The Institutional Foundations of Antisemitism
by Mark Koyama
Mar 21, 2019·
欧米では、再び反ユダヤ主義が政治の主流になりつつある。反ユダヤ主義は、根本的に誤解されている。それは、人種差別の単なる一形態ではない。ジェレミー・コービンは、反ユダヤ主義主義者だと寄せられた批判に対して、「私は、あらゆる形態の人種差別を告発することに全生涯を捧げてきました」と反論している。しかしながらむろん、コービンは少なくとも反ユダヤ主義を幇助している(彼自身が、反ユダヤ主義的な偏見を持っている証拠もある――こちらを参照)。
なぜ、反ユダヤ主義は、他の人種差別と違っているのだろう? そして、反ユダヤ主義を、特殊なものとしているものは何なのだろう? ノエル・ジョンソンと私が、『迫害と寛容(Persecution & Toleration)』の執筆を始めたとき、反ユダヤ主義が再び注目されるのは想定外にあった。しかし、『迫害と寛容』で行った私たちの分析は、反ユダヤ主義の制度的基盤について重要な洞察を提供しているだろう。
まず、反ユダヤ主義を定義しよう。デボラ・リプシュタットが、素晴らしい新著の中で説明してるように、反ユダヤ主義とは陰謀論に他ならない。これは「本質的に、ユダヤ人は他の人種とはなんらかの理由で異なった存在である」とか、最も極端な表現では「ユダヤ人は世界の悪の根源である」といった言説である。
しかし、こうした陰謀論は、何が発祥となっているのだろう? デイヴィッド・ニーレンバーグは、その著書『反ユダヤ主義:西欧の伝統(Anti-Judaism: The Western Tradition)』で、ユダヤ人へ偏見が「頑迷な一神教徒の少集団」から、中世、近代を経て「反ユダヤ主義」に変遷していく様子を描いている。反ユダヤ主義の要素の多くは、初期キリスト教の著述者達が、親となる宗教〔ユダヤ教〕と自身は違うことを示したことによる不幸な副産物であった。
特に「ユダヤ人によってキリストは殺害された」との主張は、ユダヤ人に大きな負の影響を与えている。しかし、反ユダヤ主義で重要となっている要素の多くは、中世後期になってから発展したものである。多くのジャーナリストが、現代の反ユダヤ主義を説明しているが、反ユダヤ主義が中世・近世ヨーロッパ社会の政治経済に組み込まれていた事実について語っておらず説明不足となっている。つまり、反ユダヤ主義は、文化・宗教的なものに由来しているだけでなく、制度的なものにも由来しているのである。これを理解すれば、反ユダヤ主義に執心しているのが、ネオナチ右派だけでなく、政治的左派にも蔓延している理由を解明することができる。
中世以来のユダヤ人への嫌悪感は、反市場感情と結びついたものである。反市場的な感情は根深いものがある。ジャン・ポール・カルヴァーリョと私は、フリードリヒ・ハイエクの洞察に基づいて、「人間の生物学的に進化した(小規模な集団での協力を支持する)本能は市場秩序と対立する」ことを考察する論考を書いた。私達は、以下のような見解を述べている。
複雑な分業を特徴とする大規模に分散化された匿名社会における構成員間の関係性は、小規模な社会で構成される関係性とは質的に異なっている。
ハイエクが認識していたように、分業によって知識が分割・分散されてると、必然的にそうなってしまう。〔大規模社会において〕エージェント同士が不可避に協調にすることで得られる情報は、独立した思考によって引き出すことができる知見で絶対に「獲得」できず、もたらされる可能性もゼロである。(ハイエク著『社会における知識の利用』1945年, P519)
ハイエクは、市場秩序は複雑で形となっておらず、「精神によってしか再構築できない純粋に抽象的な関係性に基づいている」(Hayek 1973, 38)と指摘した。これは驚くべき指摘だ。
我々は、交換を行う際に利益を得る全ての人を見知ることや、消費する際にもどのように生産されるかを見たり理解することはない。
しかし、この価格システムの仕組みに関するハイエクの洞察は、市場、商人、交易業者、金貸し、銀行家への反感も説明することになっている。市場秩序による恩恵は把握しずらいからだ。ジャン・ポールと私はこのことを指摘している。
…〔市場経済によって〕疎外され、不快になるのには理由がある。市場は、無秩序で、不公平で、ランダムにさえ感じるからだ。よって、その恣意性によって人は不快感を感じ、管理・是正を求めることになる。市場に基づく社会は、開放的で広大でありながら、バラバラなネットワークであり、更新世の先祖が馴染んでいた社会とは全く異なっている。ルソー、マルクス、マルクーゼは、原初への憧れを表明したが、ハイエクは〔市場の〕不調和の中にこれを見出したのである。単なる市場取引であったとしても、関わる全てのエージェントを追跡し、誰が得をして損をするのかを把握するのは不可能であることが多い。なので、我々は、〔市場経済では〕システムによってもたらされる勝者と敗者という最終的な帰結しか見ることができない。
当然ながら、仲買人や商人は「結局のところ、彼らは何も作ってはおらず、何も生み出してはいないじゃないか」と恨みの対象となってしまう。反ユダヤ主義が、現在のような陰湿な陰謀論になったのは、何世紀にもわたって、ユダヤ人が、仲買人、商人、銀行家の典型例とみなされたことに原因がある。現代の反ユダヤ主義者が、「ロスチャイルド」や「ユダヤ人の銀行家」について中傷を繰り広げるのも同じ理由である(これを参照)。
ユダヤ人は、商人、仲買人、金融業者、銀行家としてだけで恨まれているわけではない。しかし、商人や銀行家の役割を果たすことで、単なる商人や銀行家を超えて、世界を密かに操る人形遣いのような存在と見なされているのである。カール・マルクスによる反ユダヤ主義は、この典型例となっている。
このように、すべての暴君はユダヤ人に支えられており、すべての教皇はイエズス会によって支えられている。実際、イエズス会による思想の抑圧、一握りユダヤ人による所得の略奪がなければ、圧制者の欲望は絶望的となり、戦争の実行可能性は問題外となるのである
…このように、貸付は、民にとっての呪いであり、所有者にっとえは破滅であり、政府を危機に追い込む。しかしユダの子孫に連なる家系にとっては祝福なのである。こうしたユダヤ人による高利貸し組織は、土地所有者である貴族という組織と同様に、民にとって危険な存在ある。
…これら高利貸しが蓄えた富は膨大なものであるが、それによって民には苦境と苦しみが課せられ、圧制者が奨励を得ているが、これはいまだに語られていない。
しかしなぜユダヤ人は、顔の見えない資本主義の象徴となったのだろう? 古代のユダヤ人は、ほとんどが文盲の農民であった。彼らがローマ人の怒りを買ったのは、頑迷な一神教を信仰していたからであり、ローマ元老院の黒幕にいると疑われたからではない。「ユダヤ人は商人であり金貸しである」という固定観念が、ヨーロッパの文化的記憶に確固として根付いたことを理解するには、中世ヨーロッパの政治経済を理解する必要がある。
なぜユダヤ人は、商人や金貸しとなったのだろう? この疑問に関して、まず最初に、マルチェステラ・ボッティチーニとズヴィ・エクスタインが答えている。彼らは著作『選ばれし者たち(Chosen Few)』で、西暦70年にエルサレムの神殿が破壊されたことで、トーラー〔ユダヤの経典の一種〕を読むことを重視するラビ・ユダヤ教だけが主流になったことを描き出している。結果、息子に教育を与えられなかったユダヤ教徒は、汚名を着せられることになった。そのため、時が経つにつれて、農民であったユダヤ人は、信仰を遠ざけ煩わしい宗教的義務から解放されていっている。ユダヤ人は識字率が高くなり、経済的に有利な商人、医者、筆記人などが宗教内に蓄積されることになった。中世になって、ユダヤ教は、教育を受け読み書きができる職業である、商人・医者・職工・学者の宗教となった。
2つの目の解答は、ユダヤ人が、どのようにして金貸しと結びついたのかを理解することである。ノエル・ジョンソンと私が『迫害と寛容』の中で説明したように、キリスト教徒同士で利子を付けた金貸しが禁止されていたことは非常に重要となっていた。
中世では、あらゆる利子は、高利貸しとみなされていたのである(私の論文を参照)。利子の禁止は、投資機会がほとんど存在しない世界では、理にかなっていたかもしれない(ジャレッド・ルービンのこの論文を参照)。しかし、西暦1000年以降、中世経済が起動に乗り始めると、新しい投資機会が生まれ、利子の禁止は次第に重荷となっていた。
高利貸しの禁止は、経済的レントを生み出した。需要を減らさずに、信用供給が制限されたのである。支配者は、このレントに対処する方法の一つとして、ユダヤ人に金貸しの許可を与えた上で課税する一方で、キリスト教徒による金貸しを禁止している。ノエルは私は次のように書いた。
商業革命とそれが生み出した新しい都市経済は、荘園経済と、封建君主制を政治的・経済的に自足させていた条件を弱体化させた。封建領主は、定期的に住民に課税する能力を欠いていたため、領主はユダヤ人の金貸しを利用することで、経済成長という新たなる収入源へのアクセス行った。
…
このようにして、国家は財政能力、あるいは法的能力に多大な投資をすることなく、〔新しい経済変化での〕自立を可能とした。ユダヤ人は、比較的簡単に搾取できるたため、〔ユダヤ人を利用すれば〕監視や執行のための投資を行わずに税を回収できたのである。ユダヤ人は、反ユダヤ主義社会の渦中にあったため、「保護するのを止めるぞ」という単純な脅しによって、ユダヤ人から簡単に税収を取り立てることができたのである。つまり、弱い立場にあるユダヤ人に課税した方が、一律の税を貸すより容易となっていたのだ。
結果、「ユダヤ人の高利貸し」というステレオタイプが、ヨーロッパの政治経済と文化的記憶の一部となった。悲しいことに、我々は未だににこのステレオタイプから逃れられていない。時が経つにつれて、反ユダヤ的な表現は強化され、手の込んだものとなった。ユダヤ人は、間接税や地代徴収のシステムに組み込まれることになったのである。反ユダヤ主義な中傷は、窃盗、強盗、暴力の正当化に便利な手段となった。「血の中傷」 [1]訳注:ユダヤ人は宗教的儀式のためのキリスト教徒の子供の血を使用するという陰謀論 、「ユダヤ人の陰謀」という言葉、「ユダヤ人が井戸に毒を投じることで病気を蔓延されている」といった誹謗中傷などが、この時代に生まれているのは偶然ではない。
このような、反ユダヤ主義の有害な思想が、ペストが起こった際に追放・迫害・虐殺としてどのように影響したかについては、次の記事で論じる予定である。
References
↑1 | 訳注:ユダヤ人は宗教的儀式のためのキリスト教徒の子供の血を使用するという陰謀論 |
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市場の匿名性がユダヤ人差別を産んだとは言えない。当時は身近な粉屋や亜麻織なども被差別民として扱われた。単純なハイエクの経済的説明は受け入れ難い。