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Archives for 9月 2015

アレックス・タバロック「開かれた国境と福祉国家」

[Alex Tabarrok, “Open Borders and the Welfare State,” Marginal Revolution, September 22, 2015.]

ミルトン・フリードマンの有名な発言に,福祉国家と開かれた国境は両立しないというのがある.ぼくは賛成しない.多くの観点でみて(あらゆる観点ではないけど),開かれた国境と福祉国家は両立する.

ぼくが考える福祉国家は,多彩なプログラムを包摂する.その多くは,ほどこしじゃない.たとえば社会保障制度の大半は,強制貯蓄だ.こうしたタイプの保険プログラムでは問題がない.個々人は,働いてプログラムにお金を払ってプログラムからお金をもらうからだ.学校制度でも,問題はない――移民の子供たちにも学校教育を無料で提供するとしても問題ない.なぜなら,学校教育を受ければ,のちのちの人生でより高い賃金につながり,そこから税金が支払われるからだ.こうした事例では,実のところ移民の子供たちはローンを受けとってのちに自分の稼ぎで返済してるのと変わりない.基礎医療も同様だ.よって,市民から移民への過剰移転が懸念される事例は,純粋なほどこしか,高齢者への医療手当しかない.そうした事例では,ぼくなら,「移民には利用できませんよ」とか,「5年程度の期間しか利用できませんよ」と言ってすませる.

追記:ブラジルの新聞紙へのインタビューでこう答えた.インタビュー全文はここで読める.ポルトガル語だけど.

タイラー・コーエン「最近読んでる本」

[Tyler Cowen “What I’ve been reading,” Margianl Revolution, September 21, 2015.]

1. ラヴィニア・グリーンロー『二重の悲哀』(Lavinia Greenlaw, A Double Sorrow).心に刺さる悲しい詩.チョーサーの『トロイラスとクレシダ』をゆるく下地にしている.作品の有用な書評はこちら.多くの詩とちがって,読みやすい.
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アレックス・タバロック「日本が再生医療製品を自由化」

[Alex Tabarrok, “Japan Liberalizes Regenerative Medicine,” Marginal Revolution, September 14, 2015.]

日本が再生医療の承認プロセスを自由化しつつある
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マーク・ソーマ 「共和党と気候変動」 (2015年9月18日)

Mark Thoma, Republicans and Climate Change, (Economist’s View, 18 September 2015)


MoneyWatchに寄稿した自分の記事へのリンクを貼って置くのを忘れてしまう事がままある:

共和党と気候変動: 我々は気候変動を前にして何を為すべきか? 水曜夜、共和党討論会でジェイク・タッパー氏がこう問うた時、大統領候補者らは一致して次の見解を取った。すなわち、気候変動と闘う為に掛かる費用は、在り得る恩恵を遙かに上回る、というのだ。

例えばフロリダ州上院議員マルコ・ルビオ氏は、「彼ら (民主党) の提言を取れば、アメリカにおける事業経営は困難に陥る、つまりアメリカの雇用を創出する事が困難になってしまうだろう」 と述べた。ニュージャージー州知事クリス・クリスティ氏も同様の意見だ。「我々自らの手でなんとか気候を正常にしようなどという一部の過激な左翼の理想を追求せんが為に、経済の破壊に向かうなどもっての外だ」 というのが彼の言葉だ。またウィスコンシン州知事スコット・ウォーカー氏は、「それでは私達は国民を –製造業を– 危険に、ええ、この様な行政は国民を危険に晒すものになるでしょう」 と応じた。

気候変動の問題に取り組む事がもたらす恩恵について、政治的右派が共有する懐疑は、少なくとも部分的に、1998年から2013年にかけて地球温暖化が停止したかの様な外観を見せた事に基いている。しかしスタンフォード大学の或る研究者グループの研究結果によれば、『停滞 [hiatus]』 は統計上の人為物 [statistical artifact] に過ぎないという。気温の上昇は全く停止などしていないのだ。

この点に加え、地球温暖化が重大な脅威であるとの旨を示す膨大な科学的証拠に鑑みれば、気候変動が経済に対しもたらすだろう影響の規模を把握する事が重要となる。GDPの損失は大きなものとなるだろうか (その為に気候変動抑制の恩恵もまた大きくなる程に)? 影響は様々な地理的地域を横断して等しく分散されるのだろうか? 一部地域には地球温暖化がかえって恩恵をもたらすなどという事も在り得るのではないか? …

アレックス・タバロック「ゲイリー・ベッカー最大の失敗とは?――犯罪抑止をめぐる2つの考え方」

[Alex Tabarrok ”What Was Gary Becker’s Biggest Mistake?” Marginal Revolution, September 16, 2015.]

Becker

計量経済学者の Henri Theil が,こう言ったことがある――「モデルは使うものであって信じるものではない.」 ぼくは合理的行為者モデルを使って限界変化について考えるけれど,ゲイリー・ベッカーはそのモデルを本気で信じていた.昔,ベッカーと夕食で同席していたとき,ぼくがこう言った.「極端な刑罰はひどい貧困と憎悪につながりかねませんよ.そこから逆効果が生じるかもしれません.」 ベッカーは,どちらの論点も受けいれなかった.ぼくが逆効果の例を挙げるたびに,だったらさらに刑罰が必要だとベッカーは返すばかりだった.だんだん議論が過熱していった.やがて,ジム・ブキャナンとライアン・カプランがテーブルの向こう側からやってきて,議論に加わった.忘れられない一夜だ.
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ニコラ・ラチェテラ & マリオ・マチス 「利他主義へのインセンティブ? — 献血の場合」 (2015年9月4日)

Nicola Lacetera, Mario Macis, “Incentives for altruism? The case of blood donations ” (VOX, 4 November 2008)


輸血用血液の不足のエピソードは、例外というより寧ろ日常茶飯事となっている。『純粋な』 利他主義が安定した血液供給を保証するものでは無いのは如何にも明らかだ。かといって献血への経済的インセンティブを採用すれば、内在的動機は放逐されてしまうかも知れない。本稿では、献血者は物質的インセンティブや公の表彰に対して、通常の経済学理論が予見する態様での反応を見せる事を示す検証結果を紹介する。献血者への褒賞は、血液供給量増加の良い手段となる可能性があるのだ。

外傷による大量出血、外科処置の最中の血液交換、未熟児の治療といった人の命に直結した場面や、他にも或る種の慢性疾患の治療の際には、輸血が必要となる。現在のところ、人間の血液の代替物として利用可能なものは存在せず、したがって必要な血液は全て、個人からの供給に頼る他ない。近年、血液の需要は劇的な上昇を見せており、それには多様な要因が在るのだが、先ずは人口の高齢化や、臓器移植などの新たな医療・外科手法の登場に端を発しているといえる。献血適格者である個人は多く、しかも輸血の重要性を周知する啓発キャンペーンも数多く行われているのにも関わらず、西欧諸国において実際に献血を行っている献血適格個人の割合は極めて小さい (全体の5%から10%)。発展途上国ではこの数字はさらに低下する。その結果、輸血用血液の不足 (「供給血液量が3日間の必要分に満たない時」 と定義した場合) のエピソードは、例外というより寧ろ日常茶飯事となっている。

西欧諸国において、血液の供給は無償かつ自発的な行為によって賄われている。しかし前述の危機的血液不足に鑑みれば、『純粋な』 利他主義が安定した血液供給を保証するものでは無い事は如何にも明らかだ。だが追加的な 『物質的』 インセンティブは、より多くの供給者を献血へと促すものとなるだろうか? 通常 『内在的』 理由から行われるところの行為を促す経済的インセンティブの効果は、理論上定かではなく、実際のところTitmuss (1971) 以来、経済的インセンティブが内在的動機を (例えばBenabouとTirole 2006で言及された様に、『授かり物』 や 『市民的義務』 の感覚の破壊を通して、或いは無償の行為の真の動機への疑念の創出を通して) 放逐し、したがって無償行為の減少につながるものであるかも知れないとの主張が一部からなされてきたのである。概そのところをいえば、この懸念 (及び物質的給与を介して得られた血液の質への懸念) が為に、殆どの西欧諸国において、献血は自発的かつ無償の貢献に依拠するものとなり、他方で既存の諸規制が献血者への金銭給付を禁止するという状況になっているのである。

イタリアにおける献血インセンティブ

数多くの研究プロジェクトを通して、我々はどの様な戦略が血液供給の増加につながるものかを見出すべく調査に取り組んできた。より広い意味で我々の目標は、成果主義といった経済的インセンティブが望ましい方向に働かない事も在り得る文脈における、人間行動の決定因子の探究に在る。さらに例を挙げるなら、『内在的動機』 が肝心な職種における被雇用労働者 (福祉事業の従事者、ヘルスケアの専門家、消防士 etc.) の問題や、この種の労働者を明示的なインセンティブの下に晒す事が効果的か否かといった問題もこれに含まれるだろう。こういった問題がますます重要となっている分野として環境配慮的行為の領域 (リサイクル、公害抑制 etc.) があるが、同領域における所作の形成も社会規範の混合体・市場原理・規制に相当程度依存するものだ。

我々は、或るイタリアの町に住む献血経験者について、その献血歴や、人口動態・雇用状況についての情報を含む一連の長期的データを利用し、(1) 献血を行おうとするイタリアの被雇用労働者にはその献血日1日を有給休暇とするという立法規定の影響 [*訳注1]、(2) 社会的賞賛の価値を有するも経済的価値を持たない象徴的褒賞 (『勲章』) を提供し、贈与の反復を促そうというインセンティブ構想の影響、これらの調査に取り組んできた。最近の調査結果の示すところでは、贈与者は1日有給休暇のインセンティブを拒まないばかりでなく、連続した休暇を得られる点でリターンが大きいといえる特定の日 (金曜日など) に献血日を集中させる事で同インセンティブに反応を見せる事が分かっている。これは、『物質的』 考慮材料が、経済的インセンティブに対し積極的に反応した場合に生じ得る世間体を損なう効果 [possible negative social-image effects] を上回る事を示唆するものである。我々はさらに、当該有給休暇特権が被雇用労働者である献血者の年間献血回数を平均して1回増加させる事も示した。最後に、様々な献血者間には動機の異質性が存在する事を実証する結果も得られた。献血者の一部として、画然と物質的褒賞の利益を受け取ろうとしない下位集合が存在したのである。最後の発見は、利他行為や世間体問題に対する態度が人びとの間で異質性を有する事を前提としているBenabouとTirole (2006) の説とも符合する。

次に象徴的褒賞であるが、これはどうやら贈与頻度を増加させるものの様であった。しかしこの傾向が見られるのは、賞与が公に授与され、かつ、地方新聞でレシピアントの氏名が公表される場合のみである。我々はこの発見をもって、贈与者が自らの自発的行為に対する社会的認知に関心をもっている事を示すものと解釈する。NeckermannFrey (2007) が指摘した様に、褒賞は多様な文脈で広く利用されているのであるが、経済学者による詳細な調査は行われてこなかった。我々の研究は、少なくとも献血の場面については、こういった褒賞のもつ肝心な要素の1つとしてその認知度の点、すなわち褒賞受領者が自らの世間体を向上出来る点にある事を実証するものである。これは、ArielyとBrachaとMeier (2008) による最近の研究結果とも符合している。

純粋に利他的な理由に加えて、(有給) 休暇の追加や社会的認知の形で表現される外部的褒賞の諸形態も、献血への強力な動機付け要因となっている様である。ここで質問の声が上がるかもしれない、すなわち、物質的褒賞の他の形態 – それは例えば現金インセンティブ等のいっそう直接的・即時的なものともなろう – でも、同様の成果が得られるのだろうか、また褒賞の大きさは人の振舞いに対しどの様に影響するのか、と。MellstromやJohannesson (2008) の発見したところによれば、スウェーデンの大学の女学生は、続く献血を行う為に必要な健康テストについて、金銭的インセンティブが提供された場合に、その受験を厭う傾向を増したという。同者らはこの結果をもってTitmuss (1971) の主張と符合するものであると解釈している。尤も、男性の間には全く放逐効果は見られなかった (一般的にいって、献血者の3/4は男性である)。

これらの結果と部分的な対照を見せているのが、GoetteとStutzer (2008) がスイスで実施した大規模フィールド実験であり、その発見によれば、宝くじ (期待値は約4米ドル) の提供は献血運動への参加者の増加につながったという。我々がイタリアの献血者に対し実施してきた調査の暫定的結果の示唆するところでは、人びとは現物でのちょっとした褒賞 (例えば献血後に図書券や軽食券を配布するなど) を貰う方を、現金での相当額を渡されるよりも選好する様である。褒賞のタイプに加えて、物質的褒賞の大きさに対する人びとの反応を解明する為のさらなる研究努力が求められるところであるが、例えばGneezyとRustichini (2000) は、物質的褒賞に対する向社会的行動の反応が非線形性を有する事を発見している。すなわち、小さな賞与が利他的行為の提供を減少させる一方で、大きな賞与はこれを向上させるものであるという。我々の研究で分析した有給休暇インセンティブはしたがって、大きなインセンティブであると見做すべきものかも知れない。

結論

利他行為の選好、および世間体問題に付与された重要性はどうやら、異質性を有する様である。しかしながら、最近の実験やフィールド調査から得られた実証結果が示唆するところでは、物質的インセンティブや公の表彰に対しては、(大半の) 献血者が通常の経済学理論の予見する仕方で反応をみせる様である。したがって贈与者に褒賞を与える事 – 但し、提供される褒賞が、大きさ・タイプの点で 『適切』 である場合に限るが -、これが血液供給量を増し、以て散見される血液不足の事例を減らすものとなる事も、十分考え得るのである。

参考文献

Ariely, D., Bracha, A. and Meier, S., 2008. Doing Good or Doing Well? Image Motivation and Monetary Incentives in Behaving Prosocially. American Economic Review, forthcoming.

Bénabou, R. and Tirole, J., 2006. Incentives and Prosocial Behavior. American Economic Review 96(5): 1652-1678.

Gneezy, U., and Rustichini,A., 2000. Pay Enough or Don’t Pay At All. Quarterly Journal of Economics, August, 791-810.

Goette, L. and Stutzer, A., 2008. Blood Donations and Incentives: Evidence from a Field Experiment, IZA Discussion Paper 3580.

Lacetera, N. and Macis, M., 2008a. Motivating Altruism: A Field Study, IZA Discussion Paper 3770.

Lacetera, N. and Macis, M., 2008b. Social Image Concerns and Pro-Social Behavior, IZA Discussion Paper 3771.

Lacetera, N. and Macis, M., 2008b. “Are all (cash equivalent) extrinsic incentives the same?”, working paper.

Mellstrom, C. and Johannesson, M., 2008. Crowding Out in Blood Donation: Was Titmuss Right? Journal of the European Economic Association, 6, 4, 845-63.

Neckermann, S. and Frey, B., 2007. Awards as Incentives. Institute for Empirical Research in Economics Working Paper No. 334

Titmuss, R.M., 1971: The Gift Relationship, London: Allen and Unwin.

 

ジャン・フレドリック P. クルズ & ロナルドUメンドーザ 「世襲系脈 vs 進歩発展」 (2015年8月31日)

Jan Fredrick P. Cruz, Ronald U Mendoza, “Dynasties versus development” (VOX, 31 August 2015)


クリントン、ブッシュ、ケネディ、- 政界に権勢を誇る名門家系は先進国、発展途上国を問わず民主主義の確立期を経た今もその系脈を保っており、或る所では尚その力を増し続けている。本稿では、政治的世襲系脈は今なお我々の傍に生き続けている事、そしてその理由も明らかである事を主張する。選挙こそ、最も富裕な市民の一票と最も貧しい市民の一票が等価となる唯一の場面である、そう述べる者は誰であれ、それが現在もなお妥当するのか、再検討すべき時が来たのである。

合衆国大統領選の闘いでヒラリー・クリントンとジェブ・ブッシュが繰り広げるやも知れぬ一大決戦の予感に、実に一日千秋の心持ちでいる政治通も中にはいようが、大半のアメリカ人はこの事態を前にして複雑な心境を抱いている事だろう。このところ合衆国の政治権力は、一部に集中し過ぎてはいまいか? 1981年から2009年の間のほぼ30年に亘る期間、『ブッシュ』 や『クリントン』 が合衆国大統領ないしは副大統領でなかった時はなかった。2016年の選挙は、この世襲の系脈をこの上さらに引き延ばすものとなるかも知れないのだ。

世襲系脈の相当部分を構成するのは、選挙で選ばれた、血統や婚姻の結びつきをもつ政治家であり、民主化・経済成長に対する彼らの関わりは先進国、発展途上国の双方において関連性をもっている。様々な民主的議会について、世襲系脈が占める割合の推定をしようという試みが最近幾つかなされたが、それによると、同割合は合衆国における6%という低い数値から、フィリピンの75%という高い数値に至るような幅のあるものだという事が示唆されている (図1)。

図1. 対象となった国で世襲議員が議会に占める割合

出典: Cruzら (2015)

 競争と支配

世襲政治家はしばしば、自身が政権に留まるべき主たる理由として、自らの家系が誇る輝かしい経歴を挙げてきた。フィリピンのよく知られた或る世襲政治家が奇しくも言ったように、「国民に決して頂こうではありませんか!」 という訳だ。 他にも、世襲系脈が政策一貫性の確保にいかに資するかという点、つまり改革予定案を一族の若い世代に継承させるという事だが、この点も多くの者に言及されてきた。

例えば、リー・クアンユー (Lee Kwan Yew) といえば民主主義の世界で最も長い期間一国の長を務めた人物の1人であるが、彼も自身の地位を彼の息子で現シンガポール首相であるリー・シェンロン (Lee Hsien Loong) に継承させている。しかしその一方で、政治的派閥の支配が政治権力の過度の局在化をもたらし、新たなリーダーの登場を妨げ、政党の衰退につながるものであるとの旨をいう検証結果も近年その数を増している。

例えば、1983年から2008年にかけて行われたアルゼンチンの国会議員選挙に関する調査は、典型的なアルゼンチン国会議員よりも5年長い任期を努めた者は、その性別に関わらず、将来自身の親戚縁者が国会に加わる確率を8%上昇させるという検証結果を得ている。

加えて、カリフォルニア大学バークレー校およびカリフォルニア大学ロサンゼルス校の政治学者が、1789年から1996年にかけて政権にあった合衆国議会議員を精査したところ、選挙に勝利した議員はそうでない議員より将来親戚縁者を議会に加える確率が高い事を示す検証結果を得ている。(ただ老獪であるというだけの事ではなく) 政権の座に在る事自体が、世襲系脈の永続化を後押しする強い要因であったのだ。

さらに、政治的世襲系脈を政治的・経済的発展の阻害に関連付ける調査結果も存在する。フィリピンのケースに関して、数多くの調査が議会における世襲政治家の多くについて、その出自を地主家系にまで遡り関連付けている。こういった地主家系はスペイン及びアメリカ植民地時代に農業資本を蓄積してきたのである。以来、この様な初期に見られたパターンが経済権益の新たな形態へと変貌を続ける一方、様々な発展途上国で世襲政治家は建設、金融、テレコミュニケーション、鉱山経営などを初めとした高いレント分が期待できる部門に根を張ってきたのだ。多くの場合、政界の支配、即ち経済界の支配となる (逆もまた然り)。

フィリピンでは政治評論家によって、世襲政治家は政党の強化を目的とした投資よりも、自らの政策の継続をねらいとして自身の家族へと投資を行う傾向が優勢であると指摘されている。どうやら親戚縁者の根を張り巡らせる方が安くつくようなのだ。というのもこの場合、家名の憶えが良くなるところから規模の経済の恩恵が受けられるし、それに留まらず、強固なパトロン-クライアントの歴史的関係を生み出す場合もあるのだが、これが国民投票の場での世襲系脈の優位を確保するのだ。現職の親戚縁者が増すにつれ、政府のチェックアンドバランスがしまいには腐敗してしまうのではないかとの疑問を抱く者も多くなる。仮にこれが正しいとしたら、事態は国や地域の進歩発展に対しどのような影響をもつのだろうか?

政治経済上の不平等

インド及びフィリピンの議会に関する最近の調査は、地域政府レベルでの派閥に関する広範なデータに目を向ける事で、一端を世襲パターン、他端を開発指標とするリンクの実証的分析を可能にしている。

第一に、インドのローク・サバー [訳注: インドの連邦議会を構成する議院] に世襲系脈が占める割合は約24%で、フィリピン議会の75%と対照的である。世襲事例が州 [state] レベルで (インド)、或いは州 [provincial] レベルで (フィリピン) 社会経済的指標とどうリンクしているか、これを精査した結果はどうやら政治的世襲系脈と経済的開発度に負の相関関係を裏付けるもののようだ。

インドの州レベルで世襲系脈が占める割合は、年換算した州レベルでの経済成長と負の相関を見せている。それだけではない。インドでは、市民の生活が比較的豊かで、平均的な人の社会経済的地位の上昇が見られる州では、世襲系脈の濃度は低くなっているのだ。

これと類似の分析をフィリピンの地域政府における政治的世襲系脈に焦点を合わせて行ったものがあるが、そこでも類似のパターンが確かめられている。さらに、フィリピン諸州における1人当たり実質国民所得と、地域政府役人らの世襲事例との間にはも負の相関が見られている。

したがって、インドでもフィリピンでも、世襲系脈の割合の指標は増加を見せる貧困層と正の相関関係をもっているのだ。換言すれば、世襲議員は、人間開発度が低く、大きな貧困・弱者層を抱える州において、しぶとく生き延びているのだ。

様々な解釈が在り得る。例えば、生活水準の上昇がパトロン-クライアント関係を弱体化させているのかも知れない。この関係は政治的世襲系脈を扶持する傾向のあるものだ。典型的な投票者が経済的独立を進めるにつれ、その人物が男性であれ女性であれ、地域のパトロンへの依存度も低くなると考えられる。他にも、収入の増加が中間層の成長に繋がり、候補者の選択ももっと競争の余地が生れ、政治的キャンペーンの際に多様な集団が利用出来るリソースも増加する、といった帰結を見るかも知れないのだ。

最後に、今日における近代的な、また発展途上の民主主義は、個々の人的特性がいまだに政界を支配しているその実態を我々に思い起こさせてくれるものである。事はワシントンDCであっても、ボンベイであっても、或いはマニラであっても変わらないのだ。特定の派閥が全体の均衡を破壊する様な大きな影響力と支配力を公共資源の上に振るう時には、民主主義も公平な場における競争を反映しているとは限らないのである。そして最悪の場合、この様に振るわれる政治権力の全てが、進歩の招来と貧困の追放を目的とするものではない事もあるのである。だが派閥は、これ目標をとするのではなく、低開発、広がる格差とつながっている様に見えるのが現状だ。特に民主的制度が比較的弱体な国や地域でこの傾向は著しい。

選挙期間こそ、最も富裕市民の一票と最も貧しい市民の一票が等価となる唯一の場面である、そう述べる者は誰であれ、それが現在もなお妥当するのか、再検討すべき時がきているのである。

参考文献

Cruz, J F, R U Mendoza, A Unnikrishnan (2015) “Do Socio-Economic Conditions Influence Dynastic Politics? Initial Evidence from the 16th Lok Sabha of India”, AIM Policy Center Working Paper, available at http://ssrn.com/abstract=2640575.

Mendoza, R U, E Beja Jr, V Venida and D Yap (2012), “Inequality in democracy: Insights from an empirical analysis of political dynasties in the 15th Philippine Congress”, Philippine Political Science Journal 33(2): 132-145.

Mendoza, R U and M A Lopez, Yap II, D Barua and T A Canare (2014), “The 2013 Philippine Mid-Term Election: An Empirical Analysis of Dynasties, Vote Buying and the Correlates of Senate Votes”, AIM Policy Center Working Paper, available at http://ssrn.com/abstract=2400874.

 

2015年4月〜6月の翻訳料の支払実績をご報告いたします。

寄付翻訳料翻訳ワード数
4月58,991円35,395円2,498
5月60,873円36,524円3,681
6月61,834円37,100円5,100

翻訳料の支払いを通じて翻訳の質・量の向上が期待されます。またそれによって読者の方々がメリットの増加を感じていただけたら寄付をしていただければ幸甚です。配信記事の質・量の向上と寄付の増加が好循環を生むことを願っています。

*毎月Cloud Paymentを通じて寄付された金額の60%を原資とし、翻訳量(元記事のワード数)の比率に応じて各翻訳者に分配しています。

http://econ101.jp/16956-2/

マイルズ・キンボール「日本銀行はインフレ率を上昇させることに成功しているのか?」

Miles Kimball, “Is the Bank of Japan Succeeding in Its Gaol of Raising Inflation?“, Confessions of a Supply-Side Liberal, (September 7, 2015)

(訳者から) まずキンボール教授のマイナス金利の導入方法について説明されている清水誠さん翻訳のこちらのエントリ「紙の通貨と電子マネーの交換レート設定方法」を読むことをお勧めします。


 

2012年6月29日に「未来の人類の英雄であり、日本の英雄」という記事を書いた。日本銀行が始めたばかりの大規模な資産購入を支持する記事である。いまではゼロ金利下限を取り除いて大きなマイナス金利を課すことの方がはるかに良い方策であると思っていはいるものの、それでも大規模な量的緩和がとてもうまく功を奏したことを興味深く観察している。

日本のGDPは2015年の第2四半期に0.4%縮小した。これは2008年の第1四半期の水準をわずかに下回るものである。とはいえ、日本の人口は減少しているので一人あたりのGDPでみると2008年の第1四半期に比べて1%の増加となっている。トータルで見て日本は大不況の激震から這い上がってくることに成功したといえる。しかしこれからの日本は持続的でしっかりとした経済成長を達成できるのだろうか?

Japan’s Real GDP

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Source: Cabinet Office of Japan. Real GDP shown as the logarithmic percentage above the GDP peak in the first quarter of 2008. 

2012年12月の注目すべき選挙によって安倍政権が誕生し、黒田東彦日銀総裁による、毎年GDPの50%以上の規模の債券や証券の購入にコミットする異次元の量的緩和プログラム発動という金融政策の大きな変化をもたらした。

Prices of Key Components of Japan’s GDP

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Source: Cabinet Office of Japan. Deflators for components of Real GDP shown as the logarithmic percentage above the price peak in the third quarter of 2008. 

アベノミクスは効果があったように思われる。金融政策の重要な目的の一つがインフレ率をデフレから2%インフレへと上昇させることであった。安倍政権誕生前の四半期は物価の最下点であった。2012年の第3四半期以来、家計最終消費支出(青線)、民間住宅投資(赤線)、民間設備投資(緑線)は上昇基調にある。家計最終消費支出と民間住宅投資は2014年の第2四半期に大きくジャンプしているが、これは消費税の大きな増税に起因している。この消費税増税に因る大きなジャンプは金融政策が機能しているかどうかについては何も言っていないので、最終消費支出の増加傾向はそれほど印象的ではない。しかし、企業の支出には消費税はかからないため、民間設備投資は消費税の増税に影響を受けない。安倍政権誕生以来、民間設備投資は安定的に増加していることが分かる1

民間設備投資の安定的な増加と住宅投資の不安定な増加は重要である。なぜなら企業が工場を建て機械を購入し、また誰かが家を建てる時、彼らは支払う利子とそれらの投資や住宅の価値がどれくらいの速さで成長していくのかを比較しているからであり、インフレ率が重要な要素となってくるからである。そしてこれらの投資の意思決定に関係するのが民間住宅投資と民間設備投資の価格傾向なのである。(実は私はBob Barsky、Chris Boehm、Chris Housuらと共に、これらの理由により中央銀行はもっと投資財価格にこれまで以上の注意を払うべきだとする初期段階のワーキングペーパーを書いているところだ。)

日本がいかに首尾よく物価の傾向を反転させたかを見るにはインフレ率の日米比較が適している。下のグラフで線がフラットな場合、当該の指標の変化率がアメリカのものと等しいことを表している。消費税の影響を調整したとしても安倍政権誕生の2012年末以来、消費と設備投資の上昇率はアメリカとあまり変わらず、住宅投資が低迷して見えるのは日本の住宅投資が低迷したというよりもアメリカの住宅投資の上昇率が比較的高かったことを反映していている。

Japanese Price Trends Compared to US Price Trends

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Source: Cabinet Office of Japan. Deflators for components of Japan’s Real GDP shown as the logarithmic percentage above the price peak in the third quarter of 2008 minus the logarithmic percentage of the corresponding US prices above their level in the third quarter of 2008.

日本のパフォーマンスは未だ低水準である。ここまではバラ色のストーリーに聞こえるがそうではない。経済が停滞しているのは悪である。日本の現在の物価上昇の傾向が続いたとしても、設備投資や住宅投資の上昇は日本経済をジャンプスタートさせるに必要な設備投資のブームを誘発するようなゼロ金利が充分に低い金利となるような環境を作ってはいないのである。結局のところ、ここで参照点としたアメリカのインフレの指標も現行の政策変数を操作する余地をFRBに与えてはいない状況なのだ。

どうしたら日本はこの呪縛から逃れられるのか。日本に必要なのは金融政策のさらに劇的なシフト、マイナス金利の導入である。

最近のQuartzコラムで私は金利のいわゆる「ゼロ下限」あるいは「事実上の下限」は取り除くことができるという考えの受容の広まりについて論じている。具体的には各銀行が中央銀行に持つ当座預金(準備預金)の純預入額に対して期限別の現金預入手数料を徴収することで、人々が紙幣を貯めこむ心配なく利子率をいくらでも下げられるようになるのだ。秘訣は中央銀行が銀行にある貨幣を一対一以上の交換比率で将来徐々に紙幣に切り替えていくと約束することにある。そうすることで人々は貨幣を紙幣で貯めこむよりも、現在のマイナス金利を受け入れつつ将来の好ましい交換レートによって現金に転換される銀行預金を選ぶことになるのだ2 。後に利子率がプラスになったときにはこのプロセスを逆転させるか、必要ならば永遠に続けても良い。私は個人的に世界中の中央銀行を訪ねてこのアプローチを説明し、中央銀行のスタッフや責任者にいかにこのアプローチがスムーズに機能するかを説明してきた

私が2013年に日本銀行を訪れて日本経済を復活させるためにゼロ金利下限の除去する方法とマイナス金利の導入方法について説明した時には日本銀行は準備ができていなかった。大規模な量的緩和による部分的な成功と、そこへ至る劇的な選挙結果を踏まえると、日本銀行は深いマイナス金利の導入には至らないように私は思う。しかしこれは日本が活力ある経済へ戻る最初のステップなのだ。


© [September 7 2015]: Miles Kimball. Used by permission according to a temporary nonexclusive license expiring June 30, 2020. All rights reserved.

  1. 訳注: 原文では「家計消費支出」「民間住宅投資」「民間設備投資」はそれぞれconsumption prices、house construction prices、business investment pricesとなっているが、グラフのデータ元である内閣府のサイトによればこれらは訳語の変数に対応しているので、このように訳出した。原文では内閣府のデータをトレンドを見るために対数化の処理を行っているようである。 []
  2. 訳注: ゼロ金利を課す具体的な過程をよく理解できていないため訳出に自信がない。 []

Miles Kimball教授のブログが仲間入りしました

ミシガン大学のMiles Kimball教授と、そのブログを翻訳されている清水誠氏のご厚意により経済学101においてもKimball教授のブログを翻訳する許可を頂きましたのでお知らせいたします。

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