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タイラー・コーエン「書評:スティーブン・ピンカー『The Better Angels of Our Nature』」

Tyler Cowen “Steven Pinker on violence” (Marginal Revolution October 11, 2011)


これは重要かつ示唆に富むで、知的なノンフィクションを読む人全てにお勧めできる。書評はここ。でも僕はこの本のメインテーマには疑問も感じている。1

体制変化について計量経済学的な検定を行ってはどうだろうか。17世紀は、19世紀初頭と同じようにそれ以前の時代よりも遥かに暴力的な時代だった。程度の差こそあるけれどね。多分この分布は、「長期にわたる平和の高まりと、それを中断させる暴力の急上昇」とルイス・リチャードソンが暴力的衝突の統計に関する1960年の著書で示唆したところが上手く表現しているんじゃないだろうか。戦争とはミンスキー・モーメント2 のようなものだと考えてほしい。その一方で、多くの「大平穏期(great moderations)」の証拠があるけれど、銃声によってそれら全ては終わりを告げられる。

ピンカーはこうしたアイデアについて第五章で詳細に論じているけれど、そこを最後まで読んだ後でも、僕はリチャードソンの説明ではなく彼のそれを受け入れるべきと信じるには至っていない。ファイナンスにおけるペソ問題の文献が思い起こされるんだ3

暴力が低下したように見えることを説明できるピンカーのそれに代わるもう一つの仮説としては、現代の暴力はとりわけ民間領域において低下しており、国家がより強力になったことがその理由というものがある。この本を「暴力の国有化」とでも題することは出来なかったのだろうか。でも国有化は暴力が去ったことを意味しない。少なくとも一番マクロなレベルにおいては。僕の先の指摘の変形型として、現に存在する傾向を「暴力勃発頻度の減少、しかしそれが起きた場合の結果の重大化」とでも表現するのも一つの手だろう。富の増大(兵器の破壊度上昇とそれによる使用頻度の減少、と同時に富を維持する欲求の存在)と暴力の国有化という点の双方がこのパターンへと舳先を向けている。二つの世界大戦、スターリン、毛主席、そしてホロコースト、平和の高まりに向かう傾向(という仮定)に反してこれら全ての事態がそう遠くない過去に起こったものであることを説明するのにこれは役に立つだろう。こうした近年の破壊的な事態は、ピンカーにとってはどれだけ足掻いても上手く説明するのに苦慮するデータ点だ。

僕らは今、大きな暴力勃発の狭間に位置する長い期間にいるわけだけれど、次のは多分これまでで一番ヤバいものになるだろう。

この本が1944年に書かれていたら、どのように受け止められただろうか。多分1945年かそこらは、戦後平和の極大点をもたらした核兵器によるレジーム変化の年だろう。核問題についてのピンカーの議論はP268から始まるけれど、彼は核兵器が敵国の指導者自身に影響を与える力を過小評価していて、だから僕は彼が現に見られる平和の向上の核心から核問題を退けているのには納得がいっていない。要すればパックス・アメリカーナを思い浮かべてほしい。

この本の中で最もオリジナリティー溢れる部分の一つ(例えばP656)で、ピンカーは理性の範囲の拡大が、フリン効果4 と相まって人々をより平和的な態度へと向かわせていると主張する。彼は一種の道徳についてのフリン効果のようなものを主張しており、それによって僕ら自身を個々人から抽象化したり、科学的に考えるという能力が向上することで、ますます他人の考えに親しみやすくなり、共感が発揮されることが増えるという。P661では、ガレット・ジョーンズの叡智5 について素晴らしい言及がなされている。ピンカーの主張は、レーヴン検査6成績が優れている人7 たちは、適切なコスモポリタン的関係について考えるのがとりわけ容易であるというユニークな結論を示唆している。こうした考えについては、僕もCreate Your Own Economy(邦訳「フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる」日経BP社)で展開してみたところだ。

こうした道徳についてのフリン効果に対する代替仮説はどのようなものだろうか。暴力を支持することによる民間のリターンがほとんどの期間において僅かな物であり、暴力が国有化されたと仮定すると、人々は共感の増大へ投資するインセンティブを持つようになり、そうした共感の周囲にそれぞれの自己像を築き上げるようになるだろう。この共感は虚像ではなく実在するものだけど、と同時に認知的・感情的能力の実際の向上に基づくものより壊れやすいものだ。1990年代のモスタルやサラエボ8 、さらには長崎、英国やベルギーの植民地主義を考えてみてほしい。

統計を行う際に鍵となる問題の一つは、暴力をどのように図るかというものだ。ピンカーはよく「一人当たり」という指標を好むけれど、僕は疑問に感じるところがある。僕だったら一人あたりの加重平均と「暴力の絶対量」の指標のほうが良いと思うかもしれない。600万人のユダヤ人をホロコーストで殺害することは、僕の考えでは、世界人口が二倍だったとしてもその「暴力さが半減」することはない。一人あたりの指標に絶対量の指標を加えると、長期傾向はピンカーが言うような好ましいものとは遠いものになる。

ジョン・グレイのピンカーに対する(厳し過ぎる)書評はここ。僕としては、この本は読んで考えを巡らせてみるのに十二分に値する本だと思う。そしてピンカーが正しいということを強く願っている。ピンカーは僕の疑念を晴らすのに可能な全てのことをやっているけど、(まだ?)功を奏してはいない。核兵器について考えてみると、過去60年間の平和の向上という変化を実際のものと考えるのは安易だと思うんだ。

  1. 訳注;時代とともに暴力は減少しているという主張。こちらのサイトで本書について詳細な(全63回)書評が行われているので、興味がある方は原書と合わせ是非参照されたい。 []
  2. 訳注;市場の暴落が始まる地点 []
  3. 訳注;ペソ問題とは、一見非合理的に見える市場の価格付けも、非常に頻度は低いが重大な結果をもたらす危機を織り込んでいるからそうなっているのであり、それを鑑みると合理的な価格付けであるというもの。ここでは、起きる頻度の低い暴力的事態をピンカーが考慮に入れていないのではないのかという意。 []
  4. 訳注;世界的にIQテストの結果が時代を下るにつれて向上するという現象 []
  5. 訳注;集団が賢くなるにつれてより協力的になるということを、集団のジレンマの繰り返しゲームを持って示したもの。 []
  6. 訳注;知能検査の一つ []
  7. 訳注;リンク先は自閉症やアスペルガー患者のレーヴン検査での好成績を示唆する論文 []
  8. 訳注;どちらも旧ユーゴからの独立紛争時に大きな被害を受けたボスニア・ヘルツェゴヴィナの都市だが、ここでは特に民族浄化が意識されている。 []

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