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タイラー・コーエン 「独裁者の地位の継承にまつわる仮説」(2005年9月13日)

●Tyler Cowen, “Are autocratic successors less fierce?”(Marginal Revolution, September 13, 2005)


仮説A:独裁者の跡継ぎは先代に比べると気性が穏やかだと予想される。跡継ぎの座を狙っている気性の荒い側近(や身内)は独裁者にとって恐怖の対象となるためである1

仮説B:世襲君主制のもとでは権力欲(権力への愛)が培われることはなく、跡継ぎの面々はその座を力ずくで手に入れた初代に比べると気性が穏やかだと予想される。この仮説はゴードン・タロックによるものだ2、とはブライアン・カプランの言だ。

仮説C:独裁者の地位を巡ってその都度(独裁者が死亡してその座が空くのに伴って)熾烈な権力闘争が繰り広げられるよりは穏便な権力移譲を保障する仕組み3を通じて跡継ぎが選び出される方が好ましい4

仮説D:穏便な権力移譲を保障する仕組みを通じて選ばれる跡継ぎは気性が穏やかな傾向にあるとすると、穏便な権力移譲を続けていくことは次第に(代替わりが繰り返されるに伴って)困難になっていくものと予想される5

仮説E:何度も何度も企てられるクーデターの試みをどうにかして未然に防ぐことができれば、経済成長への道が開かれる可能性がある。

ネオ・ラオホ

ジョナサン・クリック(Jonathan Klick)による関連する論文はこちら(pdf)。独裁制から民主主義への体制転換をテーマとしたダニエル・サッター(Daniel Sutter)の論文はこちら。ネオ・ラオホ(Neo Rauch)の別の作品はこちら

  1. 訳注;独裁者が生前にその座を退いて跡継ぎを指名するとなったら自らの身の安全を守るためにも気性が穏やかな人物を後任に選ぶ可能性が高いものと予想される。跡継ぎの気性が荒いと場合によっては国外追放されたり殺害されたりするかもしれず、絶えずビクビクしながら日々(独裁者としての地位を退いた後の人生)を過ごさねばならなくなるかもしれないためである。 []
  2. 訳注;この仮説はGordon Tullock(著)『Autocracy』(この本はタロック選集第8巻の『The Social Dilemma: Of Autocracy, Revolution, Coup d’Etat, and War』にも収録されている)の中で展開されている。 []
  3. 訳注;世襲制はそのうちの一つ。 []
  4. 訳注;世襲制が(クーデターの発生を抑えることで)社会秩序の維持に対して持つ意義についてはこちらの論文(Peter Kurrild-Klitgaard, “The Constitutional Economics of Autocratic Succession”)を、(世襲制が)その国の経済成長に及ぼす影響については例えばこちら(pdf)の論文(Timothy Besley&Marta Reynal-Querol, “The Logic of Hereditary Rule: Theory and Evidence”)を参照されたい。 []
  5. 訳注;おそらくは政権転覆を狙った試みが誘発されやすくなるという意味だと思われる。気性が穏やかな人物が独裁者の地位にある場合、クーデター等が発生してもそれほど抵抗することもなくあっさりとその座を明け渡すことになるかもしれない。言い換えると、独裁者の気性が穏やかなほどクーデターが成功する(それも犠牲をそれほど伴うことなく成功する)見込みが高まり、それゆえクーデターが誘発されやすくなる可能性がある。 []

タイラー・コーエン 「宿願達成に燃える金正日総書記」(2009年3月17日)/「改革に燃える金正恩第一書記」(2012年9月4日)

●Tyler Cowen, “A market in something, every now and then”(Marginal Revolution, March 17, 2009)


あれにもこれにも時としてマーケットができる。今回は北朝鮮版だ。そのマーケットとは・・・「ピザ」のマーケットだ。

ついにである。北朝鮮が総書記の宿願であるプロジェクトに乗り出すに足るだけのテクニックをついに体得したのだ。10年近くを要した一大事業である。「本格的な」ピザを提供する同国初のイタリアンレストランがこのたび開店に漕ぎ着けたのだ。

金正日(キム・ジョンイル)総書記の指示によりコックの一団がイタリアのナポリやローマに派遣されたのは昨年(2008年)のこと。本場でピザ作りの正しいテクニックを学ばせるためである。それまでにもピザの模倣に向けた努力は地道に続けられてはいた。しかしながら、金総書記によって「国産」のピザには「間違ったところ」があるとの判定が下され、本場での修業が必要ということになったのであった。

1990年代後半に遡るが、金総書記の指示によってイタリアからピザ職人の一団が北朝鮮国内に招かれたこともある。部下の将校らにピザの作り方を伝授してもらうためである。北朝鮮ではピザはぜいたく品の一つ。国内で暮らす2400万人の多くが食うに困る状態に置かれている中、ピザを堪能できるのは一部のエリート層だけ。

国内では食糧不足が続いているものの、いつでも「完璧なピザ」が作れるように取り計らうために本場のイタリアから小麦や小麦粉、バター、チーズ(いずれも高品質)といった(ピザを作るために必要となる)材料が買い付けられているという。

東京に本社を置く朝鮮新報がこのたび平壌(ピョンヤン)で開店したばかりのイタリアンレストランの支配人に取材したところ、金総書記が語った言葉を引用するかたちで次のようなコメントを口にしたという。「我が人民も世界的に有名な料理を楽しめるようにすべきだ」。

同じく朝鮮新報によると――同紙は共産主義体制(たる北朝鮮当局)の意見を代弁する機関紙としばしば見なされているが――、件のイタリアンレストランは昨年の12月に開店して以来大人気を博しているという。

同紙はレストランを訪れた女性のコメントとして次のような言葉も報じている。「ピザやスパゲッティが世界的に有名な料理だということはかねてよりテレビや本を通じて知ってはいましたが、実際に食べてみたのは今回が初めてでした。独特な味がしますね」。

「首都(の平壌)で本格的なイタリア料理が味わえるようにしたい」との金総書記の長年の夢が叶えられたとのニュースが届く中、北朝鮮当局は「ロケットの発射実験を行うぞ」との脅し――そのロケットはアメリカ本土を射程に収める能力を備えているのではないかとアメリカ国内では信じられている――を続けている。

この話題に気付くきっかけをくれたLeonard Monasterioに感謝する。

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●Tyler Cowen, “What counts as progress in North Korea”(Marginal Revolution, September 4, 2012)


(父である金正日の後継者であり)新たな国家指導者である金正恩(キム・ジョンウン)第一書記が躊躇なく現状批判を行う様を目にして驚いたと語るアナリストもいる。そのような姿が特に顕著に見られたのは金第一書記が部下を引き連れて4ヶ月前に国内の遊園地を視察した時のことだ。

北朝鮮の国営メディアでは「北朝鮮=社会主義の楽園」として描かれる決まりになっているが、金第一書記が遊園地を視察した時の報道は一味違った。金第一書記が遊園地を巡回しながらその惨状に不平を漏らす様を包み隠さず報じたのだ。(遊具の)塗料のはがれ、亀裂の入った舗道、あちこちに生える雑草。金第一書記の目に飛び込んでくる荒廃した遊園地の姿。国営メディアの報道によると、金第一書記は「イライラした顔つき」で近くの雑草を次々に引き抜いていったという。

どうしてこんな有様になるまで放っておいたのか。「時代遅れでイデオロギーに縛られた」考え方が招いた結果なんじゃないのか。金第一書記は視察の最中にそのように部下をたしなめていたという。さらに、金第一書記は遊園地の改修工事を監視する責任者をその場で任命したという。

視察が終わってから2週間後に国営メディアが伝えた続報によると、「朝鮮人民軍は問題の遊園地を近代的なレクリエーション施設として蘇らせるべく全精力を注いでいる最中」ということだ。

全文はこちら(この記事では北朝鮮で進行中の農業改革のあらましも取り上げられている)。

アレックス・タバロック 「朝鮮半島を二分する境界線にて」(2012年10月14日)

●Alex Tabarrok, “A Brief Visit to North Korea”(Marginal Revolution, October 14, 2012)


北朝鮮側にいるコーエン(左)に韓国側にいる私(右)。

北朝鮮側にいる私(左)に韓国側にいるコーエン(右)1

二人ともちょっと緊張しているように見えるとすればそれもそのはずだ。写真を撮影した現場(韓国と北朝鮮を分かつ軍事境界線上にある板門店)は緊張感に包まれていたのだ。それもいつにもまして。というのも、我々二人がこの地を訪れた数日前に北朝鮮側の兵士が勤務中に上官2名を射殺して(軍事境界線を越えて)韓国側に亡命するという事件が起きたばかりだったのだ。(2012年時点の)北朝鮮は例年よりも過酷な食糧不足に見舞われているようだが、そのことも現地の緊張感を高める一因となっていたことは間違いない。

ところで、今回実際に訪れてみてはじめて知ったのだが、韓国国内を走る高速道路の一つから北朝鮮の風景を目視することができる。土がむき出しになっている裸の土地が目に入る。薪として使うためにあるいは樹皮から得られるほんの少しの栄養分を摂取するために木々が伐採され尽くしてしまっているのだ。

最後の一枚だ。北朝鮮側の見張りがこちらを監視しながら我々二人の姿を写真に収めている。記録として残すためだろう。

  1. 訳注;ちなみに、コーエンがコメント欄で次のようにコメントしている。「一枚目の写真に写っている(北朝鮮側にいる)私と二枚目の写真に写っている(韓国側にいる)私を比べたらどちらかと言えば二枚目の方が幸せそうな見た目をしていることに読者も気付かれることだろう」。 []

アレックス・タバロック 「社会実験の帰結」(2004年10月21日)/タイラー・コーエン 「どっちのコリア?」(2004年9月29日)

●Alex Tabarrok, “A social experiment”(Marginal Revolution, October 21, 2004)


地球の外にいる異星人たちにも共産主義の効果は一目瞭然だ1

不気味な雰囲気に包まれた「柳京ホテル」のことも忘れずにおさえておきたいところだ。初期の建設費用だけでも対GDP比で2%にも及ぶとされる平壌(ピョンヤン)にある超高層ホテル、それが柳京ホテルだ。とは言っても、品質面での構造的な問題もあって未だ建設途上のもぬけの殻(廃墟)にとどまっている。北朝鮮当局は地図からその存在を抹消したりもしたようだが、世界で7番目に高い建物を隠し通そうなんて無理な話に決まっているのだ。

一枚目の画像はMahalanaboisから拝借したものであり、柳京ホテルの話題を取り上げてはどうかとアドバイスしてくれたのはTed Frankだ。両名に感謝。

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●Tyler Cowen, “What’s in a Name?”(Marginal Revolution, September 29, 2004)


かつてこんなことがありました。私がケンブリッジ大学で学んでいた時に教えを受けた恩師の一人でもあるジョーン・ロビンソン女史はラディカルな(左派の)経済学者として知られていました。一方で、グスタフ・ラニスはイェール大学に籍を置く教授で「新自由主義的」(‘neo-liberal’)な立場の経済学者として知られていました。そんな二人が意見を交わす機会があったのですが、その際に「コリアは大成功を収めている」と二人の間で意見が合致したのです。

何ともパラドキシカルな展開ですが、その謎もすぐに解けました。ロビンソン女史は北朝鮮(North Korea)のことを思い浮かべていた一方で、ラニスは韓国(South Korea)のことを思い浮かべていたというわけです。

ジャグディーシュ・バグワティー(Jagdish Bhagwati)――ノーベル経済学賞の候補の一人に名を連ねて当然と個人的に思う人物――がこちらのインタビュー2の中で上のように語っている(www.politicaltheory.info経由で知ったもの)。

  1. 訳注;以下の画像は夜間の朝鮮半島の様子を写した衛星画像。人工衛星によって観測された夜間光量のデータを用いて各国の実体経済の動向を把握しようと試みた研究としては例えば次の論文を参照されたい。 ●J. Vernon Henderson, Adam Storeygard and David N. Weil, “Measuring Economic Growth from Outer Space“(American Economic Review, vol. 102(2), April 2012, pp. 994-1028) []
  2. 訳注;リンク切れ []

タイラー・コーエン 「核兵器のない世界?」(2009年12月29日)

●Tyler Cowen, “A world without nuclear weapons?”(Marginal Revolution, December 29, 2009)


「核兵器のない世界」(核保有国が手持ちの核兵器をすべて廃棄した後の世界)はどんな世界だろうか?1 www.bookforum.com経由で知ったのだが、トーマス・シェリング(Thomas Schelling)最新のエッセイでその疑問に取り組んでいる。いつも通りのクールで洞察力溢れる分析が展開されているが、「核兵器のない世界」はみんなでワイワイとピクニックに興じられるような世界とはならないだろうというのがシェリングの見解だ。ほんの一部になるが引用しておこう。

まとめるとしよう。「核兵器のない世界」はどのような世界だろうか? 米国にロシア、イスラエル、中国、そしてその他の半ダースないし1ダース(6~12カ国)程度の(核兵器を生産する能力を持ち合わせている)国々はいずれも必要とあらば(どこかの国と戦争になったり、あるいは戦争が起きそうだとなった場合に)すぐにも核兵器を再生産できるように(そしてすぐにも核兵器を運搬するための手段を調達できるように)あらかじめ綿密な動員計画を練っておくだけではなく、必要とあらばすぐにも相手国の核兵器の生産施設を先制攻撃で破壊できるように他の国々の核兵器の生産施設がどこにあるかを前もって調べ上げておくことだろう。常日頃から実践的な訓練が繰り返され、安全な緊急用の通信手段が用意されることだろう。あらゆる危機は核危機に転じ、あらゆる戦争は核戦争に発展する。そのような危険性が秘められている。その数はほんのわずかであっても核兵器の再生産に真っ先に成功した国は相手を屈服(戦争で降伏)させる(あるいは相手に先制攻撃を仕掛ける)力を手に入れることになるため、どの国も核兵器の再生産競争で一番乗りになろうと躍起になることだろう。「核兵器のない世界」はそのような緊張感あるピリピリした世界となることだろう。

  1. 訳注;言い換えると、仮に核保有国が手持ちの核兵器をすべて廃棄したとしたらその後の国際関係はどうなると予想されるだろうか?、ということ。 []

マーク・ソーマ 「トーマス・シェリング×マイケル・スペンス ~『核抑止』をめぐる師弟の対話記録~」(2007年2月17日)

●Mark Thoma, “Thomas Schelling on Nuclear Deterrence”(Economist’s View, February 17, 2007)


マイケル・スペンス(Michael Spence)とトーマス・シェリング(Thomas Schelling)の二人――いずれもノーベル経済学賞を受賞した経済学者――が核兵器の拡散や核兵器の使用を防ぐための戦略を論じ合うために顔を合わせたようだ。スペンスがその時の模様を報告している。 [Read more…]

アレックス・タバロック 「『覆面経済学者の逆襲』、『アメリカにおける財産の歴史』、『コマンド&コントロール』 ~お気に入りの3冊~」(2013年12月22日)

●Alex Tabarrok, “A Few Favorite Books from 2013”(Marginal Revolution, December 22, 2013)


トム・ジャクソンが(Sandusky Registerに寄稿する予定の)今年最後のコラムで2013年中に出版された優れた書籍を紹介する予定らしく、何冊か心当たりはないかとコメントを求められた。私はコーエンほど多読ではない。そういうわけでいくらか範囲と数を絞ってピックアップさせてもらうとしよう。2013年中に読んだ社会科学の分野の本の中から個人的なお気に入りを選ぶと以下のようになるだろう。

ティム・ハーフォード(Tim Harford)と言えば物語の語り部(ストーリテラー)としての天賦の才と複雑なアイデアをわかりやすく噛み砕いて説明する才能に恵まれている人物だが、そんな彼が持ち前の才能を携えてマクロ経済学の世界に足を踏み入れているのが今年(2013年に)出版された『Undercover Economist Strikes Back』(「覆面経済学者の逆襲」)である。経済学の分野の(世間一般の人々に向けて経済学の概念をわかりやすく解説することを狙いとした)ポピュラー書ではミクロ経済学の話題――市場やインセンティブ、個別の経済主体(消費者や企業)による意思決定などなど――に焦点が合わせられていることが多い。『ランチタイムの経済学』然り、『ヤバい経済学』然り、『予想どおりに不合理』然り。ハーフォードの旧作である『まっとうな経済学』にしてもそうだ。しかしながら、本作では従来のポピュラー書とは一味違ってずっと珍しい「獣」に狙いが定められている。インフレーションや失業、経済成長、経済危機といったマクロ経済現象を世間一般の人々向けに噛み砕いて解説するガイドブックを作成しようと意気込まれており、その狙いはものの見事に実を結んでいる。経済理論や経済政策についての冴え渡る説明が盛り込まれているだけではなく、刺激的な人生を過ごした経済学者の面々(かつてはそういう経済学者がいくらかはいたのだ!)の魅力溢れるエピソード(物語)が合間合間に挿入されている。その結果として『Undercover Economist Strikes Back』は啓発的な一冊であると同時に非常に愉快な読み物ともなっているのだ。 [Read more…]

アレックス・タバロック 「事実は小説よりも奇なり ~行方不明の核爆弾~」(2004年10月2日、10月3日)

●Alex Tabarrok, “Truth is Stranger than Fiction Department”(Marginal Revolution, October 2, 2004)


1958年のことだ。核爆弾の一つ――その威力は広島に投下された原爆の100倍以上に及ぶ――がジョージア州の海岸付近で行方不明になってしまった。空軍の飛行訓練中に爆撃機から誤って落下してしまったのである。何たることか! しかしながら、話はこれだけで終わらない。落下後間もなくして熱心な捜索活動が始められたが、数週間探しても見つからずに捜索活動も取り止められようかとしていたまさにそのタイミングで再び別の爆弾が誤って爆撃機から落下してしまったのである。今度の落下場所はサウスカロライナ州のフローレンス市近辺。落下したのは同じく核爆弾だったが、幸いなことにその爆弾には核分裂性核種が搭載されておらず、そのおかげで落下時に核爆発が起こることはなかった。しかしながら、落下の衝撃で通常の爆薬が爆発し、地表に大きなクレーターができただけではなく近くに住む農民も数名が怪我を負うことになってしまった。ジョージア州の海岸付近で行方不明になった核爆弾だが、もしかしたら見つかったかもしれないとの情報がつい最近になって飛び込んできた。民間で放射線の専門家として働いている人物が核爆弾が落ちたとされる近辺で放射線量を測定していたところ、通常の放射線量の3000倍にあたる放射線を放つ地点を探り当てたらしいのだ1

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●Alex Tabarrok, “More Lost Nukes”(Marginal Revolution, October 3, 2004)


「行方不明の核爆弾」ネタの続きだ。ジェラルド・ハナーが次のようなコメントを書いて寄こしてくれた。

サウスカロライナ州での核兵器落下事故と関係のある人物の一人とペアになって飛行機を操縦したことがあります。その人物から聞いた話によると、B-47爆撃機でイギリスにある前方展開基地に向かっている最中の出来事だったそうです。離陸後にわかったそうですが、兵器(こちらの世界では誰も「爆弾」とは呼びません)が発射装置にちゃんと固定されておらず、飛行中に何らかの緊急事態が起きたらすぐにも発射されかねない状態にあったそうです。兵器には「ピット」が搭載されていなかったので万一落下したとしても核爆発が起きる可能性はありませんでした。兵器を安全ピンで発射装置にきちんと固定するために離陸が安全に済んだ後に副操縦士が爆弾倉に向かったそうですが、安全ピンが差し入れ口にうまく嵌らなかったそうです。離陸した基地に連絡してどうしたものかと相談していると、基地にいる誰かが発射装置を少し揺らせば嵌るんじゃないかとアドバイスしたそうです。副操縦士はそのアドバイスに従いました。その直後に基地には次のような声が届いたそうです。「しまった! 落としちまったい!」 兵器は発射装置から解き放たれて爆弾倉のドアを突き破って落下していったそうです。落ちていったヤツは当時のレベルでは重量級に括られる兵器だったそうです。残りの話は御存知の通りです。

デイヴ・ウォーカーは自分のブログでノースカロライナ州で行方不明になった(そして今でも行方不明のままの)核爆弾のエピソードを紹介している。

その事件が起きたのは1961年1月24日の深夜0時を過ぎた直後のことだ。ノースカロライナ州のファロ村の近くを飛行中のB-52G爆撃機(ストラトフォートレス)が右翼の故障が原因で空中分解したのである。機体には2発の水素爆弾(マーク39)が搭載されていた。

B-52G爆撃機の空中分解に伴って2発の核爆弾も地表に落下。そのうちの一発は途中で落下傘が開いたために地表に衝突した時の衝撃が大いに和らげられることになった。残りの一発はぬかるんだ土地めがけて真っ逆さまに落ち、地表に衝突した時の衝撃で一部が損壊した。残骸の一部はぬかるみの奥深くに沈み込み、未だ見つかっていない。見つかっていない残骸の中にはウランを含んだパーツもある。ぬかるみを50フィート近く掘ってみたものの、今でも弾頭の部分をすべて回収するには至っていない。核爆弾の一部は今でも地中深くに埋まったままというわけだ。

残骸がどこにあるか探すために放射線の測定も試みたがこれといった結果は得られなかった。誰かがその辺りを勝手に掘ってしまわないように空軍は周辺の土地の地役権を買い取っている。

  1. 訳注;未だ見つかっていないようだ。 []

タイラー・コーエン 「マッドマンへの内からの抵抗」(2016年8月6日)

●Tyler Cowen, “Nuclear sentences to ponder”(Marginal Revolution, August 6, 2016)


・・・(略)・・・ニクソン政権期に政府高官が核兵器の使用にまつわる大統領の権限に抵抗しよう(あるいは大統領の権限をひそかに掘り崩そう)と試みた例は少なくとも2回はある。

一つ目の例は1969年10月に遡る。ソ連をおびえさせて「もしかしたらアメリカは北ベトナムで核兵器を使用するのではないか」と思わせたい。そのためにニクソン大統領は国防長官のメルビン・レアード(Melvin R. Laird)に対して核兵器をすぐにも使用できるよう高い警戒態勢を敷くように命じたのである(その中にはソ連の領空に向けて核兵器を搭載した爆撃機を送り込むことを求める命令もあった)。

スタンフォード大学で教鞭をとる核兵器の専門家であり『The Limits of Safety』(核兵器絡みのアクシデントをテーマとする一冊)の著者でもあるスコット・サガン(Scott D. Sagan)が語るところによると(pdf)、レアードはあれやこれやの言い訳(作戦や準備にまつわる細々としたこと)を持ち出して大統領の命令をどうにかして無視しようと試みたという。時間稼ぎをしているうちに(マッドマン(狂人)のフリをして「俺はいつだって核兵器を使う気でいるぞ」と世界中に信じ込ませよと説く)「マッドマン理論」を信奉する大統領も自分が下した命令を忘れてくれるだろう。レアードはそう願ったのである。

しかし、ニクソン大統領は我を通して命令を実行させた。サガンが語るところによると、軍事作戦(作戦のコードネームは「ジャイアント・ランス」) の最中に核兵器を搭載した数ある爆撃機(B-52)のうちの一機がアクシデント発生の間際ぎりぎりの危険なところまでいったことがあったという。

二つ目の例は1974年に起きた。ウォーターゲート事件で国内が揺れる中、その末期ともなるとニクソン大統領は深酒に溺れがちになっていった。そして大統領の側近の怖れが的中してニクソンは日ごとにますます情緒不安定になっていったのである。そこで前年(1973年)に国防長官に就任したばかりのジェームズ・シュレシンジャー(James R. Schlesinger)――彼はタカ派の冷戦戦士であった――は軍部に対して指示を出した。有事にまつわる大統領令(特に核兵器絡みの大統領令)は漏れなく一旦自分か国務長官のヘンリー・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)のチェックを受け、二人のうちどちらかの同意が得られない限りは実行に移さないようにと軍部に指示したのである。

シュレシンジャーの指示は超法規的な措置であり、謀反と言えなくもない。しかしながら、大統領の側近の中でシュレシンジャーの指示に異を唱えた者は一人としていなかったのであった。

以上はニューヨーク・タイムズ紙の記事(執筆者はウィリアム・ブロードとデビッド・サンガーの二人)からの引用である。

(追記)タバロックが2008年にこちらのエントリー〔拙訳はこちら〕で同様の話題を取り上げている。

アレックス・タバロック 「マッドマン ~ニクソン大統領のクレイジーな戦略~」(2008年3月10日)

●Alex Tabarrok, “Mad Men”(Marginal Revolution, March 10, 2008)


不合理でクレイジーな振る舞いをする(あるいは「あいつは不合理でクレイジーな奴だ」と相手に思わせる)ことで得する可能性があることを示したのはトーマス・シェリング(Thomas Schelling)である。チキンゲームをやり合っている最中に敵(相手)がこちらのことを「あいつは不合理でクレイジーな奴だ」と思う。その結果としてあちらの方から先に折れる(譲歩する)。そうなる可能性があるわけだ。

シェリングのこの洞察はあのニクソン大統領の耳にも届いていたことはよく知られているところだが、Wired(ワイアード)に掲載されたこちらのゾッとするような記事によるとニクソン大統領はシェリングの洞察を正気とは思えないやり方で実践に移したらしい。

ベトナム戦争に終止符を打つためにパリで和平会議が始められたものの物別れに終わってしまう。そのような状態に業を煮やしたニクソン大統領は次のような手段に訴えた。

・・・(略)・・・ソ連に対して「大規模な核攻撃を仕掛けるぞ」と脅しをかけるだけではなく、「こいつは脅しを本当に実行してしまうようなクレイジーな奴なんじゃないか」とソ連の指導部の面々に思わせようともした。事態がエスカレートして手に負えなくなる前に何とかせねば。そう慌てふためいたソ連側は北ベトナムに圧力をかけるだろう。パリでの和平会議で譲歩しろ。さもないと軍事援助を打ち切るぞ、と。そうなることをニクソンは願ったのである。

ニクソンの脅しは単なる言葉の上での脅しにはとどまらなかった。核兵器を搭載した爆撃機をソ連の領空に送り込んだのである。その結果としてソ連の防衛システムが発動されることにもなったのであった。

1969年10月27日の朝、計18機のB-52――8基のターボエンジンを搭載し翼長は185フィートにも及ぶ爆撃機の一群――がアメリカの西海岸を飛び立った。目的地はソ連の東側国境。ターゲットに向けて時速500マイル超で疾走するB-52。パイロットたちは18時間無休息でB-52を操縦し続けた。全機に核兵器が搭載されており、その威力は広島や長崎を破壊し尽くした核兵器の何百倍にも及ぶ。

激怒するソ連。そのような中、(国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めていた)キッシンジャーはニクソンの指示に従ってソ連側の大使に次のように伝えたのであった。「申し訳ありませんが、大統領は制御不能で誰の手にも負えない状態にあるのです」。

ニクソンにしてもキッシンジャーにしてもシェリングの別の洞察までは自分のものにできていなかったことは一目瞭然だ。私は制御不能の状態にある。その言葉に信憑性を持たせたいのであれば事態をエスカレートさせて自分の力ではもうどうしようもなくなるところまでもっていく必要が時としてあるのだ。その結果としてやがては核戦争に至る。そういうシナリオがいく通りもあり得るというのは心底ギョッとさせられるところだ。ともあれ、ニクソンは何百万人もの命を危険にさらしつつ「ソ連側は合理的に振る舞うだろう」との可能性に賭けていたわけなのだ。

マッドマン(狂人)が世界の安全を脅かしている。今後そんな話を耳にする機会があれば是非とも思い出してもらいたいものだ。この世界に史上最大の脅威をもたらしたマッドマンの一味は我々の味方のはずの面々だったということを。