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ビル・ミッチェル「ケインズに先駆けて大恐慌から日本を救った男、高橋是清」(2015年11月17日)

[Bill Michel,  Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression,“ billy blog, Novenber 17, 2015]

このエントリーは、以前に明示的財政ファイナンス(OMF)について書いた一連のエントリーに追加された第二部のエントリーだ。前英国金融サービス機構長官のアデア・ターナーは、2015年11月5日から6日に掛けて、ワシントンで開かれたIMF主催の第十六回ジャック・ポラック年次研究会議で新しい論文–The Case for Monetary Finance – An Essentially Political Issue–をちょうど出した。その論文では明示的財政ファイナンスが提唱されていたが、私はその内容受け入れられない。それについては明日書くだろう (それはPart2になるが、二つの記事は必ずしもつながってないだろう)。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)

Bill Mitchell, “Overt Monetary Financing would flush out the ideological disdain for fiscal policy“, Bill Mitchell – billy blog, July 28, 2016.

 

3人の金融機関系の経済学者(二人はBIS、一人はタイ中央銀行)が書いたHelicopter money: The illusion of a free lunch (2016年5月24日)という記事がある。この記事では、明示的財政ファイナンス(OMF)、つまり中央銀行の金融的キャパシティで財政赤字拡大を実現し、非金融主体への政府債務を発行しない政策について ”話がうますぎる” 、 ”大きな代償を支払うことになる” と論じられ―― ”金融政策を永久に喪失することになる” と要約されている。彼らが行っている議論は、現代金融理論(MMT)の提唱者が20年以上に渡って発表してきた研究と極めて整合的である。その研究は今、主流派の銀行システム分析の打破を始めている。

しかし、彼らが導いた結論はオリジナルのMMT提唱者たちには支持されない。MMT提唱者たちは、OMFを極めて望ましい政策方針と見なしている。政府が本来備えている金融的キャパシティをよく表現するものだからだ。さて、件の記事では、”フリーランチ”という言葉が何を意味するかのついての疑問も提示している。このフリーランチという言葉は、マネタリストであるミルトン・フリードマンによって広められた(ただし、彼の発案ではない)。経済学におけるこの言葉は、「政府の介入はコストを生ずる」という主流的見解とセットで使用されている。しかし、今一度“フリーランチというものはない”という言葉の本当に意味するところを検討すれば、我々が(実物資源制約を強調する)MMTの体系に非常に近い形で扱っているということが分かり、また、通貨発行権を持つ政府(currency-issuing governments)に適用されている金融的制約の誤謬も明らかになる。

 

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ビル・ミッチェル「銀行融資は―準備預金ではなく―自己資本によって制約されている」(2010年4月5日)

Bill Mitchell, “Lending is capital- not reserve-constrained“, Bill Mitchell – billy blog, April 5, 2010.

 

今日、バーゼル委員会の「自己資本比率規制を強化し、銀行規制体制強化のための新しい流動性ルールを導入するべきだ」という新しい提案文書をずっと読んでいる、全てを読み切るにはあまりにも膨大な文書だ。さて、私はこの新しい提案に関する二つの異なる見解に遭遇した。一部の評論家は「自己資本比率規制は銀行の信用創造能力を阻害するものであり、したがって規制が経済成長に歯止めをかけるだろう」と論じている。もし自己資本比率規制が強化されれば、そうしなかったときよりも成長率は低くなるだろう、というわけだ。一方で、著名な”進歩的”経済学者は、そうした見解に異議を唱えたが、同時に主流派マクロ経済学の迷宮の中で混乱状態に陥っていた。そうした混乱は、自己資本比率規制と法定準備制度がたびたび混同されてしまうという事実を明確にさらけ出すものだった。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日)

Bill Mitchell, “Building bank reserves is not inflationary“, Bill Mitchell – billy blog, December 14, 2009.

 

今日私は仕事でDubboにいる。Dubboはニューサウスウェールズ州の西部で、州の中でも外れた辺鄙なところにある。普通の人々はしばしば通り過ぎてしまうこのオーストラリアの田舎では、美しい景観が楽しめる。私のこの実地見学は、この地域の土着のコミュニティについて私が継続的に行っている研究と関係がある。この研究についてはいつか報告しよう。さて、今日の記事は、私が昨日に準備預金について展開したテーマの続きだ。昨日の記事―Building bank reserves will not expand credit邦訳)では、準備預金の動態について検討したが、時間が無かったので、いくつかの論点を残してしまっている。一つの論点は、準備預金拡張がインフレーションに与える影響の可能性についてだ。これは、危機に対する金融政策の効果に関する時代遅れな考えについての主流派たちの病的熱狂の核心的部分だ。結論については安心してほしい――金融政策についての唯一の問題は、それが無効であり、より大きい財政政策の努力が必要だというところだ。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)

Bill Mitchell, “Building bank reserves will not expand credit“, Bill Mitchell – billy blog, December 13, 2009.

 

ポール・クルーグマンは、彼の最新のニューヨークタイムズの記事(2009年12月10日) Bernanke’s Unfinished Missionで、マクロ経済学について本当はあまり理解していないということを露呈した。時折、誰かコラムニスト(の書いたもの)を読むときに、疑わしきは罰せずの精神で、書かれていない背後の意味を見つけようとすることが誰にでもあるだろう。クルーグマンは、他のコラムニスト同様、時々は明らかに正しいことを言ったり、現代金融理論(MMT)に整合的な議論を行ったりしてはいる。しかしそれでも、馬脚を現すような記事がいつも現れ、それによって結局「このアナリストは本当は分かってない」ということが明らかになってしまう。クルーグマンの場合、日本の”失われた10年”の政策論議に対して彼が行った悲惨な介入から何も学ばなかったようである。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「貨幣乗数、及びその他の神話」(2009年4月21日)

Bill Mitchell, “Money multiplier and other myths“, Bill Mitchell – billy blog, April 21, 2009.

 

最近ニュースになっている量的緩和のような政策は、銀行システムの運用法や、非政府セクターと政府セクターの関係についての誤った思い込みに基づいている。主流派経済学の核の部分の1つであり、学生に対して早い教育段階で打ち込まれ、しばしば永久に学生にとって不利益に働く代物として、貨幣乗数(money multiplier)というコンセプトがある。それは、学生の記憶に永久にしつこく生き残り続ける(ないしそう見える)ので、極めて有害なコンセプトだ。また、貨幣乗数は、不換紙幣(fiat currency)&変動為替の現代金融経済における銀行の運用法の描写として、全く不正確である。それがなぜなのかを解説していこう! [Read more…]

ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)

Bill Mitchell, “Taxpayers do not fund anything“, Bill Mitchell – billy blog, April 19, 2010.

 

時折、誰も読んでいないし何の注意も払われていないが、不換紙幣(fiat currency)に基づく金融システム運営を行っている政府の持つ選択肢について、基礎的理解を提供している過去のいくつかの資料を発見することがある。そうした資料のうち、今でも有効なものの一つについて詳説しよう。その理解のエッセンスはこの記事のタイトルに要約されている――「納税は資金供給ではない」。したがって、評論家や政治家が”納税者のお金が無駄遣いされた”みたいなことを発言しているのを聞いたら、彼らが金融システム機能について理解していないと即座に結論付けることが出来る。この点において、彼らの主張は無視した方が良い――最初の前提がそもそも間違っているので、その結論も間違っている可能性が高いからだ。問題なのは、一般の政策議論が概してこうした誤った前提に基づいているということである。結果として、概して劣悪な政策方針が採用され、たいていの場合、恵まれない立場にいる人々の利益が著しく害されることになる。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「自然利子率は「ゼロ」だ!」(2009年8月30日)

Bill Mitchell, “The natural rate of interest is zero!“, Bill Mitchell – billy blog, August 30, 2009.

 

メディアでは、オーストラリア準備銀行(RBA)が2009年末に利上げするだろうということがやかましく報じられている。失業と不完全雇用がまだ増加しており、雇用成長率が利上げ時点でゼロを超えるかどうか不透明な中では、利上げはナンセンスだと思われる。理論的な観点から言って、こうした全ての推論の道筋は(ジャーナリストたちが本当に理解しているかどうかはともかく)、”中立利子率”と呼ばれるコンセプトであり、これは新自由主義的偽装の一つだ。今回のブログ記事では、これについて論じていこう。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)

Bill Mitchell, “Deficit spending 101 – Part 3“, Bill Mitchell – billy blog, March 2, 2009.

Part 1 の翻訳はこちら

Part 2 の翻訳はこちら

 

この記事は財政赤字101のPart 3だ。このシリーズは、財政赤字を恐れるべきではない理由の説明のために書いている。この記事では、銀行システムにおける財政赤字の影響を考察することを通じて、「財政赤字が政府借入需要を増やし、金利を引き上げる」という既存の神話を蹴散らすつもりだ。この二つの議論には関係がある。重要な結論は、(a)財政赤字は金利に対して下落圧力をかける動態を持つ、ということと(b)政府債務発行は政府支出の”資金調達”をするものではない、ということだ。そうではなく、債務発行は、(オーストラリア中央銀行(RBA)の目標金利維持志向としての)金融政策をサポートするために行われるものだ。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)

Bill Mitchell, “Deficit spending 101 – Part 2“, Bill Mitchell – billy blog, February 23, 2009.

Part1の翻訳はこちら

Part3の翻訳はこちら


さて、「私たちは財政赤字を恐れる必要がない」ということを説明するために書くシリーズの第二回だ。今回は、所謂、「財政赤字を”ファイナンスする”」ことをめぐる神話のいくつかを解消したい。とりわけ「財政赤字はインフレをもたらす」、ないしは/もしくは、「財政赤字により政府は借り入れをする必要が出てくる」という神話だ。結論としては、政府には財政制約がなく、売られているものがある限り、それらに対して好きなだけ支出できるということになる。そして、支出が常にインフレをもたらすわけではないし、必ず政府債務を増加させるわけでもない、ということだ。

まず前回のパート1の復習から。一般の個人の場合、その支出は入手可能な原資に制約されている。自分の所得や資産の売却、どこかからの借りるなどを合わせても限度がある。対して、政府の支出は容易に可能で、中央銀行に小切手を振り出せばよい。政府の支出は、政府が中央銀行に持っている政府預金の額とは基本的に無関係なのだ。政府支出の小切手の受領者(政府にモノやサービスを売った人)が、小切手を銀行に持ち込むと、小切手は中央銀行収支(準備預金)を通じて清算され、民間銀行システムを通じ、口座への振込み記帳となって現れる。言い換えれば、政府支出は、民間銀行が中央銀行に持つ口座に信用を与えることによってなされている。このプロセスは、何か先行する収入(つまり税や借入)と関係しているわけではない。また、この信用付与によって政府資産は何ら減少しないし、政府の支出能力が減じることもない。

対して納税だが、民間部門からの納税が、民間銀行への小切手振出(または銀行振込)によってなされ、中央銀行が民間銀行の口座から引き落とす記帳となる。このとき何かの実質資源が政府に移転するというわけではない。また、この記帳によって政府の支出能力が高まるということもない。

この点に関して主流経済学は、家計の予算と政府の予算の違いを区別しないゆえの誤謬に陥っている。「政府の貯蓄と貯蓄取り崩しは、ちょうど家計のそれと思って考えていい」とは、評判の高い経済学者ロバート・バローの言葉だが、このような言明は全くの誤りだ。

主流経済学では政府予算制約(GBC:the government budget constraint)という枠組みを用い、次の三形態に分けた分析を行う。(1)増税、(2)民間部門への利付負債(国債)販売、(3)利子のないハイパワードマネーの発行(貨幣創造)、だ。そして、「ハイパワードマネーによるファイナンス(債務マネタイゼーション)の場合は赤字がインフレをもたらす」、であるとか、「債務発行によるファイナンスは民間部門の支出を搾り取る」、という結論を導き出すシナリオをいくつも構築する。実際のところのGBCは「事後的」にとらえた会計の姿に過ぎないのにも関わらず、従来の経済学ではそれが政府支出の「事前の」資金的制約であると主張されている。

GBCという枠組みを教えられる学生たちは「政府支出の際には、紙幣を刷ることでインフレーションにならないよう、増税か国債発行が必要になる」と信じることになる。人々も、政府支出のための金は税や国債が賄っているという誤解を持っている。政府が赤字を増やすと(徴税より多い支出をすると)債務残高が増えるか「お金を刷る」かのどちらかになるに違いない、いずれにしても望ましくない結果だと考えている。

しかし実際の政府の財政運営は、そのような先入観とはまるで違っている。家計、すなわち貨幣の使用者(user)は、使用者であるがゆえに支出の前に第一に資金を調達しなければならない。全く逆に、政府、すなわち通貨の発行者(issuer)は、必然的にまず支出(民間銀行口座に信用を付与)することによって、後日必要に応じて民間口座からの引き落としができるようになるのだ。政府は、民間部門が支払いや納税や貯蓄(取引のための残高維持も含む)のために必要とする資源の源(the fund)そのものだ。政府は自国通貨の支払いに困ることはない。

主流経済学ではこれを「貨幣創造」と呼ぶが、正確ではない。人気のあるオリバー・ブランチャードの教科書によれば、政府は

私やあなたにはできないことをすることが出来る。政府は貨幣を刷ることによって赤字を事実上賄うことができる。ここで”事実上”と言うのは、貨幣を作るのは政府ではなく中央銀行だということだ。しかし、中央銀行の協力があれば、政府は事実上、貨幣の発行によって自ら資金を調達することができる。政府は債券を発行し、中央銀行に購入させることが出来る。その際、中央銀行は自身が発行した通貨を政府に支払い、政府はその通貨を財政赤字の調達に用いる。このプロセスは債務マネタイゼーションと呼ばれる。

これが主流経済学者が「紙幣を刷る」と言っているものだ。しかしこれは金融システムから見れば間違った認識だ。マネタイズとは、貨幣への変換という意味だ。かつて金(gold)は政府が金(gold)を購入して金証券を発行するときにマネタイズされていた。中央銀行が外貨を購入するときにもマネタイズは起こっている。外国通貨の購入は、外国通貨を自国通貨へと変換あるいはマネタイズしていると言える。このとき中央銀行は、新規発行されたドルに対して銀行システム内に利子を稼げる手段を提供するために、連邦政府有価証券を売却する。不胎化と呼ばれる処理だ。広い意味で言えば、独自通貨を持つ政府の負債は貨幣だ。赤字支出のプロセスとは何を買うのであれ、マネタイズのプロセスということになる。

確かに、あらゆる政府支出が貨幣創造を伴っているのは明らかだ。但し、これは経済学の教科書や公共の言論においての言われているところの債務マネタイゼーションとは意味が異なる。ブランシャールの概念に従えば、債務マネタイゼーションは通常、中央銀行が政府債券を財務省から直接購入するプロセスのことを指すことになっている。言い換えると、連邦政府が市民からではなく中央銀行から通貨を借入するということである。債務マネタイゼーションは通常、政府が「お金を刷る」と言われるようなプロセスを意味する。債務マネタイゼーションは、他の条件が一定なら、マネーサプライを増やして深刻なインフレーションをもたらすとされている。

しかし、債務マネタイゼーションを怖れる根拠がない。そもそも政府が支出するときに通貨を持っている必要がないのだが、さらに、中央銀行には既発国債にしろ新発国債にしろ、それらを購入する選択肢がない。Part 3で紹介するつもりだが、中央銀行に目標短期金利を維持するという任務を持たせるのであれば、中央銀行は国債購入量・売却量を任意に決定することができない。中央銀行が準備預金量をコントロールできないというこの事実は、債務マネタイゼーションの不可能性を明確に示すものだ。中央銀行は、その意のままに政府有価証券を購入して政府債務をマネタイズするというようなことはできない。なぜなら、それを行うと、超過準備の発生によって、短期金利がゼロか、サポート金利のところまで低下してしまうからだ。このことについてはPart 3で逐一考察しよう。

ここまでの分析をまとめると、次のように結論できる。政府は小切手を切ることなどで銀行口座に信用を与えるか、現金を出すことで支出(経済に金融資産を導入する)を行う。この支出は収入に制約されない。自国通貨を持つ政府は、支出に関しての金融的な制約はない。ただし自ら(政治的に)課している制約は別だ。

政府支出が収入に制約されていないとなると、徴税についてもこれまでとは別の見方ができるようになる。徴税には、民間人が納税義務を果たすための必要資金を調達するために、その財やサービスを政府に提供するように仕向ける、という機能があるのだ。

徴税は、政府が支出するために必要な収入だというのがオーソドックスな理解だ。しかし真実はその反対だ。政府が支出することが、非政府部門に収入を提供し、それによって人々が納税義務を履行することを可能にしているのだ。つまり、納税負債を決済するのに必要な資金は、政府が支出することによって非政府主体へと供給されている。このことは、納税義務を課すことが非政府主体における政府貨幣の需要を創り出しており、このことによって、政府が経済的・社会的政策プログラムを運営できるようになっている、ということを意味している。

この洞察から、主流の分析が見落としている税の別の側面が見えてくる。税を支払うために非政府部門が不換貨幣を必要とするであれば、税の賦課とはまず第一に(支出のためではなく)、非政府部門の(求職者全員の)完全雇用のために作られているものなのだ。そうであれば、非政府部門の失業者・遊休資産は、実物材やサービスを非政府部門から政府部門へ移転させる政府支出を通じた需要追加により活用され得ることになる。
裏を返せば、この移転が政府の経済的・社会的政策プログラムを促進する。実物資源が財やサービスの政府購入という形で非政府部門から政府部門に移動する時に、その資源を供給する側は、納税義務を果たすために不換紙幣を獲得する必要があるということに動機づけられている。

さらに、実物資源が移転されたとしても、徴税によって政府が紙幣を発行できる余地が大きくなるわけでもない。以上のように政府部門と非政府部門の関係を概念化してみると、政府が支出することが賃金労働を供給し、同時に、租税によって作り出される失業を消滅させているということが明らかになる。

こうして、マスとしての失業がなぜ起こるのかがわかってくる。(政府による税と支出で定義される)国家貨幣を非金融経済に導入することで、非自発的失業という亡霊が現れる。会計の事実として、総産出が売れるためには、総支出と総所得が一致していなければならない(ある期間において、生産を通じて得られた所得の同額が支出されたとしても、そうでなくても常に)。非自発的失業は、現在の価格(賃金)では買い手がつかなかった遊休労働力だ。失業が発生するのは、民間部門が全体として、他の条件を一定とした場合、労働者を欲しつつも、稼得分の全部は支払わないことで貨幣を稼ごうとするからだ。その結果、モノやサービスの売り手のところに望まない在庫が蓄積し、ひいては産出と雇用の低下につながる。こうした状況では、名目賃金(あるいは実質賃金)をカットしても、そうした賃金カットが民間部門の純貯蓄需要を取り除いて支出を増加させるのでもない限り、労働市場の失業がなくならない。

このように、国家貨幣の目的は、実物財・サービスの非政府部門(主に民間)から政府領域(公共)への移動を促すことである。政府は、まず最初に税を課し政府発行貨幣への抽象的需要を作り出すことによって、こうした移転を達成する。非政府主体は、納税と純貯蓄に必要な資金を得るため、実物財・サービスを売りに出し、必要な貨幣単位と交換する。売りに出すものには当然労働力の提供も含まれる。明らかな結論として、失業とは、政府純支出が納税需要と純貯蓄需要を満たすのに少なすぎるときに生じるのである。

この分析により、政府支出の上限も定まる。納税が可能になるためには、十分な政府支出が必要だということはすでにはっきりしているが、加えて、政府純支出は民間の貯蓄需要(金融純資産の蓄積)に合わせる必要がある。前のパラグラフで明らかだが、もし政府が租税分と非政府部門の貯蓄需要を満たすのに十分な支出を行わないと、不足の兆候として失業が現れることになるだろう。ケインジアンは「需要不足失業」という言葉を用いてきた。我々の考えでは、いかなる時も民間の支出(貯蓄)決定は所与なのだから、失業の原因とは常に政府純支出の不足だ。

政府純支出の水準が不十分であっても失業が増加しない状態が持続する場合もある。ここ数年のアメリカやオーストラリアといった国にも裏付けられる通り、その場合のGDP成長は民間債務の拡張によってもたらされていることになる。問題は、民間部門の所得は決まっているので、所得に占める債務元利払いの水準が一定割合を超えたときに、民間部門が”借入余力を使い果たし”てしまうことだ。

そうなると、民間部門は不安定性回避のためにバランスシートを再構成しようとする。結果として債務の拡張に頼っていた総需要は減速し、経済全体が傾く。ここに至り、財政の歯止め(不十分な純支出水準)の問題は、失業という形で顕在化し始める。

重要なのは、税構造は所与として、人々が雇用を希望しつつ、それまでのような消費水準(もしくは、さらなる債務形成)は望まない状況でも、政府が支出を行い、財・サービスを購入すれば完全雇用を維持することが出来るということである。そうしないと失業や不況が生じることになる。不況経済では、資本側にも労働側にも多くの遊休資源があるため、財政赤字の拡張がインフレを促進するとは考え難い。

私がずっと指摘してきた話だが、連邦政府がまず最初にすべきことは、職を望む者すべてに労働機会を提供し、すべての法的資格の付与とともに最低賃金を支払うことだ。失業者は、定義によって”市場価格”がついていない。その労働力への需要がないからだ。価格のないサービスの購入は、何らインフレ促進的な行為ではない。

Part3では、「政府借入は金融市場から貨幣を搾り取るので、財政赤字は自動的に金利上昇につながる」という議論を検討しよう。そこであなたは納得することになるだろう…これもまた、政府の活動を制限するように設計されている、もう一つのネオリベラルの神話だったのだ、と。