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アレックス・タバロック 「冷血なセントラルバンカーの恩恵 ~時間整合性と金融政策~」(2004年10月12日)

●Alex Tabarrok, “The virtues of a nasty central banker”(Marginal Revolution, October 12, 2004)


キッドランド&プレスコットが彫琢した「時間整合性」のアイデアの応用範囲は広いが、その中でも最も重要な応用例は金融政策に関するものだ(この方面の功績はバロー&ゴードンおよびケネス・ロゴフにも帰さねばならないことは言うまでもない)。中央銀行としてはインフレも失業も低く抑えたいと考えているとしよう。そこで中央銀行はその願いを果たすために次のように宣言(約束)したとしよう。「インフレを低い水準にとどめるためにマネーサプライの伸びを抑えるつもりだ」。そして国民もその宣言を信じ、(労働契約や融資契約といった)契約の交渉に臨む際には「この先インフレは低い水準にとどまるだろう」と予想した上で(賃金額なり融資条件(金利)なりといった)契約条件の詳細を詰めるものとしよう。そんなある時のことだ。思いも寄らないショックが起きて失業率が上昇して(失業が増えて)しまったのだ。そのような事態を目にした中央銀行はふと次のような誘惑に駆られることだろう。「インフレを高めに誘導して景気を刺激したいところだが、どうしたものだろうか」。国民は「この先インフレは低い水準にとどまるだろう」と信じ切って既にあれこれの契約を結んでしまっている。国民が予想しているよりも高めにインフレを誘導すれば(実質賃金なり実質金利なりが予想よりも低下することで)失業率の抑制(失業の減少)を後押しする強力な効果が期待できる。何とも甘い誘惑だ。

しかしながら、上で描いたような展開が「均衡」となることはあり得ない。中央銀行が「インフレを低い水準にとどめるつもりだ」と宣言(約束)したとしても国民はこう反論することだろう。「そんな約束は信用できない。約束を鵜呑みにしたらそれ幸いと後になって手のひらを返すにきまってる。インフレを高めに誘導して我々を騙そうとするに違いない」。そうなるとどうなるだろうか? 国民は「この先インフレは低い水準にとどまるだろう」とは予想せず、そのため(何らかのショックが起きて失業率が上昇した場合に)中央銀行が失業率を抑えたいと思ってもインフレを先ほどの場合(国民が中央銀行の宣言を鵜呑みにする場合)よりもずっと高めに誘導しなければならなくなるだろう。インフレが高止まりするだけで失業率が(国民が中央銀行の宣言を鵜呑みにする場合よりも平均して)低く抑えられるわけでもない。最終的にはそのようなゲームの「均衡」に落ち着くことになるのだ。

どうすれば事態をいい方向に向かわせることができるだろうか? 意外な手がある。冷血漢をセントラルバンカーの地位に据えるのだ。そうすれば誰もがよりよい境遇を手にできる可能性があるのだ。「冷血なセントラルバンカー」というのはインフレを低く抑えることだけで頭がいっぱいで失業を抑えることには一切関心が無いような人物のことだ(その具体的な人物像としては債券の利息収入で暮らしを立てている金満家の共和党員なんかを思い浮かべればいいだろう)。「冷血なセントラルバンカー」は失業を減らすために(インフレを高めに誘導して)景気を刺激しようなんて考えもしない。そのため、「冷血なセントラルバンカー」が語る「インフレを低い水準にとどめるつもりだ」との宣言(約束)は信憑性が高く、国民は「冷血なセントラルバンカー」の宣言(約束)を信用して「この先インフレは低い水準にとどまるだろう」と迷い無く予想することだろう。最終的に落ち着く「均衡」では、失業率は中央銀行の約束が一向に信用されない先の場合と(平均してみると)変わりがない一方で(どちらのケースでも国民が予想するよりも高めにインフレを誘導する(国民を驚かす)ことはそう何度も繰り返せないため)、インフレは(中央銀行の約束が一向に信用されない先の場合よりも)低く抑えられることになる。こうして国民の誰もがよりよい境遇を手にすることになるわけだ。

トーマス・シェリングなんかは次のような例を使って似たようなアイデアを先んじて論じていたものだ。あなたが誘拐犯の魔の手に落ちてしまったとしよう。あなたを救い出すために誰かに誘拐犯と交渉する窓口になってもらうとすれば一体誰にその役割を引き受けてもらうのがいいだろうか? あなたのことを深く愛している妻だろうか? それとも冷血な前妻(別れた元妻)だろうか? その答えは迷うまでもないだろう(そうでしょ?)1。それでは次のような場合はどうだろうか? あなたがまだ誘拐されていないうちから(もしも誘拐された場合に備えて)誘拐犯と交渉する役目を誰に引き受けてもらうかを決めておき、誘拐犯にも前もって(あなたの誘拐を企てるよりも前の段階で)そのこと(誰が交渉の窓口役を務めるか)がわかっているとしたらどうだろうか? あなたのことを深く愛している妻と冷血な前妻のどちらにその役目(交渉の窓口役)を引き受けてもらえばいいだろうか? 答えはおわかりだろうか?2 冷血漢も時にはいい仕事をやってのけることがあるのだ。

  1. 訳注;答えは「あなたのことを深く愛している妻」。誘拐犯が身代金を要求してきた場合に交渉の窓口役を務めるのが「あなたのことを深く愛している妻」であれば身代金がいくら高額であってもそれを支払ってあなたを救い出そうと尽力してくれる可能性が高いが、「冷血な前妻(別れた元妻)」が交渉の窓口役を務める場合には見捨てられてしまう(その結果として最悪の場合あなたは誘拐犯に殺されてしまう)可能性がある(「その人とはもう何の関係もないわ。好きなようにして頂戴」)。 []
  2. 訳注;答えは「冷血な前妻(別れた元妻)」。「冷血な前妻(別れた元妻)」が交渉の窓口役を務めるとわかっていたら誘拐犯もあなたをさらおうとはしない可能性が高い。あなたを誘拐しても身代金が手に入らない可能性が高いからだ。つまりは、「冷血な前妻(別れた元妻)」のおかげであなたは誘拐されずに済む、というわけだ。 []

タイラー・コーエン 「キッドランド&プレスコットの貢献 ~時間整合性問題の厳密な展開~」(2004年10月11日)

●Tyler Cowen, “Kydland and Prescott: New Nobel Laureates”(Marginal Revolution, October 11, 2004)


今年(2004年)のノーベル経済学賞はフィン・キッドランド(Finn Kydland)エドワード・プレスコット(Edward Prescott)の両名に授与される旨が発表された。彼らは1977年に「時間整合性」の問題に関する有名な論文(ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー誌に掲載)を共著で物している。医薬品に対する政府の政策(規制)は何でこんなにも問題だらけなのだろうかと不思議に思ったことがあるかもしれないが、その理由を知りたければキッドランドとプレスコット(による1977年の論文)にお伺いを立てればいい。新薬を開発した製薬会社には特許(その薬を独占販売できる権利)を与え、その薬を高値で売るに任せる。新薬が開発されるよりも前の段階ではそれが「最適な政策」だ1。しかしながら、ひとたび新薬が無事開発されるや政府は(新薬を開発した製薬会社が手にする)「独占レント」(超過利潤)を奪い去りたい誘惑に駆られることだろう。つまりは、新薬を開発した製薬会社には特許を与えるという取り決め(約束)を反故にして(その他の製薬会社にもその新薬を自由に製造・販売することを許すことによって)その薬が安くで手に入るように図るということになるわけだが、新薬が開発された後の段階ではそれが「最適な政策」だ。新たに開発された薬を誰もが安くで手に入れられるようにして何が悪い?、というわけだ。製薬会社の側もそのような危険性2があることは織り込み済みであり、それがために新薬の開発に二の足を踏む。そうなる可能性があるわけだ。タイミングがいいことにタバロックも数日前に同様の理屈を展開しているのでそちらもあわせて参照されたい。

(上の例におけるその時々の)「最適な政策」は「時間整合的な政策」ではない。いくらか堅苦しくて専門的な表現を使うとそういうように言えるわけだが、この方面におけるキッドランドとプレスコットの研究はそれ以前にトーマス・シェリング(Thomas Schelling)がゲーム理論の分野で練り上げていたアイデアをさらに発展させた(磨き上げた)ものとして位置付けることができる。相手の国が実際に核攻撃を仕掛けてきた場合に(事前の宣言通りに)核兵器を使って報復してやろうという気になれるかというと必ずしもそうとは限らない。そのため核抑止はうまくいかないかもしれない3。シェリングはそう指摘していたものだ。

時間整合性のロジックはかなり普遍性が高い。規制政策だけではなく、金融政策や租税政策、外交政策(サダム・フセインに脅しをかける・・・のはいいが、その脅しをどこまで本気で実行するつもりがあるだろうか?)といった(複数のプレイヤーの間で)戦略的な相互作用が繰り広げられる場面の数々でその顔をのぞかせることがあるのだ。

プレスコットについては少し前に(今年のノーベル経済学賞受賞者は誰になりそうかを予想した)こちらのエントリーでも話題にしたばかりだ。プレスコットの業績について時間整合性問題以外の方面も簡潔ながら話題にしているのであわせて参照してもらいたいが、プレスコットはノーベル経済学賞を2度受賞してもおかしくないだけの業績を残していると言っても言い過ぎではないだろう。プレスコットに比べるとキッドランドの知名度はいくらか劣るが、重要な学者であることは言うまでもない。「キッドランドはスカンジナビアの出身(ノルウェー人)だしなあ」なんていう横槍は放っておけばいいだろう4

キッドランドとプレスコットの二人はノーベル賞を受賞するにふさわしいと言えるだろうか? その答えは間違いなく「イエス」だ。

なぜ今年(2004年)はこの二人だったのだろうか? アメリカでは国を二分する大統領選挙が繰り広げられている最中ということもあってスウェーデン王立科学アカデミーとしてはポール・クルーグマンだとかロバート・バロー(ブッシュ寄り)だとかは選びたくなかったのかもしれない。クルーグマンやバローを選ぶと「政治的な思惑が絡んでいるのではないか?」と疑われる恐れがあるからだ。それだけではなく、ノーベル経済学賞は長らく批判にさらされてきているということもある。「経済学は『科学』と呼べるだけの資格があるのか?」と疑いの目が向けられているのだ。

(持ち金を賭けてノーベル賞の受賞者を予想する)賭け市場(予測市場)の予想は見事に的中したようだ。プレスコットは少し前まで(受賞者が発表される直前まで)かなりのリードを広げて一番人気だったのだ。

  1. 訳注;新薬の開発には莫大な費用を要するため(場合によっては多額の費用を投じたにもかかわらず新薬の開発に失敗する可能性もある)、新薬の販売を通じて少なくとも開発費用を回収するに十分なだけの利潤が得られそうでなければ製薬会社としても新薬の開発には乗り気になれない。新薬を開発した製薬会社に「特許」を与えれば「独占レント」を手にする機会が開かれることになり、製薬会社も新薬の開発に積極的になる可能性がある。 []
  2. 訳注;政府が「新薬が開発されたら特許を与える」との前言を翻す可能性 []
  3. 訳注;「そちらが核攻撃を仕掛けてきたらこちらも核兵器で報復するぞ」という脅しは相手から信用されない(信憑性に欠ける)可能性があり、脅しが信用されなければ相手国による先制的な核攻撃を抑止できない可能性がある、ということ。「こちらも核兵器で報復するぞ」という脅しに信憑性を持たせるには例えば相手が核攻撃を仕掛けてきたら自動的にこちらから相手の国に向けて核兵器が発射されるようにプログラムを組んでおく(そしてそのことを相手にも知らせておく)といった手段が考えられる。 []
  4. 訳注;「スウェーデン王立科学アカデミーが身内びいきでキッドランドを選出した面もあるのではないか?」との穿った見方は的外れ、という意味。 []

マーク・ソーマ 「『誘拐犯とは一切交渉しない!』 ~時間整合性問題入門~」(2010年12月8日)

●Mark Thoma, ““Barack Obama’s Time Consistency Problem?””(Economist’s View, December 08, 2010)


オバマ大統領は将来的に政治の世界で「人質事件(誘拐事件)」が起きる可能性を高める結果を招いてしまったのだろうか?

Barack Obama’s Time Consistency Problem?” by Twenty-Cent Paradigms:

大学の講義で「時間整合性」(time consistency)の問題を教える機会がやってくると、説明の導入としてきまって投げかける問いがある。「誰かが誘拐されて人質にとられ、誘拐犯が政府に交渉を持ちかけてきたとする。そのような場合に政府はどう対応するつもりだと公言しているだろうか? 誘拐犯との交渉方法に関する政府の公式の立場はどのようなものだろうか?」という問いがそれだ。その答えは学生の誰もが知っている。「誘拐犯とは一切交渉しない」というのが政府の公式の立場だ。

国の如何を問わず、どの国の政府も「誘拐犯とは一切交渉しない」との立場を打ち出しているが、それはどうしてなのだろうか? その理由はこうだ。政府が交渉のテーブルにつく気がないということになれば、誰かを誘拐して人質にとってやろうと企む輩も出てこないだろう。そうなること(誘拐の抑止)を期待してどの政府も「誘拐犯とは一切交渉しない」との立場を打ち出しているわけだ。しかしながら、誘拐事件が実際に起きてしまったらどうなるだろうか? 政府としては(「誘拐犯とは一切交渉しない」との約束(公式の立場)を反故にして)誘拐犯との交渉に応じる方向に傾くことになるだろう。というのも、政府としては(「誘拐犯とは一切交渉しない」との立場を貫いて誘拐犯との交渉に応じなかった結果として)人質が殺されてしまった場合に(すべては人質を見放した政府に責任がある、と)その責任を負わされたくはないからだ。そのあたりの事情は誘拐を企んでいる輩もよくよく承知しているところであり、その結果として「政府には『誘拐犯とは一切交渉しない』との立場を何が何でも貫く気なんてないだろう」と見透かされてしまうことになる1わけだ。

と、まあこういう具合に誘拐事件の例を使って「時間整合性」の問題を説明するのがお決まりになっているわけだが、来学期からはそれももうできなくなってしまうかもしれない。以下に引用するオバマ大統領が記者会見の席上で語った発言が(来学期以降に私の講義を受講する)学生たちの目に触れてしまえば誘拐事件の例はもう使えなくなるかもしれないのだ。

「富裕層向けの減税」もセットだと言うのであれば「中流層向けの減税」も認めるにやぶさかではないとでもいったような論調があり2、そのような論調を指して『「中流層向けの減税」が人質にとられているようだ』と発言したことがあります。人質に危害が及ばない限りは誘拐犯とは交渉する気はないというのが私なりの姿勢なのですが、そのような姿勢に一体いかばかりの知恵があるというのかと疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。というのも、この場合の「人質」というのは「アメリカ国民」のことであり、正直なところ私としても「人質」に危害が及ぶのを目にしたくはないのです。

誘拐犯と交渉する「裁量」を政府に持たせないようにする。そうすればよりよい結果がもたらされる。「時間整合性」の問題に関するこれまでの学術的な研究からはそのような示唆の一つが導き出されるわけだが、「完璧なコミットメント」を可能にする3ようなテクノロジーは現実のこの世の中には存在しない。そこで考えねばならないのが(約束の)「信憑性」(”credibility”)だ。言い換えるとこういうことだ。「誘拐犯とは一切交渉しない」との約束(発言)が本気だということを未来の誘拐犯(誘拐を企む輩)に信用してもらうためには政府はどういう手段に打って出ればいいか、という問題に頭を捻らねばならないわけだ。

さて、ここで質問だ。オバマ大統領が記者会見の席上で語った発言はどのような意味合いを持っているだろうか? あのように語ることでオバマ大統領は(「誘拐犯」とは交渉する気はない、との)自らの約束(姿勢)の「信憑性」を損なう結果となってしまい、将来的に政治の世界で「人質事件(誘拐事件)」4が起きる可能性を高めてしまう羽目になってしまったのだろうか? それとも単に周知の事実を暴露したに過ぎない5のだろうか? 「年収25万ドルを超える富裕層もブッシュ減税の延長措置の対象に含めろ。嫌だというならブッシュ減税の延長法案には反対するぞ6」。共和党側はそのような「脅し」をかけている(「人質」の殺害予告7を行っている)わけだが、その脅しは「信憑性のある脅し」と言えるのだろうか?8

  1. 訳注;そのため誘拐事件は根絶されないということになる []
  2. 訳注;この当時は2010年末で期限が切れる「ブッシュ減税」を2011年以降も続ける(延長する)かどうかをめぐって民主党と共和党との間で意見が対立しており、民主党側は「低中所得層(年収25万ドル以下の世帯)に限って減税措置を続けるべき」という立場、共和党側は「年収25万ドルを超える富裕層も含めて全世帯をその対象とすべき」という立場だった。 []
  3. 訳注;政府に「裁量」を許さずに何が何でも「約束」を守り通させる []
  4. 訳注;こちら側の言い分を認めないとお前の支持者が痛い目を見ることになるぞ、との共和党側からの脅し []
  5. 訳注;「誘拐犯とは交渉する気はない」との発言(約束)は口先だけのものに過ぎない(簡単に反故にされる)、ということは誰もが気付いている周知の事実(わかりきったこと)であり、オバマ大統領はそのことを明け透けにしたに過ぎない、という意味。 []
  6. 訳注;その結果として法案が否決されたら所得税が(ブッシュ減税が実施されるよりも前の)2000年の水準に戻ることになり、年収25万ドル以下の低中所得層も所得税の負担が高まることになるぞ []
  7. 訳注;「年収25万ドル以下の低中所得層(「人質」)も所得税の負担が高まることになってもいいのか?」との脅し []
  8. 訳注;最終的には共和党側の意向を汲むかたちで決着することになり、年収25万ドルを超える富裕層も含めて全世帯がブッシュ減税の延長措置の対象に含まれることになった。 []

タイラー・コーエン 「『もしもし。大統領のバラク・オバマという者なんですが・・・』 ~電話で花を注文する大統領が本人であることを証明するにはどうすればいい?~」(2010年11月15日)

●Tyler Cowen, “How does the President order flowers?”(Marginal Revolution, November 15, 2010)


これまで大統領個人のことはあまり話題にしてきていない。その埋め合わせとして今回はつい最近目に留まった(オバマ大統領にまつわる)難題の一つを取り上げることにしよう。

映画『アメリカン・プレジデント』の中でマイケル・ダグラス演じる大統領は花を注文するのに四苦八苦しなければなりませんでしたが、実際のところはどうなのでしょうか? そう尋ねられたオバマ大統領は次のように答えた。「映画の中の大統領とは違って私はクレジットカードを持ち歩くようにしています。ですから花屋さんに行く機会があればカード払いであれやこれやの花を買うことも可能でしょうね」(さらに続けてオバマ大統領は次のように語った。花屋に直接足を運ぶのではなくて電話で花を注文しようとする場合には「店員の方々には私が大統領本人だとは信じてもらえないかもしれませんね」)。

あなたがオバマ大統領その人だと仮定しよう。あなたが正真正銘のオバマ大統領だということを電話越しで証明するためにはどうすればいいだろうか? 電話に出た花屋の店員の近くにはネットに接続されているパソコンがあり、すぐにGoogleにアクセスできる状況だとしよう。その場合は花屋の店員にこう伝えればいい。「私のことについて何でもいいから質問して下さい」、と。その店員がGoogleの力を借りて色々と(オバマ大統領に関する)質問を投げかけてきてもそれに即答すればあなたもGoogleの助けを借りている(Googleを使って質問への答えを検索している)とは怪しまれないだろう。さらには、あちらの電話には202(ホワイトハウスがあるワシントンD.C.の市外局番)で始まる電話番号が表示されるし、あなたの声はオバマ大統領の声(アメリカ国民の間で広く知れ渡っているあの声)そっくり(オバマ大統領本人なのだからそれも当然なのだが)ときている。というわけで、電話越しであってもあなたがオバマ大統領本人だということを証明するのは容易いというのが私の考えだ。まだいくらかスッキリしないところが残っていたとしても「もしかしたら本当にオバマ大統領本人なのかもしれない」と匂わすことができたら店員も(「大統領」という肩書きに気圧(けお)されて)何でも言われるがままのモードに入ることだろう。

アメリカ大統領と偽って電話すれば何らかの法律に抵触するかもしれず、そうでなくても後日(大統領を警護する)シークレットサービスが家にやってくることになるかもしれない。いたずらしてやろう(大統領と偽って電話してやろう)と企む輩が仮にいたとしても「違法かもしれない。シークレットサービスが玄関をノックしにやって来るかもしれない」と心配になって二の足を踏む(いたずらをあきらめる)ことだろう。そうだとすれば、「私は大統領です」とのあなたの発言の信憑性は一層高まることになる。

電話越しで本人であることを信じてもらうのに一苦労せねばならない人物には誰がいるだろうか? 例えばレディー・ガガなんかはどうだろうか? 彼女の普段の声(喋り声)は誰にでも広く知られているというわけではないし1、彼女のファンであればGoogleテストも軽く突破できることだろう(常日頃からネットで彼女に関する情報を調べていてガガのことなら事細かに知っているからだ)2。「私はガガです」と伝えられても花屋の店員の多くは(オバマ大統領の場合のように)「ハハー」と何でも言われるがままということにはならないだろうし、ガガの名を偽ったとしても後日シークレットサービスが家にやってくることもないだろう3

この話題を深く掘り下げていくと進化生物学方面の教訓が何か見つかりそうだ。

  1. 訳注;それゆえ本人であることを証明するために「声」に頼ることはできない。 []
  2. 訳注;(オバマ大統領の場合のように)店員に「私のことについて何でもいいから質問して下さい」と伝えて何でも質問させるという手は使えない、ということ。ガガの熱心なファンであればガガのことについて聞かれても大抵のことは(Googleに頼らずとも)即答できるため、店員がGoogleの助けを借りながら出した質問に即答できたからといってガガ本人であることの証明にはならない(ガガのファンがガガを偽っている可能性を排除できない)。 []
  3. 訳注;その分だけ(大統領の場合に比べると)いたずらを抑止する力が弱い。 []

タイラー・コーエン 「もう一人のバラク・オバマ」(2011年7月19日)

●Tyler Cowen, “*The Other Barack*”(Marginal Revolution, July 19, 2011)


今回取り上げる一冊は『The Other Barack』だ。著者はサリー・ジェイコブス(Sally H. Jacobs)。副題は「オバマ大統領の父親の大胆にして無謀な生涯」(“The Bold and Reckless Life of President Obama’s Father”)だ。とは言っても、「我らがオバマ」(「我らが大統領」)のことはとりあえず忘れることにしよう。この本は「植民地主義」に「1960年代という時代」、「異人種間の交際」、そして何よりも「東アフリカのインテリ層の実態」といったテーマについての年代記としても読める。一人の人間の伝記としても優れた一冊だが、今しがた言及した話題についても非常に巧みに取り扱われているのだ。本書では湿っぽい場面にあちこちで出くわすことになるが、その中の一つを引用しておこう。

突然のように上昇軌道に乗ったかに見えた彼のキャリアも始まりと同様にその終わりも突然のようにやってきた。アメリカから(ケニアへと)帰国してきてから6年後のことだ。(シェル石油でのエコノミストとしての)前途有望な職を失い、その次にありついた職もクビになった。こうして彼のキャリアは突如にして行き止まりにぶち当たることになる。3度にわたる結婚はいずれも失敗に終わり、自分の子供と口を聞ける機会も滅多にない。蓄え(お金)も底を付き、相棒の(スコッチ・ウイスキーの)ジョニー・ウォーカー(黒ラベル)にすがる一方。夜な夜な知人の家を渡り歩いては泥酔して床に崩れ落ちる始末。ホテルのシングルルーム(一人部屋)がバラクの長年にわたる住まいとなった。劇的なまでの転落人生だ。

・・・(略)・・・「彼は犯罪を犯したわけじゃない。これといった間違いをやらかしたわけでもない。レース(勝負)を最後までやり遂げられなかったんだ。『どんなレース(勝負)であれ一旦始めたからにはともかくも最後までやり遂げなければならない』。幼い頃に学校で何度もそう繰り返し教えられたものだが、彼はレースを最後までやり遂げずに終わった。バラクは途中で崩れ落ちてしまったんだ」。

バラク・オバマ・シニアはハーバード大学(経済学部)の博士課程で2年間を過ごし、そこで計量経済学の専門的な訓練を積んだ。その絡みで本書ではエドワード・チェンバリン(Edward Chamberlain)やロバート・ドーフマン(Robert Dorfman)、ロジャー・ノル(Roger Noll)、サミュエル・ボウルズ(Samuel Bowles)、レスター・サロー(Lester Thurow)、ジョン・ダンロップ(John Dunlop)といった面々もチョロッとだけ顔を出す。バラクは「経済発展に関する特産品理論」の計量経済学的な検証というテーマで博士論文を書くつもりだったが、博士課程に進学してから2年後に学費の援助が打ち切られたために志半ばにして大学から(そして最終的にはアメリカからも)去らねばならなかった。「バラクには重婚の疑いがある」ということで大学当局の逆鱗に触れ、結果的に大学から追い出される格好となったというのがどうやら真相のようだ。何ともひどい話だ。

石油会社の「シェル」やケニア運輸省でエコノミストとして働いていた頃の話や交通事故で骨折して4ヶ月にわたる牽引療法を余儀なくされた時の話1をはじめとして、ケニア国内の政治論争への関与や都市プランナー(都市計画家)としての実績、そして女性の口説き方などなど他にもバラクにまつわる興味深いエピソードが目白押しであり、非常に細かいところまで綿密に調べ尽くされている一冊となっている。

東アフリカ事情に興味がある向きには文句なくお薦めの一冊だ。デイビッド・ガロウ(David Garrow)もワシントン・ポスト紙で本書を書評している。あわせて参照されたい。

  1. 訳注;バラク・オバマ・シニア(オバマ大統領の父親)は何度か交通事故に遭っており、人生の最後も自動車の交通事故で終えている。 []

マーク・ソーマ 「至福点との向き合い方」(2005年12月25日)

●Mark Thoma, “Dealing with Bliss Points”(Economist’s View, December 25, 2005)1


親戚一同が集まってクリスマスディナーをいただく機会があると、大叔父の一人が「食事の前にデザートをくれないか。それもたんまりとだ」と主張して譲らないのがお決まりになっている。食事の後にデザートが出るという通常の順番だと食事を全部平らげた後に果たしてあとどのくらいお腹の中にデザートを入れる余裕がありそうか事前には予測が付かない。そのような不確実性を考慮すると、その大叔父の主張は私には「合理的な」意見であるように思われるものだ。何と言ってもデザートはクリスマスディナーの中でも最も高い効用(満足)をもたらしてくれる花形であり、食事をついつい食べ過ぎてしまって(満腹のために)折角のデザートを見送らざるを得なくなるなんて事態はできれば避けたいところだ。しかしながら、他の親戚の面々は大叔父の主張を「合理的な」意見だとは見なしてはいないようだ。さて、その大叔父はと言うと、大量のデザートを無事平らげた後に食事に取り掛かり、文字通りもう限界というところまでお腹を満たした末にソファーに倒れ込む(そしてやがて寝息を立てる)というのがお決まりのパターンになっている。その様子を目にするたびに私の脳裏には(モンティ・パイソン/人生狂騒曲の)あの場面が思い出されるものだ。

ウェイター:お客様。最後のメニューになります。ミント・ウエハースでございます。

クレオソート氏:もう結構。

ウェイター:左様でございますか。こんなに薄いウエハース一枚なんでございますが。

クレオソート氏:いらん・・・。腹いっぱいだ・・・。

ウェイター:左様でございますか・・・。この薄いウエハース一枚だけなんでございますが。

クレオソート氏:見てわからんのか。もう何も入らんのだ。腹十分目なんだよ。

ウェイター:左様ですか。・・・たったこれだけ、たったこれっぽっちでございます。

クレオソート氏:わかった、わかった。 それだけだぞ。

動画はこちらだ(特に食事中の視聴には要注意)。

  1. 訳注;至福点(Bliss point)というのは効用の上限をもたらす消費の組み合わせを指しており、そこからさらに消費の量を増やすと効用は低下することになる。満腹でもう何も食べたくないという状態はその一例。 []

タイラー・コーエン 「サンタの力を借りて『悪い子』を改心させることはできるか?」(2012年11月23日)

●Tyler Cowen, “The dangers of “early intervention””(Marginal Revolution, November 23, 2012)


「悪い子」の携帯端末にサンタからのメッセージを届けるスマートフォンのアプリは「有効でもない」し、親によって「濫用される恐れもある」。オーストラリア人の心理学者はそう警告する。

ジョン・アーヴィン(John Irvine)博士がさる水曜日にクーリエ・メイル紙(オーストラリアのブリスベンで発行されている日刊新聞)の取材に応じて語ったところによると、無料アプリの“Fake Call From Santa”や1.99ドルで買える有料アプリの“Parents Calling Santa”といったスマートフォンのアプリは子供の躾(しつけ)に使うには「有効な手段だとは言えない」という。

「そういったアプリはサンタの脅しがまるで本物であるかのように見せかけてサンタから今にも鉄槌が下されるかのように思わせる効果がありますが、そのことに乗じてクリスマスが近づくにつれてアプリを濫用する親が出てくる可能性があります」。アーヴィン博士はそう語る。さらに付け加えて次のように語る。「脅すだけ脅しておきながらその脅しを実行する気なんてさらさら無いのだとすればそのことに一体どんな意味があると言うのでしょうか? サンタの脅しにもかかわらず改心しようとしない『悪い子』にはクリスマスプレゼントはあげない。お母さんは本気でそうするつもりなんでしょうか? 口先だけの脅しには効果はありません。というのも、子供たちもその嘘(脅しは見せかけだけに過ぎないこと)にすぐに気付くようになるからです」。

無料アプリの“Fake Call from Santa”ではサンタから子供の携帯端末に宛てて着信が入り、それをとるとサンタの音声が流れるサービスが組み込まれている。その一方で、有料アプリの“Parents Calling Santa”では3通りのメッセージの中からどれか一つを選ぶ仕組みになっている。「今日も一日いい子でした」(“well done”)/「もっとうまくやれたはずだよ」(“could do better”)/「もっといい子にならなくちゃダメだよ。この調子だと今年のクリスマスプレゼントは石炭になっちゃうよ」(“must improve or you will get a lump of coal for Christmas”)という3通りのメッセージの中からいずれか一つがサンタから寄せられたメッセージというかたちをとって子供の携帯端末に向けて送信される仕様になっているのだ。

出所はこちらだ。

タイラー・コーエン 「『クリスマスの死重的損失』三題」(2004年12月24日、2006年12月6日、2008年12月22日)

●Tyler Cowen, “Who is to blame for the deadweight loss of Christmas?”(Marginal Revolution, December 24, 2004)


「クリスマスの死重的損失」1を引き起こしている容疑者の筆頭は高齢の親戚ということのようだ。

最も見当違いな(死重的損失の大きな)プレゼントを贈っているのは誰かと言うと高齢の親戚連中であり、彼らが贈るプレゼントの金額はプレゼントの受け手の評価よりも50%以上も高いというのだ2。とは言え、賢くもと言うべきか、高齢の親戚の多くはプレゼントに現金を渡すようにしているようだ。当たり前といえば当たり前だが、友人や恋人・配偶者から贈られるプレゼントは高齢の親戚がくれるプレゼントほどには的外れではないという。最も見当違いな(死重的損失の大きな)プレゼントは25ポンド~50ポンドの価格帯の品物3 だというのは興味深いところだ。25ポンド~50ポンドというと、よく考えずに慌てて買った後ろめたさを和らげるには十分なだけ高価だが4、プレゼントを贈る相手の知り合いに(プレゼントを贈る相手の好みについて)いちいち確認する手間をかけずに済ませるには十分なだけ安価な値段ではある5

全文はこちらをご覧になられたい。

(追記)「今年はクリスマスプレゼントの交換はやめましょうよ」。母親と姉からそのような申し出があったが、クリスマスプレゼントを交換し合う必要性に疑問を感じている御仁にとってはこれほどまでに何の抵抗もなくすんなりと同意できそうな申し出は他にはないだろう。

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  1. 訳注;「クリスマスの死重的損失」=クリスマスプレゼントを贈る相手の好みを見誤ってしまい、的外れなプレゼントを贈ってしまうこと(具体的には、訳注2にあるように、プレゼントの受け手の評価よりも高額のプレゼントを贈ってしまうこと)に伴う損失を指している。 []
  2. 訳注;例えば、高齢の親戚は1万5千円を出してプレゼントを買ったが、プレゼントの受け手はもらった品物を1万円くらいと評価している(自分で買うなら1万円くらいまでなら出してもいいと考えている)、ということになる。 []
  3. 訳注;1ポンド=144円の為替レートで換算すると、25ポンド~50ポンドの品物は日本円だと3600円~7200円に相当することになる。 []
  4. 訳注;「とりあえずはこれだけ出して買ったのだから格好は付くだろう」といった言い訳を自分に言い聞かせることができる。 []
  5. 訳注;仮に相手がプレゼントを気に入ってくれなくても大して堪えない程度の金額(その一方で万円(あるいはそれよりも上の)単位のプレゼントを贈ったのに相手に気に入ってもらえなかったらかなり堪える)、という意味。 []

タイラー・コーエン 「クリスマスプレゼントには何を贈るのが一番いい?」(2003年12月22日)

●Tyler Cowen, “What are the best Christmas gifts?”(Marginal Revolution, December 22, 2003)


「モノ」ではなく「経験」(体験)をプレゼントするべし。コンサートや旅行といったイベントの「経験」は衣類だとか宝石といった「モノ」の所有(消費)に比べると後々までより長く記憶される傾向にあるのだ。このことはどの年齢層やどの社会階層にも等しく当てはまるが、とりわけ高所得層の人間に強く当てはまるようだ。詳しくはこちらの記事(あるいはこちらの記事)をご覧になられたい。記事の中で言及されている研究論文はこちら(pdf)だ。論文執筆者の一人であるバン・ボーベン(Van Boven)のホームページでは他にも人間心理に関する興味深い論文の数々を読むことができる。

アレックス・タバロック 「クリスマスゲーム理論」(2009年12月27日)

●Alex Tabarrok, “Christmas Game Theory”(Marginal Revolution, December 27, 2009)


愛しき妻へのクリスマスプレゼントに宝石を買っておいたのだが、妻曰く「返品してきてちょうだい」とのこと。「高価すぎるわ」(高価すぎて受け取れない)というのだ。素晴らしい。実に素晴らしい応答だ。こうして私はクレジットカードを使わずして妻からクレジット(信頼、信望)を勝ち得たというわけだ1

「ゲームの木」を慎重に辿った挙句に(後ろ向き帰納法を駆使した挙句に)宝石を買うという選択に至ったのだが2、そんな裏事情があるなんてことは妻には絶対に明かすまい。

(追記)真似はしないように。ゲーム理論や自分の配偶者のことは細かいところまでよく知っているというなら話は別だが、そうでもないのに私の戦略を真似ると懐事情に大打撃が加えられる恐れがある(詳しくはトーマス・シェリング(Thomas Schelling)の瀬戸際戦略(brinkmanship)を参照のこと)。

  1. 訳注;お金を一銭も使わずに妻からの信頼を勝ち得た、ということ。宝石を返品すればその代金を支払う必要もなくなる(クレジットカード払いで宝石を買っていた場合は宝石の代金が後日預金口座から引き落とされずに済む)が、その一方で妻には「夫は大枚をはたいて私に宝石をプレゼントしてくれようとした」という好印象を持ってもらえる可能性がある。 []
  2. 訳注;妻に宝石をプレゼントしても決して受け取らないだろう(「高価すぎて受け取れないわ。返品してきてちょうだい」と応じるだろう)と見越した上で宝石を買った、という意味。 []