ビル・ミッチェル「現代貨幣理論(MMT)入門」(2023年10月)

MMTは、財政赤字の規模そのものに焦点を当てるべきでないと強調している。主流派の経済学者は財政比率(公的債務の対GDP比など)にこだわる。しかし、責任ある政府であれば、支出全体を完全雇用と整合的な水準に維持するために必要な赤字は何でも許容する。それ以上でも以下でもない。財政の持続可能性とは、働きたい人なら誰でも働くことができる包容力ある社会を維持するという政府の責任を果たすことである。

1.はじめに

本稿『現代貨幣理論(MMT)入門』は、筆者(ビル・ミッチェル)が2022年11月5日に京都大学で行った講演に基づいている。

世界金融危機〔2007年〜2010年〕とその十数年後の新型コロナウイルスの世界的大流行によって、経済政策においても、またその政策の根拠となる経済学においても、新自由主義の時代が持続不可能であることが明らかになった。

過去数十年間、ほとんどの先進国では、政府が緊縮寄りの財政政策を偏重し、家計債務〔の拡大〕に依存して自国の経済成長を維持してきた。また、政府は「効率的市場」の定理を唱え、金融市場が非合理的に作用し、投資資金の配分を誤る恐れを否定することで、金融市場に対する監視の緩和が民間債務の急増を招いたことを正当化した。また、ニューケインジアン [1] … Continue reading 的なマクロ経済学が支配的であったため、不安定化の責任は金融政策に押し付けられた。金融政策には安定化の機能を果たすツールとしての効果がほとんどないにもかかわらずだ。

世界金融危機以前は、主流派の経済学者が使用する主要な経済モデルには金融部門すら含まれていなかった。否定と傲慢が経済論争を支配していたのだ。世界金融危機はそうしたアプローチの愚かさを露呈し、世界中の政策立案者は経済を安定化させるために非常にプラグマティックなアプローチ(大規模な財政刺激策の実施)を採用した。

この危機から私たちが学んだのは、政府以外の主体による支出が減少する中で総支出を支えるには、財政政策が非常に効果的であるということである。この点は、経済学者によって世界金融危機よりも前からずっと否定され続けてきた。また、巨額の財政赤字が金利を押し上げることはなく、政府の一部門として機能する中央銀行が(望めば)いつでも国債の利回りをコントロールすることが可能であることも学んだ。

支配的なニューケインジアン理論の主要な教義はすべて誤りであることが、この時期(世界金融危機)に示された。英国のエリザベス女王(当時)でさえ、2008年11月にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(大学)を訪問した際に、「それほど大ごとだというのなら、なぜ誰一人として予測できなかったのですか」と疑問を呈した。

主流派経済学の専門家たちが差し迫った危機のシグナルに気づかなかったのは、彼らが社会心理学者の言う「集団思考(Groupthink)」に陥っていたためである。この病理は、集団行動のパターンの一つであり、これに囚われると、中核となる理論がもはや事実を適切に説明できなくなっても、変化を拒むようになる。このような現象には、異なる分野を越えて多くの例が存在する。こうした例では、新しい知識は無視される。また、既存の慣行(政策)については、たとえそれが誤った前提に基づき、意図した目標を損なうものであっても維持される。通常、パラダイム(理論的枠組み)の転換が起こるのは、(既存の政策の誤りを示す)エビデンスが積み重なり、説得力を持つようになってからである。

この時期の経済学に顕著だった不協和音が、経済学を支配する信念体系に異議を唱える現代貨幣理論(Modern Monetary theory; MMT)の誕生を促した。MMTの起源は1990年代まで遡るが、その考えが公の議論で反響を得るようになったのは世界金融危機が起きてからだった。この危機によって、一層多くの人々が主流派経済学の無力を目の当たりにし、新たな考え方を模索するようになったためである。

〔主流派経済学と比較して、〕MMTは制度的・経済的事実と一層密接に結びついている。1990年代の初期MMTの経済学者たちは、金融市場の規制緩和と家計負債の増加に依存した経済成長は持続不可能であり、その結末は危機をもたらすと警告していた。さらに、1990年代初頭の大規模な不動産市場崩壊後の日本の経験は、主流派の経済学者が政策の結果を予測できなかったことを示す十分な証拠をもたらした。

本稿では、MMTの基本的な概念を紹介する。この論文を読めば、MMTの概念が、現代の不換通貨システムの仕組みへの理解を助けるベースとなることがわかるだろう。また、MMTが提供する正しい枠組みを通じて、以下の3点を理解することができるようになる。つまり、通貨を発行する政府の能力、その能力を使って生じる結果、そして(ユーロ圏加盟国のように)国家がその能力を放棄した場合に生じる問題である。

2.通貨システムの進化

    1971年8月に起きた歴史的大事件によって、通貨システムの仕組みは変わり、公共支出や債務に関するマクロ経済学の教科書的知識の多くが無駄になった。第2次世界大戦が終結すると、通貨を安定化させるための国際通貨システム(固定相場制、ブレトン・ウッズ体制)が1946年に誕生したが、リチャード・ニクソン米国大統領が1971年8月に米ドルと金(きん)の兌換を放棄したことで、このシステムは事実上崩壊した。

    ブレトン・ウッズ体制では、各国の中央銀行は他国の通貨との協定平価(為替レート)を維持する責任を負っていたため、そのシステム内における自国通貨の流通量を厳格に管理する必要があった。ある通貨が外国為替市場において供給過剰になった場合、発行元の中央銀行は外貨準備を支払ってその通貨を買い戻し、国内金利を引き上げて外国からの投資(とその通貨に対する需要)を呼び込み、〔為替レートへの〕下落圧力を抑えなければならなかった。

    これにより以下の問題が生じる。マネーサプライを縮小し、金利を上昇させると、失業が増加する。そして失業を減らそうと拡張的財政政策が乱用されると、再び通貨がシステム内に供給されるため、せっかく通貨の安定性〔為替レート〕を維持しようとしていた中央銀行の努力が無駄になってしまう。このため、金(きん)準備が増えない限り 、政府支出の増加(通貨の注入)は課税(通貨の除去)によって相殺せざるをえなかった。それでも政府の支出が税収を上回ってしまう場合は、国債を発行(さらなる通貨の除去)する必要があった。

    しかし、ブレトン・ウッズ体制が崩壊し、ほとんどの国で不換通貨制度が登場したことで、通貨を発行する政府が得られる可能性は劇的に変化した。

    第一に、すべての通貨が最終的に(米ドルの保有を通じて)金(きん)と兌換することができたブレトン・ウッズ体制下とは異なり、「国家貨幣」それ自体に内在する価値はなくなった。本来なら「無価値」である通貨を取引(モノの売買)の際に受け取らせるためには、何らかの動機付けが必要だった。そして政府がその通貨での支払いを要求する納税義務を課したことで、その通貨を受け取る動機が生まれた。

    第二に、不換通貨を独占的に発行することで、中央銀行が通貨平価(為替レート)を維持する義務から解放されたため、政府支出を課税や借入で相殺するというブレトンウッズ体制の制約がなくなった。言い換えれば、自国の不換通貨を発行する政府にとって、政府支出における資金上の制約はなくなった。このような政府は、遊休労働力を含め、その通貨で販売されるあらゆる商品やサービスを購入することができるようになった。政府支出に対して唯一意味のある制約は、すべての生産資源が完全に使用(雇用)されたときに到達する「インフレの上限」である。これは劇的な変化だった。このような政府が「資金を使い果たす」可能性があるという考え方は通用しなくなった。

    これらの変化は、現代貨幣理論(MMT)への入り口となった。さらには、政府支出に対する資金制約(financial constraints)に関する思考 や「政府予算制約」に関するあらゆる分析から、利用可能な生産資源と最終財・サービスの観点から定義される実物資源制約(real resource constraints)に焦点を当てる思考へのシフトが可能になった。これもまた思考の劇的な転換である。

    第三に、政府が自国通貨の発行者(issuer)である以上、論理的にはもはや国債を発行する必要はなくなった。国債を発行し続けることは、財政的な必要性ではなく、イデオロギー的な慣行となった。

    このような変化を振り返ると、政治は「その費用をどうやって支払うのか」という長年の疑問から厳密な意味で解放されたことがわかる。政府支出に対していまだにこうした疑問が投げられ続けているのは、現実に財政上の問題があるからではなく、人々がこうした歴史的な変化について無知であるためだ。政府支出と課税に関する国民的議論の焦点となるべき問題は、上記のような問題ではなく、私たちが公共支出と利用可能な生産資源からどのような機能的結果を望むのかということだ。

    現代の不換通貨システムに関するこうした洞察は、主流派のマクロ経済学では無視されており、財政赤字や公的債務に関する主流派の分析が無効であることを示している。主流派の分析は、不換通貨システムの制度的現実や仕組みに根拠を置くのではなく、純粋に資金制約や財政比率(「財政赤字が大きすぎること」)に関する主張に焦点を当てている。

    3.MMTとは何か?

    よくある誤解は、「MMTはある種の政治体制や一連の政策である」というものである。むしろ、MMTは通貨システムと通貨を発行する政府の能力を一層適切に理解するためのレンズとして捉えるべきである。MMTは、不換通貨システムの制度的現実を行動理論と結びつけることで、選択した政策がもたらす結果を評価する上で、一層首尾一貫した枠組みを提供している。

    MMTは、実物資源制約に焦点を移すことによって、「予算」や「資金制約」という言葉で表現されるほとんどの選択が、実際には単なる政治的選択であることを明らかにする。「政府には家計と同じく所得の制約がある」という主流派の比喩は誤りであることが分かる。通貨を発行する政府が、仕事を求めているすべての遊休労働力(失業者)を含め、自国通貨で売られているものなら何でも購入できるのであれば、大量失業は「自然」現象でもなければ、システムの構造に内在する事象でもなく、政治的な選択であることが理解できる。

    また、MMTを一連の政策として語るのもナンセンスである。MMTは、政府の通貨発行能力から生まれる政策の選択肢を理解するための枠組みであるが、具体的な政策決定は政府のイデオロギー(価値観)や直面している政治的現実によって左右される。その意味で、MMTは政治的には不可知論の立場をとる。政策決定に対するMMTの重要性は、「どうやって支出を賄うのか」に執着するのではなく、「その政策が何を達成するのか」、「利用可能な資源の最も有効な活用になるのか」に焦点を当てることである。

    4.政府支出の制約を理解する

    MMTの経済学者が、通貨を発行する政府の支出には資金的制約がないと指摘するのは、政府が望めばいつでも自国通貨で売られているものを何でも買うことができるという事実を強調しているにすぎない。そして、この洞察は「そのような支出にはどのような制約があるのか」という疑問につながる。

    この問いに答えるために、下記の図表1を考えてみよう。これは2行x2列のマトリックス図で、(a)国家の生産能力がフル稼働しているか、(b)国家が通貨主権を享受しているか、という2つの次元を表している。図表1には4つの可能性が描かれており、財政政策による介入を考える際に政府が直面する制約の違いをまとめている。

    通貨主権がある国は、自国通貨を発行し、外国為替市場における為替レートを自由に変動させ〔変動相場制〕、外貨建てでの借入を行わず、自国の金利を設定する。例えば、アメリカ、オーストラリア、日本、イギリス、その他多くの国がこのカテゴリーに入る。逆に、ユーロを使用する20の加盟国は、その通貨の使用者ではあっても、発行者ではないため、通貨主権がない。さらに、ある国の生産能力がフル稼働している場合、利用可能な生産資源はすべて利用されており、市場メカニズムを通じて資源を再配分するには、より高値で買い取るしかない。

    図表1 政府支出の制約

    図表1のケース1(横行:はい,縦列:はい)では、経済が完全雇用状態にあり、通貨主権を持つ政府の支出に資金上の制約(financial constraint)はない。しかし、例えば大規模なインフラ計画を導入するなど、国の生産資源の利用を増やしたいと望むなら、現在他の場所で使われている資源をめぐって、非政府部門と市場価格で競り合うことになる。このような状況では、デマンド・プル型のインフレ圧力が生じる。つまり、政府支出は実物資源上の制約(real resource constraint)に直面することになる。

    インフレ圧力を回避するためには、政府は一部の生産資源を〔民間部門から〕公共部門へと移転できるよう「解放」する必要がある。課税は、〔資源を解放するための〕政策オプションの一つである。課税は、政府以外の経済主体の購買力を低下させ、実物資源のスペースを生み出すからだ。これによって、政府はインフレを引き起こすことなく支出できるようになる。もっとも、一般的な認識とは異なり、徴税したからといって、政府に余剰の資金力を提供するわけではない。

    ケース2(横:はい,縦:いいえ)では、財政赤字が増えれば、遊休状態にある生産資源を再び生産用途に利用することができる。このような政府支出には、資金制約も資源制約もない。これらの資源は市場で競うことなく調達することができ、投入されてもインフレ圧力は生じない。このケースでの政府の責任は、完全雇用に達するまで支出することである。経済が完全雇用に達すると、状況はケース1に戻る。

    ケース3(横:いいえ,縦:はい)は、完全雇用下で稼働しているユーロ圏加盟国の特徴を示すことができる。このような政府は、資金制約と資源制約の両方の支出制約に直面している。通貨主権がない場合、政府は支出を行う前に税を徴収しなければならず、税収が支出額を十分にカバーできない場合は、投資家が設定した条件のもとで民間債券市場から資金を借り入れなければならない。また、ケース1と同様に実物資源制約にも直面する。

    最後に、ケース4(横:いいえ,縦:いいえ)は、大量の失業と税収の減少に耐えるユーロ圏国の恐ろしいケースである。この状況では実物資源制約は存在しないが、資金制約には直面している。自動安定化装置が財政赤字を拡大させるため(経済活動が低迷すると税収が減少し、福祉支出が自動的に増加する)、国はますます民間投資家から資金を調達しなければならなくなる。こうして発行される国債には信用リスクが伴うことを考えると、債券市場は新規発行国債に対して一層高い利回りを要求することになる。というのも、政府が未払い債を償還するために増税しようとしても、失業率が高い時には増税が困難になるためだ。

    そのため、大量の失業と混乱があっても、債券市場は債務不履行を恐れて、そのような政府に持続可能な利回りでの資金供給を拒否するかもしれない。2010年と2012年のユーロ圏危機では、個々の国(たとえばイタリアやギリシャ)の債務利回りが急上昇した。債券市場が利回りを押し上げたため、(通貨発行体である)ECB(欧州中央銀行)による介入だけが多くの国々を債務超過から救ったのである。

    5.日本の経験はMMTの考え方をどのように形作ったのか

    1990年代以降の日本の経験は、主流派のマクロ経済学がラカトシュ的な意味での退行的パラダイム [2] … Continue reading である理由を示している。1980年代、日本は当時の行き過ぎた新自由主義を受け入れ、民間債務の大幅な増加や投機的な資産バブルなどに見舞われていた。続いて1991年に起こった商業用不動産の暴落は、多額の財政赤字と公的債務の継続、日銀による大規模な国債購入、ゼロ金利の金融政策など、政府の本格的な対応を必要とし、財政・金融政策を極限まで押し進めた。図表2は、こうした政策転換に関連して主流派の経済学者が行った予測と、その後に起きた現実を比較したものだが、主流派経済学者による予測はどれも的中しなかった。

    これらの予測が外れた理由は、主流派経済学者が依拠する「教科書」的モデルが、通貨を発行する政府にとって自国通貨建の債務は常に償還可能であり、支払不能に陥ることはないという現実を無視していたからである。さらに、経済学者たちは日本銀行が利回りと金利を常に非常に低い水準で維持できることも理解していなかった。世界金融危機の時も似たようなことが起こった。債券市場が財務省と中央銀行の資金能力を圧倒することはあり得ない。債券投資家が利回りを決めるのは、政府がそれを許した場合だけである。

    主流派の経済学者たちは、〔予測を外したことにも〕めげることなく、自分たちの「虚構」の世界を宣伝し続け、政府の真の能力や、その能力を使って完全雇用を維持できることについて、国民に知られないようにしている。彼らは、財政赤字は返済されなければならず、将来世代に重い税負担を課すことになると言う。(財政赤字を「賄う」ための)政府の借入は、利用可能な希少な資金を民間部門と奪い合うことになり、結果、金利を上昇させ、民間投資を「クラウディング・アウト」させると主張する。政府は市場の規律に従わないため、希少資源の公的利用は無駄が多いと結論づける。最後に、政府が「お金を刷れば」インフレが加速すると主張する。これらを総合すると、主流派が繰り返す主張は、緊縮財政に偏っていることがわかる。

    図表2 日本経済の現実

    このような主張は、何十年にもわたる誤った教育や、保守系メディアが日々大量に垂れ流す報道によって、大衆世論に深く根付いている。MMTの枠組みを用いれば、なぜこれらの予測が外れたのか、なぜ主流派の主張が不換通貨システムの機能を把握するのに適さないのかを理解することができる。

    6.MMTは現実世界の経済を理解するのにどう役立つのか?

      MMTの教科書の決定版である『マクロ経済学(Macroeconomics)』(Mitchell et al., 2019年)〔邦訳は白水社より刊行予定〕によれば、MMTと主流派の違いは明らかだ。

      MMTは、主流派の経済学者が財政政策の選択を理解するための比喩として用いる家計のアナロジー(類似性)を否定する。家計のアナロジーは、実態のつかみにくい政府の財政を、私たちが日常的に扱う家計と関連付けようとするため、有権者の共感を得やすいが、最も本質的なレベルで間違っている。

      私たちは収入の範囲を超えた生活を無制限に続けることはできないと直感的に理解しており、新自由主義者は、私たちが政府の赤字を無謀だと判断することを知っているからこそ、このアナロジーを喧伝するのだ。しかし、通貨を発行する政府は家計を拡大したものなどではない。政府は通貨を創造しているのだから、常に歳入以上の支出をすることができる。

      さらに、主流派の経済学者は、政府が支出を賄うには、課税、国債発行、あるいは「貨幣印刷」が必要であり、これらはすべて弊害をもたらす(課税は人々の行動を歪め、国債は金利を上昇させ、貨幣の印刷はインフレを引き起こす)と主張する。こうして、大抵の場合財政赤字は忌避される。

      MMTはこうした分析を受け入れない。第一に、政府の支出は、中央銀行が銀行口座に数字を入力することによって可能になる。新しい通貨は政府支出によって「入ってくる」(into)のであって、政府支出が租税や国債売却から「出ていく」(out of)のではない。複雑な会計の構造や制度的プロセスによって、税収額や国債売却額が政府支出を賄っているかのように見えるが、これらはすべて、政府支出に政治的な規律を課すために自分たちで生み出した見せかけである。

      2009年3月、アメリカのテレビ番組『60 ミニッツ』で、ベン・バーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長(当時)は「FRBが支出しているのは税金ですか」と質問した。バーナンキは、「税金ではありません。銀行はFRBに口座を持っています・・・我々は単にコンピューターを使ってその口座の数字を増やしているだけです」と答えた。同じことがあらゆる政府支出に当てはまる。

      第二に、上記第4節では通貨を発行する政府が直面する支出制約について分析した。名目支出の伸びが、企業が販売のために商品やサービスを生産して応じる能力を上回れば、インフレ圧力が生じることを学んだ。財政赤字が続くとインフレにならないのか?マクロ経済学の基本ルールは、支出=所得=生産である。非政府部門が全体として貯蓄を望む(つまり、所得をすべて使わない)場合、その貯蓄需要が政府の赤字によって賄われない限り、生産は減少する。政府の赤字が非政府部門の支出ギャップを埋める規模である限り、財政赤字は望ましく、持続可能である。

      第三に、主流派の経済学者は、もし国債を発行せずに中央銀行が政府に代わって銀行口座の数字を増やせば(これについては「貨幣印刷」という誤った言い方がなされるが)、インフレが加速すると主張する。MMTは、政府による支出であれ、政府以外の主体による支出であれ、あらゆる支出にはインフレリスクが伴うと指摘している。名目支出の伸びが経済の生産力を上回れば、支出の出所にかかわらずインフレ圧力が生じる。

      しかし、主流派のナラティブ(筋書き)では、金利上昇が民間支出を「クラウディング・アウト」させるため、国債発行の方がインフレリスクが低いと主張されている。しかし、こうした結論は、不換通貨システムの基礎にも、銀行システムの現実にも基づいていない。 クラウディング・アウトの主張は、古典派の貸出可能資金の理論に基づいている。この理論では、国債の売却によって「貯蓄」の有限なプールをめぐる競争が発生し、その競争が金利を上昇させ、金利に敏感な政府以外の主体の支出に損害を与えると主張されている。ジョン・メイナード・ケインズ〔1883〜1946〕は1930年代に、貯蓄が所得の関数であり、政府純支出〔=政府支出−税収等の通貨除去〕によって増加することを示し、この主張の虚構を暴いた。

      さらに、主流派の銀行システム論では、銀行の貸出は預金(準備預金)によって制約されると主張されている。しかし現代の銀行システムでは、融資が預金を生み出すのである。銀行は、他の供給源から準備預金を調達できない場合でも、決済システムの需要を満たすために中央銀行からいつでも準備預金を調達できることを知っているので、信用(credit)に値する顧客には引き続き融資(credit)を行う。銀行は準備預金を貸し出しているわけではない。「貯蓄」が国債の競売によって搾り取られ、不足することはない。

      MMTはまた、国債発行に伴うダイナミクスについても解明している。財政赤字は銀行システムに超過準備を生み出し、中央銀行の金融政策運営に影響を与える。中央銀行が政策目標金利をプラスに維持したい場合、選択肢は2つしかない。(a)超過準備にリターン(見返り)を提供するか、もしくは(b)公開市場操作を通じて超過準備を除去するか、である。さもなければ、銀行がインターバンク市場で超過準備を除去しようとし、短期金利がゼロまで低下するため、政策目標をコントロールできなくなる。つまり、公開市場操作や機能的にそれと同等の利子補填がなければ、財政赤字が生じる際に、金利に下方バイアスがかかる。

      政府が財政赤字と同額の国債を発行すると、中央銀行は準備預金勘定の数字を減らし、「国庫債務」勘定の数字を増やす。財政赤字によって銀行預金が減ることはなく、国債の売却によって非政府部門の純資産が変化することもない。変化するのは、非政府部門が保有する資産ポートフォリオの構成だけである。

      このことを理解すれば、国債発行が政府支出に内在するインフレリスクを変化させるものではないことが一層明らかになる。国債の購入に使われる資金は、モノやサービスの購入に使われているわけではない。したがって、通常は国債の売却が政府以外の主体による支出を減らすことはない。また、国債を購入するための資金は、過去に積み上がった財政赤字によってもたらされたものである。この財政赤字は、政府の課税によって除去されずに純金融資産の蓄積として非政府部門に残っている。

      歴史はMMTの描写を裏付けている。過去30年間、中央銀行はデフレを防ぐ戦略として、国債購入を通じてバランスシートを大幅に拡大してきた。この戦略は、準備預金を注入すればマネーサプライが増加し、インフレを引き起こすという誤った主流派の考え方に依拠して推進された。「多過ぎる貨幣が少な過ぎる財を追いかける」というわけだ!だがこの戦略は失敗した。

      こうした国債買入プログラムは事実上財政赤字を賄う形となっていたが、MMTが政府支出に対する制約の分析の中心に据えている実物資源制約を超えて支出が増大することはなかったため、結果としてインフレは生じなかった。MMTのエコノミストだけが因果関係を正しく説明していたのである。

      MMTは、財政赤字の規模そのものに焦点を当てるべきでないと強調している。主流派の経済学者は財政比率(公的債務の対GDP比など)にこだわる。しかし、責任ある政府であれば、支出全体を完全雇用と整合的な水準に維持するために必要な赤字は何でも許容する。それ以上でも以下でもない。財政の持続可能性とは、働きたい人なら誰でも働くことができる包容力ある社会を維持するという政府の責任を果たすことである。

      7.では現在のインフレ圧力についてはどうか?

        主流派の論者たちは、当初は新型コロナウイルスのパンデミックの結果として顕在化し、そしてロシアのウクライナ侵攻や石油輸出国機構(OPEC)による原油価格のつり上げによって悪化した価格圧力を、MMTに深刻な欠陥があることの証拠として取り上げた。

        彼らは、パンデミックの初期段階で政府が行った財政支援が強力な総支出圧力を生み出し、その結果、デマンド・プル型のインフレを引き起こしたと主張する。

        このナラティブの問題点は、この一過性のインフレの経験を引き起こした主要な圧力が供給側(サプライサイド)にあったということである。パンデミック初期の数ヵ月間、各国政府は多くの所得支援策を導入する一方、企業に対する制限を課した(例えば、一部の小売店や接客業では大人数が集まることを禁止した)。一層極端なロックダウンが行われた国もあった。その結果、サービス業は縮小し、商品の供給は滞った。問題は、継続的な所得支援と家計の消費機会の減少により、商品需要が高止まりしていたことだ。この一時的な不均衡は継続的なインフレ圧力を生んでいるが、工場が生産を再開し、サービス部門が営業を再開すれば、インフレ圧力は緩和されるだろう。

        この問題に対する主流派のアプローチは、中央銀行が金利を引き上げ、過剰と考えられている支出を抑制することだった。この政策の道を避けてきたのは日本銀行だけである。

        しかし、主要なインフレ要因は金利への感応度がなく、独りでに緩和してきているため、主流派の対応は見当違いだった。中央銀行が行ったのは、低所得の住宅ローン保有者から金融資産保有者への国民所得の大きな再分配である。

        中央銀行による利上げへの政策転換のもう一つの側面は、それがインフレ圧力そのものを刺激したという強い証拠があるということだ。当座貸越やその他の負債を抱えるすべての企業は、借入コストの上昇によってコスト圧力に見舞われ、市場力を持つ企業はそのコスト上昇分を価格に上乗せする形で転嫁してきた。また、企業がインフレ圧力を隠れ蓑にして利益のマージンを高めている(「利益つり上げ」と称される慣行)という証拠もある。

        中央銀行の利上げはまた、家主にとって賃貸住宅を提供するコストを高くしており、(例えばオーストラリアのような)逼迫した住宅市場では、こうしたコストが家賃上昇という形で転嫁されている。多くの国では、家賃は消費者物価指数(CPI)の重要な構成要素であるため、金利上昇自体がCPI上昇圧力に拍車をかけている。

        中央銀行は、1970年代のOPEC原油価格ショック(オイルショック)後にインフレを引き起こした賃金上昇の恐怖に訴えることで、その政策決定を正当化しようとしてきたが、その証拠は正反対の結果を示した。今回のインフレの顛末は、1970年代に起こったインフレとは似て非なるものである。

        要約すれば、現在のインフレの顛末は、過剰な支出によるインフレ・リスクを常に強調するMMTの洞察を否定するものではない。

        8.結論

        以上が、本稿で示したMMTの基本概念の入門であり、主流派のマクロ経済学との相違点である。

        参考文献

        Mitchell, W.F., Wray, L.R. and Watts, M.J. (2019) Macroeconomics, Bloomsbury Press, London.


        ウィリアム・ミッチェル(通称ビル・ミッチェル)は、ニューカッスル大学(オーストラリア)経済学教授、同大学研究機関「完全雇用・公正センター」(CofFEE)主任、ヘルシンキ大学(フィンランド)グローバル政治経済学客員教授、京都大学国際フェロー。 Eメール Bill.Mitchell@newcastle.edu.au


        〔原文:William Mitchell, “An Introduction to Modern Monetary Theory.” Centre of Full Employment and Equity, Working Paper 23-01 (October 2023): 1-13.〕

        References

        References
        1 マネタリストや新古典派の考え方を取り入れつつ、裁量的な財政政策や金融政策の有効性を示そうとグレゴリー・マンキューやデビッド・ローマーによって始められた学派。
        2 ハンガリーの科学哲学者ラカトシュ・イムレは、新しい事実の発見等によって成長(変化)していく理論が「前進」的であるのに対し、そうした事実を拒み、成長しない理論は疑似科学的で「退行」的であると論じた。
        Total
        0
        Shares

        コメントを残す

        Related Posts