Paul Krugman, “The Year of the Weasel,” Krugman & Co., Janurary 3, 2014.
逃げ口上の年
by ポール・クルーグマン
2013年に起こらなかったことと,起こったことを,簡潔に考えておこう.
起こらなかったことの方は,2012年と同じだ.2011年,2010年とも変わりない:インフレがとめどなく昂進することはなかったし,国債自警団がアメリカを(あるいは自国通貨で借り入れてる他のどんな国も)ギリシャに変えてしまうこともなかった.「ギリシャになるぞ」ってさんざん言われてたのにね.
現に起きたことの方は,札付きの連中が自分の予測について言ってることの変化だ.何年経ってもずっとインフレと金利の昂進を予測してた連中の発言に変化が起きた.
間違いを認めたってこと? いや,まさか.ただ,彼らの言い訳は変わった.2011年から2012年にいたっても,「そのうちみてろ」というのが主な中身だった――インフレ昂進はいまに到来するぞ,いやすでに到来してるのに腹黒な統計学者どもが数字をごまかしてるんじゃないか,なんてことを言っていた.ところが2013年には,それが「そんなこと言いませんでしたけど!」になった――インフレ昂進はリスクだとしか言ってない,必ず起こるとは言ってないぞ,だからインフレ昂進が実現しなかったのは大した問題じゃないと言い放つようになった.ぼくとしては,これは大きな進歩だと言いたい.だって,見解の不一致の本質について,新しいのぞき窓を開いてくれるからね.
2012年あたりまでは,競合するモデルどうしでまっとうな争いがなされているんだと見ることも可能だった.でも,いまや,論争の一方の側がたんに証拠を考慮に入れるのを拒絶してるばかりか,あやまちの個人的責任をかわそうと試みてるのが見て取れる.
こうして,いろんなアイディアの検証が人物の検証に切り替わった.で,多くの人が失格とあいなったわけ.
© The New York Times News Service