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マルティナ・ビョルクマン・ニクヴィスト, ルチア・コルノ, ダミエン・デ・ワルク, ヤコブ・スヴェンソン 『より安全な性行動へのインセンティブ: HIV予防おける籤引活用』 (2017年1月7日)

Martina Björkman Nyqvist, Lucia Corno, Damien de Walque, Jakob Svensson “Incentivising safer sexual behaviour: Using lotteries to prevent HIV “,  (VOX, 07 January 2017)


従来型HIV/AIDS教育キャンペーンは新規感染抑制に関して完璧な有効性を誇ってきたとは言えない。背景的原因としては、感染の大半がこと性行動に関してはリスクテイクを厭わない様な個人の間で生じているのに、キャンペーンではこうした人達を特に重点的にターゲットにしてこなかった可能性が考えられる。本稿ではレソト王国で行われた新型HIV予防介入試験を紹介する。これは以上の様な個人をターゲットに定め、より安全な実践へのインセンティブを付与するために籤引を利用したものである。処置グループのHIV新規感染件数 [HIV incidence] はトライアル期間を経て5分の1を超える低減を見せた。実施面・費用面での利点も併せて考えると、こうした結果は以上の様な介入がHIVとの闘いにおいて計り知れない価値を持つと判明する可能性を示唆する。

20年以上に亘る意識向上キャンペーンを後目に、HIV/AIDSは依然として数多くの世界の国々で主要健康問題の位置を占めている。とりわけ、3700万人もの人々がHIV感染者として生活し、推定では2015年だけで新たに140万件ものHIV感染が発生しているというアフリカでは問題はなお深刻である (UNAIDS 2016)。HIV感染の主要経路となっているのが安全性考慮の無い性行動だ。したがって情報提供と教育キャンペーンを基盤とした従来型の行動変化プログラムが、エピデミックに抵抗するための主要方策として久しく用いられ続けてきたのも驚くには当たらない。だが残念ながら、こうしたタイプのキャンペーンには予期されたほどHIV/AIDSエピデミック波及を押し止める効果が無いことが既に証明されている (Bertrand et al. 2006, Napierala Mavedzenge et al. 2010)。

これら実証成果を目の当たりにすれば当然、「では自衛の方法を知悉し、HIV/AIDSの深刻な帰結が周知されているのなら、なぜリスキーな性行動を継続する人達がいるのだろう?」 との疑問が浮かぼう。これに対しては、感染の大半はリスク忌避度が最も低い個人 – つまり性行動に関してはリスクテイクを厭わないような個人 – のあいだで生じているのに、現行の情報提供キャンペーンはこの人達を特に重点的にターゲットにしてこなかったのだ、という回答が考えられる。

HIV予防へのインセンティブとしての籤引

最近の論文で我々は、リスク愛好的であり、したがってHIV感染リスクが最も高いと推測される人達に特にアピールするようなHIV予防介入手法をデザインしている  (Björkman Nyqvist et al. 2016)。具体的には、籤引を利用し、レソト王国におけるHIV感染抑制をめざす金銭的インセンティブプログラムをデザインした – 籤の期待支払額は比較的小さいが、性感染症 (sexually transmitted infection: STI) テストで陰性の反応がでれば高額を得られる仕組みになっている。

他の面では通常の金銭的インセンティブプログラムと変わらないギャンブルの導入には、少なくとも2つの利点が有る。先ず第一に、籤により、同プログラムは金銭的リスクを厭わない個人に対しては相対的に強い魅力を持つ様になる。もし金銭的リスクテイクを厭わない性質がその他のリスキーな行動、例えば喫煙・薬物・リスキーな性交渉などと相関しているのならば、籤のインセンティブによりHIV感染のリスクが高い人達をもっと上手にターゲットにできるはずである。

第二に、心理学や行動経済学の領域で、人間は小さいパーセンテージを過大評価しがちであり、したがって保証された小さな報酬よりも、大きな報酬につながるかもしれない小さなチャンスのほうを選好する傾向が有る旨を示す実証成果がますます確認されている事が挙げられる (Kahneman and Tversky 1979, Kahneman 2011, Barberis 2013)。仮にそれが正しいのなら、ギャンブル (籤引) 参加において認識される利益は、確実性をもって一定の期待利益を与えるインセンティブプログラムからの利益よりも高くなり、また同じ理屈で、籤を活用すれば予算を一定にしたままでも、従来型の条件付現金給付 (conditional cash transfer: CCT) と比べてより強い行動変化へのインセンティブを設定することも可能となるかもしれない。

本研究は無作為化平行グループ間試験 [parallel group randomised trial] に基づいて行われた。そこでは次の3つの個別グループを設定している: 対照グループ (N= 1208) および2組の処置グループ (低額籤引グループの859人、および高額籤引グループの962人) である。無作為選出で低額籤引グループに割り当てられた参加者は4ヶ月毎に500ロチ/南アフリカランド [500 malotis/South African rands]、およそ$50の価値に相当する賞の籤引に挑戦する資格が与えられる。高額グループの個人にはその2倍に当たる額の賞を勝ち取る資格が与えられた。

処置グループの個人は、籤引の前の週に受けたテストで2つの治療可能なSTI (梅毒 [syphilis] および膣トリコモナス症 [trichomoniasis]) に陰性の結果がでたならば、籤を1枚与えられる。村落レベルでの籤引が4ヶ月毎に開催され、各村落で籤引当選者が4名づつ選出される。

処置グループ中の個人で前述した2つのSTIの何れかに陽性のテスト結果が出た者は籤を貰えない。しかしこうした個人も引き続き研究参加者に留まることができるので、無料で提供される治療を受けてその後もSTI陰性を維持していた場合には、その後開催される籤引の資格を得られる。対照グループへと無作為に割り当てられた参加者には籤を貰う資格が与えられないが、その他の点では研究の手順に対照グループと処置グループとで違いは無い。STI陽性のテスト結果が出た全ての者に (グループを問わず) カウンセリングと無料のSTI治療を提供、HIV陽性のテスト結果が出た個人はAIDS治療を行っている公的診療所に紹介し、適切なフォローアップを図った。

全体的に言って、籤引インセンティブはHIV症例、すなわちベースライン時点でHIV陰性であった参加者の間のHIV新規感染率抑制に相当な影響をみせた。2年のトライアル期間を通して、HIV新規感染率は2.5%ポイント、換言すれば21.4%低減された。こうしてトライアル終了時には処置グループプールのHIV感染者数 [HIV prevalence] は対照グループと比べて3.4%ポイント低いものとなった。我々の知る限り、性行動の変化に着目したHIV予防介入 (治療介入に対する) であって、HIV新規感染件数の著しい削減 – あらゆるHIV予防介入の究極目標 – に繋がることが実証されたのはこれが初めてである。

リスク愛好者は籤引を好んでいるのか?

我々はさらに進んで、リスキーなギャンブルに対する価値認識に基づき、リスクに対する選好を有する個人のほうがリスク忌避的個人よりも、行動変化を条件とする高額ではあるが不確実なリターンが見込まれる介入スキームに反応する傾向が強いのか、この点を調べた。参加者のリスク選好は、ベースラインアンケートでのリスク忌避に関する仮定的設問を通して計測した – 62%の参加者は籤引参加ではなく、籤の期待値に満たなくとも固定額のほうを選好すると報告しており (したがってリスク忌避的)、残る38%がリスク愛好的となる。ベースライン時点で、リスク忌避的個人とリスク愛好的個人の人口統計学的・社会経済的特性は類似していたが、リスク愛好的参加者が安全対策をした性行為を実行している旨を報告する傾向は相対的に低く、HIVやSTI陽性の傾向は相対的に高かった。

では、リスク愛好的個人は籤引プログラムに対しリスク忌避的個人と異なる反応を見せたのだろうか? 本研究結果によれば、実際に反応は異なっていたようだ。HIV新規感染件数はリスク愛好的個人のほうが対照グループにおけるリスク忌避的個人よりも12.3%ポイント高かった。しかしながら、リスク愛好者の間のHIV新規感染件数は処置グループのほうが12.2%ポイント、対照グループのリスク忌避的個人と比べて低かった – このサブグループにおける効果量は58%となる。リスク忌避的参加者に対する処置効果は然したるものでなく、点推定で0近傍、したがって対照グループとの比較において介入プールで観察されたHIV新規感染件数の減少がリスク選好的個人の行動変化のみによって生じた可能性は消去できない。

籤引インセンティブの実用的利点

本発見は、相対的にHIV感染リスクが高いグループをターゲットする際に籤引が活用できる可能性を示唆する実証成果をもたらした。最もリスクが高い層の個人をターゲットできるばかりでなく、籤引の活用には、以上の様なプログラムの規模拡大を検討する場合重要となってくる幾つかの実用的利点も有る。第一に、籤引プログラムの運用費は従来型CCTプログラムよりも低く抑えられると見込まれる。何故なら当たり籤を引いた者にのみ支払をすればよいからである。第二に、実験参加者の一部のみをテストすればよい様な籤引システムも考えられるが、その場合、トータルで掛かる費用に相当な割合を占める検査費用の削減も望み得る。レソト王国における実験のリサーチ計画書ではプロジェクト参加者全てに検査を提供することが要件となっていたが、行動変化へのインセンティブは、一定の条件下では、籤引当選者のみが検査を受ける、或いはSTIスクリーニングも籤の結果に依存させる様にしても、変わらず保たれるだろう。最後に重要な点だが、今回の実験で調べた籤引インセンティブの影響はあくまで特定アウトカム関するものだったが、本調査結果は、他のタイプのプログラムや分野でも、よりリスクの低い行動に対する需要の強化をねらって籤引が上手く活用できないか、この点を探求する調査研究に道を開くものとなっている。

参考文献

Barberis, N C (2013) “Thirty years of prospect theory in economics: A review and assessment”, Journal of Economic Perspectives, 27(1): 173–196.

Bertrand J R, K O’Reilly, J Denison, R Anhang, M Sweat (2006) “Systematic review of the effectiveness of mass communication programs to change HIV/AIDS-related behaviours in developing countries”, Health Education and Research, 21: 567–597.

Björkman Nyqvist, M, L Corno, D de Walque and J Svensson (2016) “Incentivizing safer sexual behaviour: Evidence from a randomized controlled trial on HIV prevention”, CEPR Discussion Paper No. 11542.

Kahneman, D (2011) Thinking, fast and slow, New York: Farrar, Straus, and Giroux.

Kahneman, D and A Tversky (1979) “Prospect theory: An analysis of decision under risk”, Econometrica, 47(2): 63–91.

Napierala Mavedzenge, S, A Doyle, D Ross (2010) “HIV prevention in young people in sub-Saharan Africa: A systematic view”, February (accessed November 9, 2010).

UNAIDS (2016) “Fact Sheet 2016”, www.unaids.org, Geneva, Switzerland.

 

ピエール・カユック, オリヴィエ・シャルロ, フランク・マレルブ, エレーヌ・バンガルム, エムリーヌ・リモン 『臨時雇用への課税: 善き意図されど思わしからぬ結果』 (2017年1月5日)

Pierre Cahuc, Olivier Charlot, Franck Malherbet, Hélène Benghalem, Emeline Limon, “Taxation of temporary jobs Good intentions but bad outcomes“, (VOX, 05 January 2017)


 

フランスやスペインを初めとする様々な国で労働力の相当部分を担っている臨時雇用契約だが、これは高い離職率・雇用不安定性にも繋がりかねない。本稿では、雇用者に雇用継続期間の引き延ばしを促す目的で臨時雇用契約への租税賦課を試みる政府諸政策の影響を診断する。こうした政策からは、平均雇用継続期間の減少・雇用創出の低下という形で労働市場に負の影響が生ずる。在職期間の短い時期に生じた離職に係る契約終了費用を無しにしたオープンエンド契約の導入のほうが効率的である可能性がある。

短期的な臨時雇用の広まりは、厳格な雇用保護法制を敷く諸国、別けてもフランス・イタリア・ポルトガル・スペインなどの国々で重要な問題となっている。これら諸国では、オープンエンド契約が通常の雇用契約形態となっているが、これに定まった就労期間は無い。しかしオープンエンド契約への違反は雇用者にとって高くつき、複雑な手続きを履行したうえで解雇補償金 [severance payments] を提供しなければならなくなっている。他方、雇用の期待継続期間が短い場合、雇用者は契約終了日 [termination date] の定めを置く臨時雇用契約を結ぶことも許される。

ところが、法的規範により雇用者は労働者に対し臨時雇用契約の契約終了日まで対償を支払うことが要求されているとはいえ、契約終了日の解雇費用に関してはお役所的な規定が全く存在しないのが実情である。そこで臨時雇用契約の規制を通し、雇用の安定と、期待継続期間の短い雇用に就いている労働者が直面する不確実性の削減が目指されている。しかしながら、こうした規制が成功しているかには疑問がある – 臨時雇用契約はフランス・イタリア・ポルトガル・スペインにおける雇用の流れの大半を担っているからだ。その背景には雇用者によるオープンエンド契約の回避が在る。こうした臨時雇用契約の大半は継続期間が非常に短い。例えば図1に示す様に、フランスでは臨時雇用契約のほぼ50%が一ヶ月に満たない長さとなっている。

図1. 臨時雇用流入に係る臨時雇用契約継続期間の累積密度 (2010-2012期、フランス)

こうした状況に鑑み、雇用者に対し、臨時的契約に代えて、在職期間の短い時期に生じた離職に係る解雇費用の無い (ないし微小な) オープンエンド契約締結を許すことにより離職率の低減や雇用の育成が望めるのではないかとの議論が展開されてきた (Bentolila et al. 2010, OECD 2014, Dolado et al. 2015)。しかしこうしたタイプの構造改革は着手が難しく、幾つかのヨーロッパ諸国は雇用者に雇用期間の引き延ばしを促す目的で臨時的契約への課税を敢行している。継続期間の短い臨時的契約はフランスでは2013年以降、ポルトガルでは2014年以降、スペインでは2009年以降、特に重点的なターゲットとなり、イタリアに至っては2012年以降全ての臨時的契約が課税対象となった1。些事に留まらぬ影響を及ぼしているのにもかかわらず、管見の及ぶ限りこの様な政策の顛末については殆ど何も知られていない。

我々の研究では、Cahuc et al. (2016a) を手掛かりにしたシンプルなモデルにより、臨時的契約への課税が常に離職率の低減に繋がる訳ではない旨を示した (Cahuc et al. 2016b)。継続期間の短い契約に対する課税が、租税回避に役立つならばと、雇用者をして長い契約による短い契約の代替、また臨時的契約のオープンエンド契約への変更へと促すことは当然考えられる。臨時的契約がオープンエンド契約に変更された場合に税の還付があるのならば、この効果はさらに増強される。雇用不安定性の軽減にしても、継続期間の短い臨時的契約に対する租税の相対的な高さが、継続期間の長い臨時的契約およびオープンエンド契約に対する租税の相対的な低さにより相殺されるのならば、さらに強まるかもしれない。しかしながら、租税の引き上げには臨時的契約の継続期間に対する不利な影響も存在する。例えば、1ヶ月未満の契約に対する租税の引き上げとの対応で、7日間の契約が1ヶ月の契約に変更されるとは考え難いが、反対に契約期間を7日から6日に減らすことが最適な判断になるケースは生じ得る。何故なら雇用者側には臨時的契約の利潤性が低下した場合にその継続期間を減らすべきインセンティブが有るからである。よって、臨時的契約に対する租税引き上げは必ずしも雇用不安定性の軽減に繋がるものでは無い。雇用安定性・雇用率・厚生に対する影響は租税制度の在り方と現実的文脈とに依存するのだ。

フランスのデータに基く本モデルの推定を通し、多様な租税制度が雇用期間・失業率・失業者厚生に及ぼす影響を見定めるシミュレーションが可能となった。なお今回分析した何れの制度でも、臨時的契約からの税収は全雇用に対する一括補助金 [lump-sum subsidy] として諸企業に払い戻されている。

結果、臨時的契約への課税が労働市場に負の影響を及ぼしていたことが判明した。第一に、同課税は雇用の平均継続期間を低減させていた。よって臨時的契約への課税はその主目的、すなわち離職率の低減を果たしていないことになる。第二に、同課税により雇用創出が減少、失業率が増加、失業者厚生が低下していた。これとは別の契約継続期間に依拠した租税計画により労働市場のパフォーマンスが限界的に向上される可能性は否定できない。しかし今回の検討を通し、臨時的契約を対象とした租税からは、各々の労働市場が持つ個別具体的特徴に依る複雑な影響が生ずることが明らかにされた。結局の所、同政策ツールは合理的な信頼性水準をもって労働市場パフォーマンス向上をめざすのに適したものではなさそうだ。

この様な見地に立ち、在職期間の短い時期に生じた離職に係る契約終了費用を無しとしたオープンエンド契約の導入の顛末も続けて分析した。こうしたタイプの構造改革に類似するものとしてはイタリア雇用法 [Italian Job Act] が挙げられるが、同法により在職期間に伴って保護が強化されるオープンエンド契約が導入されている2。我々はこのタイプの改革のほうが臨時雇用への課税よりも適当であることを明らかにした。同タイプの改革は継続期間の短い雇用の継続期間の増加、雇用率の上昇、失業者厚生の向上をもたらすようだ。ここから、租税と規制とが複雑に入り組んだ、継続期間の短い臨時雇用契約に負荷を課すような制度は、在職期間の短い時期に生じた離職に係る解雇費用を無しとしたオープンエンド契約から成るシンプルな規制と比べ、雇用にとっても失業者にとっても非効率的かつ好ましからぬ様が伺われる。

参考文献

Bentolila, S, T Boeri and P Cahuc (2010), “Ending the Scourge of Dual Labour Markets in Europe”, VoxEU.org, 12 July.

Cahuc, P, O Charlot, and F Malherbet (2016a), “Explaining the Spread of Temporary Jobs and its Impact on Labor Turnover”, International Economic Review, 57(2), 533-572.

Cahuc, P, O Charlot, F Malherbet, H Benghalem, and E Limon (2016b) “Taxation of Temporary Jobs: Good Intentions With Bad Outcomes?”, CEPR Discussion Paper 11628.

Dolado, J, E Lalé, and N Siassi (2015), “Moving towards a Single Labour Contract: Transition vs. Steady State”, CEPR Discussion Paper 11030.

OECD (2014), Employment Outlook 2014.

原註

[1] より精確には、フランスの税は1ヶ月に満たない臨時的契約に対する総賃金 [gross wages] の3%、1ヶ月から3ヶ月の臨時的契約に対する総賃金の1.5%にそれぞれ相当する。同税は臨時的契約がオープンエンド契約に変更された場合、還付される。ポルトガルでは15日未満の臨時的契約に関する雇用者側の社会負担率が4%引き上げられた。スペインでは1997年以降、臨時的契約対する失業保険負担が恒久的契約に対するものよりも高くなっている。2009年からは、継続期間2週間未満の臨時的契約に対する補完的雇用者社会負担 – 総賃金の36%に相当 – も導入されている。イタリアでは、臨時的契約一切を対象とし、総賃金の1.4%に相当する租税が、2012年施行の改革以来、失業者手当の資金調達に利用されている。同税は臨時契約がオープンエンド契約に変更された場合、還付される。但し、還付額は直近6ヶ月間に支払った同税額を上限とする。

[2] イタリアの当該法律183/2014により、新規雇用に関して在職期間に伴い保護が強化される新しいオープンエンド契約 (contratto a tutele crescenti) が導入された。

 

チャールズ・マンスキー 『ポスト-トゥルースワールドの政策分析』 (2016年12月24日)

Charles Manski,”Policy analysis in a post-truth world“, (VOX, 24 December 2016)


 

政策アウトカムや経済情勢をズバリ予測・推定した値を目にせぬ日は無い; 他方、不確実性の表明は稀である。合衆国における新たな政権の幕開けが間近に迫る現在、これまでの政府政策分析における信用ならぬ確定性 [certitude] もあれよあれよという間に小さな問題に思えてくるだろう – この先我々を待ち受けている事柄を傍らにしては。信用ならぬ確定性を提示する分析であっても、その予測や推定が正しい可能性はあるが、ポスト-トゥルースワールドにおける分析は、明らかに誤った予測と推定を生み出す。

対象とする経済政策変化が如何なるものであれほぼ例外なく、その分析には如何ともし難い不確実性が付き纏っている。アラン・オーエルバッハ [Alan Auerbach] はこう言った: 「多くの場合不確実性はあまりに大きく、同じ人物が、実際に報告した推定値の二倍や半分にあたる数値を大真面目に報告していた可能性もあるほどだ」(Auerbach 1996)。真におっしゃる通り。過去5年に亘り、私は信用ならぬ確定性を提示する経済政策分析の横行を繰り返し批判してきた (Manski 2011a, 2011b, 2013, 2014 2015を参照)。別けても合衆国における政府公式の慣行には具体的な論評を加えている。政策アウトカムや経済情勢をズバリ示した予測値・推定値を目にせぬ日は無いが、不確実性の表明は稀である。ところが、裏付けの無い想定や限定的なデータに依拠した、危うい予測値や推定値もしばしば散見されるのである。したがって、どんぴしゃりの予測や推定を試みていても、そうした確定性に信憑性は無いのだ。

現在合衆国は新たな政権の幕開けを迎えようとしている。その政権を牽引する新たな大統領はというと、どうも事実と虚構を区別する能力ないし意思を欠いているようだ。政府の政策分析にこれまで見られてきた信用ならぬ確定性も、この先我々の前に待ち受ける事柄と比べては、あれよあれよという間に小さな問題と化してしまいそうなことが憂いでならない。信用ならぬ確定性の分析であっても、その予測や推定が正しい可能性はあるが、ポストトゥルースワールドにおける分析は、明らかに誤った予測と推定を生み出すのである。

私の懸念を理解して頂く為、先ず現在の慣行に対する私の批判の一部をここで再論しよう。政策アウトカム予測値に検討を加える中で、審議中の法案が孕む連邦債務への含意に関し、議会予算局 [Congressional Budget Office (CBO)] が提出する影響力の有る予測値、所謂『スコア [scores]』に対し注意喚起をしてきた。CBO職員は全身全霊職務に励む公務員であって、連邦法の複雑な変化から来る予算影響を予見することの難しさは十分承知している。ところが合衆国議会はその様なCBOに対し、10年先までの点予測を、不確実性の数値を付さずに立てるよう要請してきたのだった。

経済情勢に係る推定値の検討でも、合衆国経済分析局・労働統計局・国勢局調査局等々の主要連邦統計機関が公表する公式経済統計値の信用ならぬ確定性を確認してきた。こうした機関はGDP成長率・失業率・家計所得などの点推定値を、誤差測定値を併記せずに報告している。機関職員は公式統計値も標本誤差や非標本誤差 [sampling and non-sampling errors] からの悪影響を免れていないことを知悉している。それにもかかわらず、公式統計値の報告に際して、標本誤差測定は時たま、非標本誤差の数量化に至っては全く行わないのが予てからの慣行なのである。

信用ならぬ確定性がこのように常態化した原因の解明に向けた取り組みの過程で、分析者はインセンティブに反応しているのではないかと推理するのが自然だと一経済学者である私は考える様になった。政策画定者や世間の人々の多くが不確実性と向き合うことに抵抗しているので、分析者にも確定性を報告するインセンティブが有る訳である。巷には合衆国大統領リンドン・B.・ジョンソンに自らの予想の不確実性を委細説明しようとした或る経済学者の話が流布している。その経済学者は検討中の数量についてそれが取りそうな値の範囲 [a likely range of values] という形で予測を報告したらしい。それに対するジョンソンの返答は次の様なものだったそうだ: 「牧場 [Ranges] は牛のものだ。数値は1つ、よこしたまえ」

値が取り得る範囲など聞かされたくなかったジョンソン大統領にしても、その経済学者が信憑性ありと考える範囲内にある或る1つの数値、つまり範囲の中心値ならば恐らく聞きたがったと考えて間違いはあるまい。その経済学者もきっとジョンソンの要請をこんな風に解釈し、それに応じたものと予想する。同様に、政府でCBOスコアを弾き出している経済学者たちも一般に、こうしたスコアを以て問題の数量に関する自分達の考えの中心傾向 [central tendency] を表わしているつもりなのだろうと、安心して推理できる。推理を裏付ける経験的証拠は 『予想専門家調査 (Survey of Professional Forecasters)』 で確認できる。これは予想専門家パネルメンバーのGDP成長率およびインフレ率の点推定および確率的予測を開陳したものだが、同データを分析すると、点推定予測値が確率的予測値の平均値ないしメディアン値付近にあるのが通例となっていることが明らかになる。

この先の事を思うと、来るトランプ政権における政策分析実務には不安を抱かざるを得ない。この次期大統領と現実とを繋ぐ関係の希釈性について論じたものは既に相当な数に昇るので、そうした現象の実例をここで私が新たにお見せするには及ぶまい。それに代えて、ルース・マルクス [Ruth Marcus] の明晰かつ恐るべき文章を引用したいと思う。彼女が最近ワシントンポストの定期コラムに執筆した文章は次の様に始まる (Marcus 2016):

 「ではお迎えしましょう – 覚悟を決めて – ポストトゥルース大統領時代です。『事実とは如何ともし難いもの』 とは1770年のジョン・アダムスの言葉。ボストン虐殺事件で訴追された英国兵士を弁護してのことです。『故に、我々の願望が何を求めようと、我々の心証が何処に靡こうと、我々の情熱が何を命じようと、事実と証拠の有り様を改めるには能わぬ』。或いは、私達はそう考えていたのでした – 事実など歯牙にもかけず、確認された事実を突きつけてもものともしない或る男を大統領に選出するまでは」

続いてマルクスは、事実を尊重すべきインセンティブがトランプには無いと論ずる。彼女の言葉を引こう:

「ポストトゥルース時代の慣行 – 事実無根の主張に積み重なる事実無根の主張 – がドナルド・トランプにホワイトハウスへの道を切り開いたのです。トランプが事実無根の放言を重ねるほど、よくぞ臆せずありのままの真実 –  と、彼らが見る所のもの – を告げてくれたと、支援者はその数を増してゆきました」

新政権の政策分析に対する見解が如何なるものになるかついて、2つの点が危惧される。第一に、公式経済統計の公表を可能にしている定期的データ収集だが、これに充てられている資金が新政権において大幅にカットされるのではないかという点。もう1つは、連邦機関の職員を務める分析者、政治的中立性・誠実性に関して高い評価を得ている彼らに対し、発見事項をともかく大統領の見解に合わせて味付けせよとの圧力が掛かって来るのではないか、という点である。首尾一貫とした政策討議は、党利党略的統治環境のためにもう既に困難になっているのだが、基礎的事実さえも炎と金槌とでどうにでも打ち直せるものとホワイトハウスが見做すに至れば、もはや不可能となろう。

潜在的被害の軽減をめざす1つの建設的な道筋としては、連邦政府の外部に十全の情報に基づく実直な政策アウトカム予測値・経済情勢推定値の提供を行い得る研究センターないし統計機関を設立するというのが在るだろう。恐らく連邦準備理事会や合衆国議会はその為に必要となるものの一部を提供できるはずだが、諸般の非政府組織もその一部を担わねばならなくなると予想する。目下合衆国は必要な制度機構を欠いている。英国の 『財政問題研究会 [Institute for Fiscal Studies]』 などが適当な模範となるだろう。

十全の情報に基づく実直な政策分析の提供をどの様に画策するにせよ、不確実性を直視してこそ我々の生きる社会はいっそう優れたものになると、私は今なお信じている。紛糾を極めた政策討議の多くは、自ら確知せざる事柄を虚心に受け止めようとしない我々の態度がその一端だった。既に真実を知悉している、或いは真実など幾らでも操作し得るかの如く振舞うよりも、我々には学ぶべき事柄が依然として数多く存在するのだと認めてこそ、より良い状況が望み得よう。

参考文献

Auerbach, A (1996), “Dynamic Revenue Estimation”, Journal of Economic Perspectives 10: 141-157.

Engelberg, J, C Manski, and J Williams (2009), “Comparing the Point Predictions and Subjective Probability Distributions of Professional Forecasters”, Journal of Business and Economic Statistics 27: 30-41.

Manski, C (2011a), “Policy Analysis with Incredible Certitude”, The Economic Journal 121: F261-F289.

Manski, C (2011b), “Should official forecasts express uncertainty? The case of the CBO”, 22 November.

Manski, C (2013), Public Policy in an Uncertain World: Analysis and Decisions, Cambridge: Harvard University Press.

Manski, C (2014), “Facing up to uncertainty in official economic statistics”, VoxEU.org, 21 May.

Manski, C (2015), “Communicating Uncertainty in Official Economic Statistics: An Appraisal Fifty Years after Morgenstern”, Journal of Economic Literature 53: 631-653.

Marcus, R (2016), “Welcome to the Post-Truth Presidency,” Washington Post, 2 December.

 

チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日)

Charles Calomiris, Marc Flandreau, Luc Laeven,”Political foundations of the lender of last resort“, (VOX, 19 September 2016)


 

グローバル危機は諸般の中央銀行による 『最後の貸し手』 政策がどこまで許されるべきかをめぐって様々な懸念を引き起こした。本稿ではこれら政策が世界中でどのような発展を辿ってきたか、その歴史を繙いてゆく。最後の貸し手もまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである。したがってこうした政策の採用傾向、並んでそこに付与する権限の取捨選択に関し、各国に差が在ったのも驚くには当たらない。

昨今のグローバル危機は、主要中央銀行をして前代未聞の規模での最後の貸し手 (LOLR) オペレーション採用に踏み切らせ、LOLR政策の射程と制約をめぐる議論を巻き起こした (グローバル危機に見られたこの種のオペレーションの俯瞰図としてはBindseil 2014を参照)。例えば、連邦準備制度・欧州中央銀行・イングランド銀行はそれぞれ諸銀行の支援にあたり、諸銀行のポジションを支え、流動性供給を拡大し、預金引出リスクを軽減すべく策定した種々の特別融資・資産買入を行っている。

だが、中央銀行がグローバル危機に際して行った諸銀行へのLOLR支援水準は一様でなく、またこうした支援の構造にしても各国で相異なっていた。興味深いのは、この種の違いがどの時代にも決して珍しいものではなかった点だ (LOLR機能の歴史的展開を早くに論じたものとしてはBordo 1990を参照; LOLR機能を現代的視点から診断したものとしてはBignon et al. 2012)。一つそうした違いの例を挙げると、西ヨーロッパではLOLRとしての活動権限を付与された中央銀行は19世紀までにはごくありふれたものとなっていたのだが、合衆国の中央銀行創設は1913年、カナダでは1935年、オーストラリアでは1959年になって初めて為されたのである。最後の頼りとしての融資のテクニカルな側面も国毎に異なり、その地の情勢や制度から色濃い影響を受けていた。所謂ヘアカットも含み、LOLR貸付の担保ルールは制度や時代の違いによりその姿を極めて顕著に変化させてきた。緊急融資を受ける資格が銀行のみに認められたケースもあれば、影響力を持った英国の例のように、ノンバンクにまで融資が拡大されたケースもあったのである。駄目押しとなるが、LOLR支援が貸付、ないし中央銀行のオペレーションに限定されないケースすらしばしばあった。信用保証・優先株・普通株投資を通した政府支援は、金融システムへの殊更深刻なショックに対応する流れでのLOLR支援に早くは19世紀後半にも観察されている。

最後の貸し手の歴史

我々は最近の論文 (Calomiris et al. 2016) では、LOLRが世界中でどの様な発展を辿ってきたか、その歴史を精査しつつ、政治と経済の相互作用がどの様にして世界中のLOLR構造および活動の多様な進化を生み出すに至ったのか、その経緯を探った。この種の差異は単に、LOLRが反応する経済ファンダメンタルズの違いを反映しているだけなのか、それとも中央銀行のオペレーション枠組みや政府支援を良しとする政治的支援状況の違いをも反映するものなのか?

我々はLOLRを定義し、短期債権請求の殺到を止めるのに必要な流動性ないし財務的健全性の供給を目的とする緊急貸付・保証・(優先株・普通株買入を含む) 資産買入の形を取った、中央銀行ないし政府による金融仲介機関への支援、とした。これら活動のおかげで、金融仲介機関は決済システムを介した取引サービスの供給、および資本市場へのアクセスを持たない借り手に対する信用供与を引き続き継続することが出来る。

我々の歴史的説明が示すのは、最後の貸し手の構造ならびに機能の差異はLOLR創設ならびに効果的なLOLR政策の採用に対する主要な政治障壁を反映したものであって、経済的差異のみでは説明し得ないことである。19世紀初頭の英国はまさにこうしたケースだが、当時イングランド銀行に種々の権限と責任を付与した制度改正は、相次ぐ銀行危機を経ると、侃々諤々、甲論乙駁といった議論の標的となった。続いて合衆国に目を向けると、LOLRの発展は政治的対立の結果先延ばしにされ、1913年に連邦準備制度が創設された時も、その構造および権限は制限立法により雁字搦めにされていた。連邦準備制度Fedの権限はメンバー銀行との、特定資産クラスを担保とする再割引・貸出に狭く限定されていたのである。これと対照的に、イングランド銀行では裁量の余地が広く認められていた。

カナダ・オーストラリアの経験も中央銀行設立過程の辿った独特の顛末をよく描き出しているが、そこには両国独自の政治史が反映されている。カナダにおける古典的自由主義的政治環境にあっては中央銀行も1935年になるまで忌避され続けていたし、1935年のカナダ銀行設立にしてもその背景にあったのは金融目標であって、LOLRの不備に起因する何らかの脆弱性の認識ではなかった。オーストラリアで一通りの権限を付与された中央銀行が創設されるのは1959年を待たねばならない。金と信用に関わる権限の適切な配分をめぐって長引いていた政局の鍔迫り合いが終に終局点に達した年だった。こちらはもっと最近の話になるが、ユーロ圏内部の政治権力配分を反映した諸般の制約が、同じくユーロ圏内部の銀行危機への対処にあたってECBが取り得るLOLR活動を画定・制限するさい重要な役割を果たした事は記憶に新しい。

LOLRもまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである (Calomiris and Haber 2014)。したがってLOLR創設の傾向、並んでそれに付与する権限の取捨選択に関し、各国で差が在ったのも驚くには当たらない。LOLRはそもそも、担保付きでの融資を行うことで、さもなければ恐慌のあいだ自らの資金需要を工面できないような銀行に対し信用供与を行う権限と責務を持った存在として出発したのだった。しかしLOLRの法的権限は時代とともに様々な形で変貌を遂げる。

 

我々はこうした変化を、19世紀後半から20世紀後半に掛けて金融危機に対処すべく中央銀行や政府が採ったアプローチを時代を辿って追跡した。結果、諸般のLOLRの権限範囲に、担保付融資の一本槍から離れ、それ以外にも信用保証・優先株支援・その他メカニズムといった形式での支援も取り入れるアプローチに向かうシフトが確認された。このシフトの一部は、システミックな銀行危機に備えLOLR活動をより広範な介入手法を含むものに拡大する必要が関係したものであると我々は考えている。

LOLRのメカニズムおよび権限範囲は様々な政策ツールを取り入れを進め、これが情勢変化への対応に利用されてきたのだが、1980年代になるまでは、システミック危機を処理するにあたっては政策作成を以て対応しつつ、銀行債務全てを対象とした全面的保護政策についてはこれを避けるといった国が大半だった。LOLR支援が担保付融資以外にも様々なアプローチを取り込みながら進化してきたのは確かだとはいえ、歴史的に見れば支援は専らシステミック危機の処理に限定されていたし、支援供給が為される際にも、我々が 『バジョットの原則』 の名で呼ぶルールが遵守されていた。バジョットの原則はBagehot’s (1873) の論文に由来する: そこで中央銀行は、個別銀行の命運ではなく金融システムの健全性に専心することを推奨されたのだった。金融機関の破綻は、それが抜き差しならぬシステミックリスクと結び付いているのでなければ、許容されたのである。幾つかのシステミック危機事例のさなかには、LOLRも銀行システムの支援という自らの職務に不可欠な一要素として、一定のデフォルトリスクを引き受けることを厭わなかったが、それも飽くまで限られた範囲での話だった – こうした支援から生ずるリスクの大部分は、銀行全体が一体となって負担しなければならなかったのである。諸銀行がリスクシェアリングに関与することで、支援は自ずと選択的になるだろうという趨勢が固まった。

歴史的なLOLRは何か明示的なルールに従うものではなかったが、一般的に言ってその構造はバジョットの原則に忠実なものだったので、支援は財政やモラルハザードの点での負の帰結を最小限に抑えていた。英国やフランスを含む多くの国でのLOLRオペレーション構造は、財政への深刻な影響の予防を明示的に意図したものだったのである。効率的に介入にはLOLRによるリスクテイキングが必然的に伴うが、こうした介入は – 少なくとも事後的に、キャッシュフロー基準で計測する限りは – 結局吉と出て利益を生むのが通例だった、というのも支援は高い対価のもと、しかも飽くまで限られたリスクの下で提供され、流動性供給における中央銀行の独占的地位を存分に利用するものだったからだ。

第二次世界大戦後、とりわけ1970年代になると、寛大なセーフティネット保護制は常態と化し、さらには無制限の預金保護が (少なくとも事後的に) 提供される場合さえあった。無制限保護により預金者の損失リスクは根絶され、一定規模以上の銀行は全て、それが真のシステミックリスクを引き起こす恐れが有るか否かを問わず、破綻を免れることになる。一般的にこの種の保護政策は、預金保険と、納税者からの税収を使った政府によるアドホックな銀行救済 [bail-outs] の組合せを通して実現される。リスキーな銀行を預金引出という懲らしめから保護するやり方は銀行の信用の流れを円滑に保つ。これは選挙を控えた政治家にとっては格別の便益となりうるが、こうした類の保護政策には、リスクテイキングの増加、保護下にある銀行の長期的金融損失のために生ずる財政への巨大な潜在的影響、延いては保護が唆す金融危機による産出量損失、といった形での社会費用も付き纏う。

国家間比較

我々は40ヶ国に亘って1960年時の中央銀行融資に関する法律規定を詳細に比較検討し、その内12ヶ国については1960年から2010年までにLOLR立法が辿った遍歴の追跡も行った。中央銀行の持つLOLR権限の違いを幾つかの側面から計測し、こうした差異の説明として考え得る物は何か考察した。結果、LOLR法制に基づく権限範囲に各国で大きな差異が或ることが確認された。こうした権限は、恐慌への対応を除くと、継時的に見ても然したる変遷を辿っていない。1960年の時点でLOLRが相対的に多くの権限を備えていた国では – とりわけLOLRに債務保証の発行を許可していた国で著しいのだが – 1980年の時点で預金保証範囲の寛大さが相対的に低くなっていた。以上の発見はLOLR活動と預金者保護との間に何らかの代替性の存在を覗わせる。

本歴史分析が明らかにするのは、一般的に言って、LOLRの提供し得る支援タイプの決定に係る政府の手で確立された明確なルール、および支援提供形態を決定するプロセスが久しく欠乏してきたことである。現実には中央銀行および政府による支援は、事が起きてからのアドホックな対応を通して供給されてきた。

ルールが重要なのはそれが市場参加者のインセンティブに影響を与えることでモラルハザードを抑制しうる所からも明らかだ。支援は一定の状況に限って、それも事前に確立されたルールに即して供給されることになると銀行が知悉していれば、その事実は銀行がリスクを管理し、保護の無いリスクから自らを保護するために流動性と自己資本を維持するインセンティブを作り出す。加えて、市場参加者が政府や中央銀行側にシステミックリスクに対処する為のLOLR支援供給を行うコミットメントが有ると認識しているのならば、この支援の期待が市場参加者側の様々な期待に働きかけ、金融システムの安定化に資することも在り得る。

結語

最後に、LOLR機能は深刻なシステミックショックに柔軟かつ時宜を得た形で対応する必要と、支援の限界を画定する事前に確立されたルールを通してモラルハザードを軽減したいという欲求との間でバランスを取るべき旨を述べ、本稿を結びたい。しかしながら、適切なバランスの達成失敗がLOLR設計におけるリアリティの核心を反映していることもまた認めざるを得ない。つまり、LOLRは政治交渉の産物なのである。

原註: 本稿で示された見解は執筆者自身のものであり、これをECBの見解を反映するものと解してはならない。

参考文献

Bagehot, W. [1873] (1962), Lombard Street: A Description of the Money Market, Homewood, IL: Richard D. Irwin.

Bindseil, U. (2014), Monetary Policy Operations and the Financial System, Oxford: Oxford University Press.

Bignon, V., M. Flandreau, and S. Ugolini (2012), “Bagehot for Beginners: The Making of Lender-of-Last-Resort Operations in the Mid-Nineteenth Century.” The Economic History Review, 65, pp. 580–608.

Bordo, M. D., (1990), “The Lender of Last Resort: Alternative Views and Historical Experience,” Economic Review, Federal Reserve Bank of Richmond, January/February, pp. 18-29.

Calomiris, C. W., M. Flandreau, and L. Laeven (2016), “Political Foundations of the Lender of Last Resort: A Global Historical Narrative,” CEPR Discussion Paper No 11448.

Calomiris, C. W., and S. H. Haber (2014), Fragile By Design: The Political Origins of Banking Crises and Scarce Credit, Princeton: Princeton University Press.

 

ヨーク・ペッツォルト, ハンネス・ヴィナー 『脱税と社会環境』 (2016年12月17日)

Jörg Paetzold, Hannes Winner, “Tax evasion and the social environment“, (VOX, 17 December 2016)


 

『グローバル危機』 この方、世界中で数多くの政府が脱税および有害な租税回避に対抗する政策を打ち出してきた。本稿は、オーストリアの通勤者控除に関するデータの活用を通して租税制度および社会環境が法令順守状況に及ぼす作用を調査したものである。本研究の対象となった被雇用者の相当な割合が、より多く補償を受給するため、通勤距離を不正報告していた。また被雇用者はどうやら同僚の不正報告行動から影響されているようであり、脱税行為が波及効果を帯び得る構造を明らかにしている。

脱税と徴税業務に係る問題は近年ますます多くの関心を集めている。とりわけ2008年世界各国の政府が経験した金融危機とそれに続く財政不均衡の後、この傾向は一層顕著になった。こうした状況を受け、不正行為の撲滅をめざす数多くのイニシアティブが国内・国際レベルで着手されている。そうした例としては租税行政活動間の情報交換 (OECD 2014) 或いは多国籍企業の税源侵食と利益移転への対抗措置などが挙げられる (OECD 2013)。同時に、租税研究者の側でも、因果関係を特定するための巨大行政データべースと新戦略という武器で装いを新たにしつつ、脱税の原因と結果に対するより深い知見を提示してきた (その総括的研究はSlemrod 2016を参照)。我々の新しい論文は、個人の法令順守状況の決定因子を第三者報告という枠組み内で研究することで、こうした文献に一貢献をなすものだ (Paetzold and Winner 2016; Kleven et al. 2011も参照)。具体的には、脱税波及効果の存在に着目した。要するに、法令非順守的環境に曝された租税負担者はゴマカシ行為を開始する可能性が高くなる、という訳である。これまでの所、こうした類の脱税波及効果を示す実証データは僅かであり、しかもラボ実験に限られる (例: Fortin et al 2007)。本論文は脱税波及効果が個人の法令順守意思決定に如何なる影響を及ぼすのかについて初めてフィールド実験による実証データを提示するものとなる。

通勤者租税控除による脱税

租税負担者の法令非順守状況を研究するにあたり、我々はオーストリアにおける通勤者控除に着目した。通勤者控除は被雇用者に通勤に掛かる出費分の補償を行うという、租税控除のなかでもポピュラーなものである1。オーストリアの例では住居・職場間の距離で決まる階段関数として設計されており、控除額は通勤距離2-20km・20-40km・40-60km・60km以上の枠で非連続的に増加し、最大額では€3,672となる。租税法では、被雇用者が自らの控除資格を雇用者に通知すると、雇用者側は第三者としてこうした申告の適格性を確証しなければならず、そのうえで源泉徴収前段階 [before withholding] の課税所得に調整を加える段取りとなっている。とはいえ、雇用者はこうした申告を十分にダブルチェックしておらず、被雇用者に自らの控除資格を過大に通知する機会を与えているのが実情だ2

非順守を検知するため、我々は先ず納税申告データと被雇用者-雇用者データを突き合わせ、租税負担者の住居・職場ロケーションを確保した。続いてこれら2ロケーション間の走行距離を (様々なナビゲーション機器で一般に用いられているルートプランナーを利用して) 算出、これを以て実際の走行距離の近似値とした。この実走行距離に基づき、適正と認められる通勤者控除枠を決定した。適正控除枠と申告控除枠の比較により、脱税者が炙り出される。我々は、自らの適正控除枠を過大ないし過小に報告した個人を不正報告者と分類した。通勤者によるシステマティックなゴマカシ行為を検出するため、控除枠の閾値前後における不正報告の非連続性を調べた。諸個人が自らの控除枠資格をシステマティックに過大報告している場合、控除枠の閾値において不正報告の割合に何らかの非連続性が観察されるはずである。対照的に、人々にゴマカシ行為は一切なく、ただ実際の控除資格の推定が不正確なまま報告してしまっているだけなら、閾値周辺でも不正報告には対称的な増減が観察される一方で、非連続性は見られないはずである。図1は通勤距離目盛毎にみた不正報告割合を示している。租税負担者がこうした閾値に強く反応している様子が観察される。通勤者の住居地が各通勤距離枠に近いほど、不正な控除申告の通知をしがちになっている。特に、通勤距離枠最近辺の個人となると、職場までの実際の走行距離を不正に報告している者は60%を超える。さらに重要な点だが、各々の通勤距離枠閾値では不正報告の割合が下落しており、ここから租税負担者が控除制度の構造とそれが孕む過大報告インセンティブを認識している様子が伺われる。

図1. 通勤枠への距離と不正報告行動

原註: 職場への距離毎にみた通勤者の報告行動 (目盛=1.25km)。各目盛につき、不正報告者 (控除枠を過大または過小に報告した通勤者として定義) の割合が縦棒で表示されている。点線は控除額がより大きな金額へと非連続的に上昇する閾値を表わす (それぞれ20km・40km・60km)。1995年から2005人までの被控除者が組み入れられている。

脱税波及効果の検出

通勤者租税控除制度に対する非順守状況の広がりは目に余るほどだが、それでも自らの通勤距離を誠実に報告している個人が依然として相当数存在する点にも注目する価値が有る。我々は潤沢なデータを活用することで、以上の様なゴマカシ行為の差異とも取り組んだ。具体的には、個人の脱税意思決定が身近な領域に居る他の租税負担者の順守行動によってどの様な影響を受けているのかを研究した。そうした脱税波及効果を研究する為、通勤者控除を誇大表示している労働者の割合で異なった複数の雇用者の下を渡り歩く、転職者サンプルに着目した。斯くして我々の識別戦略は、転職事例に見られる差異を活用することで、新たな職場環境が個人の法令順守意思決定に及ぼす波及効果を浮き彫りにするものとなった。

本転職者サンプルの研究結果から、個人の順守意思決定に対し租税負担者の労働環境が及ぼす相当なインパクトが明らかになった。加えて、個人が諸企業を渡り歩く場合には、同僚の中でゴマカシ行為を行う者が占める割合の増減からくる影響に非対称性が観測されている。図2は転職者のゴマカシ行動に関する変化を、ゴマカシ行為を行う同僚の割合に対して点示したもの。特筆に値するのは、ゴマカシ行為者の割合がより大きい企業に移った転職者が、転職後に以前より遥かに多くの過大表示をし始めている点だ。対照的に、ゴマカシ行為者の割合がより小さい企業に移った者は自らの報告行動を変化させない傾向が有る。転職の影響に見られるこの非対称性は、例えば或る企業では被雇用者の通勤者控除申告を徹底的に審査しているが、他の企業ではこれを行っていないからだ、といった、専ら企業レベルの機構的影響のみに依拠した説を退ける。実際のところ、個々の企業が持つ報告行動に対する実体的影響からは、以前の同僚のゴマカシ行為率が現在の行動に及ぼす前述の非対称的影響を説明できそうにない。そうではなく、この非対称性は同僚・仕事仲間からの行動学的波及効果を示唆するものなのだ。

図2. 同僚ゴマカシ行為率の変化に対する非対称な反応

原註: 図は転職前年度から転職後年度におけるゴマカシ行動の変化を、ゴマカシ行為を行っている同僚割合の新旧雇用者での変化に対してプロットしたもの。個人を、ゴマカシ行為を行っている同僚の割合の変化0.05パーセンテージポイントを目盛にグループ分けし (X軸)、続いて平均ゴマカシ行為率の変化を各目盛にプロットした (Y軸)。実線はミクロデータに基づき、観測値0の上下につきそれぞれ別個に推定した最良適合線形回帰を表わす。

結論

オーストリアの通勤者控除事例は、一方に控除額の著しい非連続性あるかと思えば、他方には政府側でその適否を確認するのが非常に難しい控除資格基準もあるといった、杜撰な設計の租税制度が孕む欠陥をはっきりと指し示している。本発見は、租税負担者がそうした類の制度体制に強く反応することを明らかにした。また、今回の実証成果からは第三者による報告が脱税に対する万能薬にはならず、とりわけ雇用者側にこうした申告を正確に記録するインセンティブが無い時には殊更そう言えることが伺われる。最後に、我々は非順守的行動が租税負担者の社会環境によってシステマティックに影響されている様子を明らかにしたが、この発見は徴税戦略とも関連してくる。租税負担者間の脱税行動が因果的に連動しているのなら、租税負担者の一グループにおける非順守を減少させる政策からはその他の社会グループに対する波及効果も望みうるはずなのである。

参考文献

Fortin, B, G Lacroix and M-C Villeval (2007) “Tax evasion and social interactions”, Journal of Public Economics, 91: 2089–2112.

Kleven, H, M Knudsen, C T Kreiner, S Pedersen and E Saez (2011) “Unwilling or unable to cheat? Evidence from a tax audit experiment in Denmark”, Econometrica, 79: 651–692.

OECD (2013) Addressing base erosion and profit shifting, Paris: Organization of Economic Co-operation and Development.

OECD (2014) Standard for automatic exchange of financial account information in tax matters, Paris: Organization of Economic Co-operation and Development.

Paetzold, J and H Winner (2016) “Taking the high road? Compliance with commuter tax allowances and the role of evasion spillovers, Journal of Public Economics, 143: 1–14.

Slemrod, J (2016) “Tax compliance and enforcement: New research and its policy implications”, Ross School of Business, Working Paper No 1302.

原註

[1] 通勤者への税制優遇措置は多くの国でよく見られる租税政策ツールで、一般的労働関連控除の一部をなす場合 (例: フランス・イタリア)、通勤者を対称とする個別的控除 [a single allowance] として設計されている場合 (例: ドイツ・オランダ・デンマーク)、雇用者が負担する非課税給付 [tax-free benefits] の形態を取る場合 (例: 合衆国) もままある。

[2] 税務当局は実走行距離および申告者の適格性をチェックするコンピュータ利用ソフトウェアを導入し、徴税業務を厳格化した。残念ながら、この変化の影響を研究するにはまだ時期早々だった。

 

 

ペリン・アキョル, ジェームズ・キー, カラ・クリシュナ 『マルチプルチョイス方式試験の精度とバイアス』 (2016年8月24日)

Pelin Akyol, James Key, Kala Krishna, “Precision versus bias in multiple choice exams“, (VOX, 24 August 2016)


 

山勘による回答 [guessing answers] はマルチプルチョイス方式試験の有効性を損なう可能性がある。誤答にペナルティが課されるネガティブマーキング方式を採用すれば山勘による回答を抑制できるが、リスク忌避的受験者に対し不利なバイアスを掛けかねない。本稿ではトルコの大学における入学試験データを利用しつつ、ネガティブマーキング方式が試験に対し、とりわけ相対的にリスク忌避的傾向が強いことが知られている女性に不利な形で、バイアスを掛けるものであるかを調べる。リスク忌避度の違いからくる影響は限定的であるらしく、優秀な学生に関しては殊更そうした傾向があるようだ。

試験は、受験者の能力を評価し、労働者に職業を割当て、学生に教育機会を付与しようとする際に数千年来もちいられてきた。よく利用されるのがマルチプルチョイス方式で、この場合受験者は限られた答えの選択肢から1つを選択するだけでよい。この試験方式は、採点の迅速性・精度のために教育者にとって魅力的なものになっている。しかしながら、同方式はテスト受験者が山勘で回答できてしまうという事実のためにしばしば批判を受けている – 正答は理解を示すとは言い切れないのである。こうした事情が在る故に試験の精度は損なわれてしまう – つまり山勘行動が試験スコアにノイズを混入させるので、割当てプロセスの効率性が阻害されてしまうのだ (Baker et al. 2010)。

試験スコアにおけるこうしたノイズの低減をめざすアプローチの1つに、誤答に対するペナルティの設定がある – 学生は問題をスキップすることが許されるが、誤った回答をした場合は、失点となる1,2。これは正解がどれか確信できない学生に山勘回答を敬遠させるもので、とりわけ学生がリスク忌避的であるほどこの傾向は強まる。もし学生がリスク忌避的でなく、しかも無作為な山勘回答が0点となるようなペナルティが設定されている場合、学生は最善の選択肢が分かれば、その選択肢への確信度とは無関係に、山勘で回答しようとするはずだ。しかしながら、リスク忌避性の相対的に高い学生は、その最善の回答に 『十分に確信』 しているときでなければ山勘で回答せず、それ以外のときには問題をスキップするだろう。こうした結果、リスク忌避性が相対的に低い学生の平均スコアはリスク忌避性が相対的に高い学生との比べて高くなる。ネガティブマーキング方式を用いればより正確な能力測定が望めるだろうし (Espinosa and Gardeazabal 2010)、したがって入学者の構成するクラスの能力水準も高まるだろうが、その代償としてリスク忌避度の相対的に高い学生に不利な差別が生ずることになる。そんなネガティブマーキング方式だが、トルコやフィンランドの大学入試をはじめ、また (最近までは) SATでも利用され続けてきた3

リスク忌避とジェンダー

リスクに対する態度がジェンダーによって大きく異なるのなら、つまり女性のほうが相対的にリスク忌避度が高いのなら (Eckel and Grossman 2008)、ネガティブマーキング方式は、事実上、より頻繁に問題をスキップする傾向が有り、したがってスコア期待値ならびに試験突破の確率も低減させてしまう女性に対し不利な形でテストにバイアスを掛けることになる (Pekkarinen 2014, Tannenbaum 2012, Baldiga 2013)。となれば、重要なのは現実世界における精度と公平性の間のトレードオフ問題だ。

我々の最近の論文では、この問題にトルコの大学入学試験 (ÖSS) データを利用してアプローチしている (Akyol et al 2016)。同入学試験は、誤答にペナルティを課し、無作為な山勘回答によるスコア期待値が0点に等しくなるようにされた一大重要試験 [high-stakes exam] である。正答は1点の加算となるが、4つある正しくない回答を選んだ場合、スコアが0.25点分引かれる。リスク忌避が大きな役割を果たすこうした設定が現実生活に多大な影響を及ぼす局面で実際に採用されるのは稀であり、本試験はその貴重な一例となっている。

通常の採点形式では、テスト受験者は単純に正答の可能性が最も高い回答を選択することになる (必要ならば無作為選択も行いつつ)。しかしながらペナルティが課される場合、受験者はそもそも回答するか否かを決定しなくてはならない。そこで次の様なアドバイスが掲示される例もままある: 「SATでは勘に頼った無作為な選択をすべきではありません。しかし、答えの分からない問題があっても選択肢を最低1つ除外できたなら、勘に賭けてみる価値はあります4 」

さて我々は、トルコの大学入試におけるテスト受験行動の推定を試みたのだった (Akyol et al. 2016)。我々の見る所では、先ほどの方針が必ずしも助けにならない状況も数多く存在する。学生が所与の1選択肢を除外できないとしても、それでもその選択肢が正答である確率に関しては否定的な見解をもっているかもしれないのだから。とはいえ、そのテスト受験者にとって一番選びたくない選択肢というのは恐らく存在する – 選択肢の全てが正答らしく見える場合であっても、みな一様の正答らしさを持つわけではない。逆に、或る選択肢がテスト受験者にとって最も正答らしいと思われるとき、つまりペナルティさえ無ければそれを選ぶのに、という選択肢が存在する場合もあるはずだ。仮に最も正答らしく思われる選択肢について、それが正答である確率は30%だと考えられているとしよう。問題の学生はその選択肢を選択すべきだろうか? それともスキップすべきだろうか? そこで我々は閾値といして該当選択肢が正答である確率cを定義した。この閾値を超える所では、学生はその問題の回答を試みることになる。そしてリスク忌避度が高い学生ほどこの閾値も高くなる。テスト目的との関連では、cはリスク選好を把捉するものである。

意思決定のモデル化

我々は学生のテスト受験行動を明示的にモデル化したうえで、このモデルを利用して学生のリスク選好 – 前述の閾値 – の推定を行った。

閾値は、ジェンダーと学生の能力水準の双方に従属させている。最優秀層の学生ならば僅かな失点を極端に気にしてトップ大学への入学率を低減させてしまい、したがってリスク忌避的になる可能性も考えられるが、能力の劣る学生は自らのスコア期待値を確保したところで入学を勝ち取れないかもしれず、したがって恐らくリスク愛好的でもあるだろう。

事前の予想と違わず、女性のほうがリスク忌避度が相対的に高いことが明らかになった。図1は、様々なスコア期待値 (能力) をもつ男性・女性についてcの推定値をプロットしたものだが、そこに示されているように、リスク忌避度はスコアとともに上昇し、また問題回答にあたって要求する確実性については全てのスコアで女性のほうが高くなっている。ジェンダー間の差異は殆どの部分で統計的に有意な値を取っているが、比較的小さい。本データでは選択肢は5つだったので、無作為な山勘が功を成す確率は20%である一方; 高い能力をもった男性は約26%の確信を得なければ問題をスキップするが、高い能力をもった女性は27%の確信を要する、ということになる。

図1 境界値: ジェンダーとテストスコア期待値毎に見た、テスト受験者が問題をスキップする予想正答確率下限

ジェンダーバイアスはどの程度の重要性をもっているのか?

リスク選好が分かったので、本モデルを利用しつつ反実仮想 [counterfactuals] を行い、別の試験形態の下ではアウトカムにどの様な違いが出るのかを検証できるようになった。我々は幾つかの試験形態を検討し、大学への学生割当てに何が生ずるのかを調べた。例えば、ペナルティの撤廃、ペナルティの増加、或いは問題数を増加してみたらどの様な影響が出るのだろうか?

我々はアウトカムをシミュレートしたうえで諸スコアグループの構成、例えばトップ5%のスコア獲得者における男性の割合などを調べた。結果、所与のスコアパーセンタイルグループにおけるジェンダー比率 (男性の割合) への影響は極めて小さな値を取った – リスク忌避の差異がもつアウトカムへの影響は、無視出来る程度だったのだ。図2に見られるように、トップスコアグループにおけるジェンダー比率は大まかに言って、諸般のテスト形式を通し不変である。

図2. 別テスト形式における様々なスコアパーセンタイルで見た男子学生の割合, べースラインモデルとの比較。

一方、ペナルティが確かにテストの精度の上昇に繋がることも明らかになった – トップスコアパーセンタイルにおける学生の能力は、ペナルティを増加するにつれ上昇し、ペナルティを撤廃すると下降するのである。図3にこの点が示されており、成績トップの学生の能力は、高度のペナルティを設定したり問題数を増やしたりした試験によって選別を行う場合に (後者でもテストの精度は僅かに高まるが、費用が非常に嵩む) 高まりを見せる。この様に、ペナルティは入学者の構成するクラスの質の向上につながるのである。実際我々の明らかにしたところでは、ペナルティを0.25点から1点に上昇させるのは、試験の問題数を45から70に増加させるのに匹敵する効果をもつほどなのだ!

図3. 別テスト形式での様々なスコアパーセンタイルで見た学生の社会科学学力, ベースラインモデルとの比較。

リスク忌避の差異が斯くも小さな重要性しかもたないようなのは何故なのか? こうした差異が重要性をもつためには、2つの条件が成立している必要がある。第一に、最善の選択肢が正答である確率が、ちょうど男性・女性のもつcの間に位置すること – つまり、0.26と0.27の間になければならない。こうしてみると、この差異が所与の問題に関して関連性をもってくる確率は、男性・女性の境界値の隔たりが狭いために、比較的小さいことがわかる。これに加えて、仮に各人の信念 [belief] がちょうどこの領域に在ったとしても、テスト受験者のリスク忌避度も取り立てて高いわけではないので、回答する場合の得点期待値は極めて低くなる。基本的に、スキップ行動によって生じた選択の差異は稀なので、それが発生した場合でも、その影響は小さい。こうした事情を直感的に言い表せば次の様になる。レストランで注文するとき、ふつう最善の選択肢は自明であるが、そうでないような時にはどんな選択をしても大差ない、というわけだ!

参考文献

Akyol, S P, J Key and K Krishna (2016) “Hit or miss? Test taking behavior in multiple choice exams”, NBER, Working Paper 22401.

Baker, E L, P E Barton, L Darling-Hammond, E Haertel, H F Ladd, R L Linn, … & L A Shepard (2010) “Problems with the use of student test scores to evaluate teachers”, EPI Briefing Paper# 278, Economic Policy Institute.

Espinosa, M P and J Gardeazabal (2010) “Optimal correction for guessing in multiple-choice tests”, Journal of Mathematical Psychology, 54(5): 4.

Pekkarinen, T (2015) “Gender differences in behaviour under competitive pressure: Evidence on omission patterns in university entrance examinations”, Journal of Economic Behavior & Organization, 115: 94-110.

Baldiga, K (2013) “Gender differences in willingness to guess”, Management Science, 60(2): 434-448.

Eckel, C C and P J Grossman (2008) “Men, women and risk aversion: Experimental evidence”, Handbook of experimental economics results, 1: 1061-107.

原註

[1] 他にも様々なアプローチが在る。例えば、適正スコアリング方針 [proper scoring rule] では、テスト受験者は各選択肢についてそれが正答である確率がどの程度だと考えているかの信念を明示することになる。しかしながら、こうしたアプローチの効果的な実施が困難である場合もままある。

[2] 代わりに、誤答にペナルティを課さず、スキップした場合に得点の一部を付与するというものがある。これは理論上でも実証実験データでもペナルティ賦課と同様の結果がでるように設定できる。 (Espinosa and Gardeazabal 2013)。

[3] 誤答に対するペナルティは2016年5月に撤廃された。更なる情報はこちらを参照。

[4] http://www.math.com/students/kaplan/sat_intro/guess2.htmを参照。

ジェフリー・バトラー, パオラ・ジュリアーノ, ルイジ・グィーゾ 『誰を信ずるか: 私達がいつも誤解する理由』 (2016年11月4日)

Jeffrey Butler, Paola Giuliano, Luigi Guiso,”Whom to trust: Why we persistently get it wrong” (VOX, 04 November 2016)


信頼信念 [trust belief] を常態的に誤り続けた個人が被る経済的帰結の大きさは、大学不進学の帰結に匹敵し得る。本稿は信頼評価が行われるプロセスに光を当てたものである。モラル懸念が大きな役割を果たしていることが実証されたが、こうした懸念が回り回って信頼行動における常態的錯誤の一因となっている可能性がある。

他人の信頼性の評価は、其処彼処で行われる、しかも根源的なプロセスである。もし信頼性の評価が誰かを信頼する行動に直結するのなら、『信頼信念 [trust beliefs]』 形成プロセスの解明は重要な意義をもつ。目下の合衆国大統領選挙は投票権者が候補者の信頼性をどの様に評価しているのかに掛かって来るのだろう。合衆国の投資詐欺師バーニー・メイドフの被害者達を見れば、信頼の誤った割当てから生ずる財政的帰結が如何に深刻なものとなり得るか、今ひとたび思い起こされようものだ。

大半の経済活動において信頼は一つの前提条件をなすとKenneth Arrow (1972) が主張したのはよく知られた所だ。活発かつ層も厚い経済学の研究領域に、信頼とその総計的な経済的帰結の探求にフォーカスを合わせたものがあるが、同領域での研究により国家間の一般的な信頼水準と、GDP成長率にはじまり国家間貿易パターンに至るあらゆる事柄との間に、強い相関関係が存在することが実証されている (Knack and Zak 2001, Knack and Keefer 1996, Guiso et al. 2004, Tabellini 2008, Algan and Cahuc 2010, Guiso et al. 2009)。

信頼がもつ経済的重要性とは裏腹に、私達に他人を信用するよう働きかけている物の正体については、驚くほど僅かにしか知られていない。先行研究によって、金銭的ファクターおよび (『裏切り』 や 『支配』 といった) 非金銭的ファクターが何らかの役割を果たすことが示唆されているが、非金銭的ファクターの内とりわけ重要ないし持続的なものはどれなのかとか、これらファクターが信頼に影響を及ぼすプロセスの精確な所などは、未だ定かではないのだ (Bohnet and Zeckhauser 2004, Cox 2004, Ashraf et al. 2006, Bohnet et al. 2008, Butler and Miller 2015, Bolton et al. 2016)。

さらに、常識的に考えれば信頼を決定付ける因子の一つに信頼信念が在るはずだが、何がこうした信念を形成するのか、またこうした信念に信頼行動との相関性が有るのであれば、それは如何なるものなのかについて知られる所も、なおもって少ない。

信頼および信頼信念に関わるモラル的決定因子

私達の研究はこの隔たりに架橋を試みるものである。所謂 『信頼ゲーム』 を通して得た実験実証テータを利用し、信頼と信頼信念の決定因子に光を当てた。同ゲームでは、一人の人物 (『送り手』) がまた別の一人の人物 (『受け手』) お金を送る。受け手がお金を受け取る場合、その金額は [訳註: 実験施行者の手で、送り手が実際に渡した額よりも] 割り増しにされる。他方、受け手側は送り手に対し、こうして得た金額の全額または一定額を返還するか或いは全く返還しないかの何れかを選択できる。受け手は何ら制約の無いところでこの意思決定を行うので、送り手側の選択は信頼行動と解釈してよいはずである。

こうして得られた結果は、モラル懸念が信頼を生み出す過程、およびその程度を照らし出すものとなった。非金銭的懸念の範囲を明らかにした先行研究を踏襲しつつ、私達はButler et al. (2016a) で、信頼ゲーム実験の文脈において何が 『ズル』 となるかについてゲーム参加者が抱いている主観的、個人的な考えを引き出し、これを同ゲームで観察された彼らの行動と関連付けた。

その結果、モラル懸念のもつ直接的かつ大きな影響が明らかになった。期待される返還額が送り手の信頼行動に関する意思決定に大きな役割を果たしているのは確かだが、ズルされたと感ずる事態に陥る確率もまた信頼行動に有意な影響を及ぼしていることが推定されたのだ。驚くべきことに、個人が相手をどの程度信頼するのかという点にモラル懸念が及ぼす影響は、その大きさで見ると、リスク忌避に匹敵するほどなのである。リスク忌避というのは、この信頼/投資意思決定の決定因子として既に比較的広く認識されてきたものであった。

ズルの概念

こうしてモラル懸念が信頼に関する一つの重要な直接的決定因子である事を実証したのち、我々はさらにモラル懸念が信頼行動に影響を及ぼす可能性のある間接的経路も明らかにした。そうした経路の一つは、送り手の信頼信念を介して作用するもので、つまり自らと一緒にゲームに参加している (匿名の) プレイヤーがズルされたと感じないように、受け手側が配慮していることが判明したのである。何がズルになるのかにコンセンサスは無い – ズルの定義に大きなバラツキがある点も私達は明らかにしている – ので、受け手は、送り手の立場からすれば何が 『ズル』 と見做されるだろうか、推し量ってゆく必要がある。

受け手はどの様に推量するのだろうか? 本実証データからは、これこれの行為は送り手の立場からすればズルと見做されるだろうという受け手側の信念は、受け手自身がどの様にズルを定義しているかに強く相関している様子が伺われる。これは、人は他人も自分と似たようなものだと考えがちであるという 『偽の合意』(Ross et al. 1977) と呼ばれる心理現象とも整合的な傾向だ。

まったく感嘆するほかないが、送り手の方でも、どうやらこうした思考プロセスの先取りをしているらしいことが判明した。送り手自身によるズルの定義と、送り手の考える受け手が返還してくれるだろう額面との間に強い正の相関関係が発見されたのである。

ズルの主観的定義を通して顕になったモラル懸念だが、これが信頼行動に対し直接・間接に強く作用しているとなれば、当然つぎの問いが生ずる: こうした多様な定義は何処にその出自を持つのかだろうか? ズルの概念は両親によって刷り込まれた価値観から影響を受けているのではないか、本研究はそう示唆する。参加者を対象に、自らの成長過程で両親に教え込まれた価値観を尋ねる調査を行ったうえ、こうして得られたリストを以下の2カテゴリに分類した:

  • 向社会的価値観。例えば利他主義や協調性など。
  • 向競争的価値観。他人より優れた人物となるべく力を尽くせ、など。

結果、向競争的価値観がズルの定義の厳格化 – つまり、ズルされたと感じないでいる為に必要となる返還額の上昇 – と結び付いている一方、向社会的価値観のほうはズルの定義を相当緩和ないし低下させていることが判明した。

実験成果の現実世界への示唆

信頼に関するこうした実験成果には何か現実世界に対する示唆が有るのだろうか? 信頼信念が信頼行動を突き動かしているのならば、信頼行動は経済的成功にとって一重大事である。さらに言えば、常態的に誤った信頼信念に固執している人がいるならば、こうした誤った信念から相当な経済的損失が生み出されている可能性がある。

両親から刷り込まれた価値観と、回り回って、信頼信念との関係性は、常態的な錯誤的信念の一つの源泉なのかもしれない。そうした経路の誘導形の一つが、先に挙げた偽の合意なのだろうか。例えば、信頼する価値のある者ほど、他人をその実態以上に信頼できる奴だなと考えているのかもしれない – そして意識下レベルで作用している部分については、偽の合意が様々な信念に及ぼしている歪曲的効果を、実証データを使っても根絶できない可能性がある。

こうした経路の何れとも整合的な点だが、私達は大規模サーベイデータを利用した関連研究を通して、誤った信頼信念と結び付いた個人レベルでの相当な経済的損失を実証している (Butler et al. 2016b)。誤った信頼信念に帰し得る所得損失は、大学不進学と結び付いた所得損失と同規模である [in the same order of magnitude]。この誤った信頼信念と収入損失との関係性は或る信頼ゲーム実験を通し再現されているが、そこでも両親に刷り込まれた価値観、および偽の合意が、信頼信念形成に相当の影響を持つことが確認された。

経済学者はとくに信頼というものが個人レベルでも、また社会全体にとっても重要な現象であると指摘してきた。そうなればやはり、信頼の決定因子をめぐる様々な問いが浮上してくるのも当然と言えよう。誰を、どの程度、信頼するかの意思決定が、部分的には金銭的懸念からバイアスを受けること、しかしモラル懸念が果たす役割も相当大きく、しかも多種多様であること、これらの点を私達は既に学んだ。信頼・信頼信念・刷り込まれた価値観、また偽の合意といった自動的に行われる心理的処理プロセス。こうした要素間の相互作用を扱う研究領域には、まだまだ類稀なる豊饒性を秘められている可能性がある。

参考文献

Algan, Y and P Cahuc (2010) ‘Inherited Trust and Growth’, American Economic Review 100 (5): 2060-92.

Ashraf, N, I Bohnet and N Piankov (2006) ‘Decomposing Trust and Trustworthiness’, Experimental Economics 9(3): 193-208.

Arrow, K (1972) ‘Gifts and Exchanges’, Philosophy and Public Affairs 1: 343-62.

Bohnet, I, F Greig, B Herrmann and R Zeckhauser (2008) ‘Betrayal Aversion: Evidence from Brazil, China, Oman, Switzerland, Turkey, and the United States’, American Economic Review 98: 294-310.

Bohnet, I and R Zeckhauser (2004) ‘Trust, Risk and Betrayal’, Journal of Economic Behaviour & Organization 55: 467-84.

Bolton, GE, C Feldhaus, and A Ockenfels (2016) ‘Social Interaction Promotes Risk Taking in a Stag Hunt Game’, German Economic Review 17: 409-23.

Butler, J, P Giuliano and L Guiso (2016a) ‘Trust and Cheating’, Economic Journal 126: 1703-38.

Butler, J, P Giuliano and L Guiso (2016b) ‘The Right Amount of Trust’, Journal of the European Economic Association 14(5): 1155-80.

Butler, J, P Giuliano and L Guiso (2015) ‘Trust, Values and False Consensus’, International Economic Review 56(3): 889-915

Butler, J and J B Miller (2015) ‘Social Risk and the Dimensionality of Intentions’, unpublished working paper.

Cox, J C (2004) ‘How To Identify Trust and Reciprocity’, Games and Economic Behaviour 46: 260-81.

Guiso, L, P Sapienza and L Zingales (2004) ‘The Role of Social Capital in Financial Development’, American Economic Review 94: 526-56.

Guiso, L, P Sapienza and L Zingales (2009) ‘Cultural Biases in Economic Exchange?’, Quarterly Journal of Economics 124 (3): 1095-1131.

Knack, S and P Keefer (1996) ‘Does Social Capital Have an Economic Payoff? A Cross-Country Investigation’, Quarterly Journal of Economics 112 (4): 1251-88.

Knack, S and P Zak (2001) ‘Trust and Growth’, Economic Journal 111: 295-321.

Ross, L, D Greene and P House (1977) ‘The False Consensus Phenomenon: An Attributional Bias in Self-Perception and Social Perception Processes’, Journal of Experimental Social Psychology 13(3): 279-301.

Tabellini, G (2008b) ‘Institutions and Culture’, Journal of the European Economic Association 6(2-3): 255-94.

ジャック・ブギョン, ヤン・ミシュク 『ギグ・エコノミー神話の解体にむけて』 (2016年11月28日)

Jacques Bughin, Jan Mischke,”Exploding myths about the gig economy“, (VOX, 28 November 2016)


 

『ギグ・エコノミー』 とは、新しいデジタルなプラットフォームであるUberやAirbnbから収入を得ている者も含んだ、独立的労働者層 [independent workforce] をさす。本稿は合衆国・英国・ドイツ・スウェーデン・フランス・スペインからの回答者8千名を対象としたサーベイを活用し、この比較的新しく、また賛否両論有る経済領域にまつわる俗説の解体をめざすものである。既存の統計データがギグ・エコノミーの規模を著しく過小評価している事、独立的労働を行っている者の30%は自ら選んでそうしているのではない事などが明らかになった。

今日 『ギグ・エコノミー』 を話題に挙げれば、まさに百人百様といった反応が返ってくるだろう。懐疑派はそれを大したことのない、担ぎ上げの過ぎた労働者部門と見るが、他方で議論の反対陣営にいる者達は、人々の身過ぎ世過ぎの在り方を一変する可能性を秘めた、巨大で、しかもなお成長を続ける一勢力だと考えている。これらの相反する見解に、公の統計データからの支援は無い。データが古いのが通例で、現在進行中の経済シフトを把捉できていないからだ。さらに不味いことに、信頼できるデータの缺欠から、ギグ・エコノミーが広がる経済不安に対する解決策であるのか、それともその原因なのか、この点をめぐる論争の過熱化が生じている。

公平を期して申し添えると、非従来型労働者層を計測しようにも、これが中々容易でないのだ。UberやAirbnbなどのデジタルプラットフォームは、従来型の稼ぎ手でありながら副業として非従来型の労働に従事している者の存在と相俟って、事態をいよいよ錯綜させている。最近の研究からはこの辺りの事情がよく覗われる。一定のベンチマークを基準とするかぎり、ギグ・エコノミーが労働市場の一角を占める勢力であるのは確かなようだ。例えば、15歳から24歳のヨーロッパ人では、2人に1人がパートタイム又は臨時単位での労働を行っている (European Parliament 2016)。ブルッキングス研究所の或る調査も、過去十年間で独立的労働者の数が明らかに急増している旨を示す実証データを確認している (Brookings 2016)。しかしギグ・エコノミーの重要性を割り引かせるような発見も存る。Resolution Foundationによる近時のレポートでは、季節に起因する差異分を考慮してしまうと、複数職を兼業する労働者の比率にしても、英国では1990年代中頃での5%周辺をピークに、現在では記録的低さに達していることを明らかにしている  (Resolution Foundation 2016)。

McKinsey Global Instituteにおいて、我々はこうしたデータの空隙の補填を試みた。合衆国およびヨーロッパを通して見た独立的労働者層の計測にフォーカスを置き、合衆国・英国・ドイツ・スウェーデン・フランス・スペインからの8千名を超える回答者を対象とした大規模調査を実施した (McKingsey Global Institute 2016)。我々の発見は独立的労働者にまつわる俗説解体の一助となるかもしれない。

先ず第一に、独立的労働者には共通した3つの決定的特徴が有るので、これを認識しておくことが重要である: すなわち独立的労働者は高度の自律性をもち; タスク・任務・売上単位で収入を得; 依頼主ないし顧客との職務関係は短期的である。独立的労働者は労働力の提供、商品の販売、資産の賃貸を行う者達であり、eBayやEtsyといったプラットフォームで活動するセラーや、Airbnbを使って部屋を賃貸する小型貸家主 [micro-landowner]、さらにはフリーランスの医師・弁護士・ウェブデザイナー・ライターなどもここに含まれる。この定義に基づくかぎり、独立的労働者の数は諸政府の統計データが示すところを相当上回ることが分かった。本研究では、労働年齢人口層の20%-30%に独立的労働者として働いた経験が有ると結論付けている。これを合衆国および15のコアEU諸国に外挿すると、その数は優に1億6200万人に昇り、15のコアEU諸国のみでその内の9400万人を占める。政府統計ではこれの半数ほどの頭数になっており、独立的労働者層は合衆国では労働年齢人口層のたった11%、EU-15では14%とされている。この違いは先ずもって、これら非従来型労働者層の半数超がパートタイムで独立的労働に従事しており、また近年ギグ・エコノミーが成長してきたのは確かだとはいえ、依然として本研究における独立的労働者の15%、或いは2400万人ほどの規模を占めるに過ぎないという事実に由来する。この2400万人中、約900万人- 僅かに40%に届かない程度 – は自らの独立的労働にあたって専らデジタルプラットフォームのみを利用しているが、他方で60%超はデジタル・非デジタル手段を相織り交ぜつつ仕事を行っている。

既存の研究 – 例えばオーストリアにフォーカスを合わせた (Huws and Joyce 2016) など – と異なり、我々は人々が独立的労働に従事している理由の解明にも踏み込んでいる。そこでの発見は驚くべきものだった。独立的労働者の大多数である約70%は、専業/副業を問わず、自ら好んで独立的労働に従事しているのであり、従来型の職業が通例提示するところより大きな自律性と柔軟性を選好したのだと答えたのである。さらにこのグループ内の多数派はじっさいにも臨時的副業者 [casual earners] であり、他の収入源を補完するために独立的労働を行っている。臨時的副業者は学生・退職者・介護者などが典型で、彼らは労働をそれ以外の責務や活動と両立させているが、従来型の労働に従事している者の一部もここに含まれ、自らの収入を補完している。またこうした区分は諸大陸を見渡しても比較的安定している。例として合衆国とヨーロッパを対比してみよう (Figure 1)。

図1. 独立的労働者の4区分

デジタル専業独立的労働者対非デジタル独立的労働者での下位サンプルを比較すると、自ら好んで独立的になっている者はデジタル労働者のほうでさらに多くなる (78%) が、本業的収入源として独立的労働に依存する傾向は僅かに弱まる。ギグ・エコノミーはじっさいに自己雇用 [self-employment] を増加させているようだ。

図2. 非デジタル対デジタル専業でみた、独立的稼ぎ手の分布

独立的に労働することを選択した人達は相対的に高い水準の満足度を報告しているが、それは相対的に高い労働柔軟性のみによるものではない。自らの仕事に強く献身している者の数は従来型の定職保持者よりも多く、さらに自分が自分のボスであるという境遇を享受し、典型的な九時五時労働者よりも広い創発性の余地を楽しんでいる者もこちらのほうが多い。全体的に言って、こうした人達は自らの所得水準に対する満足度が相対的に高く、所得保証や給付金などの論点についても従来型労働者と同程度の満足度を報告している。

残念ながら、それでもなお、独立的に働くほか無いが為にそうしている30%の独立的労働者が残る。少数派ではあるとはいえ、独立的労働者層と典型的に結び付けて考えられる傾向が強いのはこちらの労働者のほうである。このグループはさらに2つのカテゴリに分割できる – 独立的労働から本業的収入を得ているが本当は従来型職業のほうを選好している者、そして財政的に行き詰まっており、副業などしたくないのだが収支の帳尻を合わせるためにそれを強いられている者、である。

独立的労働者の特徴の殆どは本研究の対象となったヨーロッパ15ヶ国で共通していることを突き止めたが、それでも幾つか違いも観察された。スケールの此端に位置するのがスウェーデン・米国であり、独立的労働を好んで選択した者が74%、止むを得ずそうしている者が26%。その対端に位置するスペインでは58%が自ら好んで、42%が止むを得ず、とのことだった。独立的労働者の割合が最も高かったのはギリシア・イタリア・ポルトガル・スペインで、所得は相対的に低く、経済成長率も常態的に貧弱である。これら諸国では、労働者層の大体15%から20%が自己雇用、ないし臨時的雇用に従事している。ギリシア・スペイン・ポルトガル・オランダを含む一部ヨーロッパ諸国では、臨時的労働者の四分の三超は非自発的なものである。

本研究による発見は政策画定者や企業そして個人に対しても重大な示唆をもっている。先ず今日となっては、従来型職業に従事する労働者にフォーカスを合わせるばかりでは、政策画定者は最善を尽くしたとは言えないこと。独立的労働者はもはや無視して置くにはあまりに大きな存在となった。続いて、政策画定者には最新、かつ、より包括的なデータの収集を通し、独立的労働者の追跡作業を改善させる必要があること。さらに、政策画定者は従来型雇用を選好している独立的労働者のために雇用機会を拡大させなくてはならないこと。最後に、政策画定者に対し、労働者保護・給付金・所得保証における格差への取り組みを求める圧力はこれから強まってくるだろうこと。

企業においても、従来型被雇用者と独立的労働者の混合編成を効率的に運用する制度および手続きの練り上げを求める競争圧力と直面するだろう。そして技術者の間でも、個人と賃金労働との間を繋ぐ新たな手法を発見すべく、イノベーション競争が始まるはずだ。また個人も適応への圧力に直面するだろう。独立的労働者は非従来型雇用の孕むリスクと困難、とりわけ所得不安定期間を掻い潜りつつ、自己を自ら運営する小事業と見做す思考法を身に着け、継続的改善と技能開発の術を見い出してゆかねばなるまい。

だが経済的利点もおそらく相当在るはずだ。本研究は、変わりつつある労働者層が抱える課題の一部との取り組みを通し、より幸福で、より満足度が高く、しかもより能率的な労働者層を広く社会に生み出しうる力を我々がもっていることを示した。そして、そうした可能性には取り組むだけの価値が有るのだ。

参考文献

Brookings (2016) Tracking the gig economy, October.

European Parliament (2016) Precarious employment in Europe, Part 1: Patterns, trends, and policy strategy, July.

Huws, U and S Joyce (2016) “Crowd Working Survey: Character of Austria’s gig economy revealed for the first time”, University of Hertfordshire and Ipsos MORI, in association with the Foundation for European Progressive Studies, UNI Europa and AK Wien.

The McKinsey Global Institute (2016) Independent Work: Choice, Necessity and the Gig Economy, October.

Resolution Foundation (2016) Double take: Workers with multiple jobs and reforms to National Insurance, November.

ノラ・ルスティック 『アメリカの選挙: 高まる平等の問題でもある』 (2016年11月29日)

Nora Lustig, “Elections in America: It is also about rising equalit” (VOX, 29 November 2016)


 

自分達は置き去りにされているとの感情を抱く人達の斯くも多くが、それでも合衆国選挙ではグローバルエリートの一員たる人物に票を投じたのは、いったい何故なのか? 所得や財産の格差拡大ではなく、寧ろアフリカ系アメリカ人・女性・ゲイコミュニティに対する平等の高まりこそが、大きな不公平感を醸成しているのかもしれない、本稿はそう主張する。よりいっそうの水平的平等 [horizontal equity] を擁護してゆくならば、我々はそれがあらゆる人達から歓迎されている、それが無理なら少なくとも容認されている状況の確保にも努めなくてはならない。

2016年11月のヨーロッパ訪問の中で、オバマ大統領は次の様な発言をしている: 「いま我々が世間に目を向けると、グローバルエリートや財力の有る企業の遵奉するルールはどうも一般とそれとはそもそも全く異なっているらしく見える。税金逃れ、法の抜け穴の悪用 … 正義が蔑ろにされているとの強い感覚を醸成しているのはこれである」(Obama 2016)。

そうすると、こうした不正義の犠牲者達のなかから斯くも多くの者達が、まさにそのような一般と異なるルールを遵奉するグローバルエリートの一員たる人物に票を投じたのは、一体全体、何故なのだろうか? トランプ次期大統領を支持した投票者の大多数を苦境に押し遣っていたのは、合衆国におけるトップ1%が過去数十年間の経済的収穫の大半をまんまと我が物にしてきたからではなく、逆説的なことに、平等の高まりのためだった、などという事は在り得るのだろうか? 強まる不公平と憤りと無力の感覚を醸成しているのは、所得や財産の格差ではなく、寧ろ次の3つの領域にみられる平等の高まりなのかもしれない: すなわち、アフリカ系アメリカ人エリートの躍進・女性の権利の向上・ゲイコミュニティには自らに対する法的に平等な処遇を要求する権利を有するとの認定だ。以上が私の仮説となる1

先ず、幾つかの事実を確認しておこう:

  • 2005-2013年に掛けて、「黒人世帯で最大の成長が見られた所得階層は、20万ドル超の収入を得ている世帯で、138%の成長となっている。これに対して人口全体における成長は74%と対照的だった」(Nielsen 2015)。もちろん、黒人内部での格差も極端なものだ。たとえばPew Researchの或る研究は、黒人世帯の35%は所得が負、ないし正味にしてゼロとなっていることを明らかにしている。しかし他方でNielsenは、黒人の富豪と推定される者の数は1960年代における25人から、今日での3万5千人にまで増加した旨を報告している。またアフリカ系アメリカ人エリートは自ら抱する富豪の数を大きく増やしたばかりでなく、二期に亘って活躍した大統領一名をも世に送り出したのだった。
  • 今や女性は合衆国労働者のほぼ半数を構成する (10月時点で49.9%)。ペプシコ・アーチャーダニエルズミッドランド・WLゴアといった一部の世界最大手企業を経営しているのも女性である。合衆国では女性が大学における学位のほぼ60%を取得している。専門職労働者で多数派を占めるのも彼女達だ (Economist, 2009)。
  • オーバーフェル対ホッジス [Obergefell v. Hodges] で合衆国最高裁判所は、2015年6月26日、右の如く判事した: 「婚姻の権利は個人の自由に内在的な基本的権利であり、従って憲法修正第14条の規定するデュープロセスおよび平等保護条項の下、同性カップルも当該権利ならびに当該自由を剥奪されてはならない」。その結果として、同性婚は全ての州で適法となった。

これら3つの現象が映し出すのは、社会学者が水平的不平等と呼ぶものの凋落である: 水平的不平等とは、性別・人種・民族・信仰・性的指向の別に沿った体系的不遇処置をさす。今日では黒人がエリートに成り、女性が権力を掌握し、ゲイコミュニティが社会的認容を得また実際に認容される、といった可能性もますます高まってきているのだ。

水平的平等の高まりが、経済の変容から置き去りにされた人達や、自らのアイデンティティや価値観の中核がモラルやノルムの暴走的変容によりもはや寛恕し難いまでに脅かされていると認識する人達のあいだに、不幸感や絶望感を醸成している旨を示す兆候は幾つも存在する2。ここではその顕著な例を2つ挙げよう:

  • 1999年から2013年に掛けて見られた高卒以下の中年白人男性および女性の死亡率の上昇が、薬物およびアルコール中毒・自殺・慢性的肝臓疾患・肝硬変に起因していた事実の発覚 (Case and Deaton 2015);
  • 同事実が 「過去数十年に亘り観察されてきた黒人やヒスパニック系民の健康ならびに厚生の漸進的向上、および同グループの間に見られる未来に対する楽観的態度の色濃さと、鋭い対照を為す」(Graham and Pinto 2016) との発見。GrahamとPintoの研究は、貧困な黒人が高度の楽観的態度をもっている傾向は貧困な白人そのそれよりも3倍も高いことを明らかにしている。

さらに、水平的平等の高まりに脅かされているとの感覚を抱いている人達ほど共和党に、特にトランプに票を投ずる傾向が高かった旨を示す実証データも存在する:

  • トランプ支持者がアフリカ系アメリカ人を 『犯罪者』『非知性的』『怠け者』『暴力的』 と形容する傾向は、予備選挙で共和党の競合候補者を推した人達や、民主党候補者のヒラリー・クリントンを支持した人達よりも高かった (Flitter and Kahn 2016)。
  • 女性に敵対的な投票者ほど、トランプを支持する傾向が高かった (Wayne et al. 2016)。
  • 共和党員の三分の二が、但し、民主党員の三分の一も、同性婚に反対している (Pew Research Center 2015)。
  • トランプは婚姻の平等の一貫した反対者である (Human Rights Campaign 2016)。

以上が真実ならば、我々の内で水平的平等の強化を望ましいと考える者は、さらなる進歩が、こんな進歩は何としても食い止めなければならぬとか – もっと不味いことに – 逆転させなければならぬと感じている人達から、よし歓迎されずとも、少なくとも容認はされている状況を確保するために、何らかの活路を見出さねばならない。もし何か1つ政策を選べと言われるのなら、大学を金銭的に誰もの手の届く場所にすることを挙げよう。意見調査の数々、研究に次ぐ研究、その何れにおいても、教育水準が高いほど、人々は合衆国における水平的平等を歓迎するようになっているのだ。

参考文献

Case, A and A Deaton (2015), ‘Rising morbidity and mortality in midlife among white non-hispanic Americans in the 21st century’. Proceedings of the National Academy of Sciences 112 (49) (November): pp. 15078–15083. .

Cowen, T (2016), ‘What the hell is going on?’ Marginal Revolution, 25 May. .

Economist (2009) “Female power”, 30 December.

Flitter, E, and C Kahn (2016), “Exclusive: Trump supporters more likely to view blacks negatively – Reuters/Ipsos poll”, Reuters. .

Graham, C and S Pinto (2016), “Unhappiness in America: Desperation in white towns, resilience and diversity in the cities”, The Brookings Institution. .

Human Rights Campaign (2016), “Donald Trump: Opposes nationwide marriage equality“.

Nielsen (2015), ‘Increasingly Affluent, Educated and Diverse: African-American Consumers’.

Obama, B (2016), “Remarks at Stavros Niarchos Foundation Cultural Center in Athens, Greece”, The White House Office of the Press Secretary.

Pew Research Center (2015), ‘Support for Same-Sex Marriage at Record High, but Key Segments Remain Opposed’.

Supreme Court of the United States (2015). ‘No. 14–556. Obergefell v Hodges’. https://www.supremecourt.gov/opinions/14pdf/14-556_3204.pdf.

Wayne, C, N Valentino, and M Oceno (2016), ‘How sexism drives support for Donald Trump’. Washington Post.

原註

[1] ブログ Marginal Revolution の執筆者であるタイラー・コーエンも以前女性に対する態度との関連で類似の推理を披露している。

[2] アメリカ人の三分の一は、自らの宗教的信念とホモセクシュアリティとの間には多くの衝突点があると感じている。このグループでは、同性婚に対する反対は支持派を2対1以上の差を付けて上回る。

 

ミチェル・ホフマン, ジャンマルコ・レオン, マリア・ロンバルディ 『義務投票・投票率・政府支出: オーストリアからの実証データ』 (2016年10月30日)

Mitchell Hoffman, Gianmarco León, María Lombardi  “Compulsory voting, turnout, and government spending: Evidence from Austria“, (VOX, 30 October 2016)


 

近年、先進民主主義諸国では選挙参加率の低下が続いている。本稿は、義務投票が政府政策に及ぼす影響を検討することで、投票率の増加が公共政策の変化に直結するのか、この点を見極めようという試みである。オーストリアの実証データの活用を通し、義務投票は政府支出に然したる影響を与えるものではないこと、但し、歴史的に投票率が低い国では異なった結果が生ずる可能性があることが分かった。

選挙は民主主義の要である。しかし先進民主主義諸国の選挙参加率は過去50年に亘り着実に減少を続けており (図1)、Brexitレファランダムや最近コロンビアで執り行われた和平合意をめぐるレファレンダムなどの重要な選挙での記録的な低投票率に達した。Lipjart (1997) の示唆する様に、投票に現れない者に対する政府の処遇が不十分なものになってしまうのであれば、下降線を辿る投票率には政治過程に歪を引き起こす恐れが有る。事実、民族的マイノリティ・移民・貧困層はEUや合衆国における不投票者を過剰に代表しているとの由がこれまでに報告されている (例: Timpone 1998, Gallego 2007, Linz et al. 2007)。有権者と実際に投票に現れる者とのいびつな分布図は、配分的帰結にも広範な影響を及ぼしかねない。こうした問題意識が後押しとなり、投票率および選挙民構成の変化が公共政策に如何なる影響を及ぼすかを研究対象とする文献群が政治学および経済学で新たに成長してきた。例えばMiller (2008) は、20世紀初頭の合衆国における女性への参政権付与が、女性から比例逸脱的に選好される公共財である政府保険支出の増加に繋がったことを明らかにしている。同じ様に、より最近の研究でブラジルにおける電子投票システム導入の影響を調べたFujiwara (2015) では、シンプルで直感的に利用できる投票ステーションの導入が、ともかく事実上、文字の読めない投票権者への参政権付与の役割を果たし、これが保険支出の増加ならびに小児死亡率の減少に繋がったことが判明した。

図1 OECD諸国における平均投票率, 1950-2016

原註: 図は国際民主化選挙支援機構 [International Idea] からのデータを活用して著者が作成したもので、1950-2016年の各十年間にOECD諸国で執り行われた全ての任意投票選挙の平均投票率 (登録済み投票者における%で表示) を示している。オーストリア・カナダ・チェコ共和国・デンマーク・エストニア・フィンランド・フランス・ドイツ・ハンガリー・アイスランド・アイルランド・イスラエル・イタリア・日本・オランダ・ニュージーランド・ノルウェイ・ポーランド・スロバキア・スロベニア・スペイン・スウェーデン・スイス・トルコ・英国における議員選挙、およびフランス・韓国・合衆国における大統領選挙が対象である。なお合衆国はこれら諸国中で唯一、義務的有権者登録も自動的有権者登録も採っていない国であり、したがって投票年齢に達した人口層に対する投票者の%を投票率としている。

諸政府は投票率の引き上げに利用し得る様々な政策ツールを保持しており、例えば投票所数を増やす、代理投票ないしは不在者投票 [mail voting] 等々がこれに当たる。選挙参加率の低落に抗してよく用いられる方法に投票の義務化がある。現在のところ、何らかの投票義務を課す法律を持つ国は世界で18ヶ国 (図2を参照)。なお過去50年の間に義務投票 [CV] を執り行った経験のある国だとその数はさらに増加する (International Ideaを参照)。バラク・オバマ大統領すら2015年5月に合衆国における義務投票の導入を提案しており、「もし全ての人が投票すればその影響は革新的と言ってよいものになる。金の力に対抗するのにこれより有効なものはないだろう。全ての人が投票する、それだけでこの国の政治版図は一新する。投票を行わない傾向が有るのは若い人達、所得の低い人達であり、移民層やマイノリティ層にかなり強く偏っている…一部の人がこうした人達を投票から遠ざけようとするのには理由がある」  (CNN 2015) と論じたのだった。

スイス・ブラジル・オーストラリアといった互いに相異なる多様な国々における幾つか研究を通して、不投票に対する罰金がほんの僅かであったり、罰則執行水準が貧弱であっても、選挙参加率は義務投票下で有意に向上することがこれまでに判明している (Funk 2007, De Leon and Rizzi 2014, Fowler 2013)。しかしながら、Miller (2008) やFujiwara (2015) の研究で分析された諸政策と違って、義務投票が故に選挙一般への参加に誘導された投票権者の選好が、任意投票時における平均的投票権者の選好と有意に異なると考えるべき理由はアプリオリには存在しないのである。よって、義務投票を用いた投票率の向上が公共政策の変化に繋がるかどうかは定かでない。新たな論文で我々が取り組んだのはこの問題だ (Hoffman et al. 2016)。

図2  義務投票制をもつ世界の国々

出展: International Idea.

オーストリアにおける義務投票制と政府支出

その他数多くの国々と同じく、オーストリアでも投票への参加には社会経済的格差が見られ、貧しい人は富裕層よりも投票に足を運ばない傾向がある。高い選挙参加率を確保する為、オーストリア9州は第二次世界大戦終結以降、諸般の義務投票関連法律を設けてきた。興味を惹くのは、これら法律が様々に異なる時点で様々に異なるタイプの選挙に関して変転を辿ってきた点だ (図3)。投票棄権の妥当な理由を提示できなかった不投票者に対して罰金を科す責務を負うのは諸々の地方当局だが、実際にそうした罰金賦課を執行することは稀であり、不投票のエクスキューズもかなり広く、例えば病気・仕事上の都合・『その他の已むに已まれぬ事情』 といった程度でも容認してきた。ともかく事実上は、投票を怠ったことに対する懲罰の執行は極めて手緩いものだったのである。義務投票関連法律の在り方は様々な時期・州・選挙タイプ毎にバラツキが有り、おかげでこうした法律が投票率や選挙結果、またいっそう重要な公共政策といった要素に及ぼした影響を研究するには絶好の環境となった。

図3 オーストリアにおける義務投票制、1949-2010

原註: 棒線は、それぞれの州で義務投票による選挙が行われていた時期を示す。

議会選挙・大統領選挙・州選挙に関する行政データを活用し、我々は先ず投票率の比較を行った。義務投票関連法律の有る州・無い州の間、つづいて1949-2010年期間で義務投票関連法律を改変した諸州内部で、それぞれ投票率を比較したところ、義務投票制が投票率をおよそ10%増加させていたことが判明した。さらに、義務投票という制度は無関心層投票権者を投票所に引っ張り出すことで投票率を増加させる可能性があるとの仮説とも整合的な点だが、義務投票制が無効票の占める割合の上昇にも繋がっていたことも分かった。とはいえ、その推定値は極めて小さい。具体的に言うと、義務投票のために投票に動員された者10人につき、無効票1票を投ずる者は僅かに1.5人から3人だ。こうした結果は一連の頑健性チェックを経ても維持された。例えば、因果性の向きは逆方向で、州は投票率の低下に対処するために義務投票制を導入したのではないかといった懸念も在る訳である。本論文は、こうした懸念も本件には当て嵌まらなそうだと示している、つまり過去あるいは未来における義務投票制は現在の投票率と関連性していないのである。加えて、1992年における連邦レベルでの義務投票制廃止に州政府は全く影響力を持たなかったが、同廃止の効果に考察を限定しても、本結果は維持されることも我々は確認している。

1980-2012年の州支出内訳データを活用し、我々は義務投票関連法律が州レベルの支出に及ぼした影響を分析した。面白いことに、州固有ファクター・国家規模の年度固有ファクター・州レベルの支出トレンド分を調整してしまうと、義務投票関連法律の変化は州レベルの支出水準・構成の有意な変化に繋がるものではなかったと判明している。とりわけ、州レベルの支出額にせよ、行政支出・福祉支出・インフラ支出に対するそうした予算の割当比率にせよ、義務投票制の導入・廃止に伴う有意な変化は見られなかったことが本実証結果から明らかになっている。支出カテゴリをさらに細分化した場合であってもこのゼロ効果が持続していること、義務投票関連法律の改変はそれに先立つトレンドによって引き起こされているのではなさそうなこと、さらに州政府の主導によらない義務投票関連法律改変の一事例 (1992年における連邦レベルでの義務投票制廃止事例) を考察した場合でもなお同効果が存続することも、我々は明らかにしている。

義務投票が投票率に相当の影響を及ぼしながらも政策結果には全く影響しなかったのは一体どうしてなのか?

この問いに対する答えを求め、我々は義務投票が国民議会選挙ならびに州選挙の結果に変化を生み出したかどうかを調べた。観察されたゼロ効果の説明としては、義務投票制が故に投票に現れる人達の政治的選択が、平均的に見ると、任意投票制時に投票を行っていた者のそれと類似しており、したがって選挙結果に変化は生じないのだ、という説が在り得る。他には、中位投票者の選好に変化があり選挙結果に影響を及ぼすのであっても、コミットメント問題ないしエージェンシー問題のために政府支出に依然として影響が無いのだという説明も考え得る。これは第一の説と整合的な点だが、議会選挙と州選挙のどちらについても義務投票は右翼・左翼政党の得票率に全く影響を及ぼさないことが分かっている。さらに、政治的供給 [political supply] からの反応も全く無いようである – つまり公職獲得に向け選挙活動を行う政党数にも、勝利政党の付けた得票差やその得票率にも変化は無いのだ。

本論文の最後で、我々は以上の結果の背景に在るメカニズムにも光を当てている。1986年度および2003年度オーストリア社会調査 [Austrian Social Survey] からの個人レベルデータを活用しつつ、義務投票関連法律と投票者特徴の相互関係に注目することで、義務投票導入のために選挙民の構成がどの様に変化したかを調査した。(この2つの調査年度の間に位置する) 1992年に3つの州で見られた議会選挙における義務投票制の廃止事例を利用し、我々は義務投票が女性と低所得層の間で比較的大きな影響を持ったことを示す実証データを確認した。影響は政治への関心が薄い層、支持政党の無い層、情報量が相対的に不足している層 (これは新聞購読の習慣で代理した) でも比較的大きいようである。こうした結果は示唆的ではあるが、義務投票制の導入ないし廃止のために投票したり投票棄権したりする者は政策や政党に関して強い選好を持っておらず (平均的に言って)、したがって選挙結果に然したる影響をもたない或いは全く持たないとの説とも整合的である。付け加えれば、こうした投票権者の支援政党決定が政策に無反応であるなら、政党側にもこの様な投票権者の選好に合った政策を形成するインセンティブは無いかもしれない。

示唆

本結果は、義務投票という制度で投票率が向上するとしても、政府支出にまで有意な影響が出るとは限らないことを示す実証データを提供するものとなった。勿論、こうした結果はオーストリア固有のものである。とはいえ我々はこの結果は高い投票率を持つその他の先進民主主義諸国、例えばドイツやスカンディナビア諸国などにもかなり関連していると考えている。ただ、合衆国をはじめとする投票率の低いその他諸国に対してこの結果がどの様に外挿 [extrapolate] されるかとなると、こちらはそれほど明白とは言えない。

参考文型

CNN (2015), “Obama: Maybe it’s time for mandatory voting”, 19 March.

De Leon, F L L, and R Rizzi (2014), “A Test Tor the Rational Ignorance Hypothesis: Evidence from a Natural Experiment in Brazil”, American Economic Journal: Economic Policy 6 (4), 380-398.

Fowler, A (2013), “Electoral and Policy Consequences of Voter Turnout: Evidence from Compulsory Voting in Australia”, Quarterly Journal of Political Science 8 (2), 159-182.

Fujiwara, T (2015), “Voting Technology, Political Responsiveness, and Infant Health: Evidence from Brazil”, Econometrica 83 (2), 423-464.

Funk, P (2007), “Is There an Expressive Function of Law? An Empirical Analysis of Voting Laws with Symbolic Fines”, American Law and Economics Review 9 (1), 135-159.

Gallego, A (2007), “Unequal Political Participation in Europe”, International Journal of Sociology 37 (4), 10-25.

Hodler, R, S Luechinger, and A Stutzer (2015), “The Effects of Voting Costs on the Democratic Process and Public Finances”, American Economic Journal: Economic Policy 7 (1), 141-171.

Hoffman, M, G León, and M Lombardi (2016), “Compulsory voting, turnout, and government spending: Evidence from Austria”, Forthcoming, Journal of Public Economics. Barcelona GSE Working Paper 809.

Lijphart, A (1997),”Unequal Participation: Democracy’s Unresolved Dilemma”, American Political Science Review 91 (1), 1-14.

Linz, J, A Stepan, and Y Yadav (2007), Democracy and Diversity: India and the American Experience, 50-106.

Miller, G (2008), “Women’s Suffrage, Political Responsiveness, and Child Survival in American History”, Quarterly Journal of Economics 123 (3), 1287.

Timpone, R J (1998), “Structure, Behavior, and Voter Turnout in the United States”, American Political Science Review 92 (1), 145-158.