ノア・スミス「“新自由主義への転換”は本当に生じたのだろうか?」(2022年9月24日)

まあ、たしかにそうかもしれない…でも皆が思っているよりもずっと複雑なんだ。

以前までは「新自由主義プロジェクト」の名で知られ、今は「新自由主義センター」として知られるシンクタンクの改名に気づいた。


私たちは「新自由主義プロジェクト」の名称を取りやめることを決定しました。これは何年もかけての移行作業の一環ですが、新しいウェブサイトへの移管は、これを確定するに非常に良い機会でした。

なぜなのでしょう? CNL〔新自由主義センター〕には、名称に関するゴタゴタよりも、はるかに大きな使命があると考えているからです。

https://twitter.com/ne0liberal/status/1572576692249694208

これは起こるべきして起こった事態だ。このシンクタンクはクリントン系の中道左派リベラルを標榜していたが、ツイッター上の社会主義たちがバラク・オバマや、バーニー・サンダース派に同調しない民主党員を「新自由主義者」と呼び始めてから、一種の悪ふざけとして「新自由主義」を自称するようになった。この自称事件の直後、ツイッターで行われた(不正操作された)オンライン投票で、私は2018年「新自由主義者の親玉」に選出された。親玉の座は、翌年には、マット・イグレシアスに2ポイントで奪われてしまったが…。こうしたツイ廃の内輪ネタで使用されているような皮肉な名称が、まともに受け入れられる可能性はほぼゼロだろう。

もっとも、「新自由主義」という言葉は、1980年代のレーガン&サッチャー政権下での一連の政策(その後の数十年でほとんどのヨーロッパ・東アジア諸国で何らかの形で模倣採用された政策)を表現するのに、意識高い系の知識人(高くない人もいるが…。)に、使用されてきた言葉だ。90年代にクリントン政権の高官として国家政策に関与した、〔経済学者〕ブラッド・デロングは自身のブログ「グラッピング・リアリティ」この件について以下のように論じている

https://braddelong.substack.com/p/unsatisfactory-musings-on-the-rise

デロングは、この記事で多くの情報源から大量に引用しているが、基本的に「新自由主義への転換」とされているものとして、以下を挙げている。

・税率の引き下げ

・社会福祉の削減

・規制緩和

・自由貿易

・民営化

・反労働組合的な政策転換

たしかにこれらは、ミルトン・フリードマンやジョージ・スティグラーのような20世紀末のシカゴ大学のエコノミストらが提唱した政策パッケージだ。そして、80年代と90年代に共和党の政治家によって張られたキャンペーンも、多かれ少なかれこうした政策パッケージだった。しかし、デロングと私がポッドキャスト「Hexapodia」の最新エピソードで論じたように、「新自由主義的転換の時代」に実施された政策は、現実的にはその始まりから、こうした単純なストーリーが示唆するよりも、はるかに微妙で曖昧だった。上で箇条書きした政策で、アメリカで実際に実行されたと単純に言えるものはほとんどない。たしかに、経済における政府の役割は多少変わったかもしれない、しかし、その存在感は必ずしも低下したわけではなかった。

そこで、新自由主義の時代にアメリカで起こったとされる変化をひとつずつ検討してみよう。

新自由主義の時代に税率は引き下げられたのだろうか?

第二次大戦直後のアメリカは、所得税の最高税率が非常に高い国家だった。ジョン・F・ケネディはこれを大幅に引き下げ、レーガンは2度にわたって引き下げている。レーガンとクリントンは、キャピタルゲインの税率も引き下げたが、この税率は伝統的にそれほど高くはなかった。

アメリカの個人所得税とキャピタルゲイン税の最高税率
水色:個人所得税
灰色:キャピタルゲイン税

1986年には、法人税の最高税率が46%から34%と、大幅に引き下げられてる。

しかし、こうした税率の引き下げは、GDPに占める税収割合の減少にはつながっていない。個人所得税の税収は1981年以降、GDPの約8%で安定的に推移している。法人税の税収は、社会民主主義の時代とされている第二次大戦直後の数十年に減少の一途を辿ったが、レーガンとその後継の政権下では、GDPの1.75%で安定的に推移している。

GDPに占める連邦政府の歳入割合
出典: Tax Policy Center

つまり、新自由主義時代の税率の引き下げは、実質的にはあまり減税となっていない。

それでも、税制度の累進性は低下したかもしれない? 最高税率を引き下げたことで、中間層や労働者階級の税負担が増し、富裕層は軽減されたのだろうか? うーん、まあ、そうじゃない。レーガンとクリントン時代だと、上位1%が連邦政府に支払う所得の割合はほぼ一定だったが、最下層の1/5はわずかだが税負担が軽減されている。

階層別の所得税の負担割合
出典: CBO

同じことは、所得層別の負担に基づいた税収の割合でも言える。また、州税や地方税も加えても同じパターンとなる

最高税率が大幅に引き下げられたのに、連邦政府のGDPで税収に占める割当で、富裕層の実際に収めている税率と、富裕層が収めている税金の割合、これらが共にほとんど変わらなかったのはなぜだろう?

要因の一つになっているのは、格差の拡大だ。たしかにレーガン政権では税率は引き下げられたが、それでも累進課税は維持されている。そして、新自由主義の時代になって、富裕層の所得は、中産階級や労働者階級の所得よりはるかに増えた。結果、富裕層は増えた収入から、より多くの税を収めるようになったのだ。(この格差が生じた原因に、税率の引き下げを挙げる人もいる。つまり、富裕層は、増えた手取り所得を維持するために、ロビー活動を行った、というものだ。これは、特にキャピタルゲイン税についてはあまり意味をなさない論点だが、なんにせよ、ほとんど些事に過ぎない。)

第二の理由は、「課税ベースの拡大」だ。税率が本当に高かった時代には、富裕層には税金を逃れるための抜け穴がたくさんあった。しかし、レーガンは減税を行った際に、この手の抜け穴の多くを防いだため、税収の維持に繋がっている

第三の理由は、単に民主党の頑張りだ。クリントンは、レーガンの富裕層減税の一部を撤回し、富裕層の支払う税金は一時的だが反転上昇し、その後にまた下落した。この事実は、「新自由主義的転換」が世間で言われているほど劇的でなかったという、最も重要な根拠の一端となっている。つまり、進歩的な人たちは、新自由主義的な政策とされているものの多くに抵抗し、それを覆すことに成功した事実があるだけなのだ。

新自由主義の時代に福祉は削減されたのだろうか?

ビル・クリントンが、1996年に大規模な福祉改革を可決し、「大きな政府の時代は終わった」と宣言したのは有名だ。しかし、GDPに占める公的社会支出の割合は、レーガン政権下では横ばい、クリントン政権下では微増、ブッシュ&オバマ政権下では大幅に増加している。

GDPに占める公的社会支出の割合
出典: OWID

レーガンは70年代に「福祉の女王」 [1]訳注:レーガンが社会保障をやり玉を上げる時に、代表として例示した、生活保護を受けながら贅沢な暮らしをしている人物 に激怒したかもしれないが、実際には彼はそうした人物を切り捨てるようなことはほぼ何もしていない。クリントンによる福祉改革は、AFDC [2]訳注:Aid to Families with Dependent Children:要扶養児童家族扶助(後のTANF)という1つの政策プログラムに焦点を絞ったが、これは実際には縮小の一途をたどり、ほとんど消滅してしまった。一方で、レーガンと(特に)クリントンは、勤労所得控除への支出を増やし、クリントンとブッシュは児童税控除への支出を増やしている。これは結果的に、AFDC/TAN支出の減少を埋め合わせる以上の支出増となった。

連邦政府の福祉支出
出典:Tax Policy Center

そしてこの期間、政府の医療費支出は、コストの上昇に伴って、民間支出とともに順調に増加した。新自由主義者たちは、医療費を削減しようとしなかったのだ。

総医療費支出
出典:Peterson-KFF

ブッシュやオバマの時代には、フードスタンプ住宅バウチャー、失業保険などの支出が増えている。

社会的支出の増加と、ほぼ横ばいで維持された累進課税によって、アメリカの財政システム全体での累進性(税と支出)は、「新自由主義への転換」の時代に上昇している。一方、同時期のヨーロッパ諸国では、低迷もしくは悪化した。

出典:Lindert (2017)

そして、結果、補足的貧困対策によって測定されたように、90年代には貧困率は大幅に低下し、リーマショックによる大不況でも、この低下は維持された。

出典:CBPP

累進性と福祉をもっと拡充すべきだったと主張するのは誰でもできる。しかし、新自由主義の時代、アメリカの福祉国家(的要素)が実際に解体された、と主張するのは困難だ。

新自由主義の時代、経済は規制緩和されたのだろうか?

規制は、測るのが難しいことで有名だ。規制は〔規制した時と、しなかった時等の〕、比較ができないからだ。規制当局の予算と人員を見てみると、カーターとレーガンの時代に少し減少しているが、その後の政権で反転増加し、着実に増加している

出典:Regulatory Studies Center

また、連邦規則基準(Code of Federal Regulations)や、連邦規制(Federal Regulations)の文量も確認してみると、前者は時代とともに継続的に増加し、後者はレーガン政権下で減少しその後に回復している。もっとも、これがなんらかの事実を語っているかについてはなんとも言えない。

規制緩和を産業別に具体的に見ることもできる。運輸とエネルギー産業の大規模な規制緩和は、カーター政権で行われ、レーガン政権ではほとんど行われていない。新自由主義の時代に主に行われた規制緩和の産業分野は、金融だ。カーターレーガン、そして(特に)クリントン政権下で大規模な規制緩和が行われている。進歩派の多くは、2008年の金融危機の主な原因に、1999年のグラム・リーチ・ブライリー法(グラススティーガル法の廃止)を挙げているが、これは間違いである。危機は、商業銀行と投資銀行の関係性ではなく、店頭金融派生商品の制御不能な利用のために起こった。これは、最も重要な金融規制緩和だった2000年の商品先物近代化法(バーニー・サンダースはこの法案に賛成している!)によって可能となった。2000年代に起こった一連の金融市場の暴落と危機に対して、最終的には、ブッシュ政権下のサーベンス・オクスリー法、オバマ政権下のドッド・フランク法によって金融は再規制された。

金融は規制緩和され、その後に再規制されているが、経済部門において巨大で重要な分野では規制の強化が進んだ。その最たるものが住宅規制だ。1970年代から、区画をそのままの形で凍結保存させるような込み入った地域規制の厳しい強化が進んだ1970年に制定された国家環境政策法は、環境保護を地方公共団体に移管し、地方公共団体は環境保護を名目にあらゆる開発計画に意義を唱えることが可能となり、事態をさらに悪化させている。結果、新自由主義時代に住宅の建設数は減少の一途を辿り、現在の住宅〔不足〕危機の一因となっている。

新自由主義の時代には、医療業界に対しても多くの重要な規則が制定されたが、これらがどれだけ医療コストの上昇に寄与したかは不明だ。

いずれにせよ、レーガン、クリントンの両時代、ましてや1980年から2016年までを一括して、規制緩和の時代と表現するのは非常に困難だ。経済のある部分では規制が強化され、別の部分では規制が緩和されているが、最終的にどちらが決定的だったかは不明である。

新自由主義の時代には、自由貿易が採用されたのだろうか?

新自由主義の時代、アメリカはWTO(世界貿易機関)の設立を主導し、中国が世界貿易体制に参入できるようにした。また、アメリカは、1994年のNAFTA(北米自由貿易協定)のような、重大な二国間自由貿易協定をいくつか締結している。これらは重要な自由貿易政策となっていた(ただし、中国は自国の貿易を自由化することで、これに実際に応じたわけではなかった)。

しかし、同時期、関税のような貿易の開放度を実際に示す指標を見てみると、この時期以前の数年間にほぼ全てカットされていたため、大きな動きはほとんどない。

アメリカの平均関税
出典:Wikimedia

アメリカのGDPに占める輸入割合は、興味深いことに、レーガン政権では変動していないが、クリントン&ブッシュ政権下では拡大している。

しかし、これには大きな要因があった。インターネットの台頭である。これによって、国際貿易が大幅に促進された(以前には、コンテナ輸送の台頭によって、同じ現象が起こっている。)

新自由主義時代の最初の15年は、強烈な保護主義の時代でもあった。アメリカは、1985年に日本と西ヨーロッパに圧力をかけ、自国通貨を切り上げるように要求している。また、80年代から90年代初頭にかけては、日本との間で厳しい貿易交渉を行い、大筋で日本にアメリカ製品の一部を購入するように強制した。また、80年代後半から90年代前半にかけては産業政策を推進している。特にSEMATECHコンソーシアム [3]訳注:Semiconductor Manufacturing Technologyの略。アメリカ政府による次世代の半導体開発支援を目的としたコンソーシアム の設立が代表例だ。

総括してみると、新自由主義時代、アメリカは貿易を開放していたが、時代の開始時点ですでにかなり開放されていた。レーガンは基本的に自由貿易主義者ではない。貿易が本格的に活性化したのは90年代に入ってからで、それにはインターネットと中国の重商主義的な政策が決定的な役割を果たしている。

民営化と脱労働組合化

一般的に新自自由主義的転換として挙げられる政策として、他に2点、民営化と、脱労働組合化がある。民営化として俎上に上る産業は、イギリスの事例がほとんどだ。それらの多くは、第二次大戦後の社会主義的なイギリスの政権によって国有化されている。一方、アメリカでは、民営化する産業がそもそもあまりなかった。政府による、刑務所、学校、医療等の民間企業への業務委託を挙げる向きもあるが、これらは政府資産の売却とは全く別物であり、最終的には政府が費用を負担している。

脱労働組合化については、民間部門では極めて現実化しているが、これも〔新自由主義時代の前である〕50年代後半から始まっている。逆に、公的セクターの労働組合は、70年代後半にかなり上昇し、世界同時不況期に若干の下落を示すまでは、新自由主義時代も上昇したまま横ばいとなっている。

民間部門・公的部門:労働組合加入率
出典:unionstats.com via Dissent

レーガンによる最も有名な反労働組合政策である、1981年の航空管制官組合(PATCO:(Professional Air Traffic Controllers Organization)所属の組合員によるスト破りには、公共部門の労働組合の助力があったことを忘れてはならない。

民間部門で労働組合の組織化の減少は、1947年のタフト=ハートリー法の成立に多く起因している。これによって、州単位での労働権法が出現するようになった [4] … Continue readingこうした一連の法律は、組合組織化率や、賃金の抑制に大きな影響を与えた。しかし、これら法律のほとんど全ては、40年代と50年代に採択されている(あるいは2010年に採択されたものもある)。〔新自由主義時代とされている〕レーガン、クリトン時代にはアイダホ州(1985年)だけ、ブッシュ時代にはオクラホマ州(2001年)だけで、労働権法が制定された。

連邦法の観点からは、「新自由主義への転換」の期間に、労働組合への措置はほとんど実施されていない。レーガン政権下で〔独立行政機関〕全米労働関係委員会(NLRB:National Labor Relations Board)が、労働組合に敵対的だったことは有名で、裁量的な〔組合への〕規制措置を実施している。しかし、長いスパンで見れば、反労働組合政策への転換はもっと早期、つまり神聖視されている大戦直後の数十年に起こったようだ。(テクノロジーやグローバリゼーションの影響もあり、すべてが政策によって左右されるわけではないことを忘れてはならない)。

すると、実際に新自由主義への転換はあったのだろうか?

1970年代後半から1990年代にかけて、アメリカの経済政策が大きく変化した事実を否定するのは非常に難しい。しかし、これら変化の全体的な影響を見てみると、専門家や多くの知識人が典型的に想定しているような、低税率、規制緩和、福祉削減、自由貿易、労働組合潰しといった「新自由主義への転換」があったとは言い難い。格差は拡大し、労働組合は減少したが、その多くは、僕たちが社会民主主義に最も近いと考えるだろう大戦直後の数十年に行われた政策変更の影響である(一方、グローバリゼーションのような外部の変化の影響もある)。規制緩和が進んだ分野もあれば、規制が強化された分野もある。福祉によっては、削減されたものもあるが、拡充されたものもあり、全体的に福祉制度はより進歩的になっている。政府は、浴槽の中で溺死したのではなく、縮小したのでもない。単に変化したのだ。

新自由主義時代は、改革の時代と明確に定義できない。複雑に進化した時代と言えるだろう。これから続く時代も、同じように複雑に進化すると予測すべきだ。

Was there really a “neoliberal turn”?
Yes, sort of, but it’s much more complicated than you think.
Posted by Noah Smith,On Sep 24 2022〕

References

References
1 訳注:レーガンが社会保障をやり玉を上げる時に、代表として例示した、生活保護を受けながら贅沢な暮らしをしている人物
2 訳注:Aid to Families with Dependent Children:要扶養児童家族扶助
3 訳注:Semiconductor Manufacturing Technologyの略。アメリカ政府による次世代の半導体開発支援を目的としたコンソーシアム
4 訳注:労働権法は、従業員による労働組合への加入を自由意志に委ねる法律。この法律によって、結果的に、動労組合の加入率は低下することになっている
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  1. 〔新自由主義偉大の前である〕50年代後半> 〔新自由主義時代の前である〕50年代後半

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