[▲写真]吹き矢筒の使い方を実演するヤグア族(ヤフア族)の男性.ペルーのイキトス市近くのアマゾナス川の中州のひとつにて.( JialiangGao www.peace-on-earth.org)
AEON: 今日になっても,原始共産制を歴史的事実のように扱っている著述家・学者は多い.影響力のある一例を挙げると,「財産権は農業とともに共進化した」という話を経済学者 Samuel Bowles & Jung-Kyoo Choi は20年ずっと語り続けている.彼らにとって,「私的財産は農業が始まる前から存在していたのか」という問いはそれほど問題になっていない.それよりも,「どうして私的財産が農業が始まった時代に登場したのか」という理由の方を、彼らは問題にしている.2017年に,The Atlantic 誌の記事は彼らの研究をとりあげて,さらりとこんなことを言い切っている:「人類史の大半にわたって,私的財産などというものはなかった.」 人類学の代表的な教科書では,研究者たちの共通見解として,こう書かれている:「私的財産の概念は,およそ,時代と地域を選ばない普遍的なものからほど遠く,社会的な格差のある複雑な社会にしか現れない傾向がある.」
実際には,なるほど各地の部族のなかには食料を(いくらか)集落内で共有する人々もいるものの,大半はそうしない.これまでに研究されてきた狩猟採集生活を営む人々にとって,私的財産は未知のものであるどころか,ふつうのものだ.Manvir Singh は,Aeon 記事の文章をこう続けている:
フィリピンの先住民族アイタの狩人たちは,農民たちとの交易のために肉をとっておく.中央アフリカで他から隔絶した暮らしを営んでいるエフェの狩人が手に入れた肉は,「どう分配するかすべて本人に委ねられる.」 アチェと関係の近い言語を話すアマゾンのシリオノ族では,貯蔵食糧について各人ができることはほとんどなく,「できるのは自分で探してくること」しかない.アチェの人々による共有は,原始共産制の実物かもしれない.だが,「おそらくアチェは極端な事例だろう」と Hill は認めている.
(…)だが,〔原始共産制の存在を支持する人たちにとって〕それよりもっと厄介なのは,もっと単純かつ素っ気ない事実だ.あらゆる狩猟採集者たちは,私的財産をもっていた.アチェの人々ですらだ.(…)アチェの個々人は,弓矢・斧・調理道具を所有していた.女性たちは,自分が採集した果物を所有していた.肉ですら,手渡されたあとは私的財産になった.Hill はこう説明している:「かりに私がアルマジロの脚を[シダの葉の]上において,森で用を足しに1分ほどその場を離れて戻ってきてみたら,誰かが肉を持っていっていたとしたら? そう,それは盗みだ.」
原始共産制を主張する人たちのなかには,「なるほど採集者たちは細々としたモノは所有していたかもしれない」と認めつつ,それでも,自然の資源は所有していなかったのだと主張する人たちもいる.だが,これも間違いだ.ショショーニ族〔アメリカインディアンの部族〕は,家族で鷲の巣を所有していた.ベアレイク・アサバスカ族の人々は,ビーバーの巣や釣り場を所有していた.とくに広く共通して見られるのは,木々の所有だ.アンダマン諸島の男性がカヌーの材料に適した木を見つけたとき,彼はこれを仲間たちに伝えている.それ以後,その木は彼ひとりのものになった.同様の規則は,アラスカのデグ・ヒタンにも,グレートベースンの北部パイユートにも,乾燥したパラグアイ平野のイーンルヒットにも見られる.それどころか,ある経済学者の推定によれば,狩猟採集社会の 70パーセント以上で,土地または木々の私的所有権が認められていたという.
さらに,一部の狩猟採集社会の人々が日々営んでいた共有は,倫理的なものではなく機能的なものだった.
それをどう呼称するにせよ,アチェで Hill が観察した共有の経済は,失われたエデンの園の善良さを反映したものではない.そうではなく,共有の経済が生まれる源は,もっと単純だ:すなわち,相互依存だ.アチェの家族は,生き延びるためにお互いを頼っていた.「今日はキミらと分け合っておくから,来週はそちらがウチと分け合ってくれよな.あるいは,具合が悪くなったときや,妊娠したときに分け合ってくれよ.」
その機能がなくなれば,共有も消え去った.それも,おうおうにして乱暴なかたちで:
Hill と人類学者 Ana Magdalena Hurtado の共著『アチェ生活史』(Aché Life History, 1996) では,殺されたり見捨てられたり生き埋めにされたアチェの多くの人々が列挙されている:未亡人,病人,盲目の女性,早産すぎた嬰児,手が麻痺した少年,「容姿がおかしい」子供,痔の患いが重い少女といった人々だ.こうした都合しだいの処置は,あらゆる社会的な相互行為に登場する.だが,ギリギリの生存のふちで暮らす狩猟採集民にとって,これは切実なことだった.彼らにとって協力は不可欠であり,無駄な労力を割けば生死にかかわりうるからだ.
Demsetz や Barzel の所有権理論の伝統になじみがある人なら,こうしたことはどれも意外ではないはずだ.狩猟採集民の原始共産制の原理は,スターバックスの wi-fi 利用の原始共産制となんら変わらない.現代の警察や消防,シェイクスピアの著作の利用に働いているのと同じ原理だ.Barzel が述べるように,「新しい経済の要因が現れ,これによって権利の価値が高まるとき,それに反応して新しい権利がつくりだされる.」 このように,いろんな人間の集団のあいだに,大きなちがいはない.ちがうのは,取り引き費用・外部性・〔資源を使っていい人・ダメな人をわける〕包摂と排除の技術だけだ.