経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

ビル・ミッチェル 「主流経済学者は本当に大赤字と国債買入を受け入れたのか?」(2021年2月23日)

http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=46945です) 

 ジョン・メイナード・ケインズは1930年に「孫のための経済的可能性」という小文を書いた。彼は向こう100年のうちに技術的なシフトが起こり、労働者は週に15時間しか働けなくなるだろうと考えていた。この予言はそうした生産性の向上が起こったという意味では正しかったが、労働者がそこから利益を得るという意味では間違っていた。ケインズは生産性が均等に分配されると考えていたのだ。彼が過小評価したのは資本が利潤から利潤を吸い上げる能力、そして、そのために国家を掌握して立法や規制の力を利用して賃金の伸びを抑制することを確実にする能力だった。 主流経済学者たちは資本の代理人として、不平等の拡大と国家の再構成に手を貸してきた。このことは、財政赤字及び中央銀行の債務購入について、主流派経済学者の見解が明らかに変化してきていることをどう捉えるかに関係してくる。昨日は悪いことばかりだと言ったことを今日は良いことばかりだと言う。意見の変化を評価する際には慎重であれというのは歴史が警告するところだ。一貫性を保つためにはそのまえに言っておかなければならないことがあるはずだ。

ケインズの予想は正しく、正しくなかった

 ケインズは資本主義の根本的な改革を求めてはいなかった。
 同エッセイではこう書いている。

…世界で騒がれている二つの対立する悲観論はどちらも間違っていることは私たち自身の時代のうちに証明されるでしょう。事態は悪すぎるので暴力的な変化以外に私たちを救う道はない考える革命家の悲観論と、私たちの経済的生活と社会的生活のバランスはとても不安定なのだから実験は危険だとする反動主義者の悲観論のことです。

 所得をより均等に分散させたり、職場内のパワーバランスを変えたりするような社会的経済的な変化を止めようとする保守派にも嫌気がさしていたことは見ての通り伝わってくる。

 「欲望に満ちた世界での失業の巨大な異常性」という表現もある。

 このエッセイは100年後の2030年つまり「孫たち」が中年期(または少し年上)になる頃の予測だったとみると彼はこう「予言」していた。

… 100年後の先進国の生活水準は、現在の4倍から8倍になるだろう。

 4〜8倍とはなんとも広い範囲だ。

 この予測は当たっただろうか。

 1930年の英国の1人当たりの実質GDPは5,042ポンドだった。

 そして2014年には26,394ポンドだった(イングランド銀行のデータベースを使用)。

 2017年は、29,670ポンドだった(ONSによる)。

 だからケインズの予測は当たっている – 約5.9倍の増加。

 米国のデータにあてはめても、彼の予測はやはり正しかった。

 1947年の1人当たりの実質国内総生産は14,118ドルだったのが、2019年には58,113ドルであった。

 4.1倍の拡大だったことになる(出典):

 その一方でケインズは同エッセイで「8倍よくなったとしてみよう」と続けている。彼の予測の不正確だった側面はここに現れていると言えるだろう。

 彼はより多くの富を求めて努力し続ける人々が常にいることを受け入れている。ルイス・キャロルの小説シルヴィーとブルーノの教授の話を引用しているのは、そう考えた証拠だ。

 彼はその上で、私たち人類は物質的な欲求を満たした上で「それでもなお残る労働はできるだけ広く共有するようにするため」に週に15時間しか働かないようになるだろうと考えていたのだった。

 テクノロジーによって労働の必要性を減らしつつ労働者にも巨額の富がもたらされることによって豊かさが増大すれば、短時間労働が現実のものになるだろうと。

 重要なのは、ケインズは将来の生産性の上昇を広く予測したが、資本主義を理解していなかったことだ。

 どういうことか?

 現実の生産性の伸びは労働者に均等に分散されていない。

 ケインズがナイーブなのはこの点だった。資本家が所有する職場から労働者を解放しうる生産性の大幅な向上が、現実に社会全体で共有されるだろうと考えたのだ。

 第二次世界大戦後の社会民主主義時代には完全雇用のコンセンサスが共有されていたものだ。

 オーストラリアにおいても毎年、司法賃金設定当局が「生産性」のヒアリングを行っていた。このことを知らない人が多いのにはよく驚かされるのだが、単位時間あたりの生産量が前年比で平均どれだけ増加したかを見積もり、それに基づいて労働者の昇給を決めていた。

 つまり、最低賃金の労働者たちが生産性が低い労働集約的の職場で苦労したとしても、物質的な生活水準の恩恵が回っていた。

 ところがこのシステムは雇用主たちから激しい反対され、その結果、1980年代以降の新自由主義に忠誠を誓う労働党政府によって放棄されることになった。

 それ以降資本は、労働者を犠牲にすることで実質賃金の伸びと生産性の間のギャップを拡大させ続け利益シェアは約10ポイント増加した。

 労働者は、新自由主義政府によって規制が緩和された金融市場からの借り入れを増やさなければ消費水準を維持できないことになった。実質賃金の伸びが鈍化し家計の負債が増加したことで、労働者層の多くは生活を維持するために労働時間を短縮するどころか、より多くの労働時間を捻出しなければならなくなった。

 アイデンティティを研究している人たちは女性の解放と労働市場への参入を称賛するが、その傾向には暗い面があり、賃金が抑制される環境の中で生きるためには共働きせざるを得なくなるという圧力が働いていたわけだ。

 毎日2~3回の単純な掃除の仕事をしなければならなくなった女性たちが家父長制社会からのジェンダー解放を享受できたとは言い難い。

 一人当たりの所得を長い歴史的スパンでの比較しようとするときの誤りの元凶はこうしたことにある。

 ケインズは、テクノロジーがすべての職業分野の労働の必要性を減らし、高給取りも低給取りも同じだけ失業させていくと見ていたが、資本主義の現実は大きく異なっていた。

 失業の負担は、相変わらず最も不利な立場にある労働者にのしかかっている。

 いわゆる「ギグ・エコノミー」の発展も、新自由主義で加速した不平等を定着させるための近代資本主義が適応した姿なのであり、不利な労働者集団の存在と連動している。

 馬鹿げたほどの低賃金雇用のために労働者が競争させられているこの状態は、単に在職期間が不安定であることだけの問題なのではなく、そもそも始まってはいけない危険な状況だ(最近オーストラリアでは、小銭を求めて急いで走り回るスクーターの配達ドライバーが数人事故で死亡している)。

 今やこうした労働者層が普通の住民たちの一角を占めるようになった。彼らは富を蓄積することができず、家を購入することができず、病気になっても安心できず、有給休暇を取ることができず、安全な年金を得る老後を楽しみにすることができない。

 明るい未来が見えない彼らは近視眼的にならざるを得ない。ケインズが想定した通りには、また社会民主主義時代にベビーブーム世代が期待できたようにはなっていないのだ。

昨今の経済学の思考の変化との関係

 主流派経済学者たちは今、自分たちが財政政策の優位性についての議論を先導していると見せかけようと必死になっている。

 ほんの数年前まで(失業率や不完全雇用率が高かった時でさえ)彼らは財政赤字の危険性を説いていたのだが、今は政府による大規模支出や中央銀行による債務の買い取りを唱えている。

 中央銀行の債務購入は禁じ手だったはずなのだが、そうではなくなったようである。むしろそれを軽視する経済学の専門家はほとんどいなくなった。

 今週、主流派の経済学者ロス・ガルナートは「オーストラリア政府(連邦政府、州政府、準州政府)は完全雇用に達するまで財政赤字を拡大し、オーストラリア準備銀行(RBA)はこれに合わせてが発行した債務をすべて買い取るべきだ」と発言した。

 彼は、RBAは金利をマイナス領域に押し下げる必要があると考えているとのことだ。

 また、ミルトン・フリードマン流の「負の所得税」型ベーシック・インカムを提言した。

 こうしたことで豪ドル高を食い止めることができると考えている。

 思い出すのは私がキャリアの初期にキャンベラの国会議事堂でMMTのワークショップを行ったとき、聴衆の一人にガルナートがいた。Q&Aの時間に彼は大声で私のことを、狂っている、財政赤字の増加は国家を破産させるだろうと言い放ったものだ。

 あれは連邦政府に財政黒字マニアが解き放たれた瞬間だった。

 不快なやりとりだったが、当時はよくあることだった。

 暴徒に立ち向かえば報復が起こる。それがグループシンクの働きなのである。

 そうしたグループの一人であるガルナートの特徴は記憶が短いことだ。過去を上書きする彼らの能力はすごい。

 2016年の彼はRBAの金融政策スタンス(金利が高すぎる)を正当化するために「オーストラリアは弱すぎる」と警告していた(ソース)。

 我が国は財政を引き締める必要があるが、徐々に進めなければならない。経済が弱体化しているので、急激な増税や歳出の削減は経済にショックを与えてしまうからだ。必要なのは、適度で目標を持った増税、適度で目標を持った歳出の削減である …

 オーストラリア人が、この深刻な財政問題に対処できないという自然の法則は存在しない。

 と言うが、当時オーストラリアには約14.9%の労働力不足があったのである。

 この人物は、われわれには「深刻な財政問題」があるから財政緊縮を目指すべきとしていた。本来あるべき姿には何十億も足りない財政赤字のことをそう言っていたのだ。

 彼は一貫して財政赤字を問題にしていた。

 2004年12月3日、彼は当時経済学の教授を務めていたオーストラリア国立大学で、講演を催している。

 当時インフレ率は低く、また労働力の未利用率(失業と不完全雇用)は12%程度あったのだが、彼は財政政策について次のように主張した。

 1980年代の好況の絶頂期の財政黒字がもっと大きければ、それがカウンター・サイクル的な働きをしただろう。1980年代後半がそうだったのであれば、それは今の財政政策にもまったく当てはまることなのだ。

 現状の財政は大幅に引き締めたほうがいい。もっと早い方が良かったが、後回しにするよりは今やった方が良い。そうすれば、ちょうど金融引き締めするのと同じように為替レートを上昇させることなく民需の恩恵を受けることができることになる。

 当時の財政黒字と「好況」は、家計の負債が大幅に増加したことで消費が伸び続け、政府の歳入が急増したことが記録された結果だ。

 捨てられた労働力は高い水準のままだった。

 それは余りにも無責任な黒字だったのだが、ガルナートのような連中はそれをもっとやれと言うのだ。

 つまり彼は失業と不完全雇用を増やしたがっていた。

 ところが2021年の彼は – 完全雇用の達成がむつかしいことを懸念していると主張している。

 この、彼の財政赤字などに対する突然の態度の変化は、現在世界中で起こりまくっている現象だ。

 主流の経済学者たちは、自分たちの無力さを恐れ、立場を変えて、そんなことはずっと前から知っていたと主張している。あるいは、事実の方が変わったと主張する。

 素材は何も変わっていない。

 財政政策の働きはいつも変わらない。

 金融システムは、1970年代初頭と同じように動いている。

 為替レートも、変わらず常に変動している。

 変わったのは、船から逃げ出そうとする列に並ぶネズミの数だ。

それは喜ばしいことだろうか?

 この頃は毎日のようにジャーナリストから電話があって一つ二つ質問される。

 私がキャリアを通じて提唱してきたアイデアについて、ついに経済学者も意見を言うようになっており、現代貨幣理論(MMT)が今やホットな話題になっていると彼らは言う。

 だが、まだまだだ。

 そのように見えるとしても、別のアジェンダが働いていると疑っている。 

 一年前の英ガーディアン紙の社説(2020年2月17日)–ケインズの復活に関するガーディアンの見解:革命的な道–は、経済学者たちの「逆サイド」への行進が表れていた。

 それは第二次世界大戦後から1970年代までの期間のケインズ経済学の覇権を「打倒」した、保守側の議論の写し鏡なのだ。

… 福祉への手厚い支出は、資本主義を弱体化させただけでなく、インフレを引き起こし、不安定化させる結果となり、民主的なガバナンスを脅かすものとなった。

 これこそ、まさに、労働者の利益についてのケインズの1930年の予測の背後にあった政策論であり、その方向性だ。

 貨幣主義者が主導権を握ったその後の数十年で、ケインズの予測は外れていくことになる。

 貨幣主義の教義を説いていた主流経済学者が、その同じ口で財政政策の優越性を説いている。

 広く受け入れられた貨幣主義とその変種である主流の理論は、ケインズ派の正統性を経験的に否定することで生まれたものではなかった。それは、高度に抽象的で先験的な論法に立脚するだけの議論に過ぎず、リベラルな思考を捨てた保守的イデオロギーの甦りなのだ。

 アラン・ブラインダーは1988年の著書–『ハードヘッドソフトハート』–で、ケインズ派の考えの拒絶について次のように書いている(p.278)。

…と言うよりも、それはアプリオリな理論化が経験主義を制圧したということであり、観察に対する知的美学の覇権であり、言わば自由主義に対する保守的なイデオロギーの勝利だった。要するにクーン的な科学革命ではなかったのだ。

 ”要するにクーン的な科学革命ではなかった。”

 失業を減らそうとするケインズ的な救済策は、自然失業率仮説とその政策的含意を受け入れた専門家の大部分からの嘲笑に見舞われることになった。

 主流派経済学は支配階級の利益に貢献するものであり、労働者階級を弱体化させる政策を提唱し続けてきたことを忘れてはいけない。

 英ガーディアンの(英国に関する)社説から:

貨幣主義、覇権を握った経済理論は失敗に終わった。2008年以降の英国の一人当たりGDPの伸びはほぼゼロだった。

 この記事は次のように続く:

 金持ちの支配を固定するためセンセイたちは今度は国家の力を使おうとしている。イアン・ダンカン・スミスはBBCで「貨幣主義を回復するには適量のケインズ主義が必要だ」と語っていたが、これはそうした意味だ。低インフレ状態における緊縮財政とは、経済が需要に飢えているということだ。だからその処方箋は政府が支出することである。しかしダンカン・スミスは、国が労働の側に介入せよとか、富を再分配し投資を社会化せよとは言わない。氏が提案しているのはケインズを欠いたケインズ主義なのだ。

結語

 というわけで、ネズミどもが船から逃げ出しているのが良いことかどうかを私に尋ねる前によく考えてほしい。ネズミたちは本当に船を離れているのか。それともGFCとパンデミックという10年に二度のショックを経てもなお、利潤の搾取システムを再構成しようと、今だけレーダーを避けようとしているだけなのか。

 危機に陥ると、資本は常に国の財政能力に救済を求める。経済学者たちこそがその先導役だったのかもしれない。

 本当に船を離れたなら、そうではなかった(おそらく)ことになる。

 今日はここまで!

ビル・ミッチェル 「マクロ経済の所得と支出の関係をグラフィカルに」(2021年2月16日)

(http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=46895)

 ニューカッスル大学ではMOOC(=Massive Open Online Course)の開発のために様々な作業を行ってきたが、これはMMTed の最初の教材になるものだ。向こう数ヶ月間にわたって詳細な学習オプションを用意してゆきMOOCを充実させていくことになる。明日はこの撮影がある予定で、MOOCが2021年3月3日に開始されれば、皆さんも私たちが準備したものをお楽しみいただけるだろう。この一環として私は、複雑な概念やその相互関係を教えるための単純化したフレームワークを考えてきた。ここではこのアイデアの一つを紹介しよう。

MOOC現代貨幣理論:21世紀の経済学

 2021年3月に開始されるMOOCの開発の一環として、数か月かけて現代貨幣理論(MMT)の教育イニシアチブを作ってきた。

 大学のデジタルチームであるNewcastleXと協力して、世界中で無料で利用できるコース資料を作成しているのだ。

 誰でも登録参加でき、新しいことを学べ、同じ考えを持つ他の人と話し合うことに熱心な人にぴったりなもの。

 それがMOOCの哲学だ。

 現代貨幣理論:21世紀の経済学–コースは2021年3月3日に始まるのだが、リンクからすべての登録の詳細(無料)がわかるようになっている。
 
 これは、このところ私がやろうとしていた-MMTedプロジェクト-の第一段階なる。

 ずっと資金不足に悩まされてきたが、このMOOCに関する大学とのパートナーシップは本当に大きな第一歩だった。大学のデジタル学習チームは一流で、この新しいプラットフォームがどのように機能するかをわかりやすく教えてくれた。

財政赤字の重要さを理解する

 以下は、私がマクロ経済学の入門プログラムで使用する教育のためのデバイスなのだが、学生がマクロ経済の基本的なしくみを理解できるようにするものだ。支出は産出と等しく所得とも等しく、これらが雇用を動かす。

 これはマクロ経済における均衡の概念を理解するのに役立ち、均衡が「市場の清算」や完全雇用を意味しているとする主流経済学者の考えを払拭するものだろう。

 もし財政支出などの外部からの影響がなければ、経済は高いレベルの失業率で均衡する状態が無限に継続しうるということを学ぶ。

 また、部門バランスの教材(代数的な導出でなく)としても使用でき、財政政策の役割を明瞭にすることができる。

 人によっては、代数による簡潔化よりも、このような図の形式の方がありがたいのだ。  

 また、大量の(非自発的な)失業の存在は、財政赤字が小さすぎるか、あるいは黒字が大きすぎるのだという原則を簡単に把握することができる。

 というわけで、私が普段から行っている発表の仕方をもっと多様なものにするべく、その説明をブログでも共有しようと考えた。

 すでに勉強したことのある人なら、この構造が、私の長年の現代貨幣論(MMT)の視点に合わせて仕立てた、経済循環の説明に基づいていることがわかるだろう。

 単純な基礎から始め、そこに現実世界の要素を順次取り入れていくことで、図を複雑化していくシリーズというわけだ。

家計と企業

 最初は家計と企業だけの経済を簡単に表現することから始まる。
 
 政府もいるが、その役割を捨象している。政府による通貨注入がなければ何も起こりようがない。

 以下の分析では、価格は安定していると想定する。通貨の流れが実質的な購買力につながることを効果的に表現したいからだ。

 事業会社は、経済全体の総支出がどうなるかを予想し、次に運転資本と労働者を集め、期待される販売量に合わせて生産を行う。彼らはそれぞれの単位コストの見通しと、希望するマークアップに基づいて価格を設定する。マークアップは利益の野心を反映するものだ。

 次に、生産的なインプットの供給者に所得を支払う。

 家計消費支出は総所得にドライブされ、それが企業など私たちの周りに収入をもたらす。

 生産と雇用をもたらす支出は所得と等しい。

 もしこの循環からの漏出(Leakages)ないし外部ショックがなければシステムは安定しており、ずっと持続する。

 これをマクロ経済の均衡状態と呼ぶ。

 この定常状態が完全雇用状態だと推定することはできない。その可能性はゼロではないが、まずありえない。

 だからこれは不完全雇用の均衡、つまり、ケインズが財政刺激でこれを打破し、雇用を高めるために経済を押し上げよと主張したような状態だ。

税(Taxes)による漏出

 ではここで非政府部門に納税を強制してこの状態が乱されるとどうなるだろうか。

 下の図では、企業への税(と公共への移転)を捨象しているが、含めたとしても基本的な話は変わらない。

 税による漏出だけがある場合、それは非政府部門から政府部門に所得を漏出させ、総所得の流れからその分が捨てられたことになり、消費支出の流れも少なくなる。

 すると、企業は売れ残り在庫が増えないように生産量を減らし、労働者を解雇するだろう。

 つまり現代の金融システムにおける税の賦課は、アイドル状態のリソースが増えた状態を生みだすという働きをする。

 そこから経済を元の均衡に戻す(GDPは国民所得の水準を回復する)ためには、流し込む政府支出は最低限、税による流出による購買力の漏出を相殺していなければならない。

 さて、上に書いたように当初の定常状態は、企業が販売量の見通しに応じ続けているにもかかわらず非自発的失業は存在していると考えられるものだった。

 だから、たとえ政府支出の注入(Injections)税による漏出(Leakages)から生じる消費支出の損失を相殺したとしても、経済は依然として完全雇用を下回っている。

 言い換えれば、この文脈(家計が可処分所得の100%を消費することにしている)において、経済を完全雇用に向かわせる方法はただ一つ政府の赤字を増やすことのみだ。

 政府支出が税を上回れば(G> T)、それは販売を刺激し、企業はより多くの労働者を雇い、より高い所得を支払うことになり、それは税収(税制が収入に関連している場合)増となりその分の家計消費支出は削減されることになる。

 この調整プロセス–政府支出からの財政赤字の増加が、支出乗数と呼ばれるものだ。

 より詳細には以前のエントリ–Spending multipliers(2009年12月28日)を参照されたい。

 さて、上記の条件において非自発的失業がある(つまり人々が提示された賃金を受け入れる状況)ということは、財政赤字が少なすぎることを意味しているということが理解できる。

 次に、この赤字支出という新たな状態がどのように均衡を回復するのかが気になるだろう。

 この単純な条件において、最初の政府支出のインパクト(赤字への)は、所得の増加、課税の増加、消費の増加をもたらすが、それは税の増加をもたらし、消費支出はその分減少する(各段階に税がかかるため )。

 所得水準が上昇し、それによる税収の変化が調整され、総税収が新しい政府支出額に等しくなるところで新たな均衡状態となり、その財政赤字は帳消しとなる。

 家計が所得を全部消費する場合(今の想定)、均衡になるのは税という漏出が発生していて、政府収支がバランスする場合だけだ。

 漏出注入とが等しいことが平衡である、というのは一般原則だ。

 これは財政均衡を主張するものではない。この非常に単純化したパターンに適用されている条件であるということに過ぎない。

 それでは、これを複雑にしていこう。

貯蓄(Saving)による漏出

 次は、この新しい均衡状態において、家計が可処分所得の一部を節約すると決めた場合はどうなるだろうか。

 ここで限界消費性向(MPS)、つまり可処分所得が1ドル増えたうちどれだけ消費を増やすかの比率だが、これは1よりも小さい。

 また限界貯蓄性向(MPS)は1からMPCを引いたものだ。

 つまり、所得と支出の循環にさらなる漏出があるということであり、他に何も起こらなければ、生産量、収入、雇用、ひいては消費支出が減少する。

 したがってこの条件においては、貯蓄を増やすと非政府部門で失業が起こる。

 この単純な設定においては、ここで政府が赤字になれば失業は一掃されうる(政府の財政は均衡しているという条件であったことを思い出すこと)。

 財政赤字の拡大は、貯蓄による漏出によって生じる家計消費支出の損失を相殺し得るというわけだ。

 この赤字拡大が調整されるプロセスにおいても財政支出の場合と同様に、国民所得が上昇し(政府支出は現在の税収を上回る)、税収が上昇し、家計消費支出と貯蓄フローが増加し、漏出の合計(税と貯蓄)が新しい国民所得レベルに見合ったものになり、注入された追加の政府赤字に等しくなって均衡に至る。

 だから、もはや財政状態のバランスを保つ必然性はない。完全雇用が維持され家計の貯蓄傾向がゼロより大きという条件においては、政府は赤字でなければならない。

輸入(Import)を導入

 ここで海外部門を追加する。国内経済はその所得の一部を海外で生産された商品やサービスに支出するとする。輸入である。

 輸入への支出とは、所得から支出の流れ加えて、新しい漏出が追加されることであり、他の介入がなければ、生産、所得、雇用および、それがもたらす消費支出を減少させる。

 漏出は国内生産への支出を減らし、国民の所得を減らす。

 対して注入は国内生産への支出を増やし、国民の所得を増やす。

ここでも、輸入という漏出に対抗するだけ財政赤字が増加すれば、国民の所得の損失を回避することができる。

事業投資(Investment)と輸出(Exports)を導入

 このフレームワークにおいては、貯蓄、税金、輸入の漏れを相殺しうる注入として、政府支出以外に二つがある。それは、事業投資と、海外への輸出だ。

 財政赤字水準がそのままでも、投資と輸出からの注入があれば、経済を完全雇用所得以上にすることができる。

 政府が純支出を削減することもできるが、それは、これら二つの注入が完全雇用の生産水準を維持するためのフローに入るからだ。

 当然ながら、さまざまなシナリオをこのフレームワークでプレイさせることができる。

 輸出の注入輸入の漏出に対してだいぶ大きい設定にして、政府が財政黒字であっても完全雇用を維持できる条件を構築することもできる。

 平衡の条件は、漏出注入とが相等しいということ。

 貯蓄+税金+輸入=投資+政府+輸出

 この条件は平衡状態でも維持される。この単純モデルにおいて、三つの漏れは所得の関数である(これらは国民の所得の上昇に対してある比率で上昇する)から、国民所得(GDP)が完全雇用水準になるであろうときの「漏れの合計」を相殺するために要請される「支出の合計」はある一つの数字に定まる。

 これは財政赤字が必要であるという意味にはならない。

 が、ある定まった政府支出額という条件において、事業の投資と輸出の合計が、完全雇用水準の国民所得(GDP)で発生するであろう漏出の合計に達していない場合には、経済が完全雇用に達することができるのは、政府支出が増加する場合だけであることが示されている。

 この均衡条件は、ある安定した生産水準を与えるが、完全雇用を保証するものではない。

 完全雇用を維持するための安定した国民所得の条件は、もっと具体的に次のように書き直すことができる。

G = 政府支出
T = 税収
S = 貯蓄フロー
M = 輸入支出
I = 投資支出
X = 輸出支出

 Yfという修飾子は、完全雇用におけるS、T、Mの値を示しており、それらは経済が不景気にあるときより大きい値だろう。

 完全雇用時に、国民の所得が安定で、そのとき非政府部門の漏出>非政府部門の注入であるならば、総需要のキャップを打ち消すのに十分な財政赤字状態(G-T)になっているはずである。

最後に

 最終的に、部門収支関係に到達できた。

 このグラフィカルな説明は代数的な説明が苦手な人たちにより深い理解を提供しうるものだろう。

 今日はこのくらいで!

ビル・ミッチェル 「日本、またも消費税ダイブ」(2019年9月30日)

ビル・ミッチェルの記事一覧はここ

Bill Mitchell, “Japan about to walk the plank – again – “,  – Modern Monetary Theory, October 29, 2019.

[Read more…]

ビル・ミッチェル 「日本の依存人口比率、その何が問題か? パート2」(2019年10月29日)

Bill Mitchell, “What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 2“,  – Modern Monetary Theory, October 29, 2019.

[Read more…]

ビル・ミッチェル 「日本の依存人口比率、その何が問題か? パート1」(2019年10月28日)

Bill Mitchell, “What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 1?“, –Bill Mitchell – Modern Monetary Theory, October 28, 2019.

[Read more…]

ビル・ミッチェル 「日本政府の答弁スタイル ー どこまでも拒絶」(2019年10月24日)

Bill Mitchell, “Q & A Japanese government style – denial has no boundaries“, –Bill Mitchell – Modern Monetary Theory, October 24, 2019.

(訳者注:日本語から英訳された質問主意書と政府答弁書は元の日本語に戻してあります。Chie Kobayashi(twitter)の助力による質問主意書および政府答弁書の素晴らしい英訳は原エントリをご参照)

[Read more…]

ビル・ミッチェル「国債の発行は必要ない」(2015年9月3日)

Bill Mitchell, “There is no need to issue public debt“, – billy blog, September 3, 2015.


先週催されたロンドンでのイベントで、政府は国債を発行するべきではないという話をした。国債発行の機会費用は利益を上回るからだ。現代貨幣理論(MMT)の目で見れば、財政赤字を政府債務と一致させる特段の必要性はなく、財政赤字は、Overt Monetary Financing(OMF)と呼ぶ金融オペレーションで運営されるべきなのだ。驚いたことに、聴衆から政府債務の発行は続けるべきではないかという声も出ていた。私の理解が正しければ、その根拠は、国債は労働者が将来のために貯蓄する安全な避難所を政府が提供するためにあるからだ。つまり、労働者が苦労して得た貯蓄を保持しておく無リスク資産を提供するためだけのために、国債の発行にまつわる複雑な仕組みを維持すべきというご意見だ。その目的のためなら、政府はその通貨発行能力を、公的に運営する国民貯蓄基金に行使した方がはるかにシンプルなものになる。債務は一切不要なのだ。
[Read more…]

ビル・ミッチェル「マンキューの『原理』は洗脳だ」(2009年12月29日)

Bill Mitchell, “Do not learn economics from a newspaper“, – billy blog, December 29, 2009.
(訳注:10年前のエントリで、リンクはいろいろ切れていますがそのままにしています。また、原題は「新聞で経済学を学ぶな」という感じですが、著者が別エントリでこの文書を次のように紹介していることからタイトルを変えています。
Do not learn economics from a newspaper – for more discussion on why these principles are just an ideological brainwashing exercising.)


先週末、 [Read more…]

ビル・ミッチェル「政府のB/Sなどという愚かな道を行くIMF」(2018年10月16日)

Bill Mitchell, “IMF continues to tread the ridiculous path“, Bill Mitchell – billy blog, October 16, 2018.

[Read more…]

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 2」(2009年2月23日)

Bill Mitchell, “Deficit spending 101 – Part 2“, Bill Mitchell – billy blog, February 23, 2009.

Part1の翻訳はこちら

Part3の翻訳はこちら


[Read more…]