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ダニ・ロドリック 「私の経歴」(2016年5月26日)

●Dani Rodrik, “I’m profiled…”(Dani Rodrik’s weblog, May 26, 2016)


私の経歴がIMFの季刊誌である「Finance&Development」で紹介されている。こちら(pdf)がそれだ。執筆しているのはプラカシュ・ラウンジャニ(Prakash Loungani)。私の過去が遡って探られており、本人でさえも忘れてしまっている小ネタも盛り込まれている。書き出しの部分を引用させてもらうとしよう。

「市場」vs「国家」、勝者は「市場」。そのようなかたちではっきりと決着がついたかのように思われた1990年代初頭。ソ連が解体し、ベルリンの壁も崩壊。それに伴って経済や政治といった分野における庶民の活動に介入する国家の役割に対して疑問符が付せられることになったのである。民主主義と資本主義が世界中を覆うのに伴って「退屈な」時代が到来することになる(今後の歴史は「退屈な」ものになる)だろう。政治学者のフランシス・フクヤマがそのように宣言したのは1992年のこと。経済学者の間でも「市場」に対する評価は――元々高かったが――さらに一段と高まることに。自由市場が世界中に広まるのを擁護したミルトン・フリードマンに対してローレンス・サマーズのような左派寄りの経済学者でさえも「渋々ながらの称賛」を送ったほどなのだ。

しかしながら、ハーバード大学に在籍する経済学者のダニ・ロドリックはその列に加わろうとはしなかった。グローバリゼーション――貿易や金融取引を通じて国家間の経済統合が深化するプロセス――は行き過ぎてしまっているかもしれない。ロドリックは1997年に出版された研究報告書でそのように警告したのである。経済学者の間で共有されているグローバリーゼーションに対する楽観論とグローバリゼーションに抵抗を覚える「大多数の庶民を突き動かす直感」との間には「大きなギャップ」があるとは同書でのロドリックの指摘だ。同書では「共和党の大物政治家」であるパット・ブキャナンが「『経済ナショナリズム』の看板を掲げて(1996年の)米国大統領選に出馬し、貿易障壁を設けるとともに移民の受け入れも制限せよと力強く訴えた」エピソードも取り上げられている(20年後の2016年に共和党から立候補したトランプがまったく同じ看板を掲げて大統領選に挑んだことは御存知の通り)。

自由貿易の恩恵は経済学者の目にもそれ以外の面々の目にも同じように明白なものとして映るかというとそうじゃないとのロドリックの指摘は先見の明があったと言えるし、資本移動の完全自由化(国境を越えた資本の移動に一切規制を課さないこと)に対するロドリックの懐疑論は今では通念(正統的な見解)の一つとなるに至っている。いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に対するロドリックの論難も成果を上げ、経済成長を下支えする処方箋は一つには限られないとの認識がIMFや世界銀行といった国際機関や各国の政府の間にまで広まる結果となっている。「(どんな場合にも通用する)万能薬なんて無い」(“one size does not fit all”)との言い回しが決まり文句として広まるようになったのはロドリックの功績という面が少なからずあるのだ。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の元記者であり現在はブルッキングス研究所ハッチンズセンターでディレクターを務めるデイビット・ウェッセルは次のように述べている。「当時はロドリックの言い分がどこまで正しいのかみんなよくわかってなかったんですよ」。

ちなみに、ラウンジャニは(Finance&Development誌の)同じ号に(ジョナサン・オストライとデビッド・ファーセリと連名で)「新自由主義は買い被られてる?」と題された別の記事も寄稿している。

IMFを代表する雑誌のそれも同じ号に私の詳しい経歴に加えて金融のグローバル化を批判する記事が同時に掲載ときたもんだ。一体全体どうなっちゃってるんだろうね?