経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

スコット・サムナー「人種差別の真実」(2020年7月25日)

[Scott Sumner, “The truth of racism,” TheMoneyIllusion, July 25, 2020]

人種差別の真実を解説する前に,真実の真実を解説しておく必要がある.たまにこんなことを言う人たちがいる――「あいつは人種差別で非難されてるけど,あいつはホントに人種差別者なのかな?」 この言葉遣いはややこしい.そこで,まずはなにを問題にしてるのか整理しておこう.

人によって,真だと考える言明はさまざまに異なるし,真だと考える自信の度合いもさまざまに異なる.ドラッグを法規制すべきだという言明をぼくは真だと思ってる.CO2 が地球を温暖化しているという言明を大半の専門家は真だと思ってる.2 + 2 = 4 をあらゆる専門家が真だと思ってる.

どんな人間でも,どこか他の集団に人種差別者だと思われるものだ.「逆差別」(格差是正策)を支持すれば,どこかの保守主義者に人種差別者だと思われる.格差是正策に反対すれば,どこかの左翼に人種差別者だと思われる.誰にも人種差別者だと思われない生活を送ろうなんて望まないことだ.だって,不可能なんだから.

それに,「Xは人種差別者だと思われているけれど,Xは人種差別者じゃないよ」なんて言っても助けにならない.ようするにこれが言ってるのは,どこかの集団が誰かを人種差別者だと思ってるけど自分はそう思わないってだけだ.だったら,そう言えばいいんだよ.

60年代風リベラルの多くが「人種差別にあらず」に分類するだろう見解をぼくは信じている:

#1. 肌の色を考慮しない社会が最善だ.

#2. ある人種が他の人種よりも生得的にすぐれているということはない.

#3. アメリカには構造的人種差別があり,ドラッグに関わる各種法律,業務独占資格の各種法律,建築規制,教育制度,ジム・クロー法と奴隷制の遺産,などがこの構造的人種差別に関連している.

#4. 言論の自由はとても重要だ.

他方で,多くの「覚醒」系の〔差別問題の意識が高い〕若者たちから見れば「人種差別」のラベルが貼られそうな見解も,ぼくは信じている:

#1. ぼくは,あらゆるアイデンティティ政治(右派・左派ともに)に反対している.

#2. ぼくは,あらゆるアイデンティティ認識論に反対している.

#3. ぼくは,文化の盗用を強く支持している.

#4. ぼくは,抑圧された少数派の人たちが個人としての主体性(i.e. 尊厳)を備えているかのように扱う.

#5. 民族集団間で所得格差があることそれ自体が人種差別の証明になるとは考えない.

というわけで,ぼくをわざわざ指弾したり追放したりする必要はない.とっくになにもかも是認済みだ.60年代風リベラルも穏健派も保守派もぼくを人種差別者ではないと思うだろうことも是認してるし,同じ彼らがぼくを人種差別者だと思うだろうことも是認してる.ぼくの人種差別についてさらに語るべき「真実」はない.

ただ,こういういろんな視点をどう考えるべきかについては,さらに言うべきことがある.他人に人種差別者呼ばわりされたときに,それを懸念すべきだろうか? 自分じしんについて言うと,差別問題以外の点で大いに尊敬している人たちに,ぼくの行動のしかじかの部分がよくないと指摘されると,気にする.

ぼくが尊敬してるブロガーたちに,ぼくの見解が人種差別的だと警告されたら,すごく気にする.John McWhorter, Glenn Loury, Thomas Chatterton Williams, Kmele Foster, Coleman Hughes, Thomas Sowell といった黒人の知識人たちがぼくのことを人種差別的だと考えたら,大いに気にする(ちなみに前述の人たちは左派・穏健派・右派にまたがっている).

でも,ツイッター論壇を見渡してみると,そこで目に入るのは,愚昧・不誠実・独善・残忍・ユーモア欠乏が組み合わさった極論の集団だ.そうした集団がこのブログを読んだとして(なんでわざわざ読もうとするかはさておき),その人たちに人種差別者呼ばわりされても,ぼくにできるのは,せいぜいこうお返事することだけだ――「そうだね,そちらの基準だとぼくは人種差別者だね.でも,ぼくはキミのことを尊敬してるわけでもなし,価値観はそちらのとちがうしね.」 白人ナショナリストに「マヌケ」呼ばわりされても,やっぱり同じ返答になる.

覚醒系のツイッター論壇と反人種差別の関係は,ちょうど,マッカーシズムと反共産主義の関係や,紅衛兵と反資本主義の関係と同じようなものだ――狂信者たちがもっぱら自陣営を攻撃して,自分たちの利益を損なっている.

ごらんのとおり,ぼくは追放(キャンセル)されるのを恐れずに暮らしてる.ぼくに関するかぎり,自分から左派アイデンティティ派の目の前で自分を追放(キャンセル)してみせてあげた.先方がわざわざ追放してくれるまでもない.

たしかに,広い世間から基本的に隔絶した生活をしてるぼくだから簡単にできることではある.David Shor や Andwer Sullivan や Matt Yglesias のような人たちは,ぼくらの知的文化に深く巻き込まれた生活を送っているから,最近の時流を泳ぎ渡るのはもっと大変だろう.こういう現実の人間のもろもろのややこしい事情について,純朴に考えてるわけじゃないけど,ぼくはのんきにやってる.

なんなら,それは孤立という特権だと言ってくれていい.

追記.シュトラウス的な裏読みをすると,今回の文章の話題は人種ではまったくない.これは,リチャード・ローティの擁護だ.


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください