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タイラー・コーエン 「『野球を経済学する』」(2007年2月11日)/「『セイバーメトリクス革命』」(2014年2月6日)

●Tyler Cowen, “The Baseball Economist: The Real Game Exposed”(Marginal Revolution, February 11, 2007)


本書(『The Baseball Economist: The Real Game Exposed』)の著者はJ・C・ブラッドバリー(J.C. Bradbury)。私のかつての教え子だ。私が本書に寄せた推薦文は次の通り。「本書では(セイバーメトリクスの生みの親たる)ビル・ジェームズのさらにもう一歩先へ進もうと試みられている。機は熟せり! 本書を読めば野球というスポーツについての考え方が変わるに違いない」。

ブラッドバリーのブログ(その名もSabernomics)はこちら

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●Tyler Cowen, “*The Sabermetric Revolution*”(Marginal Revolution, February 6, 2014)


本書(『The Sabermetric Revolution』)はベンジャミン・バウマー(Benjamin Baumer)とアンドリュー・ジンバリスト(Andrew Zimbalist)の二人による共著だ。副題は「野球界におけるデータ解析の浸透を評価する」(Assessing the Growth of Analytics in Baseball)。セイバーメトリクスの現状を展望した優れた一冊だ。文章もこなれている。ほんの一部になるが引用しておこう。

・・・(略)・・・〔「BABIP(インプレー打率)の値には投手ごとに大して差がない」というボロス・マクラッケンの主張が何を意味しているかというと〕打者が打った球が一旦フェアゾーンに入った暁には、その球を放った投手が誰だったか(ロジャー・クレメンスだったのかはたまたロジャー・クレイグだったのか)は最終的な結果を左右する上でどうやら大して大事な問題じゃない(フェアゾーンに入った打球がヒットになるかどうかは投手が誰かによって大して左右されない)ようだということだ。

もう一丁引用しておこう。

・・・(略)・・・〔1勝が球団の収入を高める効果の大きさには球団ごとに違いがある。〕カンザスシティを本拠地とする球団よりもニューヨーク市を本拠地とする球団の方が勝ち星を一つ積み上げることに伴う収入の増え方は大きいのだ。

本書はセイバーメトリクスについて知る上で非常に有益な一冊だ。

タイラー・コーエン 「優れたスポーツライターのおかげで試合の俗悪化が進んでいる?」(2015年2月11日)

●Tyler Cowen, “Do smart sports writers actually dumb down the games they cover?”(Marginal Revolution, February 11, 2015)


つい先日のことだが、ケビンとロビンの二人と一緒に「サンダー対クリッパーズ」の(プロバスケットボールの)試合を観戦してきた。よくあることなのだが、生で試合観戦をしている最中に不快な思いに襲われる瞬間が度々あった。例えば、鼓膜を打つ騒音に会場中に鳴り響くアナウンス、そしてチアリーダーのパフォーマンス。スポーツの生観戦にくっついてくるこういった特徴は全般的に時とともに悪化する一方だ。

にもかかわらず、プロバスケットボールリーグのNBAは社会的地位の垣根を越えて幅広い層からファンを獲得することに成功している。下流の人間だけではなく上流の人間を呼び込むことにも成功しているのだ(ローラーゲームやプロレスなんかはこの点今ひとつうまくいっていないようだが、モータースポーツを統括するNASCARはかつてに比べると社会的地位の垣根を越えてファン層を拡大しつつある。試合を観戦する誰もがプレミア感を味わえるような会場作りの秘訣についてはこちらの興味深い記事を参照されたい)。上流の人間にしても下流の人間にしてもすっかり満足し切って会場を後にするわけではないものの、それぞれにまずまずの満足感は得られているようだ。

上流の人間はNBAの観戦に伴って試合そのものだけではなく「付属品」を味わうこともできる。「付属品」というのはビル・シモンズ(Bill Simmons)ザック・ロウ(Zach Lowe)、(ネイト・シルバー率いる)FiveThirtyEightだとかが提示するNBAにまつわる統計データとその精緻な分析(データ解析)のことだ。彼ら(バスケ版セイバーメトリクス)のおかげで上流の人間はNBAの試合を「知的で高級な」商品として観戦することができ、そのことから満足感を引き出すことができるわけだ。しかしながら、そのような「付属品」が提供される一方で試合観戦の他の面では俗悪化が進む可能性がある。それも上流の人間のバスケ離れを引き起こさずにだ。会場を彩るおどろおどろしい看板(広告看板)やハーフタイムショーは(下流の人間の好みに適う一方で)上流の人間の好みに合わなくなってきているが、会場にいながらにして「ケビン・ラブの今シーズンのPERの値はどのくらいだろう?」「ウィザーズの選手は遠目からのツーポイント(2点)シュートばかり狙っているようだが、チームの戦術としてそれはどうか?」「アトランタ・ホークスが予想外の躍進を遂げた理由は何だろうか?」なんてことをあれこれ考えて楽しんで過ごせたら試合観戦の場の一部で進む俗悪化も無視してしまえるのだ。

「意図せざる結果」の例がここにも、というわけだ。優れたスポーツライターのおかげでスポーツの試合観戦の知的さが増すのに伴って試合観戦の他の面では俗悪化が進む可能性があるのだ。

タイラー・コーエン 「スポーツの試合を録画して後で見ると物足りなさを感じるのはなぜ?」(2011年6月12日)

●Tyler Cowen, “Why is recorded, non-live sports so boring to watch?”(Marginal Revolution, June 12, 2011)


スポーツの試合を録画して後で見ると(スポーツの試合をテレビでリアルタイムで見る場合よりも)物足りなさを感じてしまうのはなぜなのだろうか? チャック・クロスターマン(Chuck Klosterman)がこちらの記事でその理由をいくつか列挙しているが、クロスターマンとしては以下に引用する(ベイズ的な推定に立脚する)説明が一押しのようだ。

2. 「(録画してあってこれから見るつもりの)この試合はもう既に終わっている。にもかかわらず、この試合に関する情報は私の耳に一切入ってきていない。とすれば、おそらくこの試合は何の変哲もない平凡な試合だったのだろう」

あまりも当たり前すぎてほとんど何も言っていないように聞こえるかもしれないが、私としては一番肝心なポイントを突いているように思える説明だ。「『ライブ』(生(なま))とは何か?」という究極の問題の背後にあるものとも関わってくる説明でもある。

・・・(中略)・・・スポーツの試合であれ何であれ、何かしらのイベントをリアルタイムで目撃する場合にはどんなことでも起き得る。もしかしたら誰かが命を落としてしまうかもしれないし、これまで一度も起きたことのない出来事が短い間に二度も繰り返されるかもしれない。これからの3秒の間に何が起こるかを前もって予測できる人は誰一人としていない。しかしながら、その3秒の間にびっくりするような物珍しい出来事が起きたとしたら、それから3分後くらいにはきっと私の耳にもその出来事に関する情報が届くことだろう。こちらから聞くまでもなくおそらくは何かの拍子に誰かからその出来事について漏れ聞くに違いないのだ。凡百のニュースであれば遮断することは可能だが、「大ニュース」から我が身を遠ざけておくことは不可能だ。「洞窟」に篭るだけでは不十分だ。というのも、外界から完全に遮断された洞窟(のような場所)なんてもうどこにもないからだ。今やどの洞窟にもWi-Fiが備え付けられているのだ。

みなさんはスポーツの試合をテレビでリアルタイムで見る時には一体何を楽しみにしているだろうか? 「ブラックスワン」(予想外の出来事)に遭遇するのを期待してたりするだろうか? クロスターマンの当該記事では上に引用した箇所だけではなく全編を通して興味深い議論が展開されている。情報を寄せてくれた匿名氏(本ブログの熱心な読者の一人)には感謝だ。

タイラー・コーエン 「一流のフィギュア選手のミスがこんなにも目立つのはなぜ?」(2010年2月16日)

●Tyler Cowen, “Why is there so much falling in top-level figure skating?”(Marginal Revolution, February 16, 2010)


・・・とクリス・ハートマン(Chris Hartman)が問いかけている1。ハートマンとしてはミスに対する減点をもっと大きくしてもらいたいようだ。そうすれば選手も確実で安全な(ミスする可能性の低い)技をプログラムにたくさん取り入れるようになるだろうというわけだ。

一流のフィギュア選手のミスが目立つのは選手にとっての「最適点」が時とともに(ミスする可能性が高いという意味で)リスクの高い(難度の高い)技をよしとする方向にシフトしてきているためではないかというのが私の考えだ(このことはフィギュアスケートだけに限った話ではなくその他の多くの競技にも言えることだ)。昔であればフィギュアの試合を観るとすればテレビで(リアルタイムで)視聴するというのが普通であり、ミスが多いと視聴者はうんざりさせられたものだ。言うなればかつてはパフォーマンス全体の平均的な質の重要性が今よりも高かったわけだ。翻ってここ最近はどうかというと、(難度の高い技を次々と成功させた)「名演」(the very best performance)の映像は後日になってYouTubeなんかにも投稿される。フィギュアファンの多くはYouTubeなんかで「名演」を何度でも繰り返し味わえるようになっているわけであり、いきおい選手もプログラムに難度の高い技をたくさん詰め込む(プログラムに取り入れる技の難度の散らばりを大きくする)方向に急き立てられるというわけだ。

ルールが変更されたために選手がリスクの高い(ミスする可能性の高い)試みに手を出すように仕向けられる。フィギュアスケートに限らずそういった例としてはどんなのがあるだろうね?

  1. 訳注;リンク切れ。 []

タイラー・コーエン 「フィギュアスケートにまつわる謎 ~スカンジナビア諸国代表のフィギュア選手がオリンピックで長らくメダルを獲得していないのはなぜ?~」(2010年2月18日)

●Tyler Cowen, “Where are the good Scandinavian figure skaters?”(Marginal Revolution, February 18, 2010)


J・C・ブラッドバリー(John-Charles Bradbury)が問うている。

スカンジナビア諸国はウィンタースポーツの強国であり、ウィンタースポーツの大半の競技を得意としている。スカンジナビア諸国の気候を考えればそれも驚くにはあたらないだろう。ところがだ。ことフィギュアスケートに関してはスカンジナビア諸国代表の選手は1936年以降にオリンピックで誰一人としてメダルを獲得していないのだ。

リンクはこちら1。さて、その理由は? すぐに思い付く「これだ」という経済学的な仮説もなくはない。「寒い地域ほど室内が暖かい(室内の気温が高い)」謎に関するデイビッド・フリードマン(David Friedman)の研究を踏まえた仮説がそれだ。スウェーデンは1年の多くの期間を通じて天然の氷に恵まれている。そのため、わざわざスケートリンク場を建てる価値があるかというと(おそらくは)それほどない。ということはつまりスウェーデンでスケートができるのは1年のうちで(天然のスケートリンクが姿を現す)限られた期間だけということになる。その一方で、スウェーデンよりも暖かい国々ではスケートリンク場がなければスケートを滑れるチャンスは皆無だ。そのため、そういった国々ではスウェーデンよりも多くの数のスケートリンク場が建てられ、そのおかげで一年中スケートができる環境が用意されることになる2。ずっと昔、おそらくは1936年よりも前の時代にはまだどの国もスケートリンク場の建設には手を出していなかったのだろう。

暖かい国ではスケートリンク場を建てるよりもスキー場を建てる方が大変だ。そのため、以上のメカニズムはウィンタースポーツの中でも(暖かい国でも練習に使える施設を比較的建てやすい)特にスケートに強力に当てはまることだろう。

ただし、以上の仮説の裏付けとなるような具体的な証拠を持ち合わせているわけではない。ふと思い付いた経済学的に考え得る仮説というに過ぎない。この謎を解く他の仮説なり具体的な証拠なりを誰かお持ちじゃないだろうか? フィギュアスケートで金メダルを獲得したアメリカ代表選手はどの州出身なのだろうか? その金メダリストが生まれ育った州の気候はどんな具合なんだろうか? どのくらい天然の氷に恵まれているんだろうか?  女子フィギュアの金メダリストの父親は我が子の教育や練習(訓練)にどのくらい首を突っ込んでいるんだろうか?

  1. 訳注;リンク切れ。 []
  2. 訳注;このあたりの理屈については本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●フランシス・ウーリー 「トロントの方がオタワよりも暖かいのに屋外でスケートを滑れる期間が長いのはなぜ?」(2018年2月27日) []

フランシス・ウーリー 「トロントの方がオタワよりも暖かいのに屋外でスケートを滑れる期間が長いのはなぜ?」(2014年12月26日)

●Frances Woolley, “Why does Toronto have better outdoor ice than Ottawa?”(Worthwhile Canadian Initiative, December 26, 2014)


トロントはオタワに比べると気温が高い(暖かい)傾向にある。それにもかかわらず、トロントの方がオタワよりも屋外のスケートリンクに恵まれているのはどうしてなのだろうか?

 「そんなことはない」という反論もあることだろう。(オタワ市の中央を流れる)リドー運河を見ろ。冬になるとリドー運河は(凍結して)世界最長のスケートリンクに様変わりするではないか。それだけではない。市内の公園に足を運べばあちこちにスケートリンクがあるではないか。そんな反論の声が聞こえてきそうだ。しかしながら、オタワ市内の屋外にあるスケートリンクはほぼすべてが天然のリンクだ。気温が上がるとリンクは溶けて水たまりに一変してしまう(上の写真をご覧あれ)。

どうやら今シーズン(2014年から2015年にかけての冬場)に関してはオタワで屋外の(天然の)スケートリンクが姿を現すのは年明けの1月までずれ込みそうだ。その一方で、トロントでは屋外のスケートリンク場の営業はもう既に11月の終わり頃から始まっている。

トロントはオタワよりも3~4℃ほど気温が高いにもかかわらず屋外でスケートができる期間が1~2ヶ月も長いわけだ。一見すると奇妙に思える。しかしながら、トロントの方がオタワよりも屋外のスケートリンクに恵まれているのはトロントの方がオタワよりも暖かいからこそなのかもしれないのだ。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「カーリングの経済学?」(2006年2月16日)

●Tyler Cowen, “The economics of curling”(Marginal Revolution, February 16, 2006)


カーリングの話題をブログで取り上げてくれないかとの声が読者から多数寄せられている。カーリングは冬季オリンピックの正式種目でもあるスポーツの一つだ。

Googleにお伺いを立てる(Googleで検索する)と時として言葉には複数の意味が備わっていることを思い知らされるものだ。

ハンサムな顔立ちに広い額、きりっとした目つきにくりんと上がったまつげ、鷲(わし)鼻気味の鼻、固く閉ざされた口にがっしりとした顎。その下には「アダム・スミス(64歳)、1787年;Tassie F. 作」との文字が刻まれている。ジェームス・タッシー(James Tassie)が制作したかの有名な円形浮き彫り(メダリオン)に描かれている横顔のスミスはウィッグをかぶっているが、実はタッシーはもう一つ別のスミスの円形浮き彫りを制作している。J. M. グレイ氏が「古風なタッチ」のスミス像と呼んでいるもう一つの円形浮き彫りにはウィッグもかぶらず衣服も着用していないスミスの胸から上の横顔が描かれている。グレイ氏は「古風なタッチ」のスミス像について次のように語っている。「頭の形が丸々としていること、髪はカールしていて(curling)特に(もう一つの円形浮き彫りではウィッグで隠れている)大きな耳よりも上の側では上向きにカールしていること。この作品にはそのようなスミスの姿が描かれているという強みが備わっている」。

以上はジョン・レー(John Rae)によるアダミ・スミスの伝記(リンクはこちら)の一部を引用したものだ。さて、スポーツのカーリングに話を移すとしよう。こちらのブログでカーリングは果たして金持ちのスポーツなのかどうかという問題が取り上げられているが、どうやらそうではないようだ。「さもありなん」というのが私の率直な感想だ。だって私がカーリングに手を出さないのはお金持ちじゃないからというわけじゃないんだもの。カーリング絡みのあれこれの事実についてはウィキペディアを参照されたいが、カーリングは「氷上のチェス」とも呼ばれているようだ。カーリングは(カナダの)サスカチュワン州の州技でもあるらしい。スレート誌のこちらの記事ではカーリングを通して世界が読み解かれている。

カーリング(の大会)の経済効果はかなりの規模に上ると語るカナダの調査結果はこちら1。イベントの経済効果に関するこの種の大抵の調査結果に言えることだが、残念ながら粗便益と純便益が区別されていないし、開催地単独レベルでの便益と国全体レベルでの便益が区別されずにごっちゃにされている。さらには名目支出の増加と実体経済の活性化が同一視されてもいる。同様の欠陥を抱える他の調査結果と一緒にまとめて全部焼き払ってしまうがよい。

  1. 訳注;リンク切れ。おそらくこちらの調査結果を指しているものと思われる。 []

アレックス・タバロック 「猫はお好き?」(2006年1月22日)/「トキソプラズマという名の人形使い」(2009年7月18日)

●Alex Tabarrok, “Do you love cats?”(Marginal Revolution, January 22, 2006)


トキソプラズマ(Toxoplasma gondii)はその驚くべき特性のために進化生物学者の間でもてはやされている寄生虫の一つだ。トキソプラズマの住まいは猫の腸内。トキソプラズマは猫の腸の中で卵を産み、その卵は糞に付着して外に排出される。そしてその糞はネズミに食されることが多い。さて、問題はネズミから再び猫(新たな宿主)の体内にどうやって戻るかだが、驚くべきはここだ。トキソプラズマは(猫の糞を食べた)ネズミの脳に感染してネズミの行動をそれとなく――己の繁殖力を高めるような方向に――変化させる。トキソプラズマに感染したネズミは猫をそれほど怖がらなくなり、その結果として猫の餌食となる(猫に食べられる)可能性が高まることになるのだ!1

まさかの展開がもう一つ。トキソプラズマは多くの人間にも感染するらしい

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●Alex Tabarrok, “The Return of the Puppet Masters”(Marginal Revolution, July 18, 2009)


数年前のことになるが、「猫はお好き?」と題した拙エントリーで次のように語った。

トキソプラズマ(Toxoplasma gondii)はその驚くべき特性のために進化生物学者の間でもてはやされている寄生虫の一つだ。トキソプラズマの住まいは猫の腸内。トキソプラズマは猫の腸の中で卵を産み、その卵は糞に付着して外に排出される。そしてその糞はネズミに食されることが多い。さて、問題はネズミから再び猫(新たな宿主)の体内にどうやって戻るかだが、驚くべきはここだ。トキソプラズマは(猫の糞を食べた)ネズミの脳に感染してネズミの行動をそれとなく――己の繁殖力を高めるような方向に――変化させる。トキソプラズマに感染したネズミは猫をそれほど怖がらなくなり、その結果として猫の餌食となる(猫に食べられる)可能性が高まることになるのだ!

まさかの展開がもう一つ。トキソプラズマは多くの人間にも感染するらしい

さて、最新の研究結果を紹介しておこう。

大半の国ではその国の2~6割の人間がトキソプラズマに感染する可能性を秘めている。・・・(略)・・・本研究はトキソプラズマに感染すると(反応速度が鈍ることで)交通事故に遭うリスクが高まることを前向きコホート研究を通じて初めて立証したものである。我々の研究によると、・・・(略)・・・抗トキソプラズマ抗体価の高い感染者は交通事故に遭う確率がおよそ16.7%――トキソプラズマに感染していない人物の6倍以上の値――に上るとの結果が得られている。

Rh陽性の血液型の人物はトキソプラズマに感染しても交通事故に遭うリスクがいくらか抑えられるようだ(詳しくはリンク先の論文を参照されたい)。ところで、トキソプラズマに感染した人間は(ネズミがそうであるように)猫に食べられやすくなったりするのだろうか? リンク先の論文ではこの点について何も語られていないが、きっとそうに違いないというのが私の見立てだ。

  1. 訳注;そしてトキソプラズマはネズミを食べた猫に感染することになる。 []

タイラー・コーエン 「かわいいの力 ~キュートな動物の写真を眺めると集中力が高まる?~」(2012年10月5日)

●Tyler Cowen, “Looking at pictures of cute animals makes you work more carefully and deliberately”(Marginal Revolution, October 5, 2012)


どうやらそうらしい

眺めていると顔がほころぶような普遍的なかわいさを備えている子犬や子猫などの写真を見ると単に心が和むだけではなくさらなる恩恵も伴う可能性があることが日本の研究者による実験で明らかになった。そういった写真を眺めると集中力が高まるらしいのだ。

論文のタイトルも的確だ。すなわち、「かわいいの力」(“Power of Kawaii”)。「かわいい」というのはキュートという意味。件の論文はさる木曜日にオンラインジャーナルである「PLOS ONE」に掲載されたばかり。実験を行ったのは広島大学に籍を置く研究チーム。三つの異なる実験を通じて子犬や子猫の写真を見た後には集中力が高まることが立証されている。1

情報を寄せてくれたMark Thorsonに感謝。

  1. 訳注;この研究について詳しくは例えば次も参照されたい。 ●“「かわいいものを見ると集中できる」ことを発見!-日本発「かわいい」の新たな可能性を示す-”(研究者インタビュー「研究NOW」, 第31回 入戸野宏 准教授(広島大学大学院総合科学研究科), 2012年12月4日) []

タイラー・コーエン 「現状に満足する猫に嫉妬する人間?」(2017年2月8日)

●Tyler Cowen, “John Gray on Abigail Tucker’s cat book”(Marginal Revolution, February 8, 2017)


とりあえずは現状に満足するというのが猫が備える何にもまして魅力的な特徴の一つだ。猫は人間――とりわけ現代人――とは違って幸せを手にしようと夢見てわざわざ骨を折ろうとはしない。何らかの脅威にさらされない限りは今の自分、現状の生活に満足し切って一日一日をやり過ごすというのが猫の基本姿勢だ。食事や睡眠以外の時間にはあちこちを探検して回ったりひたすら遊んだりして暇を潰す。「生きる理由とは何か?」なんて自問することは決してない。猫にとっては生きていられるだけで十分なのだ。

猫を見るとムカムカする(猫が気に入らない)という人がいるようなら――そんな御仁はたくさんいるように見受けられるが――、現状に満足気な猫への嫉妬が理由の一つなのかもしれない。

以上はジョン・グレイ(John Gray)による書評の一部を引用したものだ。グレイと言えば文化や歴史の行く末に関する悲観論者として有名な人物の一人だが、書評の中では猫の大量殺処分の必要性を訴える論者への批判も加えられている。・・・と聞けばグレイが自著に『Straw Dogs』(邦訳『わらの犬――地球に君臨する人間』)なるタイトルを付けたのはなぜだろうと探りを入れたくなるかもしれない。肝心の書評はこちらだ。書評の対象となっているアビゲイル・タッカー(Abigail Tucker)の優れものの猫本は『The Lion in the Living Room: How House Cats Tamed Us and Took Over the World』(邦訳『猫はこうして地球を征服した:人の脳からインターネット、生態系まで』)だ。

ジョン・グレイがロス・ドウザット(Ross Douthat)の妻〔=アビゲイル・タッカー〕の猫本に好意的な書評を寄せるというあり得ない出来事が起きたわけだが、次に待っているあり得ない出来事は一体何だろうね?