●Tyler Cowen, “The history of Chinese food in Japan”(Marginal Revolution, May 25, 2008)
このように、餃子は日本人の間で大きな人気を集めるようになったわけだが、中華料理が日本に広く普及するようになったのはずっと昔に遡る。そのお膳立てをしたのは、1860年代に横浜、長崎、神戸といった都市に足を踏み入れた多くの西洋人たちだ。中国人が日本に滞在する法的な権利を認められたのは、1871年に日清修好条規が締結されて以降だが、中国人はそれ以前から西洋列強の庇護を受けて日本に足を踏み入れていた。西洋の商人たちは、家事や(元々は中国の沿岸で行っていた)商売をやりくりする上で、中国人スタッフ――使用人、事務員、仲買人――に大きく頼っており、日本に一緒に連れてきていたのである。(日清修好条規が締結されて以降の)1870年代~80年代に入ると、中国の商人たちも日本に続々と進出し始め、開港場に設けられた外国人居留地の滞在者の過半数が中国人で占められるようになるまでにそう時間はかからなかった。
カタジーナ・チフィエルトカ(Katarzyna J. Cwiertka)著の『Modern Japanese Cuisine: Food, Power and National Identity』より引用。この本から私が学んだことの一つは、日本において「国民食」(national cuisine)なる存在が生み出される上で戦争体験がどれだけ大きな影響を持ったかということだ [1]訳注;この点について詳しくは、例えばチフィエルトカ氏の次の記事や論文も参照のこと。 ●Katarzyna J. Cwiertka, “Militarization of nutrition in wartime … Continue reading。例えば、戦前の日本の田舎の多くでは、醤油やお米は食卓を飾るありふれた存在ではなかったらしいのだ。
References
↑1 | 訳注;この点について詳しくは、例えばチフィエルトカ氏の次の記事や論文も参照のこと。 ●Katarzyna J. Cwiertka, “Militarization of nutrition in wartime Japan”(IIAS Newsletter 38, September 2005, pp. 15)/“Popularizing a Military Diet in Wartime and Postwar Japan(pdf)” |
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