Simeon Djankov, Elena Nikolova, “Communism, religion, and unhappiness“, (VOX, 26 April 2018)
既存の学問研究は、多種多様なファクターを擁する諸国における長期的制度発展を解き明かしてきたが、そうした文献もこと宗教の役割については概して沈黙を守ってきた。本稿では、サーベイ調査データを活用しつつ、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日においてなお、多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観に影響を与えていることを明らかにする。諸般の全体主義政権は宗教活動を弾圧したが、それら政権は正教の持つ側面のなかでも、共産主義ドクトリンの推進に役立つもの – 伝統や共同体主義など – については、これを温存したのである。
パイオニア的なWeber (1904) の論文以降、さまざまな学者が、宗教と幸福度のつながり、および宗教と市場経済・労働倫理ならびに倹約・信頼・女性ならびに他宗教の構成員にたいする態度 (attitudes) とのつながりに検討を加えてきた。長期的な歴史ファクターが文化的選好に与える影響の研究となれば、さらに広範な文献が存在する。くわえて最近の論文は、文化というものが経済と政治の発展の重要決定因子のひとつである旨を論じてきた。宗教が選好に作用し、その選好が経済と政治の制度に作用する (あるいはそれと共進化co-evolveさえする) のであれば、宗教がより広い意味での制度進化プロセスに関わってゆく厳密な仕組みは、周到な検討に値する問題である。
宗教と文化
我々の新たな論文は、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日の多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観にたいし、いかなる形で作用しているのかを研究したものである (Djankov and Nikolova 2018)。複数の 「世界価値観調査 (WVS: World Values Survey)」 調査波、および2010年度ならびに2016年度の 「欧州復興開発銀行-世界銀行の提携による移行期の生活に関するサーベイ調査 (LiTS: EBRD-World Bank Life in Transition Survey)」 を利用し、キリスト教三宗派 – 正教・カトリシズム・プロテスタンティズム – と、個人の態度および行動との結び付きを調べた。その際とくにフォーカスを置いたのが、人生満足度である。これ加えて宗教と、社会資本・変化ならびに伝統についての意見・政府に関する見解とのつながりにも検討を加えた。前述のLiTSには、トルクメニスタンを除く 〔開放型市場経済への〕 移行国すべてに加え、トルコ・フランス・ドイツ・イタリア・スウェーデン・英国 (2010年)、トルコ・ギリシア・キプロス・イタリア・ドイツ (2016年) が含まれる。WVSは100に近い世界中の国や領域をカバーし、26のポスト共産主義国がふくまれる。
諸般の共産主義体制が宗教面で有していた差異の影響を研究することは、次のふたつの理由で重要である。一、宗教と文化とのつながりを明らかにしようと試みる文献はこれまでにもあったが、そこでの焦点は諸宗教間の差異であり、キリスト教そのものの内部における差異ではなかった。二、正教とカトリシズム (後者から16世紀になって出現したのがプロテスタンティズムである) は、1054年 〔東西キリスト教の分裂、大シスマ〕 以前の段階にしてすでに異なる伝統を受容していた。キリスト教の西方部門、すなわちカトリシズムは、教皇権および神聖ローマ帝国とつながっており、古代ローマに見られた、個人主義的・法律主義的・合理主義的な特徴を強調していた。カトリック教徒は、人と神 (God) の関係を一種の法律関係だと理解してきたのである。その関係のなかで信者は神が打ち立てた戒律に従うのであり、不品行があれば、それがいかなるものであれ、教会の監督する悔悛 (および司法) が要請されるのである。対照的に、東方正教は古代ギリシア的 (Hellenic) 伝統に影響されてきたのだが、この伝統は内省 (introspection) と共同体主義的精神を中心に据えてきた。人と神とのあいだの法律的な双務義務を前面に押し出すのではなく、愛と献身を基調とする交換を重視するのが正教の神学である。
本分析をとおして、ふたつの相互関連的な発見が浮上した。一、カトリック教徒とプロテスタント教徒は、無信仰者 (回帰における省略カテゴリを構成する) と比較してより幸福である。ところが興味深いことに、東方正教の信者の人生満足度は、無信仰者グループのそれと異ならない。これら結果と整合的だが、東方正教に帰属する回答者は、カトリックないしプロテスタント宗派帰属者さらには無信仰者と比較しても、子供の数・社会資本ともにより少なくなっており、またよりリスク回避的であることも判明した。正教の信者は政治面ではより左寄りの志向性を持っており、〈(人民と対置されるところの) 政府が、より多くの責任を担うべきである〉 との意見もより強くなっている。
またさらに、無信仰者と比べ、カトリック教徒とプロテスタント教徒は〈政府による所有は良いことだ〉 との考えに同意する傾向がより少なく、プロテスタント教徒は 〈他人を犠牲にせず金持ちなることはできない〉 という考えに同意する傾向がより少ない。これら両次元でも、正教の信者は特定の宗教を信奉していない人となんら違いがない。
共産主義・宗教・態度の執拗性
つづいて我々はこれらデータを用いて、正教と共産主義とのつながりをめぐり競合するみっつの理論の評価を試みた。マルクスによると、高度の発展段階に達した資本主義国 (西ヨーロッパ諸国など) は、社会主義革命に直面する可能性が最も高く、この革命が社会構造の再定義と共産主義の勝利に至るはずだった。他方、レーニンの考えでは、プロレタリアートと農民の同時革命がロシアに社会変革を招来するためには不可欠だった。またレーニンはこうも論じている。つまり、農民層と搾取されし労働階級のあいだに最も広く膾炙しているのは正教キリスト教であるが、これは階級闘争の成功のために絶対に完全に根絶やしにせねばならない、と。これと対照的なのがBerdyaev (1933, 1937) の議論で、共産主義が成功を見たのは、まさに強固な東方教会的伝統を持つこれら国々に外ならないという。かれの説くところ、「共産主義者の最善の類型、すなわちひとつの思想への奉仕に全く没入し、多大なる犠牲をも厭わず、しかも私心無き熱情を知る者、かような人物がおよそ実在し得るとすれば、それは [正教] キリスト教による人間精神の訓育、すなわち [正教] キリスト教精神による自然人の改造を以てのみ、成しうる業である」(Berdyaev 1937: 170)。
我々の議論は、〈正教とその他ふたつのキリスト教宗派のあいだに根深く存在する神学上の差異こそが、今日における態度の差異の原因である〉 という観念に依拠している。西方キリスト教 (ここからカトリシズムとプロテスタンティズムが興った) は、合理主義・論理的究明・個人主義・既成の権威への懐疑に重点を置いた。東方キリスト教 (東方正教はこれに端を発す) は、神秘主義や経験主義にまつわる現象と結び付いていたし、より情緒的また共同体主義的であったのであり、法・理性・権威懐疑には然程の重点を置かなかった。特記に値するのは、これら長期的な態度上の差異が、ほぼ50年も続いた共産主義ののちにもその命脈を保った点である。宗教活動は全体主義体制期には旧共産主義国の殆どで弾圧されていた。政治エリートは、宗教は共産主義の進歩と相容れぬものだと信じていたのだ。聖職者は迫害・殺害・収監され、教会は破壊ないし閉鎖された。教会通いは禁じられ、宗教教育は学校教育課程から削除された。
ところが他方で共産主義政府は、正教神学が有する側面のなかでも、幾つかのもの – 伝統と共同体主義の強調を含む –、すなわち共産主義思想の流布と堅牢化に好都合な側面は、これを温存したのである。この点で、正教は共産主義体制の成長にとって都合の良い条件を提供した。共産主義の政策と制度 – 農業の集団化・社会主義青年組織・強力なシークレットサービス・国内外移動の管理 – は、共同体主義・法律的取引への依存の相対的な弱さ・権威尊重の気風の相対的な強さといった、正教的な既存の規範と非常に相性がよかった。多くの点で、共産主義は正教の再臨と見做しうるが、こうした事情は我々の主張するところBerdyaevの (1933, 1937) 仮説と軌を一にするものだ。
結論
本発見は、東ヨーロッパにおける経済と政治の変容の決定因子解明にたいし重要な含意を持つ。全体主義の遺産が、文化・経済・政治の面でポスト共産主義地域のランドスケープに深く作用してきた旨を論ずる文献が増えている (Pop-Eleches and Tucker 2017)。この種の見解は、その影響力とは裏腹に、部分的にしか仕上がっていないおそれがある。本論文が指摘するところ、異なるキリスト教宗派のあいだに存在する神学上の差異は、共産主義到来に遥か先立って、諸国を異なる発展経路に付置していたかもしれず、また共産主義エリートが自分達の便益を図り文化的環境を利用した可能性もあるのだ。とはいえ我々は、文化と経済の変化に関し 「それさえあればなんでも説明できる (one-size-fits-all)」 理論を提示するなどと主張している訳ではないので、この点も明確にしておきたい。政治と経済の発展を形成する力は数多く存在し、宗教はそのうちのひとつに過ぎないのである。
執筆者注: 本稿で表現された見解は本稿執筆者の見解であり、必ずしも本稿執筆者の関与する機関の意見を表わすものではない。
参考文献
Berdyaev, N (1933), The end of our time, London: Sheed & Ward.
Berdyaev, N (1937), The origin of Russian communism, Glasgow: University Press Glasgow.
Djankov, S and E Nikolova (2018), “Communism as the unhappy coming”, World Bank Policy research working paper 8399.
Pop-Eleches, G and J Tucker (2017), Communism’s shadow: Historical legacies and contemporary political attitudes, Princeton: Princeton University Press.
Weber, M (1930), The Protestant ethic and the spirit of capitalism, London: G. Allen & Unwin.