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ラルス・クリステンセン 「キューバ危機の痕跡はどこ? ~キューバ危機時の米国株式市場の反応は何を物語っているか?~」(2014年4月17日)

●Lars Christensen, “The Cuban missile crisis never happened (or at least the stock markets didn’t care)”(The Market Monetarist, April 17, 2014)


歴史書を紐解くと、冷戦時代の最中に起こった最も戦慄的な出来事の一つとして「キューバ危機」(キューバミサイル危機)が挙げられているのがよく目に付く。キューバ危機、それは全世界が核ハルマゲドン(核戦争という名の最終戦争)の瀬戸際に立たされた瞬間。歴史書ではそのように語られている。

しかしながら、歴史書は間違っているかもしれない。少なくとも当時の米国の株式市場の反応に照らす限りではそのように言えるかもしれない。第三次世界大戦の一歩手前まできていたのが本当だとすれば、株価はキューバ危機の最中に――石が坂を転げ落ちるように――急降下していてもおかしくないはずである。

実際のところはどうだったか? S&P500指数(株価指数の一つ)は急落なんてしなかった。1962年10月のあの13日間――米国とソ連との間で緊迫したにらみ合いが続いたあの13日間――を通じてS&P500指数には何の波風も立たなかった。あともう少しのところで第三次世界大戦にまで発展していたかもしれないことを踏まえると、この事実は何とも驚くべきことであるように思える。

米国とソ連との間でにらみ合いが続いていた間に株価には何の変調も見られなかったのはどうしてなのだろうか? その理由としてはいくつか候補が考えられる。キューバ危機はいわゆる「相互確証破壊」(MAD)の実例であり、そのことが関係しているというのがそのうちの一つだ。どちらか一方が先制的な核攻撃を仕掛ければその先には核兵器の撃ち合いが待っている。そうなってしまえばもう勝者などいない。米国(の上層部)もソ連(の上層部)もそのことをよくよくわかっており、核戦争を本気で始める気などどちらの国も持ち合わせていなかった。投資家たちはそのことを見抜いており、世界中のメディアが「第三次世界大戦勃発の危機迫る」と騒ぎ立ててもパニックなんかに陥らずに平静さを保っていた、というわけだ(世間一般に流布している通説とは違い、株式市場は政策当局者に比べるとずっと冷静でパニックに陥りにくいのだ)。

あるいはこういう可能性も考えられるだろう。株式市場は米国の上層部(ケネディ政権)よりも地政学的なリスクに通じており、キューバ危機が発生するリスクを米国の上層部よりも先んじて察知していた、という可能性である。その証拠にケネディ政権が国民に対して「どうやらソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んでいるようだ」と打ち明ける数ヶ月前の段階で株価は20%以上も下落していたのだ。

結局のところは株式市場の見立て通りになった。第三次世界大戦は起きなかったし、キューバ危機は13日間に及ぶにらみ合いを経て終息に向かったのだった。

キューバ危機は米国内の消費者や投資家たちの目を逃れるわけには当然いかなかったわけだが、キューバ危機のような地政学的なリスクは(総消費や総投資といった総需要に対するショックというよりは)総供給ショックとしてまずは捉えるべきだろう。地政学的なリスクは(ロバート・ヒッグス(Robert Higgs)の表現を借りると)「レジーム不確実性」を高める効果を持っており、教科書的なAD-ASモデル(総需要・総供給モデル)の枠組みの中ではAS曲線(総供給曲線)を左方にシフトさせる効果がある「(負の総供給ショック」)と考えられるのだ。金融政策のスタンスに変化が無い限りは、AS曲線の左方シフトに伴って実質GDP成長率は低下する一方でインフレ率は上昇に向かうことになる。1962~63年の段階では「レジーム不確実性」の高まりの効果はまだ表れずにいたが、1960年代後半に入って徐々にその効果が表れ出して実質GDP成長率を押し下げる力として働いたのだった。

株式市場のパフォーマンスを考える場合におさえておくべき大事なことがある。株価それ自体は(貨幣単位で測られる)名目値(名目的な現象)である、というのがそれだ。それゆえ、(地政学的なリスクの高まりに伴って)「負の総供給ショック」が生じても中央銀行による金融政策の舵取りを通じて名目需要(名目支出)の安定が保たれているようであれば株価は下落するとは限らない。「負の総供給ショック」に伴ってリスクプレミアムが高まれば株価の下落圧力となることは確かだが、(株価を左右する要因の一つである)企業収益の伸び率にどういう影響が及ぶかはわからない(企業収益の伸び率は「負の総供給ショック」に伴って必ず低下するとは限らない)。

つまりはこう言えるだろう。地政学的なリスクが株価に及ぼす影響を理解するためには地政学的なリスクに対して金融政策がどう反応するかを考慮に入れる必要があるのだ。この点は目下のウクライナ情勢(ウクライナとロシアとの間でのいざこざ)の意味合いを理解する上でも大いに関係してくる話でもある。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「水爆の原料は何だ? ~アーメン・アルチャンが手掛けた世界初の(そして歴史の闇に葬り去られた)『イベントスタディ』をここに再現~」(2014年5月12日)

●Tyler Cowen, “Nuclear science, event studies, and the other side of Armen Alchian”(Marginal Revolution, May 12, 2014)


この話は知らなかった1

舞台は1954年のランド研究所(RAND Corporation)。その当時ランド研究所に籍を置いていたアーメン・アルチャン(Armen A. Alchian)は世界で初めての「イベントスタディ」に挑んだ。その目的は当時開発中だった水素爆弾の原料に何が使われているかを推測することだった。アルチャンは一般に公けにされている金融データ(株価)だけを頼りにして原料は「リチウム」だと見事に言い当てることに成功したものの、国家の安全を脅かす恐れがあるとの理由から「イベントスタディ」の結果をまとめた覚え書きはたちどころに没収されて破棄されてしまった。アルチャンが世界初の「イベントスタディ」に挑んだ当時は水爆の製造工程は機密扱いだったが、その後一部については機密解除されるに至っている。1950年代初頭における水爆の開発実験はマーケットの効率性――インサイダーしか知り得ない私的な情報を誰もが知る公開情報として素早く普及させるマーケットの効率性――がいかほどのものかを試す格好の機会を提供している。本論文ではアルチャンが手掛けた「イベントスタディ」の再現を試みたが、結論を先取りしておくとアルチャンが辿り着いたのと同様の結果が得られた。アルチャンが手掛けた「イベントスタディ」ではマーシャル諸島で行われた一連の核実験(水爆の爆発実験)――1954年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボー実験(これまでにアメリカが行った核実験の中でも最大規模のもの)を手始めとするいわゆる「キャッスル作戦」――に対する株式市場の反応が対象となっている。「キャッスル作戦」は重水素化リチウムを燃料とする水爆の爆発実験としてはアメリカ初の試みであり、爆撃機でも持ち運びが可能な高出力の核兵器の開発に道を開くきっかけとなったものである。当時の株価のデータを詳しく調べると、1954年3月にリチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ(LCA)社の株価がその他の企業の株価やダウ・ジョーンズ工業株価平均(DJIA)と比べてもかなり大幅な上昇を記録していることがわかる。ブラボー実験が行われたのは1954年3月1日。水爆の製造工程については国家機密であり、ブラボー実験の成否については科学者の間でも意見が割れ、国民の間では混乱が見られたが、それにもかかわらずブラボー実験が行われて以降の3週間の間にLCA社の株価は(1954年2月26日時点での一株あたり8.875ドルから1954年3月23日時点での13.125ドルへと)48%以上もの上昇を見せ、月最終日の3月31日時点(一株あたり11.375ドル)でも2月26日時点の株価を28%も上回ることになったのである。LCA社の株価は1954年の1年間で(1953年12月31日時点での一株あたり5.125ドルから1954年12月30日時点での28.75ドルへと)実に461%もの上昇を記録したのであった。

以上はジャーナル・オブ・コーポレート・ファイナンスに掲載されたばかりのジョゼフ・ニューハード(Joseph Michael Newhard)の論文のアブストラクトだ(「切れ者」のケヴィン・ルイス(Kevin Lewis)経由で知ったもの)。論文の草稿はこちら(pdf)だ。

  1. 訳注;ちなみに、アルチャン本人はこの件について次のように回想している(“Principles of Professional Advancement”(in 『The Collected Works of Armen A. Alchian(vol. 1)』), pp. xxv~xxvi)。「ひょんなことから1946年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の経済学部に籍を置くことになった。その前年の1945年にUCLAの近くのサンタモニカにたまたまランド研究所が設立されたばかりだった。そしてUCLAの同僚のアレン・ウォリスが(ランド研究所の設立に奔走していた)ヘンリー・「ハップ」・アーノルド元帥とどういうわけだか非常に仲がよかった。私が(アレン・ウォリスにそそのかされて)ランド研究所で働くに至るまでにはこういった偶然の積み重ね――ゴルフでバーディーがとれる場合と引けを取らないだけの偶然の積み重ね――があったのだ。・・・(中略)・・・ちょっとばかり自慢させてもらいたいことがある。話は1950年代~1960年代に遡るが、コーポレート・ファイナンスの分野で初めての「イベントスタディ」を手掛けたのだ。水爆が完成する前年のことだ。ランド研究所の経済部門に集った面々は水爆の原料にどんな金属が使われているのだろうと興味津々だった。リチウムだろうか? ベリリウムだろうか? トリウムだろうか? それともそれ以外? ランド研究所で一緒に働いていたエンジニアや物理学者の連中に聞いても何も教えてくれなかった。それももっともである。彼らは機密を保持する義務を負っていたのだから。そこで私は言ってやったものだ。「自力で答えを見つけ出してやるぞ」、と。そこで早速米商務省が発行している会社年鑑を引っ張り出してきて水爆の原料となりそうな金属を製造している会社を何社か選び出した。そして選び出しておいた会社の株価が水爆の実験が成功する前年の下半期を通じてどういう動きを見せるかじっと眺めたのだ。未公開の情報には一切頼らなかった。いやはや驚いたの何のって。記憶の範囲での話になるが、ある会社の株価が8月の時点では一株あたり2ドル~3ドルくらいだったのが12月の時点になると一株あたり13ドルくらいにまで急上昇することになったのだ。その会社というのはリチウム・コーポレーション・オブ・アメリカ社だ。年明けの1月に早速その結果を覚え書きとしてまとめ、“The Stock Market Speaks”(「株式市場は語る」)というタイトルをつけてランド研究所内に配布して回った。それから2日後のことだ。配った覚え書きを残らず全部回収しろと上からのお達しがあったのは。」 []

タイラー・コーエン 「『チューリングの大聖堂』」(2012年3月8日)

●Tyler Cowen, “*Turing’s Cathedral*”(Marginal Revolution, March 8, 2012)


今回のエントリーのタイトルはジョージ・ダイソン(George Dyson)の新著(邦訳『チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来』)から拝借したものだ。副題は「デジタル宇宙の起源」。最上級のあっぱれな一冊だ。コンピュータシステムの起源、初期のコンピュータと核兵器システムとのつながり、天才にやる気を出させる術、そしてジョン・フォン・ノイマンの経歴。本書を読むとそういった一連のあれこれについて考え直さざるを得なくなる。ほんの少しだけだが、内容の一部を引用しておこう。機会があればまた話題にするかもしれない。

ビゲロー(Julian Bigelow)は1943年にMIT(マサチューセッツ工科大学)を去り、その後はウォーレン・ウィーバーからの誘いもあって国家防衛研究委員会(NDRC)に設置された応用数学パネル統計研究グループの一員に加わることになる。コロンビア大学の後援を受けたそのグループには全部で18名の学者(数学者および統計学者)―――何名か名前を挙げると、ジェイコブ・ウォルフォウィッツハロルド・ホテリングジョージ・スティグラーエイブラハム・ワルド、そして(しばらくして経済学者に転身することになる)ミルトン・フリードマン――が集った。このグループは戦時下で巻き起こる様々な問題に取り組んだが、例えば次のような質問とともに議論が開始されるのが常だった。「戦闘機に12.7ミリ重機関銃(ブローニングM2重機関銃、通称「キャリバー50」)を8丁搭載するか、それとも20ミリ機関砲を4丁搭載するか。どちらにすべきでしょうか?」

フランシス・スパフォード(Francis Spufford)による書評はこちらだ。お薦めだ。

マーク・ソーマ 「経済モデルの意外な起源 ~戦争に起源を持つ経済モデルといえば?~」(2012年2月28日)

●Mark Thoma, ““Economics and Its Military Patrons””(Economist’s View, February 28, 2012)


ジュディ・クライン(Judy Klein)がインタビューの中で経済モデルの起源(+その他の話題)について次のように語っている1

・・・(略)・・・私が自らの研究を通じて驚かされたことは、経済学の分野で当たり前のように使われているモデルの多くが戦争にその起源を持っており、コンピュータの計算資源の稀少性が制約となってモデルの構築戦略が一定の方向に方向付けられることになったという事実です。フリードマン(Milton Friedman)やケーガン(Phillip Cagan)の名前と結び付けられることの多い「適応的期待」にしても、ボックス(George E. P. Box)とジェンキンス(Gwilym Jenkins)がその後時系列分析の分野で一般化を試みた「指数加重移動平均」(EWMA)にしても、その起源はB-17(戦略爆撃機)に搭載された(自動操縦装置(アナログ計算機)と連動していた)照準器と爆撃手との間でやり取りされる情報フローをどうにかしてモデル化しようとした第二次世界大戦中の試みに求められるのです。「合理的期待」はデジタル計算機の時代の産物です。リチャード・ベルマン(Richard Bellman)の「動的計画法」もそうですね。動的計画法は1940年代後半に空軍が抱えていた問題を解決しようと試みられる過程で磨き上げられることになりました。ソ連内にある競合する標的に向かって多段階(異時点間)にわたって核攻撃を行うとした場合に稀少な核爆弾をどのように割り振るのがベストか?という問題を解く過程で動的計画法に磨きがかけられることになったのです。  

私がLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で大学院生として経済学を学んだのは1970年代初頭に遡りますが、その当時学んだ最先端のモデルのあまりに多くが戦争に起源を持っていると知った時は驚いたものです。「適応的期待」然り、(線形計画問題を解く手法の一つである)「シンプレックス法」然り、「数理計画法」全般然りです。

カーネギー工科大学と政府(軍部)との間では10年にもわたる業務契約が結ばれ、そのようなかたちで政府の支援を受ける中で(カーネギー工科大学の経済学部に在籍していた教授やそこで学んだ大学院生たちの手によって)あれこれのモデルが磨き上げられることになったわけですが、その過程では政府介入に「ノー」を唱えるタイプのモデル(消費者は合理的であり、それゆえ雇用の増加を目的とした政府の介入は不必要なばかりか有害でさえある、との結論が導き出されるノーベル経済学賞受賞対象ともなった一連のモデル)ばかりが続々と生み出されることになったというのは何とも皮肉な話であり、驚きを禁じ得ませんね。

  1. 訳注;もっと詳しい話は次の論文を参照。 ●Judy Klein, “The Cold War Hot House for Modeling Strategies at the Carnegie Institute of Technology” []

マーク・ソーマ 「経済学者はいかにして第二次世界大戦でのアメリカの勝利に貢献したか? (その2)」(2011年6月12日)

●Mark Thoma, “How US Economists Won World War II”(Economist’s View, June 12, 2011)


デビッド・ウォーシュ(David Warsh)がFRB議長の候補者選びをめぐる騒動に絡めてジム・レイシー(Jim Lacy)の『Keep From All Thoughtful Men』を引き合いに出している。

———————————(引用ここから)———————————

Kept from All Thoughtful Men” by David Warsh:

先週のことだが、ピーター・ダイアモンドが・・・(略)・・・FRB議長の候補者レースから身を引く意向を示した。このようなかたちで決着がつくまでにどのような紆余曲折があったかよく御存知の方もいることだろう。話は昨年に遡る。ホワイトハウス(オバマ大統領)はダイアモンドをFRB議長に指名したが、そのような動きに対して真っ向から「ノー」を唱えたのはアラバマ州選出の上院議員であり、米上院銀行委員会の共和党側の急先鋒であるリチャード・シェルビー。ダイアモンドは・・・(略)・・・金融政策の専門家ではない、というのが反対理由だった。オバマ政権の経済政策に対して共和党側から横槍が入る例はこれまでに何度も見られたが、ダイアモンドのFRB議長指名をめぐるひと悶着もそのような小競り合いの一つだ。そんな中、昨年の秋(2010年10月)にダイアモンドにノーベル経済学賞が授与される運びとなった。・・・(略)・・・サーチ理論(特に労働市場におけるサーチ(職探し)に伴うコスト)の研究で際立った功績を残したことが讃えられての受賞だった。そしてホワイトハウス(オバマ大統領)は再度ダイアモンドをFRB議長に指名する意志を固め、残すは議会の判断待ちということになったのである。

どういう展開が待っていたか? 共和党所属の上院議員たちはダイアモンドのFRB議長就任を阻止するためにこれまで以上に頑なに抵抗したのである。

・・・(中略)・・・

今回の騒動はその道の専門家(学者)と政治権力とが真っ向からぶつかった事例の一つと言えるわけだが、過去にも似たようなエピソードがあったことを思い出す。さて、ここでようやく登場するのがジム・レイシー(著)『Keep From All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II』だ。本書では専門家と政治権力(正確には軍事権力)との間で繰り広げられたぶつかり合いの一部始終が描き出されているのだ。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「経済学者はいかにして第二次世界大戦でのアメリカの勝利に貢献したか? (その1)」(2011年6月20日、2012年7月15日)

●Tyler Cowen, “*How U.S. Economists Won World War II*”(Marginal Revolution, June 20, 2011)


今回のエントリーのタイトルはジム・レイシー(Jim Lacey)による新著(『Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II』)の副題を拝借したものだ。内容の一部を引用しておこう。

第二次世界大戦が勃発するほんの50年ほど前の段階では米政府内でポストを与えられて働くことが許されていた経済学者はわずか一名しかおらず、その一名は「経済鳥類学者」(“economic ornithologist”)の資格で公職に就いていた。第一次世界大戦を契機としてワシントンにある「政策の現場」で働く経済学者の数はいくらか増えはしたものの、彼ら(政府内で働く経済学者たち)の影響力は依然としてごくごく限られたものだった。価格統制や物資の輸送といった問題についてアドバイスを送る程度の仕事しか与えられておらず、戦時動員計画の立案にはほとんど何の影響も持たなかったのである。何百という単位の(そしてゆくゆくは何千という単位の)数の経済学者の群れがワシントンにある「政策の現場」になだれ込むきっかけを作ったのは大恐慌である。第二次世界大戦が勃発する頃までには、連邦政府内で働く経済学者の数は5000名近くにまで膨れ上がっていたと推計されている。

デビッド・ウォーシュ(David Warsh)による本書の書評はこちらを参照1

個人的には読んでいて退屈に感じる部分もあったが、大いにためになる箇所にも何度もぶつかった。全体的な評価としては「一読の価値あり」ということになるだろう。戦時動員は米国内の消費者に対して意外なほどわずかな負担しかもたらさなかった(その多くは耐久財の購入を先延ばしせざるを得なくさせられるというかたちをとって表れた)、というのが本書でのレイシーの評価だ。この点はヒッグス(Robert Higgs)の評価とは真っ向から対立するところだ。

「経済鳥類学」2の第一人者の簡潔な評伝はこちら(pdf)を参照。私も初耳だったのだが、「経済鳥類学」の実地試験が試みられた前例があるとのことだ。

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●Tyler Cowen, “*Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II*”(Marginal Revolution, July 15, 2012)


クリフトファー・タサヴァ(Christopher Tassava)がレイシーの『Keep from All Thoughtful Men: How U.S. Economists Won World War II』に対する優れた書評を物している。その一部を引用しておこう。

・・・(略)・・・著者のレイシー(元米陸軍将校であり、現在は軍事評論家として活躍中)は本書の中で文民の経済専門家と軍人スタッフとの間で繰り広げられた(官僚機構内での)激しいぶつかり合いを描き出している。ヨーロッパで戦争(第二次世界大戦)の火蓋が切って落とされた段階ではアメリカ経済はまだ戦争の準備ができていなかった。戦争に本気で足を踏み入れるためには軍需品の生産に相当量の資源を振り向ける必要があったが、アメリカ経済を一体どこまでそのような方向に向かわせることができるか? 十分な量の軍需品の生産に漕ぎ着けることが仮に可能だとしてそこまでたどり着くにはどのくらいの時間がかかるか? 文民の経済専門家と軍人スタッフとの間ではこの問題をめぐって激しいぶつかり合いが生じたのである。レイシーが本書で跡付けるストーリーの中心にいるのは3名の経済学者だ(本書の中で明らかにされるように、この3名の経済学者はアメリカ経済が備える軍事への対応力を前もって正確に言い当てていた)。そのうちの一人は有名だ。サイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)である。残りの2名はその名もほぼ忘れ去られようとしている。ロバート・ネイサン(Robert Nathan)とステイシー・メイ(Stacy May)である。

レイシーが公文書や二次史料を巧みに駆使して描き出しているように、クズネッツ&ネイサン&メイのトリオは官僚機構の内部に集った少数の文民(の経済専門家)グループの協力を得つつ社会科学の手法(とりわけ統計学的な手法)を使って将来の予測――アメリカ経済の成長余力はどのくらいか? アメリカ経済が成長の限度にまで達するにはどのくらいの時間がかかりそうか? アメリカ経済は米軍や連合軍のために軍需品をどれだけ供給することができそうか?――に乗り出した。「『民主主義の兵器廠』(“arsenal of democracy”)たるアメリカがヨーロッパ戦線に本格的に参戦する上で十分なだけの軍需品の生産に漕ぎ着けることができるのはいつか? それは1944年6月だ3」。レイシーが説得力ある書きぶりで跡付けているように、クズネッツ&ネイサン&メイのトリオは1942年後半の段階――真珠湾攻撃からちょうど1年が経過するよりも前の段階――でそのように予測していたのである。

  1. 訳注;ウォーシュの書評の一部を訳出したのが次の記事。 ●マーク・ソーマ 「経済学者はいかにして第二次世界大戦でのアメリカの勝利に貢献したか? (その2)」経済学101, 2017年2月19日) []
  2. 訳注;「経済鳥類学」というのは鳥が人間社会の日常生活(特に農業や園芸、スポーツなど)といかなる関わりを持っているかを調査する学問分野を指しているようだ。詳しくは(文中で言及されている論文に加えて)次の論文を参照。 ●Theodore S. Palmer, “A Review of Economic Ornithology in the United States”(pdf) []
  3. 訳注;1944年6月というのはノルマンディー上陸作戦が決行されたタイミングにあたる。 []

アレックス・タバロック 「キスの科学 ~ヒトはなぜ口づけを交わすのか?~」(2016年2月14日)

●Alex Tabarrok, “Why Do We Kiss?”(Marginal Revolution, February 14, 2016)


キスは男女のカップルが未来の伴侶(結婚相手)を探す手助けをする。特に女性は付き合いはじめの段階で交わされたキスに高い価値を置いて相手(彼氏)が自分の伴侶にふさわしいかどうかの判断材料にする傾向にある。唾液には各種のホルモンや化合物が大量に含まれている。キスは唾液の交換を通じて相手が自分の伴侶としてふさわしいかどうかを「化学的」に見定めるヒントを与えてくれる可能性があるのだ。生物学的な要因が暗躍を始めるのはここだ。

・・・(略)・・・ある試算によると、男女がキスをしている最中には、9ミリリットルの水分に0.7ミリグラムのたんぱく質、0.18ミリグラムの有機化合物、0.71ミリグラムの脂質、0.45ミリグラムの塩化ナトリウム、そして1000万~10億匹に上るバクテリア(細菌)が二人の間で(唾液を介して)交換されるという。

付き合ってはじめて交わした「最初のキス」を相手が未来の伴侶としてふさわしいかどうかを見定める判断材料とする。そう答えがちなのは男性よりも女性だ。「生物学的」には相性がよくても相手のキスが下手だと感じられた場合にはどういうことになるのだろうか? ブウォダルスキ(Wlodarski)教授は「生物学的な相性」と「キスの感想」とを切り離すことは難しいと答えつつ次のように語る。「あくまでも推量でしかありませんが、相手の口の臭いが合わなかったのでキスが下手だという感想を持つに至るのかもしれませんね」。女性は男性よりも伴侶選びに慎重にならねばならない理由がある。女性の方が伴侶選びで下手をこいてしまった場合のコスト(負担、痛み)が大きいからだ(例えば、妊娠9ヶ月での早産を余儀なくされたり、というように)。ブウォダルスキ教授はさらにそう付け加える。

・・・(略)・・・口と口をしっかりとくっつけて(時に舌も絡ませながら)口づけを交わす風習はあらゆる文化で見られるわけではない。ブウォダルスキ教授によると、現代のそれも西洋に特有の(おそらくは2000年くらいの歴史しかない)風習らしい。2015年に公けにされた研究によると、調査対象となった文化のうちで性的な行為として口づけが交わされているケースは全体の半分にも満たなかったということだ。

文字として残されている歴史に話を限ると、過去においては互いに顔や鼻をこすり付けたり、互いに近寄って匂いをかぎあうのがキスに相当する性的な行為だったことを示す証拠がある。口づけは相手の魂を吸い取る行為として記されているヴェーダ語の古い文書も残っている。

全文はこちらを参照。

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タイラー・コーエン 「『あなたは私のことをモノ扱いしてるのよ』 ~バレンタインデー当日のとある風景~」(2006年2月15日)

●Tyler Cowen, “Randian Valentine’s day rhetoric”(Marginal Revolution, February 15, 2006)


「あなたは私のことをモノ扱いしてるのよ」。

彼女はそう言い放った。

・・・(略)・・・彼女をモノ扱いする。彼女のことを僕の所有物のように扱う。それって一体どういうことなんだろうか? (自分の所有物に対するのと同じように)彼女のことに気を配り、一生懸命守ろうとする。赤の他人が手にしているモノなんかよりもずっと大事に扱う。そういうことになるんじゃないか?

自然と幸せな気持ちに傾きかけていたその時、彼女の顔を見て気付かされた。彼女の表情から判断するにどうやら僕みたいに幸せじゃないようなのだ。

あっ! そうか! 僕は間違っていたみたいだ。誰もが自己を所有しているのだ。誰もが自己の持ち主なのだ。その点は僕も彼女も同じなんだ。でも、まあそれはそれとして彼女のことをモノ扱いしているという点は受け入れるとしよう。まだ非常に重大な問題が控えているぞ。

そこまで考えを巡らせた末に僕はこう答えた。

「モノというけれど、みんなのモノ(公有財産)っていう意味? それとも誰か一人だけのモノ(私有財産)っていう意味?」

全文はこちらを参照。

タイラーコーエン 「『チョコレート債』はいかが?」(2010年5月26日)/「私を食べて♡」(2013年2月26日)

●Tyler Cowen, “Bond markets in everything”(Marginal Revolution, May 26, 2010)


イギリスの高級チョコレート専門店であるホテル・ショコラ(Hotel Chocolat)――イギリス国内だけにとどまらず中東やアメリカにも進出しており、今のところ世界で40店舗以上が店を構えている――が事業拡張に乗り出す意向を示している。そのために必要となる資金は従来のように銀行や大手投資家から調達するのではなく、同社の顧客に債券を販売することで賄う予定だという。その債券では利息として(現金ではなく)「チョコレート」が支払われることになるという。

今回発行される予定の「チョコレート債」は2種類あり、いずれも利息として同社の箱詰めチョコレートが支払われることになる。額面が2000ポンドの「チョコレート債」の保有者には利息として年あたり6箱の箱詰めチョコレート(ポンドに換算すると、107.70ポンドに相当)が支払われ、額面が4000ポンドの「チョコレート債」の保有者には利息として年あたり13箱の箱詰めチョコレート(ポンドに換算すると、233.35ポンドに相当)が支払われることになる。いずれの債券も年利は5.38%という計算になる。債券が発行されてから3年が経過すると、記念日ごとに債券の買い戻し(元本の償還)に応じるという。3年が経過した後も債券を保有し続けることを選んだ顧客にはそれまで通り(利息として)箱詰めのチョコレートが送り届けられるということだ。

全文はこちらだ。この話を教えてくれたEric John Barkerに感謝。

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●Tyler Cowen, “Markets in everything the culture that is Japan there is no great stagnation”(Marginal Revolution, February 26, 2013)


自分のグミの「レプリカ」(複製)を作ってそれを食べることもできる。味もなかなかおいしそうに見える。

日本(東京都渋谷区)にあるFabCafeでは自分そっくりに見える複製を作るサービスを提供している。お値段はおよそ65ドル(6000円)。3Dスキャナーを使って自分の体の型をとり、その型をもとにしてグミを作る。色付けの選択肢も多彩だ。FabCafeは「自分の顔チョコ」作りのサービスも行っている。自分のレプリカ作りのサービスは元々はホワイトデー用に始められたようだ(アジアの国々ではホワイトデーというのがある。バレンタインデーみたいなものだが、女性が男性にプレゼントを贈るらしい1。驚くばかりだ)。

全文はこちらだ(実物の画像も見れる)。この話を教えてくれたRob Raffetyに感謝。

  1. 訳注;ここは勘違い。言うまでもなく、ホワイトデーには男性が女性にプレゼントを贈る(バレンタインデーのお返しをする)習わしになっている。「アジアの国々ではバレンタインデーの日に女性が男性にプレゼントする決まりになっているらしい」と書くべきだったと思われる(海外だと一部の国を除いて特にそういう決まりはない)。 []

タイラー・コーエン 「『アポロの天使』 ~バレエの盛り上げ役を買って出たケインズ~」(2010年12月18日)

●Tyler Cowen, “*Apollo’s Angels: A History of Ballet*”(Marginal Revolution, December 18, 2010)


ジェニファー・ホーマンズ(Jennifer Homans)による『Apollo’s Angels: A History of Ballet』(『アポロの天使:バレエの歴史』)は今年(2010年)出版されたノンフィクションの中でも最も優れている作品の一つだ。文章も流麗だし、細かいところまでよく調べ尽くされている。経済学者の多くが強く興味を覚えるであろう箇所を以下に引用しておくことにしよう。

ロシアバレエに魅せられた数多くのバレエ愛好家の中でもイギリスのバレエの行く末を左右する上で中心的な役割を果たすことになった人物と言えば、ジョン・メイナード・ケインズをおいて他にないだろう。ケインズと言えば20世紀を代表する傑出した経済学者として人の口に上るのが通常だが、ケインズはクラシックバレエに深い関わりを持った人物でもあった。ケインズはイギリス国内でのバレエの振興に力を注いだキープレーヤーの一人でもあったのだ。

・・・(中略)・・・

ケインズにとっては・・・(略)・・・クラシックバレエは青春時代の彼とともにあった今やもう失われつつある文明を象徴するシンボルとしての意味合いをますます強めるばかりであった。・・・(略)・・・ケインズは妻の(バレリーナでもある)リディアの協力を得ながらオペラや絵画、ダンスの支援のために自らの持てる才能と財力の限りを尽くしたのであった。それも政治・経済問題の解決に向けて世界を舞台に獅子奮迅の働きを見せていた真っ最中にである。

ブルームズベリーにあるケインズ夫妻の住まいは(リディアの友人である)著名なバレリーナが一同に集う集会所のようになっていたが、時とともにバレエをアートとして高く評価するアーティストや知識人たちもその輪に続々と加わるようになっていった。・・・(略)・・・1929年にセルゲイ・ディアギレフが亡くなると、ケインズはバレエ愛好家の仲間たちと一緒になってカマルゴ協会の立ち上げに協力した。カマルゴ協会の目的は二つあった。ディアギレフの功績を後世に伝えること、そして「イギリスバレエ」の創造に貢献することである。カマルゴ協会は短命の組織ではあったものの強い影響力を誇った組織だった。妻のリディアはカマルゴ協会の創設メンバーに名を連ね、協会が制作した作品に何度もバレリーナとして出演した。・・・(略)・・ケインズはカマルゴ協会の名誉会計の地位に就いていた。

ケインズは1930年代半ばにケンブリッジ芸術劇場の建設にも一肌脱いでいる。その建設費用の多くはケインズが私財を投じて賄われたのであった。・・・(略)・・・イギリス経済が不況のどん底であえぐ中、ケインズのアートに対する関心は政治的な色合いをますます強めていくことになる。ケインズは1933年にこう書いている。「戦争(第一次世界大戦)が終わってからこれまでの間に莫大な額の失業手当の支払いを余儀なくされたわけだが、それだけのお金があればイギリスの都市を人類がこれまでに作った作品の中でも世界で最高の作品に仕上げることができたに違いない」。

ところで、つい最近『ブラック・スワン』を映画館で観てきたばかりだ。あれやこれやの作品がごちゃまぜになっている感じがしたし、胸糞が悪くなるような場面もいくつかあった。看過できない間違いも散見された。とは言え、大変面白かった。『ウィンターズ・ボーン』、(イスラエル映画の)『レバノン』 、(エグいところはあるが出来そのものは素晴らしいデンマーク映画の)『ヴァルハラ・ライジング』と並んで今年(2010年)公開された映画の中でも個人的に好きな作品の一つだ。

『白鳥の湖』のCDはミハイル・プレトニョフが指揮してロシア・ナショナル管弦楽団が演奏したものを収録した作品がお気に入りだ(2010年に発売されたクラシックCDの中でも一番のお気に入りだ。このCDは色々と物議を醸しているようだが、とりあえずこちらの優れたレビューを紹介しておこう)。プレトニョフと言えば少年への暴行容疑でタイ警察に捕まっていたが、特に罪に問われることもなく無事に釈放されたようだ。