サミュエル・バッジ, アリヤ・ガードゥ, アレックス・ローゼンバーグ, メイシー・ウォン 「集団間の接触は国民形成をいかに涵養しうるか」(2018年1月7日)

Samuel Bazzi, Arya Gaduh, Alex Rothenberg, Maisy Wong, “How intergroup contact can foster nation-building“, (VOX, 07 January 2018)


幅広く包摂的な国民アイデンティティ (national identity) 感覚の涵養は、長期的な社会的結束の命である。しかし急速に強まる地域的多様性のために、その達成はいま困難となっている。インドネシアの 「トランスミグラシ政策 (Transmigration Programme)」 事例を活用した本稿では、多様性が統合・社会的孤立・住み分けのいずれに行き着くのかが、居住地の混成・言語的な差異・政治と経済の場における諸集団間の競合度によって決定付けられることを示す – これら3つの帰結のいずれにたいしても、優れた政策をつうじた働き掛けが可能である。適切に施行すれば、そうした政策は社会的結束を強化しつつしかもより広範な国民形成を促すものとなる。

[近]代的な、多様化を進める諸社会の中心的課題とは、新たな、より幅広い 『我ら』 の感覚の創出である
– ロバート・パットナム  2006年ヨハン・スクデ政治学賞講演より

共有された1つの国民アイデンティティ – 出自にかかわらず全ての市民を包みこむ 「我ら」 の感覚 – は国民国家の創出と永続にとって死活問題である。この多様性のなかの一体性の精神を捉えたモットーは数多く存在し、“E Pluribus Unum” (合衆国)、“United in Diversity” (EU)、また “Bhinneka Tunggal Ika” (インドネシア) などもそうした例に数えられる。しかし地理的な移動可能性の上昇にともない、地域的な多様性の高まりが共有アイデンティティの共有感覚を作出するうえでの脅威となるとの懸念が、合衆国 (Putnam 2007) やEU (Alesina et al. 2017) をはじめ、その他の国でも取沙汰されるようになっている。近年の難民危機も、多様な諸集団の統合の促進をめざす再定住政策をどう設計すべきかをめぐる議論に、再び火をつけることとなった。

多様性が国民アイデンティティに及ぼす長期的影響の形につき、社会理論家は対立する見解を提示している。一方には、新たな文化に曝される経験はバックラッシュを煽動するものであって、紛争を惹起しかねないと主張する者がいる (Blumer 1958, Huntington 2004)。他方で、否定的な感情も、接触の増加とともにしだいに集団間関係が発達してゆくにつれ、薄らいでゆくのではないかとの達観から出発する者もいる (Allport 1954, Putnam 2007)。また近年の研究が示唆するところ、多様性を有する土地は社会的なアノミーや孤立を生起させ、集団間の関係は限定的であるという (Algan et al. 2015)。しかしながら、地域的多様性が、国民アイデンティティの造成、より一般的には国民形成 (nation-building) を、いかに形づくるのかついては、比較的わずかな実証成果しか存在しないのである。

主たる困難は因果関係の確定にある。この難しさの一部は、集団間関係が初期接触ののち発展してゆくために時間を要するために生ずる。しかし、時の経過とともに、地域的多様性は薄らいでゆく傾向がある。人々が諸般の均一的コミュニティに住み分かれてゆくためだ (Schelling 1971)。そこで多様性が持続するような土地は、自然環境的な優位があったり、一部の主要都市であったり、入国の玄関にあたる場所であったりと、比較的寛容な個人を惹き付けるところとなる傾向がある。以上の事情は、こうしたエリアにおける相対的な寛容性の高さが、多様性 (および集団間接触) のためなのか、それとも今挙げたような他のファクターのためなのかを把握することを困難にする。

そんななか我々の最近の論文では (Bazzi et al. 2017)、これらの実証上の難問にインドネシアのトランスミグラシ政策を利用して取り組んでいる。同政策は史上最大規模の再定住活動の1つだ。インドネシアは多様性と国民形成にまつわる問題を研究するうえで、興味深い環境である – 世界で四番目に大きな国であるインドネシアは、それぞれがアイデンティティの自己認識を持つ1,000を超えるエスニック集団の郷土となっている。1979年から1988年にかけて、トランスミグラシ政策は、内島 (Inner Islands) にあたるジャワ島・バリ島から、200万人の自発的移住民 (以下、「トランスミグラント (transmigrants)」 と呼ぶ) を、外島 (Outer Islands) 全体にわたって新設された1,000に近い村落に割り当てた。各定住地には、同一の公共施設が付与され、内島人・外島人が雑居することになった。

人口再分配および農業開発の振興としてだけでなく、中央政府は同プログラムを新生国での国民形成の涵養をめざすより広範な取り組みの一環として企図していた。というのも、この国の土地には歴史上さまざまな集団が住み分けされた諸般のコミュニティのなかで暮らしていたのである。独立宣言ののち、インドネシアの指導者はインドネシア人としての国民アイデンティティの作出という喫緊の課題に直面した。この国民アイデンティティは諸島各地に散らばる多様な文化的出自を持つ人々を一つにし、さまざまな離脱論的趨勢を乗り越えるようなものでなければならなかった。そこで、新たな土地に送り込まれたトランスミグラントが、文化的な隔たりのある諸集団に溶け込み、エスニック分断を突き崩すことが期待されたのである。

図 1 トランスミグラシ村落の地図

エスニック混成の自然実験として見たトランスミグラシ政策

多様性が統合に及ぼす因果効果の特定にとって要となる点だが、我々はトランスミグラシ政策が目的地域における擬似無作為的なエスニック混成を生起したことを主張する。プログラムの施行について、ロジスティック面の制約とアドホックな 「実施しながら計画せよ (plan as you proceed)」 アプローチが重なったことで (World Bank 1988)、トランスミグラントはあたかも目的地にたいし無作為の初期段階割当をされたかのような経験をすることとなった。さらに、土地市場の不完全性と移住コストのために、移住者は初期段階で割り当てられた耕作地に縛り付けられていたようで、事後的ソーティングは限定されている。この点は 2000年度人口国勢調査 (2000 Population Census) を用いて実証しているが、同調査の明らかにするところ、これら定住地にふくまれる地域のエスニック多様性は、初期段階の移動から数十年経過しても持続していた。図2はトランスミグラシ村落全体にわたる多様性 (標準的な 片分化指標 fractionalisation index により把捉) の連続体を、より均一的であるのが典型の、プログラム対象外村落と比較したものだが、両者の違いは鮮やかだ。この持続的な地域的多様性は、ソーティングや住み分けの動態が限定的だったことを示唆する。こうした時間的な変化は事情が異なれば初期段階の政策的割当を相殺していただろうものだ。この持続的な地域的多様性のおかげで、多様性と国民アイデンティティ形成の関係をめぐる、さまざまな非線形性も特定できた。

図2 トランスミグラシ政策: 持続的に多様なコミュニティ

地域的多様性と国民アイデンティティ

我々は国民アイデンティティの主要尺度として、個人が同国の国語、すなわちバハサ・インドネシア (インドネシア語) を、家庭での第一言語として選択していたかに着目した。地球上を見渡しても、殆どの人が言語は国民アイデンティティの重要な指標であり、出生地よりなお重要だと考えている (Pew Research Center 2017)。また、家庭での言語使用にフォーカスを合わせることで、エスニックアイデンティティとの比較における国民アイデンティティの顕示的選好を把捉できるようになる。ほぼ全数に近いインドネシア人が同国の国語を話しているが、それを家庭における第一言語として用いている者はたった20%にすぎない。圧倒的マジョリティが家庭でもっぱら用いているのは、依然として自らのエスニック母語である。さらに付け加えれば、インドネシア語はマレー人という1つのエスニックマイノリティの言語に根を持つものであることから、我々は家庭におけるインドネシア語の使用が、単にインドネシア語を話す能力を把捉するだけでなく、それを話すことへの選好を把捉するものであると主張する。

さて、トランスミグラシ村落においては、相対的に大きな地域的なエスニック多様性は、家庭で使用する第一言語としてのインドネシア語について、その普及度の有意な増加につながっていた。図3には、インドネシア語採用率のセミパラメトリック推定値を、(トランスミグラントの) 内島エスニシティが占める人口シェアで把捉した、地域的多様性の関数として示している。この逆U字型が示唆するのは、同国民アイデンティティの採用率が、内島と外島の諸集団がおおよそ等しい割合で存在する村落において頂点に達することである。

図 3 エスニック多様性と家庭における国語の使用

同様に逆U字型の関係は、エスニック間婚姻や、子供のあいだでみたインドネシア語が母語であるという自己申告といった、その他の統合アウトカムにも生じている。端的にいって、多様性が最も高いコミュニティのあいだで統合度は最も高い。これらの文化的変化は、社会化とアイデンティティ形成プロセスにおける相当のシフトを構成するとともに、国民形成にたいするより広範な含意を持つ。アイデンティティ伝播の間世代的プロセスを辿ることを可能にする長期パネルデータを活用したところ、こうしたタイプの家庭で育った子供は、青年になると、国民としての親近感の相対的な強さ・共エスニックバイアスの相対的な低さ・自己のエスニックアイデンティティにたいする愛着の相対的な弱さを示すことが分かった。

多様性を有するトランスミグラシ村落における長期的統合作用は、端から分かり切った結論などでは全くなかった。多様性の上昇が、住み分けあるいは社会的孤立につながる可能性も十分あった (例: Algan et al. 2015)。本発見は次のようなよく知られる懸念があることからも衝撃的である。つまり、この種の大規模再定住は、エスニック紛争を勃発させてもおかしくないような、文化帝国主義の古典的事例だったのだ。とはいえ、本研究成果は接触と文化変容に関する諸理論とも調和しているし、前述のプログラムにたいする最近の再評価とも整合的である (Barter and Cote 2015)。なお付言すれば、地域的多様性の効果が定住地全体にわたり一様だった訳でもない。

多様性が国民形成を涵養するとき

政策的観点からは、多様性をより包摂的な国民アイデンティティにつなげる諸力の解明が重要である。我々は研究デザインの甲斐あって、多様性を有するコミュニティが、紛争激化の増進ではなく、統合強化の円滑化を進めることを可能にしてくれるだろう、諸般のファクターを特定することができた。その際には、定住地をインドネシア諸島各地の様々に異なる条件のもとに曝したトランスミグラシ政策の広範な地理的カバレッジを、存分に活用している。

第一に、集団間接触の機会が増加したことは統合意欲の上昇を促した。定住地の内部で、トランスミグラントは籤引きをとおし耕作地を割り当てられたのだが、居住地の住み分けが少ない村落ほど高い統合度が見られたのである。加えて、より僻地的な定住地で暮らす者 (したがって経済活動および他コミュニティとの交流についての経路もより限られてくる者) ほど、さらなる統合にむかう傾向があった。

第二に、経済的環境 – およびそれが集団間接触の性質に与える影響 – は統合にたいし重要な作用を及ぼしうる。我々は移住者の出身地 (ジャワ島/バリ島) とその最終的な定住地のあいだの農業気候的特性に関する類似性をもって、トランスミグラントと原住者のあいだの農作技術代替性水準の代用とした (Bazzi et al. 2016)。そして、トランスミグラントと原住者の技能が代替的であるばあいには、多様性が統合を牽制することを明らかにした。これが示唆するのは、(初期段階における) 集団間接触が協働ではなく競争によって特徴づけられていた経済環境では、多様性が統合にネガティブに作用する可能性である。

第三に、地域 (local) および地方 (regional) レベルで見た社会–経済的ファクターは、多様性がアイデンティティ選択におよぼす影響の在り方を形づくる可能性がある。多様性とインドネシア語採用のあいだのつながりは、次のような村落ほど強い (i) マジョリティ集団自体のエスニック的片分化が大きい、(ii) 内島人と外島人のあいだの言語的距離が大きい、(iii) トランスミグラントがもたらす地方政治への脅威が小さい (この脅威は、該当村落における地域の原住者集団が、より大きな単位の政治区での支配的マジョリティとなっているかに着目し、これで代用した)。これら結果が示唆するのは、地方的なエスニック–政治バランスもまた、効果的な再定住政策の設計において要となる入力因子であることだ。

検討

インドネシアのトランスミグラシ政策は、多様性上昇のさなかにあってポジティブな集団間関係の涵養をめざす政策立案者に残された働き掛けの余地について、新たな光を投じている。居住地の混成・言語的な差異・政治と経済の場における集団間の競合度。これらは、多様性が統合・社会的孤立・住み分けのいずれに行き着くのかを決定付けるものである。こうした条件の多くは、政策による影響を受けたものであるとともに、より効果的な再定住プログラムを設計する際にひときわ顕出的となる要素である。

より一般的にいえば、歴史のどこに目を向けても、共有された1つの国民アイデンティティというものは、文化的に多様なさまざまな国における社会–経済的安定確保の要であった。インドネシアのトランスミグラシ政策は、地域的多様性が間世代的な国民形成プロセスに寄与する仕組みを理解するうえで、又と無い、実り豊かな視座を提示している。

参考文献

Algan, Y, C Hemet, and D D Laitin (2015), “The social effects of ethnic diversity at the local level: A natural experiment with exogenous residential allocation,” Journal of Political Economy, 124 (3): 696-733.

Allport, G W (1954), The nature of prejudice, Boston: Addison-Wesley.

Bazzi, S, A Gaduh, A Rothenberg, and M Wong (2016), “Skill Transferability, Migration, and Development: Evidence from Population Resettlement in Indonesia,” American Economic Review, 106 (9): 2658-2698.

Bazzi, S, A Gaduh, A Rothenberg, and M Wong (2017), “Unity in Diversity: Ethnicity, Migration and Nation Building in Indonesia,” Working Paper.

Barter, S J, and I Cote (2015), “Strife of the soil? Unsettling transmigrant conflicts in Indonesia,” Journal of Southeast Asian Studies, 46 (1): 60–85.

Blumer, H (1958), “Race prejudice as a sense of group position,” Pacific Sociological Review, 1 (1): 3-7.

Fearon, J D, and D D Laitin (2011), “Sons of the soil, migrants, and civil war,” World Development, 39, 199–211.

Huntington, S P (2004), Who are we? The challenges to America’s national identity, Simon and Schuster.

Pew Research Center (2017), “What It Takes to Truly Be ‘One of Us”, February.

Putnam, R D (2007), “E pluribus unum: Diversity and community in the twenty-first century – The 2006 Johan Skytte Prize Lecture,” Scandinavian Political Studies, 30 (2), 137–174.

World Bank (1988), Indonesia: The Transmigration Program in Perspective, A World Bank Country Study Washington, DC: World Bank.

 

 

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