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マイルズ・キンボール 「今日の一言 ~『官僚制の発展+金本位制=?』~」(2014年7月30日)

●Miles Kimball, “Untitled”(Confessions of a Supply-Side Liberal, July 30, 2014)


「20世紀、それは官僚制が大いに発展を遂げた時代であり、それに伴って国家(政府)に備わる潜在的な力が大いに高まった時代であった。それに加うるに金本位制。金本位制の足枷のために短期的な景気安定化の手段として金融政策には頼れない。その結果として待ち構えていたのはケインズ的な状況1の頻発。(官僚制の発展に支えられて)国家(政府)に備わる潜在的な力が高まる中でのケインズ的な状況の頻発。そのような中で人々はファシズムや社会主義をはじめとした計画経済を志向する諸思想に惹きつけられていくことに。その先に何が待っているのかよくわかりもせぬままに。」— マイルズ・キンボール

  1. 訳注;おそらくは総需要不足を原因とする不景気という意味 []

タイラー・コーエン 「ファシズムについて学ぶ」(2017年2月10日)

●Tyler Cowen, “What I’ve been reading about fascism”(Marginal Revolution, February 10, 2017)


ファシズムがテーマの書籍を読み漁っているところなのだが、感想を述べがてら何冊か紹介するとしよう。

1. ルーシー・ヒューズ=ハレット(Lucy Hughes-Hallett)(著)『The Pike: Gabriele d’Annunzio Poet, Seducer and Preacher of War』(邦訳『ダンヌンツィオ――誘惑のファシスト』):ヨーロッパを代表するファシスト(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)の生涯を生き生きとそしてエンターテインメント性溢れる筆致で辿った一冊(アメリカ版はたぶん出てないと思う)。読みやすい一冊だが、その分量の多さや取り扱われている話題を考えるとこんなに読みやすくていいのだろうかと驚いたものだ。「浮かれ騒ぎ」(“rollicking”)に「サイコパス」。本書を読みながらそんな言葉が頭に浮かんだものだが、ともあれダンヌンツィオは当時のヨーロッパの作家の中でも最も影響力のあった一人であることは間違いない。

2. スタンリー・G・ペイン(Stanley G. Payne)(著)『A History of Fascism 1914-1945』:ファシズムに関する古典の一つ。読みやすいしあれもこれも包括的に取り上げられている。「ファシズムについて学ぶなら何をおいてもまずこの本から読むべし」と言えるいくつかある中の一冊だ。数々のファシズム関連本の山を渉猟して私が学んだことの一つは、ファシストの指導者たちの一部は中級レベルの役職の官僚連を自らの味方につけるために大いに心を砕いたということだ。そういう事情もあってファシスト体制下では政治機構のかなり上のレベルに権力が集中されることが多かった。例えば、ムッソリーニは1933年の段階では1年のうちで計72回の閣議を開いているが、1936年になると閣議は1年のうちでたったの4回しか開かれていない。ところで、少なくとも1938年以前まではイタリアのファシスト党(国家ファシスト党)の党員のかなりの割合はユダヤ人によって占められていたらしい。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「コッラド・ジニ(『ジニ係数』の考案者)とファシズム」(2015年3月10日)

●Tyler Cowen, “Who was Corrado Gini?”(Marginal Revolution, March 10, 2015)


統計学が現代科学の仲間入りを果たしたばかりの時代に生を受けたコッラド・ジニ(Corrado Gini)――「ジニ係数」の考案者――は数字狂の一人だった。1925年・・・というとジニが「所得格差の計測」(“Measurement of Inequality of Incomes”)を著してから4年後ということになるが、1925年にジニは(ファシストの哲学者であるジョヴァンニ・ジェンティーレが起草した)「ファシスト知識人宣言」に(イタリア国内の統計学者としては只一人)署名している。そしてその直後には憲法改正研究諮問委員会の委員に選ばれている。ジーン・ガイ・プレヴォー(Jean-Guy Prévost)が『A Total Science: Statistics in Liberal and Fascist Italy』(2009年刊行)の中で詳らかにしているが、ジニの研究成果はムッソリーニ率いるファシスト体制と密接な結び付きを有しており、そのせいもあってファシスト体制崩壊後の1944年にジニはファシズム擁護のかどで裁判にかけられることになる。裁判が続く中、ジニはイタリア合併推進運動党の立ち上げに参加。イタリア合併推進運動党の目的はイタリアと米国の併合を成し遂げること。「イタリアと米国が一つの国に併合されることになれば、イタリアが抱える問題もすべて解決されることでしょう」。合併推進運動党の設立者であるサンティ・パラディーノ(Santi Paladino)はタイム誌の記者に対してそのように答えている(タイムズ誌は続けてこう報じている。「パラディーノの妻(フランチェスカ)は(ニューヨーク州ニューヨーク市の)ブロンクス区で24年間暮らした経験があるものの、パラディーノ自身はこれまでに一度も米国に足を踏み入れたことはない」)。しかしながら、ジニが合併推進運動党の立ち上げに参加した目的は別のところにあった。合併推進運動党に協力すればそれと引き換えに「反ファシスト」の称号が手に入るかもしれない。ジニはそう考えたのである。

全文はこちら(執筆者はジル・ルポール(Jill Lepore)。ロバート・パットナムの新著(『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』)をはじめとしてその他数冊が書評の対象となっている)。目利きのケビン・ルイス経由で知ったものだ。勘違いしてほしくはないが、格差の計測に対する興味はファシズムと相性がいいといったようなことを示唆したいわけではない。意外な史実に興味を惹かれて紹介しておきたいと思っただけに過ぎない。コッラド・ジニについてはGoogleで検索すれば色々な情報が出てくるが、意外・・・でもないだろうが、ジニは優生学にも入れあげていた(夢中だった)ようだ。

タイラー・コーエン 「フランコ・モディリアーニとファシズム」(2017年2月11日)

●Tyler Cowen, “Franco Modigliani and the history of Italian fascism”(Marginal Revolution, February 11, 2017)


見過ごされがちなことがある。率直に言わせてもらうと、モディリアーニ自身が半生を回想した文章の中で意図的にぼかして語っているところもあるように見えなくもないのだが、モディリアーニは20歳の時点までにイタリア国内の論壇でも名を知られた「ファシスト界の神童」として通っていたのである。1936年(モディリアーニが18歳の時)には経済学分野の著作に対して与えられる賞をあのベニート・ムッソリーニから直接手渡されてもいるのだ。まだある。1947年(モディリアーニが29歳の時)には社会主義経済を是とする75ページに及ぶ論文をイタリア語で物している。その論文のタイトルを英訳すると、“The Organization and Direction of Production in a Socialist Economy”(「社会主義経済における生産活動の組織と指揮」)となるだろう (Modigliani 1947)。2004~2005年になってのことだが、モディリアーニが1937~1938年の間にイタリア語で公表した「ファシストとしての立場」から書かれた5本の論文が英訳されるに至っている(5本の英訳はいずれもダニエラ・パリシ(Daniela Parisi)による編集でModigliani(2007b)の中に収録されている)。しかしながら、「社会主義者としての立場」から書かれた先の1947年論文は未だ(英語に)全訳されずにいる。そこで1947年論文の一部の英訳を本稿の付録として掲載することにした。英訳の労をとってくれたのはヴィヴィアナ・ディ・ジョヴィナッツォ(Viviana Di Giovinazzo)。ジョヴィナッツォには深謝する次第。

以上はEcon Journal Watchの記事(pdf)からの引用だ。著者はダニエル・クライン(Daniel B. Klein)&ライアン・ダザ(Ryan Daza)。上の引用の最後のところでも指摘されているように、ヴィヴィアナ・ディ・ジョヴィナッツォによる(モディリアーニの1947年論文の)英訳付きだ。Econ Journal Watchのサイトにあるこちらのページではモディリアーニに加えてその他のノーベル経済学賞受賞者の面々の「イデオロギー遍歴」(生涯を通じてどのようなイデオロギーを信奉してきたか)がまとめられている(どれもこれも興味深い)。ところで、今回のエントリーの目的はモディリアーニを叩くことにあるのではない。ファシスト的な発想の驚くべき浸透力(ファシスト的な発想が社会の隅々まで浸透する可能性)を指摘したかったのだ。さらには、ファシズムにしてもその他の権威主義的な体制にしても人間の創造性に対する大いなる足枷となりかねないということもだ。仮にモディリアーニがムッソリーニ治下のイタリアにいつまでもとどまり続けていたとしたら、おそらくキャリアを転向する機会を掴めずに一生を終えることになっていたことだろう1

  1. 訳注;モディリアーニが経済学の分野で残した輝かしい業績の多くも生み出されることはなかっただろう、という意味。モディリアーニの主要な業績の簡単な紹介としては本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●タイラー・コーエン 「コウルズ委員会に集いし傑物の面々 ~クープマンスからマーコウィッツまで~」(2017年3月28日) []

タイラー・コーエン 「イタリアの鉄道が時刻表通りに運行するようになったのはムッソリーニのおかげ?」(2003年9月12日)

●Tyler Cowen, “Did Mussolini make the trains run on time?”(Marginal Revolution, September 12, 2003)


・・・というのは違うらしい。www.snopes.comこちらのページで次のように語られている。

イタリアの鉄道システムは第一次世界大戦中に見るも無残な姿に落ちぶれてしまったものの、1920年代のうちに大いに息を吹き返した。それもこれも我々のおかげだ。ムッソリーニはそうホラを吹いた。鉄道の修繕工事の多くはムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握る1922年よりも前に既に完了していたのである。もっと重要なことがある。ムッソリーニが支配するイタリアで生活していた人々が口々にこう証言しているのである。当時のイタリアの鉄道はビックリするほど時間に正確だった(時刻表通りだった)というのは現実なんかではなく神話に過ぎない、と。

タイラー・コーエン 「中国の飛行機がよく遅延するのはなぜ?」(2013年8月12日)

●Tyler Cowen, “The airline culture that is China”(Marginal Revolution, August 12, 2013)


以下の写真(撮影日不明)は厦門(アモイ)航空の2名のキャビンアテンダント(CA)が「正点」様1を祀った棚の前でひざまずいて拝んでいる様子を写したものだ。

全文はこちら。中国では飛行機の遅延が多いようだが、その理由の一部は以下のような事情に求められるとのことだ。

最新の統計によると、今年(2013年)の上半期に中国の空の便で発生した遅延の原因の(高く見積もって)40%は空の交通渋滞に求められるとのことだ。さらには、飛行機が予定の時刻通りに離陸できるかどうかはその飛行機の乗組員の中に航空管制官との知り合いがいるかどうかにかかっている面もあるという。

王海(Wang Hai)機長が語るところによると、飛行機の乗組員の中に誰か一人でも航空管制官の知り合いがいると、予定の時刻通りに離陸できるように他の便よりも優先して離陸許可を出してもらえるという。

「横入り」も遅延に一役買っている。そう語る航空管制官もいる。

「国際線であったり国内線でも重要なお客(政府の役人や財界の大物、航空会社の重役など)を乗せている便であったりは離陸するまでに長々と待機する必要はないんです」。中国南部の広州にある空港で働く管制官の一人はそう語る。

エコノミスト誌でも関連する話題が取り上げられている。その一部を引用しておこう。

まず第一に挙げるべき(そして一番古い)問題は、領空の大半(おそらくは70~80%)が中国空軍によってコントロールされているという点である。とりわけ都市部の上空やその近辺がそうであり、民間の飛行機が離着陸したり悪天候の中をどうにかやり過ごしたりするために使えるルート(航路)がごくごく限られてしまっているのである。

この機会に中国の航空業をテーマにしたジェームズ・ファローズ(James Fallows)の本を再度お薦めしておくとしよう。

この話題に目を向けるきっかけをくれたD.に感謝する。

  1. 訳注;「正点」というのは定時(定刻)という意味。飛行機の発着がダイヤ(時刻表)通りにいきますように(遅延がありませんように)、とお祈りしているわけである。 []

タイラー・コーエン 「遅刻撲滅大作戦」(2003年11月6日)

●Tyler Cowen, “Trying to make people punctual”(Marginal Revolution, November 6, 2003)


手持ち無沙汰でブラブラと過ごす何とも無駄な時間。国中でそんな時間の浪費が何年にもわたって続く中、エクアドルの経済界と市民団体が遂に立ち上がった。約束をすっぽかしたり待ち合わせに遅刻したりを繰り返す面々に約束と時間を厳守させるべく国を挙げての一大キャンペーンが展開中なのだ。

症状:時間通りに集まらない、他人の時間を奪う、何でもかんでもギリギリまで先延ばしする、他人への思いやりに欠ける』。ここのところ、エクアドル国内のあちこちでそんな文字が躍るポスターをよく目にするものだ。エクアドル国民の間に蔓延する遅刻癖は病気の一種だ。まるでそう言いたげだ。ポスターにはさらに次のような文字が続く。

治療法:責任感、他人への配慮、規律。この3つの言葉を毎朝目が覚めるたびに自分に言い聞かせること。 勧告:計画を立てよ、スケジュールを整理せよ、時計を修理せよ』

エクアドルで遅刻の撲滅に向けたキャンペーンがはじめられたようだ。民間部門が主導して資金も出しているとのこと。ところで、一番の(遅刻の)常習犯は誰なのだろうか?

エクアドル国民の間でも意見が一致しているが、遅刻の常習犯の中でも一番目に余るのは公務員と軍の将校だ。そして厄介なことに大統領(ルシオ・グティエレス)もその双方の文化に染まっている一人(遅刻の常習犯)だ。

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タイラー・コーエン 「プーチン大統領の『遅刻癖』に秘められた意図とは? ~社会的地位の低い相手との待ち合わせには時間通りやってくるのかしらん?~」(2013年11月27日)

●Tyler Cowen, “But is he on time for low status people?”(Marginal Revolution, November 27, 2013)


ローマ法王フランシスコとの初めての会談に予定よりも50分遅れて登場したウラジミール・プーチン。このようなことは件のロシア大統領にとっては何ら珍しいことではなく、むしろ通常運転だ。プーチン大統領の「遅刻癖」は権力というものに対する彼なりの態度を窺い知る何らかの洞察を与えてくれるかもしれない。

プーチン大統領は2003年に元法王のヨハネ・パウロ2世と会談しているが、その際は時間通りに会場に現れた。プーチン大統領が時間を厳守したことは異例の出来事として注目を集めた。ロシアの日刊紙であるイズベスチアには「大統領はたったの一秒も遅刻せずにやってきた」との見出しが躍ったほどだ。ちなみに、ヨハネ・パウロ2世と2000年に会談した際には15分の遅刻を犯している。

各国の首脳がプーチン大統領と会うために耐え忍ばねばならない時間の長さは様々だ。例えば、イギリスのエリザベス女王は14分待たされたし、元ウクライナ首相のユーリヤ・ティモシェンコは3時間も待たねばならなかった。外交儀礼上でイギリス女王やローマ法王ほどの要人はそうそういないだろうし、ウクライナ以上にプーチン大統領が屈辱を与えてやりたいと思う国は他にないだろう1

プーチン大統領は大体30分遅れてやってくるのがよくあるケースのようだ。半時間の遅刻というのは待たされる相手を怒らせるには十分(じゅうぶん)という国もいくつかあるだろう。プーチン大統領が韓国大統領(当時)の朴槿恵との会談に30分遅れで現れた際には韓国国内で失礼な行為と見なされたものだ。

しかしながら、これまでのところはどの首脳もプーチン大統領の登場を辛抱強く待ってくれている(プーチン大統領の遅刻を理由に会談をキャンセルした首脳はこれまでのところ一人もいない)ようだ。

全文はこちら2。この記事を教えてくれたElizabeth Dickinsonに感謝。

  1. 訳注;おそらくはプーチン大統領の遅刻は単なる癖というにどとまらず意図的なところもある(イギリス女王やローマ法王といった外交儀礼上の最重要人物が相手の場合は待たせる時間も短めに抑える一方で、屈辱を味わわせたいと思っている相手の場合は待たせる時間を長めにしている)ということが言いたいのであろう。 []
  2. 訳注;プーチンは昔から遅刻の常習犯だったようだ。例えば、この記事の後段ではプーチンの元夫人による次のような回想が紹介されている。「若かりし頃のプーチンは将来妻となるリュドミラとのデートの待ち合わせにも遅刻してやってくるのが常だった。『私は一度もデートに遅刻したことはありませんでしたが、ウラジミールは毎度のように遅刻してきたものです。1時間半の遅刻は日常茶飯事。待たされることはわかってはいたのですが、こちらは遅刻できませんでした。というのも、こう考えたからです。今日こそは時間通りにやってくるかも、と』。・・・(略)・・・『予定の時間を15分過ぎるくらいならまだ大丈夫。30分過ぎてもまだ何とか大丈夫です。でも、1時間過ぎてもまだやってこないとなると、傷心で涙したくなります。そして1時間半も待たされるともう何の感情も残っていないものです』」。
    なお、この記事の後段では遅刻が持つ意味について次のような心理学的な説明も紹介されている。「『遅刻を繰り返すことであなたが得る見返りは何だろうか? 何らかの見返りがないようであれば何度も何度も遅刻するなんてことはないだろう』。億万長者の心理学者であるフィル・マグローは遅刻常習犯をテーマにしたコラムの中で次のように書いている。『遅刻するというのは他人を犠牲にして状況を操作ないしコントロールしようとする術の一つだということを理解すべきだ。あなたが遅刻するとする。すると待ち合わせに時間通りにやってきた面々はあなたを待たねばならなくなる。待たされているみんなの間ではあなたの話題で持ち切りだ。つまりは、みんなは待つはずだし待ってくれるに違いないとの想定のもとに何とも不当なやり方で状況をコントロールしていることになるわけだ。遅刻するというのはかくも傲慢な行為なのだ』」。 []

アレックス・タバロック 「財務省で過ごした午後のひと時」(2010年8月17日)

●Alex Tabarrok, “Afternoon at the Treasury”(Marginal Revolution, August 17, 2010)


昨日のことだが、コーエンとその他のブロガーと連れ立って財務省に足を運んできた。財務長官(当時)のティモシー・ガイトナー(Timothy Geithner)をはじめとした財務省の高官数名と経済問題について面と向かって話し合う機会を用意してもらったのだ。その時の感想を思いつくままに吐露させてもらうとしよう。

招待客であるブロガーの一部から金融産業およびつい最近成立したばかりの金融規制改革法(いわゆる「ドッド=フランク法」)に対する強い疑念の声が寄せられた。「財務省はネガティブ・エクイティに陥っている(その時価が住宅ローンの残高を下回っている)住宅の買い取りに乗り出すべきだ。ベーシックインカムを導入すべきだ」。そういった「ラディカル」(過激)な提案もブロガーの一部からなされた。自分がそういった一部のブロガーの側ではなく穏健な立場の財務省の高官らの側に肩入れしていることに気付いて我ながら驚いたものだ。そのような提案を実現するのは政治的に困難だろうし、そもそもうまくいく(効果を上げる)ようには思えない。財務省の高官らは説得力のある口調でそう反論したものだ。さらには、財務省の高官らは金融規制改革法についても「この法律は抜本的かつ有意義なものだ」とこれまた説得力のある議論を展開して金融規制改革法の擁護にも回った。

高官の一人が発した鋭い発言の要旨を私が覚えている範囲でいくつか紹介しておこう。

  • 「『米政府には国債を発行して借り入れを行う余地がまだ残されている』。マーケットの意見はそうなっていますが、一般の国民の意見はそうなってはいません。国家財政をやりくりする上ではマーケットの声も国民の声もどちらも必要なんです」。
  • 「設備投資の動向から判断すると民間の方々は口で仰るよりも自信をお持ちのようです」(こちらのグラフを参照)。

Fedが金融政策面で乗り出せそうな「劇的」な行動(政策)はいくつかあるかもしれないが、そのような行動(政策)の効果については理論的に不確実なところがあるし検証もされていない。そんな話も出た。

今回の話し合いの席上で一番鋭い質問を発したのはコーエンだ。それは金融規制改革法について意見が交わされていた最中のこと。金融規制改革法の成立によって金融機関が背負うリスクがこれまでよりも高まることになるが、その結果として金融産業で働く面々のインセンティブはどう変わるだろうか? そんな話題で盛り上がっている中、コーエンが割って入って一言。「私がどうしても知りたいことはですね、金融規制改革法の成立によってあなた方(財務省をはじめとした規制当局者)のインセンティブがどう変わるかということなんです。今後はこれまでとは違って金融機関および債権者の(公的資金の注入を通じた)救済(ベイルアウト)が行われることはないと言い切れるんでしょうかね?」

コーエンも前回(2009年の11月に)財務省を訪れた際の感想〔拙訳はこちら〕の中で述べているように、ガイトナーはスマートで思慮深い人物という印象を受けた。ガイトナーは話題を問わずにどんな質問でも受け付けた。マイク・コンツァル(Mike Konczal)だとかコーエンだとかスティーブ・ワルドマン(Steve Waldman)だとかいった面々(今回招待されたブロガー)から質問を受け付けるというのは普通の記者から質問を受け付けるのとは大違いという点には要注意だ。ガイトナーはどんな質問を投げかけられてもその質問の核心が何なのかをすかさず理解し、理論だけではなく事実についても通暁していることを窺わせる回答を寄せたものだ。ガイトナーとの意見交換は当初の予定時間(45分間の予定)を超えても続けられた。ガイトナーは我々との会話を楽しんでくれていたように見えたものだ。

タイラー・コーエン 「財務省に招かれて」(2009年11月6日)

●Tyler Cowen, “Impressions from Treasury”(Marginal Revolution, November 6, 2009)


つい先日のことだが、財務省を訪れる機会があった。財務省から招待されて数名のブロガーと一緒に(財務長官を含めた)財務省の高官らと面と向かって話をしてきたのだ。その時の印象を箇条書きでまとめておくとしよう(その他の招待客の面々の感想はこちらを参照)。

1. 財務長官(当時)のティモシー・ガイトナー(Timothy Geithner)は大変スマートな人物で予想以上に概念的な思考がお得意のようだ。

2. 財務省の建物の廊下は長くてL字型になっているが、そのような構造になっていることで廊下で立ち話するよりも部屋に入って話そうという気になりやすいんじゃないかと思う。何となくそう思うに過ぎないが、同意してくれる声もあれば異を唱える声もあることだろう。

3. 財務省の建物の内部には歴代の財務長官の肖像画が飾られているが、その絵の質は時とともに低下していっているようだ。

4. クッキー(温かくてとろけるチョコ入り)が振る舞われたのだが、出来立てでおいしかった。水も用意されていたが、ミネラルウォーターは置かれてなかった。

5. 部外者を招いて意見を聞くのは珍しくないとのことだが、高官のうちの何人かは我々のような外部の人間にどういう印象を持たれているのか(くそったれと思われているのかどうか)聞きたがっていたんだと思う。実際聞いてきたしね。

6. 招待された他のブロガーの中にはアメリカ経済が今後直面するかもしれない問題に財務省が気付いているかどうか心配な様子の御仁もいたが、その点については私はその御仁らほどには心配していない。行政機関の中では財務省は国家財政の未来についてであれ(金融機関が絡むケースも含めて)最悪のシナリオが発生する可能性についてであれ敏感であろうとするインセンティブを強く持っている。債券市場(国債市場)と日々向き合わねばならないことも一因となってその他の大半の行政機関よりも長期的で市場に友好的な視点に立ってものを考える傾向にある。問題があるとすればそれは議会だ。仮に財務省の中に(その他の招待客の一人である)イブ・スミス(Yves Smith)と同じような銀行システム観の持ち主がいたとしたら、銀行システムに対する財務省の関与も現状よりも控え目なものとなっていたことだろう。

7. 「あなた方とお話させていただくというのは格好の気分転換になります」。財務省の高官の一人がそんな感じのセリフを口にしたものだ。その他の場面でお世辞を並べられることはあったものの、「格好の気分転換になる」という発言はお世辞ではなくて本心だったんだと思う。こちらにとっても格好の気分転換になったものだ。

8. 金融危機について自分なりの考えをまとめる上で一番影響を受けた本なり人物(知識人ないしは経済理論家)なりを挙げるとすればどうなりますか? 高官の一人にそう尋ねたものだ。その後に続いた会話の中でその人物から(ライアカット・アハメドの)『Lords of Finance』〔拙訳はこちら〕をお薦めされたのだが、私の質問への回答のつもりだったのかどうかは不明だ。