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Archives for 10月 2016

マーク・ソーマ 「ハロウィンに伴う期待損失 = E[(a)(Tricks)**2 + (1-a)(Leftover Candy)**2]」(2007年11月1日)

●Mark Thoma, “Expected Loss = E[(a)(Tricks)**2 + (1-a)(Leftover Candy)**2]”(Economist’s View, November 01, 2007)


ハロウィンに付き物の非対称的なリスクは実に健康に悪い。一方ではアメの在庫が尽きてしまって居留守を使わないといけなくなる(家中の電気を消してアメをねだりにやってくる子供たちから身を隠さねばならず、居留守がばれてしまえば悪戯されてしまう)可能性(Tricks)があり、もう一方ではアメを大量に用意しすぎて余ってしまう(余ったアメをすべて自分で食べてしまわないといけなくなる)可能性(Leftover Candy)がある。期待損失(コスト)で考えると、一体どちらの可能性がより厄介なリスクだろうか?(期待損失の計算は事前確率を使って計算するものとする。つまりは、(余った)アメの食べ過ぎで体を壊してしまう前の時点で計算するものとする。また、(Leftover Candy)は余ったアメの数そのものではなく最適な量(あなたにとって食すのにちょうどいいアメの数)からの乖離を表すものとする1。余ったアメを翌日職場に持っていけばすぐに捌けるかもしれないが、仮にそうなったとしても同僚からは喜ばれないものとしよう)。私にはその答えは明らかだ。悪戯なんかされたくない。アメが(最適な量よりも多く)余ってしまうことに伴う損失よりも悪戯されてしまうことに伴う損失の方により高いウェイトを置く2。それが私の答えだ。ところがどうやら無意識のうちにかなり大き目のクッションを用意してしまっていたようだ。aの値が1に限りなく近くなってしまっていたようなのだ3

昨夜はハロウィン当日だったわけだが、夜が深まるにつれて明らかになったことがある。アメをあまりにも大量に用意しすぎてしまったのだ。これはまずいと思って何かいい手はないかと頭を捻った。アメのねだり屋がやってくるたびにそれまでよりも多めにアメをくれてやるようにすればいい。ただし、一回の訪問ごとにくれてやるアメの数を増やしすぎると在庫が尽きてしまう恐れがあるのでいくらか抑え気味にしよう。「これが最後のねだり屋だ」ということがわかりさえすればねだり屋たちも上々の取り分を手にすることができてウハウハになれたに違いないがそれはまあしょうがない。そう考えたところでふと気になることが頭をよぎった。夜が更ける(時間帯が遅くなる)につれてくれてやるアメの数を増やすようにすると来年以降に厄介な問題が生じることになるのではないか。夜が更けるにつれてもらえるアメの数が増えるとわかっていると、来年以降にねだり屋たちが少しでも取り分を増やそうと競い合って我が家にやってくる時間を遅らせるのではないか。最後のねだり屋が我が家を去る時間が年とともに遅くなってしまうのではないか。そういう懸念が頭をよぎったのだ。夜が更けるにつれてくれてやるアメの数を増やすというのはどうやらいい案とは言えないようだ。

そんなことは百も承知。そのおかげで今ではスニッカーズ(チョコレートキャンディ)のファンサイズ(小型サイズ)の限界的な(もう一個の)価値はゼロ以下だ(もうしばらく時間が経てばその価値も元通りになるだろうが)4。M&M’s(エムアンドエムズ)のピーナッツチョコレートなら一袋であればどうにかお腹に収まるかもしれないが。

  1. 訳注;例えば、あなたにとって食すのにちょうどいいアメの数が10個でありハロウィン翌日にアメが全部で30個余ったとすると、(Leftover Candy)は20個(=30-10)ということになる。 []
  2. 訳注;a >(1-a) []
  3. 訳注;アメの在庫が尽きる(そのため子供たちにアメをあげられずに仕返しとして悪戯される)ことに伴う損失をどうしても避けたいと思って事前にアメを大量に用意しておいた、という意味。 []
  4. 訳注;上にあるように翌年以降のことが頭をよぎってアメを出し惜しみしてしまい、アメが大量に余ってしまったのだろう。そして余ったアメを食べているうちに満腹になってしまい、「スニッカーズなんて見たくもない」という境地に達してしまったのだろう。 []

タイラー・コーエン「ジェフリー・ミラーの新著『消費:性・進化・消費行動』」

[Tyler Cowen, “Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior,” Marginal Revolution, April 29, 2009]

――というジェフリー・ミラーの新著が出た.ミラーといえば,『恋人選びの心:性淘汰と人間性の進化』の著者として有名だ.議論の展開にはちょっとまとまりがないけれど,いちばんよく書けてる部分はぞくぞくするほどたのしい.おすすめ.手にとってすぐに読み始めてよかったと思ってる.

本書の核心部分をなす説は,ウェブレン的な論点だ.進化でかたちづくられた生物学的な生き物としてシグナリングにのめりこんでしまうぼくらが抱える弱点にマーケティングはつけこんでいるとミラーは言う:
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マーク・ソーマ 「大学で使われる教科書は何であんなにも高価なのか? ~その背後に潜むプリンシパル=エージェント問題~」(2014年10月16日)

●Mark Thoma, “‘Thoughts on High-Priced Textbooks’”(Economist’s View, October 16, 2014)


大学の講義で使われる教科書はどうしてあんなにも高価なのだろうか? ティモシー・テイラー(Timothy Taylor)がこの疑問に対する答えを探っている。

Thoughts on High-Priced Textbooks”:

大学の講義で使用される教科書は多くの大学生にとって靴の中に入り込んだ小石のように厄介の種となっている。かなり値が張るのだ。高価な教科書は大学生が抱える金銭面の問題の中でも最大の問題だとまではさすがに言えないが、多くの学生にとっては学業の妨げとなる何とも厄介で迷惑な頭痛の種の一つとなっていることは間違いない。

・・・(中略)・・・

つい最近のことだが、デヴィッド・ケステンバウム(David Kestenbaum)とジェイコブ・ゴールドシュタイン(Jacob Goldstein)のタッグがナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の番組の一つである「プラネット・マネー」のポッドキャストでこの問題(「大学で使われる教科書はどうしてあんなにも高価なのか?」)に真正面から切り込んでいる。・・・(略)・・・経済学者にとってはゲストとして登場するグレッグ・マンキューへのインタビューが番組のハイライト(一番の聴きどころ)ということになるだろう。マンキューといえばベストセラーとなっている入門経済学の教科書の執筆者でもあるが、番組の中での情報によるとマンキューの教科書はAmazonで286ドル(日本円だと3万円近く)の値が付いているという。この問題については私は中立的な観点から意見できる立場にないとそろそろ断っておくべきだろう。というのは、私も入門経済学の教科書を執筆しているからだ。ちなみに、最新の版である第三版はTextbook Media経由でも購入可能だが、一番安くて25ドル(オンライン版)、一番高くて60ドル(白黒印刷のペーパーバック+オンライン版)という価格設定になっている。

番組の中では大学で使われる教科書が高価な理由についていく通りかの説明が候補として挙げられているが、その中でもよく聞かれる説明は次のようなものだ。出版社は教科書を売り込む対象として学生ではなく教授に狙いを定めており、売り込みのターゲットとなる教授連は教科書の価格がいくらかを細かく気にするわけでは必ずしもない(教科書の価格が大幅に値上がりして今のように高価になる前の時代であれば、教授連のそのような(教科書の価格をそれほど気にしない)態度もそれなりにもっともなところがあったとは言えるだろうが)。教科書のマーケットは限られた数の大手の出版社が取り仕切る競争の少ない市場であり、大手の出版社は教授連の気を引くことを狙ってあれやこれやのオプションを取り揃える。多彩な色を使って印刷されたカラフルなハードカバーの教科書にはDVDや(教科書の内容を補足する情報が提供されているウェブ上のページにアクセスするための)オンラインアクセスキーが付いてくるだけではなく、テストバンクまで用意されている(ウェブ上で学生にクイズを解いてもらって教科書の内容をどれだけ理解しているかを確かめることもできるというわけだ)。多くの大学では経済学入門の講義は大教室を使って行われるのが普通だ。何百人、場合によっては千人単位の学生が受講することもあり、何人ものTA(ティーチング・アシスタント)の手を借りないとやっていけない。そのような実状を踏まえると、成績評価や(講義内容についての質疑応答やクイズの出題などといった)フィードバックの一部をコンピューター(インターネット)に委ねざるを得ないという話にもなる。出版社から教授のもとに「この教科書の草稿をチェックしていただけませんか? もちろん謝礼もお支払いします」との依頼が舞い込むことがあるが、これもまた教授に対する売り込みの一つだ。その教授にも自分の講義でその(草稿のチェックを引き受けた)本をテキストとして使用してもらいたいというのが出版社の魂胆なのだ。

NPRの件の番組では教科書市場を突き動かしている以上のような事情が「プリンシパル=エージェント問題」の枠組みを使って読み解かれている。「エージェント」(代理人)に仕事ないしは課題の遂行を委ねた「プリンシパル」(依頼人)はその「エージェント」がこちら(依頼人)の利益を第一に考えて振る舞ってほしいと願っているが、「プリンシパル」には「エージェント」がその仕事なり課題なりにどれだけ真剣に取り組んでいるかを完全には観察も評価もできない。そのような状況で生じる様々な問題を総称したものが「プリンシパル=エージェント問題」であり、その問題を分析するための道具立てが「エージェンシー理論」と呼ばれているものだ。エージェンシー理論は経営者(「プリンシパル」)と従業員(「エージェント」)との間で起こる問題(従業員に怠けずに精を出して働いてもらうためにはどのような動機づけを与えればいいか)の分析によく持ち出されるが、教科書選びをめぐる教授と学生との駆け引きを分析するためにも援用可能だ。「プリンシパル」である学生は「エージェント」である教授に講義で使う教科書の選択を委ねているが、学生側としては教授に価格や質といった要因をすべて事細かに考慮した上で学生のニーズに一番合った教科書を選んでもらいたいと思っているわけだ。NPRの件の番組の中で紹介されている専門家の話によると、高校で使われる教科書の利幅は5~10%程度に過ぎない一方で、大学で使われる教科書の利幅は20%近くに及ぶという。どうしてそのような違いが生まれるかというと、高校の教科書はそれぞれの学区や州ごとに自治体が事細かな検討を経た上で選んでいるが、大学で使われる教科書はその値段がいくらなのか知りもしないなんてこともありかねない教授連にその選択が一任されることが多いからだ。

NPRの件の番組では「プリンシパル=エージェント問題」の枠組みを使ってこの問題(大学で使われる教科書が高価な理由)を説明できるかどうかがマンキュー(お値段「286ドル」のベストセラー教科書の執筆者)に面と向かって問われているが、「プリンシパル=エージェント問題」は取り立てて大騒ぎするような問題ではなくあちこちの場面で遭遇するありふれた問題だとはマンキューの弁だ。例えば、あなたが手術を受ける場合は「エージェント」である医者にお世話になることになるが、手術の費用を払うのは「プリンシパル」であるあなた自身だ。自家用車が故障した場合は「エージェント」である整備士のお世話になるが、その費用を払うのは(「プリンシパル」である)あなた自身だ。家の傷みを修理したいということになれば「エージェント」である業者のお世話になることになるが、そのための費用を払うのは(「プリンシパル」である)あなた自身だ。このようにいくつか例を挙げた上でマンキューは指摘する。教科書選びを委ねられた(「エージェント」である)教授は(「プリンシパル」である)学生のためを思って「時間」と「お金」との間で賢明なトレードオフを図らねばならず、学生のためを思うなら安価な教科書(例えば「256ドル」の教科書)を選んで「ちょっとしたお金の節約」に貢献するよりも「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を選ぶ方が大事だ、と1。つまりは、30ドル分のお金を節約するために『「286ドル」の「質の高い」教科書』の代わりに『「256ドル」の「質の低い」教科書』を選ぶというのは賢い判断だとは言えない(「エージェント」である学生の利益に反する)というわけだ。

言うまでもないが、世に出回っている教科書は『「286ドル」の「質の高い」教科書』と『「256ドル」の「質の低い」教科書』の2種類に限られるわけではない。非営利組織である「公益調査研究団体」(PIRG)が大学生を対象に行った調査結果によると、調査に回答した学生のうち3分の2はいい成績がとれないかもしれないとびくつきながらも教科書を買わずにいるか、テキストとして指定されている教科書の値段が安めの講義を履修するようにしているという。アルバイトで週に10時間働いて時給が(税引き後で)8ドルだとすると、「286ドルの教科書」を買うか「60ドルの教科書」(私が執筆している入門経済学の教科書)を買うかでアルバイト28.25時間分――およそ3週間分――の違いがある。講義の進め方も成績の付け方も同じだが、教科書だけは学生ごとに別々の本をランダムに割り振る。そして学生には毎日のスケジュールも記録しておいてもらう。そのような準備を整えた上で高価な教科書にどんな効果があるかを検証した例というのはあるのだろうか? 値段が高い教科書ほど学生の「時間の節約」にもなるし、学業成績を高める効果もある。そのことを示す証拠というのはあるのだろうか? 少なくとも私は知らない。大手の出版社から出されている「高価な教科書」の方が「安価な教科書」(例えば私が執筆している教科書)よりも学生のためになるかというと決して自明ではないのだ。人によってはもっと言葉を強めて語るところだろうが、このくらいにしておこう。

大学で使われる教科書の価格を高めている別の要因としては「古本市場」が絡む悪循環の存在も挙げられるかもしれない。NPRの件の番組が伝えるところによると、3年ごとに新版が出る教科書の場合、2年目の売り上げは1年目(新版が出たばかりの年)の売り上げの半分になり、3年目の売り上げは2年目の売り上げの半分になるのがよく見られるパターンだという。そうなるのは新版が出たばかりの年に教科書を買った学生が講義の全日程が終了するとともに「古本市場」でその本を(次の年にその教科書を使う学生に)売るためだ。ところで、「古本市場」があるおかげで新品の教科書を買う学生たちは実質的にはその教科書を「定価」以下の値段で手に入れていることになる。新品を手に入れるために支払った金額(新品の「定価」)と「古本市場」で売り払って得られた金額(古本の「売値」)の差額分しか支払っていないことになるのだ2。さて、「古本市場」が一体どのようにして(大学で使われる)教科書の価格を高める働きをしているかというとこういうことだ。新品の教科書の価格が高まるほど「古本市場」は活況を呈することになる。新品を買った学生たちが古本として売って少しでもお金を回収しようと試みるからだ。「古本市場」が活況を呈するとそれと並行して新品の売れ行きは年とともに落ち込んでゆくことになり、出版社は売れ行きの悪化を埋め合わせるために新版が出るたびにその値段を引き上げることになる。しかし、新版の値段が上がると「古本市場」はますます勢いづくことになり、・・・と悪循環にはまり込むことになるわけだ。

教科書が抱える今後の課題に話を転じることにしたいが、重要な課題の一つは教科書のデジタル化の行方がどうなるかということになるだろう。「デジタル教科書」の導入が進むにつれて機能性も高まり値段も安くなる可能性もあるにはある。しかしながら、そのような明るい未来の到来は必至かというとそうではない。少なくとも今のところはだが、「デジタル教科書」は文字を読んだりメモを書き込んだりといった機能性の面で「紙の教科書」に追いつけていないというのが私の意見だ。スクリーン技術の開発が今後も進めば「デジタル教科書」が機能性の面で「紙の教科書」を追い抜く日もやがてはやってくるかもしれないが、長時間スクリーンで字を読んだりスクリーン上にメモを書き込んだりといったことに伴う問題はひとまず脇に置いておくにしても、ちょうど今読んでいるページから見直したいページに行きつ戻りつしたりグラフや表を読み飛ばしたりといった面については今のところ「紙の教科書」の方が「デジタル教科書」よりも依然として優れている。つまりは、今のところは勉強するには「デジタル教科書」よりも「紙の教科書」の方が色々と便利な面があるということだ。

教科書の出版社がオンラインの世界に進出するに伴って、顧客にお金を出させるための手練手管も一緒にオンラインの世界に持ち込まれることになるだろう。イーサン・セナック(Ethan Senack)は次のように指摘している。

「デジタル化された教科書のマーケットは拡大を続けており、消費者である学生の選択肢はこれまでになく広がっている。『デジタル教科書』はラップトップやタブレットで読むことができるデジタル化された文書である。『デジタル教科書』にはPDF文書と同様の機能が備わっている。注釈を入れたりラインマーカーを引いたりできるだけではなく、文字検索もできるのだ。金額は『紙の教科書』の40~50%程度とお手頃だが、閲覧期限(例えば180日)が設けられている。『デジタル教科書』の分野に足を踏み入れた出版社はこれまでの『紙の教科書』とほぼ変らないラインナップを取り揃えている。KindleやiPadといった電子書籍リーダーの登場やデジタル教科書のレンタル(貸し出し)サービスの開始も追い風となり、『デジタル教科書』は大学の教科書市場の今後に明るい展望を開いてくれているように思える。明るい兆しが見えるのは確かではあるが、『デジタル教科書』には閲覧期限や一回きりしか使えないアクセスコード、印刷枚数の制限といった妙技が織り込まれている。そのような妙技は消費者にとっては使い勝手を悪くしてコストを高める役割しか果たさない。学生にとっては不幸な話ではあるが、『デジタル教科書』の分野では『紙の教科書』の分野と同じように市場を独り占めするための出版社の巧みな試みが繰り返されることだろう。」

  1. 訳注;同じ時間だけ勉強するにしても「質の高い」教科書で学んだ方が学習効率が高く、それゆえ「質の低い」教科書を使って学ぶよりも時間を有効に使うことができる。そういう意味で、『「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を使って学ぶか、それとも「質の低い」教科書(「256ドル」の教科書)を使って学ぶか』という問題は、『「時間」を有効に使うか、それとも「お金」を節約するか』という問題であり、「時間」と「お金」との間のトレードオフの問題と読み替えることができる。「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を使って時間を有効に使う機会を提供する方が「質の低い」教科書(「256ドル」の教科書)を使って学ばせる(30ドル分のお金を節約する機会を提供する)よりも学生のためになる、というのがマンキューの見解ということになる。 []
  2. 訳注;例えば、「286ドル」で購入した新品の教科書が古本として「100ドル」で売れたとすると、その教科書を買うために支払った金額は186ドル(=286ドル-100ドル)ということになる。 []

ゲイリー・ハフバウワー, ウイジン・ジュン 『トランプの貿易政策を診断する』 (2016年9月29日)

Gary Hufbauer, Euijin Jun,”Evaluating Trump’s trade policies“, (VOX, 29 September 2016)


 

常軌を逸脱しかつ潜在的危険性をもった政策提案によりドナルド・トランプは安定して新聞の見出しを飾っている。WTO脱退を仄めかすかと思えば、貿易協定の再交渉、メキシコと中国からの輸入に対する関税賦課など、彼の提案は様々だ。本稿では、法的・経済的側面からこうした提案に考察を加えてゆく。古い時代のものにせよ近代のものにせよ、法令のなかには合衆国大統領に以上の様な政策の施行を許してしまう可能性をもつものが在り、そこから合衆国経済に極めてネガティブな影響が出ることも考えられる。

 

アメリカの投票権者にとって、合衆国大統領という地位がもつ権限の過小評価 – 或いはラディカルな政策の手綱を握るためのチェックアンドバランス機能の誇張 – は、取り返しのつかない過ちともなり得る。

共和党大統領候補者ドナルド・J・トランプはこれまでWTO脱退 (Mount 2016)・北米自由貿易協定 (NAFTA) の再交渉 (Needham 2016)・メキシコと中国からの輸入にそれぞれ35% / 45%の関税賦課 (Johnson 2016) を仄めかしては、新聞見出しを飾ってきた。しかしトランプにはこういった威嚇を合衆国議会の同意無しに実行する権限が有るのだろうか? 裁判所のほうでも彼にストップを掛けるのではないか?

答えは単純で、大統領となれば、トランプはそうした権限を保持することになるだろうし、司法府により彼の取った法的措置が頓挫する可能性も低いのだ (Hufbauer 2016)。前世紀を通し、合衆国議会は大統領に対し、貿易およびその他の形態の国際通商の制限に係る権限を大幅に委譲してきた。念の為付言すると、最も関連性の有る5つの法規 (表1にまとめた) は上記のようなものとは異なる目的を念頭に制定されたものである。しかしそうした法律も依然として法典に残存し、大統領なら誰でも援用できる状態に留まっている。スカーリア裁判官が訓辞したように、法規解釈における最大の導きは法律文言それ自体であって、その歴史的文脈や立法審議過程ではないのだ。

トランプの貿易威嚇が実行に移された場合、事業会社やさらには諸般の州からの法的異議申立てが数多打ち寄せて来るだろうが、彼の行動はそうした法廷闘争を生き延びる公算が高い。付け加えれば、合衆国議会による抗議であっても、圧倒的多数 [super-majorities] がトランプの拒否権を乗り越えて当該法規の修正をする場合のほかは、殆ど効果が無いだろう。

法規は老衰で斃れることはない。そして今や齢も一世紀という老齢の御爺さん法が、1917年敵対取引法 [Trading with the Enemy Act of 1917] である。TWEAは大統領に対し、戦時中、国際貿易および資金流動の一切を制限し、外国資産の凍結または差押を行う権限を与えるものである。同権限の強力さには唖然とするほかなく – なんと同措置は軍事敵相手に限られてはいないのだ1。TWEAがひとたび援用されれば、如何なる外国通商も危機を免れ得ない。

さらに、殊TWEAの趣旨に関する限り、諸般の合衆国議会宣言および決議 [Congressional declarations and resolutions 2] を通して、合衆国は第二次世界大戦いらい常時戦争状態に在ったといっても過言ではないが、平和が邪魔になれば、1977年国際緊急経済権限法 [International Emergency Economic Powers Act of 1977] が大統領に対し、国家的緊急事態が続くあいだ貿易と金融に制限を課すことを許す。大統領による緊急事態宣言は端的に裁判所から疑義を受けない。外交政策目的で経済制裁を課すためにIEEPAを援用するのが大統領達の間で慣例となっているが、だからといってこの法規を自らの通商目的のために援用することからトランプ大統領を阻止するものは何も無いのである。

表 1. 大統領が外国通商の統制に利用できる法規のまとめ

原註: FTA = free trade agreement; MFN = most favoured nation; NAFTA = North American Free Trade Agreement
出展: Hufbauer (2016).

NAFTAには、書面による6ヵ月の事前通知をカナダ・メキシコに送付したのち同協定から脱退することをトランプに許す規定が在る。そうなれば合衆国議会と協議したうえで、彼は互恵性の不十分を主張し、メキシコに35%の関税を課すことが可能となる – 或いは国家的緊急事態を宣言したうえでIEEPAを援用するというのも在り得るが、こちらも結果は同様である。大統領トランプは同じ様にその他の自由貿易協定も破棄し得る。最も破局的なケースでは、WTOから脱退し、合衆国の最恵国関税をスムート・ホーリー法時代の水準に引き戻してしまうケースさえ起こり得るが、これは大恐慌 [Great Depression] 以来絶えてなかったことだ。

トランプもこうした措置はあまりに苛烈だと感じるかもしれないが、そうした場合はもう少し制約の有る冷戦時代の3法規を利用できる。第一の法規 [1962年通商拡大法] (232条(b)) は国防に対する危機が明らかとなった場合に輸入制限を課すことを大統領に許すものである。第二の法規 [1974年通商法] (122条) は合衆国の大統領に、巨額かつ深刻な国際収支赤字に対処するため、150日の間、全て若しくは一部の国に対し、最大15%の関税、若しくは量的制限の賦課を許す。第三の法規 [同法] (301条) は外国が合衆国の通商に不公正な形で制限を加えていると発覚した場合に、大統領が貿易措置などの報復的措置を実行すること許すもの。

合衆国の貿易措置によって被害を受けた場合、貿易相手国はトランプの行動に異議を申立て、WTOを通した補償を請求するだろう。しかし貿易相手国はWTOでの立証を待つまでもなく、端的に合衆国の輸出・知的財産権・投資筋を標的とした報復措置に打って出るかもしれない。

Noland et al. (2016) はトランプの提案する貿易政策が合衆国に及ぼす経済的影響を、3つの相異なるシナリオをスケッチしながら推定している。同研究はムーディーズ・アナリティックスに依拠しつつ、特に短期的経済ショックの評価を行うもので、メキシコ (35%) 並びに中国 (45%) といった合衆国関税障壁の劇的引上げから生ずる、GDP・雇用率・民間消費・部門/州/群レベルでみたその他数値の変化が算出されている。

第一シナリオは全面的貿易戦争であり、トランプの新関税を受けたメキシコ及び中国は、合衆国輸出に対する同等の関税を以て応酬する。第二シナリオは非対称的貿易戦争で、中国は合衆国からの特定の財・サービス輸出に対し報復措置を取り、メキシコのほうでは全ての合衆国輸出に最恵国関税を課す。第三シナリオは貿易戦争未遂であり、合衆国関税が一年間のみ一方的に賦課され、メキシコおよび中国も同じ期間だけ報復措置を取る。

図1 ベースライン状況・全面的貿易戦争・貿易戦争未遂シナリオ時の合衆国GDP予想, 2015-2026

全面的貿易戦争シナリオでは、合衆国のGDP成長率に十年間に亘る相当な減速が見られる (図1を参照)。合衆国経済が最も厳しい打撃を受けるのは2019年で、この年に消費は2.9%、投資は9.5%も落ち込み、失業率は8.4%に達する。2019年の民間部門雇用ではほぼ480万近く職が無くなるが、これはベースライン状況の民間部門雇用を5%以上も下回る。最も強く影響を受けるのは高速ドライブおよびギア製造部門であり、雇用は10.2%も落ち込む (表3を参照)。しかしながら、絶対的雇用喪失数の観点から言うと、卸売および小売貿易・レストラン・ヘルスケアなどの部門で最も多く労働者が切り捨てられている。州レベルの影響の観点では、ワシントン州が最も強烈な打撃を被り5%の雇用喪失となり、これにカリフォルニア州・マサチューセッツ州・ミシガン州が続く (地図1を参照)。郡のなかで最も強烈な打撃を受けるのはロサンゼルス郡で176,000の雇用喪失、これにコック郡 (シカゴ州) における91,000の雇用喪失が続く。

表 2. 全面的貿易戦争および貿易戦争未遂の結果として生ずる一部マクロ経済変数の変化予想, 2017-2026

出展: Noland et al  (2016).

表3. 全面的貿易戦争によって最も被害を受けると予想される部門

出展: Noland et al (2016)

非対称的貿易戦争シナリオでは、中国は合衆国からの航空機輸入 (ボーイング機) を取止め、合衆国企業から購入するサービスを減らし、合衆国大豆の輸入に終止符を打つものと想定されている。中国の航空機購入取止めは179,000の合衆国雇用喪失を引き起こす可能性が有り、とりわけシアトル市-タコマ市-エバレット市の連なりやウィチタ市などの都市部への影響が懸念される。中国による合衆国企業サービス購入の減少のほうも85,000の合衆国雇用喪失を引き起こしかねず、その場合ロサンゼルス郡が最大の被害を受ける。中国の大豆輸入取止めは、ミシシッピ州・ミズーリ州・テネシー州・アーカンソー州の田園地帯における雇用を崩壊させる恐れがある。

地図 1. 州毎に見た民間部門雇用喪失パーセンテージ

出展: Noland et al (2016)

貿易戦争未遂シナリオとなると、経済的ダメージも幾分和らぐ。考え得る3つのアウトカムとしては、サプライチェーンの中断・金融市場の混乱・消費財の枯渇が挙げられる。合衆国民間部門雇用はこのシナリオでは一時的に130万の雇用喪失を被ることになる。

以上のシナリオを考慮すると、旧来および近代の諸法規がトランプ大統領に合衆国経済を織り成す国際的要素を、合衆国議会の同意を何ら要せずしかも裁判所からの有効な異議申立てもないままに、破棄することを許してしまう恐れがあり、これは全く悩ましいかぎりである。現在の大統領選キャンペーンを見る限り、合衆国議会は外国通商規制に関して自らが有する合衆国憲法上の権限の投げ売りを改め、適切な修正案を以て前述の諸法規の効力を狭めてゆくべきだろう。

参考文献

Hufbauer, G C (2016) “Could a President Trump shackle imports?” In Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

Johnson, S (2016) “Trump’s tariff proposal would gut US export jobs”, Boston Globe, 26 June.

Mount, I (2016) “Donald Trump says it might be time for the US to quit the WTO”, Fortune, 25 July.

Needham, V (2016) “Trump says he will renegotiate or withdraw from NAFTA”, The Hill, 28 June.

Noland, M, S Robinson and T Moran (2016) “Impact of Clinton’s and Trump’s trade proposals” in Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

原註

[1] フランクリン・ルーズベルトは銀行業務休止 [a bank holiday] の宣言を行う際に、リンドン・ジョンソンは対外直接投資の制限に、またリチャード・ニクソンは10%の輸入課徴金賦課に、それぞれTWEAを利用しており、当該大統領権限範囲はこうした例を以て知ることができる。

[2] 合衆国議会の対イラク・アフガニスタン戦争決議は今現在有効であり、裁判所はTWEA援用の目的に関しては行政部門のシリア・イェメン・その他標的に対する軍事行動を以て十分と見做すかもしれない。

 

マーク・ソーマ 「プリンシパル=エージェント問題を解決する術 ~身体交換のケース~」(2008年12月20日)

●Mark Thoma, ““A Solution to the Principal-Agent Problem””(Economist’s View, December 20, 2008)


身体交換(二人が互いに身体を取り替える)に付き纏う「モラルハザード問題」を解決するにはどうしたらいいだろうか? ロバート・シェクリイ(Robert Sheckley)の(SF小説である)『Mindswap』(邦訳『精神交換』)の中で次のような巧みな工夫が紹介されている1

The Bible Meets Science Fiction: A Solution to the Principal-Agent Problem”(Suggested by Lawrence H. Officer, Journal of Political Economy, Back Cover, vol. 110, no. 1):

「次なる手順としましては貴君と火星の紳士殿との間で損害賠償条項を含む双務契約を取り交わしていただくことになります。契約の内容を具体的に説明しますと、貴君が火星の紳士殿から借り受けた身体に(作為か不作為かにかかわらず、あるいは不可抗力であろうとそうでなかろうと)何らかの損傷を与えてしまった場合、①惑星間の慣習に則って確立された相場に照らして適当と思われる額の賠償金の支払いを求められるとともに、②レクス・タリオニス(同害復讐法)の精神に則って貴君の身体にも火星の紳士殿の身体に加えられたのとまったく同様の損傷が加えられることになります。」

「ハァ?」とマーヴィン。

「つまりは『目には目を、歯には歯を』というわけです。」 ブランダース氏の説明は続く。「シンプル極まりない話です。例えば、貴君が火星滞在最終日に足を骨折する怪我をしたとしましょう。(火星の紳士殿から借り受けた)借り物の身体だとはいっても貴君も骨折の痛みを感じるには違いありませんが、それからしばらく続くであろう不都合にも悩まされねばならないかというとそうではありません。何の傷も負っていないご自身の身体に戻ってしまえるわけですからね。しかし、そのような話は公正とは言えません。足の骨折というアクシデント2は貴君が誘発したアクシデントです。そのアクシデントの結果を貴君がご自身で引き受けないでいいわけがあるでしょうか? 貴君が誘発したアクシデントの結果を貴君の代わりに別の誰かが引き受けねばならないなんて話が成り立つでしょうか? 現行の星間法(interstellar law)によりますと、貴君が火星の紳士殿の身体を離れてご自身の身体に戻り次第貴君の足も(可能な限り科学的で痛みのない方法で)折られてしまう決まりになっていますが、それもこれも正義のためなのです。」

「火星で足を折ったのがアクシデント3の場合でもですか?」

「アクシデントの場合こそです。損害賠償条項を含む双務契約が交わされるようになってからというものそのようなアクシデントの数が大幅に減ったことが確認されているのです。」[Robert Sheckley, Mindswap (New York: Dell, 1966), p. 17.]

ウォール街では「他人の身体」ではなく「他人のお金」を借りて商売が行われているわけだが、「他人のお金」の運用を引き受けたマネー・マネージャーが「他人の足」を折るような所業をしでかしても――資金の運用に失敗して損失を出しても――マネージャー当人がその結果を引き受けるようには必ずしもなっていない。それどころかマネー・マネージャーの多くは「他人のお金」を疑わしいやり方で運用することで巨額のボーナスを自らの懐に入れるだけではなく、「他人のお金」に損失が発生した後もなお巨額のボーナスをもらい続けているのだ(この点についてはクルーグマンのコラムを参照あれ)。「他人の足を折ったら自分の足も折られる」というのはいささか残忍なやり方であり、それよりは金銭的な罰則を課す方が受け入れやすい案ではある。ともあれ、マネー・マネージャーが直面しているインセンティブの歪みを正す4ためには(運用を委ねられた「他人のお金」に損失が発生した場合には)マネージャー当人も自らの身の上に「他人(顧客)の痛みを感じる」ようにする必要があることは確かだろう。身体交換のケースから得られる教訓をまとめるとそういうことになるだろう。

  1. 訳注;以下の引用は拙訳。 []
  2. 訳注;ここでの「アクシデント」は「事故」という意味合いが強い。 []
  3. 訳注;ここでの「アクシデント」は「不慮の出来事」という意味合い(自ら狙って足を折ったのではなく思いがけず骨折してしまった)が強い。 []
  4. 訳注;インセンティブの歪みを正す=(エージェントである)マネー・マネージャーが(マネー・マネージャーにお金の運用を委ねたプリンシパルである)顧客を犠牲にしてまでも自らの利益を追い求めるに任せておくのではなく顧客の利益を第一に考えるように仕向ける、という意味。 []

ダロン・アセモグル, パスカル・レストレポ 『人間と機械の競争: 成長・要素分配率・職への示唆』 (2016年7月5日)

Daron Acemoglu, Pascual Restrepo, “The race between machines and humans: Implications for growth, factor shares and jobs” (VOX, 05 July 2016)


歴史に名を残す多くの経済学者も、技術進歩が労働市場に不可逆的損失を及ぼすだろうと予言した点では誤っていたことが今では明らかになっている。本稿では1970年から2007年の間に現れた新たなタイプの技能職に関する実証データを利用して、労働市場が、これまでのところは、資本による職の置換に常に順応してきたことを示す。機械による職のオートメイト化、対するは労働者が担う複雑な新タスクの創出。この2つの競り合いが均衡しているかぎり、労働市場が大きく衰退することは無いだろう。新たな技術の性質とそれが将来イノベーションの潜在的可能性に及ぼす影響は、労働の安定性に重要な意義をもっている。

デジタル技術・人工知能・ロボット工学による技術的不就労が世を覆い尽くす、といった懸念がいまや世を覆い尽くしている。最近の多様な労働市場トレンドは、合衆国における労働市場参加率の低下をはじめ、賃金格差や資本が国家所得に占める割合の上昇に至る幅広いものだが、これがいま 『新たな常識』 の先駆けだと目されている (例: Brynjolfsson and McAfee 2012, Akst 2014, Autor 2015, Karabarbounis and Neiman 2014, Oberfield and Raval 2014)。技術的不就労をめぐるこの種のよくある議論が抱える大きな瑕疵は、新技術の影響が今回これまでとは異なったものになるだろうと予測すべき明確な理由が実は全く存在しないところに在る。過去この方、新技術がそれ程の雇用縮減の蔓延を生みだした例はないのだ。

新技術がこれほど破局的なものになると予言されたのは何も今回に限った話ではない。1930年、ジョン・メイナード・ケインズは次のように述べた:

「私達はいま或る新たな病に掛かりつつあるのです。その病の名を耳にしたことのない読者も中にはいましょうが、これから数年のうちにその内実を嫌と言う程きかされることになるだろうもの – そう、技術的失業です」(Keynes 1930)

1965年、経済史家のロバート・ハイルブローナーはこう断言して憚らなかった:

「機械が社会をこのまま侵略し続け、ますます多くの社会的職務を担うようになるその暁には、人間的労働 – 少なくとも現在の我々が考えるような 『労働』 に関して言えば – 他でもないこの人間的労働こそが徐々に無用の長物と化す」 (Akst 2014での引用)

著名な経済学者であるワシリー・レオンチェフもまた同様に新しい機械のもつ意義について悲観的であった。馬を無用の長物に変えた20世紀初頭の技術とのアナロジーを用いつつ彼は未来の展望を述べる:

「労働はいよいよその重要性を失ってゆくだろう…ますます多くの労働者が機械に置換されるだろう。新たな産業が職を求める全て者に雇用を提供できるとは思えない」(Leontief 1952)

では、いま挙げた様なこれまでの不吉な予言が過去において現実のものとならなかったのは何故なのか? また、今回はこれまでとは違うはずだというのなら、それはどうしてなのか?

我々の最近の取組みはこれらの問いに答えようとするものだ (Acemoglu and Restrepo 2016)。我々の手法は2つの中核的考えに依拠している。一つ目は、殆どの時代で、それまで労働が担っていた職務が機械化およびオートメイト化されるというプロセスが絶え間なく進行しつつも、他方では時を同じくして労働の担う新たな雇用機会も創出されているのだ、という考え。二つ目は、新たな雇用機会は専ら、新しくしかもより複雑な、労働が資本に対し比較優位をもつような職務の登場に由来する、という考えである。斯くしてレオンティフ問題に対する我々の解答は見出された – 人間労働と馬の違いだが、人間には新しく、しかもより複雑な活動で比較優位が有るのである。馬にはそれが無かった。

こういった複雑な新タスクの重要性を見事に例証するのが第二次産業革命期を通してみられた技術的・組織的変化で、そこでは鉄道による駅馬車の置換、蒸気船による帆船の置換、クレーン機器による手作業港湾労働者の置換のみならず、新たな労働集約的タスクもまた観察されていたのである。こうした新たなタスクは、エンジニア・機械技師・修理工・車掌や近代的な経営者・金融業者など、新たな技術の導入と運用に関わりをもつ人達からなる新たな階層の担う職を創出したのだった (例: Landes 1969, Chandler 1977, Mokyr 1990)。

複雑な新タスクの重要性は近年の合衆国労働市場の動向からも確認できる。雇用関連の諸数値は、既存の労働集約的職種のオートメイト化だけでなく、新たな業種の隆盛も記録しており、エンジニアリングやプログラミング職をはじめオーディオヴィジュアル専門職・役員秘書・データアドミニストレータ/データアナリスト・ミーティングプランナー・コンピュータサポート専門職など幅広い。じっさい、過去30年を通して、新タスクおよび新役職は合衆国の雇用成長に大きな割合を占めてきた。我々はこの事実を実証するにあたり、新たな役職 – これら役職では労働者はより従来的な職種で雇用されている者と比べて相対的に新しいタスクを取り行っている – が各業種内部に占めるシェアを計測したLin (2011) のデータを利用した。2000年には、コンピュータソフト開発者 (当時100万人の雇用を生み出していた業種である) として雇用されている労働者の約70%が新役職に就いていた。同様に、1990年には放射線技師が、また1980年には経営アナリストが、それぞれ新役職であった。

図1  十年間での雇用成長率に対し330業種について各十年開始時の新役職シェアをプロットしたもの

原註: 1980年から1990年までのデータ (濃い青)、1990年から2000年 (青)、2000年から2007年 (薄い青、10年変化に再スケール化)
出典: Acemoglu and Restrepo (2016)

図1は、1980年以降の何れの十年間をみても、より新しい役職をもった業種ほど雇用成長率が大きかったことが示されている。同回帰直線は、各十年間の始まり時点で新役職の10%分多い業種は続く10年の間に5.05%早い成長を遂げていることを示している (標準誤差 = 1.3%)。1980年から2007年までに、合衆国における総雇用数は17.5%成長した。この成長の約半分 (8.84%) は、新役職をもたないベンチマークカテゴリに対する、新役職をもつ業種における追加的雇用成長によって説明される。

これら2つの重要要素は、先進国経済における近代的労働市場の動向が、次の2つの技術的動力の競り合いによって特徴付けられるものと捉えるべきことを示唆する: すなわち一方には機械によるオートメイト化が在り、他方には人間による複雑な新タスク創出が在る、という構図となっているのだ。オートメイト化というのが、他の事情に変わりがなければ、労働から職を奪い去る進行中のプロセスであるのは確かだが、複雑な新タスクの創出もまた進行中のプロセスであり、こちらは労働が担う新たな職を生み出すものなのだ。第一の動力が第二の動力を追い越すのなら、国家所得に労働が占めるシェアの減退および技術的不就労が生じてくるだろう。第二の動力が第一の動力を追い越すならば、その真逆が起きるだろう – 国家所得に労働が占めるシェアは増加し、雇用率も高まるだろう。タスクに基づく我々の枠組みはさらに、技術改良と相応しGDPを上昇させるものだとはいえ、オートメイト化には労働者が国家所得に占めるシェアのみならず、彼らの実質賃金をも引き下げてしまう可能性が有ることを示している。この最後の研究結果は、新技術が賃金に及ぼす影響をめぐる諸問題の1つの中核を解明するさいに関わってくる。というのも、一般的にいってこの点は既存のモデル (そこでは技術更新はつねに賃金を上昇させるものとされる) と上手く馴染まないものなのである。

我々の理論フレームワークから見ると、ケインズやレオンチェフを含み、過去の状況を体現しているようにみえる評者が結局のところ正しくなかった理由は、機械対人間の競争における第二の動力があらゆる面で第一の動力の等価物となっていたからだ、となる。未来に目を向けると、新技術の波及が労働に終末をもたらすか否かという点も同じく、この第二の動力が第一の動力の早まった足並みに付いて行けるかどうかに掛かってくるだろう。

しかしこのフレームワークを用いつつ、オートメイト化と複雑な新タスクの創出の進展率を外生的のままにしておくのは不十分だと言わざるを得ない。同フレームワークが上記の動力の働きを解明するうえで役に立つのは確かだが、それはまた1つの同じくらい深遠なる問いを提起する: すなわち、過去においてこれら2つの動力が結局均衡していたのは何故なのか? 今日の技術進歩から同様の結果を予測すべき理由は何もないのだろうか?

いっそう根源的なこの問いに答えるため、我々は本フレームワークの完全版を構築したのだが、そこではオートメイト化と複雑新タスク創出の進展率は内生化され、これら2つの活動の何れであれより利潤の上がる方に反応するようになっている。例えば、資本が安価になればなるほどオートメイト化の利潤が高まり、これが相対的に出費の嵩む労働を安価になった資本で置換する動きに繋がる、といった具合だ。本モデルのこの内生的技術バージョンでは、こうした利潤性の高まりがさらなるオートメイト化の引き金となる。本理論構造は2つの互いに関連した理由から有用だと言える。一つ目は、安定化要因として働く動力の特定に役立つ点 – つまり、ひとたびオートメイト化が新たな労働集約的タスクを上回るや、新タスク創出の加速を誘発するような経済的動力が現れてくるはずだ。二つ目は、我々が現在目の当たりにしている新たなオートメイト技術の奔流が自己修正を行わず、したがって労働の展望に対し長期的にみて悪影響をもたらすことになるのはどの様な状況なのかを画定するのに役立つ点もある。

本モデルにおいて安定化要因となる動力は 『価格効果』 に由来する。オートメイト化には労働への支払いを減少させる傾向が有るので、さらなるオートメイト化との比較で、複雑新タスク創出の利潤性を上昇させることにもなる。この安定化動力は、急速なオートメイト化も未来のイノベーション創出や多種多様な研究開発に役立つ技術が不変に保たれている環境で生ずる限りは、自己修正的に働く傾向が有ることを示唆している。経済は窮極的にはこれらオートメイト技術が登場する前の状況に帰還することになるだろう。もしそうなら、新たな技術を前にした労働者が現在被っている苦境が在るにせよ、労働の未来はそれほど暗澹たるものではないのかもしれない。とはいえこの安定化動力は、あらゆる種類の変化が必ず自らの進行方向を逆転させるとまでは示唆しない。変化したのが未来のイノベーションを創出する為のテクノロジーであった場合、とりわけオートメイト化関連のイノベーションが新タスクの創出よりも容易となった場合には、我々がいま目にしている新たなオートメイト化技術の波及も、労働展望の悪化を伴った新たな長期的均衡状態へと経済が安定してゆく過程の第一段階に過ぎないだろう。全体的に言って、技術的不就労の増加をめぐる懸念の正しさがこの先どれほど証明されるのかは、いま我々が直面しているのが新たなオートメイト化技術の急速な発見期であるのか、それとも未来の技術を生産する我々の能力の根源的なシフトであるのか、この点に掛かっている。

我々はまた本理論構造から得られる市場均衡の効率性に関しての新たな示唆にも光を当てている。外生的技術というものを取り入れたモデルが、市場支配力をもつ企業   (典型的には新製品や新技術を市場に導入した企業がこれに該当する) の押し付ける独占的マークアップに由来する非効率性の様々な要因を備えていることは良く知られている。こうした良く知られた非効率性の原因に加え、我々は新たなタイプの非効率性を特定しているが、これは行き過ぎたオートメイト化や創出される新技術があまりに少な過ぎるといった状況に繋がるものである。こうした非効率性が生じるのは、オートメイト化というのが企業の賃金支払い節約を可能とするものであるために、高賃金に反応するからである。労働者への賃金支払い増化の一部がレント分である時 (例: 効率賃金または労働市場摩擦によって生じた準レント)、社会計画者が望ましく考えるところを超えたオートメイト化が進行することになるだろう。そして技術は労働の置換に向かう非効率的なバイアスを帯びて来る。

最後に我々は本フレームワークを利用し、格差にオートメイト化が及ぼす影響を調査した。異なる労働者ならば異なる量の技能を保持しているという時には、オートメイト化と新タスク創出はともに格差の拡大に繋がり得る – 前者の場合、低技能者ほど機械との競争がより重く圧し掛かってくる為で; 後者の場合、複雑な新タスクにおいては高技能者労働者の方が低技能労働者よりも多くの比較優位を手にするからである。しかしながら、継時的に見たとき、タスクが規格化され、低技能労働によっても容易に取り行われるようになるのならその限りで (例えばAcemoglu et al. 2010での議論の様に)、複雑な新タスクの導入はこうした労働者にも高技能労働者と並んで恩恵をもたらすことを我々は明らかにしている。この規格化プロセスの進行速度に依るが、経済がオートメイト化技術のもつこうした格差効果に対し自己修正的に働く強い力を生み出す場合も、或いは在るかもしれない。

我々は今回の論文を、資本と労働に対し異なった作用をする多様な技術変化の体系的調査に向けた第一歩と位置付けているが、この路線で殊に有望であるように見受けられる研究領域が幾つか在る。第一に、効率性への影響、およびこれが労働市場の不完全性 (労働の機会費用と賃金のあいだに歪 [wedge] を発生させるものである) とどの様な相互作用するのか、という点についてのより体系的な研究が、この先の重要な取組み領域となる。第二に、複雑性分布の様々な部分でオートメイト化が進む種々のタスクに対するより細やかな分析も重要な研究領域であり、殊に近い未来にはオートメイト化が低技能労働者のみならず高技能労働者に対してもますます大きな影響を振るうようになる旨を伝える多くの実証データに照らせば、なおのことだ。第三に、オートメイト化および新タスク創出能力に関わる技術には産業間で大きな差が在るだろうから (例: Polanyi 1966, Autor et al. 2003)、こうした差がどの程度制約的要因になってくるのかの調査が必要だ。最後に、そして極めて重要な点だが、オートメイト化とロボット工学が雇用に及ぼす作用についての実証研究データが、大いに必要とされている。実際、急速なオートメイト化が本当に複雑新タスク創出の誘発要因として機能するのかこそ、取りも直さず本論で展開したフレームワークにさらなる実証的内実を与えるにあたっての最重要点なのだ。

参考文献

Acemoglu, D, and P Restrepo (2016), “The Race Between Machine and Man: Implications of Technology for Growth, Factor Shares and Employment”, NBER working paper No. 22252

Acemoglu, D, G Gancia and F Zilibotti (2010), “Competing Engines of Growth: Innovation and Standardization”, Journal of Economic Theory, 147 (2), 570–601

Akst, D (2013), “What Can We Learn From Past Anxiety Over Automation?”, Wilson Quarterly

Autor, D H, F Levy and R J Murnane (2003), “The Skill Content of Recent Technological Change: An Empirical Exploration”, The Quarterly Journal of Economics, 118 (4), 1279–1333

Brynjolfsson, E, and A McAfee (2014), The Second Machine Age: Work, Progress, and Prosperity in a Time of Brilliant Technologies, W W Norton & Company

Chandler, A D (1977), The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, Harvard University Press, Cambridge, MA

Karabarbounis, L, and B Neiman (2014), “The Global Decline of the Labor Share”, The Quarterly Journal of Economics, 129 (1), 61–103

Keynes J M (1930), “Economic Possibilities for Our Grandchildren,” in Essays in Persuasion, New York, Norton & Co.

Landes, D (1969), The Unbound Prometheus, Cambridge University Press, New York

Leontief, W (1952), “Machines and Man,” Scientific American

Lin, J (2011), “Technological Adaptation, Cities, and New Work”, Review of Economics and Statistics, 93 (2), 554–574

Mokyr, J (1990), The Lever of Riches: Technological Creativity and Economic Progress, Oxford University Press, New York

Oberfield, E, and D Raval (2014), “Micro Data and Macro Technology”, NBER working paper No. 20452

Polanyi, M (1966), The Tacit Dimension, New York, Doubleday

原註                                                                                 

[1] 1980年・1990年・2000年のデータは合衆国国勢調査による。2007年のデータはアメリカン・コミュニティ・サーベイから。Acemoglu and Restrepo (2016) の補遺B [Appendix B] に本データおよび我々が用いたサンプルに関するさらなるデータを示した。そこでは図1に描出した関係性の頑健性についても詳述している。

 

ダロン・アセモグル, レオポルド・ファーガソン, ジェームズ・ロビンソン, ダリオ・ロメロ, フアン F. バルガス 『国家を建設しない法: コロンビアからの実証データ』 (2016年10月6日)

Daron Acemoglu, Leopoldo Fergusson, James Robinson, Dario Romero, Juan F. Varga, “How not to build a state: Evidence from Colombia“, (VOX, 06 October 2016)


暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供。数多くの貧困国ではこうした領域における国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。本稿ではコロンビアの事例を取上げ、何よりも先ず軍事的目標を優先するものであるトップダウン式国家建設戦略の効率性の評価を試みる。この種の国家建設アプローチでは国家的能力のその他重要側面の育成に失敗する可能性が有るばかりか、発展初期段階にあるこうした能力に悪影響を及ぼしかねない。

今日多くの国で国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。例えば暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供などを行う能力がここに含まれる。貧困国の多くではこうした面の不備が其処彼処にまで蔓延しているが、Fearon and Latin (2003) の主張によればこうした事態こそが内戦の根本的原因なのだという。とはいえ、その潜在的便益にも関わらず、上述の諸能力開発は尋常ならぬ難しさの様で、多くの国が恒常的にその国家的弱体性を顕にしている。

社会がこうした困難を乗り越え、首尾よく国家の強化を成し遂げるにはどの様な道筋が在り得るのだろうか? またWeber (1946) が国家の 『あれ無ければこれ無し』 たる条件と見做したところの領土内における暴力の正統的独占だが、国家は如何にしてこれを確立し得るのか? こうした目的へのアプローチとしては、先ず非国家武装アクターの消去と国家的支配の確保をめざす軍事的戦略に集中するというのが自然に思いつくだろう。『国家第一 [state first]』 または 『保安第一 [security first]』 的見解と呼ばれることもあるこのアプローチは、当然トップダウン式 (一般的に言って、社会の側からの合意や参加は存在しない) であり、ピョートル大帝やルイ14世またケマル・アタテュルクそして朴正煕といった強力な指導者による国家建築計画の歴史的な例を以て描き出されてきた (例: Huntington 1968, Fukuyama 2001, 2014)。この見解はアカデミックな領域に留まるどころか、近年のアフガニスタン・イラクに対する合衆国の侵攻にあたっての指導原理となるまでに至っており、数多の国際的開発ガイドラインの導きとなっている  (Grävingholt et al. 2012, World Bank 2012)。

トップダウン式アプローチはしかし、通例一面的であり、何よりも先ず軍事的目標を優先するものである。最近の論文で我々は、こうしたアプローチが相当深刻な負の帰結を生み出しかねないことを主張している  (Acemoglu et al. 2016)。それだけでなく、同アプローチでは国家的能力のその他重要側面を育成できない可能性があるばかりか、発展初期段階にあるそうした能力に悪影響を及ぼしかねないのである。

我々は、2002年におけるアルバロ・ウリベの大統領選出以降、コロンビア国内の暴力の国家的独占確立をめざして行われた取組みの帰結を研究対象とした。ウリベ大統領は古典的なトップダウン式国家建築計画の定式に則り、非国家的武装アクター、とりわけ左翼ゲリラとの闘争に焦点を合わせた。彼の 『民主的保安政策 [Democratic Security Policy]』 は次の2つの主柱で構成されている: すなわち軍隊規模の拡張、そして軍隊側の対ゲリラ戦闘へのインセンティブ増進である。Human Rights Watch (2015) の或るレポートは、2002年以後のインセンティブ導入を 「戦闘における殺人を、休暇や昇進また勲章そして訓練コースさらに上官からの称賛等々の賞与を以て褒賞するもの」(p. 29) と描写している。

図1 セメスター毎の虚偽検知数
事例数および死者数, 1988-2011

原註: 1988年の第一セメスターと2011年の第二セメスターの間の期間における虚偽検知数。事例数 [cases] は虚偽検知を生んだ出来事の総数であり、死者数 [casualities] はそうした出来事で殺害された者の総数である。何れの場合も、生の数値から算出した三セメスター移動平均を示している。
出展: Acemoglu et al. (2016), CINEPのデータに基づく。

こうした強化インセンティブの主たる帰結は 『虚偽検知数』 の急増だった。これは軍隊が民間人を殺害したうえで、こうした民間人をゲリラ戦闘部隊であるとする虚偽の描写を行った場合である。図1に示すのがこうした事例であり、虚偽検知を生んだ事件と、そうした出来事で殺害された者の数の双方を明らかにしている。虚偽検知はコロンビアではかなり前から存在していたのだが、ウリベ大統領による国家建築計画を経て大幅に増加し、その後メディアによって2008年の民間人殺害水準が公にされたことを受け政策が穏健化されるまで、この数字が減少することは無かった。図2には領土内における虚偽検知の分布が示されており、ここから同慣行は国土全体に蔓延したものであって、一部の不良軍事部隊のために生じたものではないことが明らかに読み取れる。

図2 虚偽検知数
居住者100,000人あたりの総処刑数

原註: 地方自治体単位で全サンプル期間 (2000-2010) を通して見た虚偽検知数 (100,000人あたり)
出展: Acemoglu et al (2006), CINEP (虚偽検知数) および DANE (人口) のデータに基づく

(Holmström and Milgrom 1991におけるマルチタスクフレームワークの考えに倣った) 単純な理論を用いれば、インセンティブ構造と、国家的能力のその他側面、またトップダウン式かつ一面的な国家建築計画活動から生じた意図せざる結果との関係の明晰化もやり易くなる。同理論からは我々にも検証可能な幾つかの予測が得られる。

  • 一、軍人側のゲリラ殺害へのインセンティブ増強は、虚偽検知数と本物のゲリラの殺害数 (これを 『真正検知』 と呼んでいる) 双方に繋がるエージェント活動の増加をもたらす。
  • 二、この効果は、キャリアへの関心がより強いものである大佐階級 [colonels] が率いる隊ではより顕著になる (大佐から大将 [general] への昇格は大半の軍隊において難しくなっており、コロンビアも例に漏れない)。
  • 三、地方司法機関のもつ、軍事部隊およびその司令官らの取調べ、並びに答責可能性の維持に係る権限が弱い地方自治体ほど、虚偽検知への影響は顕著になる。極めて重要な点だが、司法機関の弱さは虚偽検知数に影響するが、真正検知数には必ずしも影響しない。

さて、一番最後の非対称性も含み、以上の予測は我々のデータとも整合的であることが分かった。これら発見は国家建築における一面的アプローチの負の帰結を浮き彫りにしている。機関化の遅れた地区において真正検知および虚偽検知の数に非対称的な反応が見られる事からも、今回記録された事態は真正のゲリラに対する攻撃の過程で生じた不可避の付随的損害で片付くものではなく、民間人を殺害したうえでこれをゲリラ戦闘員であったと装うよう方向付けられた軍事部隊による、組織ぐるみの行動であったのだという我々の解釈は裏付けを得ている。

この点はさらに、近年増えてきた、司法部またメディアによる調査からの事例研究的実証データとも軌を一にしている。国連特別報告官のフィリップ・オールストンは 「結果を見せよ」 という圧力とそれに応ずる行為に対する褒賞が虚偽検知の一因であると、専門家から – 軍内部の専門家からも – 指摘されているとの見識を述べているが、同氏に対し或る兵士が、自らの所属する隊が殺害行為1件を遂行した場合15日間の休暇以て褒賞されていたというその実態を説明している: 「大事な祝日が近づけば兵士達はなんとか休暇を 『稼いでおこう』 としたものです、と彼は述べたのだった」(Alston 2010, p. 11)。別の兵士で、2007年から2008年の間に優に25件もの虚偽検知事件の発生を目撃した者がいるが、同人物は2005年政府指令第29号 [government Directive 29 of 2005] を引きつつ、同指令が殺害行為または軍需資材に対し約束している金銭的褒賞を請求するために、軍人員は民間人を殺害したうえで彼らに武器を 『植え付け』 ていたと述べている。

我々の提示する実証データはさらに、コロンビアが採用したトップダウン式国家建築戦略は単に人類の悲劇をもたらすばかりか、それが意図する目的との関連でも逆効果となる可能性が在ることを示している。ここで今一度、ゲリラ殺害への強いインセンティブに直面した国家エージェントを想像されたい。司法機関の水準が劣るほど、民間人殺害しておきながら事無きを得るのも容易になると考えられるが、そうした状況下では国家エージェント側で地方司法機構の弱体化を図る行動を起こす場合も考え得る。事実、経験的実証データは大佐階級が指揮する部隊が高い割合を占める地区で司法機関の水準に悪影響が出ていること、またこちらはさらに逆説的だが、こうした地区では保安水準も悪化している (民間人に対する、ゲリラによる攻撃と準軍事部隊による攻撃の双方が増加している) ことを指し示している。

コロンビアにおけるトップダウン式の、一面的国家建築計画は、したがってそれが達成しようと掲げている目的との関連でさえ反生産的なのだ。同計画はその進行過程で国家的能力におけるその他の側面を弱体化させただけでなく、恐らくは国家の正統性と自らに対する承認から生ずる力を台無しにしてしまったのであるが、こうした承認の力こそ実は国家的能力の中心を占めるものかもしれないのだ (その理論的考察についてはAcemoglu 2005、コロンビアの事例についてはIsacson 2012を参照)。今回の分析から得られる主要な教訓は、たとえ暴力の正統的独占の達成を目指す場合であっても、国家の多様な側面における諸機関を同時的に築き上げる取組みが決定的に重要であり、また問責可能性の欠けたまま、そして司法府といった国家機関が脆弱な時節に採用された強化インセンティブは、極めて捻くれた振舞いを見せ得ることである。

同様に捻くれた意図せざる結果の発生を予感させるトップダウン式の一面的国家建築活動には、他にも数多くの例が在る。例えばペルーとグアテマラでは、紛争後の真実和解委員会によって民間人殺害の拡大が記録されている。同委員会の報告によれば、ペルーでのこうした殺人は、トップダウン式の保安第一論理がその誘因となっているという: 「軍事的アプローチに特権を付与することで、対反乱分子戦略における主要目標の1つとして武装蜂起の人員・同調者・協力者の抹消が挙げられ、権限の有る司法当局の下で裁判を受けさせるためにこうした人物を捕縛するという目標すらも措いて優先された」(Comisión de la Verdad y la Reconciliación 2003, p. 146)。グアテマラの同委員会も我々の研究と似た結論に至っており、次の様に論述する:

「軍事化が刑事免責の支柱と化したのだ。軍事化はさらに、広い意味で国家機関を弱体化させることでそうした機関が効率的に機能するための能力を損なわせ、結局それが正統性を喪失する一端を担った」(Comisión para el Esclarecimiento Histórico 1999, p. 28).

同論述の結びは次の様になっている: 「司法制度は、そもそも本国における多くの地区では武装扮装が起こる前にも不在だったのだが、司法部門がこの支配的な国家保安モデルからの要求に屈服してからはなお一層弱体化が進んだ」(p. 36)。

こうした問題はラテンアメリカの外でも無関係ではない。国家が喪失していた暴力の独占をトップダウン式に再創出しようというソマリア・アフガニスタン・イラクにおける試みはみな、ここ数十年のあいだに裏目に出たように思える。我々の一般的アプローチの視点から展望するのなら、この様な事態が生じた一因として、そうした試みが保安軍に対し反抗者や反乱分子との戦闘に向けた強力なインセンティブを創出しようとしながらも、関連機関や地域住民からの支持を築き上げる為の努力の多くを欠くものだったためだとも言い得よう。

ここでアンナ・カレーニナの冒頭を飾るトルストイの有名な一文がふと思い浮かぶ: 「幸福な家庭はみな似ている; しかし不幸な家庭には全てそれぞれの不幸がある」。上手に事を運ぶため数多くの要素が手を携えて進む必要がある時には、失敗は多種多様な形で生じ得る。国家建築というのは – ちょうど関係構築と同じ様に – そもそもそう容易いものではない。それを成功させようと思うなら、人は実に数多くの側面と取組んでゆかなければならない、この1点だけは明らかなようだ。

参考文献

Acemoglu, D (2005) “Politics And Economics In Weak And Strong States,” Journal of Monetary Economics, 52(7), 1199-1226.

Acemoglu, D, L Fergusson, J A Robinson, D Romero and J F Vargas (2016) “The Perils of Top-Down Statebuilding: Evidence from Colombia’s ‘False Positives’,” NBER Working Paper No. 22617.

Alston, P (2010) “Report of the Special Rapporteur on extrajudicial, summary or arbitrary executions,” Mission to Colombia, United Nations, Human Rights Council.

Besley, T and T Persson (2011) Pillars of Prosperity, Princeton: Princeton University Press.

Comisión de la Verdad y la Reconciliación (2003), Informe Final, Tomo VI: Sección cuarta: los crímenes y violaciones de los derechos humanos. Available at http://www.cverdad.org.pe/ifinal/index.php

Comisión para el Esclarecimiento Histórico (1999), Memory of Silence: Report of the Commission for Historical Clarification: Conclusions and Recommendations, Available at http://www.aaas.org/sites/default/files/migrate/uploads/mos en.pdf.

Fearon, J D and D D Laitin (2003) “Ethnicity, Insurgency, and Civil War,” American Political Science Review 97(1): 75-90.

Fukuyama, F (2011) The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Fukuyama, F (2014) Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Grävingholt, J, J Leininger and C von Haldenwang (2012) “Effective statebuilding? A review of evaluations of international statebuilding support in fragile contexts,” Available at http://www.oecd.org/derec/denmark/effective_statebuilding.pdf

Holmström, B and P Milgrom (1991) “Multitask Principal-Agent Analyses: Incentive Contracts, Asset Ownership, and Job Design,” Journal of Law, Economics and Organization, 7(0), 24-52.

Human Rights Watch (2015) “On Their Watch: Evidence of Senior Army Officers’ Responsibility for False Positive Killings in Colombia,” Available at https://www.hrw.org/report/2015/06/24/their-watch/evidence-senior-army-officers-responsibility-false-positive-killings

Huntington, S P (1968) Political Order in Changing Societies, New Haven: Yale University Press.

Isacson, A (2012) “Consolidating Consolidation,” Washington Office on Latin America, Available at http://www.wola.org/files/ConsolidatingConsolidation.pdf. Last accessed March 7, 2016.

Weber, M (1946) “Politics as a Vocation,” in From Max Weber: Essays in Sociology, translated and edited by H.H. Gerth and C. Wright Mills, New York: Oxford University Press.

World Bank (2012) “Guidance for Supporting State Building in Fragile and Conflict-Affected
States: A Tool-Kit,” Available at http://siteresources.worldbank.org/PUBLICSECTORANDGOVERNANCE/Resources/ 285741-1343934891414/8787489-1347032641376/SBATGuidance.pdf 

 

イギリス脱退の現実:エコノミストの知る費用と投票の動機

 

David Miles, “Brexit realism: What economists know about costs and voter motivmes,” (Vox, 03 August 2016 )

 

イギリス脱退の国民投票の結果は、EUからの離脱が膨大な経済的費用を伴うことをイギリスの投票者に説得できなかったという点で、エコノミストたちの失敗、と取る見方がある。この問題を扱うにあたって、この記事では、やや特異な次の二つの論題を挙げる。第一に、費用に対して統一的な見解は果たしてあったのだろうか、という点に注目する。すべての主要機関の予測で経済学的な損失がある、としていたとはいえ、その減少幅はわずかなものから10%近いというものまで、広範囲にわたっていた。それを統一的見解とするには難がある。さらに、鍵となる仕組み――イギリスの離脱が生産性に及ぼす影響――については、エコノミストたちが本当に理解しているわけではない。第二の論題は、合理的な投票者はその費用をEU決定からの独立に見合うものとして受け入れ得る、という点になる。その投票者の選択を、無知であるとか非合理であるとか、あるいは経済が分かっていない、とする判断は経済学の範疇に無い。

 

編集者註:この記事はVoxEUの電子書籍、Brexit Beckons : Thinking ahead by leading economistsの一つの章としてもともと発表された。この電子書籍の無料ダウンロードはこちらから。

 

 

EUからの離脱はイギリスに多大な経済的損失を招く、それは人々の言うところでは疑いようも無く一致した見解だった。にもかかわらず、投票の際にそのことを説得できなかったことを経済学の世界に生きる人間は失敗として認識すべき、そんな懸念が持ち上がっている。財政研究所(the Institute for Fiscal Studies/IFS)のディレクター、ポール・ジョンソンがタイムズ紙(2016年6月28日) に宛てた思慮深い手紙から引用するなら、「経済学者たちの警告が多くの人に理解されても信じられてもいないことは明らかです。だから、私たち経済学者はなぜこんなことが起こってしまったのか、なぜ私たちの間でほぼ全員一致の考えが支持されなかったのか、自らに問いかけるべきなのです」。

 

イギリス離脱の国民投票の結果を受けて、マクロ経済学センター(the Centre for Macroeconomics)の主導で行われた直近の経済学者の見解に関する調査では次の質問が提示された。

 

  • 経済学者たちが一致した見解を持ったとき、全体としてその明確な見解を為政者と公衆に向けてより効果的に伝えることができるよう、経済学を専門職とする人々の間で制度変更をすることに賛成しますか。
  • 上記の改善を組織的な取り組みによって達成することを促進するため、経済学者たちの間に指導的地位を導入することに賛成しますか。

 

一致した見解はあったのか

 

しかし、イギリスのEU離脱の費用に、一致した見解は本当にあったのだろうか。たとえ各主要機関の予測の間に何らかの見解の一致があったとしても、その予測がどれだけ確かなものなのか、そして予測の誤差がどれだけの範囲に収まるものなのかについて、見解の一致はあったのだろうか。たとえ経済学者による統一見解があったとしても、それが気に留められていなかったということは、そう明白なことなのだろうか。

 

国民投票前夜に出版されたIFSの報告書、『イギリス離脱と連合王国の公共財政(Brexit and the UK’s Public Finance)』にはイギリス離脱のGDPへの影響の予測値が包括的にまとめられている。報告書のTable 3.1(下記、Table 1に再現)には、2030年におけるGDPへの影響の予測値が示されている。それは、パーセントにしてほんのわずかなものから、10%近いものまでの範囲に散らばっている。負の影響がある、という点については一致しているものの、「統一見解」とするにはこの違いは大きすぎる。

 

Table 1 IFS summary of Brexit impact studies 

Notes: a: FTA with moderate policy scenario used as central estimate; range includes “liberal customs union” (-0.1) to “populist MFN scenario” (-3.9); b: regulation impacts assessed separately. Estimates are for impact on GDP in 2030.
Source: Emmerson et al. (2016).

 

私達は鍵となる経済の決定要因を理解していない――それは生産性の向上だ

 

長期のGDPに対しては、生産性の向上が少なからず影響を与える。しかし、EUからの離脱がイギリスにおける生産性にどのように作用するかについては十分な解明がなされていない。それがここでは見過ごすことのできない問題となる。イギリス離脱と海外直接投資の関係、延いては海外直接投資と生産性の関係はその一部要素となるが、これらもそう簡単に予測できるものではない。

 

もっと一般的なことを述べるなら、近年のイギリスの労働生産性を牽引しているものについて、経済学者たちはよく理解していない。2007年から2008年の金融崩壊以降の時期を対象として考えよう。イギリスの労働生産性は金融崩壊直前期の流れを汲んで考えるなら、およそ15%かそれ以上に低い位置にあると言える。イングランド銀行がこの下落を説明するために費やした経済学者の労働時間はのべ数千時間を超える。それにもかかわらず、多くの他の経済指標(例を挙げるなら、失業率、銀行金融のストレス値、借入調達度((credit availability))など)が既に通常通りに見える一方で崩壊から8年を経た今でも生産性は低いままでいる理由は未だ謎のままである。

 

生産性への影響、これこそがイギリス離脱の長期費用を決める要因のうち最大のものであるのだが、その予測は金融崩壊以降のイギリスにおける一人当たり生産量の変化を見るに、非常に困難と言えよう。

 

貿易関連の影響はより簡単に予測できる

 

純粋に貿易関連のことに限るならば、イギリス離脱のGDPへの影響はもっと信頼性の高い予測ができそうだ。実はここで使われている経済学の論理は実際には直感的なものを多く含む。貿易の減少が専門分野への特化の減少を意味するのなら、それは資源を比較優位のある部門へ配分することを難しくする。開放的な政策が生産性と関係があることについては、十分に実践的な証拠がある。更にはその証拠のうちいくつかは歴然としている。例えば北朝鮮と韓国だ。ここからするならば、閉鎖的な経済への移行が所得を悪化させることは明白に見える。しかしその事例をイギリスのEUからの離脱にあてはめることがどれほど信頼に足るものなのかはそれほど明白ではない。

 

その一方で、貿易によるものだけに限った場合、離脱による影響はさほど大きくないと予測される(生産性の向上に対する他の事象からの連鎖的な影響はここでは考慮しない)。エコノミック・パフォーマンス・センター(Centre for Economic Performance)の研究によるなら、貿易からの影響は2030年の時点でGDPの1.3%から2.6%の間、としている(Dhingraと共著者、2016)。GDPの1~3%を些細なもの、とすることはできない。しかしこの数字をここまでの内容に即して考えていただきたい。2008年の金融崩壊以前の経済動向が続いた場合と比べて、今や、イギリスのGDPは20%近く低い水準にあるのだ。

 

投票者たちが経済予測を無視した、というのは本当なのだろうか

 

ここで一旦、イギリス離脱の長期でのGDPへの影響の予測に、機関ごとで大きなばらつきがあることを脇に置いておこう。さらには、その予測に顕著な不確実性があることにも目を瞑ろう。そしてイギリスの離脱が所得に多大な悪影響を齎すという見解でエコノミストたちは一致していると、そう仮定しよう。たとえそうだとしても、イギリスの離脱に賛成票を投じた人々はその統一見解(それがあったと仮定して)を考慮に入れていなかったと確実に言うことができるのだろうか。私が思うには、我々経済学者は実はそのことを知りはしない、ということを認めるべきだ。

 

次に挙げることは事実として受け止めねばならない。EUからの離脱が経済的費用を伴うとしても、そこにイギリスが限定的な発言権しか持たないEUの決議を拒否するに足りるだけの便益があるとするならば、合理的な投票者はその費用を受け入れることとなる。明らかにこれは投票の一因となった。そこには欧州司法裁判所の裁定から金融規制に関する規則(例えば銀行制度の調和としての必要資本金((capital requirements on banks maximum harmonization))という奇妙な決定や賞与へのEU規定)、そして他のEUの国々が市民権を与えた人々への入国の権利の承認などが含まれる。

 

それらの議決の制約を受けずに済む代わりに所得がいくらか減少する可能性を受け入れる人は、無知であるのか、合理性を欠いているのか、あるいは経済が分かっていないのか、それは経済学者が言い得るところのものではない。長年の間、欧州委員会の多くの人々が「連合体としてあること」を理想像として、更には必然として教条のように繰り返し唱えてきた。対して経済学者が言えることは、「それを避けるためにはいくら払えばいいのか」という質問に対する答に過ぎない。

 

私の考えとしては、「連合体としてあること」というあいまいな構想が将来齎すであろう損失、そのリスクを避けるためとはいえ、その代償は大きすぎる。しかし、私と違う見解を持つ人々が無知だとも錯乱しているとも思わない。もし人々が経済学を理解していたなら投票の結果は違っていたはずだ、などとは考えてはいけないのだ。

タイラー・コーエン「2016年のノーベル経済学賞受賞者オリバー・ハートとベングト・ホルムストロム(2/2)」

●Tyler Cowen “Bengt Holmström, Nobel Laureate” (Marginal Revolution, October 10, 2016)

(訳者注:本記事はホルムストロムについての紹介となります。共同受賞者であるハートについてはこちらをご参照ください。)


ベングト・ホルストロムのホームページはここで、彼のCVや簡単な経歴、研究論文へのリンクが掲載されている。Wikipediaの彼のページはここ。彼は長い間MITで教鞭をとっているけれど生まれはフィンランドで、契約や産業組織論において最も有名で影響力のある経済学者の一人だ。スウェーデン中銀による紹介文はここ動画による説明はここ。彼が民間部門における自分の経験からいかに影響を受けたかついてのナイスな説明はここから読める。彼についてのちょっと変わった紹介としてお勧めしておきたい。

彼が研究を行ってきた重要な問題の一つは、どのようなときに強い動機付けを行い、どのようなときには動機付けを弱めるべきなのかというものだ。 [Read more…]

フリア・ルイス・ポズエロ, エイミー・スリポウィッツ, ギエルモ・ブレチン 『民主主義は経済成長を生み出すものではない』 (2016年9月30日)

Julia Ruiz Pozuelo, Amy Slipowitz, Guillermo Vuletin,”Democracy does not cause growth” (VOX, 30 September 2016)


 

民主主義は経済的繁栄をもたらすのか。この点をめぐる議論は古く、その起源は数千年もの昔にまで遡る。近年の実証研究成果は、民主化が経済的成長に対し相当のポジティブな影響を及ぼす旨を示唆するが、そうした研究結果は内生性や逆の因果関係によって生じている可能性が在る。本稿では、民主主義の専門家らを対象とした調査から新たに得たデータを活用し、この内生性問題の解決を試みる。民主主義と経済成長の間に見られる正の関係は、経済的混乱が民主的支配の登場を引き起こすという流れの反映しているのであって、民主主義が経済成長を生み出す流れを反映するものではない。

果たして民主主義はいっそうの経済的繁栄・経済的成長を生み出すものなのだろうか? この問いは、社会により多くの政治的・経済的利得をもたらす統治形態をめぐってプラトンやアリストテレスが戦わせた議論にまで遡るほど古いものだ。しかしながら、二千年を超える時を経た今でも、民主主義 (それ自体) が本当にその他の専制的統治形態よりも大きな経済成長をもたらすものなのかについて、ハッキリとした定見は無いようである。

そこでこの重要な問いに対する回答の模索も、一種実証的性格を帯びた取組みに変わり、一方では、国家間の比較に依拠した研究によって経済成長に対する民主主義の関連性が疑問視されるに至った (Sirowy and Inkeles 1990, Przeworski and Limongi 1993, Helliwell 1994, Barro 1996, Tavares and Wacziarg 2001)。ところが他方でパネルデータに依拠するより最近の研究には、民主主義は経済成長に相当な効果を及ぼすとの趣旨の理論を支持する傾向が実際に見られるのである (Rodrik and Wacziarg 2005, Papaioannuo and Siourounis 2008, Persson and Tabellini 2009, Acemoglu et al. 2014)。

実際こうした新たな研究にも肯んじ得る所が有り、図1は所謂 『第三波』 に当たる民主化、および1990年代初頭の共産主義崩壊に続く民主化の時期に見られた民主主義への移行事例38件について、そうした実証的規則性を描き出している1。民主主義への移行後は、平均年間一人あたり成長率におよそ半パーセンテージポイントほど上昇が見られるのだ。赤線が描き出す様に、民主化後の成長は統計的に言って移行前の水準より大きくなっている (前後でそれぞれ-0.44%・-0.01%)。一見些末に見えるが、この差から生ずる複合効果によって、こうした国家群がOECD諸国の所得水準に収束してゆく際に必要とする時間は三分の一も減少する。ということで、どうやら図1に描き出された実証成果は、額面的数値で評価する限り民主主義が経済成長に相当な影響を及ぼすことを示しているようだ。

図1. 民主主義移行前後での一人あたり実質GDP成長

原註: 本図は、年毎に平均値調整済みの [yearly-demeaned] (即ち、国家成長率からその年の平均成長率を引いた) 一人あたり平均実質GDPの変転を、民主主義移行以前の10年 (影無部分) ・以降の10年 (影有部分) に亘り描き出したもの。赤線は民主化前後での平均成長率を描き出している (平均値のこうした差異は5%水準で統計的に有意である)。

以上の実証成果が在るにも関わらず、政治学研究からは広く、内生性 (即ち逆の因果関係) 問題がここで作用している可能性と、民主主義移行事例の多くでは経済的混乱がその惹起あるいは促進の発端となっている点が指摘されている (O’Donnell 1973, Linz 1978, Cavarozzi 1992, Remmer 1993, Gasiorowski 1995, Haggard and Kaufmann 1995)。こうした見解によると、図1に描き出された様な、民主主義移行以前の低い (しかも負の!) 成長率も、貧弱な経済状況が専制政権の終焉を加速あるいは触発したことを示唆するものとなろう。例えば、1970年代のオイルショックや、それと関連した国際的資金貸出の拡大、およびその後の債務危機と、この一連の流れを1980年代のラテンアメリカにおける民主化波及の起源として指摘する学者の数は多い。

換言すれば、図1で描き出された民主化と経済成長の正の関係は、民主主義がさらなる経済成長を引き起しているのだ (近年の経済研究が打ち出す説) とも、経済的混乱が民主的支配を引き起こしているのだ (政治学研究の領域で広く支持されている説) とも、或いはある程度まではその両方なのだとも、つまり何れの事態を反映するものだとも言えるのである。こうした因果関係を撚り解く試みは容易いものではないが、民主主義が経済成長に及ぼす影響の解明が極めて重要であることに変わりはない。

我々の最近の研究はこの難問への1つの挑戦である (Ruiz Pozuelo et al. 2016)。内生性問題の解決に向け我々は、民主主義の専門家165名を対象とする新たな世界規模の調査に基づいた、今までにない識別戦略を提案している。概要を掻い摘めば、本研究は、それぞれの国で民主主義勃興を生み出した背景的諸力について尋ねる、一連のカテゴリー式・自由回答式質問に対し、こうした専門家が与えた回答を活用したものである。この手法に基づき民主主義移行は、経済的混乱と関連した原因によって生じたもの – これを 『内生的』 と呼ぶことにしよう – と、(経済成長に対して) より 『外生的』 性格の強い理由を原因とするものに分類される。後者に分類される例としては、とりわけ専制的指導者の死去や政治的/制度的主張を挙げておこう2

図2は、諸国を外生的民主化 (パネルA) と内生的民主化 (パネルB) に分割することで、図1を再構成したものである。

図2. 民主主義移行前後での一人あたり実質GDP: 外生的民主化vs.内生的民主化

原註:  図は、年毎に平均値調整済みの (即ち、国家成長率からその年の平均成長率を引いた) 一人あたり平均実質GDPの変転を、民主主義移行以前の10年 (影無部分) ・以降の10年 (影有部分) に亘り描き出したもの。パネルA・Bはそれぞれ、外生的民主主義移行・内生的民主主義移行についてこれら数値をプロットしたもの。赤線は民主化前後での平均成長率を描き出している (平均値のこうした差異はパネルAでは統計的に有意ではない。パネルBでは5%水準で統計的に有意である)。

図2の実証データによって、民主主義は成長を引き起こすものではないことが明らかになった。パネルAは 『外生的民主化』(即ち内生性問題に汚染されていない民主化) が何ら経済成長に影響を及ぼしていないことを示している。赤線に描き出される様に、民主主義前後の成長率は統計的に言って同一である。

同じ事の言い換えに過ぎないが、パネルBによって、民主主義が経済成長に及ぼす影響は 『外生的民主化』 のために生じていることも示されている。言葉を換えれば、民主主義と経済成長の間に一般に観察される正の関係は、政治システムが経済成長に及ぼす影響を推定しようとする際に、外生的民主主義移行事例を組入れる過ちのために生じているのである (これが翻っては恰も民主主義がさらなる成長を引き起こしているかのような虚偽の印象を与えている)。

結論

まとめると、憂慮される内生性問題に一歩立ち入った検証が示唆するところでは、誠に残念と言うほかないが、近年の研究成果とは裏腹に、民主主義は経済成長を束縛から解き放つ鍵ではないらしいことが明らかになった。

勿論、こうした因果的現実性は逆方向にも適用される。民主主義が経済成長を束縛から解き放つ鍵ではないらしいとしても、そこから専制的あるいは独裁的政体のほうが幾らかでもましだと結論するのは誤りだろう。言葉を換えれば、統治形態は経済繁栄について殆ど影響力をもたないのである。

参考文献

Acemoglu, D, S Naidu, P Restrepo and J A Robinson (2014) “Democracy does cause growth,” NBER Working Paper No. 20004.

Barro, R J (1996) “Determinants of economic growth: A cross-country empirical study,” NBER Working Paper No. 5698.

Cavarozzi, M (1992) “Beyond transitions to democracy in Latin America”, Journal Latin American Studies 24: 665-684.

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Haggard, S and R R Kaufman (1995) The political economy of democratic transitions, Princeton University Press.

Helliwell, J F (1994) “Empirical linkages between democracy and economic growth”, NBER Working Paper No. 4066.

Linz, J (1978) The breakdown of democratic regimes: Crisis breakdown, & reequilibration, The John Hopkins University Press, Baltimore, MD.

O’Donnell, G (1973) Modernization and bureaucratic authoritarianism: Studies in South American politics, Institute of International Studies, California.

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Przeworski, A and F L Przeworski (1993) “Political regimes and economic growth”, The Journal of Economic Perspectives, 7: 51-69.

Remmer, K L (1993) “The process of democratization in Latin America”, Studies In Comparative International Development, 27: 3-24.

Rodrik, D and R Wacziarg (2005) “Do democratic transitions produce bad economic outcomes?”, American Economic Review, 95: 50-55.

Ruiz Pozuelo, J, A Slipowitz and G Vuletin (2016) “Democracy does not cause growth: The importance of endogeneity argument”, IDB Working Paper Series Nº IDB-WP-694, Inter-American Development Bank.

Sirowy, L and A Inkeles (1990) “The effects of democracy on economic growth and inequality: A review”, Studies In Comparative International Development, 25: 126-157.

Tavares, J and R Wacziarg (2001) “How democracy affects growth”, European Economic Review, 45: 1341-1378.

原注

[1] 民主化38事例リストに含まれるのは、アルゼンチン・ベナン・ボリビア・ブラジル・ブルガリア・カーボベルデ・チリ・クロアチア・チェコ共和国・ドミニカ共和国・エクアドル・エルサルバドル・エストニア・ガーナ・ギリシア・グレナダ・ガイアナ・ホンジュラス・ハンガリー・大韓民国・ラトヴィア・リトアニア・マリ・メキシコ・モンゴル・パナマ・ペルー・フィリピン・ポーランド・ポルトガル・スペイン・ルーマニア・サントメプリンシペ・セネガル・スロバキア共和国・スロベニア・南アフリカ・スペイン・ウルグアイ、以上である。

[2] 本手法のさらなる詳細については、こちらから我々の論文を参照されたい。