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ピーター・T・リーソン 「西欧世界における魔女狩りの今昔」(2018年9月1日)

Peter T. Leeson, “Witch hunts in the Western world, past and present“, (VOX, 01 September 2018)


トランプ大統領は、2016年大統領選挙でのロシア疑惑をめぐるロバート・ミュラー特別検察官による捜査は 「魔女狩り」 だとことあるごとに言挙げする。本稿では、この現在の 「魔女狩り」 にもヨーロッパの 「魔女狂騒」 にも、その背景に競争がある可能性を論じてゆく。競争は、今日では民主党と共和党のあいだに; 16世紀と17世紀のヨーロッパでは、ポスト宗教改革期のキリスト教世界におけるカトリシズムとプロテスタンティズムのあいだにあった。

「魔女狩り ([w]itch hunts)」- 悪の勢力を、それが本物なのか想像上のものなのかにはお構いなしに摘発し、その追放ないし撲滅をめざす – は、西洋史に繰り返し登場するテーマだ。今日では、ドナルド・トランプ大統領ないし彼の擁護者の誰かが、2016年合衆国大統領選挙をめぐるロバート・ミュラー特別検察官による 「ロシア疑惑」 捜査は 「魔女狩り」 だと言挙げしないうちに終わる日は殆ど無いかのごとくである (Paschal 2018)。四百年前も、誰か西ヨーロッパにいる人が、こちらは譬えでなく本物の魔女であるとの嫌疑で当局によって摘発・訴追されずに終わる日は殆ど無いかのごとくだった。そして驚くべきことに、これら魔女狩りはいずれも、ひとつの同じ力の所為で生じたのかもしれないのだ: その力とは、すなわち競争である。

通説的な意見が久しく主張してきたところ、1520年から1700年にかけて少なくとも40,000名の人命を奪い、訴追をうけた人の数ではその二倍にも及ぶヨーロッパの 「魔女狂騒 (witch craze)」 は、悪天候に端を発するものだったといわれる。そう考えるべき理由も無い訳ではない: ヨーロッパの魔女狩りは 「小氷期 (Little Ice Age)」 と重なる時期に起きた。この時期をとおし、気温の低下が穀物に被害を及ぼし、従って市民にも経済的被害が出たのだが、不満を抱えた市民がスケープゴート探しに繰り出すことはしばしばある – そのスケープゴートが16世紀17世紀には、文字通りの魔女だったという訳である。Emily Oster (2004) はこの仮説を実証的に調査した初の研究だが、1520年から1770年にかけて11のヨーロッパ地域でおこなわれた魔女裁判に関するデータを活用した彼女の同研究では、悪天候説を支持する事項が確認されている。

だが、母なる自然が誘発した災難、例えば悪天候に端を発するそれが、ヨーロッパにおける魔女狂騒の発生について有責であるなどということが本当にありうるのだろうか? 穀物不作・旱魃・疾病は、魔女狂騒以前にも未知の出来事どころではなかったのである。例えば14世紀前半には、大飢饉 (Great Famine) がドイツ・フランス・ブリテン諸島・スカンディナビア半島の人口を根こそぎにした; しかし魔女狩りは起きなかった。さらに付言すれば、16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパにおいては近隣地区のあいだでも天候が劇的に異なっていた、などということはないだろうが、魔女問題で訴追された人の数にはしばしばそうした異なりがみられたのである。

そこでジャコブ・ルスと私の最近の論文のなかでは、過去の歴史におけるヨーロッパの魔女狩りについてこれとは異なるひとつの原因を仮定している: ポスト宗教革命期のキリスト教徒世界にみられた、カトリシズムとプロテスタンティズムのあいだの競争である (Leeson and Russ 2018)。歴史上はじめて、宗教革命は多数のキリスト教徒に一個の宗教的選択肢を与えた: 旧い教会の固守か、新しい教会への乗り換えか。然るに協会に通う人達が宗教上の選択をおこなうようになれば、教会間での競争が生じざるをえない。

競争相手に対処する方法としては、相手を法律で禁制にしてしまうのがひとつの手である; ほかには暴力による圧殺というのもある。カトリック教会は競争相手たるプロテスタントに対しこれら両手段を試みたのであるが、成果は乏しかった。マルティン・ルターによる九十五ヶ条の論題からはや数年のうちに、市民のあまりに多くが、またさらに重要な点だが、キリスト教世界における統治者のあまりに多くが、すでに改宗者となっていた。カトリックの牙城であるスペイン・イタリア・ポルトガルといった国の外では、多くの統治者が異端審問によるプロテスタント競合力の鎮圧に乗り気でないことが判明したのである。

そこで教会は自らの市場シェアを維持するために別の手を打たねばならなくなった。教会が取った方策は、当時魔女信仰がポピュラーだったことに鑑みれば驚くには足りないものだったし、相手のプロテスタント側もこれを即座に模倣したのである。すなわち、信者を勧誘するための活動の一環で、互いに競合する宗派は、自分の方が現世におけるサタンの邪悪の顕現から市民を守る能力に優れていることを世に知らしめるのに、魔女の嫌疑のある者の訴追を以てしたのである。現代の共和党と民主党が選挙期間中に政治的激戦区で未だ心を決めていない投票権者の帰属心を取り込むキャンペーン活動を重視しているのと似て、過去の歴史におけるカトリックとプロテスタントの有職者も宗教改革期および反宗教改革期には、宗教的激戦区での魔女裁判活動を重視し、未だ心を決めていないキリスト教徒の帰属心を取り込もうとしたのである。

魔女の嫌疑が掛かけられた者40,000名超をふくむ新たなデータの分析をつうじて – これら人物の裁判は、ヨーロッパ21ヶ国で、千年紀で計ればその半ばを超える長さ (1300年-1850年) にわたって行われている -、ルスと私は、宗派戦争で計測するかぎり宗派間競争が激しかった時と場所ほど、魔女裁判活動も激しかったことを突き止めた。これと対照的に、悪天候には裁判活動との関係が全くみられなかった。

図 1 ヨーロッパの魔女問題, 1300-1850

我々のデータは、魔女狂騒が1517年のプロテスタント宗教改革ののちになって初めて、この新たな信仰の急速な広まりを追う形で進行したことを浮き彫りにする。魔女狂騒は1555年前後から1650年前後にかけて最高潮を迎えたが、これら年月は消費者たるキリスト教徒の獲得をめざす競争が最高潮を迎えた時期と重なる形で存在している。カトリック反宗教改革がその証拠だが、この反改革期にカトリックの有職者は、プロテスタントがキリスト教徒の改宗に収めた成功に対し、多数のヨーロッパ地域にわたりアグレッシブに反撃した。ところがその後1650年頃になると魔女狂騒は垂直降下的な衰退を始め、魔女問題での訴追は事実上1700年までに姿を消してゆく。

17世紀中頃に魔女狂騒を停止させたものの正体は何なのか? ウェストファリア条約 (Peace of Westphalia)。1648年に締結されたこの条約が、カトリックとプロテスタントのための恒久的な領土的独占圏の創設によって、数十年続いたヨーロッパの宗教戦争とその契機たる宗派競争の多くに終止符を打ったのである。この恒久的な領土的独占圏というのは、排他的支配権の及ぶ地域をさし、そこでは一方の宗派が他方宗派の競合力から保護されることとなった。

ルスと私の提唱する仮説は、魔女狂騒が地理的に集中していたはずであること、すなわちカトリック-プロテスタント対立が最も強烈なところが拠点となるとともに、その逆もまた真であることも予測する。そして実際にその通りだった。ドイツだけで、この宗教改革の爆心地たる国だけで、ヨーロッパにおける全ての魔女問題訴追事例の40%近くを占めていたのである。これと対照的に、スペイン・イタリア・ポルトガル・アイルランド – それぞれ宗教改革後も教会への帰属心を堅持するとともに、プロテスタンティズムとの容易ならぬ競争がついに見られなかった – は、全部合わせても、魔女問題で裁かれたヨーロッパ人のたった6%を占めるにすぎない。

恐らく、いまトランプ大統領が、自分と関係者が曝されていると主張する 「魔女狩り」 なるものも、なにか同じ様な、競争-駆動型の現象の反映なのではなかろうか。トランプが大統領選挙に勝った事実に不満で、彼の弾劾を欲しているが現時点ではそれが不可能であるので、民主党指導層は別の手法を奨励しているのだ: 任務遂行につなげるべく、トランプと関係者の 「汚点 (dirt)」 を掘り出せ、と。何も出てこなくとも、少なくとも選挙民は 「悪の根絶 (rooting out evil)」 に対する指導層のコミットメントを信じてくれるだろう。それは次期選挙において共和党に対し一歩先んずることにつながる。

それに次のような並行点もある: カトリック教会は、16世紀の宗教市場競争に直面するまで殆どの場合に魔女裁判の実行を避けてきただけでなく、15世紀の始まりまでは魔女の実在性そのものを否定していた。恐らくこれと同じ様な話だろう、いまや 「ロシアの魔女」 がアメリカ政治に魔法をかけていることを確信している民主党指導層も、1950年代のジョセフ・マッカーシーによる 「魔女狩り」 を非難し、「赤い魔女」 の実在性を否定していたのである。どうやら魔女の実在性すら、競争によって左右されてしまうようだ。

参考文献

Leeson, P T and J W Russ (2018), “Witch Trials”, Economic Journal 128: 2066-2105.

Oster, E (2004), “Witchcraft, Weather and Economic Growth in Renaissance Europe”, Journal of Economic Perspectives 18: 215-228.

Paschal, O (2018), “Trump’s Tweets and the Creation of ‘Illusory Truth”, The Atlantic, 3 August.

 

ヤン・アルガン, エリザベス・ビーズリー, ダニエル・コーエン, マーシャル・フーコー 「ポピュリズムの勃興と左派右派パラダイムの崩壊: 2017年フランス大統領選挙の教訓」(2018年9月7日)

Yann Algan, Elizabeth Beasley, Daniel Cohen , Martial Foucault, “The rise of populism and the collapse of the left-right paradigm: Lessons from the 2017 French presidential election“, (VOX, 07 September 2018)


2017年フランス大統領選教は、伝統的な左派右派政治軸からの離脱のほんの一例に過ぎない。本稿では、この変容を理解する鍵は主観的変数であることを論じてゆく。伝統的な左派右派軸上の投票は、再分配に関する見解と相関しており、所得や社会的地位といった社会経済変数から予測される。しかしフランスの2017年選挙における投票は、個人的かつ主観的な変数に駆動されていたようであり、幸福感の低さは 「反体制 (anti-system)」 的意見と (左派にせよ右派にせよ)、対人信頼感の低さは右翼ポピュリズムと、それぞれ結び付いている。

ブレクジットからドナルド・トランプの選出に至るまで、西側およびヨーロッパ諸国の多くでポピュリスト政党が勢いを増している (Dustmann et al. 2017)。そうした国を幾つかあげれば、ポーランド・ハンガリー・スイス・デンマーク・オーストリア・フィンランド・フランス・イタリア・ドイツ。事態の進行は、2017年フランス大統領選挙でのマリーヌ・ル・ペンの第二回投票進出や2018年イタリアでのポピュリスト連立政権において頂点を向かえた1

とりわけ2017年フランス大統領選挙は、第二次世界大戦終結以降健在だった、伝統的な右派左派の政治軸の崩壊を如実に示すものとなった。2002年の例外を除いては、2012年に至るまでのすべての大統領選挙において、フランスの投票者は最終的に第二回投票で左翼候補者か右翼候補者かの選択ができた。しかし2017年、フランソワ・フィヨンが第一回投票で三位に、かたや左派のリーダーで、よりラディカルな装いで登場したジャン=リュック・メランションも四位に終わった。第二回投票はエマニュエル・マクロン (そのモットーは 「右でも左でもなく (neither right or left)」) とマリーヌ・ル・ペン (極右政党 「国民戦線」 のリーダー) の対決となった。結局マクロンが余裕のある得票差をつけて勝利することになったが、フランスの政治風景はラディカルな変貌を遂げたのである。

そんななか我々の新たな論文では、この新しい政治空間を分析するため、パリ政治学院のフランス政治研究センターが収拾した独自データセットを活用している。2015年11月から同2017年選挙に至るまで、月毎の質問紙が約17,000名のパネル構成員に配布された (Algan et al. 2018)。本データセットの規模と射程のおかげで、従来は不可能だったようなやり方で投票選択を精査することが可能になった。本データセットには、諸般の社会経済変数・地理的所在・経歴に加えて、多岐にわたる主観的情報 – 人生満足度・対人信頼感・対制度信頼感・イデオロギーに関わる種々の側面 – が含まれている。

変わりゆく政治選択の構図

標準的な投票者選択モデルでは単一の左派右派軸が設定されるが、これは基本的に再分配問題をめぐるものである。左派 – 貧者の政党 – はより多くの再分配を、右派 – 富裕者の政党 – はより少ない再分配を、それぞれ追求する。そしてメディアン投票者が両者のあいだの均衡点を決することになる。だが現実世界の政治は、ちょうどフランス2017年選挙で明らかになったように、投票者の選択がもはやその様に機能していないことを明らかにする (かつてそのように機能していた時があったとしても)。それはひとつには、相対的に貧しい投票者であれば必ず再分配を追求し、また相対的に富裕な投票者であれば必ずそれに反対する、というわけではないからだ。ル・ペン投票者 (極右) は、平均的にみて、メランション投票者 (ラディカル左派) と同じくらい貧しいのだが、フランス政治研究センターに対するかれらの回答に従うかぎり、ル・ペン投票者はメランション投票者ほど再分配を追求していない2。対称的に、マクロン投票者は、平均的にみて、フィヨン投票者 (保守右派) と同じくらい富裕なのだが、再分配に対してはさほどまで敵対的でない。

自らの財政的利益から逸脱するような一部投票者の行動に説明付ける主要因子は何か。それは教育かもしれない。教育と所得は明らかに相関しており、両者は古典的なミンサー型関数の曲線によって関係付けられている。この曲線上に位置しない者の稼得額は、その教育水準から期待されるようなところを上回るあるいは下回っていることになる。興味深いことに、この種の乖離が最大である二集団は、旧来の左派右派軸に属する人達なのだ (図1を参照)。メランションとフィヨンの投票者は、平均的にみて、似通った教育水準をもっているが、メランション投票者は所得がその教育水準から予測されるところを下回るとともに、再分配を強く支持している。かたやフィヨン投票者は、その教育水準を条件とした期待所得を上回るとともに、一般的に再分配に反対する。メランション投票者の側には独特の不公平感が存在し、これがかれらを再分配の追求へと導いている – かれらの稼得額は、自らの教育水準に鑑みれば当然手にすべきと感じる水準を下回っているのである。フィヨン投票者にはこのちょうど正反対があてはまる。

図 1 平均的な所得と教育水準

: 2012年 (左) と2017年 (右) における各候補の投票者に関する教育水準と所得の加重平均 [訳註1]。教育年は申告学位から推定したものだが、結果は教育水準変数について別様の特定法を用いて頑健性を保っている。Abst/Blanc/null は、投票しなかった者または無効票となった者。

ル・ペンとマクロンの投票者はその教育水準から期待されるようなところに近い所得を得ている。また両集団には再分配に関する強い選好が欠落している。貧しいル・ペン投票者は、なぜ増税が自らの利益になると考えないのか、富裕なマクロン投票者は、なぜ減税が自らの利益になると考えないのか? 以下でこの決定的な謎を検討してゆく3

人生満足度と対人信頼感

我々は人生満足度および対人信頼感 (制度ではなく、人に対する信頼をさす) を用いて、右派左派軸にみられる不具合の理由、そして恩恵を受けられそうなのに一部投票者が再分配政策を支持しないのは何故か、その説明を試みる。

図 2 投票選択ごとにみた、対人信頼感と人生満足度

: 2017年第一回投票における各候補者の投票者による、対人信頼感 (y軸) と人生満足度 (x軸) に関する回答の加重平均。どちらも、平均を0、標準偏差を1に標準化している。

人生満足度により投票民はふたつの集団に分かたれ、対人信頼感によってそれぞれの集団がさらにふたつの集団に分かたれる4。ル・ペンとメランションの投票者は、平均的にみて、自らの人生への満足度が最も低い。対してマクロンとフィヨンの投票者は、平均的にみて、人生に最も満足している。対人信頼感により選挙民は横軸上で分かたれる: マクロンとメランションの投票者は高い水準の対人信頼感を共有しているが、フィヨン投票者はそれより低い水準、ル・ペン投票者は極端に低い水準となっている。

これら主観的変数はイデオロギーと投票選択の双方と呼応している: 人生満足度が低い投票者は反体制的であるとともにラディカルな左右のポピュリストを支持しており、対人信頼感が低い投票者は社会契約に懐疑的である。メランション投票者は、高い対人信頼感をもっているので、社会正義を信じているし再分配にも好意的だ。ル・ペン投票者にはその正反対があてはまる – かれらは、たとえ再分配から恩恵がえられる可能性が原理的にはあるとしても、それが解決策として機能するとは信じない。ル・ペン投票者は対人信頼感が低いので、社会契約に懐疑的であり、再分配政策から恩恵を受けるのは自分達ではなく誰か別の人達だろうと感じているのだ。マクロン投票者となると、前述の両側面でル・ペン投票者の正反対となる: マクロン投票者は対人信頼感が高いので、原則的には、再分配制度に反対ではない; かれらは、それが求められる場面では、再分配制度も上手く機能するかもしれないと考えている。ただし、富裕であるとともに自らの人生に満足しているマクロン投票者は、要するにそれが求められているとは考えていない。これらの効果は互いに打ち消し合い、結局かれらは再分配に対し概して無関心となっている。最後に、この呼応の系を完成させるフィヨン投票者だが、かれらは人生満足度が高く (従って再分配が必要だとは信じない)、また対人信頼感は低い (従って再分配が求められていたとしても、それは上手く機能しまいと信じている)。

人生満足度と対人信頼感は、個人的変数と社会的変数の両方と関連付けることができる。人生満足度は個人的な社会経済特性、とりわけ所得と、緊密に関係している。対人信頼感のほうは、人生の比較的早い時期に決定してしまう因子により説明される: 両親の職業階級、とりわけ両親のかつてよりも成功しているかいないかとの質問、また育った土地の文化などである。Le Bras and Todd (2013) は詳細な歴史データを活用して、フランスにおける地方の歴史的差異がル・ペンを是とする投票と高度に相関していることを証明している。具体的には、拡大家族が共働する伝統をもち諸般の地域慣習を形成しているフランス南西部では、対人信頼感が高く、ル・ペンへの投票は少ない。かたや核家族と個人主義が優勢な北東部では、対人信頼感は低く、ル・ペンへの投票は多い。

イデオロギーの異なる家族

これらの社会学的・経歴的な違いは諸般のイデオロギーに反映されている。投票者集団のあいだで異なる組み合わせを取る、よっつの変数群が存在する。倫理上の価値観 – 同性愛的ライフスタイルの承認など – は概して伝統的な右派左派軸に落とし込まれ、メランションとマクロンの投票者は、フィヨンとル・ペンの投票者と正反対のところにいる。財政上の価値観 – 連帯や前述の再分配など – は、マクロンとル・ペンの投票者にとっては大きな関心事ではない。メランションとフィヨンの投票者にとっては大問題だが、お互いの方向性は正反対である。

図3 投票者選択ごとにみた、イデオロギー的グループ分け (合成変数)

:  2017年第一回選挙における各候補者の投票者による回答の加重平均。各イデオロギーの構成に使用した質問はAlgan et al. (2018) の表1で確認できる。

ポピュリズムは、例えばエリート層への不信という形式を取ったそれについていえば、一方をル・ペンとメランションの投票者、他方をフィヨンとマクロンの投票者とする分断の存在を明らかにする。最後に、開放性の価値観 – EU支持であるなど – は、マクロンとル・ペンの投票者のあいだでは正反対の方向性が強く表出されているが、フィヨンとメランションの投票者はこの種の論点に相対的に無関心である。

新たな脱階級化?

伝統的な右派左派軸の変容については、旧来の階級制度の瓦解というものがひとつありうる説明となろう [訳註2]。本データからもこの前提に対する一定の支持が得られている。伝統的な左派右派軸上でみると、メランション投票者のあいだでは、かれらの敵対者たるフィヨン投票者とちょうど同じように、階級意識の感覚が共有されている。どちらの階級においても、その社会的および職業的な階級が投票に関係しており、このことは個人所得について調整したあとでも変わらない。ところがル・ペンとマクロンの投票者のあいだにはもっと個人主義的な視座が共有されており、所得について調整してしまうと、階級および隣人の所得はその投票にさほど関係していない。従って、伝統的な右派左派軸の崩壊の理由については、フランス階級制度の漸次的崩壊と伝統的な社会構造の浸食によって、多数の個人が散り散りのまま社会から弾き出された状態に置かれていることがひとつのありうる説明となる。1930年代における全体主義の勃興に対するハンナ・アーレントの分析に擬えて、「階級 (classes)」 から 「大衆 (masses)」 への移行とでもいえようか。

参考文献

Algan, Y, E Beasley, D Cohen and M Foucault (2018) , “The rise of populism and the collapse of the left-right paradigm: Lessons from the 2017 French presidential election”, CEPR Discussion Paper 13103.

Dustmann, C., Eichengreen, B., Otten, S., Sapir, A., Tabellini, G., & Zoega, G. (2017). Europe’s trust deficit: causes and remedies, CEPR Press.

Le Bras, H. and E. Todd (2013). Le Mystere Français. Paris: Le Seuil.

1 本稿では 「ポピュリスト」 の語句を、ラディカル右派 – 同盟 (Liga) や国民戦線のような – の性格付けとして用いている。ラディカル左派も同じくらい反体制的であるが、我々が明らかにするように、マイノリティに対する同種の偏見は共有されておらず、支持する経済綱要も全く別物である。

2 注意してほしいのが、投票者選好への言及はフランス政治研究センター質問紙に対する回答から確保したものであり、候補者の発言から得たものではない点だ。ル・ペンの綱要が再分配政策を含んでいた可能性はあるとはいえ、投票者に選好について尋ねた時、ル・ペンに投票した人達の再分配に対する選好は、メランションに投票した人達よりも遥かに弱かったのである。

3 幾つかの論文がこの決定的な問題を取り上げている; そのうち数点については我々の論文で批評している。

4 人生満足度の質問は、「あなたは自分が歩んでいる人生にどれくらい満足していますか? (How satisfied are you with the life you lead?)」 で、尺度は0から10まで。対人信頼感 (質問は、「一般的にいえば、ほとんどの人は信頼できるといえるでしょうか。それとも、他人と関わるときには注意してし過ぎることなどないでしょうか? (Generally speaking, would you say that most people can be trusted, or that you can never be too careful when dealing with others?)」 などといった信頼感に関する質問群の線形結合からなる)。


訳註1. : 元論文の関連個所には次の図が掲載されている:

出典: Algan et al. 2018より引用

 

ライアン・デッカー, ジョン・ハルティワンガー, ロン・ジャーミン, ジャヴィア・ミランダ 「まだ得できるところが残っている: 反応性の減退と生産性スローダウン」(2018年6月12日)

Ryan Decker, John Haltiwanger, Ron Jarmin, Javier Miranda, “Leaving money on the table: Declining responsiveness and the productivity slowdown“, (VOX, 12 July 2018)


雇用再配分は生産性の重要決定因子である。本稿では、合衆国のデータを活用しつつ、過去数十年間にわたる再配分率の全体的低落の背後には、ショックにたいする反応としての雇用再配分ペースの減退があることを示す。反応性の弱まりは2000年代にハイテク企業の集計的生産性にたいする足枷となったが、この問題はその他の部門ではすでに1980年代に始まっていた。

一経済の生産性を決定付けるものは何か。これを考えたとき我々が通例思い浮かべるのは、テクノロジー・労働層の技能・経営慣行である。しかし重要でありながらさほど注目されていない決定因子がある。それが資源の再配分だ。

市場経済は、労働者をはじめとする資源を、より効率的な生産・交換形態へと絶えず再配分する。例えば、純雇用成長数の背後には、事業間の雇用フローがある。この雇用再配分は、事業拡大 (および新参) 雇用者によって創出された雇用に、事業縮小 (および撤退) 雇用者により破壊された雇用を加えた総和である。ハイペースな雇用再配分は労働者と企業にとってコストが高い。しかしそれは、低価値ないし非生産的な活動を離れより高価値な活動へと向かう、資源の絶え間ない動きを反映している。

このプロセスを歪ませる、あるいはスローダウンさせる動きは、生産性にネガティブな効果をもたらしかねない。ところが我々は、同プロセスが2000年以降顕著にスローダウンしている旨を示すエビデンスを得ており、ここから集計的生産性への足枷が暗示されるのである。

雇用再配分スローダウン

先行研究は、合衆国における雇用再配分のペースが1980年代前半以降減退してきたことを明らかにしている。そこで原因として挙げられるのは、労働者離職パターンの変化 (Hyatt and Spletzer 2013)、移住の減少 (Molloy et al. 2017)、労働層の高齢化 (Engbom 2017)、起業の減少 (Decker et al. 2014) などである。

図1は一部部門における雇用再配分を示す。再配分データにみられるひとつの印象的な点は、我々がDecker et al. (2016) で強調したところでもあるが、全体経済とハイテク経済のあいだのコントラストだ。前者においては再配分の減退が数十年間にわたり着実に進んでいるが、後者においては2000年代に減退し始めるまで、再配分パターンは平坦ないし上昇していたのである。

図1 雇用再配分パターンは部門により異なる

出典: Longitudinal Business Databaseに基づく著者の計算。
: パラメタを100に設定したHPトレンド。産業は一貫したNAICS基準にもとづき定義。ハイテクの定義はHecker (2005) による。新参者・継続者・撤退者すべてをふくむ。

雇用再配分は企業と労働者にとってコストが掛かるので、再配分の減退が厚生を向上させることもありうる。例えば小売り部門では、「家族経営 (mom and pop)」 企業から小売チェーンへのシフトが、企業安定性の増強と生産性の上昇に結実している。事業モデルにおけるその他のシフトも同様の効果をもたらしうる。他方、より大きな再配分は生産性を増やす旨を示すエビデンスもあり、したがって図1にみられる再配分パターンがこれまで生産性を阻害してきたのかは、こうしたパターンを生じさせているものの正体に依存することになる。

減退の理由を説明する

我々の最近の研究では (Decker et al. 2018)、調整摩擦を伴う企業動態をあつかう典範的モデルの洞察を応用して、この問題の解明を試みている。これらモデルは、雇用再配分の減退の説明としてふたつの相対する仮説を提示する:

  • ショックの数や強さの低下。各事業は生産性・利潤性にかかる条件ないし機会の変容に反応する。雇用の創出・破壊もこうした反応にふくまれる。したがって再配分の減退は、企業が直面する個別ショック (idiosyncratic shocks) のバラツキないし強さのほうも減退している状況を意味することがある。個別ショックは、生産者のあいだにみられる技術的効率性や相対的な生産物需要にかかる異なる現状を反映したものともいえよう。こうしたショックのバラツキの減退は、全体的な生産性にとっては、概して恩恵的となりうるだろう。労働者と企業の側でコストのかかる変化を敢行する必要を減らすことで、厚生の向上さえもたらすかもしれない。
  • コストと摩擦の増加。再配分のペースは事業の環境にたいする反応性を反映するのだから、事業の拡張や縮小を抑制するようなコストや摩擦の増加は、全体的な再配分を減少させるはずだ。この理由で再配分が減退しているならば、こうした事態は生活水準の低下につながるものと見込まれる。非生産的な事業における資源が身動きできなくなるからだ。

標準的なモデルが提示する便利な実証的予測のおかげで、以上ふたつの相対する仮説に区別がつくようになる:

  • 摩擦を一定に保つならば、ショックのバラツキの減退は、労働者あたり収益といった事業レベルの生産性を計る尺度のバラツキが低くなることを含意する。
  • 労働調整摩擦の上昇は、事業レベルでみた雇用成長と生産性とのあいだの関係の弱まり、ひいては事業間の労働者あたり収益のバラツキの上昇を含意する。生産的な事業が以前ほど労働者を追加しなくなり、非生産的な事業が以前より労働者を抱え込むようになるのならば、労働者あたり収益は生産的な企業については高まり、非生産的な事業については減退するので、全体的なバラツキが大きくなるからだ。

図2は企業レベルの労働者あたり収益の標準偏差を、合衆国における若年/成熟のハイテク/非ハイテク企業について示したものである。労働生産性のバラツキは漸次的に増加している。我々は1980年代を始期とする製造業データも活用しているが、こちらでも全要素生産性 (TFP) についてバラツキの漸次的増加が示されている1

図2 産業内でみた労働生産性のバラツキは上昇している (経済全般)

出典: RE-LBDにもとづく著者の計算。
: 対数労働生産性の産業-年度-毎平均からの標準偏差。若年企業は5才未満。ハイテクの定義はHecker (2005) による。NAICS 52および53は省略。

企業間の生産性のバラツキが増加しているならば、〈ショックのバラツキが変化した〉 仮説と齟齬を来すとともに、〈事業の反応性が弱まった〉 仮説が支持されることになる。

反応性の減退を調査する

つついて我々は製造業部門にフォーカスを合わせ、工場レベルのTFPを構築することで、事業の雇用成長反応を調べた。図3には、高生産性工場を一方、産業平均的な生産性をもつ工場を他方とし、そのあいだの雇用成長率の差を示している。前者はそれぞれの産業における平均を1標準偏差分上回るものである。

我々はこれを異なる事業タイプ (若年/成熟、ハイテク/非ハイテク)、また異なる時期 (1980年代・1990年代・2000年代) について計算した。1990年代には、ハイテク若年企業のうち、産業TFP平均を1標準偏差上回る工場における雇用生長率は、産業平均よりも一年あたり16%ポイント大きかった。

より一般的にいえば、ハイテク事業のあいだの生産性反応は、1980年代から1990年代までは上昇し、その後2000年代をとおして下落しており、これは同期間のハイテク部門の雇用再配分パターンにつき図1で確認したところをなぞっている。ハイテク以外では、生産性反応は該当期間中一貫して減退しており、集計定な再配分の時系列とも整合的である。以上は反応性仮説を支持する。

図 3 工場の雇用成長はTFPにたいする反応性を弱めている (製造業)

出典: LBD・ASM (Annual Survey of Manufactures)・CM (Census of Manufactures) にもとづく著者の計算。
: 若年企業は5歳未満。ハイテクの定義は Hecker (2005) による。TFPRが産業平均を1標準偏差上回る工場と産業平均のあいだにある成長率の差。

労働調整コストと摩擦の増加のみが唯一の在り得る説明というわけではない。企業の市場支配力の増加や、勝者総取り的競争の蔓延化もまた、反応性を減少させると考えられる。しかしそれは標準的なモデルにおける生産性のバラツキには影響しないはずだ。企業間のテクノロジー拡散がもっと遅いならば (Andrews et al. 2015が論ずるように)、これは労働者あたり産出量のバラツキの増加を生み出すかもしれない。しかし拡散がもっと遅いとしてもそれだけでは事業レベルの反応性の弱まりに説明がつかないだろう。

生産性への効果

反応性の弱まりは生産的事業に向かう資源のフローがより遅くなることを含意するが、これは集計的生産性にたいする相当なインプリケーションを孕んでいる。そこで我々はシンプルな反実仮想を実施し、こうした生産性効果の大きさの推定を試みている。すなわち、事業レベルミクロデータを活用しつつ、各年度につき、図3における反応性係数の推定値をもとに集計的生産性を推定したうえで、この集計的推定値を、生産性にたいする反応性を1980年代前半の強さで一定に保ったばあいの推定値と比較した。対象期間の終わり頃には 「反応性一定 (constant responsiveness)」 シナリオの集計的生産性のほうが大きくなっているが、これはこのシナリオでは最も生産的な事業がより多くの資源を獲得できるようになっているためだ。図4に、これらシナリオの差をハイテク/非ハイテク製造業の双方について示す。

図 4 集計的TFPにたいする再配分の寄与の推移 (製造業)

出典: LBD・ASM・CMにもとづく著者の計算。
: 図はTFPR概念をもとにした差分の差分反実仮想を示す。ハイテクの定義はHecker (2005) による。

図4を解釈するため、ハイテクの線分を2010年について見てみよう。この-0.02という値はなにを含意するのかといえば、2009年における工場規模と生産性の実際の分布を所与としたうえ、生産性反応が依然として1980年の水準にあったならば、2010年の集計的な (産業レベルの) 生産性は約2%大きかったはずだということである。

より一般的にいえば、ハイテクの線分は1980年代と1990年代をとおして正の値をとっており、これはちょうど反応性が上昇した頃だった (図3)。反応性の増加が、雇用再配分の向上をつうじて生産性を押し上げていたのである。2000年代になると、反応性の減退が集計的生産性への足枷になってゆく。

このタイミングは合衆国生産性成長のタイミングと全般的に類似している。Fernald (2014) は1990年代後半の生産性加速と2000年代中頃のスローダウンを実証しているが、こうした動きはIT利用・生産型産業に集中していた。

我々はさらに非製造業産業についても同様の結果を得ている (TFPではなく労働生産性に依拠した)。なにより、ハイテク製造業の内部では、資本投資と工場撤退の反応性も類似のパターンをなぞっていることが判明しており、これは生産性淘汰が弱まるトレンドが一般的であることを示唆する。さらに反応性の変化は産業構造の変化からくる影響の結果ではなかったことも判明した。この再配分駆動型生産性成長スローダウンが、より強力な企業内部的生産性成長によって相殺されてきた旨を示すエビデンスは、得られなかった。

調整摩擦

雇用再配分パターン変化の原因解明は重要である。これらパターンは集計的生産性および生活水準に相当なインプリケーションをもっている。今回の調査結果が示唆するところ、研究者は考え得る調整摩擦増加の原因にフォーカスを合わせるべきであるようだ。政策その他のファクターであって、雇用行動や事業縮小と関連したコストを増やし、あるいはインセンティブを減らすようなものはいずれも、そうした原因となりうる。

本稿執筆者注: 助言を頂いたキャシー・バフィントンに感謝する。本稿で表明された意見や結論はいずれも本稿執筆者のものであり、必ずしも合衆国国勢調査局、連邦準備制度理事会、およびそのスタッフの見解を現わすものではない。機密情報が開示されていないことを確認するため、調査結果はすべて査読をうけている。

参考文献

Andrews, D, C Criscuolo, and P N Gal (2015), “Frontier Firms, Technology Diffusion and Public Policy: Micro Evidence from OECD Countries”, in The Future of Productivity: Main Background Papers, OECD.

Decker, R A, J Haltiwanger, R Jarmin, and J Miranda (2014), “The Role of Entrepreneurship in US Job Creation and Economic Dynamism”, Journal of Economic Perspectives 28(3): 3-24.

Decker, R A, J Haltiwanger, R S Jarmin, and J Miranda (2016) “Where Has All the Skewness Gone? The Decline in High-Growth (Young) Firms in the U.S”, European Economic Review 86: 4-23.

Decker, R A, J Haltiwanger, R S Jarmin, and J Miranda (2018), “Changing Business Dynamism and Productivity: Shocks vs. Responsiveness”, NBER working paper 24236.

Engbom, N (2017), “Firm and Worker Dynamics in an Aging Labor Market”, working paper.

Fernald, J (2014), “Productivity and Potential Output Before, During, and After the Great Recession.” Chapter 1 in J A Parker and M Woodford (eds), NBER Macroeconomics Annual 2014, MIT Press.

Hyatt, H R, and J Spletzer (2013), “The Recent Decline in Employment Dynamics”, IZA Journal of Labor Economics 2(3): 1-21.

Molloy, R, C L Smith, R Trezzi, and A Wozniak (2016), “Understanding Declining Fluidity in the U.S. Labor Market”, Brookings Papers on Economic Activity.

[1] 全要素生産性 (TFP) とは、労働・物理的資本 (設備および建物)・素材・エネルギーの分を調整した、投入量あたり産出量である。

アティフ・ミアン, アミール・サフィ「信用供給と住宅投機」(2018年8月19日)

Atif Mian, Amir Sufi, “Credit supply and housing speculation“, (VOX, 19 August 2018)


「資産価格バブルというものは、信用の成長に依存する」、と。本稿は、合衆国で2003年の晩夏にみられた合衆国民間ラベルモーゲージ証券化市場の加速に着目する。この出来事は、モーゲージ貸付に関して伝統的に預金受入型ファイナンスに依拠してこなかった貸し手のファイナンシングコストを、アンバランスに減少させた。この種の貸し手に対する露出がより大きかったzipコードにおける貸付の急増、これが住宅価格の好況と恐慌をうみだしたのである。より容易に調達できるようになった信用は、住宅価格と建築の双方で好況を体験したバブル都市を説明するうえでも、決定的に重要な因子であるようだ。

チャールズ・P・キンドルバーガー。世界を牽引したこの金融危機の専門家は、かつてこう記している。「資産価格バブルというものは、信用の成長に依存する」、と (Kindleberger and Aliber 2005)。ノーベル経済学賞を受賞したバーノン・スミスも、幾つかの実験環境から得たエビデンスを記述しつつ、バブルの規模は個人が借り入れを許されたとき拡大することを明らかにした (Porter and Smith 1994)。さまざまな経済理論家がこの教訓を真摯に受け止め、〈信用調達の容易化が、投機的買いの増加をとおして資産価格の高騰を助長する〉 モデルを書き記している (Allen and Gorton 1993, Allen and Gale 2000)。

信用とバブルをめぐるこの理論の中核にあるのは、〈信用調達の容易化は、資産評価の高めな楽観主義者が攻め気の資産購入をおこなうこと、したがって住宅価格の押し上げることを許してしまう〉 との発想である (Geanakoplos 2010, Simsek 2013)。たとえ楽観主義者は全体人口のほんの一部にすぎないとしても、信用調達の容易化はこの小集団が市場に大きな影響を及ぼすことを許してしまうのだ。くわえて、この楽観主義者がある日突然信用へのアクセスを失えば、もっと悲観主義的な個人が資産の購入をする気になる前に、資産価格は暴落するだろう。以上のひとつの帰結として、信用利用可能性の変動は、資産価格の変動の振れ幅を増幅させるのである。

我々の最近の研究はこの発想を検証するもので、2000年から2010年にかけて合衆国でみられた住宅価格の好況と恐慌に焦点を合わせている (Mian and Sufi 2018)。本研究でのフォーカスは或る自然実験に置かれている: 2003年の晩夏にみられた民間ラベルのモーゲージ証券化 (PLS) 市場の加速である。PLS市場の突然の高騰。それはより広いグローバルな文脈においてこの時期にみられたシャドウバンキングの勃興の一部をなすものだったのだが、この出来事は、モーゲージ貸付に関して伝統的に預金受入型ファイナンスに依拠してこなかった貸し手によるファイナンシングコストを、アンバランスに減少させた。本研究が明らかにするところ、伝統的に非預金型ファイナンスに依拠してきた貸し手、例えばCountryWideやAmeriquest Mortgage Companyなどは、2003年の晩夏になると突如としてモーゲージ貸付を増加させるが、PLS市場に加速が生じたのも、ちょうどこの時期だったのである。

この突然の信用利用可能性の増加が住宅市場にもたらした影響を検証するため我々が利用したのは、これら貸し手の2002年時点での拠点について、合衆国における諸般の地理エリア間でみられた差異である。貸し手が伝統的に非預金受入型ファイナンスに依拠してきたzipコードでは、モーゲージ貸付の突然かつ相対的にみて大きな増加が、ちょうど2003年にPLS市場の加速が生じた時期に目撃されている。本研究で示す幾つかの結果は、以上が健全な実験であったことを示唆する – これらzipコードにおける突然かつ大きなモーゲージ貸付の増加はPLS市場の加速に由来するもので、該当zipコードで生活していた人の側に、所得見込の変化または住宅価格に関する考えの変化といった何らかの別のファクターがあったためではなかったのである。

信用利用可能性が資産価格に作用するようなモデルとも整合的だが、これらzipコードにおけるモーゲージ貸付の急増は、住宅価格の好況と恐慌をうみだした。実際に2002年の時点における非伝統型の貸し手に対する露出度は、2006年から2010年にかけての住宅価格崩壊の深刻度を予告していたのである。

またさらに、合衆国の都市のなかでもこれらの貸し手に対する露出が大きかったところほど、好況期をとおして住宅価格と建築活動の双方に同時的な増加がみられる傾向が高くなっていた。ところで、ラスベガスやフェニックスをはじめとするこの種のバブル都市は、経済学者の悩みの種となっている。というのも、標準的モデルの殆どでは、さらなる住宅単位の建築が容易に行える状況は、住宅価格成長に上限を画すものとされるからだ。本研究結果が示唆するところ、信用調達の容易化は住宅価格と建築の双方で好況を見たバブル都市を説明するうえで、決定的に需要な因子だった。さらに我々は、こうした都市では2006年から2010年にかけてとりわけ苦痛に満ちた恐慌が目撃されていたことも明らかにしている。

本研究独自の長所としては、信用調達の容易化が市場に呼び込んだ限界的な住宅購入者を追跡できた点があげられる。PLS市場に対する露出がより大きかったzipコードでは、2003年から2006年にかけて取引高の相当な増加が目撃されているが、この取引高の増加は、ほぼ全面的にフリッパー (flippers: すなわち、複数の住宅を短期間のうちに売り買いする者) に牽引されたものだったのである。この種のフリッパーは全体人口のわずかな部分を占めるに過ぎなかった – 我々の推定に従えば、2005年と2006年ではフリッパーは成人人口全体の1%に満たない。全体人口のごくわずかな部分に過ぎないフリッパーが、それにもかかわらず住宅市場に対しアンバランスに大きな影響を及ぼしえたのは、信用が容易に調達できたからである。

これら研究結果は、〈信用調達の容易化が、攻め気の買手からなる小集団に対し市場全体へ作用を及ぼす力を与えることで、資産価格を押し上げうる〉 ようなモデルを支持する。調達容易な信用が現存する場合、住宅価格の大きな上昇を生みだすのにも、住宅市場をめぐる楽観主義の全般的な昂揚は必ずしも必要ないのである。

ミシガン大学消費者サーベイ調査 (Michigan Survey of Consumers) からのエビデンスもこの結論を支持する。先行研究で明らかにされてきたように (Piazzesi and Schneider 2009)、全体人口のなかで 「家を買うのに良い時期だ (it is a good time to buy a home)」 と述べた人の割合は、実際のところ2003年から2006年にかけての住宅ブームをつうじて 低下 している。我々はさらにこのエビデンスに加えて、個人のうち 「いまが家を買うのに良い時期だ (now is a good time to buy a home)」 と述べた者の割合の低下が最も大きかった都市では、PLS市場の煽りを受けた住宅価格の大きな上昇がみられていたことも明らかにしている。平均すると、PLS市場によりフリッパーのトレード狂騒が激化した都市では、個人は住宅市場についてどんどん 悲観主義的 になっていったのである。つまり調達容易な信用は、一部都市においては、該当都市の平均的な個人が住宅市場に愛想を尽かせているような場合でさえ、個人の小集団による住宅価格の押し上げを許してしまったのである。

PLS市場によって過熱したフリッピング行為は、モーゲージデフォルト危機を勃発させた要素として決定的に重要なものだった。PLS市場に対する露出が最大規模であったzipコードでは、早くも2007年にはフリッパーのデフォルト率が20%を超えていた。モーゲージデフォルトのうち、PLS市場に対する露出が最大規模であったzipコードが全体で占める割合は、2007年になって増加した。2008年・2009年までにはデフォルトは国全体で増加しはじめていたが、我々のエビデンスが示唆するところ、モーゲージデフォルト危機の引き金はPLS市場に端を発するデフォルトだったようだ。

この恐慌は信用と資産価格の相互作用について幾つもの重要な教訓を与えてもいる。PLS市場に対する露出が最大規模であったzipコードの買手は、その殆ど全てが、2003年から2006年にかけての住宅の購入にモーゲージを利用していたが、2007年およびそれ以降になると現金での買手の割合が急増する。この傾向は、〈価格暴落が起きた理由の一端は、信用の緊縮化が楽観主義者にセルオフ (sell-off) 期の住宅購入を敬遠させたところにある〉 との発想と整合的だ。つまり、より悲観主義的な、現金による買手が、限界的な価格の決定者となったということである。緩和的な信用が好況期の価格を押し上げ、緊縮的な信用が恐慌を悪化させた。信用の変動と資産価格の変動は、緊密に繋がっているのだ。

参考文献

Allen, F and D Gale (2000), “Bubbles and crises,” The Economic Journal 110(460): 236-255.

Allen, F and G Gorton (1993), “Churning bubbles,” The Review of Economic Studies 60(4): 813-836.

Geanakoplos, J (2010), “The leverage cycle,” NBER Macroeconomics Annual 24(1): 1-66.

Kindleberger, C P and R Z Aliber (2005), Manias, panics and crashes: A history of financial crises, Palgrave Macmillan.

Mian, A and A Sufi (2018), “Credit Supply and Housing Speculation,” NBER Working Paper 24823.

Piazzesi, M and M Schneider (2009), “Momentum traders in the housing market: survey evidence and a search model,” American Economic Review 99(2): 406-11.

Simsek, A(2013), “Belief disagreements and collateral constraints,” Econometrica 81(1): 1-53.

 

マシュー・コチェン&ローラ・グラント 「サマータイムは省エネにつながるか? ~インディアナ州における『自然実験』の結果は何を物語っているか?~」(2008年12月5日)

●Matthew Kotchen and Laura Grant, “Does daylight saving time save electricity?”(VOX, December 5, 2008)


省エネという目的を背負っている「日光節約時間」(あるいは「サマータイム」)は地球上で最も広い範囲を覆う規制の一つである。しかしながら、「日光節約時間」(「サマータイム」)に省エネ効果が備わっていることを指し示す証拠は驚くほど少ない。インディアナ州における「自然実験」の結果に照らすと、日光の「節約」は電力消費の節約にはつながっていない(電力消費量をむしろ増やしている)というのが我々なりの結論である。

「日光節約時間」(デイライト・セービング・タイム;以下、DSTと表記)――EU(欧州連合)による呼び方だと「サマータイム」――を年中行事として執り行っている国の数は(2008年の段階では)76カ国に上る。春に時計の針を1時間だけ進め、秋に時計の針を1時間だけ戻す。そうすることで太陽の光が照りつける時間が朝から夕方に向けて(時計盤の上で)後ろに1時間だけずらされることになる。DSTは世界全体で16億人を超える人々の生活に直接影響を及ぼすわけであり、地球上で最も広い範囲を覆う規制の一つであると言える。 [Read more…]

ズザンナ・イルソーヴァ, トマーシュ・ハヴラニク, ドミニク・ヘルマン 「サマータイムはエネルギー節約にならない」(2017年12月2日)

Zuzana Irsova, Tomas Havranek, Dominik Herman, “Daylight saving saves no energy“, (VOX, 02 December 2017)


サマータイムのもともとの根拠はエネルギーの節約だった。しかし本稿が明らかにするところ、この論点に関する現代の実証文献では、平均的にみて何ら節約効果が確認されていない。節約量は緯度と関係している – すなわち、緯度が比較的高い地域では節約効果が僅かに大きくなるが、亜熱帯地域においてはサマータイムのためにかえって消費エネルギーが増加する。スカンディナヴィア地域においてさえ、節約効果は年間エネルギー消費の0.3%程度にとどまる。サマータイムの続用を正当化するつもりならば、政策立案者はこの政策のもつ何か別の効果に着目する必要がある。

ヨーロッパ人やアメリカ人の殆どが、サマータイム (DST: daylight saving time) はエネルギー消費を削減するものだと学校で教えられる。そしてこの社会通念は、セイラーとサンスティーンをはじめとする堂々たる面々によっても繰り返し語られてきた。彼らの著書 Nudge (Thaler and Sunstein 2008) でもDSTが称賛されている。周知の如く、サマータイムはもともと第一次世界大戦中に幾つかの国でエネルギー使用を減らすために採用されたものだったが、現代の経済におけるDST関連のエネルギー節約量を扱ったアカデミックな研究は驚くほど層が薄い。ジャーナルに掲載された記事や、未公開の研究論文、またエネルギー企業のレポート、政府白書、博士論文などを我々が渉猟したところ、Ebersole (1974) のパイオニア的レポート以降の研究で活用できそうなものが44点見つかった。残念ながら、関連文献にぱっと目を通す程度ではどうにもならないのだ。推定値はばらばらであり、一定のコンセンサス値に収束するどころではない。

図1 報告推定値は時代を下るにつれ発散してゆく

: サマータイムがエネルギー使用に及ぼす影響を測定した諸研究。エネルギー節約を示唆するのは負の推定値である。

関連文献のなかには既にふたつのサーベイ調査 -Reincke and van den Broek (1999) とAries and Newsham (2008) – があるが、ここでも研究者が異なると得られる結果も相当に異なってくる様子が示されている。DSTに由来するエネルギー節約を支持する実証データを見つけることは可能だ。ただそれとちょうど同じように、DSTと結び付いたエネルギー需要の増加を示す実証データも見つかるのである。例えば、最も多く引用されている研究としてKotchen and Grant (2011) があるが、そこでの結論は、政策目標とは裏腹に、DSTはエネルギー消費を増加させるというものだ (同研究がこれほど多く引用されているのもこの結果ゆえかもしれない。もっとも、これが掲載されたのが The Review of Economics and Statistics という権威あるジャーナルだったのもまた事実である)。ところがAries and Newsham (2008: 1864) での結論は、「DSTがエネルギー使用に及ぼす影響の在り方に関し、既存の知識は限られている、あるいは不完全である、さもなくば矛盾している」 というものだ。まさにその通りで、数多くの個別研究ではその内部においてさえ、矛盾する結果を見つけることが出来る。図2はそうした状況を如実に示す。

図2 研究間でも研究内部でも推定値には大きな幅がある

: サマータイムがエネルギー使用に及ぼす影響を測定した諸研究。エネルギー節約を示唆するのは負の推定値である。

メタ分析の試み

近日刊行される我々の論文では、関連文献の定量的統合を実施した: メタ分析の試みである (Irsova et al. 2018)1。こうした研究結果の違いを、データや方法の違い、さらに場合によっては広い意味での研究クオリティの違いにまで辿ってみようというのが我々のねらいである。DSTがエネルギー消費に及ぼす影響を扱った前述の研究44点から、活用可能な推定値を162個収集した。そのうえで、まず初めに公表バイアス (publication bias) の検証を行った。これは実証経済学における研究成果を二倍に誇張する形で現れるのが典型である (Ioannidis et al. 2017)。ところが公表バイアスは全く確認されなかった。これはそれだけで注目に値する発見だ。たしかに我々のデータセットには未公刊論文が多数含まれているが、しかし経済学では公表バイアスはワーキングペーパーにおいてさえ確認されるのが典型である。直感に反し、統計的に有意でないような結果は、多くの著者が常習的に蔑ろにしているためだ。

公表バイアスが無いので、我々は本分析の主要部分に進んでよいことになる – すなわち、報告推定値がこうまでばらつくのは何故なのか、これを調べてゆく。この目的のため、DST効果の推定値を、これら推定値が確認された文脈と関連したファクターに回帰させた。例えば、該当推定値と対応する地域における、最長日照時間の数値などを取り入れている。他のファクターとしては、エネルギー使用に関するデータの周期 (時間単位または日単位)、推定方法 (シミュレーション・差分の差分・単純回帰)、エネルギー使用の定義 (商用・居住用・照明のみ)、研究クオリティに関わっているかもしれない事情 (ジャーナル掲載・発行元のインパクトファクター・引用数) を考慮し、調整を行った。

図3 報告推定値のサイズと相関のあるファクター

: 諸般のファクターを、その重要性に従って上から下に並べている。列はこれらファクターの組み合わせ (モデル) を示し、モデルの有用性に従って左から右に並べられている。相対的な有用性は列の幅で表している。青い色は、該当ファクターが、発見されるDST節約量が少なくなる方向に寄与することを意味する。

結果、権威ある版元から出ている研究ほどサマータイムによるエネルギー節約を低く報告していること、また夏季日照時間の長い (つまり相対的に緯度が高い) 国ほどエネルギー節約量が大きくなることが明らかになった。データの周期と推定方法論も重要である。

つづいて、本サンプル中の各国について、関連文献におけるベストプラクティス条件のもとでは、どのようなDST効果の推定値が得られるか計算した。これは基本的には、メタ分析の結果を用いて推定値を再計算する際に、あたかもそれら全てが差分の差分アプローチと時間単位データを使った研究により導き出されたのち、最大のインパクトファクターを誇る発行元から公表されたかのように扱ったものである。表1にベストプラクティス推定値を示す。

表 1 サマータイムがエネルギー消費に及ぼす効果 (国毎)

負の推定値はその国ではDSTがエネルギー消費を削減したことを意味する。緯度が比較的低い一部の国では、ヨーロッパの国であってもなお、DSTはエネルギー消費を増加させるようである。とはいえ推定値は全て統計的に有意でなく、しかも非常に小さい。データセット全体の平均値は殆どゼロそのものである。ノルウェイはDSTの恩恵が最も大きな国だが、同国においてさえその効果はDST適用時の日中に0.5%あるだけで、したがって年間消費量の0.3%程度にしかならない。

結語

サマータイムは世界各地の15億もの人々にたいし一年に二回影響を与える – タイムシフトのために生じた交通事故を実証した研究が示すように (Smith 2016)、ときにそれは致命的なものとなる。サマータイムには敢えて語るべきエネルギー節約効果が無いという発見を前にしては、依然として広く援用されているとはいうものの、この政策のもともとの根拠はもはや崩れ去らざるをえない。実際のところ、恐らくDSTはあまり良いナッジではない; 何ダースもの国がここ数十年のうちに同政策に見切りを付けている。あるいは、夕方日照時間の増加 (longer evening daylight hours) がもたらす好都合な効果は、睡眠不足やさらには交通事故による (さらに可能性としては心臓発作や抑鬱などの事例の増加による) 人命損失の不都合に優越するのかもしれない。あるいは、通年のDSTならば、タイムシフトに関連した数多くの問題を除去しつつ、その便益の大半を維持できるのかもしれない。実際どうなのかは、端的にいって、分からない。サマータイムに関して様々に異なる便益と費用のすべてを体系的に比較した研究が、依然として待望される所以である。

参考文献

Aries, M B C and G R Newsham (2008), “Effect of daylight saving time on lighting energy use: A literature review”, Energy Policy 36(6): 1858–1866.

Ebersole, N U (1974), The Year-Round Daylight Saving Time Study, Final report to Congress from the Secretary of Transportation, Washington, DC: U.S. Department of Transportation.

Ioannidis J P A, T D Stanley and H Doucouliagos (2017), “The Power of Bias in Economics Research”, The Economic Journal 127: F236–F265.

Irsova, Z, T Havranek and D Herman (2018), “Does Daylight Saving Save Electricity? A Meta-Analysis”, Energy Journal 39(2): 35-61.

Kotchen, M J and L E Grant (2011), “Does Daylight Saving Time Save Energy? Evidence from a Natural Experiment in Indiana”, The Review of Economics and Statistics 93(4): 1172–1185.

Reincke, K-J and F van den Broek (1999), “Executive Summary” in Summer Time: Thorough examination of the implications of summer-time arrangements in the Member States of the European Union, study conducted by Research voor Beleid International for the European Commission.

Smith, A C (2016), “Spring Forward at Your Own Risk: Daylight Saving Time and Fatal Vehicle Crashes”, American Economic Journal: Applied Economics 8(2): 65–91.

Thaler, R and C Sunstein (2008), Nudge, New Haven, CT: Yale University Press.

[1] 完全な論文は、データ及びコードともに、次のページで自由に閲覧できる: http://meta-analysis.cz/dst.

 

リンダ・ユー 「諸国の繁栄に就いて」(2018年8月5日)

Linda Yueh, “On the prosperity of countries“, (VOX, 05 August 2018)


 

1960年から2008年のあいだに繁栄を迎えた中所得国は、たった一ダースほどしかない。ある国が繁栄する傍ら、別の国は失敗する。本稿では、そうした命運を左右する因子について探ってゆく。新制度派経済学の理論と整合的だが、最も大きな繁栄度上昇を享受したのは、成功を収めた国の経済政策や制度改革を採用した経済であった。こうした成功例は、成長政策の策定において、経済学ではお馴染みの資本・労働・技術を超えた視点を持つことの利点を指し示している。

新興経済と発展途上経済が、世界GDPないしグローバル産出量において先進経済よりも多くのシェアを占めるのは、これが初めてのことだ; 2008年金融危機後に境を超えたのちも、この動きはとめどなく進んでいる (図1を参照)。となれば、経済学者はすでに繁栄の鍵の正体を掴んでいるのだろうか?

そもそも世界の諸経済のうち富裕といえるものは四分の一に満たない。繁栄していない国のほうが多いのは何故かという、経済学における長年の問題だ。潮目はいま変わりつつある。だが、多くの国にとって富裕への道は嶮しいものだった。世界銀行の推定によると、1960年における101個の中所得経済のうち、2008年までに繁栄を迎えたものは、たったの一ダースほど (Ageno et al. 2012): すなわち、赤道ギニア・ギリシャ・香港特別行政区 (中国)・アイルランド・イスラエル・日本・モーリシャス・ポルトガル・プエルトリコ・韓国・シンガポール・スペイン・台湾がこれである。

図 1 世界GDPシェア

出典: 世界銀行. PPP (購買力平価) に基づく.

とはいえ、何億もの人々がミドルクラスに加わったのも事実だ。OECDの研究が推定するところ、2030年までには、歴史上はじめて、世界人口の半数超がミドルクラスになるという (OECD 2012)。つまり推定86億人中の49億人。2009年には (約70億人中の) 18億が、一日あたり$10から$100を稼得しているが、これが新たなグローバルミドルクラスを定義する所得尺度となる。これは、各国におけるドルの購買力で調整すると、冷蔵庫一台を購入するのに足る額である。

現在のトレンドに基づくかぎり、2030年には世界中のミドルクラスの約三分の二 – ほぼ30億人 – が、アジアにいることになる。国連はこれを150年来の歴史的変容と形容する (Yueh 2018)。ヨーロッパと北アメリカにおけるミドルクラスは、世界全体にいる同クラスの半数超を占めるところから、その三分の一へと凋落することになる。

こうした事柄はいかに達成されてきたのか? 優れた制度の保持。経済学者が注目するようになったのはこれだ。そしてそうした制度の拡散こそがこれまで鍵を握っていたようなのだが、それはまさに新制度派経済学の父が予言したところでもある。この分野の嚆矢的研究はダグラス・ノースの手によるものだった。彼は、ある経済が好成長を迎える傍ら別の経済ではそうなっていない理由を十分に説明できないにもかかわらず、技術進歩の測定を試みつつ労働者や投資といった測定可能な要素にフォーカスを絞る、新古典派経済学モデルに飽き足らぬ思いをしていたのである。

そこでノースは、経済学をそのコンフォートゾーン – 労働や資本といった比較的容易に測定できる投入物の検討からなる – から外に連れ出す一方、歴史学をはじめ政治学・心理学・戦略論などを新たに取り入れつつ、何故ある国は成功し別の国は失敗するのか、その理由の解明に努めた。彼が強調したのは、〈より大きな成功を収めている経済があっても、各国は自国の制度を改良するためにそこから学ぶことはできない〉 などとする理由はないという点だ。1990年代になると、漸くそうした動きが見られはじめた。

1990年代前半、中国・インド・東ヨーロッパは路線変更をおこなった。中国とインドは世界経済との統合をめざし自国経済を外向きに方向転換し、東ヨーロッパも共産主義制度の旧套を脱し、市場経済を採用した。換言すれば、中央集権的計画 (中国と旧ソヴィエト連邦) および輸入代替型工業化 (インド) の試行をへたのち、これら経済は自らの旧来の手法を放棄するとともに、より大きな成功を収めている経済の経済政策に適応するのみならず、自らそれを採用したのだ。例えば中国。1990年以降の貧困削減の大部を占める同国は、「門戸開放 (open door)」 政策を実施しているが、これはかつて国有企業により支配されていた自国経済における競争を導入・増進するような、グローバル生産網への統合を目論むものである。同様にインドも自国の従来の保護主義政策を放棄し、より大きな規模の輸出を歓迎するようになった。経済体制の大変動があったのはもちろん中央・東ヨーロッパである。共産主義は資本主義に道を譲り、多くの国が全面的に新しい制度を採用した。これら諸国民は自国経済を市場に向けて再調整し、その多くがEUに加盟した。

かくして、1990年代には諸般の新興経済の急速な成長が目撃されたのであるが、最終的にこれら経済の工業化をつうじた成長は、常軌を逸した商品相場のスーパーサイクルにつながった。それは発展の推進をめざすこれら経済の、原材料にたいする貪婪な需要に由縁する。中国を筆頭とし、これら経済の多くが中所得国となるなか、その経済成長にもスローダウンが現われはじめている。これら経済が富裕国になれずじまいになるおそれすらあるほどだ。とはいえ、これら経済の集合的な成長のおかげで十億もの人々が極度の貧困から脱出してきたのであり、国連も同経済の継続的成長が、次の十年間を目途として絶望的な貧困の終焉につながることを希望している。そうなれば、これは歴史的偉業となるだろう。極度の貧困 (extreme poverty)  – すなわち、各国のドル購買力で調整して稼得額が一日あたり$1.90に満たない者 – に終止符を打つという、世界中のあらゆる国によって採択された 「持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals)」 の1つ目も、2030年までには実現できよう。

こうした優れた制度と効果的な経済政策の借用は、まさにダグラス・ノースをはじめとする制度学派経済学者が素描したようなものだった。ベルリンの壁崩壊、1991年の国際通貨基金によるインド救済、1992年の中国による世界経済へ向けた方向転換。これら経済による新路線採用への模索が以上の出来事を要したのはたしかだ。しかし、他国における 「ベストプラクティス」 の模倣と門戸開放をつうじて – それはより大きな成功を収めている外国からの学習を意味した – これらの国々は、ノースであれば予期していたかもしれないとはいえ、ともかく驚嘆すべき進歩を遂げたのである。ノースならば、これら経済が成長政策の策定にあたり資本・労働・技術にとどまらぬより幅広い視点を取ったことを称賛しただろう。

かつてノースはこう発言した: 「ここ二十年か三十年、経済学者の狭量さがずっと私の癪の種でした。いや、経済学者というより、社会科学者全般ですね。新たな領域が丸々残っているのに、それを開放しようとしない」(North et al. 2015: 9)。諸国がみな富裕になるにはどうすればよいのか。ノースのアイデアは、我々をこの積年の問題に回答を与えうる地点に、かつてないほどに接近させている。

参考文献

Agenor, P-R, O Canuto and M Jelenic (2012), “Avoiding middle-income growth traps,” Economic Premise 98: 1.

North, D C, G Brown and D Lueck (2015), “A conversation with Douglass North,” Annual Review of Resource Economics 7: 8–9.

Pezzini, M (2012), “An emerging middle class,” OECD Observer.

Yueh, L (2018), The Great Economists: How Their Ideas Can Help Us Today, London: Viking.

 

 

ラジ・チェティ, ナタニエル・ヘンドレン, マギー・R・ジョーンズ, ソーニャ・R・ポーター 「合衆国における人種と経済機会」(2018月6月27日)

Raj Chetty, Nathaniel Hendren, Maggie R. Jones, Sonya R. Porter, “Race and economic opportunity in the United States“, (VOX, 27 June 2018)


所得における人種格差の原因について、何十年も議論が続いている。本稿では、2000万名の子女とその親に関するデータを活用しつつ、合衆国において人種格差がいかに世代を超えて残存しているかを示してゆく。例えば、同一のブロックで育ったばあいでさえ、黒人男性は白人男性よりも所得階層を上昇する可能性が遥かに小さい。対照的に、黒人女性と白人女性の社会移動率は似通っている。本稿では、こうした発見が今後どのような形で人種格差の縮減に活用できるかも検討する。

所得その他のアウトカムにかかる人種格差は、アメリカ社会における最も露骨かつ執拗な特徴に数えられる。こうした格差の原因については何十年も研究や議論が続いており、その説明にしても、居住地分離 (residential segregation) や差別にはじまり、家族構造や遺伝的特徴の違いにいたる幅がある。

人種格差に関する既存研究の殆どは、単一世代内部における格差を取り上げてきた。そんななか我々の新たな研究では、人種ギャップが世代の あいだで どう変化しているのかに分析を加えている。2000万名の子女 (children) とその親をカバーした個人非特定化データを活用しつつ、人種がいま合衆国における機会の在り方をどう形づくっているのかを明らかにするとともに、今後どうすれば人種格差の縮減をなしうるのかを示した2

発見 #1: ヒスパニック系アメリカ人は世代間で所得分布を上昇している。しかし黒人アメリカ人とアメリカンインディアンにそうした動向は見られない。

我々はつぎの5つの人種・民族 (racial and ethnic) グループを研究対象とした: ヒスパニック系民族の人々・非ヒスパニック系白人・黒人・アジア人・アメリカンインディアン。これらグループにつき、世代間の 〔経済的〕 上向・下向移動率を分析することで、グループの所得変化を定量化しつつ、将来の稼得軌道を予測している。

図 1 人種・民族ごとにみた親と子女の所得対比

ヒスパニック系アメリカ人の世代間上向所得移動率は、白人にわずかに劣るものの、高い値を示している。したがってヒスパニック系の人は、世代間で所得分布をかなり上昇する経路をたどっているので、白人アメリカ人とのあいだに現在みられる所得ギャップについても、潜在的にはその大部分を縮減させてゆくだろう。

アジア系移民は他のどのグループよりも遥かに高い水準の上向移動をみせているが、アジア系子女のうち合衆国で生まれた親をもつ者についてみると、その世代間移動水準は白人子女と似通ったものになる。こうした事情はアジア系アメリカ人の所得軌道の予測をいっそう難しくするが、長期的にみればアジア系人は白人アメリカ人に匹敵あるいはそれを上回る所得水準を保ちそうだ [訳註1]。

以上とは対照的に、黒人およびアメリカンインディアンの子女は、他の人種グループとくらべ上向移動率がかなり低い。例えば、家計所得五分位の最下層に生まれた黒人子女について見ると、家計所得五分位の最上層に上昇する可能性は2.5%だが、白人ではこれが10.6%となっている。

高所得世帯で育ったという出自もこうした格差からの遮断壁にはならない。アメリカンインディアンと黒人の子女の下向 移動率は、その他のグループより遥かに高い。所得五分位の最上層に生まれた黒人子女をみると、最下層五分位に低落する可能性も、最上層五分位に留まる可能性も、殆ど同じである。対照的に、最上層五分位に生まれた白人子女がそこに留まる可能性は、最下層に低落する可能性のほぼ5倍だ。

経済的な移動に関するこうした差のために、黒人とアメリカンインディアンは世代間で 「膠着状態 (stuck in place)」 にある。かれらの所得分布ポジションは、上向移動率の引き上げをめざす活動無しでも時とともに変化してゆくようなものではなさそうだ。

図 2 人種グループごとにみた世代間の所得変化

発見 #2: 黒人-白人所得ギャップは、女性ではなく、男性のアウトカムのギャップによって全面的に牽引されている。

同等の所得をもつ世帯で育った者のあいだでは、黒人男性の成長後の稼得額は、白人男性よりも遥かに少なかった。対照的に、親の所得で条件付けしたばあい、黒人女性は白人女性よりもわずかに稼得額が 多い。なにより、黒人女性と白人女性のあいだには、賃金率ないし労働時間のギャップが殆どあるいは全く存在しない。

他のアウトカムについても類比的なジェンダーギャップが確認されている: 高校修了率・大学進学率・〔刑事施設等への〕 収用に関する黒人-白人ギャップは、男性のほうが女性よりも相当に大きい。親の所得で条件付けしたばあい、黒人女性は、白人 男性 よりも、大学進学率が高い。男性についてとくに鮮明なのが収用ギャップだ: 最低所得世帯に生まれた黒人男性は、その21%がある特定の日 〔収容状態に関して本論文で利用された国勢調査日の2010年4月1日〕 に収容状態にあり、これは他のどのサブグループよりも遥かに高い率である。

図 3 黒人・白人の男女ごとにみた親と子女の所得対比

発見 #3: 世帯特徴の違い – 親の婚姻率・教育水準・財産 – および能力の違いによって説明がつく黒人-白人ギャップは、ごくわずか。

黒人子女は、財産も親の教育水準も劣る、一人親家計で育つ可能性が、遥かに高い – これらはみな、黒人-白人格差の潜在的な説明因子として注目されてきた要素だ。しかし、所得・財産・教育の水準が似通った二人親世帯で育った黒人男性と白人男性のアウトカムを比較してもなお、黒人男性のほうが依然として成人期の所得が相当低いことが判明した。よって、このギャップを説明するうえで前述の世帯特徴の違いが担う役割は限られているといえる。

おそらく最も異論のある点だが、一部の人から、人種格差は生来的な能力の違いに由来するのではないかと提起されている。この仮説は、黒人-白人の間世代ギャップが、男性については存在するものの、女性については存在しない理由を説明していない。なにより、テスト得点における黒人-白人ギャップ – 能力差を支持する既存の議論の殆どで根拠とされてきたもの – は、男性と女性の 両方 について相当程度存在するのである。〈親の所得で条件付けるかぎり、テスト得点が遥かに低い黒人女性が、それでも白人女性に匹敵するアウトカムを得ている〉 事実は、標準テストが人種による (収入に関わってくるかぎりの) 能力の差の正確な測定値を提供していないことを示唆する。これはおそらくテストにおけるステレオタイプ不安や人種バイアスによるのだろう。

発見 #4: 合衆国における近隣圏の99%で、黒人男児の成人期における稼得額は、同等の所得をもった世帯で育った白人男児を下回る。

黒人子女と白人子女が異なるアウトカムを迎える理由について最も著名な理論のひとつは、黒人子女が育つ近隣圏 (neighbourhoods) は白人のそれと異なるというものだ。しかし我々は、黒人男性と白人男性のうち、同一の国勢調査統計区 (平均して約4,250名を抱する小さな地理区域) における同等の所得をもった世帯で育ったもののあいだにも、大きなギャップを確認している。じっさい、この格差は同一ブロックで育った子女のあいだにさえ残存する。これら調査結果は、学校のクオリティをはじめとする近隣圏レベルの資源の差それ自体では黒人男児と白人男児のあいだの間世代ギャップを説明しえないことを露呈する。

黒人-白人格差は事実上すべての地方・近隣圏に実存する。低所得層の黒人男児の経済移動にとって 最良の 都市部のなかには、低所得層の白人男児にとっては 最悪な 都市部に匹敵するものもあり、これは下の図が示す通りだ。それでいてなお、黒人男児の上向移動率は、国の国勢調査統計区の99%において、白人男児よりも低くなっているのである。

図 4 低所得 (25パーセンタイル) 世帯で育った黒人男性・白人男性の平均所得

発見 #5: 黒人男児と白人男児の双方とも低貧困度地域でより優れたアウトカムを得ている。しかし黒人-白人ギャップはそうした近隣圏ほど大きい。

黒人-白人ギャップの蔓延に反し、黒人男児と白人男児の上向移動率には地域により相当な差異があり、これは上に図示した通りである。白人の上向移動率が高い地域ほど、黒人の上向移動率も高くなる傾向がみられる。黒人と白人の双方について、上向移動はグレートプレインズや沿岸部で育った子女が最も高く、工業が主な中西部の都市で最も低い。このパターンのひとつの顕著な例外は南東部であるが、この地では白人の上向移動率が著しく低い (国全体でみた他の白人との対比) 反面、黒人にそうした傾向はみられない。

黒人男児と白人男児はいずれも、「良好な」 地域と一般に認識されている近隣圏において、より優れたアウトカムを得ている: 低い貧困率・高いテスト得点・高い大卒者比率を備えた国勢調査統計区がこれにあたる。しかしながら、平均的にみると黒人-白人ギャップはこうした統計区で育った男児ほど大きい。これは白人のほうが黒人よりも多くの便益をこの種の地域における生活から得ているためである。

発見 #6: 低貧困度地域の内部に注目すると、黒人-白人ギャップは、白人のあいだの人種バイアスが低く、黒人のあいだの父親プレゼンス率が高い場所で、最も小さくなっている。

貧困度の低い近隣圏では、ふたつのタイプの要素が、より良好な黒人男性アウトカム および より小さな黒人-白人ギャップと最も強く結びついている: すなわち、白人のあいだの人種バイアスの低さ、そして黒人のあいだの父親プレゼンス (father presence) 率の高さである [訳註2]。

白人のあいだの人種バイアス – 潜在的バイアス (implicit bias)、またはGoogle検索における明示的な人種的敵愾心 (explicit racial animus) の検証により測定 – が少ない統計区で育った黒人男性ほど、稼得額が多く、収用状態にある可能性が低い。

低所得黒人家計における父親プレゼンス率の高さは、より良好な黒人男児のアウトカムと結び付いているが、黒人女児や白人男児のアウトカムとは無相関である。近隣圏レベルにおける黒人の父親プレゼンスは、自分の父親のプレゼンスとは無関係に、黒人男児のアウトカムを予告するので、問題は親の婚姻ステータスそれ自体ではなく、むしろ父親プレゼンスと結び付いたコミュニティレベルの因子、例えばロールモデル効果ないし社会規範の変化など、であることが示唆される。

発見 #7: 黒人-白人ギャップは不変ではない: 子供の頃により良好な近隣圏に移った黒人男児は、アウトカムを相当に向上させている。

児童期前半に、より良好な地域 – 低い貧困率・低い人種バイアス・より高い父親プレゼンスを備えた地域など – へ移った黒人男性は、成人時における所得がより高く、収容率はより低くなっている。これら発見は、児童期の環境条件が人種格差に 因果的な 効果を及ぼすことを示すとともに、黒人-白人所得ギャップも不変ではないことを証明するものである。

問題なのは、上向移動を涵養するような環境で育つ黒人子女が、現在きわめて少ないことだ。貧困率10%未満かつ黒人父親の半数以上がプレゼンスをもつ地域で育つ黒人子女は、5%に満たない。対照的に、類比的な条件を備えた地域で育つ白人子女は63%にもなる。

インプリケーション

貧困から抜け出す方向の移動率と貧困へと転落する方向の移動率の差は、今日の合衆国における人種格差の中心を占める因子である。黒人-白人ギャップを縮減するには、黒人アメリカ人、わけても黒人男性の上向移動を引き上げる活動が要請されよう。

本調査結果が示すところ、上向移動における黒人-白人ギャップは、変えることのできる環境的因子によって、もっぱら牽引されている。だが、本発見はこれら環境格差と取り組む者が直面する難問も浮き彫りにする。黒人男児と白人男児は、同等の所得・教育・財産を備えた二人親世帯で育ち、同一の都市ブロックで生活し、同一の学校に通っているばあいでさえ、なお極めて異なるアウトカムを迎えている。本発見が示唆するところ、これまで各所で数多くの提言が議論されてきたが、それらは、それ自体では黒人-白人ギャップを縮小するのに不十分であるかもしれず、したがってむしろ考慮すべき新たな方向性を潜在的に暗示するものなのかもしれない。

例えば、単一世代の経済アウトカムの向上にフォーカスした政策 – 一時的な現金給付・最低賃金の引き上げ・普遍的ベーシックインカム構想といったもの – などでも、ある特定の時点における人種ギャップを縮小することはできよう。しかしながら、人種格差を長期的に縮小する可能性となると、それら政策が世代間の上向移動率をも変化させるものでないかぎり、より小さくなる。居住地分離を削減する政策、黒人子女と白人子女とが同一の学校へ通学することを可能にする政策も、それが近隣圏と学校の 内側における 人種的統合を達成するものでないかぎり、ギャップの大部分は依然として手付かずのまま残されるだろう。

近隣圏や階級割線を跨ぐインパクトを引き起こしつつ、他でもない黒人男性の上向移動を引き上げるようなイニシアティブ。黒人-白人ギャップの縮小にとって最も有望なのはこれである。この種の活動には数多くの好例がある: 黒人男児のためのメンタリングプログラム・白人がもつ人種バイアスの削減活動・刑事司法における差別の削減をめざす介入・人種グループを跨いでの交流を促進する活動、等々。我々はこの種の活動の企画と評価こそが上向移動における人種ギャップの削減にむけた有力な道筋だと見ている。

本稿執筆者注: 本稿および本稿に掲載された全ての図は、ラジ・チェティ (スタンフォード), ナタニエル・ヘンドレン (ハーバード), マギー・R・ジョーンズ (合衆国国勢調査局)、ソーニャ・R・ポーター (合衆国国勢調査局) による論文 “Race and Economic Opportunity in the United States: An Intergenerational Perspectiveに基づく。本エグゼキュティブサマリーにおいて表明された見解は必ずしも合衆国国勢調査局の見解ではない。スライドに掲載された統計要約値は国勢調査局の統計開示評価委員会の公開許可番号CBDRB-FY18-195によりクリアされている。

[2] 分析に用いたデータセットに含まれるのは、合衆国で生まれた子女、または、子供の頃に正規移民 (authorized immigrants) として合衆国にやってきた者である。

 


訳註 1. 元論文の関連個所を引く:

“所得分布の25パーセンタイルに位置する親のもとに生まれた白人子女は、平均すると45パーセンタイルにまで到達する。他方、75パーセンタイルに位置する親のもとに生まれた子女は60パーセンタイルに到達する。

White  children  born  to  parents  at  the  25th  percentile  of  the  income  distribution reach the 45th percentile on average, while those born to parents at the 75th percentile reach the 60th percentile.

(中略)

25分位点および75パーセンタイルに位置する親のもとに生まれたアジア系子女は、平均するとそれぞれ56パーセンタイルおよび64パーセンタイルに到達する。低所得層のアジア系子女にみられる高い稼得額は、アジア系人を 「模範的マイノリティ (model minority)」 と見做す世に広まった認識を再現するものとなっている (例: Wong et al. 1998)。ただし、低所得層のアジア系子女がみせるこの例外的な稼得額は、もっぱら第一世代の移民によって牽引されたものである。サンプルを合衆国生まれの母親をもつアジア系人に限定したばあい、アジア系人と白人のあいだの世代間ギャップは、親の所得分部の全体にわたり、平均して約2パーセンタイルになることが分かった。アジア系人の世代間移動にみられるこの傾向変化は、アジア系アメリカ人の所得軌道を予測することをいっそう難しくするが、長期的にみればアジア系人は白人アメリカ人に匹敵あるいはそれを上回る所得水準を保ちそうだ。

Asian children with parents at the 25th and 75th percentiles reach the 56th and 64th percentiles on average, respectively.  The high earnings of low-income Asian children echo the widespread perception of Asians as a “model minority” (e.g., Wong et al. 1998). However, the exceptional outcomes of low-income Asian children are largely driven by first-generation immigrants. Restricting the sample to Asians whose mothers were born in the U.S., we find intergenerational gaps between Asians and whites of approximately 2 percentiles on average across the parental income distribution.  The changing  patterns  of  intergenerational  mobility  for  Asians  make  it  more  difficult  to  predict  the trajectory of their incomes, but Asians appear likely to remain at income levels comparable to or above white Americans in the long run.”

 

訳註 2. 元論文は 「父親プレゼンス (father presence)」 を、

男児が、親にマッチングされた年度の納税申告書において男性によって申告されているかを把捉する指標と定義

We define father presence as an indicator for whether the child is claimed by a male on a tax form in the year he is matched to a parent

している。

 

 

Stephan Brunow, Antonia Birkeneder, Andrés Rodríguez-Pose「ドイツにおける創造的な労働者と科学志向の労働者、そしてイノベーション政策」(2018年7月21日)

Stephan Brunow, Antonia Birkeneder, Andrés Rodríguez-Pose “Creative and science-oriented workers and innovation policy in Germany” (Vox.EU, 21 July 2018)

 

研究はますます、都市、およびとりわけ大都市をイノベーションの現代的な駆動力にするための基本的な力として、創造的な労働者と科学志向の労働者の集中度の上昇を指摘するようになっている。このコラムでは、これがドイツでも当てはまるかについて検証する。結果は、創造的な労働者のイノベーションは企業の境界によって制約されるのに対して、科学志向の労働者は多くのイノベーションのスピルオーバーを生み出しているということを示唆している。ドイツにおいてイノベーションを生み出すための政策は、「クリエイティブな労働者」というよりむしろ「オタク」に焦点を置くことによってより多くのリターンを生み出す傾向にあり、イノベーション政策は、大都市を越えて、「オタク」にとって魅力的であると証明されたより広い範囲の領域に向かうべきである。

 

「創造的でイノベーティブで心の広いみなさん…この都市で機会を見つけてください。」このスローガンのもと、ベルリンは2008年にブランディングキャンペーンを開始した。キャンペーンの目標は、ベルリンのイメージを、観光客とより重要なことにはアントレプレナーを惹きつける事ができる、華やかで多様性があり寛容な大都市として磨くことだった。創造性とイノベーティブさは、このようにしてベルリンの経済のアジェンダのまさに最重要課題に据えられた。

しかし、ベルリンは、創造性と革新性に関する経済的評判を確立しようとする都市の中の例外ではない。事実上、すべての都市は創造性と革新を同じコインの両面とみなしている。野心的な「スマートな都市」は、イノベーションと経済のはしごを登るという目的で、創造的な階層をますます呼び寄せようとしている。それはしばしば現地の設備と住環境の改善という方法による(Florida 2004, Partridge 2010)。よりイノベーティブで創造的な都市はより一生懸命に考えている。それらはまた、将来の福祉と成長の拠点とも考えられている。したがって、創造性とイノベーションはより良い生存性と進歩のための前提条件とみなされる。したがって、創造性とイノベーションは、最もスマートな都市と都市開発戦略の中心となっている(Florida 2014, Lee and Rodríguez-Pose 2016)。

科学志向の労働者は、一般に、創造的な労働者ほど注意を引いてこなかった。科学志向の労働者は高度に熟練しており、頻繁にイノベーションをもたらす非日常業務を行う傾向が非常に頻繁にある(Hyde et al. 2008)。しかし、創造的な労働者を引きつけることを目標としたますます多くの公共政策――Florida (2004)にしたがえば――とは対照的に、科学志向の労働者の追求により慣れているので、都市や地域はこの課題を企業に任せている。それゆえに、後に残る疑問は、創造的な個人――Marrocu and Paci (2012)が「ボヘミアン」と呼ぶところのもの――あるいは理工系の分野で創造的な活動を行っている高度に熟練した専門家によってもたらされたイノベーションの利益のどちらがより多くあるのかと関連している。どのタイプの都市と地域がこれらの二種類の労働者を惹きつけるための政策から最も利益を得るのかに関する疑問もまた存在する。われわれは、ドイツに焦点を当てた近年の論文でこれらの疑問を探っている。

 

ドイツでは「ボヘミアン」と「ギーク」は同じ場所に入り混じっているのか?

学術的な研究においては、創造的な労働者と理工系の労働者の両者ともに、彼らの才能を発達させる最大の機会を提供する場所――すなわち都市――に群れるというのが支配的な見解であってきた。そしてより大きくより人口密度が高い都市ほど、より良い。しかしながら、このことはドイツには当てはまらないように思われる。図1は、NUTS 3レベル[1]でのドイツの地域全体の創造的な労働者および理工系の職業の地域シェアをマッピングしている。上の図は創造的な労働者の分布を描写している。二、三の例外はあるが、ドイツの創造的な労働者は、実際に、基本的には大都市の住民である。彼らは都市に集中している――そこでは彼らの割合は労働力全体の4%を超えている。下の図は理工系の労働者の分布を示している。ドイツの「オタク」は、対照的に、「ボヘミアン」に比べてはるかに都市に集中していないのである。科学志向の労働者は、バイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州のような経済的に強い地域に位置している傾向にある。それは、それらの地域が彼らを好むか、あるいは彼らが連続して存在することがそれらの地域をより豊かにしたからである。対照的に、彼らの数はその数は主に農村地域ではかなり低く、そしてあるいはまたはドイツ東部と北部の地域に遅れている。ベルリンやミュンヘンのような大都市は創造的な労働者のシェアが高いが、それと比較すると理工系の労働者のシェアはかなり低い。

図1. 2014年の全ての労働者に対する創造的な労働者および理工系の労働者の地域分布)

a) 創造的な労働者

b) 理工系労働者

Source: IAB-ES data based on all regional employees in both groups to provide regionally representativeness.  BKG Geodatenbasis 2015.

 

創造的な労働者と理工系の労働者の間のこの違いはドイツにおいてイノベーションの地理に影響を与えているのか?

ドイツの「ボヘミアン」と「オタク」の地理の違いはドイツ企業がイノベーションをするための能力にどのような影響を与えるのだろうか。1998年から2015年の期間の11万5000以上の企業レベルの観察を網羅したわれわれの計量経済学的な分析では、実際に、ドイツにおけるイノベーションは、創造的な労働者および理工系の労働者の雇用のシェアと相関関係がある。より多くの「ボヘミアン」とより多くの「オタク」を雇用している企業は、そうでない企業に比べてよりイノベーティブである。この関係は、企業レベルのイノベーションにも影響を及ぼす多数の地域的、部門的、およびその他の施設関連の特性のコントロールに対して揺るがない。

しかしながら、創造的な労働者と理工系の労働者の役割は、企業という壁の外では大きく異なる。創造的な労働者は企業という境界の中でイノベーションをもたらしているようにしかみえないのに対し、理工系の労働者は、イノベーション能力を周辺の領域に拡張することが可能である――それに加えて、イノベーションに全体的な影響が強い。

 

創造的な労働者ではなく科学的な労働者のための公共政策

これらの結果は、ドイツの都市や地域においてイノベーションを駆り立てるために実施されてきた公共政策について思考の糧を提供する。都市や地方をよりスマートでよりイノベーティブにすることを目標とする地方の意思決定者にとって、この分析の結果は、方向性において、創造的な労働者と理工系の労働者を惹きつける政策は両方ともに、イノベーションという形で重要なリターンを生み出しうるということを指摘している。しかし、これに加えて限られたリソースに直面したとき、理工系の労働者を募集することは、独創的な労働者に専念するよりも、より大きな価値を提供しうる。創造的な労働者は主に会社内のイノベーションを促進するため、より多くの政策を導入することによる公的利益はより限定的になる。したがって、公共部門が民間企業によるイノベーションの創出と割り当てを助成するのではなく、個々の企業は、適切なスキルを持つ人材を採用することによって、創造性を高めるための努力を強化するだろう。対照的に、ドイツの理工系の労働者は、会社を超えて、同じ都市およびまたはあるいは地方の周辺企業や周辺地域に流出する恩恵を提供する。理工系の労働者はまた、最大規模の都市集積を超えたイノベーション能力を活発化させ、中小都市におけるイノベーションと経済的ダイナミズムにとってより大きな役割を果たしうる。このことは、結局のところ、ドイツの都市や町をよりスマートにするために、公共資源を使って理工系の労働者を引きつけることをより正当なものだと主張している。

 

References

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Hyde, J S, S M Lindberg, M C Linn, A B Ellis and C C Williams (2008), “Gender similarities characterize math performance”, Science 321(5888): 494-495.

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[1]NUTS 3レベルとは、ドイツの地方行政区分の区分法の一つである。NUTS 1レベルは州(Land)単位で区分したもの、NUTS 2レベルは州の下にある県(Regierungsbezirk)単位で区分したもの、NUTS 3レベルとは県の下にある郡(Landkreis)や独立市(Kreisfreie Stadt)単位で区分したものを指す。

トルスロヴ,ウィアー,ザックマン「失われし諸国民の利益」

Thomas Tørsløv, Ludvig Wier, Gabriel Zucman “The missing profits of nationsVOX.EU, July 23, 2018

1985年から2018年にかけ,法定法人税率の世界平均は半分以上も低下した。本稿では,新たなマクロ経済データを用い,利益移転がこの低下の主要な原動力であることを示す。2015年には,40%近くの多国間での利益が人為的にタックスヘイブンに移転され,この膨大な租税回避,そしてその抑制の失敗によってますます多くの国々が多国籍企業に対する課税を諦めることにつながっている。 [Read more…]