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トーケ S. アイト, ガブリエル・レオン, ラファエル・フランク, ピーター S. イェンセン 『民主主義と革命危機: 新たな実証成果』 (2015年1月8日)

Toke S. Aidt, Gabriel Leon, Raphael Franck, Peter S. Jensen, “Democracy and the threat of revolution: New evidence” (VOX, 08 January 2015)


民主化に際しては、革命の危機というものが中軸的役割を果たすのだと示唆する理論がいくつか存在する。本稿はこの仮説を裏付ける新たな実証成果を提供するものである。本稿執筆にあたっては19世紀のヨーロッパ、20世紀末前後のアフリカ、1832年の英国での大改革といった場面でみられた民主主義への移行に関するデータを利用した。我々は、歴史中一貫して、抜き差しならぬ革命危機がその機先を制しようとする民主主義的改革の引き金となっていたことを明らかにした。

革命危機仮説

2010年から2012年まで続いたアラブの春の間に北アフリカや中東を席巻した暴力的抗議活動の波は、長らく盤石の体制を保っていた幾つかの専制政治国の崩壊と時を同じくしていたが、これら専制政治国のうち首尾よく存続を果たしたところでは、大衆勢力の鎮静化をねらった一連の政治改革・再配分政策が足早に施行されていたのだった。そこから一と半世紀を遡った西ヨーロッパにおいても何やら似た様な事態が起きる。1848年、フランスでまたドイツ各地で諸革命が勃発すると、それに続く様にしてデンマークやルクセンブルクまたベルギーそしてオランダでは民主的改革が見られたのだ。

こういったエピソードは 「革命や暴動およびその他の暴力的抗議活動は民主的変革の引き金と成り得る」 との仮説の信憑性を高めるものである。同仮説が魅力的なのは、それが参政権拡張にまつわる謎、つまり、「政治権力をはじめ多くの場合経済的リソースをも独占している既存専制権力が、自分達とは異なる目的をもった人口層に対し、広く自らの権力を共有してゆく事に同意するのは何故なのか」 という謎を解いてくれるからだ。革命危機仮説は特にAcemogluとRobinson (2000, 2006) またBoix (2003) の労作を通して展開されてきたのであるが、その示唆にしたがえば、ひとたび成功すれば自らの権力基盤全体を根絶やしにするだろう革命の抜き差しならぬ危機と直面した時、専制勢力はその様な行動に出るのだろう、という事になる。この見方を取れば、今日のアラブ世界における専制勢力や150年前の西ヨーロッパの諸君主がみせた対応は、抜き差しならぬ革命危機の機先を制する為の反応だったのだといえる。

とはいえ、皆が皆この解釈に納得している訳ではない。例えばRoger Congleton (2010, p. 15) は1830年から1930年の間に起きた諸般の民主的改革を論ずるなかで次の様に主張している: 「実質的に全てのケース [国] において、リベラル改革の採用にあたって改正に関する既存の憲法的規則が用いられた。どのケース [国] においても、リベラル改革の全てに大規模反乱が先行していたなどという事は無く、そのうえ殆どのケースでは、一見してすぐそれと分かる様な改革を生み出せなかった大規模デモの例で溢れているのだ」

民主化は多面的プロセスなのだから、民主主義の淵源に関してこの革命危機仮説とその他の説が当てはまる領域を画定する事こそが課題と成る。そこで、革命危機仮説がどこまで民主主義への移行を説明し得るのかを確定してゆく算段となるが、これは次の2つの理由の為に困難なものと成っている。

 

  • 第一に、問題と成るのは革命の危機であって、これは定量化が難しい。
  • 第二に、観測された社会的抗議活動をその背景に在る危機の代理物として用いるなら、同危機が民主化を引き起こすのか、それともその2つとも何か別の要因から生じているのか、この点を確定するのは難しい。

我々は一連の論文で (AidtとJensen 2014, Aidtと Leon forthcoming近刊, AidtとFranck 2013, forthcoming近刊) 歴史上のデータ並びに近年のデータまた種々の識別戦略を用いて上記の問題と取組んできたが、これらの研究成果をはじめ、Przeworski (2009) の先行研究やDorschとMaarek (2015) の最近研究から炙り出される状況は明らかだ。即ち:

  • 革命危機は確かに民主化原動力の1つなのである

革命危機の新たな実証成果

タイトルに挙げた問題に解答を与えようとすれば、理想的には民主主義への移行例全てを含んだ集合を対象とした研究を行ってゆくべきだろう。だがこれは不可能なので、研究者として我々は、特定期間、特定国家、さらには具体的な改革にまで研究の焦点を絞ってゆかざるを得ないが、こういった特定の対象を数多く研究することでも、暴力・暴動・革命と民主化の間に在る繋がりに関して非常に多くを学ぶ事ができるのである。我々がこれまで研究に取組んできた 『事例』 は次の3つ。即ち: 『長い19世紀』 におけるヨーロッパ、20世紀末前後のサブサハラ-アフリカ、そして1830年代の英国、これである。

各々の事例において、そこでの既存支配勢力に対し、彼らの握る権力を脅かすに足る実効的な反抗行為を実施しようとする際に関係してくる 『集合行為問題』 が目下のところ解決されている事を見せつける役割を果たした客観的観測可能な出来事が具体的に存在する。そこで我々は、既存支配勢力がこうした出来事に対しどの様な反応を見せたのか、とりわけ、彼らが民主的改革を採用したのかどうかを調査した。勿論、これだけではこの2つの事柄の間の因果関係を確立するまでには至らず、各々の事例においてコンテキストを踏まえた識別戦略が必要となる。

体制不満に関する情報の国際的伝播は、危機認識の違いを把捉する1つの方法である。Kurt Weyland (2014, p. 120) は1848年におけるヨーロッパの諸革命について論ずる中でデンマークの事例を取り上げ、このロジックの例示としている: 「デンマーク国王には、到来しつつあった不満の波を見定めるのに [プロイセン国王よりも] 多くの時間が有ったし、非常に高く付いたウィーン (3月13-15日) やベルリン (3月18-19日) での衝突について知る事もできた。そこで3月21日になるとデンマーク国王は暴力の機先を制するべく、彼の宮殿の外に集まった群衆に対しこういった変革 [リベラル民主主義的憲法] を申し出たのだ」。我々はAidtとJensen (2014) のなかで民主化第一波 (1820-1938) の渦中に在ったヨーロッパ諸国のパネルデータを対象とする研究を行ったが、そこでは 「近隣諸国における実際の革命が、その他の国君主や潜在的革命家に対し、状況がどれだけ危機的であるかを伝えるシグナルの役割を果たした」という考えを精査し、この様な革命的事件と参政権改革の間に頑健な関係性が存在する事を明らかにしている。なおこの関係性は、革命の中心地に言語的または地理的に近しい国について強くなる。

  • 我々の推定値は、ヨーロッパの何処かで革命が1つ勃発した場合、近隣諸国で参政権改革が1つ起きる可能性が75%上昇するという関係があったことを明らかにしている。

1990年から2007年に掛けてサブ-サハラアフリカで起きた民主的変革を対象とした我々の研究は、革命危機と民主化の繋がりが、ヨーロッパにおける民主化第一波に固有のものではなかった事を証明している (AidtとLeon, 近刊)。同研究では、国内の暴動に関するデータを用いて体制不満の程度の定量化を試みた。暴動と政変を引き起こす原因は多岐に亘るから、暴動が民主的変革に及ぼす真の影響を明らかにする為に操作変数法を利用している。我々はBrücknerとCiccone (2011)、BurkeとLeigh (2010) およびFranck (近刊) に倣い、天候ショック (干ばつ) を政治行動に対する操作変数とした。干ばつが暴動に繋がるかもしれないというのには多くの理由が在る; 例えば、一時的な所得の減少することで権力への反抗にまつわる機会費用は低減するし、干ばつは農村地帯を困窮させるので都市部への移住が続いて生じるが、これは既に存在している緊張状態を加速させ、過密状態を悪化させるものである、等々。そして我々は、干ばつが暴動に及ぼす影響の結果として民主的変革の確率が16.7パーセント点上昇する事を明らかにしている。

ヨーロッパ及びアフリカにおける民主化を対象とした我々の研究は諸国のクロスセクションデータを継時的に調べたものだったが、『1832年大改革法』 の研究では英国の民主的変革における一大事件に焦点を置いている (AidtとFranck 2013, 近刊)。田園地帯での反乱 – 所謂スイング暴動 – の地理的伝播を精査したのだが、同反乱は『非改革議会』の下で行われた選挙としては最後のものである1830年と1831年の選挙の間に当たる時期に勃発したものであった。そこで我々は、或る選挙区の極近辺で勃発した暴動が、大改革法を承認する1831年の議会において職務を果たすことになる改革に好意的な政治家一名をその選挙区が選出する確率に対し、如何なる影響を及ぼしたのか推定を試みた。勿論、地域暴動と、改革に対し好意的な政治家の当選の間にみられる相関はどれも、多数のファクターから生じていた可能性が在る。そこで我々は、地域的社会相互作用効果を媒介に既存の道路ネットワーク沿って暴動が拡散した事実を精査する事で、地域暴動への曝され方に関する外生的差異の分離を目指した。我々の操作変数とマッチング推定値の示唆するところでは、スイング動乱が無ければ、改革に友好的だった2政党も下院で過半数を獲得する事はなかったようである。そしてこの過半数無しには、同改革プロセスは十中八九押し留められていただろう。

結論

革命危機はAcemogluとRobinsonが一連の論文や、書籍The Economic Origins of Dictatorship and Democracyのなかで展開した民主化理論において基軸的役割をもっている。同理論は民主化が歴史の機運を決する分節点において勃発することを強調するものであるが、我々の実証成果はこの見解の裏付けとなった。しかしながら、我々の研究にせよ、革命危機説それ自体にせよ、工業化・都市化・所得増加・国際貿易・格差といった背景に在って、ゆっくりと歩みを進める経済プロセスと、民主化へのきっかけが織り成す複雑な相互作用が重要であることを否定し去ろうというものではない。他国における革命・地域暴動との直面・干ばつが誘発した抗議活動などといった 『革命ショック』 が一押しとなり一国をして限界線を踏み越えさせ、支配勢力を民主的改革の施行へと向かわせる場合もあるだろう。しかしそれも背景に在る経済的ファンダメンタルズがその限界線に『近接』している状態が在って初めて生じ得るのである。

 

参考文献

Acemoglu, D and J A Robinson (2000), “Why Did the West Extend the Franchise? Democracy, Inequality, and Growth in Historical Perspective”, Quarterly Journal of Economics, 115(4), 1167-1199.

Acemoglu, D and J A Robinson (2006), Economic Origins of Dictatorship and Democracy, Cambridge: Cambridge University Press.

Aidt, T S and R Franck (2013), “How to Get the Snowball Rolling and Extend the Franchise: Voting on the Great Reform Act of 1832”, Public Choice 155 (3), 229-250.

Aidt, T S and P S Jensen (2014), “Workers of the World, Unite! Franchise Extensions and the Threat of Revolution in Europe, 1820-1938”, European Economic Review, 72, 52-75.

Aidt, T S and G Leon (forthcoming), “The Democratic Window of Opportunity: Evidence from Riots in sub-Saharan Africa”, Journal of Conflict Resolution.

Aidt, T S and R Franck (forthcoming), “Democratization under the Threat of Revolution: Evidence from the Great Reform Act of 1832”, Econometrica.

Boix, C (2003), Democracy and Redistribution, Cambridge: Cambridge University Press.

Brückner, M and A Ciccone (2011), “Rain and the Democratic Window of Opportunity”, Econometrica, 79 (3), 923-947.

Burke, P J and A Leigh (2010), “Do Output Contractions Trigger Democratic Change?”, American Economic Journal: Macroeconomics, 2, 124-157.

Congleton, R D (2011), Perfecting Parliament, Cambridge: Cambridge University Press.

Dorsch, M T and P Maarek (2015), “Inefficient Predation and Political Transitions”, European Journal of Political Economy, 37, 37-48.

Franck, R (forthcoming), “The Political Consequences of Income Shocks: Explaining the Consolidation of Democracy in France”, Review of Economics and Statistics.

Przeworski, A (2009), “Conquered or Granted? A History of Suffrage Extensions,” British Journal of Political Science, 39, 291-321.

Weyland, K (2014), Making Waves. Democratic Contention in Europe and Latin America since the Revolutions of 1848, Cambridge: Cambridge University Press.

 

ヴァウテ・デン・ハーン, マーティン・エリソン, イーサン・イルゼツキ, マイケル・マクマホン, リカード・レイス 『Brexitと経済学専門家: アカデミックな経済学者は投票者や政策画定者と疎遠になっているのか?』 (2016年8月12日)

Wouter den Haan, Martin Ellison, Ethan Ilzetzki, Michael McMahon, Ricardo Reis “Brexit and the economics profession: Are academic economists out of touch with voters and politicians” (VOX, 12 August 2016)


EUメンバーシップをめぐる英国レファランダムの結果は経済学専門家にとって深い自己省察の機会となった。経済学専門家のあいだではBrexit支持の投票がネガティブな経済的帰結を予測する点でほぼ見解の一致があったのである。本稿では、専門家を対象として2016年6月に行われたCentre for Macroeconomicsの調査を紹介する。これはレファランダムの結果に対し経済議論が果たした役割について、またアカデミックな経済学の研究成果 – ならびに専門家全体としての見解 – の伝達の在り方に関して制度的変革が必要であるか否かを問うものだった。意見は割れたが、制度変革を支持しない回答者であってもその多くは、アカデミックなマクロ経済学コミュニティと政策画定者ならびに広く世間一般との関係には幾つも考慮すべき問題が在ると見ている。

英国のEU離脱というレファランダム決定を経て、これから政策画定者は英国でもEUでも幾つかの困難な選択を迎えることになるだろう。こうした選択は、些末とは言い難くしかも後々まで影響の長引く結果をもたらす可能性が高いが、マクロ経済学者ならばこれに対してマクロ経済学的見地から助言が可能である。しかしここで幾つかの問いが浮上する。そしてそれは、関連諸国のニーズを正しく把握しようとするさいにマクロ経済学者に何ができるのかを尋ねるだけでなく、どうすればマクロ経済学の専門家全体としての立場を政策画定者と広く社会一般に対し効率的に知らしめることが出来るのかという点にも及ぶものである。

というのもレファランダム以前の段階で、専門家のあいだにはBrexit支持投票からのネガティブな経済的帰結についてほぼ一致した見解があったのだ1。もちろん経済議論のほかにも重要な論点は数多く在るし、また選挙やレファランダムの結果というものは極めて把握し難いのが通例である。しかし一部から、そもそも経済論議もエコノミストがどの程度自分の見解に自信をもっていたのかも、投票者や政策画定者には届いていなかった、という主張がでてきたのである。

たとえば英国財政研究所 (IFS) のディレクターを務めるポール・ジョンソンは、こうした意思伝達失敗の責任は専門家自身にあると主張しており2、次の3つの根拠を挙げる:

  • 一、専門家は基本的な経済学の概念を伝達できていなかった。ジョンソンはBrexitレファランダムに係る議論との関連で、為替レートが下落すれば英国市民は豊かになるとか、一国経済における雇用数は一定で変わらないといった謬見の存在に言及している。
  • 二、『全体としての迅速性・敏捷性・喫緊の重要問題に専念する姿勢の欠如』 も指摘される。
  • 三、リーダーシップの欠如。とりわけエコノミストの見解を伝達する役割が、個人や、英国財政研究所 (IFS)・Centre for Economic Performance (CEP)・Centre for Macroeconomics (CFM)・国立経済社会研究所 (NIESR) といった機関に一任されてしまっている。

明白なのは、経済学専門家全体が何らかの重要な知見を効率的かつ明確に開示する必要があるとの確信に至った場合でさえ、それに対応して本格的に行動を起こすためのスキルとリソースを備えた (権威有る) 機関が存在しないことだ。このようなとき先ず頭に浮かぶ機関に王立経済学会 [Royal Economic Society: RES] があるが、これは現在のところそうした任務を遂行するような体制をもっていない。実際、RESのホームページを訪問してもBrexitへの言及など殆ど見当たらないのである3 。同様の事はCentre for Economic Policy Research (CEPR) にも当てはまる。同機関がここVoxのサイトでBrexitに関心を注いできたのは事実だが、一組織として関連討議に参加したことはなかった。これら組織が前述の問いに答える一機関としての立場を採用しない1つの理由は、それがさまざまな研究者の包括的ネットワークとして機能しているものだからだ。

サイモン・レン-ルイスは示唆する。「全体としての声をもてなかったことは確かだが、今回は書簡や世論調査がその埋め合わせとなった。… そしてそもそもの始まりから、Brexitの長期的コストは、平均的世帯にとってのコストという観点から示されていたのだ」。問題の一部は 『政治コメンテーターの間に広く見られた経済学に関する (そして今回のケースではさらにヨーロッパに関する) 知識の欠如』 に在ると彼は見る4。ポール・ジョンソンの批判についても 「気候変動について十分に警告しなかったと言って科学者を非難するのに似ている」 と付言している。

だが、問題は意思伝達 (だけ) ではない可能性もある。エコノミストが、典型的に英国市民の間で直面される問題と疎遠であるだけの可能性もあるのだ。アカデミックなマクロ経済学者の殆どはイングランド銀行や英国財務省と頻繁に遣り取りをしているが、ジョセフ・ラウントリー財団など、個人やコミュニティレベルで経験される社会問題ともっと直接的に取組んでいる機関とはそれほど頻繁な交流がない。そうすると問題は、経済学専門家が近代経済の恩恵を受けている階級の一員と見做されているというだけでなく、それとは別の階級の一員でもある – つまりEUメンバーシップから殊更に恩恵を受ける特権階級の一員であるということなのかもしれない。

今回紹介する最新のCFM調査では、経済学専門家には何らかの変革が必要なのか – とりわけエコノミストの見解をもっと効率的に伝達し、かつ可能ならば専門家全体としての見解を表明するために、(少なくとも) 或る種の制度変革が必要なのではないかとの問いに焦点が置かれている5

別の分野では、権威有る機関が重要問題と関連して一般の注目を得ようとするのも決して珍しいことではない。例えば、王立看護協会は最近、資金援助削減およびそこから国民の健康に対して見込まれるネガティブな結果を警告する声明を出した6。こうした声明は報道機関によって広く取り上げられている。付け加えれば、報道機関は通例こうした声明をそのまま報告しつつも、しばしば追加的な背景情報も供給する。エコノミストの見解もまたメディアで報じられているが、そうした場面では、反対意見をもつ専門家がほとんどいない場合であっても、反論とセットになっているのが普通だ。

経済学専門家に関する制度変革?

さて1つ目の質問では、経済学専門家に関して 『何らかの』 制度的変革を真剣に考えるべきかが問われる。具体的な提案の無いままこうした質問に答えるのが難しいことは我々も理解している。また何らかの変革が必要だと考えるパネルメンバーであっても、どの様な変革が望ましいのかについては違いがでてくることだろう。したがって本調査で我々が明らかにしたいのは、専門家らは何らかの実体的な変革を真剣に目指すべきだと考えているのか、或いはそうではないのかという点のみである。

質問1: 経済学専門家には政策画定者ならびに広く社会一般とより効率的な意思疎通を行う能力およびエコノミストが統一見解を持っている時にはそれを明らかにする能力を向上させるような制度改革が必要である、という意見に同意しますか?; また、我々は協働の取組みを通じてこうした改善の実現支援を行う為のリーダーシップを導入する必要が有る、という意見に同意しますか?

41名のパネルメンバーがこの質問に答え、その内44%が同意または強く同意、7%が同意も反対もしない、49%が反対または強く反対という結果になった。自己評価による自信度でウエイト付けを行うと、均衡点は同意の方にシフト: 48%が同意または強く同意、46%が反対または強く反対、となる。

意見は割れたようだが、それでも同調査による質問の結果は次の2つの理由から注目に値する。

  • 一、補足コメントに示されているが、専門家に関して 「制度的変革…またリーダーシップの導入が必要」 とは考えないパネルメンバーであってもその多くは、アカデミックなマクロ経済学コミュニティと政策画定者ならびに広く世間一般との関係に問題が在ることを指摘している。
  • 二、ほぼ半数のパネルメンバーが、専門家の組織形態に関して何らかの実体的な変革の検討が必要なくらい問題は深刻あると考えていることは示唆的である。

本サマリーでは先ず、専門家が直面している問題だとパネルメンバーが伝えるものの幾つかを再検討するところから始めてゆく。続いて、専門家に関する変革は望ましくないか実現不可能であるとする理由が幾つか出されているので、その検討を行う。調査回答検討の最後に、何らかの変革が必要であるとする側から出されている幾つかの提案を取り上げ、筆を置くことになる。

或る種の経済問題はそれが多くの人にとって重要な意味をもっているのにもかかわらず、アカデミックな人員から十分な関心を受けていないと主張するコメントが幾つか出ている。チャールズ・ビーン (ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス: LSE) はこう書いている。「アカデミックなエコノミストは政策画定者や一般大衆の懸念ともっとしっかりと取組む必要がある。申し添えれば、一般的に言って経済学専門家はこの点に関してここ30年間退行を続けている」。レイ・バレル (ブルネル大学) は 「経済学専門家は政策的助言を軽視している」 と指摘する。具体例として配分問題や地域問題を、とりわけ貿易や移民との関連で挙げている。社会的結束や政治的安定性の問題についても話は及ぶ。

ニコラス・オルトン (LSE) は 「経済学専門家は民族紛争が経済成長に及ぼす影響についてなら喜び勇んで討論します。それがアフリカでの話ならば。しかしそういった議論も英国に関しては一切タブー、或いは経済問題ではないとして退けられてしまう」 と述べている。マーティン・エリソン (オックスフォード大学) は 「我々経済学者は貧困について、配分問題について、地域問題等々についても、金融委市場の監督や為替レートの値についてと同じくらい広長舌を振るわなくてはならないのです」 と言い添える。

一連の限られたトピックに活動が集中する理由を経済学専門家は幾つか挙げている。アンドリュー・スコット (ロンドン・ビジネス・スクール) はこう述べる。「我々経済学者は、独自の語法を練り上げつつ、自己増殖を続ける問題リストを展開しています。その結果として、我々の言う事にせよ、その言い方にせよ話題にせよ、もっと広い世間一般を煩わせている問題群から遊離してしまっている。専門家の多くがそうであるように、我々も内輪で語らう方を好み、喜んで独自の語法と概念を駆使しながら、そうした言葉を理解しないと言って他人を責める。或る意味、今回の調査もその新たな一例なのです。専門家以外、誰がこの結果に目を向けるというのでしょう?」。

レイ・バレル (ブルネル大学) は訴える。「我々の直面するインセンティブに変革が必要だ。昇進は研究成果の公刊とREF [Research Excellence Framework: 大学研究評価制度] 査定に掛かっているが、政策関連の成果物はあまり高く評価されていない。こういった現状が続く限り、我々の取組みが日の目を見ることはないだろう」。同様に、パニコス・デミトリアデス (レスター大学) もこう書き記す。「エコノミストがもっと実情と連関をもつようになるとしたら、先ずトップ学術誌が [支配的パラダイムに異議を唱える論文に対し] もっとオープンになるしかないだろう」。

確かに、経済専門家がいま或る種の問題に直面しており、そこに改善の余地も幾つか在るという点についてはコンセンサスが在るように見えるが、どういった対応が適切であるのかについては全くコンセンサスが無い。とりわけ、アカデミックなエコノミストの見解を代表するための制度やリーダーシップないし協働の取組みという案には強い反論がある。

繰り返し浮上する議論に、学問の独立の重要性がある。リカード・レイス (LSE) は書き記す。「知識人として、我々はやはり独立的に考え議論する時こそ良い仕事ができるものですが、こうした考えや議論が合わさって、特定の政策的選択肢に対し強力な異論を唱える場合もまたあるでしょう。… 何が 『共通の見解』 なのかを決定する 『リーダー』 の任用が、科学的探究の息を詰まらせ、窮極的には学問の自由を害する働きをすることも考え得るのです」。関連した議論がパトリック・ミンフォード (カーディフ大学) からも提出されている。彼の言葉を引こう。「通常、各陣営がどれだけの頭数をもっていたかを数え上げても、どちらが正しいのかは決まらない。これは凡そ科学の名を冠する全ての領域に当てはまる鉄則である」。

何らかの変革が必要であるという命題に同意するパネルメンバーのあいだでも、どうすれば変革を引き起こせるのか、とりわけRESの強化やリーダーシップの導入によってそれが達成できるのかについては、疑念が在る。しかし一部パネルメンバーからは具体的提案が出ている。ティム・ベスリー (LSE) はこう書き記す。「いま振り返ると、英国財務省は、幅広い領域から名の有る経済学専門家を抜擢して専門家団を立ち上げ、彼ら専門家に対しレファランダム前の段階で実証データの検討を進めるよう依頼すべきだった – こうした制度的対応案ならば私は支持したい。… LSE成長委員会は、長期的な経済実証データおよび問題群を検討する常設委員会の設立を推奨していた。同委員会は政府から独立的で、長期的政策画定にさいし幅広く助言を提供する能力を備えたものだった。… こうした専門家団が在ったなら、先ほど私が述べたような役割を果たしてくれたことだろう」。

サイモン・レン-ルイスはさらに、我々に必要なのは 「アカデミックなエコノミスト全員を対象とする (『花形』だけでない) 『定期的調査』で、核心問題に関するエコノミストの見解を明らかにすることだ」 と付け加えている。

最後に、一部パネルメンバーからメディアが経済問題を報ずるやり方に関しても改善の余地が在るとの主張が出ている点にも触れておかねばなるまい。デビッド・ベル (スターリング大学) は 「報道機関に自らの発言への説明責任をもっともたせる為のメカニズムが導入されること、またBBC憲章の見直しを通して、同放送局があらゆる議論には反対と賛成の両陣営が存在するとの印象を与える (したがって暗黙裡に両者を等しくウエイト付ける) のに終始するのではなく、専門のエコノミストのあいだにみられる議論のバランスを反映させるようになること」 を希望するという。

経済議論がレファランダムに及ぼした影響

次に挙げる一連の質問では、パネルメンバーに対し諸般の経済議論がレファランダムの結果に関してどれだけの重要性をもったかが問われた。彼ら専門家がこの問題に非常に関心を寄せており、また同時に注意深い観察者であるのも確かだろうが、本パネルメンバーは投票者が或る一定の投票行動を取る理由の解明を専門とする者ではない点を、我々は強調しておかなくてはならない。したがって我々は本調査を通して新たな領域に立ち入ることとなる。とはいえ、かなりの確信をもって提示されることも多かった諸般の経済議論が実際に何らかの役割を果たしたのかどうか、専門家に見解を尋ねてみるのは至極自然に思える。

質問 2: 英国の投票者が経済学専門家のほぼ一致した助言に反する投票をした理由について、何が最も有力だと思いますか?

1) 投票者は経済外の理由からEU離脱の選択をした;

2) 投票者は提示された経済議論を信用していなかったから (理由としては、例えば投票者にとっては反対意見を付したマクロ経済学者の議論の方が腑に落ちるものだった、或いは投票者にはそもそもエコノミスト一般に対する信用が乏しい等) ;

3) 投票者はエコノミストのもつ選好が自分達の選好から乖離していると考えている (予測されたネガティブな経済的帰結からも自分個人が影響を受けることはないだろうと投票者が考えていた場合も含む);

4) 同コンセンサスに至った理由をエコノミストは十分に明確な言葉を以て説明しなかったから; 或いは

5) 投票者はエコノミストのあいだにほぼ一致した見解が在ったことを知らなかった。

質問3から質問7では、今挙げた5つの可能性それぞれについて、それがBrexitという結果の 『重要な』 原因だったと思うかを尋ねた。

質問2も41名のパネルメンバーから回答を得た。多数派の54%は、英国の投票者が経済外の議論の方を重要視したことがBrexit支持投票をもたらした最有力原因だと考えている。投票者はエコノミストの選好が自分たちの選好と異なると認識していたとの見解も、Brexit支持投票の最有力原因として、22%という些末とは言い難い支持を得た。

これに対応するフォローアップ質問では、71%という大多数が (但し、『同意でも反対でもない』 を除外している) この不一致が実際に重要な役割を果たした旨を示唆している。関連論点は政治学者のマシュー・グッドウィンと オリバー・ヒースによる研究でも指摘されている: 「Brexit支持投票は謂わば 『置き去りにされた』 諸社会集団によって担われた。不安と悲観と疎外の感覚がこうした社会集団を1つに結び付けており、ブリュッセルにせよウェストミンスターにせよエリート層も自分達と同じ価値観をもっていて、自分達の利害関心を代弁してくれて、急速な社会・経済・文化的変化に対し自分達の抱える恐怖に対し我が事の様に共感してくれる、などと考えている者はそこにいない7」。

68%の多数派 (『同意でも反対でもない』 を除外) は、投票者は提示された経済議論を信用していなかったと考えている。補足コメントのおかげで、パネルメンバーがそう考える理由にも様々あることが明らかになっている。とりわけ、エコノミストの知見を広く世間一般に伝達するやり方について何らかの深刻な過ちがあったのかという点について、コンセンサスは全く無かった。

イーサン・イルゼツキ (LSE) は書き記す。「エコノミストはBrexitのコストについて非常に明朗に論じました。一般の人でもこうしたコストについて知らなかった者は殆どいなかったはずですし、また彼らも警告事項を大方信用していたと思います。この辺りことはメディアで非常に取り上げられましたので、Brexit支持陣営は守勢に追い込まれることになりました。我々経済学者のメッセージが一般の人に届いていないと感じたのなら、マイケル・ゴーブも 『専門家』 への攻撃や、エコノミストとナチ科学者との対比にまで手を染めることはなかったでしょう。Brexit推進者は専ら国家的プライド (『独立記念日』) や移民問題に訴えるキャンペーンを意識的に展開していましたが、それは経済的な費用対便益の文脈で戦っては不利だと知っていたからです」。

これとは対照的にデイビッド・コブハム (ヘリオット・ワット大学) は述べる。 「投票者は提示された経済議論を信用していなかった。それは部分的には非経済学者に対する我々の説明が下手だったことに原因がある。だから投票者はおそらく、エコノミストの見解の幅など殆ど見当が付かなかっただろう (こちらは部分的にBBCが 『バランス』 を取る義務を感じていたことが原因だった)」。

メディアが経済議論を紹介する仕方を問題とする者は他にもいる。モーテン・レイブン (ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン: UCL) のコメントを引こう: 「報道機関は論議状況を歪曲していた。BBCはその一例だが、Brexitを支持するたった1%の少数派エコノミストに対し、その他99%と同じ長さの放映時間を与えていたのである」。とはいえ、ほぼ一致した見解の存在を知らなかったことが重要ファクターだったと考えるパネルメンバーは30%に満たないし (『同意も反対もしない』 者を除いた場合)、それがBrexit支持投票をもたらした最有力原因だとする者は5%に満たない。

仮に、本パネルメンバーによる主要な査定が正鵠を射ているとしよう。すると、今回のレファランダムは専ら経済学以外の事柄に掛かるものだったのであり、エコノミストは経済議論が果たした役割についてさほど思い悩む必要はないのだと結論したくなるかもしれない。だから提示された経済議論が曖昧な所無くしかも公正に伝えられていなかった可能性についても気にする必要はない、と。

しかしもし、英国投票者の相当部分はエコノミストによって公に示された意見など 『彼らの様な人達』 にとって利益のある事柄を反映しているだけで、典型人の、あるいは/さらには、国全体の為になるのは何かという問題にフォーカスを置いた客観的研究とは関係ないと思っている、そうパネルメンバーが考え、それがほんとうに正鵠を射ているのであれば、アカデミックなコミュニティはこの事態を重く受け止めるべきであり、これは論を俟たない。

1つの案として、広い領域から代表者を選出し、非党派的な委員会を設立するというものが挙げられよう。こうした代表者ならば重要だと考えられる研究課題群の概要作成も可能なはずだ。そうして大学の側でこれら課題の進展にあたって代表者にどれだけ働きがあったかを重点的に評価することも出来るだろう。

さらなるインセンティブとして、政府資金援助 – これは例えば大学研究評価制度 (REF) によって決定するとして – を、こうした優先事案と関連した研究でどれほどの成果を収めているかに部分的に依拠させることもできるだろう。独立した審査体によるREFの見直しがちょうど公刊となったが、同案はここで推奨されている大衆関与や大衆理解へのインパクトを重視すべきとの意見とも整合的である8

原註

[1] https://mainlymacro.blogspot.co.uk/2016/05/economists-say-no-to-brexit.htmlhttp://cfmsurvey.org/surveys/brexit-potential-financial-catastrophe-and-long-term-consequences-uk-financial-sectorから閲覧可能な6月のCFM調査も参照。合衆国の主要エコノミストを対象とした最近の調査では、Brexitの投票結果が英国経済に (またその他EU諸国に) 長期的にもネガティブな帰結をもたらすと考える者が大多数だった。http://www.igmchicago.org/igm-economic-experts-panel/poll-results?SurveyID=SV_429IHJQVpBV1cnbを参照。

[2] http://www.ifs.org.uk/publications/8339を参照。

[3] 尤も、RESの2016年度年次会合の本会議でもBrexitについて討論が行われた。Voxに討論の概要がまとめられている: http://www.voxeu.org/article/royal-economic-society-s-panel-brexit

[4] https://mainlymacro.blogspot.co.uk/2016/07/economists-brexit-and-media-epilogue.htmlを参照。

[5] 全調査結果はhttp://www.cfmsurvey.orgから閲覧可能。

[6] https://www.theguardian.com/society/2016/jun/18/government-reckless-axing-student-nurse-fundingを参照。

[7] http://www.matthewjgoodwin.org/uploads/6/4/0/2/64026337/political_quarterly_version_1_9.pdfを参照。

[8] https://www.gov.uk/government/publications/research-excellence-framework-reviewで閲覧可能。

タイラー・コーエン 「カンフーの経済学 ~香港でカンフー人気に陰りが見え始めているのはなぜ?~」(2016年8月23日)

●Tyler Cowen, “The economics of Hong Kong kung fu”(Marginal Revolution, August 23, 2016)


香港の街中は近年になってますます安全になってきており、あの「三合会」――カンフー映画でおなじみの凶悪な犯罪組織――による殺人事件も減少傾向にある。さらには、香港は世界の中でも不動産の価格がトップクラスに高い都市の一つであり、カンフー教室を開くために道場を借りようにも賃貸料が高くてそれもなかなか難しい状況となっている。

「カンフーが香港人の文化や余暇の大きな割合を占めていた」時代も最早過ぎ去ろうとしている。そう語るのは香港のマーシャルアーツ(格闘技)の歴史に関する著書もある麥勁生(Mak King Sang Ricardo)氏だ。「仕事が終わるとマーシャルアーツの道場に足を運び、そこで他の練習生たちと一緒になって夕食を作って食べ、夜の11時ごろまでカンフーの練習に汗を流す。そういう生活がおきまりの一つでした」。

マーシャルアーツに対する好みに変化の兆しが見え始める(マーシャルアーツ人気に陰りが見え始める)のと並行して、香港の若者の間ではビデオゲームの人気が高まりを見せている。10代の若者たちの間では回し蹴りの習得に励むよりも公園でポケモンGOに興じる方が人気となっているのだ。若者たちの間では「カンフーは『クール』じゃない」との認識が広まっており、マーシャルアーツに長年携わっている関係者たちの間では「カンフーの未来は暗いのではないか」と懸念する声が広がっている。

道場の賃貸料が高いことも大きな問題となっている。

・・・(略)・・・梁挺(Leung Ting)氏が会長を務める国際詠春拳協会(International WingTsun Association)が掴んでいる情報によると、かつて香港の道場で(中国武術の一つである)詠春拳を習った元練習生たちが世界各国に散らばって詠春拳の道場を開いており、その数は世界65カ国以上で計4000にも及ぶという。しかしながら、香港にある詠春拳の道場の数は現在のところたったの5つに過ぎないという。

・・・(中略)・・・

「カンフーはどちらかというと定年退職した叔父や祖父たち世代のためのものなのです」。

全文はこちら。このニューヨーク・タイムズ紙の記事は全編を通して面白いが、私が聞いたところによると記事を書いているCharlotte Yangは正規の記者ではなく(夏季休暇を利用してインターンでニューヨーク・タイムズ社で働いている)インターン生ということだ。

タイラー・コーエン「実用がはじまりつつある自動運転車」

[Tyler Cowen, “Driverless vehicles, on their way,” Marginal Revolution, August 21, 2016]

ピッツバーグで Uber を利用する乗客は,あと数週間後にはスマートフォンのボタンを押すだけで自動運転車を配車できるようになる.また,Uber の発表によれば,Otto という自動運転車のスタートアップ企業を買収する計画だという.同社は,イスラエル人 Lior Ron によって共同創設された会社で,巨大トレーラーの自動運転技術を開発している.

via Mark Thorson.リンク先にもっと書かれている.また,フィンランドでは――

フィンランドのヘルシンキに住む人たちにとって,運転手のいないバスが何台も都市の道路を行き交う光景はそのうち見慣れたものになるだろう.世界初の自動運転プログラムの1つがヘルネサーリ地区ですで開始されており,9月中旬まで行われる.

フィンランドの法律では,道路を通行する車両には運転手が乗車することが求められていない.このため,自動運転ミニバスの Easymile EZ-10 をテストする許可をえるのにこの国は最良の場所となっているのだ.

つまり,フィンランドはこの分野の市場リーダーになりうるわけだ.

アレックス・タバロック「日本の区画システム」

[Alex Tabarrok, “The Japanese Zoning System,” Marginal Revolution, August 19, 2016]

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〔画像は国土交通省の “Urban Land Use Planning System in Japan” [PDF] から引用〕

東京の土地利用のレッセフェール」では,日本の憲法で所有権を保護して土地利用に比較的に自由放任なアプローチをとっていることを挙げて,他の先進国とちがって日本の住宅価格が過去数十年に上昇していない理由を説明した.ブログ Urban kchoze が,とても有益なポストを書いている.これを読むと,日本の土地規制システムについてもっと詳しいことがわかる.いくつか,重要点を抜き出そう.
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タイラー・コーエン「新しい《フリーランチ》経済学」

[Tyler Cowen, “The new “free lunch” economics,” Marginal Revolution, August 19, 2016]

スコット・サムナーの記事から抜粋:
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タイラー・コーエン「KOKSは世界最高のレストラン?」

[Tyler Cowen, “Is KOKS the best restaurant in the world?” Marginal Revolution, August 17, 2016]

KOKSはフェロー語で「すばらしいものを加えること」という意味だそうだ.ただ,訳し方についてはいろいろと説明がある.ともあれ,独自性・コンセプトの純粋性・ビジョン・実行・サービス,そして構想――統合された全体としての構想――という観点で見ると,ここに匹敵するどんなレストラン経験もぼくには思いつかない.KOKS に比べて,コペンハーゲンの Noma はもはや記憶のなかで薄らいでしまっている.サンセバスチャンのミシュラン三つ星店も同様だ.KOKS はいまなおダメにならずに向上してる.この店を導いているスターは,とても若くて感じの良い Poul Andrias Ziska だ.
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アレックス・タバロック「規制と不信」

[Alex Tabarrok, “Regulation and Distrust–The Ominous Update,” Marginal Revolution, August 16, 2016]

2009年に書いたブログ記事の内容を更新しよう:

Aghion, Algan, & shleifer が興味深い論文を書いている.この論文によると,人々が互いに信頼しあっていない社会では規制が強くなるそうだ.たとえば下記のグラフをみると,不信の度合いが強い社会ほど,最低賃金の法律が強くなっている.ここで注意したいのは,市場への不信が最低賃金の強化と結びついているのではなくて,全般的な不信があらゆる種類の規制の強化と結びついているってところだ.たとえば,政府に対する不信は企業の規制と正の相関をみせている.あるいは,言い方を変えると,政府への信頼は(他のいろんな制度・機関への信頼ともども)少ない規制と結びついているわけだ.
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デビット・マイルズ 『Brexitのリアル: 離脱のコストと投票者の動機についてエコノミストにわかる事』 (2016年8月3日)

David Miles “Brexit realism: What economists know about costs and voter motives“, (VOX, 03 August 2016)


Brexitレファランダムは、EU離脱には多大な経済的コストが伴いそうだということを英国民に感得させられなかったエコノミストの失敗だった、そう考える人もいる。本稿では次の2点を指摘しつつ、もっと細やかな見解を主張したい。第一に、問題のコストについて、本当にコンセンサスなど在るのか、この点が疑問に付される。確かに主だった推定値は全て負の値をとっていたが、その数値はどちらかと言えば小さなものから、ほぼ10%近くに至るまでと幅広く – これをコンセンサスと言うのはかなり無理筋に思える。付け加えれば肝心のそのメカニズム – つまりBrexitの生産性成長へのインパクト – というのはエコノミストが本当の意味で理解しているものではない。第二に、合理的な投票者が同コストをEUの決定からより大きな独立性を得る為の容認可能な代償として受入れるという場合も考えられること。エコノミストは、こうした選択をした投票者は無知であるとか非合理的であるとか或いは経済的素養を欠いているとか、そういった事を教える者ではない。

編集者注: 本稿は初めVoxEUのebook 『Brexit Beckons: Thinking ahead by leading economists』 中の1章として刊行された。同ebookこちらから無料でダウンロード可能。

エコノミストのコミュニティはいま或る種の苦悩を抱えている。Brexitは多大な経済的コストを生じさせるものだという、一部からは圧倒的コンセンサスとさえ見做されているこの命題を、英国の投票権者に感得させることに失敗したという感覚が彼らを責め苛んでいるのだ。The Times (2016年6月28日) に宛てた思慮深い書簡のなかで英国財政研究所 [Institute for Fiscal Studies (IFS)] のディレクターであるポール・ジョンソン氏は次のように述べている: 「…明らかなのは、エコノミスト達の警告が多くの人から理解も信用もされていなかったことです。ですから我々エコノミストはいま、何故そういった事態が起きたのか、何故我々の間でほぼ一致をみた見解が彼らに届かなかったのか、これを己に問うてみる必要が有ります」。

Brexitレファランダムを受けCentre for Macroeconomicsがアカデミックなエコノミストの見解をしらべて行った最新調査では、次のような質問が為されている:

  • 「経済学専門家には政策画定者ならびに広く社会一般とより効率的な意思疎通を行う能力およびエコノミストが統一見解を持っている時にはそれを明らかにする能力を向上させるような制度改革が必要である、という意見に同意しますか?」
  • 「我々は協働の取組みを通じてこうした改善の実現支援を行う為のリーダーシップを導入する必要が有る、という意見に同意しますか?」

コンセンサスは在ったか?

しかし英国のEU離脱にまつわるコストにコンセンサスなど本当に存在するのだろうか? 中央推定値周辺に或る種のコンセンサスが在るとしても、そうした推定値の不確かさや、不確実性の大きさについて、見解の一致は在るのだろうか? そして仮にエコノミストの統一見解というのが過去には在ったとしても、それが無視されたというのは本当にそれほど明らかなのか?

レファランダムを間近に控えた時期に公刊されたIFSのレポートBrexit and the UK’s Public Financesには、BrexitがGDPに及ぼす長期的インパクトに関する諸推定値の包括的要約が掲載された (Emmerson et al. 2016)。同レポートの表3.1 (下の表1はそれを再掲載したもの) に2030年度のGDPへの影響の推定値が示されているが、その数値は数パーセントのコストにはじまりほぼ10%に至るまで幅広い。殆ど全ての推定値が負の影響を伝えているという意味でなら、確かにこれを以てコンセンサスが在るとも言えよう。しかし諸推定値間の差は非常に大きいので、これを 『統一見解』 とするのは無理が有る。

我々は肝心な経済決定因子を把握していない – 生産性成長

その原因となっているファクターの1つに、GDPに長期的悪影響を及ぼす可能性の有るメカニズムが十分には把握されていないことがある。決定的ファクターの1つ – と言うよりまさに決定的ファクターそのものであるのはほぼ間違い無いのだが – は、英国がEU外部に置かれる結果として、これから先、生産性がどのように変化してくるか、これなのだ。その経路の1要素をなすのは先ずBrexitと外国直接投資の関係、次に外国直接投資と生産性の関係だが – どちらも決して容易に予測できるものではない。

表1 Brexitのインパクトに関する諸研究のIFSによる要約

原注: a [左列下から3行目の “Oxford Economics”] について: 穏健な政策シナリオをもったFTAが中央推定値とされている; 範囲は 『リベラルな関税同盟』(-0.1) から 『ポピュリスト的MFN [最恵国待遇] シナリオ』(-3.9) まで; b [右列最下行の “Budget, trade”] について: 規制のインパクトは個別に査定されている。なお、推定値は2030年度のGDPへの影響を表すもの。
出典: Emmerson et al. (2016).

より一般的な話になるが、何が近年の英国労働生産性を動かしてきたのかについて、エコノミストの理解は極めて乏しい。2007-2008年の金融破綻以降の期間をみると、英国の労働生産性はすでに、同金融破綻の間際に予期されていた所から恐らく15%かそれを超える程度低い水準に達している。イングランド銀行は何千ものエコノミスト時間を出動し、この凋落の原因解明に向けた活動に充ててきた。が、破綻から8年も経過し、多くの経済指標 (例: 失業率、銀行資金調達ストレスや信用供与能力) が一見したところ通常といってよい状態にまで回復した現在になっても、生産性がこれほど貧弱に留まっている理由は、平たく言えば依然として謎のままなのだ。

Brexitの長期的コストにとって唯一無二の重要性をもつ決定因子 – 即ち生産性へのインパクト – だが、金融破綻後の英国一人当たり産出量の変転を目の当たりにしたあとは我々エコノミストとしてもやはり、その予測に些か自信を持ち難くなっている。

貿易関連のインパクトは比較的推定し易い

Brexitに由来するGDPへの悪影響であっても、純粋に貿易関連的側面に限れば比較的信憑性の有る推測ができるかもしれない。そしてこの領域で働いている経済メカニズムはもっと直観的なものである: つまり、貿易の減少が専門化の減少を意味するのなら、国はより多くの資源を自らが比較優位を持っていない領域に注ぎ込むことになる訳だ。経済の開放性が生産性と繋がっていることを示す実証研究データは非常に多い。そしてこうした実証データの中には極めて目を惹くものがある – 例えば北朝鮮と韓国を見て欲しい。実際のところ、開放性を相当程度落とした経済への退行は、所得に対し極めて有害に働くものとなる可能性が圧倒的に高いのだ。とはいえこうした観測が、EU外部に置かれた英国の先行きに対しどれ程の関連性をもっているのかは、全く明らかではない。

何れにせよ、Brexitの純粋に貿易のみに関する影響 (つまり、時を経る中で現れてくる生産性成長への潜在的悪影響を脇に置いた場合) は、むしろ小さく推定されることが多い。Centre for Economic Performanceによる或る研究は2030年度のGDPに対する貿易の影響をGDPの1.3%から2.6%の間に位置付けている (Dhingra et al. 2016)。GDPの1-3%を些事に過ぎないと片付ける人はいない。しかしこういった数値を見る際には文脈の考慮が大事である – 現在の英国GDPは、2008年金融破綻以前の時期において同国の経済トレンドだと思われていたものが持続していた場合とくらべると、ほぼ20%も低くなっているのだ。

投票者が経済的推定値を無視していることを我々エコノミストが知っているというのは本当か?

しかし想像力を働かせ、BrexitがGDPに及ぼす長期的影響に関するこの些か幅の広い中央推定値を脇に置き、さらにこうした中央推定値のいずれに関しても当てはまる巨大な不確実性にも目を瞑り、ただエコノミストの間には影響について1つのコンセンサスが在った、そしてそのコンセンサスとはBrexitは所得に対して極めて有害に働くというものだった、そういう見解に従ってみよう。さて、そうしたコンセンサスが (実際に存在していた限りでの話だが) 離脱に票を投じた人達から無視されたことを示す証拠とは、一体どんなものなのか? 思うに我々はエコノミストとして、この点に関して如何に無知であるか、それについて飽くまで現実的になるべきだろう。

1つ明らかな事が在る。合理的な投票権者ならば、EU離脱に経済的コストが伴うだろうことを認容したうえでなお、英国が限定的な発言権しかもたない或る種のEU決定を受け入れなくて済むようにする為の代償としてなら認容可能であると考える場合も在り得るだろう。そしてこの種の決定は明らかに実在する – 欧州司法裁判所の判決や金融規制に関する法令をはじめ (例: 銀行分野での上限平準化 [maximum harmonisation] に基づき資本規制を創設する奇妙な決定、或いはボーナスに関するEU規制)、人々の入国権を認容する過程に関してもそうで、こうした人々に市民権を付与するかどうかを決定するのは他のEU諸国なのだ。

エコノミストは、こうした決定に拘束されるのを避ける方を価値有りとし、その代わり数パーセント分所得が減少する可能性を容認する人が無知であるのか、非合理的であるのか、或いは経済的素養を欠いているのかについて、語るべき言葉を殆どもたない。久しきに亘り多くの欧州委員会出身者が 『絶えず緻密化する連合』 の望ましさ、さらにはその必要性を、念仏の如く唱えてきた。エコノミストは確かにあなたに模範解答を教える。しかしそれは飽くまで次の問いに向けたものである。すなわち、「そういった事態を避けるのに、私はどのくらいの代償を支払う必要があるのか?」、と。

そして、この至極曖昧な 『絶え間なく緻密化する連合』 なるコンセプトがこのさき損害をもたらしかねないにしても、そのリスクの回避には前述の代償を支払うだけの価値は無いというのが、たまたま私の考えだった、それだけのことだ。とはいえ私は、他の見解をもっていた人達は無知なのか、さもなければ酔っぱらっていたのだろうとか、そんな風には思っていない。そうした投票のもたらす経済的帰結を理解していれば彼らだって別の票を投じたに違いない、という考え方は正しくないのである。

参考文献

Dhingra, S., G. Ottaviano, T. Sampson and J. Van Reenen (2016), “The consequences of Brexit for UK trade and living standards”, Brexit Analysis No. 2, London: Centre for Economic Performance.

Emmerson, C., P. Johnson, I. Mitchell and D. Phillips (2016), Brexit and the UK’s Public Finances, London: Institute for Fiscal Studies.

 

 

アレックス・タバロック「著作権保護主義」

[Alex Tabarrok, “Copyright Protectionism,” Marginal Revolution, August 5, 2016]

「著作権はイノベーションを促す」という主張は,保護主義の口実にすぎない.知的財産保護がイノベーションを促すこともときにはある.「タバロック曲線」が例証するとおりだ.でも,既存の仕事の著作権が繰り返し延長されるのをみれば,これが口実だってことははっきりわかる.ウォルト・ディズニーの死去がとっくの昔になってから,ミッキーマウスの著作権は延長された.聞くところじゃ話は逆で,どうやら著作権を延長してどれほどインセンティブをつけてみたって,ウォルトさんはこの世に戻ってこないっていうじゃねえですかい.この問題の最新事例が,欧州連合がデザイン著作権の延長するっていう先週のニュースだ:
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