われてきたタスクがかわりに担われるようになるにつれて、雇用と賃金の未来についてますます懸念が高まっている。このコラムでは、1990年から2007年にかけて産業ロボットによって雇用と賃金が減少した証拠を論じる。推計からは、労働者1000人あたり1台ロボットを増やすと、人口あたりの雇用率が 0.18〜0.34パーセントポイント減少し、賃金は 0.25〜0.5パーセント減少するらしいことがうかがえる。この効果は、輸入やルーチン作業の減少やオフショアリング、ロボット以外のさまざまな IT 資本、あるいは総資本ストックがおよぼす影響とは別物だ。
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ダロン・アセモグル, ジェームズ・ロビンソン 『植民地主義の経済的影響』 (2017年1月30日)

Daron Acemoglu, James Robinson, “The economic impact of colonialism” (VOX, 30 January 2017)


 

 今日の世界に観察される巨大な経済格差は、膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。最近のVoxebookから抜粋した本稿では、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で近代の格差を形成してきた、その経緯を検討する。

本稿の初出はVox eBook 『歴史に掛かる経済と政治の長影 (The Long Economic and Political Shadow of History)』 一巻。同書はこちらからダウンロード可能。

今日の世界に観察される巨大な経済格差は、一朝一夜にして出現した訳でないことは当然としても、前世紀に生じたものでもない。経済格差は膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。我々の来し方を500年ほど辿る、つまり植民計画の揺籃期にまで遡るなら、貧困国と富裕国との間にも然したる格差は無く差異も僅かである様が確認できる (恐らく差は4倍ほど)。現在はどうか。世界の最富裕国と最貧困国を比較すると、その差はいまや40倍を超える。さて、植民地主義はこの辺りの事情にどの様に関与していたのだろうか?

我々はサイモン・ジョンソンとの共同研究を通し、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で、近代の格差を形成してきた事を明らかにしてきた。ヨーロッパの地において、アメリカ大陸の発見や、そのアメリカ大陸にはじまりアジア、アフリカへと続く大々的な植民地計画の登場が制度的・経済的発展を刺激する潜在的契機となり、斯くして後に産業革命として結実する諸々を始動させるに至ったのである (Acemoglu et al. 2005)。しかしその影響の在り方はヨーロッパ内部の制度的差異により掣肘されていた。予てから君主に対する抵抗が議会や社会に優位を与えていた英国などの地では、アメリカ大陸の発見は商業・産業集団にいっそうの権勢をもたらすに至った。こうした集団はアメリカ大陸や、間もなくアジアからも、新たな経済機会を享受することができた。その結果が経済成長である。他方、初期段階における政治制度や権力バランスの異なるスペインなどの地では、その結果も異なった。これらの国では君主が社会や商業また経済機会を支配しており、結果として、政治制度は弱体化、経済も衰退した。『共産党宣言』 でマルクスとエンゲルスが述べた如く,

「アメリカの発見が、喜望峰の迂回が、新興ブルジョア階級に新たな足場を切り開いた」 のだった

それは事実であったが、一定の条件下でのみ当て嵌まる事実であった。別の条件下では、同発見はブルジョア階級の立遅れに繋がった。結果から見れば、ヨーロッパの中には植民地主義により経済発展が加速した地域もあれば、逆にこれが停滞した地域もあったのである。

しかしながら植民地主義の影響は植民活動を行った社会の発展に留まってはいなかった。言わずもがなではあるが、植民地主義は植民地化された社会にも影響を及ぼしたのである。我々の研究 (Acemoglu et al. 2001, 2002) は、この点でも、またや、不均一な影響が見られたことを明らかにしている。これは植民地主義が様々な地で相異なる種類の社会を生み出すに至った為である。とりわけ植民地主義が世界の様々な地に残した制度的遺産は千差万別であり、経済発展の帰趨は著しく散開している。その原因は、種々のヨーロッパ列強がそれぞれ異なる制度を移植した – 換言すれば、北アメリカの成功はそれが継承した英国の制度に負うものであって、他方ラテンアメリカはスペインの制度を継承したが故に失敗した – からではない。実際の所、実証データは相異なる植民地宗主国の持っていた意図や戦略が極めて似通っていた様を示す (Acemoglu and Robinson 2012)。アウトカムが著しく異なったのは、植民地における初期段階条件にバラツキがあった為だ。例えば先住民の稠密な人口集団があったラテンアメリカでは、こうした人々の搾取を拠所にした植民地社会を建設することができた。そうした人口集団が存在しなかった北アメリカに、その様な社会は在り得べくもなかった。尤も、初めの英国植民者はそうした社会の建設を目指していたのだが。こうした状況に応え、初期の北アメリカ社会は全く別の方向に進んで行く: ヴァージニア会社といった初期の植民ベンチャー企業は、ヨーロッパ人の関心を惹き付け、開けたフロンティアをめざし走り去る彼らを引き留める必要を認識し、そこでこうした人達に対し労働と投資のインセンティブを与えることが必要になった。これを達成した制度、例えば政治的権利や土地利用権だが、こうした制度には植民宗主国におけるそれとの比較においてさえラディカルな差異が見られる。ラテンアメリカ類似地域、例えば南アフリカ・ケニア・ジンバブエなどを発見した際の英国植民者は、我々が 『収奪的制度 [extractive institutions]』 の名で呼ぶ諸々の敷設に掛けては万事抜かりなく、また大いに関心を寄せていた。この収奪的制度というものは先住民の管理と地代の収奪をその基盤とする。Acemoglu and Robinson (2012) では、人口集団の大半からインセンティブと機会を剥奪するこの収奪的制度が、貧困と関連している旨を論じている。今日アフリカにおけるこの種の社会がラテンアメリカ諸国と同じ程度の格差を抱えているのも、偶然ではないのである。

形成された社会のタイプに関わっていたのは諸先住民集団の稠密性だけではない。Acemoglu et al. (2001) で我々が明らかにした様に、潜在的なヨーロッパ入植者の直面する疾病環境も重要だった。北アメリカの植民地化を鼓舞したのは何か、それは比較的恵まれた疾病環境であった。これがヨーロッパ移住を保全する制度創設戦略を促進したのである。西アフリカにおいて収奪的制度の創出を鼓舞したのは何か、それは西アフリカが 『白人の墓場』 であったという事実だった。これが 『包摂的経済制度 [inclusive institutions]』 タイプの創設を遠ざけたが、これこそ北アメリカにおける定住と発展を促した制度にほかならない。こうした包摂的制度は、収奪的制度と対照的に、膨大な人口集団へのインセンティブと機会を、確かに創出した。

植民地社会の相違の一原因として疾病環境に注目したのは、この種の社会が持つ性質の相違の源泉として、この点が唯一のものであるとか、さらには主要な原因であると考えたからでさえない。或る具体的な科学的理由が在ったからだ: ヨーロッパ人にとっての疾病環境、したがって特定植民地への移住性向に影響力を持った歴史的要因も、それ自体は今日における経済的発展の相違の重要な源泉ではない、これを主張する為だった。よりテクニカルな表現をするなら、これはヨーロッパ人定住者死亡率の歴史的な計測値が、経済的制度からの (一人あたり所得として計測した) 経済発展への因果的影響を推定する操作変数として利用できる可能性を意味する。このアプローチの主要な問題は、歴史上ヨーロッパ人死亡率に影響を持ったファクターが持続的なもので、今日における所得にも、例えば健康度や期待余命への影響を介して、影響を持っている可能性がある点だ。とはいえ、これが杞憂かもしれない理由が幾つか存在する。一、植民地におけるヨーロッパ人死亡率に係る我々の計測値は200年ほども前の、近代的医学の確立、熱帯病の理解解明以前のものである。二、これらは熱帯病に免疫の無いヨーロッパ人が直面した死亡率の測定値であるが、こうした死亡率は先住民が今日直面している死亡率とは極めて性質が異なる。そしてこれらの国々の現在の経済発展に関係が有るのは後者のほうだと推察される。念には念を、我々はマラリア感染リスクや平均余命など、様々な近代的健康測定手法を用いた計量経済学的調整に対しても本研究結果が頑健である旨も明らかにした。

斯くして、ヨーロッパ内部の発展に不均一な影響をもたらしたのとまさに同じ様に、つまり英国などの地では経済促進的に、スペインでは経済停滞的に働いた様に、この植民地主義なるものは植民地においても非常に不均一な効果をもたらしたのである。北アメリカをはじめとする一部の地における植民地主義は、大本の植民宗主国におけるものより遥かに包摂的な制度を備えた社会を生み出し、同地域に現在みられる大いなる繁栄の種を蒔いた。ラテンアメリカ・アフリカ・南アジアなどその他の地では、植民地主義は極めて貧弱な長期的発展アウトカムに帰着する収奪的制度を生み出した。

植民地主義が一定の文脈では発展にポジティブな影響を持った事実は、そこに先住民の人口集団や社会への破滅的かつネガティブな影響が無かった事を意味しない。実際そうした影響が在ったのである。

近世・近代における植民地主義が不均一な影響を持った由は、他にも数多くの実証データから信憑性を得ている。例えばPutnam (1994) は、ノルマン人による南イタリアの征服こそ、同地域における 『社会資本』 の欠乏をもたらした物、すなわち信頼や協調能力の欠けた社会に帰着した相互連帯的生活 [associational life] 缺欠の元凶だったのではないかと問う。だがノルマン人はイングランドも植民地化しているが、こちらは後に産業革命を産み出す一社会の誕生に繋がったのだった。この様にノルマン人の植民活動も不均一な影響を持ったのである。

植民地主義が社会の発展に大きな意味を持ったのは、それが様々な社会における制度を形成したからである。しかしそうした影響を及ぼしたものは他にも沢山あったし、少なくとも近世・近代においては、植民地主義から首尾よく逃げ果せた地もかなり存在する。幾つか例を挙げれば、中国・イラン・日本・ネパール・タイなどがこれに当るが、こうした国々の間でも発展アウトカムにはかなりのバラツキが有る。ヨーロッパ内部の巨大な差異は言わずもがなだ。こうした訳で、その他のファクターと比較したときヨーロッパの植民地主義は、定量的に見て、どの程度重要だったのか、この点に疑問が生ずる。Acemoglu et al. (2001) では、同論文の推定値に従うと経済的制度の差異は世界の一人あたり所得の差異のおよそ3分の2を占めると算定している。他方Acemoglu et al. (2002) も独自に、歴史的に見た定住者死亡率、および1500年時点での先住民人口密度が、今日の世界における経済制度のバラツキの約30%を説明する旨を明らかにしている。歴史上1500年時点に見られた都市化も植民地社会の性質のバラツキを説明する力を持っているのだが、その分を加算するならバラツキの50%超が説明されてしまう。これが事実だとすると、今日の世界における格差の3分の1は、様々な社会にヨーロッパ植民地主義が及ぼした一様ならぬ影響を以て説明できる。かなりの大きさではないか。

植民地主義が植民地における歴代の制度を形成したというのは、事に依れば至極当然なのかもしれない。例えば1570年代のペルーでは、スペイン人総督フランシスコ・デ・トレドによりポトシ銀山の採掘に係る強制労働の大規模体制が確立された。しかしこの体制、ポトシミタ制度 [Potosí mita] も、ペルーとボリビアが独立する1820年代に入り、廃止される。この種の制度、さらに敷衍するなら世界中で植民地権力が創設した制度一般が、今日の発展にも影響を及ぼしているのだとの主張、これは即ち、植民地主義が右制度を直接存続させるか、さもなければ経路依存的な遺産を残すか、そのいずれかの形を取って、これら社会の政治経済に及ぼした影響の在り方についての主張に他ならない。諸般の先住民に課された強制労働は少なくとも1952年のボリビア革命までは直接存続していたが、『ポンゲアヘ [pongueaje]』 の名で知られる体制が廃止されたのはこの時である。Acemoglu and Robinson (2012, Chapters 11 and 12) およびDell (2010) ではより一般的に、以上の様な事態を発生させた可能性の有るメカニズムを数多く検討している。

最後になるが、本実証成果が新たな比較発展理論に向けた重要な示唆を持っている点にも言及して置く価値が有る。長期的な発展パターンは地理的差異により専ら説明されるとの趣旨が一部から主張されている。これに反し、我々は、ひとたび制度の役割を考慮に入れるや、地理的ファクターは発展アウトカムと何ら相関を見せなくなる事を明らかにした。例えば、不羈性 [latitude] と地理との間には一定の相関が在るといった事実は、因果的関係を示すものではない。右の事情はヨーロッパ植民地主義の生み出した或る種の型の制度群が不羈性と相関していたという事実によって惹起されたに過ぎない。この点を考慮に入れるや、地理的変数は何ら因果的働きを持たなくなる。他方、文化的差異こそ最強の発展推進力であるとの主張も存在する。しかし我々が幾つかの手法で計測した限りでは、文化的差異の働きは全く確認されなかった。第一に、様々な人口集団における宗教的構成。第二に、我々の強調してきた所でもあるが、植民地権力のアイデンティティ。第三に、一国の人口にヨーロッパ人の末裔が占める割合。合衆国やカナダがヨーロッパ人で溢れているのは確かだが、我々の主張ではこれはこれらの国が優れた制度を備えていた事実に由来するアウトカムである。ヨーロッパ人の末裔たる人々が今日有する数的支配性が発展を牽引している訳ではない。

参考文献

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”, American Economic Review, 91, 1369-1401.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2002), “Reversal of Fortune: Geography and Institutions in the Making of the Modern World Income Distribution”, Quarterly Journal of Economics, 118, 1231-1294.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2005), “The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change and Economic Growth”, American Economic Review, 95, 546-579.

Acemoglu, D and J Robinson (2012), Why Nations Fail, New York: New York.

Dell, M (2010), “The Persistent Effects of Peru’s Mining Mita”, Econometrica, 78, 1863-1903.

Putnam, R H (with R Leonardi and R Y Nanetti ) (1994) Making Democracy Work, Princeton: Princeton University Press.

 

ダロン・アセモグル, パスカル・レストレポ 『人間と機械の競争: 成長・要素分配率・職への示唆』 (2016年7月5日)

Daron Acemoglu, Pascual Restrepo, “The race between machines and humans: Implications for growth, factor shares and jobs” (VOX, 05 July 2016)


歴史に名を残す多くの経済学者も、技術進歩が労働市場に不可逆的損失を及ぼすだろうと予言した点では誤っていたことが今では明らかになっている。本稿では1970年から2007年の間に現れた新たなタイプの技能職に関する実証データを利用して、労働市場が、これまでのところは、資本による職の置換に常に順応してきたことを示す。機械による職のオートメイト化、対するは労働者が担う複雑な新タスクの創出。この2つの競り合いが均衡しているかぎり、労働市場が大きく衰退することは無いだろう。新たな技術の性質とそれが将来イノベーションの潜在的可能性に及ぼす影響は、労働の安定性に重要な意義をもっている。

デジタル技術・人工知能・ロボット工学による技術的不就労が世を覆い尽くす、といった懸念がいまや世を覆い尽くしている。最近の多様な労働市場トレンドは、合衆国における労働市場参加率の低下をはじめ、賃金格差や資本が国家所得に占める割合の上昇に至る幅広いものだが、これがいま 『新たな常識』 の先駆けだと目されている (例: Brynjolfsson and McAfee 2012, Akst 2014, Autor 2015, Karabarbounis and Neiman 2014, Oberfield and Raval 2014)。技術的不就労をめぐるこの種のよくある議論が抱える大きな瑕疵は、新技術の影響が今回これまでとは異なったものになるだろうと予測すべき明確な理由が実は全く存在しないところに在る。過去この方、新技術がそれ程の雇用縮減の蔓延を生みだした例はないのだ。

新技術がこれほど破局的なものになると予言されたのは何も今回に限った話ではない。1930年、ジョン・メイナード・ケインズは次のように述べた:

「私達はいま或る新たな病に掛かりつつあるのです。その病の名を耳にしたことのない読者も中にはいましょうが、これから数年のうちにその内実を嫌と言う程きかされることになるだろうもの – そう、技術的失業です」(Keynes 1930)

1965年、経済史家のロバート・ハイルブローナーはこう断言して憚らなかった:

「機械が社会をこのまま侵略し続け、ますます多くの社会的職務を担うようになるその暁には、人間的労働 – 少なくとも現在の我々が考えるような 『労働』 に関して言えば – 他でもないこの人間的労働こそが徐々に無用の長物と化す」 (Akst 2014での引用)

著名な経済学者であるワシリー・レオンチェフもまた同様に新しい機械のもつ意義について悲観的であった。馬を無用の長物に変えた20世紀初頭の技術とのアナロジーを用いつつ彼は未来の展望を述べる:

「労働はいよいよその重要性を失ってゆくだろう…ますます多くの労働者が機械に置換されるだろう。新たな産業が職を求める全て者に雇用を提供できるとは思えない」(Leontief 1952)

では、いま挙げた様なこれまでの不吉な予言が過去において現実のものとならなかったのは何故なのか? また、今回はこれまでとは違うはずだというのなら、それはどうしてなのか?

我々の最近の取組みはこれらの問いに答えようとするものだ (Acemoglu and Restrepo 2016)。我々の手法は2つの中核的考えに依拠している。一つ目は、殆どの時代で、それまで労働が担っていた職務が機械化およびオートメイト化されるというプロセスが絶え間なく進行しつつも、他方では時を同じくして労働の担う新たな雇用機会も創出されているのだ、という考え。二つ目は、新たな雇用機会は専ら、新しくしかもより複雑な、労働が資本に対し比較優位をもつような職務の登場に由来する、という考えである。斯くしてレオンティフ問題に対する我々の解答は見出された – 人間労働と馬の違いだが、人間には新しく、しかもより複雑な活動で比較優位が有るのである。馬にはそれが無かった。

こういった複雑な新タスクの重要性を見事に例証するのが第二次産業革命期を通してみられた技術的・組織的変化で、そこでは鉄道による駅馬車の置換、蒸気船による帆船の置換、クレーン機器による手作業港湾労働者の置換のみならず、新たな労働集約的タスクもまた観察されていたのである。こうした新たなタスクは、エンジニア・機械技師・修理工・車掌や近代的な経営者・金融業者など、新たな技術の導入と運用に関わりをもつ人達からなる新たな階層の担う職を創出したのだった (例: Landes 1969, Chandler 1977, Mokyr 1990)。

複雑な新タスクの重要性は近年の合衆国労働市場の動向からも確認できる。雇用関連の諸数値は、既存の労働集約的職種のオートメイト化だけでなく、新たな業種の隆盛も記録しており、エンジニアリングやプログラミング職をはじめオーディオヴィジュアル専門職・役員秘書・データアドミニストレータ/データアナリスト・ミーティングプランナー・コンピュータサポート専門職など幅広い。じっさい、過去30年を通して、新タスクおよび新役職は合衆国の雇用成長に大きな割合を占めてきた。我々はこの事実を実証するにあたり、新たな役職 – これら役職では労働者はより従来的な職種で雇用されている者と比べて相対的に新しいタスクを取り行っている – が各業種内部に占めるシェアを計測したLin (2011) のデータを利用した。2000年には、コンピュータソフト開発者 (当時100万人の雇用を生み出していた業種である) として雇用されている労働者の約70%が新役職に就いていた。同様に、1990年には放射線技師が、また1980年には経営アナリストが、それぞれ新役職であった。

図1  十年間での雇用成長率に対し330業種について各十年開始時の新役職シェアをプロットしたもの

原註: 1980年から1990年までのデータ (濃い青)、1990年から2000年 (青)、2000年から2007年 (薄い青、10年変化に再スケール化)
出典: Acemoglu and Restrepo (2016)

図1は、1980年以降の何れの十年間をみても、より新しい役職をもった業種ほど雇用成長率が大きかったことが示されている。同回帰直線は、各十年間の始まり時点で新役職の10%分多い業種は続く10年の間に5.05%早い成長を遂げていることを示している (標準誤差 = 1.3%)。1980年から2007年までに、合衆国における総雇用数は17.5%成長した。この成長の約半分 (8.84%) は、新役職をもたないベンチマークカテゴリに対する、新役職をもつ業種における追加的雇用成長によって説明される。

これら2つの重要要素は、先進国経済における近代的労働市場の動向が、次の2つの技術的動力の競り合いによって特徴付けられるものと捉えるべきことを示唆する: すなわち一方には機械によるオートメイト化が在り、他方には人間による複雑な新タスク創出が在る、という構図となっているのだ。オートメイト化というのが、他の事情に変わりがなければ、労働から職を奪い去る進行中のプロセスであるのは確かだが、複雑な新タスクの創出もまた進行中のプロセスであり、こちらは労働が担う新たな職を生み出すものなのだ。第一の動力が第二の動力を追い越すのなら、国家所得に労働が占めるシェアの減退および技術的不就労が生じてくるだろう。第二の動力が第一の動力を追い越すならば、その真逆が起きるだろう – 国家所得に労働が占めるシェアは増加し、雇用率も高まるだろう。タスクに基づく我々の枠組みはさらに、技術改良と相応しGDPを上昇させるものだとはいえ、オートメイト化には労働者が国家所得に占めるシェアのみならず、彼らの実質賃金をも引き下げてしまう可能性が有ることを示している。この最後の研究結果は、新技術が賃金に及ぼす影響をめぐる諸問題の1つの中核を解明するさいに関わってくる。というのも、一般的にいってこの点は既存のモデル (そこでは技術更新はつねに賃金を上昇させるものとされる) と上手く馴染まないものなのである。

我々の理論フレームワークから見ると、ケインズやレオンチェフを含み、過去の状況を体現しているようにみえる評者が結局のところ正しくなかった理由は、機械対人間の競争における第二の動力があらゆる面で第一の動力の等価物となっていたからだ、となる。未来に目を向けると、新技術の波及が労働に終末をもたらすか否かという点も同じく、この第二の動力が第一の動力の早まった足並みに付いて行けるかどうかに掛かってくるだろう。

しかしこのフレームワークを用いつつ、オートメイト化と複雑な新タスクの創出の進展率を外生的のままにしておくのは不十分だと言わざるを得ない。同フレームワークが上記の動力の働きを解明するうえで役に立つのは確かだが、それはまた1つの同じくらい深遠なる問いを提起する: すなわち、過去においてこれら2つの動力が結局均衡していたのは何故なのか? 今日の技術進歩から同様の結果を予測すべき理由は何もないのだろうか?

いっそう根源的なこの問いに答えるため、我々は本フレームワークの完全版を構築したのだが、そこではオートメイト化と複雑新タスク創出の進展率は内生化され、これら2つの活動の何れであれより利潤の上がる方に反応するようになっている。例えば、資本が安価になればなるほどオートメイト化の利潤が高まり、これが相対的に出費の嵩む労働を安価になった資本で置換する動きに繋がる、といった具合だ。本モデルのこの内生的技術バージョンでは、こうした利潤性の高まりがさらなるオートメイト化の引き金となる。本理論構造は2つの互いに関連した理由から有用だと言える。一つ目は、安定化要因として働く動力の特定に役立つ点 – つまり、ひとたびオートメイト化が新たな労働集約的タスクを上回るや、新タスク創出の加速を誘発するような経済的動力が現れてくるはずだ。二つ目は、我々が現在目の当たりにしている新たなオートメイト技術の奔流が自己修正を行わず、したがって労働の展望に対し長期的にみて悪影響をもたらすことになるのはどの様な状況なのかを画定するのに役立つ点もある。

本モデルにおいて安定化要因となる動力は 『価格効果』 に由来する。オートメイト化には労働への支払いを減少させる傾向が有るので、さらなるオートメイト化との比較で、複雑新タスク創出の利潤性を上昇させることにもなる。この安定化動力は、急速なオートメイト化も未来のイノベーション創出や多種多様な研究開発に役立つ技術が不変に保たれている環境で生ずる限りは、自己修正的に働く傾向が有ることを示唆している。経済は窮極的にはこれらオートメイト技術が登場する前の状況に帰還することになるだろう。もしそうなら、新たな技術を前にした労働者が現在被っている苦境が在るにせよ、労働の未来はそれほど暗澹たるものではないのかもしれない。とはいえこの安定化動力は、あらゆる種類の変化が必ず自らの進行方向を逆転させるとまでは示唆しない。変化したのが未来のイノベーションを創出する為のテクノロジーであった場合、とりわけオートメイト化関連のイノベーションが新タスクの創出よりも容易となった場合には、我々がいま目にしている新たなオートメイト化技術の波及も、労働展望の悪化を伴った新たな長期的均衡状態へと経済が安定してゆく過程の第一段階に過ぎないだろう。全体的に言って、技術的不就労の増加をめぐる懸念の正しさがこの先どれほど証明されるのかは、いま我々が直面しているのが新たなオートメイト化技術の急速な発見期であるのか、それとも未来の技術を生産する我々の能力の根源的なシフトであるのか、この点に掛かっている。

我々はまた本理論構造から得られる市場均衡の効率性に関しての新たな示唆にも光を当てている。外生的技術というものを取り入れたモデルが、市場支配力をもつ企業   (典型的には新製品や新技術を市場に導入した企業がこれに該当する) の押し付ける独占的マークアップに由来する非効率性の様々な要因を備えていることは良く知られている。こうした良く知られた非効率性の原因に加え、我々は新たなタイプの非効率性を特定しているが、これは行き過ぎたオートメイト化や創出される新技術があまりに少な過ぎるといった状況に繋がるものである。こうした非効率性が生じるのは、オートメイト化というのが企業の賃金支払い節約を可能とするものであるために、高賃金に反応するからである。労働者への賃金支払い増化の一部がレント分である時 (例: 効率賃金または労働市場摩擦によって生じた準レント)、社会計画者が望ましく考えるところを超えたオートメイト化が進行することになるだろう。そして技術は労働の置換に向かう非効率的なバイアスを帯びて来る。

最後に我々は本フレームワークを利用し、格差にオートメイト化が及ぼす影響を調査した。異なる労働者ならば異なる量の技能を保持しているという時には、オートメイト化と新タスク創出はともに格差の拡大に繋がり得る – 前者の場合、低技能者ほど機械との競争がより重く圧し掛かってくる為で; 後者の場合、複雑な新タスクにおいては高技能者労働者の方が低技能労働者よりも多くの比較優位を手にするからである。しかしながら、継時的に見たとき、タスクが規格化され、低技能労働によっても容易に取り行われるようになるのならその限りで (例えばAcemoglu et al. 2010での議論の様に)、複雑な新タスクの導入はこうした労働者にも高技能労働者と並んで恩恵をもたらすことを我々は明らかにしている。この規格化プロセスの進行速度に依るが、経済がオートメイト化技術のもつこうした格差効果に対し自己修正的に働く強い力を生み出す場合も、或いは在るかもしれない。

我々は今回の論文を、資本と労働に対し異なった作用をする多様な技術変化の体系的調査に向けた第一歩と位置付けているが、この路線で殊に有望であるように見受けられる研究領域が幾つか在る。第一に、効率性への影響、およびこれが労働市場の不完全性 (労働の機会費用と賃金のあいだに歪 [wedge] を発生させるものである) とどの様な相互作用するのか、という点についてのより体系的な研究が、この先の重要な取組み領域となる。第二に、複雑性分布の様々な部分でオートメイト化が進む種々のタスクに対するより細やかな分析も重要な研究領域であり、殊に近い未来にはオートメイト化が低技能労働者のみならず高技能労働者に対してもますます大きな影響を振るうようになる旨を伝える多くの実証データに照らせば、なおのことだ。第三に、オートメイト化および新タスク創出能力に関わる技術には産業間で大きな差が在るだろうから (例: Polanyi 1966, Autor et al. 2003)、こうした差がどの程度制約的要因になってくるのかの調査が必要だ。最後に、そして極めて重要な点だが、オートメイト化とロボット工学が雇用に及ぼす作用についての実証研究データが、大いに必要とされている。実際、急速なオートメイト化が本当に複雑新タスク創出の誘発要因として機能するのかこそ、取りも直さず本論で展開したフレームワークにさらなる実証的内実を与えるにあたっての最重要点なのだ。

参考文献

Acemoglu, D, and P Restrepo (2016), “The Race Between Machine and Man: Implications of Technology for Growth, Factor Shares and Employment”, NBER working paper No. 22252

Acemoglu, D, G Gancia and F Zilibotti (2010), “Competing Engines of Growth: Innovation and Standardization”, Journal of Economic Theory, 147 (2), 570–601

Akst, D (2013), “What Can We Learn From Past Anxiety Over Automation?”, Wilson Quarterly

Autor, D H, F Levy and R J Murnane (2003), “The Skill Content of Recent Technological Change: An Empirical Exploration”, The Quarterly Journal of Economics, 118 (4), 1279–1333

Brynjolfsson, E, and A McAfee (2014), The Second Machine Age: Work, Progress, and Prosperity in a Time of Brilliant Technologies, W W Norton & Company

Chandler, A D (1977), The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, Harvard University Press, Cambridge, MA

Karabarbounis, L, and B Neiman (2014), “The Global Decline of the Labor Share”, The Quarterly Journal of Economics, 129 (1), 61–103

Keynes J M (1930), “Economic Possibilities for Our Grandchildren,” in Essays in Persuasion, New York, Norton & Co.

Landes, D (1969), The Unbound Prometheus, Cambridge University Press, New York

Leontief, W (1952), “Machines and Man,” Scientific American

Lin, J (2011), “Technological Adaptation, Cities, and New Work”, Review of Economics and Statistics, 93 (2), 554–574

Mokyr, J (1990), The Lever of Riches: Technological Creativity and Economic Progress, Oxford University Press, New York

Oberfield, E, and D Raval (2014), “Micro Data and Macro Technology”, NBER working paper No. 20452

Polanyi, M (1966), The Tacit Dimension, New York, Doubleday

原註                                                                                 

[1] 1980年・1990年・2000年のデータは合衆国国勢調査による。2007年のデータはアメリカン・コミュニティ・サーベイから。Acemoglu and Restrepo (2016) の補遺B [Appendix B] に本データおよび我々が用いたサンプルに関するさらなるデータを示した。そこでは図1に描出した関係性の頑健性についても詳述している。

 

ダロン・アセモグル, レオポルド・ファーガソン, ジェームズ・ロビンソン, ダリオ・ロメロ, フアン F. バルガス 『国家を建設しない法: コロンビアからの実証データ』 (2016年10月6日)

Daron Acemoglu, Leopoldo Fergusson, James Robinson, Dario Romero, Juan F. Varga, “How not to build a state: Evidence from Colombia“, (VOX, 06 October 2016)


暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供。数多くの貧困国ではこうした領域における国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。本稿ではコロンビアの事例を取上げ、何よりも先ず軍事的目標を優先するものであるトップダウン式国家建設戦略の効率性の評価を試みる。この種の国家建設アプローチでは国家的能力のその他重要側面の育成に失敗する可能性が有るばかりか、発展初期段階にあるこうした能力に悪影響を及ぼしかねない。

今日多くの国で国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。例えば暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供などを行う能力がここに含まれる。貧困国の多くではこうした面の不備が其処彼処にまで蔓延しているが、Fearon and Latin (2003) の主張によればこうした事態こそが内戦の根本的原因なのだという。とはいえ、その潜在的便益にも関わらず、上述の諸能力開発は尋常ならぬ難しさの様で、多くの国が恒常的にその国家的弱体性を顕にしている。

社会がこうした困難を乗り越え、首尾よく国家の強化を成し遂げるにはどの様な道筋が在り得るのだろうか? またWeber (1946) が国家の 『あれ無ければこれ無し』 たる条件と見做したところの領土内における暴力の正統的独占だが、国家は如何にしてこれを確立し得るのか? こうした目的へのアプローチとしては、先ず非国家武装アクターの消去と国家的支配の確保をめざす軍事的戦略に集中するというのが自然に思いつくだろう。『国家第一 [state first]』 または 『保安第一 [security first]』 的見解と呼ばれることもあるこのアプローチは、当然トップダウン式 (一般的に言って、社会の側からの合意や参加は存在しない) であり、ピョートル大帝やルイ14世またケマル・アタテュルクそして朴正煕といった強力な指導者による国家建築計画の歴史的な例を以て描き出されてきた (例: Huntington 1968, Fukuyama 2001, 2014)。この見解はアカデミックな領域に留まるどころか、近年のアフガニスタン・イラクに対する合衆国の侵攻にあたっての指導原理となるまでに至っており、数多の国際的開発ガイドラインの導きとなっている  (Grävingholt et al. 2012, World Bank 2012)。

トップダウン式アプローチはしかし、通例一面的であり、何よりも先ず軍事的目標を優先するものである。最近の論文で我々は、こうしたアプローチが相当深刻な負の帰結を生み出しかねないことを主張している  (Acemoglu et al. 2016)。それだけでなく、同アプローチでは国家的能力のその他重要側面を育成できない可能性があるばかりか、発展初期段階にあるそうした能力に悪影響を及ぼしかねないのである。

我々は、2002年におけるアルバロ・ウリベの大統領選出以降、コロンビア国内の暴力の国家的独占確立をめざして行われた取組みの帰結を研究対象とした。ウリベ大統領は古典的なトップダウン式国家建築計画の定式に則り、非国家的武装アクター、とりわけ左翼ゲリラとの闘争に焦点を合わせた。彼の 『民主的保安政策 [Democratic Security Policy]』 は次の2つの主柱で構成されている: すなわち軍隊規模の拡張、そして軍隊側の対ゲリラ戦闘へのインセンティブ増進である。Human Rights Watch (2015) の或るレポートは、2002年以後のインセンティブ導入を 「戦闘における殺人を、休暇や昇進また勲章そして訓練コースさらに上官からの称賛等々の賞与を以て褒賞するもの」(p. 29) と描写している。

図1 セメスター毎の虚偽検知数
事例数および死者数, 1988-2011

原註: 1988年の第一セメスターと2011年の第二セメスターの間の期間における虚偽検知数。事例数 [cases] は虚偽検知を生んだ出来事の総数であり、死者数 [casualities] はそうした出来事で殺害された者の総数である。何れの場合も、生の数値から算出した三セメスター移動平均を示している。
出展: Acemoglu et al. (2016), CINEPのデータに基づく。

こうした強化インセンティブの主たる帰結は 『虚偽検知数』 の急増だった。これは軍隊が民間人を殺害したうえで、こうした民間人をゲリラ戦闘部隊であるとする虚偽の描写を行った場合である。図1に示すのがこうした事例であり、虚偽検知を生んだ事件と、そうした出来事で殺害された者の数の双方を明らかにしている。虚偽検知はコロンビアではかなり前から存在していたのだが、ウリベ大統領による国家建築計画を経て大幅に増加し、その後メディアによって2008年の民間人殺害水準が公にされたことを受け政策が穏健化されるまで、この数字が減少することは無かった。図2には領土内における虚偽検知の分布が示されており、ここから同慣行は国土全体に蔓延したものであって、一部の不良軍事部隊のために生じたものではないことが明らかに読み取れる。

図2 虚偽検知数
居住者100,000人あたりの総処刑数

原註: 地方自治体単位で全サンプル期間 (2000-2010) を通して見た虚偽検知数 (100,000人あたり)
出展: Acemoglu et al (2006), CINEP (虚偽検知数) および DANE (人口) のデータに基づく

(Holmström and Milgrom 1991におけるマルチタスクフレームワークの考えに倣った) 単純な理論を用いれば、インセンティブ構造と、国家的能力のその他側面、またトップダウン式かつ一面的な国家建築計画活動から生じた意図せざる結果との関係の明晰化もやり易くなる。同理論からは我々にも検証可能な幾つかの予測が得られる。

  • 一、軍人側のゲリラ殺害へのインセンティブ増強は、虚偽検知数と本物のゲリラの殺害数 (これを 『真正検知』 と呼んでいる) 双方に繋がるエージェント活動の増加をもたらす。
  • 二、この効果は、キャリアへの関心がより強いものである大佐階級 [colonels] が率いる隊ではより顕著になる (大佐から大将 [general] への昇格は大半の軍隊において難しくなっており、コロンビアも例に漏れない)。
  • 三、地方司法機関のもつ、軍事部隊およびその司令官らの取調べ、並びに答責可能性の維持に係る権限が弱い地方自治体ほど、虚偽検知への影響は顕著になる。極めて重要な点だが、司法機関の弱さは虚偽検知数に影響するが、真正検知数には必ずしも影響しない。

さて、一番最後の非対称性も含み、以上の予測は我々のデータとも整合的であることが分かった。これら発見は国家建築における一面的アプローチの負の帰結を浮き彫りにしている。機関化の遅れた地区において真正検知および虚偽検知の数に非対称的な反応が見られる事からも、今回記録された事態は真正のゲリラに対する攻撃の過程で生じた不可避の付随的損害で片付くものではなく、民間人を殺害したうえでこれをゲリラ戦闘員であったと装うよう方向付けられた軍事部隊による、組織ぐるみの行動であったのだという我々の解釈は裏付けを得ている。

この点はさらに、近年増えてきた、司法部またメディアによる調査からの事例研究的実証データとも軌を一にしている。国連特別報告官のフィリップ・オールストンは 「結果を見せよ」 という圧力とそれに応ずる行為に対する褒賞が虚偽検知の一因であると、専門家から – 軍内部の専門家からも – 指摘されているとの見識を述べているが、同氏に対し或る兵士が、自らの所属する隊が殺害行為1件を遂行した場合15日間の休暇以て褒賞されていたというその実態を説明している: 「大事な祝日が近づけば兵士達はなんとか休暇を 『稼いでおこう』 としたものです、と彼は述べたのだった」(Alston 2010, p. 11)。別の兵士で、2007年から2008年の間に優に25件もの虚偽検知事件の発生を目撃した者がいるが、同人物は2005年政府指令第29号 [government Directive 29 of 2005] を引きつつ、同指令が殺害行為または軍需資材に対し約束している金銭的褒賞を請求するために、軍人員は民間人を殺害したうえで彼らに武器を 『植え付け』 ていたと述べている。

我々の提示する実証データはさらに、コロンビアが採用したトップダウン式国家建築戦略は単に人類の悲劇をもたらすばかりか、それが意図する目的との関連でも逆効果となる可能性が在ることを示している。ここで今一度、ゲリラ殺害への強いインセンティブに直面した国家エージェントを想像されたい。司法機関の水準が劣るほど、民間人殺害しておきながら事無きを得るのも容易になると考えられるが、そうした状況下では国家エージェント側で地方司法機構の弱体化を図る行動を起こす場合も考え得る。事実、経験的実証データは大佐階級が指揮する部隊が高い割合を占める地区で司法機関の水準に悪影響が出ていること、またこちらはさらに逆説的だが、こうした地区では保安水準も悪化している (民間人に対する、ゲリラによる攻撃と準軍事部隊による攻撃の双方が増加している) ことを指し示している。

コロンビアにおけるトップダウン式の、一面的国家建築計画は、したがってそれが達成しようと掲げている目的との関連でさえ反生産的なのだ。同計画はその進行過程で国家的能力におけるその他の側面を弱体化させただけでなく、恐らくは国家の正統性と自らに対する承認から生ずる力を台無しにしてしまったのであるが、こうした承認の力こそ実は国家的能力の中心を占めるものかもしれないのだ (その理論的考察についてはAcemoglu 2005、コロンビアの事例についてはIsacson 2012を参照)。今回の分析から得られる主要な教訓は、たとえ暴力の正統的独占の達成を目指す場合であっても、国家の多様な側面における諸機関を同時的に築き上げる取組みが決定的に重要であり、また問責可能性の欠けたまま、そして司法府といった国家機関が脆弱な時節に採用された強化インセンティブは、極めて捻くれた振舞いを見せ得ることである。

同様に捻くれた意図せざる結果の発生を予感させるトップダウン式の一面的国家建築活動には、他にも数多くの例が在る。例えばペルーとグアテマラでは、紛争後の真実和解委員会によって民間人殺害の拡大が記録されている。同委員会の報告によれば、ペルーでのこうした殺人は、トップダウン式の保安第一論理がその誘因となっているという: 「軍事的アプローチに特権を付与することで、対反乱分子戦略における主要目標の1つとして武装蜂起の人員・同調者・協力者の抹消が挙げられ、権限の有る司法当局の下で裁判を受けさせるためにこうした人物を捕縛するという目標すらも措いて優先された」(Comisión de la Verdad y la Reconciliación 2003, p. 146)。グアテマラの同委員会も我々の研究と似た結論に至っており、次の様に論述する:

「軍事化が刑事免責の支柱と化したのだ。軍事化はさらに、広い意味で国家機関を弱体化させることでそうした機関が効率的に機能するための能力を損なわせ、結局それが正統性を喪失する一端を担った」(Comisión para el Esclarecimiento Histórico 1999, p. 28).

同論述の結びは次の様になっている: 「司法制度は、そもそも本国における多くの地区では武装扮装が起こる前にも不在だったのだが、司法部門がこの支配的な国家保安モデルからの要求に屈服してからはなお一層弱体化が進んだ」(p. 36)。

こうした問題はラテンアメリカの外でも無関係ではない。国家が喪失していた暴力の独占をトップダウン式に再創出しようというソマリア・アフガニスタン・イラクにおける試みはみな、ここ数十年のあいだに裏目に出たように思える。我々の一般的アプローチの視点から展望するのなら、この様な事態が生じた一因として、そうした試みが保安軍に対し反抗者や反乱分子との戦闘に向けた強力なインセンティブを創出しようとしながらも、関連機関や地域住民からの支持を築き上げる為の努力の多くを欠くものだったためだとも言い得よう。

ここでアンナ・カレーニナの冒頭を飾るトルストイの有名な一文がふと思い浮かぶ: 「幸福な家庭はみな似ている; しかし不幸な家庭には全てそれぞれの不幸がある」。上手に事を運ぶため数多くの要素が手を携えて進む必要がある時には、失敗は多種多様な形で生じ得る。国家建築というのは – ちょうど関係構築と同じ様に – そもそもそう容易いものではない。それを成功させようと思うなら、人は実に数多くの側面と取組んでゆかなければならない、この1点だけは明らかなようだ。

参考文献

Acemoglu, D (2005) “Politics And Economics In Weak And Strong States,” Journal of Monetary Economics, 52(7), 1199-1226.

Acemoglu, D, L Fergusson, J A Robinson, D Romero and J F Vargas (2016) “The Perils of Top-Down Statebuilding: Evidence from Colombia’s ‘False Positives’,” NBER Working Paper No. 22617.

Alston, P (2010) “Report of the Special Rapporteur on extrajudicial, summary or arbitrary executions,” Mission to Colombia, United Nations, Human Rights Council.

Besley, T and T Persson (2011) Pillars of Prosperity, Princeton: Princeton University Press.

Comisión de la Verdad y la Reconciliación (2003), Informe Final, Tomo VI: Sección cuarta: los crímenes y violaciones de los derechos humanos. Available at http://www.cverdad.org.pe/ifinal/index.php

Comisión para el Esclarecimiento Histórico (1999), Memory of Silence: Report of the Commission for Historical Clarification: Conclusions and Recommendations, Available at http://www.aaas.org/sites/default/files/migrate/uploads/mos en.pdf.

Fearon, J D and D D Laitin (2003) “Ethnicity, Insurgency, and Civil War,” American Political Science Review 97(1): 75-90.

Fukuyama, F (2011) The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Fukuyama, F (2014) Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Grävingholt, J, J Leininger and C von Haldenwang (2012) “Effective statebuilding? A review of evaluations of international statebuilding support in fragile contexts,” Available at http://www.oecd.org/derec/denmark/effective_statebuilding.pdf

Holmström, B and P Milgrom (1991) “Multitask Principal-Agent Analyses: Incentive Contracts, Asset Ownership, and Job Design,” Journal of Law, Economics and Organization, 7(0), 24-52.

Human Rights Watch (2015) “On Their Watch: Evidence of Senior Army Officers’ Responsibility for False Positive Killings in Colombia,” Available at https://www.hrw.org/report/2015/06/24/their-watch/evidence-senior-army-officers-responsibility-false-positive-killings

Huntington, S P (1968) Political Order in Changing Societies, New Haven: Yale University Press.

Isacson, A (2012) “Consolidating Consolidation,” Washington Office on Latin America, Available at http://www.wola.org/files/ConsolidatingConsolidation.pdf. Last accessed March 7, 2016.

Weber, M (1946) “Politics as a Vocation,” in From Max Weber: Essays in Sociology, translated and edited by H.H. Gerth and C. Wright Mills, New York: Oxford University Press.

World Bank (2012) “Guidance for Supporting State Building in Fragile and Conflict-Affected
States: A Tool-Kit,” Available at http://siteresources.worldbank.org/PUBLICSECTORANDGOVERNANCE/Resources/ 285741-1343934891414/8787489-1347032641376/SBATGuidance.pdf 

 

ダロン・アシモグル, スレシュ・ナイドゥ, パスカル・レストレポ, ジェームズ A ロビンソン 『民主主義は格差を是正してくれるのか?』 (2014年2月7日)

Daron Acemoglu, Suresh Naidu, Pascual Restrepo, James A Robinson “Can democracy help with inequality” (VOX, 07 February 2014)


格差問題はいま、西欧民主主義諸国での討論に目立って現れる論題となっている。民主主義諸国においては、拡大し続ける格差も部分的には再配分への政治的支持の増加によって相殺されるのではないかと人は考えるかもしれない。本稿では、民主主義・再配分・格差の関係にはその様な予想を超える複雑性が有る事を主張する。新しく民主化した国におけるエリート層が今までとは違うやり方で権力にしがみ付いたり、職業選択の自由化がそれまで締め出されていた諸集団のあいだの格差を拡大させたり、中間層が再配分の際に富裕層からのみではなく貧困層からも所得を取り上げるといった事態も起こり得るのである。

現在、北アメリカや西ヨーロッパで拡大を続ける格差がもたらす帰結について非常に強い懸念が寄せられている。情勢はさらに政治体制の寡頭化へと進みゆき、政治的・社会的安定を危機に陥れるものとなるのだろうか? 多くの者がこの流れを不可解に思っているが、それは他でもない民主主義諸国においてこのような事態が生じているからだ。民主主義社会には、専ら金融制度を通してということになろうが、格差の台頭を押し留めるなり引き戻すなりする事のできる政治的メカニズムが備わっているはずである。実際、政治経済の領域で最も中心的なモデルの1つとしてもともとMeltzerとRichard (1981) に端を発するものがあるが、同モデルが示唆するのも 「民主主義国における大きな格差は、政治的強者 (同著者のモデルでは、所得分布においてメディアン値に位置する者がこれに該当する) をして租税・再配分レベルの引き上げを目指しての投票に導くはずなので、それが拡大する格差を部分的に相殺してくれるだろう」との事なのである。

だが民主主義国でどんな事態が生じてくるのかを問う前に、それよりもさらに根源的な幾つかの論点に対して問を立ててみる事もできよう。つまり、民主主義諸国は独裁制諸国と比べてより多く所得再配分を行うというのは、事実問題として正確な認識なのだろうか? 或る国が民主主義国に成ると再配分の拡張や格差の縮減が行われるという傾向は本当に存在するのだろうか? こういった論点に関する既存の研究は、確かに浩瀚ではあるが、かなりの見解の衝突を含んでいる。AcemogluとRobinson (2000) またLindert (2004) をはじめ、諸般の歴史研究は民主化が再配分を拡張し格差を縮減するものであると示唆する事が多い。しかし国家横断的データを用いたGilら (2004) によれば、Polityスコアに従って計測されたところの民主主義と、何らかの政府支出および政策結果との間には、一切相関性が見られなかったという。民主主義が格差に及ぼすインパクトに関しての実証データの方もまた同じように不可解である。SirowyとInkeles (1990) が夙に行った調査では、『既存の実証データは、或る時に計測された政治的民主主義の水準には、所得格差水準の低下との一般的な関連性をみせない傾向が有ると示唆している』 (p.151) との結論に至っているのだが、Rodrik (1999) によると、Freedom HouseとPolity III双方の民主主義基準に、「製造業における平均実質賃金」・「賃金が国民所得に占める割合」との正の相関が有る事が確認されたという (生産性・一人あたりGDP・物価指標の分も調整したモデルにおいても)。

我々は近時のワーキングペーパー (Acemogluら2013) で上記の論点に対し、理論的観点・実証的観点の双方から再検討を試みた。

 理論的ニュアンス

先ず我々は理論的観点から、民主主義・所得再配分・格差の関係がこれまで紹介してきた議論が示唆するところを上回る複雑性をもっている可能性を指摘している。第一に、民主主義は 『拘束』 されたり 『制約』を受けていたりするかもしれない。具体的にいえば、民主主義が法レベルでの権力分配を変革する事は明らかであるとしても、政策の成果や格差は法的レベルのみならず事実レベルの権力分配にも依存しているのである。AcemogluとRobinson (2008) では、一定の状況においては、民主化によって自らの法レベルでの権力が侵されるのを目の当たりにしたエリート層が、引き続き政治過程を支配してゆこうとして、その目的を十分果たせるよう事実レベルでの権力に対する働きかけを強める事も考えられるという主張をしている (これは例えば、地域における法執行機能のコントロール・非国家的武装勢力の動員・ロビー活動などといった政党制度を拘束する手段を通して行われる)。そうであれば、民主化のインパクトが再配分や格差に及ぼす影響にもさしたるものは見られない事となろう。同様にして、民主主義が一方では憲法・保守的政治家・司法部門といった、上記のものとはまた別な法レベルの制度体制によって、また他方で政変・資本流出・エリート層の慢性的脱税といった事実レベルでの懸念材料によって制約を受ける場合もあるかもしれない。

また民主化の結果 『格差拡大的な市場機会』 が生じる可能性も在る。非民主主義が、一国の人口に大きな部分を占めている層を生産的職業 (技能労働職など) や企業活動 (うまみの有る諸般の契約の締結も含まれる) から排斥するというのも、アパルトヘイト期の南アフリカや前ソヴィエト連邦でみられたように、在り得る事だろう。この人口層の中にもまた無視しえないほどの不均一性が存在するなら、その程度にしたがって、より公平となった場で以前のエリート層を傍らにしながら行われる経済活動への参加の自由は、実際のところこの排斥ないし抑圧を受けていた人口層の内部における格差の拡大、ひいては社会全体における格差拡大にまでつながりかねないのである。

最後に、これはStiglerの 『Director’s Law』 (1970) とも軌を一にしているのだが、民主主義は政治権力を中間層に移転させるものであるとしても、貧困層に移転させるものではないかもしれない。そうであるなら、所得再配分の拡張や格差の縮減は中間層がその様な所得再配分に好意的であって初めて望み得るものとなろう。

 

しかし厳然たる基礎的事実はどうなっているのだろうか、それは以上の様なメカニズムのどれか1つでも裏付けているだろうか?

実証成果

セクション横断的 (国家横断的) 回帰分析、或いは特定国家的影響の調整を行わない回帰分析には、民主主義と格差に対し同時相関的である可能性の高い他のファクターがかなり混入していると考えられる。したがって我々の研究では諸国を対象とする一貫したパネルに焦点をおき、民主化した国が、そうでない国よりも所得再配分を引き上げたり格差を縮減したりするのか調査した。また民主化の定義にはFreedom HouseおよびPolityの指標に基づいたものを一貫して用いており、PapaioannouとSiourounis (2008) の研究を発展させるものとなっている。

これら指標が抱える問題の1つとして、相当の計測誤差が挙げられる。こういった計測誤差の影響を最小化する為に、我々はFreedom HouseならびにPolity双方のデータセットから得た情報、およびその他の民主主義コードを用いた二分法的計測手法を生み出し、曖昧なケースの判定を図った。こうして、1960年から (または1960年以降の独立時点から) 2010年まで年毎に184国における民主主義の二値的計測をするに至った。また我々の計測結果の内で関連性の高いものについては、そのダイナミクスのモデル化にも特別の注意を払った –GDPのパーセントで表した租税や構造的変化ならびに格差に関する様々な計測値がそういった計測結果にあたる。

我々の実証研究は多くの興味深いパターンを明らかにしている。第一に、GDPのパーセントで表した税収に対し (またGDPのパーセントで表した政府総収入に対し)、民主主義が頑健かつ量的にも大きな影響をもっている事がわかった。民主主義は我々の選んだ設定においては長期的にみて、GDPの割合で表した税収を約16%上昇させる効果をもっていた。このパターンは様々な異なった計量経済学的テクニックを用いても、さらに動乱や戦争また教育などといった租税に対するその他の潜在的決定因子の組み入れても、頑健性を保った。

第二に、中等学校への就学率、および社会構造の変化 (例: 非農業部門の雇用および産出が全体に占める割合) に対し民主主義が一定の効果を有することを明らかにした。

しかしながら、第三に、格差に対する民主主義の効果の方はずっと限定的であることも発見している。確かに一部計測基準と一部モデルは民主化のあとに格差が縮減する事を示しているが、それでも当該データ中に頑健なパターンは一切みられなかった (少なくとも租税および政府収入に関する調査結果に匹敵するようなものが無いのは確かである)。勿論、これが格差データの質が比較的低いことの反映である場合も考え得るが、我々としては、これが既に上で指摘したところである民主主義と格差の間のもっと微妙かつ複雑な理論的関係に関わるものではないかとも怪しむのである。

第四に、民主主義が租税や格差に及ぼす不均一な影響にそういったもっと微妙な理論的関係と整合的なものは在るのかを調べたのだが、その結果得られた実証データが指し示しているのは、高度な土地格差が存在する社会における民主主義がもつ格差拡大効果であり、我々はこれを土地所有エリート層によって民主主義的意思決定が (部分的に) 拘束されていること実証するものだと解釈している。さらに格差は、合衆国のトップ層所得割合に照らして測定した場合、非農業的性質が比較的色濃い社会や、不平等促進的な経済活動がグローバル経済で比較的活発であるときには (こちらの方は頑健性が低くなるとはいえ)、民主化を経て拡大してゆくことも明らかになった。こういった相関は民主主義が生み出す市場機会へのアクセスがもつ格差縮減効果とも整合的である。さらに我々は、中間層が富裕層および貧困層との比較関係において富裕層に近くなると、民主主義は格差および租税を拡大する傾向が有ることも突き止めた。この相関はDirector’s Lawとも整合的である。同書は民主主義が中間層をして富裕層と貧困層の両者から取り上げ、自身に与える再配分を行うことを許すと示唆するものであった。

結論

以上の調査結果は確かに我々が民主主義に関して抱いている直感の一部が正しいことを示唆するものである –民主主義は確かに、再配分および政府指針の決定に対し最優先的重要性をもつエリート層の手から政治権力が現実にシフトしたことを現わしている。しかしながら、民主主義が格差に及ぼす影響は過去に期待されていたところよりずっと限定的なのかもしれない。

それはもしかしたら、最近の格差の拡大が技術の変化に引き起こされたという意味で 『市場誘発』 されている為なのかもしれない。しかし一方で我々の研究は、民主主義が格差に対抗的に働くものではない可能性が在る理由を幾つか示唆してもいる。最も重要なのは、Director’s Lawで述べられたように、中間層が民主主義を利用して自身に対する再配分をめざすから、そうなってしまうのかもしれない点である。とはいえ、合衆国における格差の拡大はこれまでのところ中間層および貧困層双方と対照をなす超富裕層の占める所得割合にみられる相当な膨張と関連付けられてきたので、Director’s Law型のメカニズムにはこの流れに対抗的に働くような政策変化が現れていないことを上手く説明できそうにないとの印象を受ける。何か別の政治的メカニズムが働いていることは明らかであり、その性質解明に向け、さらなる調査研究が求められる。

 

参考文献

Acemoglu, Daron and James A Robinson (2000), “Why Did the West Extend the Franchise?”, Quarterly Journal of Economics, 115: 1167–1199.

Acemoglu, Daron and James A Robinson (2008), “Persistence of Power, Elites and Institutions”, The American Economic Review, 98: 267–291.

Daron Acemoglu, Suresh Naidu, Pascual Restrepo, and James A Robinson (2013), “Democracy, Redistribution and Inequality”, NBER Working Paper 19746.

Gil, Ricard, Casey B Mulligan, and Xavier Sala-i-Martin (2004), “Do Democracies have different Public Policies than Nondemocracies?”, Journal of Economic Perspectives, 18: 51–74.

Lindert, Peter H (2004), Growing Public: Social Spending and Economic Growth since the Eighteenth Century, New York: Cambridge University Press.

Meltzer, Allan M and Scott F Richard (1981), “A Rational Theory of the Size of Government”, Journal of Political Economy, 89: 914–927.

Papaioannou, Elias and Gregorios Siourounis (2008), “Democratisation and Growth”, Economic Journal, 118(532): 1520–1551.

Rodrik, Dani (1999), “Democracies Pay Higher Wages”, Quarterly Journal of Economics, 114: 707–738.

Sirowy, Larry and Alex Inkeles (1990), “The Effects of Democracy on Economic Growth and Inequality: A Review”, Studies in Comparative International Development, 25: 126–157.

Stigler, George J (1970), “Director’s Law of public income redistribution”, Journal of Law and Economics, 13: 1–10.

 

ダロン・アセモグル「インタビュー:近現代の経済成長」

[Daron Acemoglu, “Modern economic growth.” Interviewed by Romesh Vaitilingam, VoxEu, February 27, 2009.]

翻訳PDF

ようこそ,Vox Talks へ.このシリーズでは世界の先進的な経済学者のインタビューをお送りしています.私は Romesh Vailtilingam.本日は MIT のダロン・アセモグル教授のインタビューです.インタビューが行われたのは2009年1月,サンフランシスコで開かれたアメリカ経済学会の年次大会においてで,彼の新著『近現代の経済成長入門』について語り合いました.最初に,19世紀まで何百年にもわたってまったく成長がなかったのはなぜなのか,彼に質問しました.
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