アレックス・タバロック 「中国に革命をもたらした密約 ~所有権の変化に向けた村人たちの命懸けの試み~」(2012年2月9日)

●Alex Tabarrok, “The Secret Agreement that Revolutionized China”(Marginal Revolution, February 9, 2012)


コーエン(Tyler Cowen)と二人で執筆した経済学のテキスト(『Modern Principles: Macroeconomics』)の中で、所有権の重要性を示す一例として、かつて中国で実施されていた集団的な営農(農業の集団化)(collective farming)が村人の行動に対してどのようなインセンティブ効果を持ったかを取り上げた。それと同時に、安徽省にある小岗村(Xiaogang village)の村人の間で交わされた密約のエピソードについても触れた。その箇所を以下に引用しよう。

大躍進(The Great Leap Forward)は、その実、大後退であった。1978年時点における農地の生産性は、共産党が中華人民共和国を建国した1949年当時よりも、低くなってしまったのである。ところで、1978年のある日のことだ。小岗村の村人たちの間で秘密の会合が開かれた。その会合では、集団所有となっている土地を細かく分割して、村人一人ひとりに土地の区画を割り当てる密約が交わされた。自分で育てた農作物のうち、あらかじめ割り当てられた一定の量(quota)を政府に対して納めねばならない点はこれまでと変わらないが、その割り当て量を上回る分の農作物に関しては、すべて自分のものとすることができるようになったのである。この密約は、共産党政府の方針に反するものであり、政府に気付かれてしまえば、投獄されたり、場合によっては命を落とす危険性もあった。そこでその会合では、万一村人の誰かが投獄されたり、殺害されてしまった場合、その村人の子供が18歳になるまで仲間で協力して面倒を見ることも取り決められたのであった(密約の血判状の実物が以下の写真)。

小岗村の18の農家の間で取り交わされた命懸けの密約の血判状。この密約では、土地の共同所有に終止符を打つ旨が取り決められた(From Cowen and Tabarrok, Modern Principles: Macroeconomics)
小岗村の18の農家の間で取り交わされた、命懸けの密約の血判状。この密約では、集団的な営農に終止符を打つ旨が取り決められた(From Cowen and Tabarrok 『Modern Principles: Macroeconomics』)。

 

密約の結果として、土地(あるいは、農作物)の所有権が、共同所有から私的所有に近い形態へと変わることになったわけだが、その効果は即座に表れた。土地に対する投資も増え、村人たちの勤労意欲も、農地の生産性も、高まったのである。村人の一人は、次のように語っている。「自分の家族や自分自身のために働くとなると、怠けているわけにはいかないのです」。

その後、密約の存在が外部に漏れてしまい、小岗村に対する肥料や(作物の)種、駆除剤の配給が差し止められることに。しかしながら、ここで驚いたことが起こった。密約が政府の圧力によって潰されてしまうよりも前に、他の村の農民たちも土地(あるいは、農作物)の共同所有を放棄し始めたのである。毛沢東死去後の共産党政府は、土地の共同所有の放棄に伴って生産性が改善している事実を目にして、中国各地の村でなし崩し的に進む実験(土地の私的所有に向けた動き)の続行を容認したのであった。

NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)のPlanet Moneyブログでも、この密約に絡む素晴らしいエピソードが取り上げられている。詳しい背景情報を知る一助となるだろう。以下に、一部だけ引用しておこう。

「当時は、麦わら1本でさえも、集団の所有物とされていたんです」。そう語るのは、1978年当時、小岗村で農業を営んでいたイェン・ジンチャン氏(Yen Jingchang)。さらに、彼はこう付け加えている。 「誰一人として、何も所有していなかったんです」。

共産党の幹部らが参加した会合で、一人の農民が次のように尋ねたことがあったという。「私の歯はどうなるんでしょうか? この歯は、私のものなのでしょうか」? 幹部の答え:「ノー。一人ひとりの歯も集団の所有物である」。

集団で育て上げられた農作物は、一旦すべて政府に徴収され、その後、各家庭に分配されることになる。かような状況に置かれていた当時の農民たちは、懸命になって働く――朝早くから農場に出掛け、農作物の栽培に精を出す――インセンティブを持たなかった。イェン・ジンチャン氏は次のように語る。

「一生懸命働こうが、怠けようが、手にするもの(見返り)はみんな同じ。となると、誰も働きたがらないでしょう」。

・・・(省略)・・・

一日の労働の始まりを告げる笛の合図を聞いてからやっと、農場にのそのそと出かけ始める。密約が結ばれる前までは、そういう状況だった。しかしながら、密約が取り交わされた後では、農民たちは、夜明け前に、自ら進んで家を出るようになったのである。

イェン・ジンチャン氏は語る。「みんな隠れて競争したんです。隣人よりもたくさん収穫したい。誰もが心のうちでそう思っていたんです」。

土地にしても、農具にしても、農民にしても、そっくりそのまま同じ。しかし、ルールが変わったことで――自分で育てた農作物の一部は、自分のもの。そのように取り交わされたことで――、すべてが変わったのである。

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