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タイラー・コーエン 「相手が嘘をついているかどうかを見抜く方法」(2004年8月22日)

●Tyler Cowen, “How to spot a liar”(Marginal Revolution, August 22, 2004)


数多くの被験者を集めた実験を通じて嘘つきが取りがちな行動パターンがいくつか明らかになっている。嘘つきは正直者に比べると会話の最中に体(腕や手や指)を動かすこともまばたきすることも少ない傾向にある。さらには、(嘘つきは正直者に比べて)声も緊張味を帯びていて甲高くなりがちだという。少し前に口にした発言を覚えておこう。話に矛盾がないように気を付けよう。嘘つきが会話の最中に体を動かすことが少ないのも発言の途中で口を閉ざす(一呼吸置く)ことが多いのもそのような余分な努力が必要となるためかもしれない。嘘つきは正直者に比べると言い間違いをすることも少なく、話を戻して言い忘れていたことや不正確だった細部について語り直すことも滅多にないという〔太字での強調はこちらで加えたもの〕。

「嘘つきが語る話はあまりにうまく出来過ぎているんですね」。そう語るのはベラ・デパウロ(Bella DePaulo)氏。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で社会心理学を研究する学者であり、「欺瞞」研究の分野における展望論文をいくつも物している人物だ。

嘘つきは相手を騙している最中に恐れや罪悪感(といったマイナスの感情)、場合によっては喜び(といったプラスの感情)を感じている可能性があり、そのような感情が顔の表情の変化を引き起こすこともあり得ることだ。しかしながら、表情の変化はあまりに微妙であり、そのため周囲の人間はそれに気付かずに見過ごしてしまう可能性がある。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の元教授であるポール・エクマン(Paul Ekman)は(嘘つきの顔に表れる)そのような一瞬の表情の変化を「微表情」(microexpressions)と名付けている。表情の(微妙な)変化はジェスチャーや声のトーン、会話のパターンと同じくらい相手が嘘をついているかどうかを見抜く上で大事なヒントになるとはエクマンの弁だ。

相手の嘘をいとも容易く見破る超人的な能力の持ち主も(ごく一握りではあるが)いるそうだ。

モーリン・オサリヴァン(サンフランシスコ大学の元教授)が語るところによると、連邦捜査官や法医学心理学者といったプロの中にはごく少数ではあるが相手の嘘を見破る上でずば抜けた能力を発揮する人物がいるという。「そのような能力の持ち主には一人か二人は出くわしますね」とオサリヴァンは語る。

全文はこちら(pdf)だ。

タイラー・コーエン 「ジェラール・ドブリュー」(2005年1月6日、2006年7月4日)/「ライオネル・マッケンジー」(2010年10月12日)/「『Finding Equilibrium』 ~「競争均衡の存在」を一番最初に証明したのは誰?~」(2014年8月11日)

●Tyler Cowen, “Gerard Debreu has passed away”(Marginal Revolution, January 6, 2005)/“It is also Gerard Debreu’s birthday”(Marginal Revolution, July 4, 2006)


カリフォルニア大学バークレー校の元教授であり、需要と供給に関する画期的な業績でノーベル経済学賞を受賞した経済学者のジェラール・ドブリューが(2004年)12月31日にパリで亡くなった。享年83歳。死因は明かされていない。

ドブリューはカリフォルニア大学バークレー校で30年以上にわたって学生の指導にあたった。ドブリューがノーベル経済学賞を手にしたのは1983年。需要と供給の一致をもたらす価格の働きを明らかにした理論的な業績が評価されての受賞だった。

全文はこちら。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された訃報記事はこちらだ。

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Theory of Value』(邦訳『価値の理論-経済均衡の公理的分析』)のことはご記憶だろうか? わずか128ページの格調高い一冊。一般均衡理論をものの見事にまとめ上げた一冊。著者であるドブリューの略歴はこちらだ。ドブリュー本人による経歴の説明はこちら。ドブリューのウィキペディアのページはこちら

かつて本人自ら語っていたことだが、ドブリューはプルーストの感化を受けているらしい。人間社会の組織に及ぼす効果の面で「時間」(という次元)は「空間」(という次元)とどのくらい似ているのだろうか?(「時間」を「空間」と同じような次元の一つと見なしてもいいものだろうか? 「時間」を「空間」と同じような次元の一つと見なしたとしたら1どのようなことが言えるだろうか?) ドブリューはそのような問いを設定した上で(アローやハーヴィッツ、ワルドらの助力を得て)競争均衡の存在証明に取り組んだのだ。

ところで、娘のヤナのもとに無事手荷物が届いたそうだ2。ドブリューのモデルも昨夜に比べるといくらか現実的に感じられるような気がする3

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●Tyler Cowen, “Lionel W. McKenzie has passed away at 91”(Marginal Revolution, October 12, 2010)


ライオネル・マッケンジー(Lionel W. McKenzie)が(2010年10月12日に)亡くなった。享年91歳。マッケンジーのウィキペディアのページはこちら。マッケンジーの略歴についてはこちらも参照されたい。

マッケンジーは競争均衡(一般均衡)の存在証明に貢献した最も重要な人物の一人だが、それだけにとどまらずターンパイク定理の精緻化にも大きく貢献した学者の一人だ。マッケンジーはロチェスター大学で何十年にもわたって学生の指導にあたったが、ロチェスター大学に経済学の大学院課程(修士・博士課程)が設置されたのは彼の働きかけのおかげである。マッケンジーの教え子(の院生)には日本人が数多くおり、その関係でマッケンジーの名前は日本で特によく知られている。彼の手になる“Demand theory without a utility index”は経済学の標準的な理論の多くが「効用」に関する特殊な仮定に頼らずとも成り立つことを示した論文であり、古典としての地位を確立するに至っている。マッケンジーはCGE(計算可能な一般均衡)モデルのアイデアを早くから唱えており、貿易理論の分野でも権威ある論文の数々を残している。マッケンジーのその他の業績についてはGoogle Scholarでの検索結果を参照されたい。

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●Tyler Cowen, “*Finding Equilibrium*”(Marginal Revolution, August 11, 2014)


つい先日のことになるが、『Finding Equilibrium』が出版された。著者はティル・デュッペ(Till Düppe)とロイ・ウェイントロープ(E. Roy Weintruab)の二人。副題は「アロー&ドブリュー&マッケンジーと科学上の功績をめぐる問題」4。個人的にお気に入りの一冊だ。経済学上の重要な定理の数々が発見されるに至るまでの内幕が暴かれており、特に(複数の学者による定理の証明の)同時発見に伴う問題に目が向けられている。副題に挙がっている三人の中で一番不遇な扱いを受けているのはマッケンジーだ。どうやらマッケンジーはマタイ効果の被害者となってしまったようだ。

  1. 訳注;物理的にはまったく同じ財でもその財が存在する「時間」と「空間」(場所)が違えば別々の財と見なす、という意味。「北海道にあるリンゴ」と「福岡にあるリンゴ」は別々の財であり、「2016年4月1日に北海道にあるリンゴ」と「2017年4月1日に北海道にあるリンゴ」もまた別々の財、といったようなこと。 []
  2. 訳注;航空会社の手違いで預けた手荷物が到着空港に届かず、空港で足止めを食っていたらしい。 []
  3. 訳注;同じ手荷物でも「在り処」(場所)が違えば別物、といったことが言いたいものと思われる。 []
  4. 訳注;この本の書評としては(どちらも英語になってしまうが)例えばこちらこちらも参考になるだろう。 []

マーク・ソーマ 「アロー、エッジワース、フォーセット」(2017年2月26日)

●Mark Thoma, “Arrow, Edgeworth, and Millicent Garrett Fawcett”(Economist’s View, February 26, 2017)


ラジブ・セティ(Rajiv Sethi)のブログより。

Arrow, Edgeworth, and Millicent Garrett Fawcett” by Rajiv Sethi:

先日亡くなったケネス・アローについてはもう既にあれこれと語り尽くされていてこれ以上何か言えそうなことも特にこれといって見つからないのだが、個人的な思い出であれば一つくらいは付け加えられそうだ。

過去に1度だけだがアローに会ったことがある。2008年4月にスタンフォード大学で開催されたカンファレンスに参加したのだが、そのカンファレンスのオーガナイザー(まとめ役)を務めていたのがアローとマシュー・ジャクソンだった。研究発表者の周囲を取り囲むように並べられたいくつものテーブル。聴衆はテーブルを挟んだ向こう側に腰を下ろしていたが、アローだけはテーブルの内側のスペースに入り込んで発表者の目の前に陣取っていた。当時のアローは86歳。

一番最初の発表者が私だった。異なる集団間での格差をテーマとする研究(サミュエル・ボウルズとグレン・ルーリーとの共同研究)の概要について発表したのだが、話し始めてから数分経ったところでアローが口を挟んできた。と言っても、決して強引にというわけではない。モデルの情報構造について詳しく知りたいとの質問だった。発表が終わって休憩時間に入ると、私のもとにアローがやってきて次のように尋ねられた。「ミリセント・フォーセット(Millicent Garrett Fawcett)の論文を読んだことがありますか?」。1892年のエコノミック・ジャーナル誌に掲載された論文だという。タイプミスじゃない。アローは確かに1892年と言ったのだ。「読んだことありません」。そう正直に告白したものだ。

その時にアローが語ってくれたのだが、フランシス・エッジワース(Francis Edgeworth)が1922年の(エコノミック・ジャーナル誌に掲載された)会長講演でフォーセットの一連の研究を詳しく取り上げているという。エッジワースのその講演は多くの人に広く知られているものの、その中で言及されているフォーセットの研究に自分で直接あたった人はほとんどいないという。

その後自分でも確かめてみたのだが、アローの言う通りだった。エッジワースは講演の中で何度も「フォーセット女史」と口にしており、フォーセットの論文を3本ほど引用している。エッジワースの講演は“Equal Pay to Men and Women for Equal Work”(「性別の枠を越えた『同一労働同一賃金』」)と題されているが、その中で引用されているフォーセットの論文の一つが1918年に公刊された“Equal Pay for Equal Work”(「同一労働同一賃金」)である。フォーセットの件の論文の冒頭は以下のようになっている。

Fawcett 1918

(「ジョン・ジョーンズ氏は軍服を製作する仕事に就いており、勤め先の洋服店から高給を支払われていた。ジョーンズ氏は病気に罹ってしまったが、勤め先の許可を得て自宅で服作りを続けることになった。ジョーンズ氏は自分の妻にも仕事のやり方を教えたが、ジョーンズ氏の体調が悪化するのに伴って彼の妻が助太刀する機会が増え、しばらくするとジョーンズ氏の妻が仕事をすべて引き受けることになった。しかしながら、ジョーンズ氏が生きている間は妻が製作した服もすべてジョーンズ氏製作という名目で勤め先に渡し、それまでと同額の給与が支払われ続けたのであった。

ジョン・ジョーンズ氏が亡くなり遺体が埋葬されたことが知られるようになると、『この服はジョーンズ氏が作りました』という話は最早通じなくなり、ジョーンズ氏の妻は『この服を作ったのは私です』と認めねばならなくなった。それ以降、自宅で作った服と引き替えに洋服店から支払われる給与はそれまでの3分の2に減額されることになったのであった。」)

少し調べてみてわかったのだが、フォーセット女史はエッジワースやアローにもまったく引けを取らない切れ者のようだ。さらには、経済学の分野での貢献は彼女の全業績のほんの一部でしかないのだ。アローとしては気の合う仲間を見つけたと感じていたに違いない。

マーク・ソーマ 「ケネス・アロー(1921-2017)」(2017年3月2日)/アレックス・タバロック「伯父としてのケネス・アロー ~サマーズが語るアローの思い出~」(2017年2月24日)

●Mark Thoma, “Kenneth Arrow, 1921-2017”(Economist’s View, March 02, 2017)


デブラージ・レイ(Debraj Ray)のブログより。

Kenneth Arrow, 1921-2017” by Debraj Ray:

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)が2017年2月21日に亡くなった。享年95歳。アローは20世紀を代表する三大経済学者(三傑)の一人(残りの二人はポール・サミュエルソンとジョン・ヒックス)と目されている人物であり、私のかねてからのお気に入りの経済学者でもある。

ディパク・バナジー(Dipak Banerjee)(pdf)――私の恩師――が私にアローを紹介してくれたのは1974年のことだ。(私の母親が崇め奉っているヒンドゥー教の女神サラスヴァティー)さながらに)私の目の前に現れたアローは黄色い表紙の小さなペーパーバックの姿を借りていた。その小さな本の名は『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)。大学通りにあるダスグプタ書店で購入し、今でも手元に持っている。当時私は大学1年生。小さな本ではあったが、その中を開くと深遠な論理的な思考がぎっしりと詰まっていた。それだけではない。ページを繰っていくとその先にはこれまでに見たことがない風景が広がっていた。政治経済学の分野における「抽象的な問い」が切れ味鋭い理論的な道具立てに読み替えられていたのだ。

その「抽象的な問い」とは一体何か? 簡単に言うとこういうことだ。みんなの意見を集計して集団としての意思決定を下す方法として「多数決」があるが、多数決にはいわゆる「コンドルセのパラドックス」(投票のパラドックス)として知られている有名な問題が付き纏っている。(複数の選択肢に対する)一人ひとりの選好(好み)は理に適ったものであったとしても「多数決」を通じてみんなの意見を集計する結果として得られる(複数の選択肢に対する)社会的な選好(集団としての選好順序)に時として循環が生じる可能性があるのだ。このことから次のような問いが浮かび上がってくることになる。一人ひとりの選好を矛盾のないかたちで集約し得る方法というのは果たして存在するのだろうか? 少し考えてみてもらえば気付くと思うが、一人ひとりの選好を集約する方法には我々がよく知っている多数決以外にも無数の候補がある。さてさてだ。先の問いに答えを出すのはおろか、先の問いを(理論的に取り扱えるようなかたちに)定式化するには一体全体どうすればいいんだろうか? アローが閃いた定式化――投票に参加する一人ひとりの選好を集約して集団としての選好(社会的な選好)を導き出す集計方法(社会厚生関数)にいくつかの公理(条件)を課す――はまさしく天才的なものだった。見た目が美しいというばかりではない。結論(答え)も得られるのだ。その結論とはこうだ。ごく限られた数の条件をすべて満たしつつ、一人ひとりの選好を集約して申し分のない(集団としての選好順序に循環が生じないような)社会的な選好を導き出せるような集計方法は存在しない。

以上の引用は冒頭のほんの一部でしかない。内容盛り沢山の続きも是非ともご覧になられたい。

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●Alex Tabarrok, “Summers on Arrow”(Marginal Revolution, February 24, 2017)


ローレンス・サマーズがケネス・アローとの思い出を回想しているが、その中で学者人生の一面を見事に捉えたエピソードが紹介されている。私も似たような経験がある。父親が機械工学を専門とする学者だったのだが、自宅に教え子を呼ぶことがあった。その時の父親の振る舞い(教え子たちと会話を弾ませている姿)を見ていて似たような感想を持ったことがあるのだ。

ノーベル経済学賞受賞者であり私の母方の伯父でもあるケネス・アローが今週95歳で亡くなった。アローは優れた人柄の持ち主であり、私(だけではなくその他大勢)にとってのヒーローだった。アローほど充実した学者人生を過ごした人物は他には見当たらない。

アローがノーベル賞を受賞したのは1972年のことだが、その時のことはまるで昨日のことのように覚えている。ポール・サミュエルソン――同じくノーベル経済学賞受賞者であり、同じく私の伯父でもある――がアローのノーベル賞受賞を祝うパーティーを催したのだが、その当時(MITの)大学2年生だった私もその場に招待されたのだ。若干オタクっぽい雰囲気に包まれてはいたが、お祭り気分に満たされた一夜だった。

夜も更けていく中、部屋の隅のところで数理経済学の定理の数々をテーマに立ち話を延々と続けるサミュエルソンとアローの二人。招待客たちは一人また一人と帰っていく。サミュエルソンの妻は「話はまだ終わらないのか」とじれったそうにしているように見えた。アローの妻(であり、私の叔母でもあるセルマ)はコートを羽織ってボタンも留め終わり、出口に向けて歩き出していた。そんなことはお構いなしに「最大値原理がどうこう、ポントリャーギン(ロシアの数学者)がどうこう」と切り出すアロー。イギリスの数理経済学者であり哲学者でもあるフランク・ラムゼイの話で迎え撃つサミュエルソン。二人の会話が終わらないことには私は帰れなかった。そのため私は二人の会話をじっくりと観察していたのだ。とは言え、(当時の私には)会話の内容は一切理解できなかったのだが。

二人の会話の様子を眺めていて吸収できたこともある。目の前にいるのはノーベル賞を受賞した二人の人物。疲れ果てた他の招待客たちが次々と家路を急ぐ中、好物の話題をネタに延々と語り続ける二人。その夜、私は二人の伯父から学んだのだ。アイデアに対する情熱を。学者という職業の重要性と刺激(スリル)を。

タイラー・コーエン 「コウルズ委員会に集いし傑物の面々 ~クープマンスからマーコウィッツまで~」(2008年5月4日)

●Tyler Cowen, “What do I think of the Cowles Commission?”(Marginal Revolution, May 4, 2008)


つい先ほど投稿したエントリー〔拙訳はこちら〕のコメント欄でAngry at the Marginから次のような質問を頂戴した。

「コウルズ委員会流の経済学」と貴殿もその流れを汲む「ジョージ・メイソン流の経済学」とは正反対の方向を志向しているように思えるのですが、それだからこそ最後の引用箇所で名前が挙がっている面々について貴殿がどう評価なさっているのか興味があります。誰もが主流派として成功を収めた人物ですが、そのことからさらに一歩踏み込んでどう評価されているのかお聞かせ願いたいところです。

それでは早速一人ずつ順に取り上げていくとしよう。

1. チャリング・クープマンス(Tjalling Koopmans):オペレーションズ・リサーチ(OR)の父」であり、ノーベル経済学賞を受賞して当然の人物だ(仮に「ノーベル数学賞」があったとすればクープマンスには経済学賞よりは数学賞の方が合っているかもしれない)。クープマンスは今もなお交通経済学(交通管理学)の中核に位置する最適経路選択に関する業績も残しており、さらには量子化学の礎の一部を築いた人物でもある。クープマンスは私の内部に息づく「オーストリアン(オーストリア学派)の心」には訴えかけてはこないが、畏怖すべき知識人の一人であることは間違いない。第二次世界大戦でのアメリカの勝利に力を貸してくれた人物でもある。偉大なるチャリング・クープマンスに敬礼!

2. ケネス・アロー(Kenneth J. Arrow):アローの名声は今ではサミュエルソンのそれを遥かに凌駕するに至っている。さらには、サミュエルソンに比べると哲学的な面も強い。さて、何から取り上げたらいいだろうか? アローはどの解説者よりも「アローの不可能性定理」を深く理解しており、さらには「医療経済学の父」でもある。これだけでも偉大すぎるほどだが、それでも彼がこれまでに成し遂げた貢献の10分の1くらいにしかならないだろう。アローと親交のある人々が揃って口にするところによると、彼ほどの博識家は見たことがないとのことだ。

3. ジェラール・ドブリュー(Gerard Debreu):「一般均衡理論の父」であり、(かつてドブリュー自身がインタビューで語っていたように)「『時間』の哲学者」という意味でマルセル・プルーストの正統なる後継者でもある。ドブリューは経済学の世界に公理主義(できるだけ少ない公理から一連の結論を演繹しようと志す立場)のアプローチを持ち込んだわけだが、そのようなアプローチの真味は二流の模倣者の手によるよりも一流のスターの手によってこそ存分に発揮される。言うまでもないだろうが、ドブリューは正真正銘のスターだ。ドブリューは「経済SF(サイエンス・フィクション)の父」とも言えるのではないかというのが私の考えだ(否定(侮蔑)的な意味でそう形容しているわけではない)。

4. ジェームズ・トービン(James Tobin):トービンは最も奥の深いケインジアンの一人。そう悟ったのは15年くらい前のことだ。トービンは(計量経済学のツールの一つである)トービット・モデル(Tobit model)の考案者でもあり、現代ポートフォリオ理論(MPT)の礎を築いた人物でもある。トービンと私はお互いに住んでいる知的世界は異なるが、それはさておきトービンはノーベル賞を何度も受賞してもおかしくないだけの業績を残している学者であることは間違いない。

5. フランコ・モジリアーニ(Franco Modigliani)
:モジリアーニもノーベル賞を何度も受賞してもおかしくないだけの業績を残している学者の一人だ。「モジリアーニ=ミラー定理」(この定理からは企業が保有する資産を(企業価値には一切の影響を与えることなしに)好きなように細かく切り分けられる可能性が示唆されることになる)で受賞、「(消費の)ライフサイクル仮説」でまた受賞といったようにだ。流動性選好に関する1944年の論文でもさらに受賞。そう言ってもいいかもしれない。「流動性選好」という概念だけでは例外的なケース(流動性選好(貨幣需要)の利子弾力性が無限大になるケース)を除けばケインジアン流のモデルを導き出すには十分ではない。モジリアーニの1944年の論文ではそのような可能性が示唆されているわけだが、残念ながらこの論文は現代版「流動性の罠」を提唱する論者たちには無視されたままのようだ。

6. ハーバート・サイモン(Herbert Simon):「限定合理性」のアイデアや行動経済学が経済学界を席巻したのはつい最近がはじめてというわけではない。サイモンがその前例を作っているのだ。人間の計算能力や神経学、人工知能といった方面におけるサイモンの洞察は効果的なかたちではまだ主流派の内部に取り込まれてはいない。というわけで、サイモンの影響力が強まるのはこれからだと言えそうだ。

7. ローレンス・クライン(Lawrence Klein):クライン流のマクロ計量経済モデルのファン(支持者)かと問われると「イエス(ファンです)」とは言えない。クラインの業績にじっくりと向き合ったことがないことは認めておかねばならないだろう。

8. トリグヴェ・ホーヴェルモ(Trygve Haavelmo):ホーヴェルモは計量経済学の分野における識別問題の解決に取り組んだパイオニア(草分け)の一人だ。彼がいなければスティーヴン・レヴィットも「ヤバい経済学」も存在し得なかった可能性があるわけだ。ホーヴェルモがノーベル賞を受賞したのはスカンジナビア(ノルウェー)出身だからというわけではないのだ1

9. ハリー・マーコウィッツ(Harry Markowitz):「現代ポートフォリオ理論の父」。これだけでもう十分だろう。

アメージング! そう思わないだろうか? とは言え、不満な面もある。全体的な印象として理論偏重であり知識の広さや現実世界の出来事(経験)が軽視されているように感じるのだ。だからといって誰もが尊敬すべき人物であることに変わりはない。上のリストの中で私が最も影響を受けた人物といえば断然アローとサイモンの二人だ。ついでながら言っておくと、「ジョージ・メイソン流の経済学」も時にはいつもとは違う道に足を踏み入れることもあるのだ。ただし、上のリストに話を限ると、サイモンを除く面々は主流派の経済学者によって既に「掘り尽くされて」しまっている面がある。そのことを踏まえると、みんなして「コウルズ委員会流の経済学」の後を追う必要はないように思えるのだ。

  1. 訳注;受賞者を選考するスウェーデン王立科学アカデミーが身内びいき(同郷のよしみ)でホーヴェルモを選んだわけではない(ホーヴェルモはノーベル賞を受賞して当然なだけの業績を残している)、という意味。 []

タイラー・コーエン 「コウルズ財団の経済学モノグラフシリーズ」(2008年5月4日)

●Tyler Cowen, “The Cowles Foundation Monographs in Economics”(Marginal Revolution, May 4, 2008)


コウルズ財団から発行されている経済学モノグラフシリーズの収録作品がこちらからすべて無料でダウンロード可能だ(Division of LaborブログおよびMichael Greinecker経由で知る)。このシリーズの中で一番有名な著書はケネス・アロー(Kenneth Arrow)の『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)だろうが、その他にも数多くの古典が名を連ねている。(シリーズに収録されている著書の)全部が全部一般読者にもお薦めできるわけではないとしてもその「当たり率」の高さには驚かされるばかりだ。コウルズ財団(ないしはコウルズ委員会)の概要についてはウィキペディア〔日本語版ウィキペディアはこちら〕を参照されたい(ところで、”Cowles”の発音は”coals”(石炭の複数形)と同じらしい)が、もっと詳しい背景説明が欲しいという場合は(HETウェブサイト内における)こちらのページ〔山形浩生氏による翻訳はこちら〕をご覧になられるといいだろう(名立たる経済学者の面々を撮影した写真へのリンクも貼られている)。コウルズ財団の公式のホームページはこちらだが、既に有益な情報源を紹介してしまったので屋上屋を架す感があることは否めない。HETウェブサイト内(のつい先ほど紹介したページ)の次の文章はコウルズ財団の手っ取り早い説明としていいかもしれない。

コウルズ委員会と関わりのある人物の中にはコウルズ委員会在籍中に手掛けた研究が評価されてノーベル経済学賞を授与された学者が数多くいる。具体的にその名前を挙げると、チャリング・クープマンスケネス・アロージェラール・ドブリュージェームズ・トービンフランコ・モジリアーニハーバート・サイモンローレンス・クライントリグヴェ・ホーヴェルモ、そしてハリー・マーコウィッツである。

タイラー・コーエン 「過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルー(画期的な成果)は何?」(2004年9月14日)/「半世紀前(1958年)に公刊された最も偉大な経済学の論文といえば?」(2008年6月17日)

●Tyler Cowen, “What is the biggest breakthrough in economics over the last fifty years?”(Marginal Revolution, September 14, 2004)


過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルーは何だろうか? ノーベル経済学賞受賞者の面々の回答はこちら1をご覧になられたいが、例えばミルトン・フリードマンは「インフレーションは貨幣的な現象である」というアイデアが広く受容されるに至ったことをその候補に挙げており、バーノン・スミスはハイエクの業績に言及している。

私見を述べさせてもらうと、(過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルーは)「インセンティブ」というアイデアの厳密にして首尾一貫した(多方面に及ぶ)応用、ということになるだろう。公共選択論「革命」しかり、プリンシパル=エージェント理論しかり、「法と経済学」(の大部分)しかり。計画経済の破綻にしてもそうだ(pdf)と個人的には主張したいところだ(計画経済が抱える問題としては「知識」の問題よりも「インセンティブ」の問題の方が重要度が高いというのが私の考えだ)。インセンティブの基本的な発想はアダム・スミスやアリストテレスにまで遡れるというのは確かだが、1950年以降のアメリカン・エコノミック・レビュー(AER)誌を順を追って試しに紐解いてみたらどれほど遠くまでやってきたか(「インセンティブ」への理解がどれほど深まりを見せているか)がわかることだろう。

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●Tyler Cowen, “Best economics paper of 1958”(Marginal Revolution, June 17, 2008)


レオナルド・モナステリオが次のように問いかけている

出版(公刊)されてから今年(2008年)で50周年を迎える(経済学の分野の)本ないしは論文の中で「これこそ真っ先に讃えるべき偉業」と呼べる業績はどれになるだろうか? (計量経済史を専門とする)私が選ぶとすればもちろんあの論文だ。そう。「クリオメトリックス(計量経済史)革命」の端緒を開いたコンラッド&メイヤー論文だ(Alfred H. Conrad and John R. Meyer, “The Economics of Slavery in the Ante Bellum South”, The Journal of Political Economy, Vol. 66, No. 2 (Apr., 1958), pp. 95-130)。ライバルとなり得る候補は何かあるだろうか?

ライバルの筆頭として挙げるべきは「資本構成の無関連命題」(いわゆる「モジリアーニ=ミラー定理」)を提唱したモジリアーニ&ミラー論文(AER誌に掲載)とサミュエルソンの「世代重複モデル」論文(JPE誌に掲載)だろう。個人的に順位をつけると、一位はモジリアーニ&ミラー論文、そして二位にコンラッド&メイヤー論文といきたいところだ。他に何か見逃していないだろうか? トーマス・シェリングのゲーム理論に関する有名な論文も公刊されたのは1958年だったような気もするが、どうだったろうか?

戦後のアメリカ経済学が成し遂げた功績はあっぱれと言うしかない。第二次世界大戦を前にして多くの思想家たち(フリードマン、サミュエルソン、シェリング等々)は実社会での経験を積みながら世の大問題(big problems)と取り組むことが求められた。それと同時に、定量的なものの見方が勢いを強め、テクニカルな分析手法の開発が進められることになった。かといって「狭く深く」への道まっしぐらだったというわけではなく、知識の広さもある程度は尊重されていたのだ。

  1. 訳注;リンク切れ []

アレックス・タバロック 「バーナンキ議長が大暴露 ~紙幣なんてただの紙切れに過ぎないんです~」(2010年2月17日)/タイラー・コーエン 「『ジ・オニオン』の記事を真に受けた例 ~うそはうそであると見抜ける人でないと・・・~」(2012年9月30日)

●Alex Tabarrok, “The Dangers of Common Knowledge”(Marginal Revolution, February 17, 2010)


【ワシントン】今週に入ってアメリカ経済はその機能を完全に停止するに至った。そのきっかけはベン・バーナンキFRB議長(2010年当時)による「『貨幣』という存在の根源にまつわる」思いもよらない発言にある。貨幣なんていうのは無価値な存在であり、社会的に構築された幻想に過ぎない。バーナンキ議長の発言をきっかけにアメリカ国民はそう気付かされたのだ。

・・・(略)・・・「現段階では政策金利を引き上げる予定はありませんが、もちろん状況に応じて適切に対応するつもりです。具体的にどういう状況かといいますとですね、・・ええと、・・・」。そこまで言い及ぶとバーナンキ議長はしばらく口をつぐみ、用意してきた原稿に目を落とした。そして何もかも信じられないといった様子で頭を左右に振りつつゆっくりと語り始めた。「ご理解されていますかね? 気にする必要なんて無いんですよ。こいつ、いわゆる『お金』と呼ばれてるこいつですがね、こいつには何の重要性もないんですよ」。 

両目をクワッと大きく見開いたバーナンキ議長は自分の財布の中から紙幣を取り出し、ゆっくりと目の前に掲げた。そしてこう続けたのである。「幻想に過ぎないんですよ。こいつらを見てください。何の変哲もないただの紙切れに数字が書き込まれているだけです。何の価値もないんですよ」。

その場に居合わせた目撃者の証言によると、上院財政委員会の面々は雷に打たれたような衝撃を受け、しばらく口を開くこともできなかったそうだ。その静寂を破ったのはオリン・ハッチ上院議員(ユタ州選出の上院議員。共和党所属)の叫び声。「何てことだ! 議長の言う通りだ。何もかもが幻影なんだ。お金にしても経済にしてもすべてがまやかしなんだ」。

それから間もなくして議事堂には金切り声が響き渡ることになった。その場にいた上院議員にメディア関係者を加えた面々が一目散に出口に向けて駆け出したのだ。誰もいなくなった議事堂にはビリビリに破れた紙幣があちこちに残されていたという。

と、『ジ・オニオン』が報じている。全文はこちらだ。

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●Tyler Cowen, “Fooled by satire”(Marginal Revolution, September 30, 2012)


「バラク・オバマとマフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)が選挙で争ったとしたらどちらに票を投じるかを尋ねたところ、アメリカ国内の田舎に暮らす白人の大半がアフマディーネジャードに票を投じると答えた」。『ジ・オニオン』が拵(こしら)えたそのような架空の調査結果をイランの通信社が事実として報じた。

『ジ・オニオン』の偽記事を一言一句違わずにそっくりそのまま報じたのはイランの半国営通信社Farsの英語版サイト。

『ジ・オニオン』の記事ではアフマディーネジャードとなら一緒に野球の試合を見に行ってもいいと語る架空の人物(ウェストバージニア在住のデール・スウィデルスク氏)が拵えられているが、Farsの英語版サイトではその架空の人物の発言――「アフマディーネジャードは国防というものを真剣に考えています。オバマはゲイのデモ隊が国防問題に口出しするのを容認していましたが、アフマディーネジャードならそんなこと絶対に許さないでしょうからね」――もそっくりそのまま引用されている。

全文はこちらだ。

アレックス・タバロック 「ディスマル卿のパラドックス ~経済学が『陰鬱な科学』と呼ばれる由来となった人物?~」(2006年5月20日)

●Alex Tabarrok, “Dismal’s Paradox”(Marginal Revolution, May 20, 2006)


経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけは何なんだろうか? 『ザ・デイリー・ショー』で(コメディアンの)ジョン・ホッジマンがその由来を説明している。

ジョン・スチュアート:う~ん。減税の効果についての今のご説明なんですが、どうもフェア(公平)じゃないと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアかどうかというのはここでのポイントじゃないんです。経済学が「陰鬱な科学」(ディスマル・サイエンス)と呼ばれているのはフェアネス(公平さ)を重んじる学問だからというわけじゃないんですよ。

ジョン・スチュアート:ええ、それは仰る通りだと思うんですが。

ジョン・ホッジマン:フェアな学問だからじゃないんです。絶対に違います。経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったきっかけはユースティス・ディスマル卿にあるんです。ディスマル卿の名前にちなんでるんですね。ディスマル卿は18世紀のイギリスで活躍した経済学者なんですが、レンガの代わりに子供たちを積み重ねて煙突を作ろうと提案した人物なんです。

ジョン・スチュアート: へ~、そうなんですか。初めて知りました。

ジョン・ホッジマン:そうなんです。実に面白い提案だったんですが、致命的な欠陥を抱えていたんですね。そこらじゅうの子供たちを積み重ねて煙突を作ってみたと想像してみてください。一体誰に煙突の掃除をさせたらいいんでしょうか? ・・・ね? これが世に言う「ディスマルのパラドックス」というやつです。

経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになった「真の由来」――世間ではトマス・マルサス(による陰鬱な予言)が関係しているように思われているが、マルサスは無関係――についてはこちらを参照されたい1

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事も参照のこと。 ●アレックス・タバロック 「経済学の中に潜む倫理的な判断」(2014年3月7日) []

タイラー・コーエン 「紋切型辞典」(2010年7月9日)

●Tyler Cowen, “Dictionary of Received Ideas”(Marginal Revolution, July 9, 2010)


つい最近刊行が始まったばかりの雑誌である『The Point』(第2号、2010年冬)にジャスティン・エヴァンズ(Justin Evans)が特集記事を寄稿している。そのタイトルは「紋切型辞典」(Dictionary of Received Ideas)1。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』と少し似たところがあるが、今年に入ってこれまでに読んだ中で一番笑えた記事だ。一例を引用しておこう。

経済学:何もかも余すところなく説明する学問

経済:全く理解不能な対象

次も好きだ。

債務: i) 公的債務2 — 許しがたい過ち

民間債務3 — 経済を牽引する役割を果たすもの

ii) 公的債務 — 経済を牽引する役割を果たすもの

民間債務 — (社会的な)セーフティーネットに綻(ほころ)びが生じている結果として累積するもの

念のために注意しておくと、経済学方面の話は(エヴァンズの「紋切型辞典」の)メインの話題ではないということは付け加えておこう。大半の雑誌――とりわけ妙に芸術作品を気取っていたり衒学的だったりする雑誌――は読んでいて退屈することが多いのだが、『The Point』は半分ほど立ち読みした感じでは好感触だ。定期購読を申し込もうかと思っているところだ。

  1. 訳注;このタイトルはフローベールの同名の書からとられている。 []
  2. 訳注;政府が背負う借金 []
  3. 訳注;家計や企業といった民間の経済主体が背負う借金 []