スコット・サムナー 「貨幣と生産 ~椅子取りゲームモデル~」(2013年4月6日)/「椅子取りゲームモデル再訪」(2014年2月4日)

●Scott Sumner, “Money and output (The musical chairs model)”(TheMoneyIllusion, April 6, 2013)


これまでの一連のエントリーでは、金融政策が長期的に物価にどのようなインパクトを及ぼすのかについて説明してきた。その際に依拠した基本的なアプローチにあえて名前を付けると、「ホットポテトモデル」(“hot potato model”)と呼ぶことができるだろう。その内容を簡単に説明すると、次のようになる。市井(しせい)の人々は、利子を生まない貨幣を一定量だけ需要する(手元に保有しておこうとする)。Fedが民間の貨幣需要を上回る量のベースマネーを供給すると、人々は欲する以上の現金を手にするかたちになるため、その余分な現金残高 [1] 訳注;ホットポテト。をいち早く処分しようと試みる [2] 訳注;何か他の金融資産を購入するか、財を購入(消費)するかする。 。しかし、個人のレベルで見ると余分な現金残高を処分することは可能だが、社会全体のレベルではそうすることはできない [3] 訳注;誰かが現金を手放しても、他の誰かがその現金を手にすることになる。現金の持ち主が変わるだけで、現金は社会の外には出ていかない。。このパラドックスは、人々が余分な現金残高を処分しようと試みる過程で物価が上昇することによって解決される。つまり、人々が余分な現金残高をそのまま手元に保有しておこうと望むところまで、物価が上昇するのである。

残念ながら、現実の世界では、賃金や価格は緩(ゆる)やかにしか変わらない。その結果として、貨幣がもたらす短期的なインパクトは、長期的なそれと比べて、ずっと複雑な様相を呈することになる。次回のエントリーでは、貨幣が資産価格に及ぼす短期的なインパクトについて取り上げる予定だ。今回は、貨幣が産出量(実質GDP)に及ぼす短期的なインパクトについて取り上げる。

これまでのエントリーでは、物価水準がどのように決定されるかを以下の式に依拠して問題にしてきた。

P = Ms/(Md/P) [4] 訳注;Pは物価水準、Msは貨幣(ベースマネー)の供給量、Mdは貨幣(ベースマネー)の需要量。

ここからは、物価ではなく、名目GDPがどのように決定されるかに焦点を合わせるとしよう。名目GDPは、以下の式を通じて決定されることになる。

P×Y = Ms/k [5] 訳注;Yは実質GDP、kは「マーシャルのk」(所得に対してどのくらいの割合だけ貨幣を保有(需要)するかを表わす変数。

kというのは、人々が名目所得のうちどのくらいの割合だけ貨幣(ベースマネー)を保有しようと望んでいるかを表す変数である(k=1/V [6] 訳注;kというのは「マーシャルのk」で、貨幣の流通速度(V)の逆数。 )。これまでと同様に、準備預金には金利が付かないとの前提で議論を進めるとしよう。上の式によると、kが一定の値をとるようなら、ベースマネーが増えるのに伴って、名目GDP(P×Y)も上昇することになる。M(ベースマネー)の一回限りの変化は、おそらくkに対して少なくとも長期的には何のインパクトも及ぼさないだろう。

時間あたりの名目賃金は粘着的 [7] 訳注;粘着的=変わりにくい、という意味。なので [8] 訳注;名目賃金が粘着的だと、以下の図にあるように、AS曲線は右上がりの形状を持つことになる。、金融引き締め(Mの減少)によって名目GDPが低下すると、産出量(実質GDP)と雇用量(あるいは、労働時間)が縮小することになろう。

上の図の総需要曲線(AD曲線)は、「名目支出」(“nominal expenditure”)曲線と名付けるのが適当かもしれない。というのも、上の図の所与のAD曲線上のどの点も同じ額の名目GDP(名目支出)を表しているからである(それゆえ、直角双曲線となる)。

上の図にあるように、金融引き締めは、名目GDPを減少させる [9] 訳注;AD曲線を左方にシフトさせる。。そして、名目GDPが減少すると、産出量と雇用量が縮小することになる。この図では、貨幣の短期的な非中立性が跡付けられている。すなわち、Mの変化は、物価だけではなく、産出量も変化させるわけである――ちなみに、次回のエントリーでは、Mの変化がk(あるいは、貨幣の流通速度)に及ぼす短期的なインパクトについて話題にする予定だ――。名目GDPが変化するのに伴って、物価(P)と産出量(Y)がそれぞれどのくらい変化するかは、短期総供給(SRAS)曲線の傾きによって決定されることになる [10] … Continue reading。短期総供給曲線の傾きはどのようにして決まってくるかというと、賃金や価格の粘着性の程度に依存することになる。

賃金や価格の調整が完了する長期においては、雇用量(あるいは、労働時間)も産出量も自然水準(自然失業率および自然産出量)に落ち着くことになる・・・というのは、現実をいくらか単純化しているのは言うまでもない(どのマクロ経済モデルも例外なく、現実をいくらか単純化しているものだ)。例えば、不況の最中に設備投資が先延ばしされ、労働者が仕事から離れている期間が長引くようだと、産出量の落ち込みは一時的なものにとどまらないかもしれない(すなわち、自然産出量が低下することになるかもしれない)。しかし、そのような尾を引く効果は、比較的軽微で済むかもしれない。例えば、(1930年代の)大恐慌の後には、力強い回復が待っていたのである。

労働者が「貨幣錯覚」(“money illusion”)を抱く――つまりは、労働者が名目賃金の変化と実質賃金の変化を混同する――場合には、別の非中立性が成り立つ可能性がある。貨幣錯覚が存在するようなら、名目賃金の変化率を変数とする正規分布は、ゼロ%のところで非連続的になる。つまり、労働者は、名目賃金のカットを不合理にも受け入れたがらないのである。それゆえ、貨幣錯覚が存在すると、1人あたりの名目GDPの成長率が極めて低いトレンドを辿る場合に、自然失業率が高まってしまうおそれがある。

(ところで、労働者が名目賃金のカットを受け入れたがらないのを「不合理」と表現するたびに、「労働者が名目賃金のカットを嫌うのは不合理じゃない。というのも、名目額で固定された債務を返済する必要があるからだ」という突っ込みがあちこちから入るものだ。残念ながら、その突っ込みは妥当だとは言えない。家計の出費が債務の返済だけで占められているならまだしも、事実はそうではないからだ。)

こういった特殊な要因をひとまず脇に置いておくと、これまでにアメリカで生じた景気循環の大半は、かなり単純な現象であると言える。というのも、大抵は次のようなパターンを辿っているからだ。過度の金融引き締めが生じて、名目GDPの成長率が鈍化する(もっと詳しく言うと、労働契約が結ばれた時に予想されていたよりも名目GDPの成長率が低くなる)。時間あたりの名目賃金(の伸び率)の調整は極めて緩慢なので、名目GDPの成長率が急落すると、W/NGDP(名目賃金÷名目GDP)が上昇し、それに伴い、雇用量(あるいは、労働時間)と生産量が縮小する。労働市場での調整が完了する――失業率が自然失業率に戻る――までには、時に長い年月を要する。

不況を「椅子取りゲーム」になぞらえることができるかもしれない。音楽が止まる。椅子に座れれなかった者は、床に座る。椅子の数が減らされる。ゲームが進行するうちに、(椅子に座れずに)床に座っている人の数が増えていく。(名目)賃金が粘着的な中で名目GDPの成長率が鈍化するというのは、椅子の数が減らされるようなものだ。現行の名目賃金の水準で完全雇用を維持するために必要となる「椅子」――名目総所得(国民総所得)――が十分な数だけ用意されないようだと、「床に座る」――失業する――のを余儀なくされる労働者が出てきてしまうのだ。

景気循環の過程では、金利だとかといった変数も変動するが、失業に対して決定的に重要なインパクトを及ぼす変数は限られている。失業に対して決定的に重要なインパクトを及ぼす変数というのは、「名目GDPの成長率」と「時間あたりの名目賃金の伸び率」の二つなのだ。

(追記その1)Mark Sadowskiが W/[NGDP/(pop)](名目賃金÷1人あたり名目GDP)と失業率の推移を跡付けたグラフを送ってきてくれた(青い線は「名目賃金÷1人あたり名目GDP」の推移を表しており、赤い線は「失業率」の推移を表わしている)。

(追記その2)上のグラフでは2012年まで辿られているが、2018年まで辿ったのが以下のグラフだ。

貨幣経済学の超入門シリーズも次回のエントリーで最後だ。最後のエントリーでは、貨幣が資産価格に及ぼすインパクトについて取り上げる予定だ。将来的には、貨幣経済学の入門講座のオンライン版も用意してみようかなと思っている。

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●Scott Sumner, “The musical chairs model, updated”(TheMoneyIllusion, February 4, 2014)


「椅子取りゲーム」モデルを取り上げてから半年が過ぎようしているが 、この間にモデルが現実をどれだけうまく説明できているかを確認してみるとしよう(青い線は「名目賃金÷1人あたり名目GDP」の推移を表しており、赤い線は「失業率」の推移を表わしている)。

「椅子取りゲーム」モデルの当てはまりは、さらによくなっているように思える。「実質賃金」(時間あたりの平均名目賃金÷1人あたり名目GDP)が失業率よりも1~2か月ほど先行して動いているように見えるが、その理由の一部は、グラフが正確に作成されていないせいだろう。上のグラフでは、2013年第4四半期の「時間あたりの平均名目賃金÷1人あたり名目GDP」のデータが2013年の10月時点にプロットされている。本来であれば、(2013年の)11月時点にプロットすべきところだ。青い線を1カ月分だけ右にシフトさせれば、「名目賃金÷1人あたり名目GDP」と「失業率」との相関はさらに高まることだろう。

「椅子取りゲーム」モデルは、景気後退がいつはじまったかだけではなく、景気後退の厳しさや景気回復の鈍(のろ)さも見事に説明できている。「実質賃金」を表わす青い線が(左の縦軸で)350あたりの水準にまで低下すれば、景気後退も終わりを迎えて、失業率(赤い線)が5~5.5%の範囲に収まることになろう。

「(M×V) [11] 訳注;Mは貨幣量、Vは貨幣の流通速度。M×Vは名目支出を表わしている。の上昇+粘着賃金=景気回復」 [12] 訳注;「(M×V)の上昇+粘着賃金」を言い換えると、「名目賃金÷1人あたり名目GDP」(「実質賃金」)の低下を意味することになる。。何ともシンプルな方程式だが、これまでも常時この通りシンプルだったのだ。

(追記)Yichuan WangがQuartzに寄稿しているこちらの論説で、Fedがバブル潰しに乗り出すことがいかに馬鹿げているかが非常に巧みに説明されている。

References

References
1 訳注;ホットポテト。
2 訳注;何か他の金融資産を購入するか、財を購入(消費)するかする。
3 訳注;誰かが現金を手放しても、他の誰かがその現金を手にすることになる。現金の持ち主が変わるだけで、現金は社会の外には出ていかない。
4 訳注;Pは物価水準、Msは貨幣(ベースマネー)の供給量、Mdは貨幣(ベースマネー)の需要量。
5 訳注;Yは実質GDP、kは「マーシャルのk」(所得に対してどのくらいの割合だけ貨幣を保有(需要)するかを表わす変数。
6 訳注;kというのは「マーシャルのk」で、貨幣の流通速度(V)の逆数。
7 訳注;粘着的=変わりにくい、という意味。
8 訳注;名目賃金が粘着的だと、以下の図にあるように、AS曲線は右上がりの形状を持つことになる。
9 訳注;AD曲線を左方にシフトさせる。
10 訳注;短期総供給曲線の傾きが急であるほど(垂直に近いほど)、名目GDPの変化の多くは物価の変化として表れ、短期総供給曲線の傾きが緩やかであるほど(フラットであるほど)、名目GDPの変化の多くは産出量の変化として表れることになる。
11 訳注;Mは貨幣量、Vは貨幣の流通速度。M×Vは名目支出を表わしている。
12 訳注;「(M×V)の上昇+粘着賃金」を言い換えると、「名目賃金÷1人あたり名目GDP」(「実質賃金」)の低下を意味することになる。
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  1. 「残念ながらそのような主張は妥当なものだとは言えない。支出が債務の返済だけからなっているならまだしも、事実はそうではないからだ」

     この記事の筆者は、住宅ローンや自動車ローン、子供の学資ローンの返済に苦しめられたことがないように思える

    1. コメントありがとうございます。

      >「残念ながらそのような主張は妥当なものだとは言えない。支出が債務の返済だけからなっているならまだしも、事実はそうではないからだ」

      原著者に代わってあくまでも私が理解している範囲で説明いたしますと、この発言の趣旨はローン返済の苦しみを否定するものでは決してなく、労働者(従業員)が名目賃金(給与)のカットに抵抗する理由として債務の存在をあげるだけでは不十分だ、ということにあるのだと思います。例えば、住宅ローンの頭金として1000万円を銀行から借りた場合、この借金の元本と金利返済は給与が減らされようと変わらない(=債務の名目額が固定されている)とすれば、給与がカットされればされるほどローンの返済は大変になるというのは確かです。そして給与がカットされるとローンの返済が大変になるからこそ従業員としても給与のカットに反対したくもなるというのはその通りかと思います。ただし、「名目額が固定されている債務がある」というのは従業員が給与のカットに反対する理由の「一つ」とはなっても債務だけがその理由の「すべて」というわけではない、と原著者は言いたいのだと思います。債務「だけ」が原因で従業員が給与のカットに反対するというのなら、給与のすべてが債務の返済に回されていると考えねばならない(=「支出が債務の返済だけからなっているならまだしも、事実はそうではないからだ」)ということなのだと思います。「債務以外の別の理由もあって従業員は給与のカットに反対しているのだ」(従業員が給与のカットに反対するのは債務に「加えて」あれやこれやの理由もあるからだ)という趣旨であって、「債務の存在は従業員が給与のカットを拒むこととは無関係だ」とか「ローンの返済なんて大したことはない」という見解はとってはいないものと思われます。

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