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ベイ・チン, ダーヴィド・ストロンベルグ, ヤンフイ・ウー「電脳独裁制: 中国ソーシャルメディアにおける監視とプロパガンダ」(2018年5月25日)

Bei Qin, David Strömberg, Yanhui Wu, “E-autocracy: Surveillance and propaganda in Chinese social media“,  (VOX, 25 May 2018)


中国政府はソーシャルメディア上の情報を利用する監視システムに多大な投資を行ってきた。本稿では、これらシステムが、その最も単純な形態においてさえ、極めて効果的であることを示してゆく。政府の視点に立つと、ソーシャルメディアは、組織された社会抗議の潜在的アウトレットとして見れば食指の動くものではないが、抗議を監視し、地方の公務就任者を見張り、プロパガンダを流布するための手法としては有用である。

閉じられた扉の背後では、政治目的をもった企業や政治家がソーシャルメディアデータの発掘にいよいよ本腰を入れている。Cambridge Analyticaスキャンダルをふくみ、最近の幾つかの出来事はこのことを裏付けるとともに、果たしてソーシャルメディアは民主主義の機能を危うくするものなのかという点をめぐり、世界規模の議論を巻き起こしている。この議論と緊密に関連しているのが、非民主主義国におけるソーシャルメディアの役割をめぐる白熱した議論だ。アラブの春、そして汚職をした公務就任者がソーシャルメディア上の公論により失墜させられた数々の逸話に触発された学者のなかには (例: Shirky 2011)、ソーシャルメディアが権威主義的政府を説明責任から逃がさないでおく役割を果たしていると考える者もいる。そのような顛末を極力少なくしようと、権威主義体制はソーシャルメディアに自己防衛的な検閲を加えるかもしれないが1、それでも人々を完全に自らの支持に転じさせることはできない。Enikolopov et al. (2016) の提示するエビデンスはこの見解を裏付けるものだ。以上とは対照的に、ソーシャルメディアを監視とプロパガンダに利用することで、権威主義政府は体制の安定性を高め、権力を強化しうると主張する研究もある (例: Morozov 2012, Lorentzen 2014)。これら体制はこうした戦略の射程と効果性をどうやら十分知悉しているようだが、世間のほうは何も知らされぬまま暗闇の中に放り置かれているのだ。

こうした事情を明るみに出すため、我々は最近の研究のなかで (Qin et al. 2017a, 2017b) ソーシャルメディアをつうじた電脳独裁制の構築に関する活動とその効果性について、初めての大規模エビデンスを提示した。具体的には、中国ソーシャルメディアにおける監視の効果性とプロパガンダの広がりを調査した。本研究は、Sina Weibo – 中国で最も有名な小型ブログプラットフォーム – に投稿された132億件 (13.2 billion) のブログ投稿からなるデータセットに依拠しており、期間は2009-2013年をカバーする。

抗議と汚職の監視

結果 1: 抗議やストライキはソーシャルメディアコンテンツにより、1日前に予測可能であり、その正確性も申し分ない。

我々は、2009年から2012年にかけて中国本土で発生した545件の大規模集団行動イベントに分析を加えた。キーワード計上数に基づくシンプルな手法を用いてこれらイベントの予測を試みた。そのうえで予測にたいしAUROCによる評価も行っている。これはモデル予測力の正確性 (accuracy) の尺度としてよく使用されるものである2。我々が開発した監視ツールのAUROCは、ストライキの予測については0.87、反日イベントの予測については0.96の値を出したが、これは通例申し分なし (excellent) と見做される閾値0.9に近い、またはそれを超えるものとなっている。

以上は中国政府エージェンシーによって用いられている実際の監視システムの正確性の下限にあたると考えられる。というのもこれらエージェンシーは、ソーシャルメディア上の情報を利用した機械学習型監視システムの構築に多大な投資を行ってきたからだ。逆にいえば、監視手法の正確性は監視を意識した抗議者が沈黙を守れば損なわれる可能性がある。しかしながら本研究が示すところ、抗議を予測する投稿はしばしば、抗議者が作成したものでもなければ、予告された抗議に関するものと明示されたものでもない。これらの代わりに大量に見られるのが、傍観者によって公開された投稿や間接的に関連付けられた投稿である。機械学習型の手法ならばこのような傾向も利用できるのだ。

高い予測正確性は関連性の有る投稿が大量にあったことの帰結である。本データにふくまれるソーシャルメディア投稿のうち、集団行動イベントについて議論しているものは数百万件も確認されている; その一部はイベントに先行し、さらには明示的に参加を呼び掛けるものさえある。これと対照的に、新聞はこれらイベントについて完全に沈黙を守っている。我々はこれらソーシャルメディア投稿にたいし、話題モデリング (表1を参照) を用いて特徴付けを行った。同様に、本データにふくまれるソーシャルメディア投稿のうち政府の汚職について議論しているものは、さらに大量に確認されている (こうした投稿のなかで最も人気のある話題については表2を参照)。

表 1 集団行動関連投稿でホットな話題

表 2 汚職関連投稿でホットな話題

抗議のケースと比べれば情報度は劣るものの、こうした投稿は汚職の監視に効果的だ。具体的には、我々は中国政府の高位公務就任者が関与した汚職事例200件に分析を加えている。比較の目的で、類似の政治的地位を保持していたが汚職による訴追はされていないという、対応的な480名の政治家からなる対照サンプルを構築した。シンプルな回帰モデルをとおし、1年後に汚職で訴追を受ける政治家がいずれかがソーシャルメディア投稿によりかなりの程度予測できることが明らかになった (但し、予測正確性は貧弱である; AUROC値は0.6未満)[訳註1]。主たる原因は、汚職で訴追された全ての公務就任者のうち、汚職関連投稿でともかく言及されたことのある者が、三分の一に過ぎなかった点にある。ソーシャルメディア上の議論の不在が示唆するのは次のいずれかだ。一、これら人物はともかくソーシャルメディアには気付かれないよう上手くやった。二、これら人物も対照サンプル中の公務員より汚職度が高いということはなく、訴追されたのは何か別の事情からだった。

結果 2: Sina Weiboはプロパガンダのために大々的に用いられている

2012年、Sina Weiboは政府省庁および個々の公務就任者により約50,000件のアカウントが運用されている旨を報告した。この数字の正確性を評価するため、我々は外部者によるものとしては初となる、ソーシャルメディア上の中国政府プレゼンスの推定値を提示している。我々はユーザーネームおよび本データ中の投稿のテキスト分析をつうじて政府アカウントの特定を行った。この推定に従うと、政府関係 (government-affiliated) アカウントは600,000件存在する。これには政府組織・大衆組織・メディア側ユーザーがふくまれる [訳註2]。したがって政府のプレゼンスはSina Weiboによって相当に過少報告されていたことになる。Sina Weibo上の政治経済的争点をめぐる全ての投稿のうち4%は、これらアカウントが寄与したものである。

政府アカウントが流布しているのは、中立的な情報 (例えばヘルスケアサービスに関するものなど) かもしれないし、プロパガンダかもしれない。プロパガンダを介した政治的感化が専らの動機であるなら、検閲が広く行われている地域や新聞の偏向度が高い地域ではより多くの政府ユーザーが確認されると予想できよう。中国の体制は感化の必要性が高ければあらゆる政治的感化手段を行使するだろうからだ。よく知られた分類アルゴリズム (サポートベクターマシーン) を用いつつ、我々は単語の頻度を用いることでユーザーが政府と関係 (affiliated) している確率の予測を試みた。結果、ソーシャルメディア投稿にたいし広く検閲を行っている地域や (Bamman et al. 2012)、また同じく、新聞がQin et al. (2018) で測定された党方針への恭順度の高い地域ほど、政府ユーザーの割合が高いことが判明した (図1を参照)。

図 1 省毎に見たSina Weibo上の政府ユーザー割合

結語

中国政府はソーシャルメディア上の情報を利用する監視システムに多大な投資を行ってきた。本稿が示すところ、これらシステムは、その最も単純な形態においてさえ、極めて効果的である。この結果は、北京の政治指導者が不意打ちリスクに曝されていないことを示唆する。なんとなれば、かれらはソーシャルメディアを用いることで、汚職公務員を効果的に監査しながら遠隔地域における抗議を予測することが出来るからである。加えて、ソーシャルメディア上の政府プレゼンスが公式に報告されたところより相当に大きくなっていること、しかもそのプレゼンスの地域による異なり方はプロパガンダが主目的であるとの解釈と整合的であることも判明した。監視とプロパガンダに向けたこのようなソーシャルメディア利用は、体制の安定性と権力を向上させるものといえよう。

本発見は 〈権威主義体制であれば、ソーシャルメディアにたいし徹底的な検閲をくわえ、その禁止にすら踏み切るだろう〉 というポピュラーな見解に意義を唱える。実際には、権威主義政府とソーシャルメディアの相互作用はもっと複雑であるようだ。政府の視点に立てば、ソーシャルメディアは組織された社会抗議の潜在的アウトレットとして見るかぎり食指の動かぬものだが、抗議を監視し、地方の公務就任者を見張り、プロパガンダを流布するための手法としては有用なのである。徹底的な検閲制は、監視とプロパガンダの目的にとってのソーシャルメディアの価値を減退させてしまうだろう。このことは、〈中国の新聞におけるプロパガンダの広がりは、政治的コントロールと経済的便益とのあいだのトレードオフにより律されている〉 というQin et al. (2018) における我々の発見とも軌を一にする。

参考文献

Bamman, D, B O’Connor, and N Smith (2012), “Censorship and deletion practices in Chinese social media”, First Monday 17(3).

Chen, X and P H Ang (2011), “Internet police in China: Regulation, scope and myths”, in D Herold and P Marolt (eds), Online Society in China: Creating, Celebrating, and Instrumentalising the Online Carnival, Routledge, pp. 40-52.

Egorov, G, S Guriev and K Sonin (2009), “Why resource-poor dictators allow freer media: A theory and evidence from panel data”, American Political Science Review 103(04): 645-668.

Enikolopov, R, A Makarin and M Petrova (2016), “Social media and protest participation: Evidence from Russia”, Universitat Pompeu Fabra, Available at SSRN 2696236.

Fu, K, C Chan and M Chau (2013), “Assessing censorship on micro blogs in China: Discriminatory keyword analysis and the real-name registration policy”, Internet Computing, IEEE 17.3: 42-50.

King, G, J Pan and M E Roberts (2013), “How censorship in China allows government criticism but silences collective expression”, American Political Science Review 107(2): 1-18.

King, G, J Pan and M E Roberts (2014), “Reverse-engineering censorship in China: Randomised experimentation and participant observation”, Science345(6199): 1-10.

Lorentzen, P (2014), “China’s strategic censorship”, American Journal of Political Science58(2): 402-414.

Morozov, E (2012), “The net delusion: The dark side of internet freedom,” Public Affairs, 28 February.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2017a), “Why does China allow freer social media? Protests versus surveillance and propaganda”, Journal of Economic Perspectives 31(1): 117-40.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2017b), “Why does China allow freer social media? Protests versus surveillance and propaganda”, CEPR Discussion Paper 11778.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2018), “Media bias in China”, American Economic Review, forthcoming.

Shirky, C (2011), “The political power of social media: Technology, the public sphere, and political change”, Foreign Affairs, January/February.

Zhu, T, D Phipps and A Pridgen (2013), “The velocity of censorship: High-fidelity detection of micro blog post deletions”, arXiv preprint arXiv:1303.0597.

原註

[1] Bamman et al. (2012), Chen and Ang (2011), Fu et al. (2013), King et al. (2013, 2014), and Zhu et al. (2013) を参照。

[2] AUROC measures the area under the ROC curve. A ROC curve shows the tradeoff between type 1 and type 2 errors in prediction and was first employed in WWII to evaluate methods that analysed radio signals used to identify Japanese aircrafts for example. The reported AUROC is based on Figure 2 in Qin et al. (2017b).  AUROCは、ROC曲線より下の面積を計ったものである。ROC曲線は、予測における第一種過誤と第二種過誤のトレードオフを示す。第二次世界大戦のさいに、例えば日本の航空機を特定するといった目的で無線信号を分析する手法に評価を加えるため使用されたのが始まりである。本稿に掲載したAUROCはQin et al. (2017b) の図2に依拠する。


訳註 [1] インターネット上で閲覧できる論文等を参考にしたかぎりでは、AUROC値の格付けは次のようになっている:

excellent=.90-1

good = .80-.90

fair = .70-.80

poor = .60-.70

fail = .50-.60

 

 

本稿該当箇所は原文で “(with poor predictive accuracy however; AUROC below 0.6)” と表記されている。ここで poor が単に 「貧弱な」 などの意味で用いられている可能性もふくめ、念のため記しておく。

訳注 [2]  Qin et al. 2017aの関連個所を以下に引用する:

ソーシャルメディア上に投稿されたプロパガンダは多くのばあい、政府関係ユーザー; 公共部門の一部をなす学校・病院・産業連合といった大衆組織; 国家所有のメディアによって作成されたものである (注意すべきは、規制のため、政治的内容の公表を許可された情報一般メディアは全て、政府の所有に掛かるとともにその監督を受けている点である)。

Propaganda posted on social media is largely generated by government-affiliated users: government departments; mass organizations, such as schools and hospitals and industrial associations that are part of the public sector; and state-owned media (note that, per regulation, all general-interest media that are allowed to publish political content are owned and supervised by the government).

ガエターノ・バッソ, ジョバンニ・ペリ, アフムド・ラフマン 「移民流入がオートメイト化テクノロジーの時代における賃金分布に及ぼす影響」(2018年1月12日)

Gaetano Basso, Giovanni Peri, Ahmed Rahman, “The impact of immigration on wage distributions in the era of technical automation“, (VOX, 12 January 2018)


過去三十年間にわたり合衆国とヨーロッパの双方で賃金の二極化が見られてきたが、これと並行して進んできたのがオートメイト化テクノロジーの成長である。本稿では、移民流入が労働供給サイドに与える効果を介して賃金格差に及ぼす影響を分析してゆく。明らかになったのは、移民流入がネイティブの雇用機会と賃金の二極化を部分的に反転させることである。これは移民によって、総需要が拡大されるとともに、ネイティブが給与のよりよい業種へと移動することが可能になるところによる。ネイティブ側のミドルクラス労働市場機会の擁護をねらいとして低技能移住の縮減をめざす政策は、じつのところ真逆のことを行っている可能性がある。

雇用と賃金の二極化は過去三十年間にわたり合衆国とヨーロッパの双方で猖獗を極めてきた (Autor et al. 2003, OECD, 2017)。利得が賃金分布の2つの極 (典型的には一端に肉体労働的な対個人サービス職、他端に専門職や管理職が結び付けられる) に集中し続けるなか、賃金分布の中間に位置する労働者は雇用縮小と賃金抑制を被ってきた。これらは大学教育を受けておらず、ルーティン業務に従事する人達である。

こうした変化はすでに盛んに研究されているが、そこでは多くのばあいテクノロジー駆動型の労働需要変容に原因が求められてきた (Autor and Dorn 2013, Goos et al. 2014)。しかしながら、依然としてあまり知られていないのが労働供給サイドの事情である。平均的な教育水準の低い、国外生まれ労働者の持続的な流入は、これと同時期に進んだ合衆国労働市場における技能供給のひとつの大きなシフトを現わしている。こうした労働者はテクノロジー駆動型の労働市場シフトとのあいだでどのような相互作用を見せたのか? 構造的な労働需要ショックにたいし、外国人労働者は、オートメイト化テクノロジーの採用を進めている分野への移動でもって応じたのか? もしそうであるとして、かれらの従事する業種や特化分野は、全体的な雇用二極化に作用しているのだろうか? こうした問いに答えれば、近年合衆国のネイティブのあいだに見られる雇用機会と賃金の二極化パターンを評価するさい関連性を持つ、さまざまな含意が得られるかもしれない。

オートメイト化にたいする移民流入の反応

我々の新たな研究 (Basso et al. 2017) では、コンピュータテクノロジーの採用傾向が相対的に高く、これらテクノロジーの採用のおかげで労働生産性の上昇が最も大きかった合衆国の地域労働市場では、低技能移民を引き付ける傾向も相対的に高くなっていたことを示した。肉体労働-集約職に比較優位を持つこれら労働者は、地域経済における生産性上昇のために需要が高まっていたサービス業のブームを加速した。図1は技能分布の下端における雇用シェアの上昇について、そのほとんど全体が国外生まれ労働者層に帰し得ることを示している。これは二極化現象の極めて興味深い性格規定なのだが、Mandelman and Zlate (2014) のさきだつ指摘があるものの、関連分野では依然としてあまり注目されていない。

図 1 職の二極化 (ネイティブと国外出生者)

: グラフは雇用シェアの変化を、1980年における業種平均賃金で測定した技能パーセンタイル毎に示したものである。合衆国国勢調査データをもとに著者らが作成 (Ruggles et al., 2015)。

既存文献とも整合的だが、オートメイト化テクノロジーの価格が下がるにつれ、合衆国の地域労働市場は雇用と賃金の点で二極化を被るようになったことを我々も確認している。しかしながら、フォーカスをネイティブ労働者に絞ると、こうした観察があてはまる程度はかなり弱まり、とくに賃金分布のごくごく下端ではこの傾向が著しい。肉体労働-集約的な対個人サービスといった低賃金ポジションの増加は、もっぱら移民によって充填され、したがって結果として生ずる賃金上昇圧力は緩和されていたのである。これは、コンピュータ資本の採用が増加を続けるなかにあってなお、ネイティブに技能を更新し、給与がよりよい生産業種に参入させる圧力を生み出す一因となった。これはネイティブ雇用における 「脱-ルーティン化」 を和らげるとともに、総需要の増加をとおしてネイティブのルーティン 〔職の〕 賃金と分析 〔職の〕 賃金を底上げすることとなった。賃金分布の上端でも、移民はネイティブに人的資本投資のインセンティブを与えることで、ネイティブが専門職や管理職に参入することを可能にしたのである。

本分析では合衆国の地域労働市場 (通勤区) を観察しているが、これら地域労働市場の移民誘引力はそれぞれ異なる。この点は1980年にさきだつ過去の移民流入、そして国外生まれの人々による地域ネットワークの存在に着目することで明らかにしているが、こうしたネットワークが新たな移民の到来を促進することはよく知られている (Altonji and Card 1991)。オートメイト化の激しさによりネイティブのあいだに生じた二極化が、様々な市場をとおして同じ水準にあったのか分析したところ、移民にたいしアクセスが開かれている市場ほど、ネイティブの雇用と賃金に関する二極化も目立たなくなっていることが判明した。これはコンピュータ化駆動型の生産性成長に反応した移民流入が、多くの低賃金肉体労働職を充填するとともに、ネイティブ労働者に賃金分布の中間層に向かうよう圧力をかけ、ネイティブの技能を移民の技能で補完していたためである。

過去四十年間にわたり、合衆国は高い技能を伴う移民の相当な流入も経験したが、こうした移民にはテクノロジーの進歩にたいする貢献があった (Peri et al. 2015, Bound et al.2017, Jaimovich and Siu 2017, Waugh 2017)。とはいえこの種の流入も、ネイティブの雇用二極化を緩和するプロセスを無きにすることはなかった。内生的な有技能移住が、総需要の増加をとおし、技能を持たない移民の誘引を触発したからだ。

移民減少の帰結

今回の新たな実証成果は、移民流入が、オートメイト化やコンピュータテクノロジーの採用といった労働市場構造の長期的変化にたいし、内生的に反応していることを示唆する。本研究は政策立案者にも重要な含意をもっている。というのも、移民流入はネイティブのあいだに見られる雇用機会と賃金の二極化を部分的に反転させるからだ。これは総需要を拡大し、ネイティブに給与のよりよい業種への参入を可能にすることをとおして実現される。本研究でのシミュレーションが示すところ、ネイティブ側のミドルクラス労働市場機会の擁護を目的に低技能移住の縮減をめざす政策は、じつのところ真逆のことを行っている可能性がある。反実仮想シミュレーションにおいて低技能移住労働者の供給を減少させてみたところ、ネイティブは需要低下に直面し、給与の低い肉体労働サービスの提供を余儀なくされるだろうことが示された。ミドルクラス雇用の空洞化もさらに見過ごし難いものとなるのである。

執筆者注: 本稿で表された見解は本稿執筆者の見解であり、必ずしもイタリア銀行の立場を反映するものではない。誤記脱漏はすべて本稿執筆者の責任である。

参考文献

Altonji, J G, and D Card (2001), “The Effects of Immigration on the Labor Market Outcomes of Less-skilled Natives” in J Abowd and R Freeman (eds.), Immigration, Trade, and the Labor Market, Chicago: The University of Chicago Press.

Autor, D H, and D Dorn (2013), “The Growth of Low-Skill Service Jobs and the Polarization of the US Labor Market”, American Economic Review, 103 (5), 1553-1597.

Autor, D H, F Levy, and R J Murnane (2003), “The Skill Content of Recent Technological Change: An Empirical Exploration”, The Quarterly Journal of Economics, 118 (4), 1279-1334.

Basso G, G Peri, and A Rahman (2017), “Computerization and Immigration: Theory and Evidence from the United States,” NBER Working Paper 23935.

Bound, J, G Khanna, and N Morales (2017), “Understanding the Economic Impact of the H-1B Program on the US”, in G H Hanson, W R Kerr and S Turner (eds.), High-Skilled Migration to the United States and its Economic Consequences, University of Chicago Press, forthcoming.

Goos, M, A Manning, and A Salomons (2014), “Explaining Job Polarization: Routine-Biased Technological Change and Offshoring”, American Economic Review, 104 (8), 2509-2526.

Hunt, J (2016), “The Impact of Immigration on the Educational Attainment of Natives”, The Journal of Human Resources, forthcoming.

Jaimovich, N, and H E Siu (2017), “High-Skilled Immigration, STEM Employment, and Non-Routine-Biased Technical Change”, in G H Hanson, W R Kerr and S Turner (eds.), High-Skilled Migration to the United States and its Economic Consequences, University of Chicago Press, forthcoming.

Mandelman, F, and A Zlate (2014), “Offshoring, Low-Skilled Immigration, and Labor Market Polarization”, Atlanta FED, Working Paper 2014-28.

OECD (2017), OECD Employment Outlook 2017, OECD Publishing, Paris.

Peri, G, C Sparber and K Y Shih (2015), “STEM Workers, H1B Visas and Productivity in US Cities”, Journal of Labor Economics 33, S1 (Part 2), S225-S255.

Ruggles, S, K Genadek, R Goeken, J Grover, and M Sobek (2015), “Integrated Public Use Microdata Series: Version 6.0”, Machine-readable database, Minneapolis: University of Minnesota.

Waugh, M E (2017), “Firm Dynamics and Immigration: The Case of High-Skilled Immigration”, in G H Hanson, W R Kerr and S Turner (eds.), High-Skilled Migration to the United States and its Economic Consequences, University of Chicago Press , forthcoming.

 

サミュエル・バッジ, アリヤ・ガードゥ, アレックス・ローゼンバーグ, メイシー・ウォン 「集団間の接触は国民形成をいかに涵養しうるか」(2018年1月7日)

Samuel Bazzi, Arya Gaduh, Alex Rothenberg, Maisy Wong, “How intergroup contact can foster nation-building“, (VOX, 07 January 2018)


幅広く包摂的な国民アイデンティティ (national identity) 感覚の涵養は、長期的な社会的結束の命である。しかし急速に強まる地域的多様性のために、その達成はいま困難となっている。インドネシアの 「トランスミグラシ政策 (Transmigration Programme)」 事例を活用した本稿では、多様性が統合・社会的孤立・住み分けのいずれに行き着くのかが、居住地の混成・言語的な差異・政治と経済の場における諸集団間の競合度によって決定付けられることを示す – これら3つの帰結のいずれにたいしても、優れた政策をつうじた働き掛けが可能である。適切に施行すれば、そうした政策は社会的結束を強化しつつしかもより広範な国民形成を促すものとなる。

[近]代的な、多様化を進める諸社会の中心的課題とは、新たな、より幅広い 『我ら』 の感覚の創出である
– ロバート・パットナム  2006年ヨハン・スクデ政治学賞講演より

共有された1つの国民アイデンティティ – 出自にかかわらず全ての市民を包みこむ 「我ら」 の感覚 – は国民国家の創出と永続にとって死活問題である。この多様性のなかの一体性の精神を捉えたモットーは数多く存在し、“E Pluribus Unum” (合衆国)、“United in Diversity” (EU)、また “Bhinneka Tunggal Ika” (インドネシア) などもそうした例に数えられる。しかし地理的な移動可能性の上昇にともない、地域的な多様性の高まりが共有アイデンティティの共有感覚を作出するうえでの脅威となるとの懸念が、合衆国 (Putnam 2007) やEU (Alesina et al. 2017) をはじめ、その他の国でも取沙汰されるようになっている。近年の難民危機も、多様な諸集団の統合の促進をめざす再定住政策をどう設計すべきかをめぐる議論に、再び火をつけることとなった。

多様性が国民アイデンティティに及ぼす長期的影響の形につき、社会理論家は対立する見解を提示している。一方には、新たな文化に曝される経験はバックラッシュを煽動するものであって、紛争を惹起しかねないと主張する者がいる (Blumer 1958, Huntington 2004)。他方で、否定的な感情も、接触の増加とともにしだいに集団間関係が発達してゆくにつれ、薄らいでゆくのではないかとの達観から出発する者もいる (Allport 1954, Putnam 2007)。また近年の研究が示唆するところ、多様性を有する土地は社会的なアノミーや孤立を生起させ、集団間の関係は限定的であるという (Algan et al. 2015)。しかしながら、地域的多様性が、国民アイデンティティの造成、より一般的には国民形成 (nation-building) を、いかに形づくるのかついては、比較的わずかな実証成果しか存在しないのである。

主たる困難は因果関係の確定にある。この難しさの一部は、集団間関係が初期接触ののち発展してゆくために時間を要するために生ずる。しかし、時の経過とともに、地域的多様性は薄らいでゆく傾向がある。人々が諸般の均一的コミュニティに住み分かれてゆくためだ (Schelling 1971)。そこで多様性が持続するような土地は、自然環境的な優位があったり、一部の主要都市であったり、入国の玄関にあたる場所であったりと、比較的寛容な個人を惹き付けるところとなる傾向がある。以上の事情は、こうしたエリアにおける相対的な寛容性の高さが、多様性 (および集団間接触) のためなのか、それとも今挙げたような他のファクターのためなのかを把握することを困難にする。

そんななか我々の最近の論文では (Bazzi et al. 2017)、これらの実証上の難問にインドネシアのトランスミグラシ政策を利用して取り組んでいる。同政策は史上最大規模の再定住活動の1つだ。インドネシアは多様性と国民形成にまつわる問題を研究するうえで、興味深い環境である – 世界で四番目に大きな国であるインドネシアは、それぞれがアイデンティティの自己認識を持つ1,000を超えるエスニック集団の郷土となっている。1979年から1988年にかけて、トランスミグラシ政策は、内島 (Inner Islands) にあたるジャワ島・バリ島から、200万人の自発的移住民 (以下、「トランスミグラント (transmigrants)」 と呼ぶ) を、外島 (Outer Islands) 全体にわたって新設された1,000に近い村落に割り当てた。各定住地には、同一の公共施設が付与され、内島人・外島人が雑居することになった。

人口再分配および農業開発の振興としてだけでなく、中央政府は同プログラムを新生国での国民形成の涵養をめざすより広範な取り組みの一環として企図していた。というのも、この国の土地には歴史上さまざまな集団が住み分けされた諸般のコミュニティのなかで暮らしていたのである。独立宣言ののち、インドネシアの指導者はインドネシア人としての国民アイデンティティの作出という喫緊の課題に直面した。この国民アイデンティティは諸島各地に散らばる多様な文化的出自を持つ人々を一つにし、さまざまな離脱論的趨勢を乗り越えるようなものでなければならなかった。そこで、新たな土地に送り込まれたトランスミグラントが、文化的な隔たりのある諸集団に溶け込み、エスニック分断を突き崩すことが期待されたのである。

図 1 トランスミグラシ村落の地図

エスニック混成の自然実験として見たトランスミグラシ政策

多様性が統合に及ぼす因果効果の特定にとって要となる点だが、我々はトランスミグラシ政策が目的地域における擬似無作為的なエスニック混成を生起したことを主張する。プログラムの施行について、ロジスティック面の制約とアドホックな 「実施しながら計画せよ (plan as you proceed)」 アプローチが重なったことで (World Bank 1988)、トランスミグラントはあたかも目的地にたいし無作為の初期段階割当をされたかのような経験をすることとなった。さらに、土地市場の不完全性と移住コストのために、移住者は初期段階で割り当てられた耕作地に縛り付けられていたようで、事後的ソーティングは限定されている。この点は 2000年度人口国勢調査 (2000 Population Census) を用いて実証しているが、同調査の明らかにするところ、これら定住地にふくまれる地域のエスニック多様性は、初期段階の移動から数十年経過しても持続していた。図2はトランスミグラシ村落全体にわたる多様性 (標準的な 片分化指標 fractionalisation index により把捉) の連続体を、より均一的であるのが典型の、プログラム対象外村落と比較したものだが、両者の違いは鮮やかだ。この持続的な地域的多様性は、ソーティングや住み分けの動態が限定的だったことを示唆する。こうした時間的な変化は事情が異なれば初期段階の政策的割当を相殺していただろうものだ。この持続的な地域的多様性のおかげで、多様性と国民アイデンティティ形成の関係をめぐる、さまざまな非線形性も特定できた。

図2 トランスミグラシ政策: 持続的に多様なコミュニティ

地域的多様性と国民アイデンティティ

我々は国民アイデンティティの主要尺度として、個人が同国の国語、すなわちバハサ・インドネシア (インドネシア語) を、家庭での第一言語として選択していたかに着目した。地球上を見渡しても、殆どの人が言語は国民アイデンティティの重要な指標であり、出生地よりなお重要だと考えている (Pew Research Center 2017)。また、家庭での言語使用にフォーカスを合わせることで、エスニックアイデンティティとの比較における国民アイデンティティの顕示的選好を把捉できるようになる。ほぼ全数に近いインドネシア人が同国の国語を話しているが、それを家庭における第一言語として用いている者はたった20%にすぎない。圧倒的マジョリティが家庭でもっぱら用いているのは、依然として自らのエスニック母語である。さらに付け加えれば、インドネシア語はマレー人という1つのエスニックマイノリティの言語に根を持つものであることから、我々は家庭におけるインドネシア語の使用が、単にインドネシア語を話す能力を把捉するだけでなく、それを話すことへの選好を把捉するものであると主張する。

さて、トランスミグラシ村落においては、相対的に大きな地域的なエスニック多様性は、家庭で使用する第一言語としてのインドネシア語について、その普及度の有意な増加につながっていた。図3には、インドネシア語採用率のセミパラメトリック推定値を、(トランスミグラントの) 内島エスニシティが占める人口シェアで把捉した、地域的多様性の関数として示している。この逆U字型が示唆するのは、同国民アイデンティティの採用率が、内島と外島の諸集団がおおよそ等しい割合で存在する村落において頂点に達することである。

図 3 エスニック多様性と家庭における国語の使用

同様に逆U字型の関係は、エスニック間婚姻や、子供のあいだでみたインドネシア語が母語であるという自己申告といった、その他の統合アウトカムにも生じている。端的にいって、多様性が最も高いコミュニティのあいだで統合度は最も高い。これらの文化的変化は、社会化とアイデンティティ形成プロセスにおける相当のシフトを構成するとともに、国民形成にたいするより広範な含意を持つ。アイデンティティ伝播の間世代的プロセスを辿ることを可能にする長期パネルデータを活用したところ、こうしたタイプの家庭で育った子供は、青年になると、国民としての親近感の相対的な強さ・共エスニックバイアスの相対的な低さ・自己のエスニックアイデンティティにたいする愛着の相対的な弱さを示すことが分かった。

多様性を有するトランスミグラシ村落における長期的統合作用は、端から分かり切った結論などでは全くなかった。多様性の上昇が、住み分けあるいは社会的孤立につながる可能性も十分あった (例: Algan et al. 2015)。本発見は次のようなよく知られる懸念があることからも衝撃的である。つまり、この種の大規模再定住は、エスニック紛争を勃発させてもおかしくないような、文化帝国主義の古典的事例だったのだ。とはいえ、本研究成果は接触と文化変容に関する諸理論とも調和しているし、前述のプログラムにたいする最近の再評価とも整合的である (Barter and Cote 2015)。なお付言すれば、地域的多様性の効果が定住地全体にわたり一様だった訳でもない。

多様性が国民形成を涵養するとき

政策的観点からは、多様性をより包摂的な国民アイデンティティにつなげる諸力の解明が重要である。我々は研究デザインの甲斐あって、多様性を有するコミュニティが、紛争激化の増進ではなく、統合強化の円滑化を進めることを可能にしてくれるだろう、諸般のファクターを特定することができた。その際には、定住地をインドネシア諸島各地の様々に異なる条件のもとに曝したトランスミグラシ政策の広範な地理的カバレッジを、存分に活用している。

第一に、集団間接触の機会が増加したことは統合意欲の上昇を促した。定住地の内部で、トランスミグラントは籤引きをとおし耕作地を割り当てられたのだが、居住地の住み分けが少ない村落ほど高い統合度が見られたのである。加えて、より僻地的な定住地で暮らす者 (したがって経済活動および他コミュニティとの交流についての経路もより限られてくる者) ほど、さらなる統合にむかう傾向があった。

第二に、経済的環境 – およびそれが集団間接触の性質に与える影響 – は統合にたいし重要な作用を及ぼしうる。我々は移住者の出身地 (ジャワ島/バリ島) とその最終的な定住地のあいだの農業気候的特性に関する類似性をもって、トランスミグラントと原住者のあいだの農作技術代替性水準の代用とした (Bazzi et al. 2016)。そして、トランスミグラントと原住者の技能が代替的であるばあいには、多様性が統合を牽制することを明らかにした。これが示唆するのは、(初期段階における) 集団間接触が協働ではなく競争によって特徴づけられていた経済環境では、多様性が統合にネガティブに作用する可能性である。

第三に、地域 (local) および地方 (regional) レベルで見た社会–経済的ファクターは、多様性がアイデンティティ選択におよぼす影響の在り方を形づくる可能性がある。多様性とインドネシア語採用のあいだのつながりは、次のような村落ほど強い (i) マジョリティ集団自体のエスニック的片分化が大きい、(ii) 内島人と外島人のあいだの言語的距離が大きい、(iii) トランスミグラントがもたらす地方政治への脅威が小さい (この脅威は、該当村落における地域の原住者集団が、より大きな単位の政治区での支配的マジョリティとなっているかに着目し、これで代用した)。これら結果が示唆するのは、地方的なエスニック–政治バランスもまた、効果的な再定住政策の設計において要となる入力因子であることだ。

検討

インドネシアのトランスミグラシ政策は、多様性上昇のさなかにあってポジティブな集団間関係の涵養をめざす政策立案者に残された働き掛けの余地について、新たな光を投じている。居住地の混成・言語的な差異・政治と経済の場における集団間の競合度。これらは、多様性が統合・社会的孤立・住み分けのいずれに行き着くのかを決定付けるものである。こうした条件の多くは、政策による影響を受けたものであるとともに、より効果的な再定住プログラムを設計する際にひときわ顕出的となる要素である。

より一般的にいえば、歴史のどこに目を向けても、共有された1つの国民アイデンティティというものは、文化的に多様なさまざまな国における社会–経済的安定確保の要であった。インドネシアのトランスミグラシ政策は、地域的多様性が間世代的な国民形成プロセスに寄与する仕組みを理解するうえで、又と無い、実り豊かな視座を提示している。

参考文献

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シメオン・ジャンコフ, エレーナ・ニコローヴァ 「共産主義・宗教・不幸感」(2018年4月26日)

Simeon Djankov, Elena Nikolova, “Communism, religion, and unhappiness“, (VOX, 26 April 2018)


既存の学問研究は、多種多様なファクターを擁する諸国における長期的制度発展を解き明かしてきたが、そうした文献もこと宗教の役割については概して沈黙を守ってきた。本稿では、サーベイ調査データを活用しつつ、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日においてなお、多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観に影響を与えていることを明らかにする。諸般の全体主義政権は宗教活動を弾圧したが、それら政権は正教の持つ側面のなかでも、共産主義ドクトリンの推進に役立つもの – 伝統や共同体主義など – については、これを温存したのである。

パイオニア的なWeber (1904) の論文以降、さまざまな学者が、宗教と幸福度のつながり、および宗教と市場経済・労働倫理ならびに倹約・信頼・女性ならびに他宗教の構成員にたいする態度 (attitudes) とのつながりに検討を加えてきた。長期的な歴史ファクターが文化的選好に与える影響の研究となれば、さらに広範な文献が存在する。くわえて最近の論文は、文化というものが経済と政治の発展の重要決定因子のひとつである旨を論じてきた。宗教が選好に作用し、その選好が経済と政治の制度に作用する (あるいはそれと共進化co-evolveさえする) のであれば、宗教がより広い意味での制度進化プロセスに関わってゆく厳密な仕組みは、周到な検討に値する問題である。

宗教と文化

我々の新たな論文は、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日の多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観にたいし、いかなる形で作用しているのかを研究したものである (Djankov and Nikolova 2018)。複数の 「世界価値観調査 (WVS: World Values Survey)」 調査波、および2010年度ならびに2016年度の 「欧州復興開発銀行-世界銀行の提携による移行期の生活に関するサーベイ調査 (LiTS: EBRD-World Bank Life in Transition Survey)」 を利用し、キリスト教三宗派 – 正教・カトリシズム・プロテスタンティズム – と、個人の態度および行動との結び付きを調べた。その際とくにフォーカスを置いたのが、人生満足度である。これ加えて宗教と、社会資本・変化ならびに伝統についての意見・政府に関する見解とのつながりにも検討を加えた。前述のLiTSには、トルクメニスタンを除く 〔開放型市場経済への〕 移行国すべてに加え、トルコ・フランス・ドイツ・イタリア・スウェーデン・英国 (2010年)、トルコ・ギリシア・キプロス・イタリア・ドイツ (2016年) が含まれる。WVSは100に近い世界中の国や領域をカバーし、26のポスト共産主義国がふくまれる。

諸般の共産主義体制が宗教面で有していた差異の影響を研究することは、次のふたつの理由で重要である。一、宗教と文化とのつながりを明らかにしようと試みる文献はこれまでにもあったが、そこでの焦点は諸宗教間の差異であり、キリスト教そのものの内部における差異ではなかった。二、正教とカトリシズム (後者から16世紀になって出現したのがプロテスタンティズムである) は、1054年 〔東西キリスト教の分裂、大シスマ〕 以前の段階にしてすでに異なる伝統を受容していた。キリスト教の西方部門、すなわちカトリシズムは、教皇権および神聖ローマ帝国とつながっており、古代ローマに見られた、個人主義的・法律主義的・合理主義的な特徴を強調していた。カトリック教徒は、人と神 (God) の関係を一種の法律関係だと理解してきたのである。その関係のなかで信者は神が打ち立てた戒律に従うのであり、不品行があれば、それがいかなるものであれ、教会の監督する悔悛  (および司法) が要請されるのである。対照的に、東方正教は古代ギリシア的 (Hellenic) 伝統に影響されてきたのだが、この伝統は内省 (introspection) と共同体主義的精神を中心に据えてきた。人と神とのあいだの法律的な双務義務を前面に押し出すのではなく、愛と献身を基調とする交換を重視するのが正教の神学である。

本分析をとおして、ふたつの相互関連的な発見が浮上した。一、カトリック教徒とプロテスタント教徒は、無信仰者 (回帰における省略カテゴリを構成する) と比較してより幸福である。ところが興味深いことに、東方正教の信者の人生満足度は、無信仰者グループのそれと異ならない。これら結果と整合的だが、東方正教に帰属する回答者は、カトリックないしプロテスタント宗派帰属者さらには無信仰者と比較しても、子供の数・社会資本ともにより少なくなっており、またよりリスク回避的であることも判明した。正教の信者は政治面ではより左寄りの志向性を持っており、〈(人民と対置されるところの) 政府が、より多くの責任を担うべきである〉 との意見もより強くなっている。

またさらに、無信仰者と比べ、カトリック教徒とプロテスタント教徒は〈政府による所有は良いことだ〉 との考えに同意する傾向がより少なく、プロテスタント教徒は 〈他人を犠牲にせず金持ちなることはできない〉 という考えに同意する傾向がより少ない。これら両次元でも、正教の信者は特定の宗教を信奉していない人となんら違いがない。

共産主義・宗教・態度の執拗性

つづいて我々はこれらデータを用いて、正教と共産主義とのつながりをめぐり競合するみっつの理論の評価を試みた。マルクスによると、高度の発展段階に達した資本主義国 (西ヨーロッパ諸国など) は、社会主義革命に直面する可能性が最も高く、この革命が社会構造の再定義と共産主義の勝利に至るはずだった。他方、レーニンの考えでは、プロレタリアートと農民の同時革命がロシアに社会変革を招来するためには不可欠だった。またレーニンはこうも論じている。つまり、農民層と搾取されし労働階級のあいだに最も広く膾炙しているのは正教キリスト教であるが、これは階級闘争の成功のために絶対に完全に根絶やしにせねばならない、と。これと対照的なのがBerdyaev (1933, 1937) の議論で、共産主義が成功を見たのは、まさに強固な東方教会的伝統を持つこれら国々に外ならないという。かれの説くところ、「共産主義者の最善の類型、すなわちひとつの思想への奉仕に全く没入し、多大なる犠牲をも厭わず、しかも私心無き熱情を知る者、かような人物がおよそ実在し得るとすれば、それは [正教] キリスト教による人間精神の訓育、すなわち [正教] キリスト教精神による自然人の改造を以てのみ、成しうる業である」(Berdyaev 1937: 170)。

我々の議論は、〈正教とその他ふたつのキリスト教宗派のあいだに根深く存在する神学上の差異こそが、今日における態度の差異の原因である〉 という観念に依拠している。西方キリスト教 (ここからカトリシズムとプロテスタンティズムが興った) は、合理主義・論理的究明・個人主義・既成の権威への懐疑に重点を置いた。東方キリスト教 (東方正教はこれに端を発す) は、神秘主義や経験主義にまつわる現象と結び付いていたし、より情緒的また共同体主義的であったのであり、法・理性・権威懐疑には然程の重点を置かなかった。特記に値するのは、これら長期的な態度上の差異が、ほぼ50年も続いた共産主義ののちにもその命脈を保った点である。宗教活動は全体主義体制期には旧共産主義国の殆どで弾圧されていた。政治エリートは、宗教は共産主義の進歩と相容れぬものだと信じていたのだ。聖職者は迫害・殺害・収監され、教会は破壊ないし閉鎖された。教会通いは禁じられ、宗教教育は学校教育課程から削除された。

ところが他方で共産主義政府は、正教神学が有する側面のなかでも、幾つかのもの – 伝統と共同体主義の強調を含む –、すなわち共産主義思想の流布と堅牢化に好都合な側面は、これを温存したのである。この点で、正教は共産主義体制の成長にとって都合の良い条件を提供した。共産主義の政策と制度 – 農業の集団化・社会主義青年組織・強力なシークレットサービス・国内外移動の管理 – は、共同体主義・法律的取引への依存の相対的な弱さ・権威尊重の気風の相対的な強さといった、正教的な既存の規範と非常に相性がよかった。多くの点で、共産主義は正教の再臨と見做しうるが、こうした事情は我々の主張するところBerdyaevの (1933, 1937) 仮説と軌を一にするものだ。

結論

本発見は、東ヨーロッパにおける経済と政治の変容の決定因子解明にたいし重要な含意を持つ。全体主義の遺産が、文化・経済・政治の面でポスト共産主義地域のランドスケープに深く作用してきた旨を論ずる文献が増えている (Pop-Eleches and Tucker 2017)。この種の見解は、その影響力とは裏腹に、部分的にしか仕上がっていないおそれがある。本論文が指摘するところ、異なるキリスト教宗派のあいだに存在する神学上の差異は、共産主義到来に遥か先立って、諸国を異なる発展経路に付置していたかもしれず、また共産主義エリートが自分達の便益を図り文化的環境を利用した可能性もあるのだ。とはいえ我々は、文化と経済の変化に関し 「それさえあればなんでも説明できる (one-size-fits-all)」 理論を提示するなどと主張している訳ではないので、この点も明確にしておきたい。政治と経済の発展を形成する力は数多く存在し、宗教はそのうちのひとつに過ぎないのである。

執筆者注: 本稿で表現された見解は本稿執筆者の見解であり、必ずしも本稿執筆者の関与する機関の意見を表わすものではない。

参考文献

Berdyaev, N (1933), The end of our time, London: Sheed & Ward.

Berdyaev, N (1937), The origin of Russian communism, Glasgow: University Press Glasgow.

Djankov, S and E Nikolova (2018), “Communism as the unhappy coming”, World Bank Policy research working paper 8399.

Pop-Eleches, G and J Tucker (2017), Communism’s shadow: Historical legacies and contemporary political attitudes, Princeton: Princeton University Press.

Weber, M (1930), The Protestant ethic and the spirit of capitalism, London: G. Allen & Unwin.

 

 

 

オセア・ジュンテーラ, マティアス・リーガー, ロレンツォ・ロトゥンノ 「食の貿易による体重増化: メキシコの実証成果」(2018年2月2日)

Osea Giuntella, Matthias Rieger, Lorenzo Rotunno, “Weight gains from trade in foods: Evidence from Mexico“, (VOX,  02 February 2018)


いまや肥満成人の過半数が見られるのは発展途上国である。本稿では、貿易が肥満におよぼす影響に関するメキシコ発の新たな実証成果を紹介する。本研究結果の示すところ、メキシコ諸州をとおしてみたばあい、合衆国から輸入した食品に占める不健康的食品の割合が1標準偏差分増加すると、個人が肥満である確率が5%ポイント増加する。世界中の発展途上国はその食品市場を工業化国に開放することで、自国において目下進行中の栄養転換 (nutrition transition) を加速させ、医療制度にたいし大きな将来コストを課している可能性がある。

肥満は、南半球諸国 (global south) について考えたとき真っ先に思い浮かぶ健康問題ではない。肥満と聞いて連想されるのはむしろ北半球諸国 (Global North)、とりわけ合衆国である (炭酸飲料・ファストフード・運動不足を想起されたい)。しかしこの社会通念はもはや時代遅れだ。いまや肥満成人 – 肥満度指数 (body mass index) が30以上の者 – の過半数は発展途上国に見られるのである (Ng et. al 2014)。南半球諸国はいま医療と栄養の転換期の真っただ中に置かれている (Popkin and Gordon-Larsen, 2004)。伝染病や栄養不足に (ゆっくりとした) 減少傾向が見られるなか、非伝染病や栄養過多が人口に蔓延しはじめている、それも極めて急速に。

肥満についてはさまざまな健康リスク (たとえば糖尿病や心血管疾患) や経済コストが知られている。このような知見を所与としたとき、南半球諸国の政策立案者は肥満比率が大流行というべき水準に達するのを防止するため何ができるだろうか? たとえば既にこうした転換期を通過した国の経験や、公共政策により馴致し得るような潜在的因子の調査をつうじて、なにか重要な教訓が得られるかもしれない。そうした取り組みにとって理想的なのがメキシコの事例である。同国のケースには既に数多くの議論の蓄積があるからだ。

肥満と貿易: メキシコの事例

1980-2012年にかけてメキシコの肥満率は10%から35%へと増加した (成人女性からなる本分析サンプルによる)。ただでさえ肥満傾向のあるOECD諸国のあいだでも、メキシコの順位は2015年の時点で第二位となっており、これを上回るのは合衆国ただ一国のみである (OECD 2017)。

人々の健康に関するこうした深刻な変化と時を同じくして、メキシコはもっぱら合衆国とのあいだで食品貿易に門戸を開放している。現在のところ、メキシコによる食品輸入の80%超はアメリカ産である。図1に示すのは、メキシコによる合衆国からの食品・飲料 輸入の継時的な推移である。全体的な食品輸入にも劇的な増加が見られるが、通例不健康なものと見做される食品の急増にはじつに目を見張るものがある。特に、2012年における 「調製品 (food preparations)」 の輸出が1989年の23倍になっている点は注目に値する。

図 1 継時的に見たメキシコによる合衆国からの食品・飲料 輸入

図2では、メキシコによる合衆国からの輸入について、それが健康的なものかそれとも不健康的なものかで分類している。なおその際利用したのは、合衆国農務省 (USDA: United States Department of Agriculture) の 「〔アメリカ人のための〕食生活指針 (Dietary Guidelines)」 である (たとえば、「濃緑色野菜 (dark green vegetables)」 は消費の増加が推奨されているが、「精製された穀粉および混合粉 (refined flour and mixes)」 は消費の抑制が推奨されている)。合衆国からメキシコへの輸出は1980年代以降両食品クループともに増加しているが、その増加は不健康食品のグループのほうが遥かに急速に進んでいる。

図 2 メキシコによる合衆国からの不健康的/健康的食品・飲料の輸入

このような傾向から自然と浮上してくるのは、合衆国産食品の消費が増えると肥満有病率が増加するという因果関係の疑いである (例: Jacobs and Richtel 2017, Rogoff 2017)。しかしながら、肥満と貿易の直接的因果関係を推定しようと試みる論文は、今日に至るまでまったく現れていない。

食品の貿易による体重増加を推定する

こでわれわれは新たなワーキングペーパーの中で、1988年から2012年までの期間のメキシコ諸州における個人の肥満確率にたいし、合衆国の食品輸出がおよぼした影響の定量化を試みた (Giuntella et al. 2017)。この目的を果たすため、数回にわたる身体測定サーベイ調査および家計支出サーベイ調査を、製品レベルの食品貿易データとマッチングさせている。なお本研究の主な成果は、長期にわたる本対象期間をとおしデータが利用可能であった、成人女性に基づくものである。

まず合衆国農務省による 「アメリカ人のための食生活指針」 を利用して食品項目を分別し、合衆国からの食品輸入に占める不健康的食品のシェアを計算した。つづいてこれら輸入食品の総計値 (健康的/不健康的) をメキシコ諸州に割り当てた。もっと具体的にいうと、食製品毎に見た過去の支出につき、貿易統合にさきだつ段階でメキシコ諸州のあいだに見られた違いを利用したのである。本識別戦略では、総合的貿易ショックは、時間-不変的変数ないし 「ベースライン」 変数からなる関数の形を取り、地方単位 (sub-national units) に不均一な影響を及ぼすものと仮定している (例: Dix-Carneiro and Kovak 2017, Autor et al. 2013)。メキシコ諸州のあいだには、肥満率および過去の食品支出パターンにつき相当な不均一性が存在することを、ここで指摘しておきたい。この点も本モデル化手法採用の動機となっている。

本実証モデルはさらに、州ならびに個人に関する一連の共変量 (州の共変量の例を挙げれば、食品価格・GDP・FDI・移住状況など)、ならんで州固定効果および州固有時間トレンドの分の調整も行っている。第二の実証戦略では、州レベルでの肥満率の長期的な差分を、ベースライン共変量の条件のもと、不健康的食品輸入の変化と関連付けた。メキシコにたいする合衆国の不健康的食品の輸出に、その他の国にたいする合衆国の輸出で対応するものを用いて操作変数的処理を加えた。また操作変数に代えて 「重力残差 (gravity residuals)」 を用いることで、不健康的食品の生産において合衆国がメキシコに有する比較優位の剔抉も試みた (Autor et al. 2013と同種の手法)。

食品貿易による体重増加を定量化する

さて結果だが、輸入シェアに占める不健康的食品の割合が1標準偏差分増加すると (14%ポイントの増加に相当)、肥満確率が約5%ポイント増加することが判明した。この効果はサンプル平均肥満率の18%に対応する。長期的差分モデルと操作変数推定値を用いた発見も、また重力残差を用いた発見も、定量的に類似しており – 何らかの信憑性のある因果的効果の存在を指し示している。

本主要発見は一連の頑健性チェックおよびプラシーボチェックを通過している:

  • 合衆国からの輸入品でも恐らく無関係なもの (たとえばアパレル製品) には肥満への影響がない。
  • 爾余の世界各国からの食品輸入と結び付いた効果は、小さくかつ有意でない。これは肥満に関して合衆国食品に固有の重要性があることを裏付ける。
  • 同様に、合衆国にたいするメキシコの不健康的食品の輸出は、肥満と相関していない。
  • 合衆国からの食品のうち最終需要として輸入されたものを利用したばあいも、類似のパターンが現われている。
  • 全体的な (健康的および不健康的を合計した) 食品輸入は、肥満と相関していない。これは 「不健康的」 と 「健康的」 の区別の重要性を引き立たせる。
  • 本主要成果はメキシコ諸州から各州を1つづつ除去したばあいにも頑健性を保った。
  • 結果変数として、肥満度指数を用いたばあいにも (分位点回帰による) 過剰体重を用いたばあいにも、類似のパターンが得られた。

健康格差と貿易

貿易ゆえの体重増加は社会経済集団により異なる。図3に示されるように、女性で教育水準の低い者は、より大きな貿易惹起型肥満リスクに直面している – 不健康的食品輸入への露出が平均的なメキシコの州では、この集団の肥満リスクは教育水準のより高い女性のそれを5%ポイント上回る。この差は該当州の貿易露出が14%ポイント (1標準偏差) 増加すると、8%ポイントにまで高まる。教育と貿易のあいだのこの交互作用効果は、州-時間 固定効果の組み入れ (つまり地方的な貿易露出効果のうち主だったものの消去) にたいしても頑健性を保った。この結果は、〈教育水準がより高い個人ほど、教育水準がより低い個人とくらべ効率的な健康投資を行う〉 というよく知られた仮説とも整合的である。この種の教育水準に由来する勾配 (gradient) は、個人の直面する不健康的食品の選択肢が多い食品環境ではさらに悪化する可能性がある (Mani et al. 2013, Mullanaithan 2011, Dupas 2011)。

図 3 教育水準が異なる集団のあいだの肥満リスク格差と、不健康的食品の輸入

所得・物価・嗜好 

合衆国の食品輸出がメキシコにおける肥満有病率に及ぼしている直接的影響が確認できたので、つづいて考え得るメカニズムの考察に進む。貿易は所得・物価・嗜好 (たとえば外国のライフスタイルや広告への露出をとおして) に影響する。これらのいずれも、観察された肥満への影響を駆動している可能性がある。第一に指摘したいのは、本研究における主だった効果が、州の一人あたりGDP・州ごとの食品総支出に占める不健康的食品の割合・健康的な財の不健康的な財にたいする相対価格、の分を調整しても頑健性を保っている点である。第二に、不健康的および不健康的な食品グループを対象とする需要方程式の推定をとおし、合衆国からの不健康的食品にたいする露出が全体的な支出の方向を不健康的食品に向け直していることが判明している。この観測されたシフトは実質所得および物価の分を調整しても頑健性を保っている (類似の実証戦略としてはAtkin 2013を参照)。換言すれば、合衆国との貿易はどうも、相対的に不健康的な食品に向かわせる方向で嗜好に作用しているようなのである。不健康的食品のバラエティの増加は需要を後押しする。こうしたパターンは、ベルリンの壁崩壊以降に東ドイツ人のあいだで見られた 「西側の (Western)」 食品に向かう消費シフトおよび体重増加とも軌を一にしている (Dragone and Ziebarth 2017)。

政策的含意

諸国民が貿易により得るところは大きい。しかし食品の貿易による体重増加や関連した健康面での損失は、概してそこでの等式から省略されてきた。世界中の発展途上国は、工業化国 – こうした国はえてしてより加工度が高く健康性の劣る食品に比較優位をもっているものだが – に向かって自らの食品市場を開放することで、自国で目下進行中の栄養転換を加速させている可能性がある。南半球諸国における将来の医療制度と経済にたいし、肥満が大きな負担を課すおそれがある。

そもそもの問題として、栄養転換の逆転はその緩和の試みより困難だと思われる。肥満と不健康的な食習慣はえてして執拗だ。そうした中でのメキシコの経験は南半球諸国にとって啓発的である。最優先事項とすべきは、栄養その他の健康問題を、食品貿易政策形成のうちに統合することだ [1]。そうした懸念こそ将来の貿易交渉アジェンダの上位を占めるべきなのである。

今回の発見は、健康的な輸入品と明らかに不健康的な輸入品との区別が、世界中で見られる肥満の長期的趨勢を遅らせる手掛かりとなる可能性を示唆する。

参考文献

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原註

[1] 関連研究は製造業輸入品が労働者の健康に与える悪影響についての実証成果を提示している – たとえばColantone et al. (2017) およびこれと連関したVoxEU column、McManus and Schaur (2017)、またPierce and Schott (2016) を参照。

ラミーロ・ガルベス, バレリア・ティフェンベルク, エドガル・アルティーラ「映画に見られるジェンダーと知的能力のステレオタイプ的連想関係を定量化する」(2018年4月1日)

Ramiro Gálvez, Valeria Tiffenberg, Edgar Altszyler “Quantifying stereotyping associations between gender and intellectual ability in films“, (VOX, 01 April 2018)


男性は女性より優れた認知能力を保持するとの信念は、根強くかつよく実証されたステレオタイプである。6歳という幼さの男児・女児までもが、ともに 「利発さ (brilliance)」 をもっぱら男性的な特性と見做すばあいがあることを明らかにした研究さえ幾つかある。本稿では、西側世界における映画産業がこのステレオタイプの慢性化に果たした貢献を検討してゆく。1万点を超える映画のトランスクリプト分析をとおし、過去半世紀にわたる 「利発さ=男性的」 ステレオタイプの執拗なプレゼンスが炙り出された。こうした状況は、特に子供向けに作られた映画にも見られる。

殊更に根強く、そこかしこに蔓延し、しかもよく実証されたステレオタイプに、男性は女性よりも高度な認知能力を保持するという信念がある (Broverman et al. 1970, Williams and Best 1982, Kirkcaldy et al. 2007, Upson and Friedman 2012)1。この 「利発さ=男性」 ステレオタイプは、6歳という幼さの男児・女児そうほうから是認されていることが明らかにされているだけでなく (Cvencek 2011, Bian 2017)、殊にSTEM分野で顕著だが、科学における女性の過小代表を引き起こしている要因のひとつだとも信じられている (Nosek et al. 2009, Leslie 2015, Smyth and Nosek 2015, Storage et al. 2016, Reuben 2017)。このステレオタイプが強力な文化的根因を有することについてコンセンサスが存在する場面でさえ、その慢性化を扱った研究では文化的行動の分析が中心となるのが普通である。ここで着目される文化的行動とは例えば科学的思考を一緒に行う際に親が子供に与えた指導 (Crowley 2001) や、科学教師が生徒のジェンダーに合わせて与えた相異なる指導 (Shumow and Schmidt 2013) をさす。ここで指摘すべきは、メインストリームの文化的製作物に見られるこの種のステレオタイプのプレゼンスに焦点を合わせた大規模研究が、極めて不足している点だ。

そんななかわれわれの最近の論文では、西側世界の過去半世紀をカバーした1万点を超える映画のトランスクリプトに見られる、「利発さ=男性」 ステレオタイプのプレゼンスを研究している (Gálvez et al. 2018)。ステレオタイプなるものの一端は、ひとつの集団を一群の記述的特徴に関連付ける連想関係の集まりである (Gaertner and McLaughlin 1983) 。そこでわれわれは、自然言語処理の技術を用いることで、映画におけるジェンダー-関連語 (gender-related words) と高度認知能力-関連語 (high-level cognitive ability-related words) の連想関係を定量化した。そのさい、子供向け映画におけるこれら連想関係のプレゼンスに重点的なフォーカスを置いている。

資料と方法

われわれはまずデータ収集に着手し、IMDbから、合衆国における興行収入トップ1000タイトルを内容とするリストを、1967年にはじまり2016年いっぱいまで、各年度分ダウンロードした。つづいて、これらリスト中の各タイトルにつき、メタデータをダウンロードした。このデータを頼りに、タイトルのうち、映画でないもの (TVシリーズなど)、作中で話される言語に英語が含まれないもの、製作に合衆国・英国・カナダ・オーストラリアのいずれも関与していないもの、を全て除去した。最後に、こうして得られた集合に含まれる各映画につき、最も頻繁にダウンロードされていた英語字幕を、OpenSubtitlesから入手した2。結果、本研究の最終サンプルとして、半世紀のスパンをもつ映画字幕1万1550点が確保された。

図1Aは、連続する10年の期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 毎に分析対象となった映画の数を、フル-サンプルとサブ-サンプルにつき詳述している。このサブ-サンプルは、familyかanimation、またはその両者に跨るジャンルに属する映画のみからなるもの (family/animationサブ-サンプル)。図1Bは、男性代名詞 (he, his, him, himself) 登場回数の、女性代名詞 (she, hers, her, herself) 登場回数にたいする比率の推移を示す。書籍を対象とした先行研究 (Twenge et al. 2012) と軌を一にし、1960年代中頃以降は映画にもこの比率に一定の退潮が見られた – 女性の地位向上と結び付けられてきた現象である (Twenge et al. 2012)。とはいえフル-サンプルと比較すると、family/animationサブ-サンプルにおけるこの比率は、女性代名詞にたいし一貫して手厳しくなっている。

図 1 連続10年期間毎に見た、映画度数およびジェンダー代名詞比率

: (A) 連続する10年の期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 毎の、分析対象となった映画の数。フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプル。(B) 男性代名詞登場回数の、女性代名詞登場回数にたいする比率の推移。フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプル。両パネルとも、LOESS回帰で傾向を推定している。

ジェンダー関連語と高度認知能力-関連語の連想関係を推定するため、ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語 (例: 天才的な genius、知能的な intelligent、冷静な clever) のあいだにある、正の自己相互情報量 (PPMI: positive pointwise mutual information) スコアを計算した。PPMIは、ふたつの単語が単なる偶然をどのていど上回る頻度で共起しているかを把捉するようデザインされた尺度であり (値が大きければ連想関係も強い)、単語と概念の連想関係を測定するさい一般的に利用されている。PPMI推定値は共起行列に含まれる値に依存する。この行列はひとつの単語がほかのひとつの文脈で登場する回数を表示するもの (各行は 対象語 target word ひとつを、各列は 文脈語 context word ひとつを、それぞれ現わす)。図2に含まれる簡易図は、与えられた字幕データをもとに、これら行列を組み立てる手順を例示している4

図 2 共起行列の構築

: SubRipファイル中の対象語ひとつが与えられれば (図ではhim)、全ての 近傍/文脈 フレームが特定される。どのようなフレームが近傍を構成するかは時間窓 (Δt) の大きさに依存するが、これは30秒に等しく設定している。どの文脈フレームに含まれるテキストも、クリーニング・トークン化 〔単語への分割〕・レンマ化 〔語形変化の除去〕 を施される。そのうえで、全ての文脈トークンの登場回数が、組み立て中の共起行列における関連セルに追加される。この手順を、分析対象となった全ての字幕に含まれる全ての単語につき繰り返す。共起行列は、ひとつの単語がほかのひとつの単語の文脈において登場する回数を表示するもので (これは飽くまで説明のための例にすぎないが、この図によるとsmartはhimの文脈に11回登場している)、PPMIと統計的有意性の推定値にたいする入力の役割を果たす。

結果

Figure 3 quantifies associations between gender pronouns and words depicting high-level cognitive ability. Figure 3A presents estimates considering all movies from 2000 up to and including 2016, for the full sample and the family/animation sub-sample. Estimates indicate that associations of male pronouns with high-level cognitive ability-related words are higher than the associations female pronouns have with high-level cognitive ability-related words. This pattern is present in both the full sample and the family/animation sub-sample. Figure 3B explores the dynamics of these differences through time. Results from the full sample of movies reveal that differences in associations have been steady at least for half a century, with no evidence of convergence in the trends. Results from the family/animation sub-sample show that differences have also been prevalent in this set of films, although estimates are less stable (we attribute this to the fact that sample sizes for every ten-year period of the family/animation sub-sample are much smaller than their full sample counterparts, see Figure 1A).5 Overall, our estimates suggest that, at an aggregate level, the ‘brilliance = males’ stereotype is effectively present in films and that movies specifically aimed at children contain this stereotypical association (which we believe contributes to its early adoption). Moreover, this pattern seems to have been quite persistent for the last 50 years.6 図3は、ジェンダー代名詞と高度の認知能力を形容する単語とのあいだの連想関係を定量化したものだ。図3Aは2000年から2016年いっぱいまでの全ての映画を対象とし、フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプルについての推定値を表示している。推定値が示すところ、男性代名詞と高度認知能力-関連語の連想関係は、女性代名詞と高度認知能力-関連語の連想関係よりも強い。このパターンはフル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプルの双方に現れている。図3Bではこうした違いが時の経過とともに辿ったダイナミクスを検討している。映画フル-サンプルからの結果は、連想関係の違いが、少なくとも半世紀にわたり安定してきたことを露わにしており、トレンドの収束を示すエビデンスは全く見当たらない。family/animationサブ-サンプルの結果が示すところでは、これら映画の集合においても違いは蔓延している。もっとも、推定値の安定度は相対的に低い (family/animationサブ-サンプルのサンプルサイズは、全ての10年期間について、フル-サンプルのそれよりかなり小さかった。安定度の低さはこの事実に起因するものとわれわれは考える。図1Aを参照)5。総じて本推定値は、総計レベルで見るかぎり、「利発さ=男性」 ステレオタイプが映画において事実上プレゼンスを有していること、また特に子供向けに作られた映画にもこのステレオタイプ的連想関係が含まれていること (これが早い段階での同ステレオタイプの受容に貢献しているとわれわれは考える) を示唆する。さらに付言すると、このパターンは過去50年ものあいだかなり執拗に残存してきたようである6

図 3 ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語のあいだの語連想

: (A) ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語のあいだに推定される連想関係。分析対象は2000年から2016年いっぱいまでの映画で、フル-サンプル (n = 2902) とfamily/animationサブ-サンプル (n = 242) について示した。アスタリスクは、背景にある分割表 (contingency tables) に関するフィッシャーの正確検定の結果を示す: *** 1%水準で有意。(B) 推定される連想関係の継時的推移。連続する10年期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 各々に属す映画の集合を入力とする。傾向性はLOESS回帰により推定されている。灰色の面積は、背景にある分割表にたいするフィッシャーの正確検定にしたがうかぎり、違いが5%水準で有意でないことを示す。

検討

西側世界の映画産業は、ジェンダー格差をめぐる近現代の論争の主題であった。論争は、(俳優は女優より相当大きな額を支払われているという) 強固なジェンダー賃金格差の実在性にはじまり、性的暴行および性的ハラスメント蔓延の訴えに至る幅をもつ。今回の結果が示唆するところ、ジェンダー格差は同産業による映画の内容においても相当強固である。知性に関するステレオタイプは知的アイデンティティや学業成績を形成するものであることが明らかにされているが (Steele 1997)、この点に鑑みれば、映画におけるこれらステレオタイプの存在と積極的に取り組んでゆく必要は自ずと明らかだ。

参考文献

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原註

[1] 「知能」 は一般的に、数学的知能や空間的知能と結び付けて考えられている (Furnham 2002)。

[2] このプロセスで支援して頂いたOpenSubtitlesに特に謝意を表したい。

[3] 高度認知能力-関連語の全容およびその構築方法はGálvez et al. (2018) で確認できる。

[4] 本データを使ったPPMI計算過程の詳細はGálvez et al. (2018)で確認できる。

[5] 1967-1976年期間にかぎるが、推定値は高度認知能力-関連語が女性代名詞とのあいだで男性代名詞よりも強い連想関係をもったことを示している。もっとも、背景にある分割表にたいするフィッシャーの正確検定は、この違いが統計的に有意であるとは明らかにしていない (p ≈ 0.4)。

[6] Gálvez et  al. (2018) では、ジェンダー代名詞とジェンダーステレオタイプ的な役割分担の関係につき、さらなる結果を掲載している。

テレサ・フィンリー,ラファエル・フランク, ノエル・ジョンソン, ステリオス・マイカロプーロス 「革命の経済的帰結: 1789年フランス革命からのエビデンス」(2017年12月2日)

Theresa Finley, Raphael Franck, Noel Johnson, Stelios Michalopoulos, “Economic consequences of revolutions: Evidence from the 1789 French Revolution“, (VOX, 02 December 2017)


政治革命は短期的な経済変化につながる速足の体制転換をもたらすことが多いが、その長期的帰結はさほど明らかではない。ある人はいう、革命は資本主義的市場の成長への地盤を固めるのだ、と。またある人はいう、革命はその性質上政治的なものであって経済的帰結は限定的だ、と。本稿は、フランス革命からの広範なエビデンスを活用しつつ、革命の影響というものが国や時代によって大きく異なる旨を示してゆく。制度変化・格差・長期的経済発展。本分析は発展途上国にとっての懸案であるこれら三者の関係を詳らかにする。

革命そして暴力的政権交代は、「アラブの春」 といったごく最近の事例であれ、「1789年フランス革命」 といった遠い過去の出来事であれ、アカデミック界隈から多くの関心を寄せられてきた。これらの大きな政治的断絶は、影響をこうむった社会の政治と経済の軌道における変曲点だと認識されているのだ。

しかしながら、こうした分水嶺的な事件は、該当人口の大多数の生活条件にも諸般の長期的帰結をもたらすものだったのか、またそうした帰結あったならばいかなる形でもたらされたのか、これらの点については諸説紛糾しているのが現状だ。さて、本稿でフォーカスを合わせるのは 「1789年フランス革命」 である。色々な意味で、フランス革命はこれら問題を検証するさい覗き見るべき理想的なレンズだといえる。記録資料が比較的豊富に存在するだけでなく、発生から十分な時が経過しているので、革命政策の中・長期的な影響の双方を評価することが可能だからだ。

フランス革命の経済的帰結

フランス革命の経済的遺産に関する大半の研究は、ふたつの対立する陣営に分かれる。一方にあるのは、フランス革命の担ったフランス経済を近代へと誘う役割を強調する一連の研究である。この役割は、封建制度の撤廃・法制度の単純化・商業と工業にたいする伝統的支配と財政的障壁の縮減 に顕現している。こうした視点は、Thiers (1823-1827)、Guizot (1829-1832) またMarx (1843 [1970]) といった思想家を嚆矢としながら、20世紀と21世紀においてもJaurès (1901-1903)、Soboul (1962)、Hobsbawm (1990) などの広い意味で左寄りの学者をとおしてその命脈を保ってきた。彼らはフランス革命を、工業や商業におけるブルジョアの利害の、土地所有貴族にたいする勝利と見る。ごく最近でも、土地再分配を扱ったRosenthal (1988) や、フランス革命のドイツにおける帰結を扱った Acemoglu et al. (2011) といった実証研究が、この見解に信憑性を与えている。

他方で、こちらはもっぱら古典自由主義的ないし保守的な知識人だが (例: Taine 1876, 1893、Cobban 1962、Furet 1978、またはSchama 1989)、イングランドやドイツといった先進工業国と比較して、フランスは1914年になるまでもっぱら農業的なままだった点を重視する人達がいる。彼らの主張では、フランス革命は貴族とブルジョワジーのあいだの経済的利害の違いによって動機付けられたものではなく、むしろ政治革命なのであって、これに社会経済的な反響が付随したのだという。フランス革命はじつのところ 「反資本主義的」 だった (Cobban 1962)、またそう考えればこそ19世紀をつうじてフランスに農業国的特徴がしぶとく残ったことも説明できる、とこのように彼らは訴える。

本稿執筆者の一部による近年の実証研究は、これら互いに背馳する見解の融和を図るもので、革命政策がフランスの各県 (departments: 合衆国の 郡 counties に相当する行政区分 – フランス革命期に創出) にたいし相異なる影響を及ぼした経緯にフォーカスを当てている。一方の研究はフランス革命初頭に起きた教会財産の没収・競売を利用したもので (Finley et al. 2017)、他方の研究は1792年の夏以降に加速した亡命者 (émigrés) の逃避行動にフォーカスを当てつつ、地方エリート構成の変化が経済パフォーマンスにもたらした帰結を評価している (Franck and Michalopoulos 2017)。われわれはいずれの研究においても、農業用土地保有の分布が19世紀と20世紀をとおしての経済発展の形成において担った、時間-変化的な役割を強調している。

フランス革命期における教会財産の再分配

1789年11月2日にフランスの憲法制定国民議会 (French Constituent Assembly) で決定された法律により、全ての教会財産が没収され競売をとおして再分配された。続く5年間で、70万件を超える教会領 (ecclesiastical properties) – フランス領土の約6.5%に相当 – が、歴史学者Georges Lecarpentier (1908) の言う 「フランス革命で最も重要な事件」 において売却されたのである。

Finley et al. (2017) では、場所により大幅に異なる教会財産没収状況を利用することで、制度改革の成功にたいする初期段階の財産権配分の重要性を調べた。つづいて本実証分析は、Bodinier and Teyssier (2000) が収集した革命による教会保有地没収の高度に細分化されたデータを、1841年から1929年にかけて継続的に執り行われた幾つかの農業サーベイ調査のデータと結合した。本データセットはフランスにおける (86県の中の) 62県の194区 (districts) をカバーする。図1が示す通り、これら区に占める教会領の割合は0%から40%と様々であった。

図 1 土地の没収

さて結果だが、競売に掛けられた教会保有地が多い地域圏 (regions) ほど19世紀における土地格差が大きいことが判明した。それだけでなく、この富の偏りが19世紀中期までには農業生産性および農業投資の水準の相対的な高さと結び付くに至っていたことも明らかになった。具体的には、再分配された教会保有地が10%多い区は、小麦生産における生産性が25%高く (図2を参照)、パイプ製造業者が約1.6倍になっており (干拓・灌漑のプロジェクトで使われた)、休閑地は約3.8%少なかった。なお本論文では、いくつかの実証戦略を施行することで識別力の向上をめざしている。そうした戦略には、12の地域圏-固有効果についての調整、ジャガイモ収穫量を用いたプラシーボ分析の実行、12世紀に確立された司教領 (bishoprics) にたいする各区の近接性に依拠した操作変数分析の実施 などが含まれる。

図 2 小麦収穫量

本研究はさらに、革命による土地の再分配が農業生産性に及ぼした有益な影響が19世紀の流れの中で徐々に落ち込んでいったことも明らかにしている。これは図3に図示した。この結果は、封建制につきものだった財産権の再配分にまつわる取引コストを、その他の区も徐々に克服していったことと整合的である。

図 3 革命による没収が農業生産性に及ぼした継時的な影響

フランス革命期の移住の影響

フランス革命期に見られた封建制終焉のもうひとつの側面が、亡命者の逃避行動である。10万人を超える個人が革命の暴力から逃れるためフランスを離れたのだが、これら個人は大方が 「旧体制 (Old Regime)」 の支持者だった。図4に図示したのはGreer (1951) が収集したデータだが、1789年から1799年にかけての各県における亡命者の空間的分布を示している。移住率の差異のうち外生的と考えてよさそうなものを確保する目的で、本稿執筆者のうちの2人 (Franck and Michalopoulos 2017) は、1792年夏のあいだの気温ショックに関する地方的差異を利用している。この年、第二革命として知られる革命的暴力の波が、ルイ16世の幽閉そして1792年9月21日における第一共和制の宣言において最高点を迎える。われわれが取った識別戦略のロジックは、経済状況の差異と暴力加担の機会費用をリンクさせた関連文献の、優れた発展に負っている。気温ショックが農業産出量を減少させた限りで、(18世紀フランス人の主食であった) 小麦の価格上昇は、フランス人口における相対的に貧しい階層のあいだでは騒擾を激化させ、それにより衰退する君主勢力を支持する富裕層のあいだでは移住を増幅させたはずである。図5が示すところ、大きな気温ショックを経験した県では人口中で移住した人の割合がじっさいに大きくなっていた。なお、ここでの気温ショックは、1972年夏の気温の、標準的な諸気温水準からの偏差を二乗した値で代用している。

図 4 フランスの県ごとに見た、人口に占める亡命者の割合および1972年夏の気温                             出典: Greer (1951)

図 5 第二革命期における各県の亡命者割合および気温ショック (1972年夏)

図6に図示したのが本研究の主たる成果だが、移住が後続する200年間の比較的発展に及ぼした、非-単調的な影響が露わになっている – 移住度の高い県は一人あたりGDPが19世紀のあいだ相対的にかなり低くなっていたが、このパターンは20世紀をとおして逆転する。より精確にいえば、ひとつの県の人口に占める亡命者の割合が0.5%増加すると、1860年には一人あたりGDPが12.7%減少していたのが、2010年には一人あたりGDPが8.8%増加するようになったのである。

図 6 亡命者の割合が 1860年・1930年・1995年・2000年・2010年 の一人あたりGDPに及ぼした影響 〔本稿には1860年と2000年の分しか掲載されていない〕

この逆転の原因は部分的には農業用土地保有の構成変化に帰しうる。本研究は19世紀中期以降に継続的に執り行われた農業に関するフランスの国勢調査を活用し、移住度の高い県では今日に至るまで大規模土地所有者が相対的に少なかったことを明らかにしている。大規模私有地の優勢のこうした退潮、そして小農民の伸長が、機械化の少なさを介して農業生産性にマイナスの影響を与えたのである。

本研究はさらに、19世紀をとおして移住度が高かった県では、人口に占める富裕な個人の割合が、亡命者の相対的に少なかった地域圏と比較してかなり小さかったことも明らかにしている。十全の財産の持った個人が、資本集約的な生産の時代における一定の臨界量に達していなかったこと。これも19世紀をとおして移住度が高かった県に見られた工業化水準の低さを説明するものかもしれない。とはいえ、1881-1882年にかけて国家としてのフランスが無償義務教育の制度化を成し遂げたあと人的資本の蓄積が起こったのは、これらの初期段階で立ち遅れていた県であり、これが20世紀後半における相対的に大きな所得に結実したのである。

フランス革命・格差・成長

全体的にいって、われわれが行った最近のふたつの実証研究 (Finley et al. 2017, Franck and Michalopoulos 2017) は、Galor and Zeira (1993) とGalor and Moav (2004) の理論研究との関連性を持つ。これら理論研究は、富の格差が発展の過程において非-単調的な役割を担うことを主張する。成長が物理的資本の蓄積に駆動されており、資本市場が不完全なばあい – それがまさに19世紀だったのだが -、より少ない個人の手の内により大きな富が集中することが成長には有益なのである。逆にいえば、資本市場の不完全性が存在するのなら、人的資本が成長の駆動力となったときにこそ、より小さな富の格差をとおし、教育を受けた労働者のより大きなプールが実現可能になる。

フランス各地の構造的変容と教会保有地再分配の水準、そして移住の激しさ。本研究はこれらをつなぐひとつのリンクを明らかにすることで、1789年革命の経済的遺産に新たな光を当てた。より一般的にいうなら、本分析は発展途上国にとって – 歴史的にもまた今日的にも – 問題であるところのもの、すなわち 制度変化・格差・長期的経済発展 の関係をめぐる懸案、これを詳らかにするものとなった。

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Thiers, A (1823-1827), Histoire de la révolution française, Paris: Lecointre et Durey.

原註

[1] 両研究の発見を織り合わせるなかで本稿執筆者の一部が明らかにしたところ、地方エリートが教会財産の没収からどれだけの利を得られたかは、フランス革命期にどれだけの移住が見られたかに決定的に依存していた (Franck and Michalopoulos 2017)。具体的にいうと同研究は、移住が土地集中度に及ぼしたマイナスの影響が、より多くの教会保有地が競売に掛けられたエリア、ほかならぬこのエリアにおいて増幅していたことを明らかにした。

マルセル・ファシャン, アナ・ヴァーシュ, ペドロ・ヴィセンテ「投票行為とピア効果」(2018年3月3日)

Marcel Fafchamps, Ana Vaz, Pedro Vicente, “Voting and peer effects“, (VOX, 03 March 2018)


投票率は、政治面でひとびとを代表した政府を選出するにあたり、大変重要である。しかし投票率は、数多くの社会規範や自らが選挙の要となる票 (pivotal vote) を投ずる可能性にも左右される。本稿では、モザンビークにおける2009年選挙での投票率増加をねらったあるキャンペーンの実証データを利用して、これらふたつの経路にピア効果が及ぼす影響の形態を検討してゆく。本研究結果は、情報把握度と政治関心に対する正のピア効果を明らかにしたが、他方では投票率に対する負の効果も浮き彫りとなった。後者はおそらく、全体的な投票率が増加するにつれ自分の票が問題となる見込みが薄くなることに投票権者が気付いてしまうため生ずる効果だと考えられる。

人はなぜ投票するのか? 投票権者が政治的選出過程に参加することの個人レベルの合理性はこれまでしばしば疑問視されてきた – 決定票を投ずる人物でないかぎり、投票行為は投票結果にまったく影響しないのだから (例: Feddersen 2004)。しかしながら、誰も投票していないのに選挙アウトカムだけは有権者の選好を反映している、などということもありそうにない。そこからの帰結として、投票行為が市民的義務の一種と見做されることもままある。とはいえ、一部の国 (例: ベルギー・ブラジル・ペルー) が投票行為を法的な義務としているのは確かだが、ほとんどの国はそうしていない。したがって選挙参加の水準は、投票行為に関してその時々に機能している社会規範、ならんで投票権者が自ら決定票を投ずる人物になる確率をどのていどと見込んでいるかに左右されると考えられる。そしてこれら双方に影響を及ぼす可能性があるのが、ピアからの感化作用なのだ。

1980年代中頃以降、政治選挙の数は世界中で増加してきたが、投票率のほうは急激な低落に見舞われている (World Bank 2017: 228)。こうした傾向がとりわけ著しいのがサブサハラアフリカだが、2010-15年のギャラップ世界世論調査によると、同地で選挙の公正性を信じている人は人口の45%に満たないという。モザンピークはこの悩ましい現象を如実に描き出してくれる。1994年に初めて選挙が開催されたが、そこでの投票率は88%だった。以後、モザンビーク解放戦線 (FRELIMO) とその後援を受けた大統領候補者が全ての国政選挙で勝利を収めており、その得票率のほうも時とともに増加している。そして投票率は、初めての選挙から10年後の2004年の時点で、36%にまで落ち込んでしまっていた。

モザンビークにおける投票率増加キャンペーン

こうした傾向を逆転させる試みとして、2009年の選挙期間中、投票権者教育キャンペーンの効果の研究をめざす無作為化対照試験が実施された。キャンペーンをつうじて選挙過程への信頼を再び確立し、これにより投票率を増加させることができれば、というのがねらいだった。数字を額面通りに受け取るならば、キャンペーンは功を奏した。平均的すると、キャンペーンをつうじて処置地域の投票率は5%増加したのである (Aker et al. 2017)。キャンペーンはみっつの異なる形態で実施された。ひとつ目は、該当選挙に関わる中立的な情報にフォーカスした無料新聞の配布である。ふたつ目は、テクストメッセージによるホットラインで、選挙関連問題があれば市民はここに通報することができた。みっつ目は、該当選挙に関わる情報を供給するリーフレットとテクストメッセージをつうじた、市民教育だった。

以上のフォローアップを行った論文 (Fafchamps et al. 2018) で我々は、この介入の成功が部分的には正のピア効果に由来するものなのかを検討した – というのも、もし市民が市民的義務を果たすために投票しているのなら、同教育キャンペーンはこの義務をより顕出的にすることで投票参加への社会的圧力を創出している可能性があるからだ。我々は各村落内部においてキャンペーンが惹起したピア効果、これにフォーカスを絞り、キャンペーンの効果が、同村落においてキャンペーンの対象となった個人と社会的ないし地理的に近しい人物について相対的に強くなっているかを調べた。結果変数としては、投票行動・情報把握度・政治関心 に関する個人レベルのサーベイ調査測定値、および政治参加に関する行動測定値を活用した。ピア効果の推定にあたり、我々は社会と地理の近接性に関するみっつの測定値を用いた。第一は 親族関係 (kinship) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者と親族関係にある者の比率に対応する。第二は 世間話 (chatting) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者が頻繁に会話する者の比率に対応する。第三に 地理的近接性 (geographical proximity) であり、これは回答者の住居と該当村落でサンプルとなった他の人の住居との平均距離 (を負にした値) で代用した。

ピア効果の影響

予想されていた通り、教育キャンペーンは平均的に見て投票率を増加させていた (Aker et al. 2016)。ところがこの効果は〔近接性の値が大きいという意味で〕中心的な個人ほど小さくなっていたのである。我々は、投票参加に対する負のピア効果を明らかにした。これと対照的に、情報把握度と政治関心に対するピア効果は正であり、キャンペーンの平均的効果と軌を一にしている。

我々の解釈では、これら発見は政治参加にコストがかかるモデルと整合的である。この枠組みにおける投票行為は、選挙過程に影響を与える確率だけでなく、市民意識といった非-手段的な動機からも誘発されうる。選挙の信用性に関する情報提供をつうじて、キャンペーンは投票権者に選挙過程の公正性を信じてもらおうとした。そうすることで、キャンペーンは市民意識の昂揚も引き起こしたかもしれない。両効果はともに投票行為を促進する性格のもので、キャンペーンの平均的な効果とも軌を一にしている。ところがピア効果は投票行為に対するこの正の影響を緩和してしまう可能性がある。それは中心的な投票権者が、キャンペーンのおかげで投票率が増加するので、政治的に容認可能な選挙結果を得るために自分の票が必要となるていどは少なくなると気づいてしまったばあいである。そうした状況では、これら投票権者は他の人の政治参加にフリーライディングする意思決定を行うかもしれない。

モザンビークでは、2009年選挙で誰が勝利するかについて疑問の余地はなかった。したがって投票権者は自らが選挙結果を決する要となるなどとは予想のしようがなかったはずだ。それでもなお、投票権者が、該当村落の投票率やどれほどの票差を付けての勝利かといった、その他の選挙アウトカムを気に掛けていた可能性はあるだろう。投票率の低さや票差の小ささが政府への不服を示すものと解釈される余地はある – むしろありそうだとさえいえる。こうした解釈は回り回って何らかの形の懲罰 (例: 地方公共財供給の削減) につながるかもしれない。このような政治環境にあっては、選挙の要であるというのは、もはや選挙の勝者を決す票を投ずることと同義ではない; ここで要であるというのは、それを下回ればコミュニティが報復に直面する閾値を上回るように、投票率ないし票差を動かすことを意味するのである。本データが示唆するところ、票差に基づくこの要の論理はモザンビークにおける政治参加決定因子のひとつであった。本実証データは、選挙参加に対する負のピア効果を要の論理をとおしたフリーライディングと見る我々の解釈を裏付けている。

以上の研究結果から投票権者教育キャンペーンの設計に関する幾つかの含意が得られる。社会的ネットワークが、選挙への関心といったソフト面でのアウトカムに対する処置効果を増幅する傾向を持つのは確かだが、それは投票意図に関する情報を周知させることで投票率を減衰させ、それによりフリーライディングを惹起しかねないのである。

参考文献

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Fafchamps, M, A Vaz, and P Vicente (2018), “Voting and peer effects: Experimental evidence from Mozambique”, Economic Development and Cultural Change, (forthcoming).

Feddersen, T (2004), “Rational Choice Theory and the Paradox of Not Voting”, Journal of Economic Perspectives 18(1)” 99-112.

World Bank (2017), World Development Report 2017: Governance and the Law, IBRD/The World Bank, Washington DC.

 

 

アンドレス・ロドリゲス・ポーセ「問題外の土地の逆襲」(2018年2月6日)

Andrés Rodríguez-Pose, “The revenge of the places that don’t matter“, (VOX, 06 February 2018)


恒常的な貧困、経済的な衰退、機会の欠乏。これらは凋落する地域に不満を引き起こすものである。ところが政策立案者は、成功した集積経済 (agglomeration economies) こそが経済ダイナミズムを突き動かしているのであり、都市再生政策はすでに失敗したと考えている。本稿では、こうした不満のために、これら 「問題外の土地 (places that don’t matter)」 の多くが政治的ポピュリズムの波及という形で反旗を翻している旨を論ずる。こうした動向は、社会的というよりむしろ強い領域的 (territorial) な基盤を持っている。いま求められるのは、潜在性を汲み上げることで、これら 「問題外の」 土地に住む人達に機会を提供するための、より優れた領域的開発政策である。

2008年10月16日、当時シンクタンクCentreForumで働いていた経済学者のティム・レウニグが、リバプールの大聖堂に姿を現した。そして、不安と困惑に包まれたリバプール人の聴衆に告げた。経済的にいえば、かれらが生まれ育った街の時代は、すでに終わっているのだと。イングランド北部の市や郡は 「国内平均や英国で最も成功している町に立ち遅れ」 ており 「都市再生政策は町の再生に [すでに] 失敗している」(Leunig 2008)。

イングランド北部では歴代の政権が開発の促進をめざし大規模な公的支出を行ってきた。しかし、結果は惨憺たるものだった。繁栄を謳歌するイングランド南部と凋落にあえぐ北部の経済的ギャップは、むしろ広まっていたのである (Martin et al. 2016)。開発政策は機能しておらず、したがって停滞や凋落が見られる英国内のこうしたエリアについて、開発戦略の再考が必要となった (Leunig 2008)。

そこで提案された解決策は至ってシンプルなものだった。まず、同国地域であって繁栄を謳歌し活発な展開を見せているところ (ロンドンと南東部) に注力する。つぎに、「リバプール、サンダーランド、等々といったところに住む人達」(Leunig 2008) が、供給された機会から利益を得るため、もっと豊かな土地に移動する。

レウニグは自ら聴衆の面前に姿を現した。この聴衆は、礼節は守るとはいえ基本的に敵意に満ちたものだったろうから、かれの示した勇気は相当なものだといえよう。しかしながら、そんなレウニグも気づいていなかったことがある。それはかれに先立つあるいは後を追う多くの学者も同じなのだが。つまり人々にたいし、かれらがどんな場所で生活し、どんな場所に帰属感を抱いているかなど問題外なのだと告げれば、きっと反発を生むだろうということだ。

ところが世界規模の反発は予想されていなかった方面からやってきたのである。近年 「問題外の」 土地の一部では、置き去りにされた、機会も無ければ将来の見通しも立たないといった感情に抗って、投票権を使った反乱に踏み切るところが増えている。個人間の格差にフォーカスした研究者 (Piketty 2014など) は、こうした反発 – その前例はタイや一部のラテンアメリカ諸国にすでに見られていた (Roberts 1995) – は、富裕層と貧困層の対立となると予測していたかもしれない。しかし実際に起きたのは、立ち遅れや凋落の見られる地域が、繁栄を謳歌している地域と異なる投票を行うという事態だったのだ。

以上のような問題外の土地の逆襲 (Rodríguez-Pose 2018) をわれわれは、英国の2016年ブレクジット投票、合衆国の2016年ドナルド・トランプ選出、2016年オーストリア大統領選挙、2017年フランス大統領選挙、2017年ドイツ総選挙に見いだすことができる。この逆襲は、最も活発な街や地域の繁栄を助けてきた、経済と社会の安定を転覆させかねない気勢を示している。

図 1 選挙における問題外の土地の反発

出典: Rodríguez-Pose (2018).

果たしてこれは驚きか?

世界規模のポピュリズム勃興の相はつとに出ていたのだという主張は今後も絶えないだろうが、政治家や主流派大学人はまだ驚きから立ち直っていない。かれらにとってポピュリズムのこのような膨張はまったく不意打ちだった。ポピュリズムの権力への上昇にも、それが突き付ける挑戦にも、後手後手となった。幾つか例外はあれ、われわれは誤ったタイプの負の外部性に注目し、ある重要な形の格差を見落としてきた。移動に関する個人の能力と意欲を過剰に見積りつつ、数多くの立ち遅れエリアの経済的潜在性を見落とし、あるいは無視してきたのである。

  • 誤ったタイプの負の外部性。経済地理学や都市経済学の研究が明らかにするところ、集積 (agglomeration) は、それがもたらすあらゆる利点の代償として、さまざまな負の外部性を惹起する可能性がある。従来われわれは、高い地代・混雑・汚染をそこでの主な負の外部性と見做してきた。これらが発展を窒息させる原因となりうるのは確かだが、これまでのところ本当のコストは多くの非集積エリアにおける予想外の社会経済的困窮だった (それが実際のものであれ、あくまでそうした認識に留まるのであれ)。
  • 領域的格差をほとんど関連性のないものと見做していること。ポピュリズム流行以前の格差懸念は、もっぱら個人間の格差をめぐるものだった (Sassen 2001, Piketty 2014)。1970年代以降、富は、ピラミッドの上部に位置し、いよいよ極一部となってゆく個人のもとに集中しつづけており、社会における経済的二極化の激化を生じさせている。だが、ブレクジット投票や、ドナルド・トランプおよびエマニュエル・マクロンの選出について、個人間格差が決定的な役割を果たした旨を示すエビデンスはほとんど存在しない。ポピュリズムが最も支持されていたのは最貧困層のあいだではなく、長い期間にわたり凋落に苦しんでいた貧困地域や貧困エリアの組み合わせだった。反発しているのは問題外の土地であって、「問題外の人達 (people that don’t matter)」 ではなかったのである。個人間格差も依然として問題だが、体制への挑戦は放置されてきた領域的格差から来ている。
  • 個人の移動能力と移動意欲を過剰に見積もっていること。 ティム・レウニグがリバプール人に南東部への移動を奨励した時、つまるところかれは都市経済学における前提を表明していたのである。すなわち、移動能力はタダだと。あるいは少なくとも、職を得るチャンスが限られている土地に留まるより、移動のほうが好ましいと (Kline and Moretti 2014)。しかし移動能力を奨励し、あるいは活発なエリアでの住居確保を容易化しても、そうしたエリアへの移動者数は増加しそうにないようである。立ち遅れや凋落の見られる地域に留まる人達が転居することは、生活する土地への愛着・年齢・十分な技能や資格の欠乏など、他にもあろうがこうした理由のために、なさそうなのではないか。
  • 立ち遅れや凋落の見られるエリアにおける経済的潜在性の見落としていること。問題外の土地はしばしば 「錆びついた地帯 (rustbelts)」 や 「飛行機で上から眺めるだけの州 (flyover states)」 と形容されてきた。経済学者の主張によると、「貧困あるいは非生産的な土地を助成するのは、貧しい人達に資源を移転する手法としては不完全である」(Kline and Moretti 2014)。とはいえ、立ち遅れや凋落の見られるエリアであっても、経済的な潜在性がまったく無いところはほとんどない。かつて立ち遅れていたエリアの多くは今や牽引地域となっている。これにたいし、以前の牽引地域が凋落する例も時折あった。Barca et al. (2012) の主張によると、「中堅エリアおよび立ち遅れエリアの活用されていない潜在性を汲み上げることは、総合的成長を阻害しないばかりか、実に地方レベルと国レベル、双方の成長を向上させる可能性がある」 のである。さらに、支援を必要としている土地から、より大きな繁栄を謳歌しより活発でもある土地へと関心をシフトさせれば、見捨てられた空間に困窮と怨恨が生じ、投票権をとおした逆襲の種を蒔くことになる。

問題外の土地の逆襲に対処する

問題外の土地の逆襲 – ポピュリズムの急速な勃興に反映されたそれ – は、現在の経済政治体制にたいする深刻かつ現実的な挑戦の現れである。賭金は大きい。しかし解決策は僅かだ。

何もしないというオプションはない。この問題の根にある領域的格差は今後も拡大を続け、社会・政治・経済の領域での緊張を高めるだろうから。国内移住が実行可能なのは、レウニグの提案にもあるように、十分な技能を持つ者に限られると思われる。

複数の大規模な集積区に賭けるのも、安全ではない。先進国でも、成長の原動力として大都市がつねに最も活発だとはいえない (Dijkstra et al. 2013)。発展途上国では、成長なき都市化がいよいよ常態と化している (Jedwab and Vollrath 2015)。

権力を脱中心化しつつ発展度の劣る街や地域へ委譲する方策にも、残念な経済アウトカムが出ている (Rodríguez-Pose and Ezcurra 2010)。既存の社会政策と福祉政策に固執すれば、恒久的に依存的な人口集団と領域が生じかねず、これが経済成長を停止させ社会と政治の緊張の高まりにつながる可能性もある。

最も現実的なオプションを提示するのは、立ち遅れ凋落するエリアに向けた開発政策である。これは政策の量の増加ではなく、政策の質の向上を意味する。こうした政策は各領域の潜在的発展性の最大化をめざすものとなるだろう。それは理論とエビデンスの堅牢な基礎づけをもち、人間基盤アプローチと土地基盤アプローチを結合しながら、地方の利害関係者に自らの未来をよりコントロールできるような力を持たせる (empower) ものとなるだろう (Iammarino et al. 2017)。

こうした政策で関連リスクを減少できる保証は無いが、それでも個人や労働者が豊かに栄えるための機会を向上させる絶好のチャンスにはなる。こうした政策オプションを無視すれば、経済的発展機会を迂回したあげく、問題外の土地の逆襲が経済・社会・領域をめぐる長引く軋轢として完全に正当化されてしまうような世界に漂着してしまうかもしれない。こうした事態は、われわれの現在と未来の厚生の礎たる、経済・社会・政治の基盤を侵食せずにはいないだろう。

 

参考文献

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Jedwab, R and D Vollrath (2015), “Urbanization without growth in historical perspective”, Explorations in Economic History 58: 1-21.

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Piketty, T (2014), Capital in the twenty-first century, Harvard University Press.

Rodríguez-Pose, A (2018), “The revenge of the places that don’t matter (and what to do about it)”, Cambridge Journal of Regions, Economy and Society 11(1): forthcoming.

Rodríguez-Pose, A, and R Ezcurra (2010), “Does decentralization matter for regional disparities? A cross-country analysis”, Journal of Economic Geography 10(5): 619-644.

Sassen, S (2001), The global city: New York, London, Tokyo, Princeton University Press.

 

エドワード・グレイザー, ジャコモ・ポンツェット「投票ブースにおける根本的誤謬」(2017年9月18日)

Edward Glaeser, Giacomo Ponzetto, “Fundamental errors in the voting booth“, (VOX, 18 September 2017)


つとに心理学者は、我々がひとびとの行為を状況よりも生得的な特性に過剰帰属させてしまうことを実証してきた。本稿では投票者としての我々がこの「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」に陥るとき、政治家の成功を、再当選に値するような属人的特性へと過度に結び付けてしまうことを示す。この誤りには通常時における政治家のインセンティブを改善する可能性がある。とはいえ本理論は、制度改革の欠乏や、報道の自由にたいする要望の減少ならびに独裁制の選好といった粗雑な制度的選択も説明する。

2017年4月、トルコの投票権者は現職のレセップ・エルドアン大統領の権力を相当に強化する憲法レファランダムに賛同した。モスクワとマニラでは、権威主義的な指導者が強力な大衆的支持のもとで統治を行っている。直近の合衆国大統領選挙でも、多くのアメリカ人がこれらと似通った流儀のリーダーシップへの嗜好を顕わにした。

政治理論家とくらべると、多くの投票権者は行政権力にたいする制約への関心が遥かに薄いように見えるが、それは何故だろうか? 1930年代のドイツ・オーストリア・ハンガリー・スペインにおいて、あれほど多くの市民が独裁制への要求を表したのは何故だろうか? 大衆的な権威主義受容のひとつの説明として、投票権者は 「根本的誤謬」 に陥っているというというものがある。投票権者はこの誤謬に導かれ、政治家の挙動はインセンティブや状況などではなく、生得的な特性によって決定付けられていると信ずるようになる。この誤謬に導かれた投票権者は、民主制インセンティブの価値を過小評価し、優れた成果を収めている現職者の生得的な性質を過剰評価するようになる。

根本的帰属誤謬

心理学者はほぼ50年もの長きにわたって、つぎの前提を裏付けるエビデンスを整備してきた。すなわち、傍観者はアウトカムの原因を、状況的要因ではなく、生得的な属人的特性に帰す傾向があるという前提だ。なお、ここでいう状況的要因には運不運とインセンティブの両方がふくまれる。嚆矢的研究のなかでJones and Harris (1967) は、被験者にたいし、カストロを支持するエッセイ、カストロに反対するエッセイ、これら両方の執筆を命じた。その上で観察者には、執筆者はカストロの支持に回るよう指示されている旨が伝えられた。それでもなお、観察者は執筆者にたいし生得的なカストロ支持感情を認めたのである。

固定した属人的属性の役割を過剰に強調する傾向はあまりに基本的なものなので、それは 「根本的帰属誤謬 (fundamental attribution error)」 と呼ばれるようになっている (Ross 1977)。この仮説のニュアンスをめぐって心理学者はしばしば論争を繰り広げてきたが、投票権者が現職者にたいし、過剰な評価を与えたり、現職者のコントロール外で起きた出来事について非難したりすることについては、ほとんど疑問の余地がないようだ。Wolfers (2007) の発見によると、アメリカの投票権者は、恵まれた産業トレンドや石油価格高騰といった幸運な経済変動の分も現職知事の評価につなげていたという。

我々の新たな論文では、この 「根本的誤謬」 を古典的な政治エイジェンシーモデルに導入しつつ、それにより独裁制を支持する意欲の過剰、および権力への制約 (たとえば自由で独立した報道) を確保すべく闘争する意欲の過小がうまく説明できることを示した (Glaeser and Ponzetto 2017)。なにより投票権者にはこの誤謬に抗うべき理由がほとんどない。その原因は、投票権者には政治知識に投資するインセンティブがほとんどないことと、短期的に見るならばこの誤謬は便益ももたらし得ること、この両方である。

政治エイジェンシーと独裁制への要望

じつのところ根本的帰属誤謬には、政治家が通常の状況で直面するインセンティブを強化するという陽の側面がある。合理的な投票権者は、望ましからぬ成果が運不運やその他の一時的な状況を反映している可能性が十分あることを理解している。そのため、かれらは凡庸な成績も寛容に受け入れるかもしれないが、こうした寛容性は政治家に凡庸であれと勧めるものともなりうる。根本的帰属誤謬に陥っている投票権者は、成果の乏しさを全面的に政治家その人に帰責するので、失態の選挙的コストを引き上げ、行動の改善を誘発する。

通常時には、この半合理的性も無害あるいは有益でさえあるかもしれないが、憲法の書き変えが行われる場面では、根本的誤謬のコストは膨大になりかねない。ちょうどナチスドイツの時代にその可能性があったように。優れた成果を収めており、もっと恒久的な権力を自らに与えるように規則を書き変えたがっている政治家、これを考えて見よう。現実には、この現職者の成績は運不運とインセンティブの組み合わせを反映したものだろう。そしてこのインセンティブを生みだすのは再当選を求めるかれの願望である。ところが根本的帰属誤謬に導かれた投票権者は、この指導者の成功が生得的で不変の能力と善意のおかげだと考える。能力と善意は、一時的に選出されているにすぎないこの指導者が恒久的な独裁者となれば、この先も力を持ち続けるだろう。

合理的な投票権者ならば、制約無き権力は腐敗するだろうこと、指導者の成績にしても選挙インセンティブが無くなってしまえば劣化してゆくだろうことを認識しているはずだ。しかし根本的帰属誤謬に陥っているとき、投票権者は指導者の過去の成績が未来の卓越を保証すると信じ込んでいる。かれらが信頼しているのは人物であり、制度ではない。だから民主制を廃止し、「大人物 (big man)」 で挿げ替えることをすんなりと受け入れるだろう。

専門性にたいする投票権者の不信

合理的な投票権者は、経済的な出来事を解釈して、リーダーシップから運不運の影響を腑分けすることの難しさを理解する。その帰結として、かれらは好況と不況の原因の腑分けを助けてくれる独立した専門家や報道の自由に価値を見いだす。ところが、最近のある世論調査の発見によると、アメリカ人の53%、そしてトランプ支持投票者の71%は、「政府の為すべきことは、所謂 『専門家』 よりも一般的なアメリカ人のほうが良く理解している」 との意見に同意している (Edwards-Levy 2016)。

根本的帰属誤謬はこの専門性への不信も説明する。誤謬に陥った投票権者は独立的な専門家の必要性をほとんど認めない。自分の経済的困難は、ホワイトハウスが無能なのか、かれらの運命に無関心なのか、そのどちらかの反映だと信じているからで、労働需要の広範なシフトを反映したものだとは考えていない。根本的帰属誤謬に陥った投票権者は、国を動かしているものの正体を自分は知っていると自信過剰なまでに信じ込んでいる – つまり政治的リーダーシップの質だ。その帰結として、かれらはシグナルからノイズを分離する試みにほとんど価値を認めないのである。

大衆的政策の誤り

根本的帰属誤謬は投票権者の政策選好を説明する手掛かりにもなる。たとえば交通の分野だと、この誤謬は投票権者をして、他の人の行動は比較的固定したものであって、インセンティブの結果ではないと信じ込ませる。その帰結として、かれらはピグー税により有害な行動が実際に削減できることを疑うだろう。中心的な都市における渋滞課金 (congestion charge) といった古典的なピグー税と直面したとき、投票権者は支払う料金が高くなるという陰の側面は認めるだろうが、移動時間の削減という陽の側面は認めないだろう。

初めスウェーデンの投票権者はストックホルムにおける渋滞課金に敵対的だった。しかし2006年になると、試験的に料金が導入される。ドライバーは交通量の削減を体感し、レフェランダムが開催されると、中心的都市の住人はこの課金を支持した。この世論のシフトにたいする説明としては、投票権者は初め課徴金が行動を変化させる力を疑っていたが、ドライバーがこのインセンティブの変化にどのように対応するかを目の当たりにして考えを改めたというのが、最も自然である。

ドライビングパターンは比較的固定していると考えているばあい、投票権者は新しい交通インフラストラクチャーの便益を過剰評価することにもなるだろう。かれらは同じ交通量がより大きな道路空間にわたり拡散されると期待し、その帰結として自らに便益があると考える。初めDowns (1962) が主張し、つづいてDuranton and Turner (2011) が実証的に示したように、車両走行距離 (vehicle miles travelled) は高速道路の敷設にともない急速に増加する。その帰結として、新たな高速道路の便益もドライブの増加のために急速に消滅してしまう。この行動反応の予見を怠ることで、投票権者は敷設を過度に好み、課金にたいし過度に懐疑的になる。

結論

経済学者は、人はインセンティブに反応するという思想を注入されている。マクロ経済学の基礎クラスでは、物価の行動に作用する形態を学生に教え込む。だからおそらく我々は驚くべきではないのだ。経済学者ならぬ人が、つまり物価を行動に結び付ける数々の曲線を何ヶ月もかけて潜り抜けた経験などない人達が、人間の行動はもっと不可変的なものだと信じていたとしても。

根本的帰属誤謬が投票権者をミスリードしているならば、憲法の変更はゆっくりと、そしてその時の現職者のキャリアとは切り離して行われるべきだ。投票権者は指導者の生得的な性質を誤って過剰評価するのだから、どんな指導者による独裁制でも支持する可能性があるのだが、それでもなお、平均的な指導者は 「玉石混淆 (mixed bag)」 だと正しく理解しているので、抽象的な地平では独裁制に反対するかもしれない。その帰結として、投票権者は現任の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいには、誰とは知らぬ将来の大統領を利する憲法の変更について考察するばあいより、はるかに誤謬に陥りやすくなる。憲法の変更は、それが現職者の助けにならないくらい十分にゆっくりとしたものならば、誤謬を回避できる可能性が高くなる。往々にしてそうであるように、時間は合理的意思形成の友なのである。

根本的帰属誤謬が通常の政策立案をめぐる意思形成を妨げる傾向は、政策実験の増加をつうじて覆しうる。ストックホルムの住人は渋滞課金がドライブ量を削減することを理解するようになった。それはかれらが渋滞への価格付けを経験したからだ。大型高速道路の敷設など、施策の中には実験に向かないものも一部ある。そうしたばあいは近過去からのエビデンスを強調することが、我々の取り得る最善の方策となる。

根本的帰属誤謬はあらゆる専門家にたいする警告を含んでいる。それは報道機関の専門化か、大学研究機関の専門化かを問わない。たとえ我々が我々の知識に確信を抱いているにせよ、一般の投票権者はそうではない。その帰結として、我々は絶えず自分達の価値を証し立ててゆかなければならないのだが、おそらくその最善の手段は、もっと多くの客観的な事実を提供し、イデオロギーの提示はもっと少なくすることである。

参考文献

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