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アレックス・タバロック 「核戦争が起こる確率はどのくらい?」(2019年7月1日)

●Alex Tabarrok, “What is the Probability of a Nuclear War?”(Marginal Revolution, July 1, 2019)


「核戦争のリスクは相変わらず世界が直面している一番大きな問題だ。いつか近いうちにやって来るかもしれない差し迫ったリスクであるようには見えないとしてもね」とはコーエンの言だが、私も同意見だ。

核戦争が起こる確率を予測するというのは難題も難題だが、ルイーザ・ロドリゲス(Luisa Rodriguez)がEffective Altruism Forumで核戦争が起こる確率を探る難業に乗り出している各種の試みを念入りに概観している。その道の専門家にしても超予測者(superforecaster)1にしてもいずれもが「かくあれかし」との世人の願いよりもずっと高い確率で核戦争が起こると予測しているようで面食らってしまったものだ。本エントリーの末尾に掲げた表にあるように、核戦争が起こる確率は1.17%(.0117)と見積もられているが、この数値は「1年間のうちに」核戦争が起こる確率であることに注意願いたい。ということはつまり、たった今生まれたばかりの赤ん坊が例えば75歳まで生きるとすれば、その赤ん坊が75歳で死ぬまでの間(一生のうち)に核戦争が起こる確率はおよそ60%(=1-(1-.0117)^75)ということになるのだ。思いがけないアクシデントが原因で1年間のうちに(米露間で)核戦争が起こる確率はというと0.9%(.009)。ということは、先の赤ん坊が75歳で死ぬまでの間に思いがけないアクシデントが原因で(米露間で)核戦争が起こる確率はおよそ50%(=1-(1-.009)^75)ということになる。ロドリゲスも触れているし、エリック・シュローサー(Eric Schlosser)の『Command and Control2でも詳しく取り上げられているが、ノースカロライナ州で起きた核爆弾落下事故をはじめとして(思いがけないアクシデントが原因で)核戦争一歩手前までいったケース3というのはギョッとするほど多いのだ。

60%に50%。クレイジーで馬鹿げてるとは思わない。クレイジーな高さだとは思うけどね。最後にロドリゲスによるまとめを引用しておこう。

歴史上の証拠(事実)に専門家の見解、そして超予測者による見積もり。これらすべてをひっくるめることにより、核戦争がどのくらいの確率で起きそうかを大まかに推定するとっかかりを得ることができる。ただし、一つひとつの推定結果を過度に重視しないように注意すべきだろう。というのも、確率を推定するための素材として利用されたデータはどれもそれぞれに重大な欠点を抱えているからである。とは言え、一定の限界は抱えつつも、これまでの議論を踏まえると次のように考えてもよさそうだ。1年間のうちに核戦争が起こる確率はおよそ1.17%であり、1年間のうちに米露間で核戦争が勃発する確率はおよそ0.39%と見積もられる。

  1. 訳注;「超予測者」についての詳細は次の本を参照されたい。 ●フィリップ・E・テトロック &ダン・ガードナー(著)/土方 奈美(訳)『超予測力――不確実な時代の先を読む10カ条 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』 []
  2. 訳注;本書の概要については本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「『覆面経済学者の逆襲』、『アメリカにおける財産の歴史』、『コマンド&コントロール』 ~お気に入りの3冊~」(2017年8月28日) []
  3. 訳注;この話題については本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「事実は小説よりも奇なり ~行方不明の核爆弾~」(2017年8月26日) []

アレックス・タバロック 「恒等式の扱いにはご注意を」(2019年5月15日)

●Alex Tabarrok, “Identity Economics is Bad Economics”(Marginal Revolution, May 15, 2019)


アイデンティティ経済学は悪い経済学なり1・・・と言葉巧みに訴えるのは偉大なるニック・ロウ〔optical_frog氏による全訳はこちら〕。

数多いる動物(Animals)は肉食動物(Carnivores)か非肉食動物(Non-Carnivores)のいずれかに分類できる。すなわち、A = C + NC. ・・・であるからして、羊(NC)の群れが住まう島に数匹のオオカミ(C)を連れ込めばその島に棲息する動物(A)の総数は増えることになる。

「いや、そうとは限らない」と反論するのは容易い。オオカミが羊を襲っちゃう(食い殺しちゃう)かもしれないからね。でも、オオカミや羊の生態について詳しくない(オオカミが羊を食べるなんて知りもしない)御仁には「羊の群れが住まう島に数匹のオオカミを連れ込めばその島に棲息する動物の総数は増える」という議論は説得的に聞こえることだろう。しかし、だ。A = C + NC という式は我々の眼前に広がる「世界」について一切何も教えちゃくれないのだ。件の式は定義によって常に正しい(常に成り立つ)会計恒等式であり、眼前に広がる「世界」をいくつかの要素(部分)に切り分けるとこうなります・・・と報告しているだけに過ぎないのだ。それでもって「世界」をいくつかの要素(部分)に切り分けるやり方は無数にあり得るのだ。

無数にある中から二つほど例をば。

1. Y = C + I + G + X – M.2 ・・・であるからして、政府支出(G)が増えるとGDP(Y)は増える。

2. Y = C + S + T.3 ・・・であるからして、増税される(Tが高まる)とGDP(Y)は増える。

どっちの議論に違和感を覚える? 段違いで二番目の議論・・・でしょ? おそらく一番目の議論(政府支出が増えるとGDPは増える)はどこかで目にしたことがあるだろうけれど、二番目の議論(増税されるとGDPは増える)は初耳なんじゃない? しかしね、式に関する限りはどちらも正しいことに変わりはないのだ。だって会計恒等式だからね。でもね、式の後に続く〔右辺のいずれかの変数の値が高まるとそれに応じて左辺の値も高まると説く〕議論はどちらも同じくらい眉唾物なのだ。

ロウも指摘していることだが、恒等式は思考に枠をはめることになる。その枠が現実をうまく捉える助けになるかどうかを確かめるには恒等式を別のかたちに書き換えてみるべし。

  1. 訳注;「アイデンティティ」(“Identity”)には「恒等式」という意味もある。アイデンティティ経済学は悪い経済学なり=恒等式だけを頼りに何かを言おうとしても見当違いに陥りやすい、といった意味が込められているのであろう。こちらの「アイデンティティ経済学」を揶揄しているわけではないので誤解なきよう。 []
  2. 訳注;GDP=消費+投資+政府支出+輸出-輸入 []
  3. 訳注;GDP(総所得)=消費+貯蓄+税金 []

デビッド・ベックワース 「Fedは狙い通りの成果を上げている? ~『2%のインフレ目標』か、はたまた『1~2%のインフレ”回廊”目標』か~」(2015年12月14日)

●David Beckworth, “The Fed Gets What It Wants: A 1%-2% Inflation Target Corridor”(Macro Musings Blog, December 14, 2015)


利上げに向けて遂に舵が切られようとしている。Fedがゼロ金利政策(ZIRP)に踏み出してからかれこれ7年が経過しているが、近日中にも短期金利(フェデラル・ファンド金利)の誘導目標が引き上げられる見込みとなっているのだ。エキサイティングな展開だとの意見もあるかもしれないが、どんな感想を抱くのであれ是非とも心に留めておくべき大事なことがある。Fedによるこれまでの一つひとつの決定を背後で律してきた「原理」が急激に変わることはない、ということがそれだ。その「原理」に照らすと、Fedはどんな場合であっても――ゼロ金利政策の舵取りをする場合であれ、量的緩和の舵取りをする場合であれ、フォワードガイダンスの舵取りをする場合であれ、財政政策のスタンスが変更される場合であれ、金融政策の正常化に乗り出す場合であれ――例外なくPCEコアデフレーターで測ったインフレ率を1~2%の範囲内(「回廊」の内側)に収めようと試みるに違いないことが示唆されるのだ。 [Read more…]

デビッド・ベックワース 「Fedによるインフレ目標の実態 ~上限値としての2%~」(2013年9月27日)/「ECBよ、お前もか」(2016年1月26日)

●David Beckworth, “At Least the Fed Has An Inflation Target, Right?”(Macro Musings Blog, September 27, 2013)


この度の危機が勃発してから早5年が経過しているわけだが、Fedは未だに名目GDP水準目標(NGDPLT)を採用するには至っていない。とは言え、この危機の最中にFedは正式なかたちでインフレ目標の採用に乗り出した。その点についてはちょっとした慰みになる・・・でしょ? 違う? 2012年1月にインフレ目標の採用を正式に決定した際に、FOMC(連邦公開市場委員会)は2%のインフレ目標という新目標の達成に向けて真剣に取り組むつもりであることを以下のようにアピールしている。

長期にわたるインフレーションを決定づける主たる要因は金融政策であり、それゆえ、FOMCはインフレーションの長期的な目標(ゴール)を具体的に(数値で)特定する能力を備えていると言える。この度FOMCは、長期的に見て、PCE(個人消費支出物価指数)ベースで年率2%のインフレ率がFedに課せられた法的責務に最も合致するものである、との判断に至った。このように国民に対してインフレーションの長期的な目標(ゴール)が明瞭なかたちで伝えられることにより、長期的なインフレ期待の安定化につながるものと思われる。長期的なインフレ期待が安定することになれば、物価と長期金利もまた安定するだけではなく、経済的な攪乱が発生した場合にFedが雇用の最大化を図る能力が強化されることにもなるだろう。

これまでに何度も語ってきたように、経済が大規模な供給ショックにしばしば襲われるような場合には、インフレ目標は問題含みの政策枠組みであると言える(この点についてはこちらこちらを参照)。その一方で、総需要ショック(総需要不足)が原因で景気の低迷がもたらされるような場合には、中央銀行がインフレ目標の採用に動くということは朗報であるはずだ。インフレ目標の正式な採用は――インフレ目標があくまでも暗黙的な目標にとどまっていた場合に比べると一段と力強く――Fedの尻を叩く格好となるはずだ。上掲の引用箇所で約束されている数々の素晴らしい結果の達成に向けてあらゆる行動に打って出るようFedに迫る圧力となるはずだ。

それでは早速ながらではあるが、Fedによるインフレ目標の実態がどうなっているか点検してみるとしよう。「コアPCEで測って2%のインフレ率」という基準(Fedが自ら課した基準)に照らしてこれまでの結果(実際のインフレ率の推移)はどうなっているだろうか? [Read more…]

デビッド・ベックワース 「マクロ経済政策に取り付けられたガバナー(調速機)」(2015年6月23日)

●David Beckworth, “The Penske View of Macroeconomic Policy”(Macro Musings Blog, June 23, 2015)


ペンスキー社のトラックを運転するとマクロ経済政策について多くを学べる。ちなみに、私は3年前に運転済みだ。テキサス州からテネシー州へと引っ越すためにペンスキー社のトラックをレンタルしたのだ。私がトラックを運転し、妻は我が家の車を運転して後ろに続いた。出発してすぐに気付いたのだが、トラックのエンジンにはガバナー(調速機)が取り付けられていて最高でも時速65マイルまでしか出せない仕様になっていた。本来の能力を大きく下回る速度で走らざるを得ず、そのおかげで実にストレスが溜まる旅を強いられることになった。特に厄介だったのは丘越え。丘に差し掛かってトラックの速度が落ちるのを防ごうとしてもガバナーがあるおかげで十分に勢いが付かない。やっとのことで丘を越えた後にこれまでの遅れを取り戻そうとしてもそれは無理ときている。時速65マイルが上限でそれより速くは走れないからだ。私のノロノロ運転にイラついている様子の周囲のドライバー達。そのうちの一人が(すぐ後ろで我が家の車を運転していた)我が妻。私よりもトラックをうまく操れると判断したらしく運転を交代することに(私は我が家の車を運転して妻が運転するトラックを追走することに)。その結果はどうだったかというと、確かに妻の方がトラックをうまく操ったと言えるかもしれない。・・・が、それでどれだけの違いが生まれただろうか? ほんの僅かの違いに過ぎない。というのも、妻もまた私と同じ制約に従わねばならなかったからだ。時速65マイルという速度の上限に。結局のところ、当初の予定から大幅に遅れるかたちで最終目的地に到着ということになりましたとさ。

我ら夫婦が体験した以上のエピソード(「我らのペンスキー体験」)と過去7年間(2009年~2015年)にわたるマクロ経済政策の運営実態との間には似たところがたくさんある。アメリカ経済は――ペンスキー社のトラックと同様に――本来の能力を大きく下回ったままの状態に長らく追いやられることになった。それは同時に、「完全雇用」という最終目的地にたどり着くまでには大方の予想よりもずっと長い時間がかかるということを意味している。 [Read more…]

スコット・サムナー 「どこかがおかしい我が愛車・・・とFedの金融政策」(2019年5月21日)

●Scott Sumner, “There’s something wrong with my car”(TheMoneyIllusion, May 21, 2019)


先週の話になるが、カーディーラーのもとを訪れてきた。買ったばかりの新車の調子がいまいちなのだ。

「高速道路で本線に合流しようと思って制限速度いっぱいの時速65マイル(時速およそ104キロ)まで加速しようと試みたんですが、どうもうまくいかないんです。ブレーキペダルを9回ほど軽く踏んだんですが、それでもうまくいかないんです。時速65マイルまで加速しないんですよ。どこか故障してるに違いないと思うんです」。

・・・と我が愛車が抱える問題について伝えたところ、珍妙な顔をするディーラー。ブレーキペダルを踏んだら希望する速度まで車が加速しないのも当然ですとかなんとか口からでまかせを言い出す始末。

「Fedにはインフレ率を2%にまで引き上げる能力は備わっていない」。そんなコメントがひっきりなしに寄せられる。Fedはインフレの抑制を狙って2015年以来計9回にわたって政策金利を引き上げた。そして2019年現在、インフレ率は未だに2%に届かずにいる。Fedに搭載されている「インフレ加速メカニズム」のどこかにおかしなところがあるに違いない。

ダイアン・コイル 「経済学者よ、謙虚たれ」(2013年5月24日)/「体系の人」(2015年3月29日)

●Diane Coyle, “The humility of economists”(The Enlightened Economist, May 24, 2013)


間近に迫った講義の準備を進めている最中にふと手に取ったのはジェームズ・スコットの『Seeing Like A State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed』。1998年に出版された出色の一冊だ。

20世紀には数々の理想主義的な大規模実験が試みられた。旧ソ連における農業集団化やタンザニアにおけるウジャマー村構想(共同農場化)などがその例だが、本書ではかような実験が辿った破滅的な結末について詳しく取り上げられている。本書の結論部では数々の失敗(に終わった大規模実験の)例に共通するテーマが抉り出されている。いずれのケースでも未来(行く末)を取り巻く根本的な不確実性を看過するという過ちが犯されているというのだ。 [Read more…]

ダイアン・コイル 「ジェームズ・スコット(著)『Seeing Like A State』を再読して」(2015年9月6日)

●Diane Coyle, “On Seeing Like A State”(The Enlightened Economist, September 6, 2015)


ステファノ・ベルトロ(Stefano Bertolo;@sclopit)がツイッターで慨嘆している。

sclopit:別のニュース。政策の立案を担当する若手官僚の面々と数日ほど一緒に過ごす機会があったのだが、誰一人としてジェームズ・スコット(James Scott)のあの本(http://t.co/vX6k4IxxNE)のことを聞いたこともない様子。

早速本棚に手を伸ばして(「あの本」こと)『Seeing Like A State』にざっと目を通す。何がテーマとなっているかは副題からある程度窺い知れる。「人々の暮らしを良くしようとして企てられたある種のスキーム(計画)が失敗するに至ったのはいかにしてか?」。本書では理想主義的な(トップダウン型の)国家主導のスキーム(計画)の数々が詳細に取り上げられている。ニエレレ大統領による(タンザニアの)ウジャマー村構想、ル・コルビュジエの唱える理想都市を範としたブラジリアの都市計画――ジェイン・ジェイコブズが讃える(自生的な成長を遂げる)有機的な都市とは正反対の例――、そして旧ソ連における農業集団化などなど。


『Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed』 (The Institution for Social and Policy Studies)

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ダイアン・コイル 「公共政策について学ぶ:推薦図書リスト」(2016年9月16日)

●Diane Coyle, “Public policy reading”(The Enlightened Economist, September 16, 2016)


ツイッター上でフレデリコ・モレ(Frederico Mollet)から次のようなやりがいのある挑戦状が届いた。「公共政策について学ぶために大学院の修士課程に進学したばかりの学生が大局を掴む上で役に立つお薦めの書籍を挙げよ」。以下に私なりのお薦めを掲げるとしよう。合計で10冊1。読みやすさ重視。経済学の観点から公共政策に切り込んでいる書籍、経済政策の(理論的な)根拠に探りを入れている書籍を中心に選んでいる。毎度のことだが、何か意見があるようならお知らせ願いたい。歓迎する。特に、著者が女性の書籍で何かお薦めがあればお教え願いたいところだ。以下に掲げた書籍の著者は男性ばかりなものでね。

上から三冊は「私のお気に入り」の座に長年君臨し続けている代物。誰もが是非とも一読すべきだと思う。

*『Seeing Like A State』(「国家による一元化」) by ジェームズ・スコット(James Scott)

*『Reinventing the Bazaar』(邦訳『市場を創る-バザールからネット取引まで』) by ジョン・マクミラン(John McMillan)

*『Micromotives and Macrobehavior』(邦訳『ミクロ動機とマクロ行動』) by トーマス・シェリング(Thomas Schelling)

*『Who Gets What and Why』(邦訳『Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット)-マッチメイキングとマーケットデザインの経済学』) by アルビン・ロス(Alvin Roth)

*『What Money Can’t Buy: The Moral Limits of Markets』(邦訳『それをお金で買いますか』) by マイケル・サンデル(Michael Sandel)

*『Economics Rules』(邦訳『エコノミクス・ルール-憂鬱な科学の功罪』) by ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)

*『Madmen, Intellectuals, and Academic Scribblers: The Economic Engine of Political Change』(「狂人、知識人、三文文士:政治変化の背後に潜む経済的な原動力」) by エドワード・ロペス(Edward Lopez)&ウェイン・レイトン(Wayne Leighton)

*『Poor Economics』(邦訳『貧乏人の経済学-もういちど貧困問題を根っこから考える』) by エステル・デュフロ(Esther Duflo)&アビジット・バナジー(Abhijit Banerjee)

*『The Idea of Justice』(邦訳『正義のアイデア』) by アマルティア・セン(Amartya Sen)

*『Other People’s Money』(邦訳『金融に未来はあるか-ウォール街、シティが認めたくなかった意外な真実』) by ジョン・ケイ(John Kay)

*『Economic fables』(邦訳『ルービンシュタイン ゲーム理論の力』) by アリエル・ルービンシュタイン(Ariel Rubinstein)

*『The Blunders of Our Governments』(「われらが政府によるヘマの数々」) by アンソニー・キング(Anthony King)&アイバー・クルー(Ivor Crewe)(イギリスの例しか取り上げられていないが、非常に愉快な一冊であることは間違いない)



  1. 原注;・・・のつもりだったが、あれもこれもと考えているうちに少々オーバーしてしまった。 []

ダイアン・コイル 「『公共政策の経済学』を教えるとしたら」(2013年12月9日)

●Diane Coyle, “What can economics contribute to public policy?”(The Enlightened Economist, December 9, 2013)


大学で「公共政策の経済学」をテーマとする講義を受け持っているのだが、どんな内容をカバーするのがベストだろうかとずっと頭を悩ましている。世間を賑わす「ビッグ・イシュー」(大きな争点)に対する学生たちのごく自然な興味・関心を満足させつつ、経済学徒たる彼らを公共政策(ないしは政府の決定)に明るい「事情通の市民」(well-informed citizen)へと涵養するには、あるいは、公共政策の世界に飛び込んでも活躍できる職業人に育てるにはどんな内容を教えたらよいだろうか? それに加えて、これまでに色んな講演の機会(例えば、こちらこちら)を通じてあれこれ論じてきたところでもあるが、「経済分析(経済学)は公共政策に対していかなる寄与をなし得るか?」というさらにどでかい問題も背後には控えている。

公共政策をテーマとする経済学の講義でどんな内容が教えられているのかネットで講義のシラバスなり課題図書リストなりを調べてみると、公共財の理論だったり公共選択論だったり取引費用経済学/新制度派経済学だったりといった理論的な思考枠組みの説明に重点を置いている向き(第一のアプローチ)があるかと思うと、具体的なトピック――教育問題絡み(授業料、バウチャー制度など)、環境問題絡み(環境の経済評価など)、独禁法をはじめとした競争政策などなど――の解説に重点を置いている向き(第二のアプローチ)もあるようだ。具体的なトピックを論じる場合には個別の事情(文脈)を踏まえざるを得ず、それゆえ課題図書リストには各国の事情を取り上げた文献が名を連ねている。その他には、伝統的な財政学の流儀に則って租税や財政支出、福祉国家などなどについて論じるという向きもある(第三のアプローチ)。私が学部時代(はるか昔)に受けた講義がまさにこのやり方(伝統的な財政学の流儀)に則って教えられた。マスグレイブ夫妻の『Public Finance in Theory and Practice』(邦訳『マスグレイブ財政学-理論・制度・政治-』)が教科書として指定されていたものだ。公共政策について教えるといっても色合いの異なる様々なアプローチがあるようで実に興味深いところだ。 [Read more…]