経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

デビッド・ベックワース 「歴史の偶然の産物としての金本位制」(2014年3月5日)

●David Beckworth, “The Gold Standard Was an Accident of History”(Macro Musings Blog, March 5, 2014)


ルイス・レアマン(Lewis E. Lehrman)著の『Money, Gold, and History』の書評をナショナル・レビュー誌に寄稿したばかりだ。本書はレアマンがこれまでにあちこちで発表してきたエッセイを一冊にまとめたものであり、「国際的な金本位制へ直ちに復帰せよ!」というのが中心的な主張となっている。レアマンは金本位制の歴史についてかなり楽天的な見方に立っており、金本位制は今でもうまく機能すると考えているようだ。確かに1870年から1914年まで続いた古典的な金本位制に話を限ると比較的うまい具合に機能していたが、通貨としての「金」(ゴールド)の歴史はレアマンが本書の中で描いているよりもずっと微妙で複雑なものだ。私の書評の中からその点を突いている箇所を引用しておくとしよう。 [Read more…]

デビッド・ベックワース 「金本位制をめぐる反実仮想」(2010年9月14日)

●David Beckworth, “A Counterfactual Quesiton”(Macro Musings Blog, September 14, 2010)


タイラー・コーエンが自身のブログダグラス・アーウィン(Douglass Irwin)の興味深い論文を紹介している。仮にアメリカやフランスが自国に大量に流入してきた金を不胎化しなかったとすれば(金の流入に伴って生じるマネタリーベースの拡大をそのまま放置していたとすれば)、正貨流出入メカニズムがその魔力を存分に発揮して世界経済は1929年~1933年の破壊的なデフレーションを避け得たに違いない。アーウィンの件の論文ではそのような反実仮想的な(counterfactual)思考実験が試みられている。似たような議論はこれまでにもなかったわけではない。特に金本位制の支持者の間から次のような主張が語られるのをしばしば耳にするものだ。曰く、金本位制それ自体に問題があったわけではない。アメリカやフランスの金融政策当局が国際金本位制の「ゲームのルール」に従わなかったことに問題があるのだ(アメリカやフランスの金融政策当局は「ゲームのルール」を忠実に守って金の流入を不胎化すべきではなかったのだ)、と。いい機会だから私もアーウィンに倣って反実仮想的な思考実験を試みてみるとしよう。仮に国際金本位制の「ゲームのルール」が守られていたとしたら、その結果として1930年代の大恐慌が回避されていたとしたら、その後の歴史はどう変わり世界の現状はどうなっていることだろうか?

おそらく千通りもの異なる可能性があり得ることだろう(ピーター・テミン(Peter Temin)&バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)の二人(pdf)が主張しているように、仮に国際金本位制の「ゲームのルール」が守られていたとしたらナチスがドイツで権力の座に上り詰めることもなかっただろうというのもそのうちの一つだ)。数ある可能性の中でもここでは一つの可能性に焦点を絞ってみたいと思う。金本位制が今もなお続いているという可能性がそれだ。もしそうなっていたとしたら戦後の貨幣史はどのように書き換えられることになっていただろうか? 1970年代のグレート・インフレーション(Great Inflation)は回避されていただろうか? もしも回避されていたとしたらポール・ヴォルカー(Paul Volker)は今そうであるように伝説のセントラルバンカーとして歴史に名を刻むようなことにはなっていなかったことだろう(彼が立ち向かうべきインフレという名の怪物がどこにもいないという話になるのだから)。金本位制が今もなお続いていたとすれば、2000年代の住宅バブルの発生にFedが手を貸すようなこともおそらくなかっただろう。金本位制が今もなお続いていたとすれば、Fedは今よりもこじんまりとしていてFedの議長の重要性は今よりも低いものとなっていることだろう(「マエストロ」の異名を持つ議長なんてどこにも見当たらないことだろう)。金本位制が今もなお続いていたとすれば、FOMCの会合でどんな決定が下されるだろうと勘ぐる必要もなくなることだろう(Fedの決定の多くは金本位制を通じて自動的に方向付けられることになるのだから)。金本位制が今もなお続いていたとすれば、「上院は何をぐずぐずしているんだ。大統領が指名したFedの新しい理事候補をさっさと承認すればいいのに」とやきもきする必要もなくなることだろう(誰が理事になろうと大勢に影響はないのだから)。つまりは、金本位制が今もなお続いていたとすれば、金融政策の行方をめぐって色んな意味で現状よりも見通しがよくなる可能性があるわけだ。その一方で、「金本位制が今もなお続いていたとすれば」という反実仮想――国際金本位制がうまく機能するようにすべての国が「ゲームのルール」に従い続けるという可能性――を信ずべき理由がないことも確かだ。貨幣需要ショック(貨幣に対する需要の突発的な変化)が起こったとしよう。その場合、金本位制の「ゲームのルール」に従うのであればそれと引き換えに痛みを伴う国内物価の調整を受け入れる必要があるが、一体いつまでそのような調整を政治的に耐え忍ぶことができるだろうか? いつまででも? その点はよくわからないところだ(物価調整の必要に頻繁に迫られるようであれば名目価格の伸縮性は高まることにはなるだろう)。つまりは、金本位制が続いていたとしたらどこかの時点で1930年代と同じような苦難に見舞われることになる可能性も十分に想定し得るわけなのだ。

デビッド・ベックワース 「第一次世界大戦の見過ごされがちな遺産 ~再建金本位制とヒトラーの台頭~」(2014年7月28日)

●David Beckworth, “The Other Important Legacy of World War One”(Macro Musings Blog, July 28, 2014)


第一次世界大戦がその幕を開いたのはちょうど100年前の今日(1914年7月28日)のことである。100周年ということもあって第一次世界大戦それ自体についてばかりではなく、あの戦争がその後の時代にどのような影響を及ぼしたかについてもあちこちで議論が沸騰している。NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)で放送されているOn Pointでもちょうど第一次世界大戦がテーマとして取り上げられており、移動のついでに先ほどまでずっと耳を傾けていたところだ。番組の司会を務めるのはトム・アシュブルック(Tom Ashbrook)。歴史家をはじめとした複数の専門家に話を聞くという作りになっているが、大変面白い内容で多くの事を学ぶことができた――例えば、現在の中東やウクライナが抱える問題の根源の一部は第一次世界大戦後に着手された国境線の画定にまで遡れるらしい――。移動のお供としてこれ以上のものは望み得なかったことだろう。

ところで、指摘しておきたいことがある。上で紹介した番組でもそうだったし、第一次世界大戦開戦100周年に絡めて語られるその他多くのコメントのどれにしてもそうなのだが、第一次世界大戦が国際通貨制度に刻み付けた重要な遺産のことがすっかり見過ごされているのだ。第一次世界大戦は1870年から1914年まで続いた国際金本位制(古典的な金本位制)を粉々に破壊することになったが、終戦を迎えるや世界各国は相次いで再び金本位制に復帰した。1914年以前までの国際金本位制は比較的うまい具合に機能していたが、戦後に再建された国際金本位制は大きな欠陥を抱えていた。1930年代の大恐慌(Great Depression)があれほど深刻なものとなり世界中を巻き込む国際的な現象ともなった原因は再建金本位制にある多くの論者〔拙訳はこちら〕が口々に語っているものだ。それだけではない。1930年代の大恐慌はドイツにおいてナチス党を権力の座に押し上げる重要な触媒の役割を果たしたと語る歴史家もいる。例えば、バリー・アイケングリーン(Barry Eichengreen)&ピーター・テミン(Peter Temin)の二人は共著論文(pdf)の中で次のように語っている。 [Read more…]

ラルス・クリステンセン 「現在にこだまする1930年代の忌まわしい記憶」(2015年11月24日)

●Lars Christensen, “The very unpleasant echo from the 1930s”(The Market Monetarist, November 24, 2015)


「危機だ! 危機が迫っている!」と騒ぎ立てる「警告屋」だけにはなるまい。必死にそう自制しているわけだが、どうしても認めねばならないことがある。現状(2015年11月現在)においてはいいニュース(ポジティブなニュース)なんてどこを探してもほとんど見当たらないのだ。「金融政策の失敗」(とその結果としての「経済の低迷」)に「政治の世界における過激派の台頭」(トランプにオルバーン・ヴィクトル(ハンガリー首相)、レジェップ・タイイップ・エルドアン(トルコ大統領)、ISIS等々の台頭)、そして「地政学的な緊張の高まり」。これら3種類の「お酒」(事態)が混ぜ合わさって出来た何とも忌まわしい「カクテル」。最終的に第二次世界大戦へと行き着いた1930年代の忌まわしい記憶を思い出させる「カクテル」。そんな「カクテル」が目の前に突きつけられている今日この頃なのだ。

「大不況」(Great Recession)に見舞われてからというもの世界経済の低迷が長らく続いているが(私見では、世界経済の低迷をもたらしている原因の大半は「金融政策の失敗」にある)、世界経済の低迷は欧米の政治の世界で過激派(ギリシャにおけるスィリザ(急進左派連合)黄金の夜明け党、ハンガリーにおけるオルバーン・ヴィクトル首相、アメリカにおけるトランプ等々)の台頭を招く原因となっているとともに、民主主義諸国の内部において政治的な分断を加速させる原因ともなっているというのが私のかねてからの仮説だ。

人気が高まっているのはドナルド・トランプのような右派のポピュリストだけではない。例えばフランスやベルギーでは移民の若者たちの間でISISのようなイスラム過激派組織の人気が高まっている。民主主義という政治体制の魅力が薄れることになれば、その間隙を突いて過激派やポピュリストが躍進することになりかねないのだ。

こういった問題が地政学的な緊張として表出しているのがウクライナ情勢でありシリア情勢だ(ある面では南シナ海情勢もそうだ)。経済の低迷が続くと保護主義に人気が集まる1だけではなくやがては戦争の魅力(大衆への訴求力)も高まっていくことになるのだ。

遺憾ではあるが、現状と1930年代との類似点はあまりにも明らかだ。深読みのし過ぎは禁物だが、以下に類似点をまとめてみたのでご覧いただきたいと思う。

  • スペイン内戦〔1930年代〕 vs シリア騒乱〔現在〕: どちらのケースでも独裁的(権威主義的)な体制を敷く外国の政府が直接的ないしは間接的に内戦に関与している(スペイン内戦のケースではスターリン(ソ連)にヒトラー(ナチス)、シリア騒乱のケースではエルドアン(トルコ大統領)にプーチン(ロシア大統領))
  • 金本位制〔1930年代〕 vs ユーロ〔現在〕2
  • ポピュリストや過激派の台頭:共産主義者、ナチス、ファシストの台頭〔1930年代〕 vs スィリザ(急進左派連合)、黄金の夜明け党、ヨッビク党、オルバーン・ヴィクトル(ハンガリー首相)、トランプ、ISISといった勢力の台頭、ヨーロッパにおける分離独立運動の盛り上がり、反移民感情の高まり〔現在〕
  • 民主主義の弱体化(失敗?):ワイマール共和国〔1930年代〕 vs ヨーロッパ全土が陥っている政治的な分断〔現在〕(現在のヨーロッパでは支持基盤が脆弱な(少数与党が政権を担う)少数与党政権が乱立しており、そのような政権には経済面で本格的な改革に乗り出すだけの「政治力」(“political muscle”)が欠けている)

あまりにも人騒がせな「警告屋」のように見えるかもしれないが、上で列挙した類似点を無視するということは歴史の教訓に目を塞ぐことを意味することになろう。とは言え、「歴史は繰り返す」と言いたいわけではない(そうならないことを祈るばかりではあるが、真意は別のところにある)。現状と1930年代との類似点を見落としてしまうようであれば、事態は今よりも悪化する一方になるに違いない。そう言いたいのだ。

(追記)今回のエントリーで取り上げた話題に関する実証的な証拠をお探しのようなら、マヌエル・フンケ(Manuel Funke)&モリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)&クリストフ・トリベシ(Christoph Trebesch)の三人がVOXに寄稿している大変優れた論説(“The political aftermath of financial crises: Going to extremes”(「金融危機の政治的帰結:過激化する大衆」)をご覧になられるといいだろう3

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●バリー・アイケングリーン&ダグラス・アーウィン 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日) []
  2. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●アイケングリーン&テミン 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」(2014年9月24日) []
  3. 訳注;本サイトで訳出されている次の記事もあわせて参照されたい。 ●ド・ブロムヘッド&アイケングリーン&オルーク 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」(2013年11月19日) []

ラルス・クリステンセン 「名目GDPの急落は経済的な自由の縮小を招く?」(2015年10月29日)

●Lars Christensen, “A sharp drop in Nominal GDP will cause a drop in Economic Freedom”(The Market Monetarist, October 29, 2015)


先週のことになるが、テキサス州ダラスにある南メソジスト大学に足を運んで2回にわたって講演を行ってきた。色々と貴重な体験をさせてもらったが、中でもライアン・マーフィー(Ryan Murphy)と一緒に過ごした時間は大変有意義なものだった。マーフィーは南メソジスト大学付属の「グローバル市場&自由の先端研究のためのオニールセンター」で助教(Research Assistant Professor)を務めている。マーフィーとは彼も共著者の一人となっているつい最近書き上げられたばかりの論文をネタにして話が盛り上がったものだ。

その論文とは “Aggregate Demand Shortfalls and Economic Institutions”(「総需要不足と経済制度」)。総需要の急落は政治にまつわる(大衆の)ムードや感情に変容を引き起こし、それに伴って政策当局者をして経済的な自由の縮小につながる一連の政策へと駆り立てる。この論文の仮説をまとめるとそうなるだろう。

私もかねてから似通ったことを主張してきたものだ。中央銀行が名目支出(総需要)の伸びを「正常な軌道」に乗せることに失敗してしまうとその結果としてポピュリストを待望する感情が大衆の間で盛り上がりを見せることになりかねない。そうなれば筋悪な政策が矢継ぎ早に採用されてマクロ経済の供給サイド(潜在的な生産能力)によからぬ影響が及びかねない。かねてからたびたびそう主張してきたものだ。

冒頭で指摘したようにこの論文の著者の一人はマーフィーだが、残すもう一人の著者はテイラー・リーランド・スミス(テキサス工科大学)。論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

総需要の不足が観察される時期にはしばしば政治情勢が不安定化し、短期的にとどまらず長期的にも経済制度に何かしらの影響が及ぶことになる。景気後退への政策対応に誤ってしまうとやがては自由な経済制度に有害な影響が及んでしまいかねない。かねてからそのように憶測されてきている。本論文では経済制度の自由度を測る指標として「世界における経済的自由度指数」(EFW)を利用しているが、本論文での検証結果によると(名目GDP成長率がマイナスを記録するというかたちで)総需要不足が発生するとその後の5年間、10年間、15年間のいずれの期間を通じても(EFWで測った)経済的自由度が低下する(経済的な自由が縮小する)傾向にあることが見出された。以上の関係性はEFWの中から金融政策絡みの変数(インフレ率が低位で安定しているかどうかを測った「健全通貨度」)を取り除いたとしても依然として(概ね)成り立つが、経済制度の自由度を測る指標としてEFWの代わりに貿易開放度の値を用いた場合には成り立たないことも見出されている。

大変優れた論文であり、「金融政策の失敗」と「経済的な自由」との間のつながりを分析するための非常に革新的なアプローチを提案している論文。私にはそう思われる。

「1930年代も是非とも分析対象に加えるべきだ」。マーフィーに直接そう伝えたものだ。1930年代においてもまったく同じようなメカニズムが働いていたことが見出されるに違いないと考えたからだ。ただ一つだけ問題がある。「世界における経済的自由度指数」(EFW)では1930年代はカバーされていないということだ。

マイルズ・キンボール 「今日の一言 ~『官僚制の発展+金本位制=?』~」(2014年7月30日)

●Miles Kimball, “Untitled”(Confessions of a Supply-Side Liberal, July 30, 2014)


「20世紀、それは官僚制が大いに発展を遂げた時代であり、それに伴って国家(政府)に備わる潜在的な力が大いに高まった時代であった。それに加うるに金本位制。金本位制の足枷のために短期的な景気安定化の手段として金融政策には頼れない。その結果として待ち構えていたのはケインズ的な状況1の頻発。(官僚制の発展に支えられて)国家(政府)に備わる潜在的な力が高まる中でのケインズ的な状況の頻発。そのような中で人々はファシズムや社会主義をはじめとした計画経済を志向する諸思想に惹きつけられていくことに。その先に何が待っているのかよくわかりもせぬままに。」— マイルズ・キンボール

  1. 訳注;おそらくは総需要不足を原因とする不景気という意味 []

タイラー・コーエン 「ファシズムについて学ぶ」(2017年2月10日)

●Tyler Cowen, “What I’ve been reading about fascism”(Marginal Revolution, February 10, 2017)


ファシズムがテーマの書籍を読み漁っているところなのだが、感想を述べがてら何冊か紹介するとしよう。

1. ルーシー・ヒューズ=ハレット(Lucy Hughes-Hallett)(著)『The Pike: Gabriele d’Annunzio Poet, Seducer and Preacher of War』(邦訳『ダンヌンツィオ――誘惑のファシスト』):ヨーロッパを代表するファシスト(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)の生涯を生き生きとそしてエンターテインメント性溢れる筆致で辿った一冊(アメリカ版はたぶん出てないと思う)。読みやすい一冊だが、その分量の多さや取り扱われている話題を考えるとこんなに読みやすくていいのだろうかと驚いたものだ。「浮かれ騒ぎ」(“rollicking”)に「サイコパス」。本書を読みながらそんな言葉が頭に浮かんだものだが、ともあれダンヌンツィオは当時のヨーロッパの作家の中でも最も影響力のあった一人であることは間違いない。

2. スタンリー・G・ペイン(Stanley G. Payne)(著)『A History of Fascism 1914-1945』:ファシズムに関する古典の一つ。読みやすいしあれもこれも包括的に取り上げられている。「ファシズムについて学ぶなら何をおいてもまずこの本から読むべし」と言えるいくつかある中の一冊だ。数々のファシズム関連本の山を渉猟して私が学んだことの一つは、ファシストの指導者たちの一部は中級レベルの役職の官僚連を自らの味方につけるために大いに心を砕いたということだ。そういう事情もあってファシスト体制下では政治機構のかなり上のレベルに権力が集中されることが多かった。例えば、ムッソリーニは1933年の段階では1年のうちで計72回の閣議を開いているが、1936年になると閣議は1年のうちでたったの4回しか開かれていない。ところで、少なくとも1938年以前まではイタリアのファシスト党(国家ファシスト党)の党員のかなりの割合はユダヤ人によって占められていたらしい。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「コッラド・ジニ(『ジニ係数』の考案者)とファシズム」(2015年3月10日)

●Tyler Cowen, “Who was Corrado Gini?”(Marginal Revolution, March 10, 2015)


統計学が現代科学の仲間入りを果たしたばかりの時代に生を受けたコッラド・ジニ(Corrado Gini)――「ジニ係数」の考案者――は数字狂の一人だった。1925年・・・というとジニが「所得格差の計測」(“Measurement of Inequality of Incomes”)を著してから4年後ということになるが、1925年にジニは(ファシストの哲学者であるジョヴァンニ・ジェンティーレが起草した)「ファシスト知識人宣言」に(イタリア国内の統計学者としては只一人)署名している。そしてその直後には憲法改正研究諮問委員会の委員に選ばれている。ジーン・ガイ・プレヴォー(Jean-Guy Prévost)が『A Total Science: Statistics in Liberal and Fascist Italy』(2009年刊行)の中で詳らかにしているが、ジニの研究成果はムッソリーニ率いるファシスト体制と密接な結び付きを有しており、そのせいもあってファシスト体制崩壊後の1944年にジニはファシズム擁護のかどで裁判にかけられることになる。裁判が続く中、ジニはイタリア合併推進運動党の立ち上げに参加。イタリア合併推進運動党の目的はイタリアと米国の併合を成し遂げること。「イタリアと米国が一つの国に併合されることになれば、イタリアが抱える問題もすべて解決されることでしょう」。合併推進運動党の設立者であるサンティ・パラディーノ(Santi Paladino)はタイム誌の記者に対してそのように答えている(タイムズ誌は続けてこう報じている。「パラディーノの妻(フランチェスカ)は(ニューヨーク州ニューヨーク市の)ブロンクス区で24年間暮らした経験があるものの、パラディーノ自身はこれまでに一度も米国に足を踏み入れたことはない」)。しかしながら、ジニが合併推進運動党の立ち上げに参加した目的は別のところにあった。合併推進運動党に協力すればそれと引き換えに「反ファシスト」の称号が手に入るかもしれない。ジニはそう考えたのである。

全文はこちら(執筆者はジル・ルポール(Jill Lepore)。ロバート・パットナムの新著(『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』)をはじめとしてその他数冊が書評の対象となっている)。目利きのケビン・ルイス経由で知ったものだ。勘違いしてほしくはないが、格差の計測に対する興味はファシズムと相性がいいといったようなことを示唆したいわけではない。意外な史実に興味を惹かれて紹介しておきたいと思っただけに過ぎない。コッラド・ジニについてはGoogleで検索すれば色々な情報が出てくるが、意外・・・でもないだろうが、ジニは優生学にも入れあげていた(夢中だった)ようだ。

タイラー・コーエン 「フランコ・モディリアーニとファシズム」(2017年2月11日)

●Tyler Cowen, “Franco Modigliani and the history of Italian fascism”(Marginal Revolution, February 11, 2017)


見過ごされがちなことがある。率直に言わせてもらうと、モディリアーニ自身が半生を回想した文章の中で意図的にぼかして語っているところもあるように見えなくもないのだが、モディリアーニは20歳の時点までにイタリア国内の論壇でも名を知られた「ファシスト界の神童」として通っていたのである。1936年(モディリアーニが18歳の時)には経済学分野の著作に対して与えられる賞をあのベニート・ムッソリーニから直接手渡されてもいるのだ。まだある。1947年(モディリアーニが29歳の時)には社会主義経済を是とする75ページに及ぶ論文をイタリア語で物している。その論文のタイトルを英訳すると、“The Organization and Direction of Production in a Socialist Economy”(「社会主義経済における生産活動の組織と指揮」)となるだろう (Modigliani 1947)。2004~2005年になってのことだが、モディリアーニが1937~1938年の間にイタリア語で公表した「ファシストとしての立場」から書かれた5本の論文が英訳されるに至っている(5本の英訳はいずれもダニエラ・パリシ(Daniela Parisi)による編集でModigliani(2007b)の中に収録されている)。しかしながら、「社会主義者としての立場」から書かれた先の1947年論文は未だ(英語に)全訳されずにいる。そこで1947年論文の一部の英訳を本稿の付録として掲載することにした。英訳の労をとってくれたのはヴィヴィアナ・ディ・ジョヴィナッツォ(Viviana Di Giovinazzo)。ジョヴィナッツォには深謝する次第。

以上はEcon Journal Watchの記事(pdf)からの引用だ。著者はダニエル・クライン(Daniel B. Klein)&ライアン・ダザ(Ryan Daza)。上の引用の最後のところでも指摘されているように、ヴィヴィアナ・ディ・ジョヴィナッツォによる(モディリアーニの1947年論文の)英訳付きだ。Econ Journal Watchのサイトにあるこちらのページではモディリアーニに加えてその他のノーベル経済学賞受賞者の面々の「イデオロギー遍歴」(生涯を通じてどのようなイデオロギーを信奉してきたか)がまとめられている(どれもこれも興味深い)。ところで、今回のエントリーの目的はモディリアーニを叩くことにあるのではない。ファシスト的な発想の驚くべき浸透力(ファシスト的な発想が社会の隅々まで浸透する可能性)を指摘したかったのだ。さらには、ファシズムにしてもその他の権威主義的な体制にしても人間の創造性に対する大いなる足枷となりかねないということもだ。仮にモディリアーニがムッソリーニ治下のイタリアにいつまでもとどまり続けていたとしたら、おそらくキャリアを転向する機会を掴めずに一生を終えることになっていたことだろう1

  1. 訳注;モディリアーニが経済学の分野で残した輝かしい業績の多くも生み出されることはなかっただろう、という意味。モディリアーニの主要な業績の簡単な紹介としては本サイトで訳出されている次の記事を参照されたい。 ●タイラー・コーエン 「コウルズ委員会に集いし傑物の面々 ~クープマンスからマーコウィッツまで~」(2017年3月28日) []

タイラー・コーエン 「イタリアの鉄道が時刻表通りに運行するようになったのはムッソリーニのおかげ?」(2003年9月12日)

●Tyler Cowen, “Did Mussolini make the trains run on time?”(Marginal Revolution, September 12, 2003)


・・・というのは違うらしい。www.snopes.comこちらのページで次のように語られている。

イタリアの鉄道システムは第一次世界大戦中に見るも無残な姿に落ちぶれてしまったものの、1920年代のうちに大いに息を吹き返した。それもこれも我々のおかげだ。ムッソリーニはそうホラを吹いた。鉄道の修繕工事の多くはムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握る1922年よりも前に既に完了していたのである。もっと重要なことがある。ムッソリーニが支配するイタリアで生活していた人々が口々にこう証言しているのである。当時のイタリアの鉄道はビックリするほど時間に正確だった(時刻表通りだった)というのは現実なんかではなく神話に過ぎない、と。