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タイラー・コーエン 「『経済学と哲学』という名の講義を受け持つことになったとしたら・・・」(2004年5月5日)

●Tyler Cowen, “Economics and Philosophy reading list”(Marginal Revolution, May 5, 2004)


大学で「経済学と哲学」と名付けられた講義を受け持つことになったとしたらどんな文献をリーディングリスト(課題図書一覧)に加えたらいいだろうか? ブラッド・デロング(Brad DeLong)がこちらのエントリーでその腹案を開陳している。私ならデレク・パーフィット(Derek Parfit)の『Reasons and Persons』(邦訳『理由と人格』)もリストに差し込むことだろう。あとはジャン=ジャック・ルソーも追加するかもしれない。ルソーは『人間不平等起源論』の中で「富」(wealth)と「厚生」(welfare)とを同一視することに疑問を呈している。さらにルソーによると、市場社会は皆をして「承認欲求の罠」に追いやる――誰もが他者からの承認を追い求めるものの、リスかご(走ると回転するかご)の中を必死に駆けているのと変わらない(徒労である)ことにやがては気付かされる羽目になる――とのこと。次にパーフィットに話を転じると、「功利主義(あるいはより一般的に帰結主義)は果たして世俗的な(世人の直観に訴える)道徳観念とソリが合うだろうか?」とはパーフィットが提起している問いだ。経済学上の論の進め方(議論の立て方)の特徴をより深く理解するためにマクロスキー(Deirdre McCloskey)のレトリック論(『The Rhetoric of Economics』/邦訳『レトリカル・エコノミクス』)も学生に読ませたいところだし、一人ひとりの選択が抱える複雑さを例証するためにトーマス・シェリング(Thomas Schelling)の「複数の私」論もリストに加えたいところだ。「複数の私」論についてはパーフィットも一枚噛んでくることになるだろう。講義の期間が全部で25週に及ぶようなら、プラトンの『国家』も講義で使うことだろう。『国家』の中には後世になって提起された議論(の萌芽)が実にたくさん含まれているのだ。

そうそう。そう言えば、2年前に経済学と哲学がテーマの講義を受け持ったことがあったんだっけ。

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【訳者による補足】ブラッド・デロングが開陳しているリーディングリストもついでに掲げておくとしよう。

●ジャック・ル=ゴフ(Jacques Le Goff), 『Your Money or Your Life: Economy and Religion in the Middle Ages』(邦訳『中世の高利貸』)
●トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes), 『Leviathan』(邦訳『リヴァイアサン』)の中から適宜抜粋
●ジョン・ロック(John Locke), 『Second Treatise of Government』(邦訳『統治二論』)
●アダム・スミス(Adam Smith), 『The Theory of Moral Sentiments』(邦訳『道徳感情論』)
●アダム・スミス(Adam Smith), 『An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』(邦訳『国富論』)
●ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham), 『An Introduction to the Principles of Morals and Legislation』(邦訳『道徳および立法の諸原理序説』)
●ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill), 『On Liberty』(邦訳『自由論』)
●ハル・ヴァリアン(Hal Varian), 『Intermediate Microeconomics』(邦訳『入門ミクロ経済学』)の29章~35章1
●フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek), 『The Constitution of Liberty』(邦訳『自由の条件』)
●ロバート・ノージック(Robert Nozick), 『Anarchy, State, and Utopia』(邦訳『アナーキー・国家・ユートピア』)
●ジェームズ・ブキャナン(James Buchanan)&ゴードン・タロック(Gordon Tullock), 『The Calculus of Consent』(邦訳『公共選択の理論――合意の経済論理』)
●ジョン・ロールズ(John Rawls), “Justice as Fairness”(pdf)
●ケネス・アロー(Kenneth Arrow), 『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)
●アマルティア・セン(Amartya Sen), 『Development as Freedom』(邦訳『自由と経済開発』)
●デイヴィド・ゴティエ(David Gauthier), “The Social Contract as Ideology
●ヤン・エルスター(Jon Elster), “The Market and the Forum: Three Varieties of Political Theory”, in Elster and Hylland(eds.), 『Foundations of Social Choice Theory
●バーナード・ウィリアムズ(Bernard Williams), “The Idea of Equality”, in Lasslett and Runciman(eds.), 『Philosophy , Politics and Society(2nd Series)
●アマルティア・セン(Amartya Sen), “Equality of What?”(pdf)
●スティーブン・シャベル(Steven Shavell), “Economic Analysis of Welfare Economics, Morality and the Law
●ティボール・シトフスキー(Tibor Scitovsky), 『The Joyless Economy』(邦訳『人間の喜びと経済的価値』)
●ウィリアム・ボーモル(William Baumol), 『Welfare Economics and the Theory of the State

  1. 訳注;時代的におそらく第6版を指しているものと思われる。 []

タイラー・コーエン 「反循環的な資産としての『資本論』 ~景気の悪化に伴って中国で『資本論』の売り上げが伸びているとか~」(2009年4月8日)/「至る所に市場あり ~マルクスの『資本論』がミュージカルに!?~」(2009年3月12日)

●Tyler Cowen, “China book fact countercyclical asset of the day”(Marginal Revolution, April 8, 2009)


人民出版社――中国政府が掲げる正統的なイデオロギー(革命思想)に沿う書籍の刊行を手掛ける中国最大の国営の出版社――の調査によると、「反資本主義」の書たるマルクスの『資本論』の中国全土での売り上げが昨年(2008年)の11月を境として月間で4,000~5,000部を記録するに至っているという。世界的な経済危機の煽りを受ける前までは『資本論』の月間の売り上げは1,000部を大きく下回るのが普通であったことを考え合わせると、かなり急激な勢いで売り上げが伸びていることになる。

人民出版社の販売部に勤める潘氏が語るところよると、数十年前であればほとんどすべての中国人が所蔵していた『毛沢東選集』の売り上げも昨年(2008年)の終わり頃から急速な伸びを記録しているという。

全文はこちら。情報を寄せてくれたRyan Tetrickに感謝。

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●Tyler Cowen, “Markets in everything China fact of the day”(Marginal Revolution, March 12, 2009)


面白いニュースが飛び込んできた。一体どんな仕上がりになるんだろうね。

日本で『資本論』が漫画化されてベストセラーを記録。そのことに感化されて中国の演劇関係者の間でマルクスの代表作を脚本としたミュージカルの制作が進行中らしい。

上海活劇芸術センター(Shanghai Dramatic Arts Center)の総支配人である楊紹林(Yang Shaolin)氏が文匯報(上海で発行されている日刊紙)の取材に対して語ったところによると、復旦大学の経済学部で教授を務める張俊(Zhang Jun)氏をはじめとした専門家の協力を得て『資本論』の舞台化を準備している最中とのこと。演出家は既に決まっているらしい。演出を担当するのは何念(He Nian)氏。ヒットを記録したアクションコメディ映画の『武林外传』を舞台化するにあたって演出を手掛けた人物だ。

アニメにブロードウェイのミュージカル、そしてラスベカスのショーを参考にそれぞれの要素を混ぜ合わせてマルクスの経済理論を今風で愉快で啓蒙的な劇へと変身させるつもり。何念氏はそのように意気込みを語っている1

情報を寄せてくれたRobert C.に感謝。

  1. 訳注;ミュージカルの予告映像はこちら。 []

タイラー・コーエン 「中国はマルクスに立ち戻りつつあるのだろうか?」(2018年5月11日)

●Tyler Cowen, “Is China moving back toward Marx?”(Marginal Revolution, May 11, 2018)


そして習近平(国家主席)と一緒になってマルクスのことを讃えるべきなのだろうか? ・・・という問いをブルームバーグに寄稿したばかりの拙コラムの中で考察している。社会主義陣営内部における思想論争についてもかなりのスペースを割いて論じているが、以下では記事の締め括りを引用しておくとしよう。

今後の中国で政治改革が進められたとしたらその行き着く先はマルクスが唱えたようなプロレタリア独裁ということになりそうだろうか? おそらくそうはならないだろう。しかしながら、こと中国のこれまでの歩みに照らすとなると、マルクスは今のところはまだその間違いが露呈せずにいる理論家の一人であることは間違いない。それとは対照的に、(予測が外れて)面目を失う格好となっているのは西洋の自由主義者1であり、マオイスト(毛沢東主義の信奉者)2なのだ。

今後の中国にとってよいお手本(あり得る選択肢)の候補となるのは西洋流の自由主義。あなたがそのような考えの持ち主のようなら、中国で高まるマルクス再評価の機運を目にして不快に感じるかもしれない。しかしながら、毛沢東主義について(毛沢東主義が中国の歴史において果たした役割について、毛沢東主義の強烈な土着主義的な起源について)少しばかり腰を落ち着けて考え直してみたら、そんなあなたもマルクスを讃える輪に加わってもいいと思うかもしれない。

是非とも全文に目を通されたい。

  1. 訳注;「中国で経済の自由化が進みそれに伴って国内が豊かになれば、共産党の一党独裁体制も崩壊して民主的な政治体制への移行が進むに違いない」というのが西洋の自由主義者の見立てだったが、今のところはその予測通りにはいっていない(共産党の一党独裁体制が今もなお続いている)。・・・というのがコーエンの評価。 []
  2. 訳注;「共産主義への橋渡し役となる社会主義革命は資本主義が高度に発達した段階(都市化や工業化が高度に進んだ社会)でこそ(産業資本主義の行き詰まりの結果として)起こる」というマルクスの予測に対して、毛沢東は共産革命の担い手を農民に求めた。ヨーロッパ各国のように都市化や工業化が進んでいない農業(農村)中心の社会でも共産主義への移行は可能だと訴えたわけだが、毛沢東が進めた大躍進政策にしても文化大革命にしても共産主義を実現するには至らなかった。その後の中国は鄧小平が掲げた「改革開放」路線を歩み、経済の自由化(市場経済化)に乗り出した。その結果、現在の中国は都市化や工業化が高度に進んだ社会となるに至っている。・・・というのがコーエンの評価。 []

マーク・ソーマ 「リバタリアンの面々がマルクスを読むべき理由」(2017年6月28日)

●Mark Thoma, “Why Libertarians Should Read Marx”(Economist’s View, June 28, 2017)


クリス・ディロー(Chris Dillow)のブログ記事より。

Why libertarians should read Marx” by Stumbling and Mumbling

「わざわざマルクスを読む気にはなれない」と語るのはクリスティアン・ニーミエッツ(Kristian Niemietz)。そんな彼を説き伏せてみようと思うが果たしてうまくいくかどうか。

本題に入る前に指摘しておくべきことがある。それは何かというと、ニーミエッツも含めたリバタリアンの面々はマルクスの意外な面を知って驚かされることが多いに違いないということだ。例えば、マルクスは計画経済について驚くほどわずかしか語っていない。計画経済を是とする議論を聞きたければむしろ右派のヒーローたるロナルド・コースにお伺いを立てるべき(pdf)なのだ。また、マルクスはある面で資本主義を讃えてさえいる。『共産党宣言』の中から引用すると、資本主義は「商業の計り知れない発展」を支え、「エジプトのピラミッド、ローマの水道、ゴチック式の大聖堂をはるかにしのぐ驚異を成し遂げた」というのだ。まだある。マルクスが「事実」に対して大いに注意を払っていることを知ればきっと驚くに違いない。『資本論』第一巻の最初の何章かを読み終えればその後には膨大な量の実証研究の山に出くわすことだろう。さらには、マルクスと社会民主主義者との間には多くの違いがある――その中でも特に重要な違いはマルクスは(社会民主主義者とは違って)国家統制主義者ではないという点だ――ことにも触れておくべきだろう。

次に指摘しておくべきはマルクスと結び付けられるアイデアの多くは先人の思想を精緻化したものという面が強いということだ。例えば、ポール・サミュエルソンはマルクスを指して「地味なポスト・リカーディアンの一人」と呼んでいる。労働価値説にしても、階級間の所得分配だとか利潤率の長期的な低下傾向だとかに対する関心にしても、マルクス主義的であると同時にリカード主義的とも形容できるのだ(利潤率の低下傾向(pdf)は近年の低成長や設備投資の低迷を説明する格好の要因の一つだと思われるが、今回はこの点については深入りせずに済ませるとしよう)。

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき理由をまとめると以下の三点に集約されるのではないかというのが私の考えだ。

まず一つ目の理由。マルクスは経済の歩みを歴史的なプロセスとして捉えようとした。マルクスにとっての重大問題の一つは「世に蔓延るあれやこれやは一体どこからやってきたのか?」というものだった。

・・・(中略)・・・

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき二つ目の理由は所有権の形態と技術進歩との関係に関するマルクス流の考えにある。

・・・(中略)・・・

リバタリアンの面々がマルクスを読むべき三つ目の理由は「自由」に対するマルクスの姿勢にある。

・・・(中略)・・・

まとめるとこう言えるだろう。リバタリアンの面々がどうしてマルクスを読むべきなのかというと、己の考え(リバタリアニズム)を磨き上げる助けになるに違いない疑問をマルクスから引き出すことができるからである。一部の層の所有権を侵害する(否定する)結果として成り立つに至った資本主義というシステム。そのシステムを擁護すると同時に(資本主義というシステムの内側で暮らす)一人ひとりの所有権を守れと訴える。そんなことって可能だろうか?(辻褄が合っていると言えるだろうか?) 「自由」に対する世人(一般大衆)の支持を取り付けるにはどのような物質的な生活環境(下部構造)が必要となるだろうか? 新しいテクノロジーは世人の思想(信念)の形成にいかなる影響を持つだろうか? 現状の市場構造(その具体的な有り様は政府によって規定されることは言うまでもない)は経済成長の促進につながるだろうか? その答えが仮に「ノー」だとすれば、現状の市場構造を変えるにはどうすればいいのだろうか? 現状の市場はあくまで「形式的な自由」を保障するに過ぎないのだろうか? それとも市場は「実体的な自由」――マルクスが追い求めた自由――1の拡張にも貢献しているのだろうか? 市場を「実体的な自由」により一層親和的な方向に持っていくことは可能だろうか? 市場は「自由」の享受を約束する舞台なのだろうか? それとも一方の階級が他方の階級を搾取して抑圧する道具に過ぎないのだろうか? 等々。

論敵の立場を劇画化して嘲るような党派心から距離を置きさえすれば、マルクスの残した仕事にじっくりと向き合うことでリバタリニアニズムの彫琢という対価が得られるに違いないと思われるのだ。

*『資本論』第一巻の読み方としてはまずは10章からスタートしてそこから順番に読み進め、最後まで目を通したら1章に戻る(1章から順に9章まで読む)というのがお薦めだ。

  1. 訳注;「実体的な自由」が保たれている状態=一人ひとりの人間が己の潜在的な能力を高められる機会(あるいは自己実現や自己表現の機会)が保たれている状態、という意味で使われている。 []

マーク・ソーマ 「マルクス vs. コース」(2012年11月21日)

●Mark Thoma, “Marx vs Coase”(Economist’s View, November 21, 2012)


今日は車を長時間運転せねばならないのだが、出発するのに手間取ってしまった。というわけでブログに時間を割く余裕はないので目に付いた記事をいくつか足早にパパッと紹介するとしよう。今回のエントリーではクリス・ディロー(Chris Dillow)のブログ記事を紹介しておくとしよう。

Marx vs Coase: experimental evidence” by Stumbling and Mumbling

企業は不確実性に対処するための効率的な制度。ロナルド・コースはそのように考えたが、別の見方もある。マルクス主義者の信じるところでは、企業というのは資本家が労働者を搾取するための道具ということになる。一体どちらの見方が正しいのだろうか? エルンスト・フェール(Ernst Fehr)率いる研究チームが最新の論文でこの問題に対する実験を通じた証拠を提供している。

・・・(中略)・・・

フェールらによる実験結果によると、雇用契約を結んだ被験者間でのやり取りが一回限りである場合にはプリンシパル(雇い主)役を務めた被験者のうち51%がエージェント(従業員)役を務めた被験者を搾取するに至った(搾取の発生率は51%)という。「(雇い主が手にする)権力1は労働者(従業員)を搾取するために行使され得るというマルクス主義者のアイデアは絵空事ではない」というのが彼ら(フェールら)の結論だ。

・・・(中略)・・・

ところが、雇用契約を結んだ被験者間でのやり取りが何度も繰り返される場合には搾取の発生率は21%にまで落ち込んだという。その理由は? 雇い主(の役を務めた被験者)が「私(我が社)は公平な人間(会社)です」との評判を打ち立てたいと願ったからである。そのような評判を打ち立てることができれば働き手が「この相手(会社)となら雇用契約を結んでもいい」と乗り気になってくれる可能性があるのだ。

フェールらの論文は至ってシンプルな内容ではあるものの、次のような疑問に取り組むための枠組みを提供してくれてもいる。「マルクス的な企業の代わりにコース的な企業が蔓延りがちなのは一体どのような状況だろうか?」2という疑問がそれだ。

公平性を追い求める強固な規範が社会に広く行き渡っている状況というのが考え得る答えの一つ(一つ目の答え)。・・・(略)・・・企業が「善良な」雇い主という評判を打ち立てたいと駆り立てられている状況というのが他に考え得る答え(二つ目の答え)だ。労働市場が完全雇用に近い状態にあるほど企業は「善良な」雇い主という評判を勝ち取りたいと願うことだろう。というのも、労働市場が完全雇用に近い状態にあると人材を確保するために他の企業と争わねばならなくなるからだ。

労働組合の力が強いというのが三つ目の答えとして考え得る状況だ。・・・(略)・・・このことは強力な労働組合は一国経済に好ましい影響を及ぼす可能性を秘めているという私見を補強してくれることにもなる。

四つ目の答えというのも考え得る。労働者が搾取的な雇用契約を撥ね付けることを可能にする外部機会――(生活保護などの)福祉給付がその一例――が確保されている状況というのがそれだ。

資本主義の擁護者の多くは福祉給付のような制度(四つ目の答え)には批判的な様子だが、その様を眺めていると彼ら(資本主義の擁護者)はコース的な企業が蔓延することよりも資本家の権力(労働者の搾取を可能とする権力)を維持することに心惹かれているのではなかろうかと思われてならないものだ。

  1. 訳注;従業員に対してどの職務を割り当てるかをある程度裁量的に決めることができる権限 []
  2. 訳注;「労働者(従業員)が搾取されずに済むのは一体どのような状況だろうか?」とも言い換えられるだろう。 []

ラルス・クリステンセン 「ユーロ圏の救世主としてのFed」(2011年11月15日)

●Lars Christensen, “The Fed can save the euro”(The Market Monetarist, November 15, 2011)


デビッド・ベックワースがこちらの大変優れたエントリー〔拙訳はこちら〕で米国の名目GDPとユーロ圏の名目GDPとの間に見られる相関(つながり)を詳らかにしている。

ベックワースによると、ユーロ圏の名目GDP成長率は米国の名目GDP成長率の後追いをしているようだとのこと。そのことが一体何を意味しているかというと、仮にFedが米国の名目GDPを危機以前のトレンドに引き戻すべく重い腰を上げたとしたら、それに伴ってユーロ圏の名目GDPも同じく勢いづく可能性があるということになるのだ。

つまりはこういうことだ。「世界経済を牛耳るマネタリー・スーパーパワー」(pdf)たるFedが名目GDP水準目標(NGDPLT)の採用に踏み切ったとしたら、ECB(欧州中央銀行)もFedの真似をせざるを得なくなるということだ。ここで興味深い問題が持ち上がることになる。ECBが(Fedの後を追うようにして)名目GDP水準目標の採用に踏み切り、その結果として名目GDPが危機以前のトレンドに向けて回復を続けたとしたら、その過程で一時的にユーロ圏内のインフレ率が(ECBが目標として掲げている)2%を上回る可能性がある。そうなったらECBはどのような対応をとるだろうか? まずはじめにFedが、それからややあってECBがそれぞれ名目GDP水準目標の採用に踏み切ったとしたらはじめのうちはユーロ高ドル安が急激に進み、そのおかげでユーロ圏内のインフレ圧力もいくらか和らげられることになるではあろうが、それはそれとして探っておくべき問いはECBが名目GDPの回復が続いている最中に何らかの手を打つかどうかということだ。「我々が標的としているのは足許のインフレではなく将来のインフレ(今後のインフレの成り行き)だ」というのがECBの公式見解だが、そのことから何とも逆説的なシナリオが予想されることになる。ECBのお偉方の口から次のような言葉が吐かれる可能性があるのだ。「確かに足許(現状)のインフレ率は5%に達しています。しかしながら、現状のインフレ率にすぐさま影響を及ぼせるだけの力は我々にはありません。かといって、インフレ率は今後もこのまま高止まりしそうかというとそういうわけではなく、米国の名目GDPが危機以前のトレンドに肩を並べるまでに回復を遂げてそこで落ち着けば(そしてユーロ圏の名目GDPも危機以前のトレンドに肩を並べる水準で落ち着けば)それに伴ってユーロ圏内のインフレ率も2%に向けて徐々に沈静化するものと思われます。そういうわけですので今のところは金融政策を引き締める必要はないと判断されます」。

ECBは今のところ(2011年11月時点においては)新たな金融緩和策に踏み切ることに難色を示している。しかしながら、Fedが積極果敢な金融緩和策に打って出たとしたら、ECBもその後を追って金融緩和策の「輸入」に乗り出すことだろう。そうなればおそらくユーロ圏も救われることだろう。というわけで、Fedの議長さんにお願いするとしよう。欧州の民に救いの手を差し伸べてくれませんかのう?

デビッド・ベックワース 「ECBの代役としてのFed」(2011年11月14日)

●David Beckworth, “The ECB Needs the Fed Now More Than Ever”(Macro Musings Blog, November 14, 2011)


ECB(欧州中央銀行)はこれまで以上にFedを必要としている。とは言っても、通貨スワップ協定を通じたドル資金の融通額を今よりも増やす必要があるという意味ではない。ECBはFedを代役として必要としているのだ。その意味するところをこれから説明するとしよう。Fedはマネタリー・スーパーパワーの地位に君臨している(pdf)。Fedは世界の主要な準備通貨たるドルを管理しており、数多くの新興国は公式・非公式に自国通貨をドルにペッグしている。その結果としてFedによる金融政策は方々の新興国に「輸出」されることになるのだ。それと同時に、その他の通貨大国たるユーロ圏にしても日本にしても米国の金融政策には無関心ではいられない。というのも、ECBも日本銀行もユーロや円がドルに対してだけではなくドルにペッグしている通貨に対しても高くなり過ぎないようにと注意を払わねばならないからである。そういうわけでFedによる金融政策はユーロ圏や日本にもある程度は「輸出」される格好となるのだ。 [Read more…]

デビッド・ベックワース 「大将の後を追え ~マネタリー・スーパーパワーとしてのFed~」(2009年9月9日)

●David Beckworth, “Follow the Leader”(Macro Musings Blog, September 9, 2009)


以下の図をご覧いただきたい。この図はOECD(経済協力開発機構)が公表した最新(2009年9月版)の経済見通し(Economic Outlook)の中から借用したものだ。世界を代表する三つの中央銀行(Fed、ECB、日本銀行)が操作する政策金利の推移が2000年以降の期間を対象にそれぞれ跡付けられているが、何とも興味深い事実が窺える。ECB(欧州中央銀行)にしても日本銀行にしても政策金利を変更するにあたってFedの後追いをしているかのように見えるのだ。

「Fedはマネタリー・スーパーパワーなり」。上の図はそのような見解ともしっくりくる。この点についてかつて私は次のように述べたことがある

Fedは世界経済を牛耳る通貨王である。Fedは世界の主要な準備通貨たるドルを管理しており、数多くの新興国は公式・非公式に自国通貨をドルにペッグしている。その結果としてFedによる金融政策は世界中のあちこちに「輸出」されることになるのだ1。それと同時に、その他の通貨大国たるユーロ圏にしても日本にしても米国の金融政策には無関心ではいられない。というのも、ECBも日本銀行もユーロや円がドルに対してだけではなくドルにペッグしている通貨に対しても高くなり過ぎないように(ドル安ユーロ高、ドル安円高が行き過ぎないように)と注意を払うだろうからだ。そういうわけでFedによる金融政策はユーロ圏や日本にもある程度は「輸出」される格好となるのだ。以上のことを踏まえると、2000年代の初頭から中頃にかけて世界経済を襲った「グローバル流動性過剰」の元凶がFedにあるやもしれぬことを理解するのは難しくない。2000年代の初頭から中頃にかけてFedは政策金利(フェデラル・ファンド金利)を実質値で測ってマイナスの範囲に留め置き、そのために実質金利(実質値で測ったフェデラル・ファンド金利)が生産性の伸び率を一貫して下回る(言い換えると、実質値で測ったフェデラル・ファンド金利が自然利子率を一貫して下回る)結果となったのだ。

「マネタリー・スーパーパワー」たるFedは名目支出の刺激を通じて2000年代の初頭から中頃にかけて世界経済の過熱を後押しするだけの力を備えていた。そうも言い換えられるだろう。名目価格の粘着性の存在を踏まえると、Fedのせいで(Fedによる過度の金融緩和によって世界経済全体の名目支出が大いに刺激されたせいで)世界経済は一時的に(2000年代の初頭から中頃にかけて)自然産出量(潜在GDP)を上回るところまでいってしまった可能性があるのだ。

  1. 訳注;例えば、Fedが政策金利を引き下げるなどして金融緩和に乗り出すとその他の国の中央銀行もその後を追って金融緩和に乗り出さざるを得なくなる、という意味。 []

デビッド・ベックワース 「マネタリー・スーパーパワーとしてのFed」(2012年8月23日)

●David Beckworth, “Further Evidence on the Fed’s Superpower Status”(Macro Musings Blog, August 23, 2012)


これまで私は幾度にもわたって「Fedはマネタリー・スーパーパワー(monetary superpower)である」と繰り返し唱えてきた。Fedがマネタリー・スーパーパワーたり得る理由は、ドルが世界各国における準備通貨として機能しており、新興国の多くが自国通貨を公式・非公式にドルにペッグしているからであるが、そのためにFedによる金融政策は新興国の多くに「輸出」されることになるのである。加えて、ECBや日本銀行もまたFedの決定に影響されることになる。ECBも日銀もドルとペッグした通貨やドルに対して自国通貨(ユーロ、円)があまりにも高くなり過ぎないように注意を払っているからである。かくしてFedによる金融政策はユーロ圏や日本にも「輸出」されることになるのだ。

「マネタリー・スーパーパワー仮説」は(金融危機に先立つ)住宅ブーム期に「グローバル流動性過剰」が発生した理由を説明する助けにもなるし、「グローバル貯蓄過剰」の幾分かはFedによる金融緩和がリサイクルされたに過ぎないものだとの示唆を与えることにもなる1。また、「マネタリー・スーパーパワー仮説」に従えば、Fedが名目GDP水準目標(NGDPLT)に類する手段の採用に打って出たとすれば、アメリカ経済だけではなくユーロ圏経済が回復に向かう上で大いに助けとなり得る〔拙訳はこちら〕ことが示唆されることにもなる。現在世界経済が大いに必要としているのはFedが今すぐにも休眠状態から目覚めること、というわけだ。この点については今年(2012年)のはじめに行われた学生向けの講演の一つでベン・バーナンキFed議長も認めているところである2

「マネタリー・スーパーパワー仮説」はクリス・クロウ(Chris Crowe)との共同研究を通じて発展させられたものだが、その成果はつい最近出版されたばかりの私が編集した本にも収録されている。また、コリン・グレイ(Colin Gray)は最近の論文(pdf)で合理的期待を組み込んだモデルを通じて「マネタリー・スーパーパワー仮説」に理論的な検討を加えており、「マネタリー・スーパーパワー仮説」のさらなる精緻化に取り組んでいる。それだけではなく件の論文では実証的な面からも「マネタリー・スーパーパワー仮説」に対する強固な証拠が提示されている。以下にグレイの論文のアブストラクト(要約)を引用しておこう。

2002年から2006年にかけてアメリカの中央銀行であるFedは広く知られた金融政策ルール3によって示唆される水準を大きく下回る水準に金利を設定していた。Fedによるこの行動が2008年の世界的な金融危機の一因となった過剰な流動性の発生を支えたことを示す研究の蓄積が進んでいるが、Fedのこの行動ほどにはよく知られていない事実がある。多くの他の中央銀行もまた2002年から2006年にかけて金利を(テイラールールによって示唆される水準よりも低い水準にまで;訳者挿入)引き下げたという事実がそれだ。ここで重要な疑問が提起されることになる。他国の中央銀行が金融政策のスタンスを変更する上でFedはどのような役割を果たした(どのような影響を及ぼした)のだろうか? 本論文では、合理的期待モデルの枠組みの中で複数の中央銀行の政策行動の間にスピルオーバー(波及効果)が生じるメカニズムを理論的に示すことを通じてこの問題に取り組むことにする。加えて、アメリカにおける金融政策がその他の主要な中央銀行の行動――特に、政策金利の設定と為替介入――にどのような影響を与えたかを実証的にも明らかにする。実際のデータによると、Fedによる金利の引き下げ――金利の絶対的な水準の引き下げ+金融政策ルールによって示唆される水準以下への金利の引き下げ――は、世界全体のマクロ経済的なトレンドをコントロールした後においてもなお、他国の中央銀行が金利を引き下げたり外国為替市場に介入するよう促すかたちで影響を持ったことが指し示されている。最後に本論文では、Fedの行動に伴うスピルオーバー(他国の中央銀行の政策変更の後押し)が2000年代初頭における世界的な金利の低下と(為替介入に伴う)他国政府保有の外貨準備の増大――この外貨準備の増大はその後の世界的な流動性ブームに貢献した可能性がある――をもたらした要因の一部であったことを示す。

グレイによる本論文での発見はさらなる討議に付してみるだけの価値があるであろう。例えば、次のような疑問にどう答えたものだろうか? マネタリー・スーパーパワーとしての地位を前提とした場合にFedはどのように行動すべきだろうか? アメリカ一国だけではなく世界経済全体がマクロ経済面で最大限の安定を手にするためにはFedによる金融政策はどのように運営されるべきだろうか? そもそもそのような術はあり得るだろうか? 世界経済の統合が進む中でこれら一連の疑問はこの先一層重要性を増すことになろう。

  1. 訳注;この点に関して、David Beckworth, “It’s 2012, Not 2002”(Macro Musings Blog, June 26, 2012)では次のように説明されている。「『グローバル貯蓄過剰』の幾分かは世界経済がFedによる金融緩和をアメリカにリサイクルした結果として生じたものと見なすことができる。というのも、ドルにペッグしている国々はFedによる金融緩和によって(ドルとの固定レートを維持するために)ドルの購入を強いられることになったが、これらの国々は増加した手持ちのドルをアメリカの債務(債券)の購入に回すことになったからである。正確には、ドルにペッグしている国々がドルの投資対象として欲したのはアメリカの債務一般ではなくて(アメリカの債務であれば何でもよかったというわけではなく)、安全なアメリカ債務であった。つまり、Fedによる金融緩和は安全資産に対する需要の増加を生み出すことになったのである。公的な(政府が発行する)安全資産には限りがあったので、安全資産に対する需要の増加に対応するべく民間部門においてリスク資産を安全資産に転換する動き(例.トリプルAの格付けを付与されたCDO)が生じたのであった。こうして、Fedによる金融政策が緩和されるほど安全資産に対する需要はますます高まることになり、それに伴ってアメリカに還流してくる信用量も増大することになったのであった。」 []
  2. 原注;正確に言うと彼はこの点を明示的に認めているわけではない。しかしながら、中国の金融政策はアメリカの金融政策の影響を受けていると認めることで密かにほのめかしてはいる(暗黙的に認めている)のである。 []
  3. 訳注;テイラールール []

デビッド・ベックワース 「名目支出の動きから世界経済の歴史を捉え直す」(2009年11月3日)

●David Beckworth, “Global Nominal Spending History”(Macro Musings Blog, November 3, 2009)


マクロ経済の安定化を実現する上ではインフレーションの安定を図るよりも名目支出(総需要)の安定を図る方が重要だ、というのがかねてからの持論なのだが、その観点からアメリカのマクロ経済の歴史を眺め直してみたらどうなるだろうかと考えてかつてこのブログでもそのことを話題にしたことがあった。繰り返しになるが、名目支出の動向に着目すると、(1)1960年代中頃から1980年代初頭にかけてのいわゆる「グレート・インフレーション」(”Great Inflation”)(pdf)は「名目支出のばか騒ぎ」(”Great Nominal Spending Spree”)、(2)この度の危機に先立つ25年間のいわゆる「大いなる平穏期」(”Great Moderation”)は「名目支出の大いなる平穏期(”Great Moderation in Nominal Spending”)、そして2008年後半から2009年初頭にかけての時期は「名目支出の大クラッシュ」(”Great Nominal Spending Crash”)とそれぞれ名付けることができるだろう。この点を図にまとめると次のようになる。

つい最近のことだが、OECDがメンバー国のうち25カ国について1960年第1四半期以降の名目GDP(PPPベース)を4半期ごとに集計していることを知った。その25カ国というのは以下の国々である。オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイスランド、アイルランド、イタリア、日本、ルクセンブルグ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、トルコ、イギリス、アメリカ。この25カ国を合わせると経済規模で見て世界経済全体のおよそ半分ほどを占めており、それゆえ世界全体の名目支出の動向を知る上で何らかのヒントを与えてくれるであろう。そこで先ほどと同じように名目支出の動向に着目して世界全体のマクロ経済の歴史を眺め直してみた結果をまとめたものが次の図である。

二つの図を比べると大変似通った動きを見せていることがわかるが、この事実はアメリカ経済の規模の大きさとその影響力の強さを物語る証拠であるように私には思われる。それに加えて、アメリカの金融政策が世界経済全体の流動性の状況、ひいては世界経済全体の名目支出に及ぼす影響力を物語っているようにも思われるところだ。