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ビル・ミッチェル「明示的財政ファイナンス(OMF)は財政政策に対するイデオロギー的な蔑視を払拭する」(2016年7月28日)

Bill Mitchell, “Overt Monetary Financing would flush out the ideological disdain for fiscal policy“, Bill Mitchell – billy blog, July 28, 2016.

 

3人の金融機関系の経済学者(二人はBIS、一人はタイ中央銀行)が書いたHelicopter money: The illusion of a free lunch (2016年5月24日)という記事がある。この記事では、明示的財政ファイナンス(OMF)、つまり中央銀行の金融的キャパシティで財政赤字拡大を実現し、非金融主体への政府債務を発行しない政策について ”話がうますぎる” 、 ”大きな代償を支払うことになる” と論じられ―― ”金融政策を永久に喪失することになる” と要約されている。彼らが行っている議論は、現代金融理論(MMT)の提唱者が20年以上に渡って発表してきた研究と極めて整合的である。その研究は今、主流派の銀行システム分析の打破を始めている。

しかし、彼らが導いた結論はオリジナルのMMT提唱者たちには支持されない。MMT提唱者たちは、OMFを極めて望ましい政策方針と見なしている。政府が本来備えている金融的キャパシティをよく表現するものだからだ。さて、件の記事では、”フリーランチ”という言葉が何を意味するかのついての疑問も提示している。このフリーランチという言葉は、マネタリストであるミルトン・フリードマンによって広められた(ただし、彼の発案ではない)。経済学におけるこの言葉は、「政府の介入はコストを生ずる」という主流的見解とセットで使用されている。しかし、今一度“フリーランチというものはない”という言葉の本当に意味するところを検討すれば、我々が(実物資源制約を強調する)MMTの体系に非常に近い形で扱っているということが分かり、また、通貨発行権を持つ政府(currency-issuing governments)に適用されている金融的制約の誤謬も明らかになる。

 

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ビル・ミッチェル「銀行融資は―準備預金ではなく―自己資本によって制約されている」(2010年4月5日)

Bill Mitchell, “Lending is capital- not reserve-constrained“, Bill Mitchell – billy blog, April 5, 2010.

 

今日、バーゼル委員会の「自己資本比率規制を強化し、銀行規制体制強化のための新しい流動性ルールを導入するべきだ」という新しい提案文書をずっと読んでいる、全てを読み切るにはあまりにも膨大な文書だ。さて、私はこの新しい提案に関する二つの異なる見解に遭遇した。一部の評論家は「自己資本比率規制は銀行の信用創造能力を阻害するものであり、したがって規制が経済成長に歯止めをかけるだろう」と論じている。もし自己資本比率規制が強化されれば、そうしなかったときよりも成長率は低くなるだろう、というわけだ。一方で、著名な”進歩的”経済学者は、そうした見解に異議を唱えたが、同時に主流派マクロ経済学の迷宮の中で混乱状態に陥っていた。そうした混乱は、自己資本比率規制と法定準備制度がたびたび混同されてしまうという事実を明確にさらけ出すものだった。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日)

Bill Mitchell, “Building bank reserves is not inflationary“, Bill Mitchell – billy blog, December 14, 2009.

 

今日私は仕事でDubboにいる。Dubboはニューサウスウェールズ州の西部で、州の中でも外れた辺鄙なところにある。普通の人々はしばしば通り過ぎてしまうこのオーストラリアの田舎では、美しい景観が楽しめる。私のこの実地見学は、この地域の土着のコミュニティについて私が継続的に行っている研究と関係がある。この研究についてはいつか報告しよう。さて、今日の記事は、私が昨日に準備預金について展開したテーマの続きだ。昨日の記事―Building bank reserves will not expand credit邦訳)では、準備預金の動態について検討したが、時間が無かったので、いくつかの論点を残してしまっている。一つの論点は、準備預金拡張がインフレーションに与える影響の可能性についてだ。これは、危機に対する金融政策の効果に関する時代遅れな考えについての主流派たちの病的熱狂の核心的部分だ。結論については安心してほしい――金融政策についての唯一の問題は、それが無効であり、より大きい財政政策の努力が必要だというところだ。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)

Bill Mitchell, “Building bank reserves will not expand credit“, Bill Mitchell – billy blog, December 13, 2009.

 

ポール・クルーグマンは、彼の最新のニューヨークタイムズの記事(2009年12月10日) Bernanke’s Unfinished Missionで、マクロ経済学について本当はあまり理解していないということを露呈した。時折、誰かコラムニスト(の書いたもの)を読むときに、疑わしきは罰せずの精神で、書かれていない背後の意味を見つけようとすることが誰にでもあるだろう。クルーグマンは、他のコラムニスト同様、時々は明らかに正しいことを言ったり、現代金融理論(MMT)に整合的な議論を行ったりしてはいる。しかしそれでも、馬脚を現すような記事がいつも現れ、それによって結局「このアナリストは本当は分かってない」ということが明らかになってしまう。クルーグマンの場合、日本の”失われた10年”の政策論議に対して彼が行った悲惨な介入から何も学ばなかったようである。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「貨幣乗数、及びその他の神話」(2009年4月21日)

Bill Mitchell, “Money multiplier and other myths“, Bill Mitchell – billy blog, April 21, 2009.

 

最近ニュースになっている量的緩和のような政策は、銀行システムの運用法や、非政府セクターと政府セクターの関係についての誤った思い込みに基づいている。主流派経済学の核の部分の1つであり、学生に対して早い教育段階で打ち込まれ、しばしば永久に学生にとって不利益に働く代物として、貨幣乗数(money multiplier)というコンセプトがある。それは、学生の記憶に永久にしつこく生き残り続ける(ないしそう見える)ので、極めて有害なコンセプトだ。また、貨幣乗数は、不換紙幣(fiat currency)&変動為替の現代金融経済における銀行の運用法の描写として、全く不正確である。それがなぜなのかを解説していこう! [Read more…]

ビル・ミッチェル「納税は資金供給ではない」(2010年4月19日)

Bill Mitchell, “Taxpayers do not fund anything“, Bill Mitchell – billy blog, April 19, 2010.

 

時折、誰も読んでいないし何の注意も払われていないが、不換紙幣(fiat currency)に基づく金融システム運営を行っている政府の持つ選択肢について、基礎的理解を提供している過去のいくつかの資料を発見することがある。そうした資料のうち、今でも有効なものの一つについて詳説しよう。その理解のエッセンスはこの記事のタイトルに要約されている――「納税は資金供給ではない」。したがって、評論家や政治家が”納税者のお金が無駄遣いされた”みたいなことを発言しているのを聞いたら、彼らが金融システム機能について理解していないと即座に結論付けることが出来る。この点において、彼らの主張は無視した方が良い――最初の前提がそもそも間違っているので、その結論も間違っている可能性が高いからだ。問題なのは、一般の政策議論が概してこうした誤った前提に基づいているということである。結果として、概して劣悪な政策方針が採用され、たいていの場合、恵まれない立場にいる人々の利益が著しく害されることになる。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「自然利子率は「ゼロ」だ!」(2009年8月30日)

Bill Mitchell, “The natural rate of interest is zero!“, Bill Mitchell – billy blog, August 30, 2009.

 

メディアでは、オーストラリア準備銀行(RBA)が2009年末に利上げするだろうということがやかましく報じられている。失業と不完全雇用がまだ増加しており、雇用成長率が利上げ時点でゼロを超えるかどうか不透明な中では、利上げはナンセンスだと思われる。理論的な観点から言って、こうした全ての推論の道筋は(ジャーナリストたちが本当に理解しているかどうかはともかく)、”中立利子率”と呼ばれるコンセプトであり、これは新自由主義的偽装の一つだ。今回のブログ記事では、これについて論じていこう。 [Read more…]

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)

Bill Mitchell, “Deficit spending 101 – Part 3“, Bill Mitchell – billy blog, March 2, 2009.

Part 1 の翻訳はこちら

Part 2 の翻訳はこちら

 

この記事は財政赤字101のPart 3だ。このシリーズは、財政赤字を恐れるべきではない理由の説明のために書いている。この記事では、銀行システムにおける財政赤字の影響を考察することを通じて、「財政赤字が政府借入需要を増やし、金利を引き上げる」という既存の神話を蹴散らすつもりだ。この二つの議論には関係がある。重要な結論は、(a)財政赤字は金利に対して下落圧力をかける動態を持つ、ということと(b)政府債務発行は政府支出の”資金調達”をするものではない、ということだ。そうではなく、債務発行は、(オーストラリア中央銀行(RBA)の目標金利維持志向としての)金融政策をサポートするために行われるものだ。 [Read more…]

サイモン・レン=ルイス「非伝統的金融政策vs財政政策」(2014年9月6日)

Unconventional Monetary Policy versus fiscal policy(mainly macro, 6 September 2014) Posted by Simon Wren-Lewis

 

前回のエントリ(拙邦訳はこちら)では、極めて単純な設定から、利下げで需要刺激するのがベストであること、減税と政府支出も同様の役割をこなせること、減税と政府支出の場合は需要不足のコストに比してはたいしたことのない厚生コストしか発生しないことを説明した。

したがって、少々専門用語を交えて言うと、利下げはファーストベストだが、もし名目金利がゼロに達してそのファーストベストが利用不可能になってしまったら、財政政策を用いるべきである。もし財政刺激のサイズに資金的制約があるなら、一般的に減税よりも政府支出の方がより効果的である。

では、非伝統的金融政策についてはどうだろうか? 非伝統的金融政策には主に二種類ある: 将来のインフレ目標(およびプラスの産出ギャップ)に対するフォワード・コミットメントと、貨幣発行によって様々な種類の資産を購入すること(QE)だ。それぞれのケースについて、その政策にかかる厚生コストと、財政政策利用の厚生コストの比較を行いたい。しかしながら、効果の不確実性という問題もある: 我々は、どれくらい利用できる政策なのかを知りたい: 不確実性の問題は、前のエントリでは重要ではなかった。なぜなら、我々は伝統的金融政策と財政政策の影響について多くのエビデンスを保有していたからだ。だから次はそれぞれの非伝統的金融政策について考察しよう。

金利がゼロに嵌ったときの需要刺激策の一つとしては、理想水準より高いインフレと産出の組み合わせを将来に約束するというものがある。(これは明示的ないし暗示的に、名目GDPのような何かしらの名目水準を目標として用いることで可能である。このことについてあまり知らない方々は、こちらをご覧になると良い。) この政策のコストは明確だ: 理想水準より高い将来インフレ・産出である。繰り返しになるが、名目金利がゼロに嵌る理由となった現在の不況の深刻さを考えれば、こうしたコストは受け入れるに値する。こうしたコストが政府支出の変更のコストより大きいか小さいかは議論の余地がある。私がここで議論したWerningのペーパーによると、どちらも含んでいるものが最適政策になり得るのだという。

この特定の政策において生ずる問題の一つに、時間的不整合性の問題がある。中央銀行が将来のインフレ目標を引き上げると約束し、今日の不況を和らげるのに役立ったとして、不況が終わったときその約束を守るだろうか? 国民はそれを許すだろうか? 人々がそうならないと考えたとき、政策の有効性は弱まり、政策効果の不確実性は増加する。これは、何らかの名目目標に政策を紐づけるのが有用になり得る理由の一つだ。1

もう一つの非伝統的金融政策はQEだ: これは通貨発行によって資産購入を行うものである。この政策は将来の金利を引き下げるというフォワード・コミットメント以外の何物でもないと見做すことが出来、先ほどの議論に我々を引き戻すことになる。この政策について、それ以上の問題も想定してみよう。未解決の大問題としては、この政策がどれだけの歪みを齎すかという問題があると考えられる。

例えば、Mark GertlerとPeter KaradiによるQEの効果の研究におけるもっともポピュラーなモデルの一つでは、中央銀行が融資を行うか、政府債務を購入する。これによってリスクプレミアムが減少し、厚生が改善する。このことは、QEがなぜ永久的でないかという明かな疑問を提起する。著者たちは、中央銀行が民間銀行よりも「どんな資産を買うべきか」を知るにあたって比較的非効率であると想定することで、この問題を回避している。しかしながら、著者たちを含めて、こうした効率性コストがどんなものか少しでも知っている人がいるのかどうかについては、定かではない。

おそらくこうした歪みは極めて小さいだろう。しかしながら、この議論は、QEに関するさらなる深刻な問題を浮き彫りにしている。それは、我々がQEの効果、あるいは実際にその効果が線型なのかどうか、そしてどの市場で施行するのがベストなのかということについてはっきりした考えを未だに持っていないということである。QEについてのアナウンスメントは明らかに市場に影響を与える。しかし、それはMichael Woodfordが議論したように、シグナリング装置として機能するからかもしれない。Jim Hamiltonもまた懐疑的だ。このことが強烈に示唆するのは、QEの効果についての不確実性が、伝統的金融政策や財政政策に関する不確実性よりはるかに大きいという事だ。

こうして考えると、一部の人々が「非伝統政策が財政政策よりも常に好ましい」と断固主張する理由がわからないのである。最近のNick Roweのエントリへのコメントで、Scott Sumnerはこう書いている。”私の考えは「一度中央銀行が地球上のすべての資産を買い占めてから話を聞こう」というものだ。そうなってから、我々は財政刺激について論ずることが可能になる。” この言明の実質的な意味は、政府の片腕(中央銀行)が莫大な量の貨幣を発行して大量の資産を購入することが、政府のもう一方の腕(財務省)が消費者の支出・貯蓄できる貨幣を減らすことよりも優れているというものである。こうした選好は実に奇妙に思えるが、レーニンなら気に入ったかもしれない!

 

 

  1. もし一時的な政府支出が実際には恒久的だと信じられた場合、政府支出の経済刺激効果は大いに失われる。しかし、このことは時間的不整合性の問題ではない。他の違いとして挙げられるのは、政府支出が通期的に支出を増やしたり減らしたりている一方、先進的な経済における中央銀行がわざと好況を作るのは極めて稀であることである。 []

サイモン・レン=ルイス「需給ギャップを埋めるには:金融政策か、減税か、政府支出か」(2014年8月27日)

Filling the gap: monetary policy or tax cuts or government spending (mainly macro, 27 August 2014) Posted by Simon Wren-Lewis 

 

資本のないシンプルな閉鎖経済で非自発的失業の増加を伴う総需要の不足があるとしよう。我々は、民間消費(C)と政府消費(G)のどちらかの引き上げを試みるだろうか? 仮に前者を試みるなら、なぜ減税より金融政策をより好むのだろうか? その理由は?

もし民間生産財と公共生産財に対する選好が安定的なら、理想的にはC/Gの比を最適な水準に保ちたい。したがって、もし総需要の減少がCの急減で生じるなら、何とかしてCを引き上げたいと考える。実質利子率は将来消費に対する現在消費の価格なので、明らかな第一の最善政策は、Cの価格が変化して消費不足が取り除かれる実質金利を達成するよう、名目金利を設定することである。こうした考えは、金融政策を景気安定化装置として好む現代の選好の背後に入る基礎的な直観である: 私が政策割り当てのコンセンサス(the consensus assignment)と呼んでいるものの一部だ。

古典派モデルあるいは実物的景気循環モデルでは、こうした金利調節は魔法のようにひとりでに起こる。そうした調節は通常、 ’価格伸縮性’ という用語を当てにしているが、総需要の不足がどのようにしてより低い実質金利に変換されるかについてあまりよく説明できないので、やはり魔法に過ぎない。現実の世界では、「魔法使い」は中央銀行だ。注意してほしいのだが、私は金融政策と財政政策に関する実施ラグについては一切言及していない。実施ラグは、教科書において政策割り当てのコンセンサスの理由の一つとして挙げられているが、金融政策を選好する理由として私が挙げたものは、それよりもいっそう本質的な代物だ。

もし総需要の不足が技術進歩を通じた ’供給’ の増加によって 起きた場合はどうだろう? この場合でも、第一の最善政策は消費を増やす金利引き下げである。しかし、我々はまた、最適なC/G比を保つために、公共消費も増やしたいと考える。

最後に、より複雑なショックについて考察しよう――フィリップス・カーブに影響を与え、ある水準の産出・総需要に対するインフレ率を引き上げる ’コストプッシュ’ ショックについてだ。既に知られている通り、この場合我々は(負の総需要ギャップを作って)産出を減らし、インフレーションをある程度抑制する政策を求める。産出ギャップにもインフレーションにもコストがあると考えるからだ。しかしながら、こうした場合において金融政策がファーストベストなのかどうかについてはさほど明らかではない。Fabian Eser、Campbell Leith、そして私が執筆したこの論文では、ここでも金融政策がファーストベストなのであると示した。我々はいくつかの方法で(ただし、それ以外の方法は使わずに)モデルを複雑化して、金融政策だけで社会厚生が最大化されるという結果を得た。

消費下落による需要ギャップに話を戻すと、名目金利がゼロ下限で行き詰まり、金融政策が使えなくなったとしよう。民間消費を引き上げたいなら、明らかな代替手段は減税だ。もし定額税(人頭税のような、所得と無関係な税)を用いることが出来るなら、仮に消費者が減税に反応するとして、減税は極めて有効に機能するだろう。そこには二つの問題がある。リカード等価性の問題と、定額税が存在しないという問題だ。

リカード等価性が完全に成り立つ場合は、減税は消費を全く刺激しない。しかしリカード等価性が成り立たないという首尾一貫したエビデンスがある。ただ、こうしたエビデンスは、少なくとも半分、あるいはそれ以上の減税が貯蓄に回されることを示しており、このことは、消費ギャップに比して額面の点で大きい減税が必要だということを意味する。また、減税の効果の不確実性も付加される。何かしらの刺激政策パッケージのサイズにある程度の資金的制約がある場合は(しばしばそうであろう)、それによって所得効果に依存する税の変更政策に深刻なデメリットが生じる。もし資金的制約がないとしても、減税の消費刺激効果の相対的な弱さは、他の理由で問題になる。

定額税は存在しないので、ある程度歪みを齎す税(インセンティブに影響を与える税)を用いなくてはならない。これは、減税は租税の平坦化を侵害することを意味する。最善の政策は、税の歪みを一貫してキープすることだと考えられている。ある年で税率10%、他の年で税率50%とするよりも、税率30%をキープする方が好ましい。したがって、所得税減税(後には増税を行う)で消費ギャップを満たすのにはコストがある。より多くの減税が貯蓄に回されるほど、そうしたコストは大きくなる。こうしたコストのせいで消費ギャップを満たすのをやめるという可能性は極めて低い。なぜなら、失業コストはそうした不公平な税の歪みよりもはるかに重要だからだ。しかしながら、コストの存在により、実質金利変更のようなファーストベストの政策とはかけ離れたものとなる。

対照的に、あらゆる需要ギャップ埋め合わせにおいての公共支出の利用は、はるかに直截的だ。その需要面での影響と雇用面での影響が比較的予想しやすいからだ。しかし、それにもコストがある: CとGのバランスが崩れるのだ(Cに比してGが過剰になる)。Chris Houseの最近のエントリは、代替的財政刺激手段としての減税と政府支出の対立を扱っている(ノア・スミスがそれに続いてエントリを書き 、Chrisはそれに反応している )。彼の提案によれば、政府支出は、その社会的便益が社会的コストを上回るときにのみ刺激手段として用いるべきなのだという。私はそうした考えがこの問題を考えるにあたって大して有用とは思われない。私の考えでは、もっと良い考えは、需要ギャップは必ず埋め合わせられないといけないということを受け入れて(なぜなら、何もしないことのコストは極めて大きいからだ)、付帯的損害を最小化する方法を見つけ出すという事だ。それは減税ではなく、Gの追加だろう。もし財政刺激のサイズに資金的制約があるなら、そのことはほぼ確実だ。

同じような論理が、非伝統的金融政策についても当てはまるが、そのことについては別のエントリで論じよう。